エヴァンゲリオン新劇場版の完結編、シン・エヴァンゲリオンがついに2020年の6月に公開されることが決まりました。前作のQからかなり期間が空いた印象ですが、最後の4作目を見るにあたって懸念があります。それは、Qの時点で新劇場版のお話がかなり複雑で理解不能なものになってしまったために、完結編であるシン・エヴァンゲリオンをどう見ていいのかよく分からない、そもそも内容が理解できないかもしれない、という点です。そしてエヴァンゲリオンという作品は基本的に説明不足な状態で物語が進むために、作品を見直せば理解できる、という類の作品でもないわけです。

2020年に映画を実際に見たときに、旧劇同様に理解できない、という状態に陥る可能性はかなり高いんじゃないでしょうか。ですから、細部はともかくとして、大枠として新劇場版エヴァンゲリオンはどういうお話なのか、という部分を考えていきたいと思います。端的に言えば、シン・エヴァンゲリオンを見る準備をキッチリしましょうという目的です。

・根本的にエヴァとはどういうお話なのか
ここでいう「どういうお話なのか」というのは、シンジ君の成長物語ですとか、使徒と人類の生存競争の物語であるとか、そういった話ではありません。

エヴァンゲリオンという作品は、リリスとの契約のために使徒をまずは殲滅し、その後、人類補完計画を実行する、という手順を踏むために、序盤から中盤にかけては使徒対エヴァという戦闘を楽しめますが、後半に入ると人類補完計画編に突入します。この人類補完計画という要素が非常に宗教色が強いといいますか、概念的なお話になるために、ハッキリ言って理解できないゾーンになってくるんです。アニメ的にも面白くないでしょう。

しかし、ここをまずは押さえておかないと新劇場版の方向性が分からなくなりますので、まずは旧作であるTV版及び旧劇場版の物語的核を考えて行きます。

エヴァンゲリオンは使徒を倒し終わった後に人類補完計画編に移行します。この人類補完計画というのは、人類は罪を背負った存在なので、その贖罪、禊をし、すべてが一つの存在になって元に戻りましょう、というようなイメージのものですが、この人類補完計画の「方式」というのが実は碇ゲンドウとゼーレで異なっているんです。碇ゲンドウ方式の補完計画と、ゼーレ方式の補完計画、というのがあり、この両者は旧劇場版で最終的に対立関係になり、殺し合いをします。戦略自衛隊の突入によってネルフ職員の虐殺が発生していたでしょう。これは、ゲンドウが進めるゲンドウ方式の補完計画をゼーレが許さなかったからです。この辺の事情をまずは押さえておきたいです。

・旧約聖書の創成期
人類を救済するための人類補完計画。これが2種類あり、対立関係にある訳ですが、この辺のお話は旧約聖書の創成期をモチーフにしているために、その辺の知識を押さえておかないと理解不能になります。なので、その辺をざっと説明します。ちなみに、私にもそんな旧約聖書の知識なんかありませんから、情報元は社会学者の宮台先生からです。

・生命の樹と知恵の実の対立
私たちは楽園に住んでいたところ、アダムがルシファーの化身である蛇にそそのかされて、リンゴを食べてしまいました。つまり知恵の実ですね。これを食べてしまったために人類に知恵がついてしまうわけです。結果楽園から追い出されるわけですが、追い出された理由というのは知恵の実を食べたからではありません。知恵の実を食べたアダムはその後に生命の樹を手に入れる可能性があります。知恵の実と生命の樹が合体すると全能者になってしまうんです。全能者とは神の事ですから、神はアダムが全能者にならないように、楽園から追放するわけです。

知恵の実を食べた人間が生命の樹にアクセスできないようにするために、神は生命の樹の周りに魔物を配置します。魔物というか番人のような存在ですけど、これを使徒と言います。人類が生命の樹にアクセスして、全能者にならないようにするためにいるわけです。おそらくこの辺のエピソードが「人類補完計画編に移行するには使徒を全部倒さないといけない」というリリスとの契約に反映されてるんでしょうね。人類が生命の樹を手に入れるには、生命の樹を守ってる使徒を倒さないといけない。そういうようなエピソード反映なのでしょう。

・合一
合一とは2つ以上のものが一つになる事ですが、人類補完計画で最終的に人類が一つになるわけです。この辺の合一方式に関してキリスト教とユダヤ教の知識が必要になってきます。ユダヤ教は神と合一することを許しません。全能者である神は一人しかいなくて、人間はせいぜい契約をし、怒られないようにしないといけない、というような話になります。逆にキリスト教というのは、キリストが十字架に磔になることで、人類が知恵の実を食べてしまった原罪を贖っているんです。ですから、その部分では神様にもう許されているんです。そうすると、キリスト教徒にとっての最終的な関心は、最後の審判の時に永遠の生命が得られるかどうかという話になってきます。これは生命の樹を得られるかどうかと同じで、最終的にキリスト教徒は死後に神の国に入り、永遠の生命を得て、神と合一するという発想になってるわけです。この辺の知識をまずは押さえて、ゼーレとゲンドウの補完方式の違いの部分に行きましょう。

・ゼーレ方式
人類は罪を背負った存在だから、罪を償い、禊をし、今の不完全な状態から元に戻りましょう、という方向性です。

・ゲンドウ方式
元々楽園に生きていた人類は知恵が無く動物のような存在です。知恵の実を食べた人類が生命の樹も手に入れれば、人類が神になれる。

つまり、神に贖罪するための人類補完計画がゼーレであり、自らが神になるための人類補完計画がゲンドウなわけです。旧シリーズのエヴァンゲリオンとは、こういったゼーレ方式補完とゲンドウ方式補完の対立のお話でした。じゃあ、この物語的な核は新劇場版でも同じなのかどうかが問題になります。

・ゲンドウが人類補完計画を進める理由
これは事故で突発的にエヴァに取り込まれてしまった妻、ユイに再会するためです。旧シリーズのゲンドウはユイに対する愛情、執着が強く、どうしても諦めきれませんでした。だから、ゲンドウは自らが神になるための人類補完計画を進めているわけです。

・新劇場版のユイ
Qで明らかになりましたが、新劇場版のユイは事故で突発的に取り込まれたわけじゃありませんでした。自らの意志で初号機のコアにダイレクトエントリーしてたわけです。こうなってくると、おそらくゲンドウと一緒に計画的に実行したと考えるのが妥当であり、ゲンドウの目的が旧シリーズと同様に「自らが神になるための人類補完計画実行」とは考えづらくなります。つまり新劇場版は物語の核が「ゲンドウ方式補完とゼーレ方式補完の対立」ではないと推測可能です。

・神殺し
では新劇場版の物語的な核とは何なのか。Qで新しく出たキーワードに神殺しというものがあります。エヴァンゲリオンの世界で神にあたる存在は、人類を生み出したリリスと、使徒を生み出したアダムでしょう。旧劇場版を見ればわかりますが、最終的に人類補完計画は、綾波レイがゲンドウからアダムを奪い、そしてリリスの肉体に戻る事で禁じられた融合と呼ばれる状態になります。要はリリスとアダムによって補完が発動するわけです。この補完計画の要であるリリスとアダムを仮になんらかの方法で殺すとします。すると当然旧劇場版のような補完計画は実行不能になるでしょう。

・新劇場版の物語的核とは
ここまでの情報から推測できるのは、エヴァンゲリオンの世界は旧劇場版の人類補完計画→シンジの最終的な拒否を延々繰り返し、ループしている世界なのではないかと推測できます。新劇場版の中で世界のループを示唆するセリフがいくつか出ていたと思います。このループする世界から神を殺すことで脱出するのが、おそらく新劇場版の物語的核だと思われます。簡単に言えばひぐらしのなく頃に、のようなお話ですね。繰り返される雛見沢の惨劇ループを何とか突破したい、というような。

何周してるのかは分かりませんが、新劇場版は旧エヴァの世界を何度もループしており、そして新劇場版の序からの世界が「ループ突破」のお話になるのだと思われます。

・世界線の分岐
こうなってくると重要になってくるのが、今までの旧エヴァの世界線からルート分岐して違う世界線に移行できるかどうかなわけですが、この辺の指標になっていると思われる要素が作中で存在します。つまり、今シンジ達はどの世界線にいるのかを教えてくれる要素です。ループ突破のための世界に入ったのかどうか。

・SDATウォークマン
シンジが作中でずっと使ってるこのウォークマンですが、おそらく曲数の表示がその指標になっていると思われます。最初の序では旧エヴァの世界と変わりのない物語が描かれました。つまりまだルート分岐していない世界です。この時にシンジが聞いていたのが25曲目と26曲目の繰り返しループです。つまりこの曲数はエヴァの話数だと考えればシックリきます。旧劇場版は話数が振られていて、Air/まごころを君にが25話26話です。つまり序はまだ旧エヴァ25話26話の世界線にいますよという事でしょう。この曲数表示が旧エヴァに存在しない27曲目=27話に移行したのが、破で学校の屋上でマリとシンジが激突したシーンです。あそこで27曲目に入り、世界線大変動が起こったのが分かります。そしてQでカオルにウォークマンを直してもらって28曲目に進みます。確実に話数進んでますね。

・新劇場版はループからの脱出のお話
エヴァの世界は旧エヴァの世界を何度もループし、繰り返される補完ループから脱出するためにアダムとリリスを殺し、違う結末に向かうための物語だと推測できます。この辺を踏まえたうえで、いくつか気になる要素があります。

EVANGELION:3.0+1.0
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
続、そして終。非、そして反。

まず新劇場版は序が1.0、破が2.0というように数字が割り当てられています。なら4作目であるシン・エヴァンゲリオンは4.0となりそうなものですが、実際は3.0+1.0でした。この理由はおそらく今語ったSDATウォークマンによる分岐表示と関係があると思われます。全く分岐がなかった序=1.0は25話と26話の繰り返し再生のルートでした。つまりは旧エヴァンゲリオンです。そしてQでは28曲目に進んでおり、これは新劇場版エヴァの完全新規ルートに進んでいます。

これまでの考察から、エヴァの世界は旧劇場版をループし、新劇場版の世界でループ突破をしようとしている物語であるわけですから、3.0+1.0というのは「旧エヴァと新劇場版2つのエヴァ両方の結末である」という事でしょう。

続いて2つ目のタイトルロゴの後ろについてる音楽記号ですが、これは「一度だけ決められた場所に戻って繰り返す(場所の指定が無ければ最初に戻って繰り返す)。2度目はそのまま次へ進む」という意味です。これを今までの考察に当てはめると、一度旧エヴァの補完発動によって戻って繰り返し、2回目はループ突破のためにそのまま進む、という事になるだろうと思います。つまりは、シン・エヴァンゲリオンでは旧劇場版のある意味で続きを描く事でもあるわけです。それを踏まえれば、3つ目の意味不明なコピーも意図が見えてきます。旧エヴァの「続」きであり、そして旧エヴァ新劇どっちの「終」わりでもある。そしてルート分岐し、違う結末を目指しているわけだから、非であり反なのでしょう。

・シン・エヴァンゲリオンで僕たちが見るべき部分
これまでの考察を踏まえれば、細部はともかくとして、大枠として僕らが最後の完結編を見る時にチェックするべき部分は「ちゃんと違うルートに入って、ループを突破して、繰り返されるエヴァの世界の違う結末にたどりつくのかどうか」ここでしょう。とりあえず、シン・エヴァンゲリオンを見る前はここの部分を押さえておけば迷子にはならないと考えます。見た後に謎があれば、それはまた考察が必要になるでしょうが、今はこれで十分だと思います。

エヴァンゲリオンに幸せな結末が訪れることを願います。