翼の折れた日本

かって奇跡の経済復興をとげた日本。今は翼の折れた鳥である。 小泉構造改革、政権交代、「コンクリートから人へ」など、思いつきのスローガンがマスコミに踊っている。GDP、世界の生産性順位、一人当たり所得、世界教育水準など、どれを取っても、客観的データーは日本の落ち込みを示している。その歴史的落ち込みには、客観的な原因があるはずである。

熱い心、冷めた心

世界の宗教の信者数は、
キリスト教の20億人 (33%) 、
イスラム教(イスラーム)13億人 (22%) 、
ヒンドゥー教9億人 (15%) 、
仏教3億6000万人 (6%) 、
儒教・道教2億3000万人 (4%) 、
無宗教8億5000万人 (14%)、

yahoo知恵袋より

宗教および信仰にはバックグラウンドがある。

レミゼラブルより
「ジャン=バルジャンは植木職人であった。25歳の時、姉と7人の子のめんどうを見なければならなくなった。1795年暮れ、冬は仕事がなく、子どもたちに食べさせるパンも買えなくなって、パン屋のガラス戸をたたき割りパン1切れを盗もうとして捕まった。この罪と禁猟区で狩りをしたことであわせて5年の刑を宣告された。その後4回脱獄をして捕まり、そのたびに刑が延びて1815年10月に19年ぶりに刑務所を出た。
 しかし、たどり着いた町ではジャン=バルジャンの出所が知れ渡っていて、宿屋も泊めてくれません。3軒で断られた末、ミリエル司教(75歳)の館を訪ねました。ミリエル司教は、ジャン=バルジャンの話を聞いて事情を知りましたが、3人で食事のするのに銀の食器6人分を並べてジャン=バルジャンと食事を共にし、司教館の礼拝所に泊めることにしました。司教館の礼拝所に出入りするには司教の寝室を通らなければなりませんでした。
 ジャン=バルジャンは、その夜午前3時過ぎ、先のとがった鉄の燭台を持って鍵のかかっていない司教の寝室に入った。ドアを開ける時金具の音が響き、ジャン=バルジャンはビックリして立ちつくしましたが、誰も起きてきませんでした。その後ジャン=バルジャンは司教の枕元の鍵のかかっていない戸棚から銀の食器6枚と銀のスプーン1本を盗み、窓から部屋を出て庭を突っ切り、塀を乗り越えて逃げました。
 ジャン=バルジャンは、すぐに憲兵に捕まり、銀の食器はミリエル司教にもらったと言い訳したためミリエル司教のところに連れてこられました。ミリエル司教は、ジャン=バルジャンの姿を見るとすぐに、銀の食器と一緒に銀の燭台もあげたのにどうして持っていかなかったのかと言いました。ミリエル司教の言葉を聞いて憲兵はジャン=バルジャンを放しました。驚くジャン=バルジャンにミリエル司教は、この食器を正直な人間になるために役立たせるようにと伝えました。」

キリスト教には、他者に対する熱い心がある。

一方で、日本では仏教と言えば、葬式の時の御経であり、儀式である。死者との最後のお別れの挨拶である。親類縁者が集まり、先祖からの固いきずなを確認する場でもある。しかし、日本人の都会生活は、どこまでもクールである。他者への熱い心も、最近はとみにクールダウンし、宗教がすたれている。日本人がクールになってきた例として、街の自治活動の衰退がある。年間2400円の会費を徴収するとき、中には2400円を払う余裕が無い人もいる。そんな時、ほとんどの自治会は払えない人を自治会から追い出してしまう。人が困ったときに助け合うのが、自治会の本来の目的なのに、一人の未払い者が出ると、それが拡散するのを恐れて、未払い者を自治会から追い出してしてしまう。このようなクールな対応が、宗教がすたれるのと重なって見える。

仏陀から学ぶ、仏教の熱き心

仏陀はインド各地を旅した。仏陀にとって、加持祈祷よりも、各地を回ることのほうが重要であった。現代日本では、僧侶は葬式で加持祈祷をすることにより、生計をたて、また立派な寺院も立てている。それは仏陀から見れば、堕落であった。彼にとっては、人々の周りを回って、紛争を解決することのほうが、加持祈祷よりも重要であった。だから彼は、晩年に、自らを壊れた大八車と評したのである。壊れた大八車に、人々の役に立たなくなった自分を重ねたのである。その姿が涅槃として、尊ばれている。この、加持祈祷よりも、大八車のように、村々を回り、人々の役に立とうとした、仏陀の熱い心こそが、宗教の持つ普遍性である。だから、日本に仏教が伝わると、人々の役に立つことはなんでもしようと、言う気持ちから、日本の僧侶は古来、学問を民衆に教え、医療、漢方薬を庶民に施してきた。

ある老人の国家試験へのチャレンジ

2年前の11月に、ある国家試験の勉強を始めた。しかし、3か月で、ギブアップであった。今度こそと、去年の暮、もう一度チャレンジして、今年の4月末まで、勉強を続けている。今度は、前回の失敗の反省に立って、家からテレビを無くした。NHK受信料も、途中でキャンセルした。テレビを見ると、見終わっても、もう勉強に戻れないことがあるからである。我ながら、今回は覚悟を決めているわけである。

歳を取ると集中力が長く続かない。夕方になると意識がもうろうとしてくる。15分の勉強のためには、1時間の休憩が必要である。一日にこれを5回ほど行う。

私は年金生活者で、親から相続した金融資産もあるので、生活には困らない。ではなぜ、
65歳にもなって国家試験を取得して、収入を得ようとしているのか。それは、娘、及び孫の教育のためである。孫と娘のために家を新築し、わずかな金融資産を残すだけでは、家系は脆く崩れ去る予感がする。家とか金融資産よりも、生活手段を身につけさせなければ、家系が断絶する恐れがある。私が、国家資格を取って、それによって僅かな収入を得て、娘に跡を継がせれば、生活手段を残すことができると考える次第である。

三代前の先祖には子供が10人も恵まれた家庭もあった。その御蔭で、6親等までの親戚が数十人もわが町の近辺に生活している。その中で一人は、生活用品、文房具の卸問屋とか、昔風のスーパーを経営していたが、流通革命に乗り遅れて、その焦りから、先物市場の博打に手を出して、破産した。 家屋敷を手放して、今では夫婦で1kアパートに住んでいる。また一人は、ガソリンスタンドに車の備品を下す商売をしていたが、彼も流通革命に乗れずに、先物市場に手を出して自分の家屋敷だけでなくて、親族の家屋敷まで抵当に取られて、今はアパート暮らしである。一人は大学を卒業後42年間、県警に勤務していたが、親の代から株取引で一財産を築いた時もあったが、信用取引をしていた為に、親から受け継いだ数億円の金融資産ばかりか、退職金も無くしてしまった。
一人はあまり儲からない土建業をやり、親から貰った田んぼを抵当に入れており、銀行に取られた。酒を飲むと酒乱になり暴力をふるう。妻と娘が二人いたが、家から逃げ出して、芸者上りの後妻が上がりこんでいる。彼も、後妻もがんの手術をしている。彼が死ねば、葬式を上げる人もいない。

鳥が翼を一杯に広げて、一時は空中を飛翔する気分を味わいながら、水平展開(Horizontal Integration)してたが、時流の乱気流に会い、急な墜落をしたわけである。この水平展開の欠点を補強するものが垂直展開(Vertical Integration)である。
http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/m_word/suicyoku_suihei.html
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