2017年11月08日

感情の劣化

この間、遠藤賢司が死んだ。
授業の前にノートを点検している時、
視野の中でスマホのホーム画面にちらっと出て心臓がぎゅっとつかまれた。

震災後の様々なイベントで、彼が健在であり、なお進化して音楽を続けていることは知っていた。しかし、十代の一時期のように彼に浸り彼に耽ることはしなかった。あくまで、震災に纏わるものとして受け取り、純粋な音楽表現としては受け取っていなかったんだと思う。

20世紀少年を読んだ時にも、主人公のケンヂが明らかに遠藤賢司から来ていることはわかった。しかし、やはり彼の音楽にまで至らなかった。

中学から高校にかけて、夢中になって聞いたエンケン。あの感覚を死後の今、ようやく取り戻した。

ある冬、雪が降って、これは雪見酒でしょうと友達の家にあつまった。そこの娘と竹薮ともう一人。もちろん、エンケンの雪見酒があったからだ。とにかくあの曲が好きだった。サビの部分の消えそうな気配が堪らなかった。私達は取るに足りない存在どころか、一瞬にしてひねり潰されてしまうのだと感じさせる曲だった。

70年安保の敗北は大きくて、万博に流されてしまい、フィフスディメンションのアクエリアスは万博に流れた。そんなのあってはならないはずだったのに。
(アクエリアスはミュージカルHAIRの中の一曲。ベトナム戦争を拒否する様々な局面を物語にしたもの
次は札幌オリンピックで、ジャネット・リンが滑ってころんだ。エキシビションで、カナダの男子スケーターがエキシビションプログラムを用意してなくて、リンクをバレージャンプで一周したのを覚えている。素晴らしいジャンプだったのだ。わたしにとってキャメルスピンは彼のが基準になっており、大抵の演技はそれを満たさない。キャメルスピンで形を作る時、曲げた方の足の膝が絶対下を向かないこと。ここにこだわりたい。なんてことを言ってるあいだに、あさま山荘事件になる。そして、友部正人の「乾杯」があった。乾杯には浅間の事件が入っている。
乾杯 取り残されたぼくに 
乾杯 忘れてしまうしかないその日の終わりに
乾杯 身もと引き受け人のないぼくの悲しみに 
乾杯 今度逢った時にはもっと狂暴でありますように


そういえば、エンケンのカレーライスには三島の時間が入っている。
あれは70年の秋。
エンケンは「誰かがお腹を切っちゃったって、ずいぶん痛いだろうにね」とまったくの他人事。それも爽快だったな。

ともかく72年の2月。
雪見酒はその冬だったように思うが、定かではない。

雪が降って、雪見障子のある座敷に炬燵があって、蜜柑やおせんべいという女子高生のお泊まり会だった。でも、曲者3人キャピキャピとは程遠いお泊まり会だった。

一人は男と縁が切れない子で、その時付き合っているボーイフレンドとのことが印象深い。彼は彼女の脚をストッキグの上から撫でるのが好きなんだという。その時彼女が自分の足を撫でていたかどうか、記憶が定かでない。あるいは竹薮がどれどれと彼女の脚を撫でたのか。ともかく、なんとなくストッキング越しの脚の感覚の記憶があるような気がするのだ。誰の足だったのか。

直に脚に触れるよりも、生々しいのが不思議だと驚いた。もう一人と竹薮は当時の東映の女優たちが大好きだった。梶芽衣子を筆頭に杉本美樹、池玲子といった面々だ。この二人が雨の中で寒くて抱き合って暖を取るシーンがあって、そのシーンが綺麗だったよねと二人で抱き合ってみたような記憶が。(そんな映画があったかどうかも記憶がない。しかし記憶のストーリーがそんな風に作られている)

つまり、エンケンに端を発するこのお泊まり会にはエロスがまとわりついているのだ。

それはエンケンだからだ。

『ほんとだよ』この切なさは女子高生には刺激的だった。この曲は絶対に純愛とかプラトニックとかではなくて、猛烈にエロスなのだ。表面は静かでも身体の奥深くにふつふつと滾るエロス。脳内に描かれる情景で竹薮の身体の内側にもエンケンのエロスの種が撒かれたような気がした。

その確かなエロスがあるから三島の事件も「ずいぶん痛いだろうにね」と言い捨てられる。

その流れの上に「夜汽車のブルース」がある。
竹薮の高校の卒業文集は『夜は明けるのか』というタイトルだった。
岡林信康の『友よ』は「夜明けは近い」と誘う。
さらに浅川マキの『夜が明けたら』は「一番の汽車に乗るから」と待っている。
対してエンケンの『夜汽車のブルース』は夜の闇。トンネルの中を疾走している。
 「この闇を抜ければと夜汽車は夜汽車は走るのです」
夜明けは近いなどとは思えない、だからと言って夜明けを待って座ってもいられない。だから夜汽車に乗って闇の中を走るしかないのだという趣旨だ。大御所岡林の「友よ」は当時民青の集会での定番の曲で、こんな歌歌って感動なんてありえないでしょ、夜明けは近いなんて騙すなよって思ってた。だからと言って、夜明けを待つふりした現状維持が大人かよとも思う。

そうなると高校生はとりあえず、町を出て夜汽車に乗ってしまうしかない。
どこにも止まらない、どこにもつかない、夜明けにたどり着かない夜汽車に。
怒り、苛立ち、やり場のない感情、どうせ、いっそ、それでも尽きないエネジー
これが政治の季節が終わった頃の高校生の感覚で、エンケンはそれを体現していた。

今思えば、岡林だって夜が明けるとは思っていなかっただろうし、浅川マキも出て行きたい街に住み続けることの苦しさがわかっていただろう。今の竹薮は一体どこにいてどこに向かっているのか。

今となっては晩年となってしまったエンケンの演奏と歌を聴いて、
これだけの怒りを持ってどうやって日常を過ごしていたのだろうかと思わざるを得ない。
壊れてしまう。単純にそう思った。

感情には一時的な情動と持続化した情念と自らの中に位置付けられた感情がある。
そんな言い方もある。いっときの爆発的な情動、まるで執念と言って良い人格そのもののような情念。さらに人格の中に位置付けられた感情。そういう区別だ。

あの松本サリン事件の河野さんが穏やかにしかし決して緩むことなくオウム信者に対峙しているのを見るにつけ、この言葉を思い出す。河野さんは円座にで犯人とされながら自らもサリンの被害者である。
その内部にはただならぬ感情があるに違いない。しかし、所謂露わな感情的表現にならないのはそのただならぬ感情よりも大きな人格を彼が持ち、その人格の内部に彼の怒りを位置づけているからだと理解できる。

だが、遠藤賢司の怒りはちょっと違うような気がする。

彼は大気の怒りを吸い取っているような気がする。

それがこれ



「ちゃんとやれ」と彼は叫ぶのだが、そして、これは自分に言ってるのだというのだが、独り言ではない、大きな声で叫ぶのだ。まるで自ら変身する、憑依する、そのプロセスで気合いを入れるように。
そこに、かつての囁く遠藤賢司はいない。
やみ夜をひたすら走り続けて、そして怪異なるものに返信したかのような叫びがある。

その猛烈な感情を持ってしてもガンを焼き切る事はできなかったのか。

竹薮は自らの感情の劣化を思う。
毎日毎日怒っているのに、それは竹薮個人の怒りであって大気を染める怒りになっていない。
圧倒的にエネルギーが足りない。
喜怒哀楽に名付けられる前の猛烈なパトスに憧れる。
次にその感情の嵐に見舞われるのは死の時だろうか。

それにしてもだ
もっともっともっと怒りたい。
透明に光る怒り、
無色透明の怒り、
あまりに眩しくて見えない怒り
そんな怒りの中でまったりと微笑んでみたい。
遠藤賢司はそのプロセスにいたと思う。

どうよ。
死ぬしかないね。
感覚的には。

*************

生徒情報で
少女終末旅行というのをhuluで視聴
なんだこりゃ。
所謂「かわいい」なんだけど、猛烈ディストピアです。
あと一回で終わりみたいなんだけど、どうかな。

ほぼ日のドラマ評で取り上げられてた「先に生まれただけの僕」というのをこれまたネットで四話分視聴。福田靖という人の脚本で、この人は職業を描く人、海猿とかHEROとかchange、救命救急二十四時とか。竹薮は CHANGE(キムタクが内閣総理大臣になる話)の伝説的長ゼリフに大感動したので、期待してみたのだけども、う〜〜む。結果、最後まで見ると思いますが、どうかな。

今期は「奥様は、取り扱い注意」が金城一紀、
「監獄のお姫様」が宮藤官九郎、
そして鉄板の「陸王」
火曜九時の関西テレビ枠は「明日の約束」、
岡田惠和の「ユニバーサル広告社」などなど結構とっ散らかってます。
まだ絞り込めてませんね。



takeyabu31 at 00:14|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) | みさえ(遊び)

2017年11月03日

見つめること。

image


今週は井上達夫さんの文章を喋り倒している。

共生とは『容易に融和し難い他者、脅威でさえある他者』とするもんだ、ということ。このカッコ内の内容は早い話が敵。
つまり、

敵との共生

それが共生。

問題は相手を好きになることじゃなくて、嫌いな奴と何をどう共有するかなんだ。
そのために会話するんだ。

まったくその通りなのに、普通「共生」というと「仲良くすること」とイメージされる。
そんなことできない。だってどうしようもなく嫌いなんだから。

まず、自分の中の「嫌い」をみとめて、それから「嫌いな奴」と何かをともにして、それが長ーく続いた後に、ようやく「世の中に心底嫌いな奴っていないかも」みたいに思うのであって、最初から仲良くしなさい!は無理。全くそうだと思う。

相手が自分の理解できない言わば敵であり、そういう異質なものと、共に生きるのだと腹を括った時、世の中が変わって見えるだろうとおもう。

竹薮にとっての一番の敵は、タケノコ達。2号はギラン・バレー症候群をともに闘ったおかげで、敵ではなくなったが、1号はまだまだ敵だ。まだ十年くらいは敵だろう。踏ん張らねば。

その次の敵が、生徒達だ。
悩みを抱えて、呻吟している子達は全然無問題。敵ではない。
鬱だの難病だの貧困だの毒親だの色々あるが、
彼らはもう竹薮にとってはこちら側なので。

しかし、まあまあにやってる子達、つまりあちら側にいる子達は隠れた『てき』
いい子たちなんだけど、竹薮が敵だと思ってない。まあ、普通思わない。
教わってる先生が自分とは違う立ち位置にいるって想像しづらい。当たり前だ。

いい子たちだからさ。
BlogPaint

これは、竹薮の授業で必須の言葉のノート。表紙にたくさん貼ってあるシールはレビューテストのご褒美シール。すごく上手にレイアウトされてる。で、裏表紙が次の写真。

2017-10-28-16-36-57

えだのんと、民主主義のシールは裏なんだね。
表と裏に共通なのが、うな丼で、うな丼好きなんだね。
裏表紙のシールは多分四角ってのがレイアウトしづらいのかなと思う。
表紙に貼らない子は表紙裏に貼ってるから。

で、こんな工夫もある。
2017-10-27-17-44-12

石破くんがトリミングされてる。

BlogPaint

無造作にドンって感じのノート。
小池女史がど真ん中に来てる。

みんな持ってるスキルを使って、竹薮を取り込んでいるわけ。

BlogPaint

↑ 男の子たちが真剣のシールを選んでるとこ。

竹薮のスキルは見ること、感じること。

生徒をじっと見る。
じっと見て感じる。心をすます感じ。

こないだ、一生懸命すましても何も感じない子がいた。
だから、そのことを伝えた。その子は面食らっていた。
でも次の出勤日に、質問に来たよ。
質問という形で何かを伝えようとしてるんだと感じた。

それから、いじられキャラの子が竹薮の誕生日にプレゼントのチョコをくれたんだけど、竹薮は普通にありがとうってもらった。そしたら別の子が、あとで、そのチョコの曰くを説明に来た。
「せんせー、あれは昨日から買って準備してたんです。
 でも、今日持ってくるの忘れたんで
 また、買って、書いてって話がある。
 つまり、愛があるんです」
なるほど。
竹薮は鈍感になってたわけだ。
それを教えに来てくれた子がいた。
ありがとう。

こっち側にいる子のことは気にかけて大丈夫かといつも思ってる。
でも、心配しなくていい子のことは、その他大勢になりがち。
それは違うよと、生徒に教わった。
そのチョコがこれ。
image


空き箱しばらくとっておこう。

というわけで、連休中も変わらず仕事です。
今日も明日もね。

*************

ここんとこ、ブログのアクセス数が微妙に増えている。
生徒たちが嗅ぎつけたのだと思われ。
というわけで、こんな記事を書いて見た。

どうかな。

今日は文化の日。
仕事は夕方からなんで、テレビ三昧。
2017-11-03-14-58-15

いつもはこんな感じで、パソコンにアイパッドを立てかけてポチポチ打ちながら、TVerとかAmazonプライムとかでドラマを見てる。今日はabemaテレビで24時間ホンネテレビも見てる。

書斎にこもる前に、リビングのでかいテレビで Covers Fesの録画を見た。ハナレグミというボーカリストの「夢の途中」が、声がすごくマットでよかった。それから、GLIM SPANKYって二人組が面白かった。ボーカリストがすごく前傾で「ガラスの林檎」にめちゃくちゃドスがきいてた。でも、ギターの男の子はのびのびしてて、印象としては鮎川誠みたいだった。

で、おまけです。
とある男子に教えてもらった。



なかなかですよ。




takeyabu31 at 16:11|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) | ははばーゆ(仕事)

2017年10月24日

変化をイメージすること/2017総選挙

選挙が終わった。
これまでにもちょっとだけ国選にかかわったことがある。
でも、それは生活者ネットワークのメンバーとしての話だった。
しかし、今回は
竹薮個人として関わった。
それは、立候補者本人と知り合いだからで、
知り合いだから応援したというのは、日本的な意味でではなく、
候補者本人を直接に話をすることができる関係だからということ。

告示前に支持表明を明らかにした。
 候補者が告示前にトラブって批判轟々、フェイスブックで擁護をで表明した。
公式掲示板にポスターを貼った。
 一番乗りを目指したけど、時代が違うのか?
 早々に貼ろうとしてるのは他には自民だけだった。
ポスティング(告示前、告示後)
 告示前には本人チラシ、告示後には政党チラシ
ツィッターでネット選挙
 候補者にくっついて一日ツダった。
 (まとめてあります。探してみてね)
 今は動画の時代だけど、動画の欠点は見るのに時間がかかること。
 早送り再生とかできればいいのにね。
 というわけで読む方が早いのでツイッター、まとめです。
 個人演説会もツダりました。

この辺で疲労困憊しました。
もう体調がボロボロ、頭も回らない。やばい。
選挙って本当に疲れる。
昔はこんなことを半年もやってたなんて信じられない。

で、日曜日。5,689票差で選挙区では惜敗。比例で復活当選した。
日付は変わってて、しばらく半円グラフを呆然と眺めてて居眠りしたり起きたりしてたけど、寝た。

どうしてこんなに自民党が勝つのか。
そこだ。
何が嫌って「パンツ高木」が早々に当選を決めるのがなんとも不可解。下着泥棒で現行犯逮捕された人がなぜ当選する。事件のことは毎回言われている。1995年には落選したけれど、そのあとは圧倒的な差で当選している。福井なんだけども、福井県は自民党が「歴史的大敗」を喫しても、全員自民党が当選している。あの稲田朋美も福井県。

ツイッターで福井の人が、
「福井にだって嫌だっておもってる人間はいる。福井ガーーー!っていうな」
っていう声があった。その声が痛々しかった。
わかるわ。
今回の選挙はまだいいけど、自民が圧倒的に得票したときなんか、
電車に乗ったとき、ぞわっとするもん。
なんか周りが敵ばっかみたいな感じがするんで、その気持ちもよくわかる。

なんで、自民党に投票し続けるのかと考えていて、ふと思い当たった。

ーー変化を経験したことがないから。

1945年生まれなら今年72才。
それより若い世代は変化を経験したことがない。
うんと若い世代になると、
1990年代が失われた10年だから、
30代以下はずーっと重苦しい時代を生きてきてるのだ。
これは、すごいことだなと思う。

73歳以上の世代は、例えば明治からこっち、間断なく戦争があって、社会制度だって通貨とか学制の変更とか、がんがん変わった時代を生きた。

そんな中で生きてきたら、変わることが前提でものを考えるだろう。
変えたいと思うか否かは別にして、変わることをリアルに考えられるはずだ。

これはえらい違いだろうと思う。
竹薮の父母は明治生まれと大正うまれなので、
文化的には保守的だが、社会的にはアナーキーといってもよかった。
学校が一番ではなかったし、世間には言わせておけといった風であった。

もちろん、戦争体験や大正デモクラシーだけでなく個人の性質もあるだろうが、やはり時代の変化は大きいと思う。戦後、「経済は成長するもの」ってことになってて、1.5大政党制ってことになってた。だからそれがずっと続いてきた。

今回も、1.5大政党制の結果になった。

そういうことなんじゃないかな。

自民党が「歴史的大敗」をしたとしても、それは「お灸をすえる」のであって、現状維持の枠を出るものではないんじゃないか。「あ」の人がどんなにひどいとしても、それはどうでもいい。枠組み維持なんだから。
そんでもって民主党が第二の社会党だったことは間違いない。反対ばっかで「対案出せ」ってのもそうだ。とすれば、今回、前原の乱で民進党が解体したのは、長い長い五十五年体制の終わりなのかもしれない。

だとすれば、この枠組みを離脱することこそが、大事なんじゃないかと思えてくる。
自民党は自浄してほしい。かつての自民党のようにね。
自民党内の安倍一強をなんとかしないと未来はないよね。

で、立憲民主党は第二の社会党になってないか。
立憲民主党が参加型の政治なら、市民が党に参加する仕組みを作らないとね。
あるいは、市民が議員を支え育てないとね。
まず、先生というのをやめよう。
仲間になろう。
さて、どうすればいい?

今回の選挙の中で、
新潟は素晴らしい選挙をした。これが結果
全部で6区のうち自民が勝ったのは二つ、まあまあ優勢なのが前県知事の泉田氏だけで、6区など、2212票差で負けだが、5区の泉田氏より多い票を集めている。立憲民主党は1区の西村氏だけで、あとは皆無所属だ。50票差で勝ったのは3区の黒岩氏、すごい。4区の菊田さんと5区の大平さんしかみてなかったけど、とんでもなかった。

こんなのもある。
 埼玉10区から出馬している希望前職の坂本祐之輔氏が20日、地元市民グループ「10区市民の会」と「憲法改悪の阻止」「安保法制の白紙化」などを盛り込んだ政策協定を締結した。

 希望の党の公約とかけ離れた政策と映るが、坂本氏は「党の公約では改憲論議をしていくとあるが、改憲するとしているわけではない」などと釈明した。

 坂本陣営によると、同会とは民進所属時から交流があり、衆院解散前に同グループから政策協定の話を持ちかけられていた。希望に移り、一時話が止まったが17〜18日に話が進んだ。http://news.livedoor.com/article/detail/13778735/
入れるとこがなきゃ自分で作れよということだ。候補者も党と交渉するんじゃなくて市民と交渉する。市民もフレキシブルに対応する。その党じゃダメとか言わない。市民は筋の通った共産党じゃ勝てないと判断したのだ。これは成熟だ。我が選挙区では市民がこの判断をできず、結局立憲候補者に避難が相次いだ。「市民が筋を通させる」これはすごい。

こういう市民が出てきたことが、ささやかだが確かな希望だと思う。

枝野代表はリベラルではなく保守であると明言している。
つまり社民党ではないのだ。
そのことを市民はどう受け止め、どのように立憲議員と関わってていくべきか。

その点で改憲問題は大きな課題だ。
国民全員にとっての大きな踏み絵だ。
この問題についてはまた今度。

さて、共産党も変わらねばならない。
今回の選挙で候補者を60人以上取り下げた。これがすごいと賞賛されている。確かにすごいんだけど、恐ろしいことでもある。なぜかというと上意下達で徹底できているからだ。民主集中制という名の徹底したトップダウン。これは非常に怖いことで、参加型の反対なのだ。

問題主婦に何度も書いているが、夜遅く駅でビラを配っているおばあちゃんたち。このおばあちゃんたちが、赤旗を購読して赤旗を配っているんだろうなと思うと切ないこと極まりない。今回の選挙中にも、共産党支持者の方々の表情はとても暗かった。本当になんとかするべきだ。共産党は筋が通っているという市民諸氏はぜひ、その面で共産党と関わりを持って共産党を変えてほしい。

赤旗のデジタル版を出し、ひょっとしたら党名変更があるかもしれないという。
ブレないというのはドグマティックだということでもある。
その権威主義を参加型に変えることができるか、そこがキモだと思う。

変化に向けて一歩を踏み出す

選挙が終わったってのは
何かが始まったってことです。

さて、どうしましょう。
こっそり始めようと思います。

あ、選挙制度の根本的変革もしないとね。


*************

<今日の夕飯>

秋刀魚の塩焼き
かぼちゃとジャガイモとインゲン、豚肉の煮物
ほうれん草ともやしの胡麻和え
大根と人参の味噌汁

うちの典型的なご飯だ。

明日の夕飯のおでんも仕込みました。

*************

今日は久々にCURVESに行きました。
十月で三回目
少なすぎ。
でも、頑張って行きました。
でもヘロヘロでマシンはともかく、ボードで動く気がしない。
早く元気になろう。


天地(あめつち)の 間(あわい)の暮らし 安かれと
望まぬものなし それなー だよねー






takeyabu31 at 22:08|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) 

2017年09月26日

壊れた時計でも一日二回は。

2017-09-26-13-07-56


今週は休み週で家守(ヤモリ)になっている。
今日は火曜で家守三日目。

さて、土曜日だ。
土曜日は12時間の間に6時間以上喋り倒し、それ以外の間もひっきりなしに質問がくるし、ノートチェックして、要約の点検して、今の時期はAO入試の相手もしなくちゃならない。全方位から石投げられて必死に返してる感じ。それに、おばちゃんは生活指導の担当でもある。叱る叱る叱る。

で、帰って、飲む食う。
その時になんかこれって、出したもんを入れてるんじゃないかって気がした。
なんかね、そんな気がした。
で、録画を見たんだけども、最初に見たのが、
いきものがかり水野良樹、阿久悠をめぐる対話
目玉は水野が阿久悠の遺作の詩に曲をつけるというものなんだけど、それはまあおいといて(笑

何人かと対話するのが面白かった。

いしわたり淳治という若い人との間での論点は、歌の共有される範囲。一人で聴くものか、街に流れているものか。
カノンのない時代、共有前提のない時代、阿久悠が振り返られるのは当たり前なのかもしれない。

けれども、共有前提のない時代に阿久は聞かれなくなる。
糸井重里が「時代なんて言い出してから阿久さんはつまらなくなった」と言い切る。
それを受けて
秋元康が「壊れた時計でも一日二回は正しい時刻を示すんだ」と言う。
「俺たちは暑いサウナの中にいられなくてすぐに出ちゃうけど、
 阿久さんはずっと動かずに腕組みしてそこに居続けるんだよ、
 闘ってるんだね。」

思わず苦笑いした。
しかし、壊れた時計の例えは言い得て妙だ。

秋元、言いやがるな。

私もまた壊れた時計である。
客観的には一日二回正しい時刻を示しているのだろうが
デジタル世代にはその正しさなど届かない。
デジタルだろうが、アナログだろうが時は時。
一瞬の交錯があれば僥倖で、また永遠の乖離とも思えるすれ違いがある。

それでも「そこに居続ける」しかない。
「そこ」とはどこか。

日曜は疲労困憊で寝る日なんだけど、1号の誕生日会なので買い物して夕飯を作る。
リクエストにより、中華おこわ、唐揚げ、キャラメルケーキ。
中華おこわを作るために角煮を作るので、豚と大根の角煮も。それからサラダ。
おこわとケーキは「私って天才?」の出来で大満足。
やっぱ、買うより家で作るの信念は揺らがない。
これ、買ったら、万札が何枚も飛ぶし、私って天才?とは言えない。

月曜日
「あ」の人がなんか言った。
その前に小池姐さんがうまいことやった。
さらに朝のワイドショーでは山尾志桜里と豊田真由子のことが報じられていた。
豊田は朝の駅立ちをしているようだ。
「あっちいけ」などと言われているようだ。
画面の中では一人でたっていた。
よくやるな。針のむしろに座りに行くんだから。
山尾もそうだ。
山尾はまだ実績があるが、豊田は裸だ。
よくやる。

ちょっとこの人物を見ていようと思う。
なんだか引っかかる人なんだ。
私と同じ怒りんぼだから。

山尾はだいぶ顔がむくんでいい感じに太ってきた。
もっと太った方がいい。
そうでないとやっていけない。
男には「女」ではなく「お母さん」でないとね。

その辺、小池はわかってる。
自然にまなんだのだろう。
ある種の男を除いて、大半の男は「女」と何かすることができない。
はっきり言えば「性愛とそこから発生する関係以外のこと」を女とすることができないのだ。
そういう発想がない。

竹薮もいくつも年下の男に言われたことがある。
「女とこんな会話ができるなんて思わなかった」
「男とはできるの」と聞き返したら苦笑いしていたが。

だから、小池は「あ」の人に背広のチリを払ったりする。
小池は竹薮の二つ上だ。
そういう時代だった。
お茶汲みをしませんなんて口が裂けても言ってはならない。
就活にパンツスーツはダメだった。セミタイトのスカートだった。
「女」を否定したら、男の敵になるからだ。
男と戦わないでことを成すことが女が生き延びる知恵だった。

蓮舫や山尾はもっと若い
しかも美貌を持っている。
これはいかんでしょ。
男が持ち上げるから。
それは「性愛の〜〜」として持ち上げているのであって、
それ以外のことのパートナーとして認めているわけではない。

だとすれば、蓮舫を守る男はいない。
また、他の男のものであることが明確になった女をまもるはずがない。

今の世の中「女」が「男」と生きるということは、
私の頃よりもっとタイトでハードなんだろうなと思う。

上に行けるようになっただけね。

さて、民進党どうしますか?

カラッポで勝つためだけの「希望の党」なのか、原理原則の「共産党」なのか。

「女」を担ぐのは嫌だけど、勝つために小池♀にいくのか、
「女」は嫌だし、ワンマンも空っぽも嫌だから、小池♂にいくのか。

独自路線で復活の望みを賭けるなら、後者かなあと思うが。
我が東京19区の民進党議員は離党届を出したと漏れてくるが、そうなのか。
そしたら、選挙区も比例区も共産だな。竹薮は。

月曜はカーブス、歯医者、買い物

水野が面白かったので、
いきものがかりを歌ってみようとヒトカラを考えたが
混んでて入れず。

開けて火曜の今日はずっとPCの前でちまちま仕事。
お供は玉置浩二

ほんとうまい。
時として手が止まる。
あまりの快感で。
感動じゃないの、快感なの。


************

写真は、我が家の金のなる木
梅雨明けからお彼岸まで水を断つと花が咲くというので
本当に水をやらず、夕立もかからないところに置いた。
そしたらこうなった。
くしゃくしゃのペッチャンコ。
この写真を撮ったあと、水をやった。
すぐにぷっくりに戻るのだそうだ。

花咲くかな。

夏期講習から二つのことがぱったりできなくなっている。
今週から復活します。
するぞ。

************

今日の夕飯

切り干しとヒジキとおからに煮たの。
きゅうりとキャベツの酢の物
豆腐ステーキ
豚汁












takeyabu31 at 16:57|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 長電話(日記/告知) | 婦人口論(批評)

2017年08月24日

解体しない中間集団、ソマリ人の氏族

新政府パスポート


夏期講習の講師だまりで、仙人と呼ばれる先輩講師が
「竹薮さん、これ知ってる?ふぉっふぉっ」と ↓ の一冊を紹介してくれた。
こいつの本は面白い。前から知ってけど、文庫が出たので買ったんだと。

仙人のいうことなら間違いないということで早速図書館で予約して入手。
キャンプに持ってった。

あまりに面白かったのでタケヤマにも勧めたら、
なんとタケヤマが一週間かからないで読んじゃいました。
これは画期的に早い。

それがこれ。


これ本当に面白かった。


この本、単行本で500ページを超える本。四泊の旅なら、これと小説の2冊で上等のはず。だが雨のため、ただただテントサイトで読書にあいつとめるしかなく、面白さもあってどんどん読み進む。しかし、そんなに進んだら読むものがなくなる。キャンプ場はWi-Fiがないので、青空文庫という手もつかえない。そこで、天気予報を確認しながら、面白いのに読み進まず、あえて丁寧に丁寧に行きつ戻りつしながら、二泊三日で熟読した。この種の本をこんなに丁寧に読んだのはここんとこなかった。

タケヤマは早速、文庫を買うと決断、高野氏がクラウドファンディングするなら即乗るといっている。それほど面白かったのだ。

ちなみに、タイトルの「ソマリ人」というのは「ソマリア人」の間違いではない。
ソマリアの「ア」は土地の意味。ソマリア=ソマリの土地。だからソマリア人ではなくソマリ人で良いわけ。へえ〜〜〜。これもこの本の中に出てくる。とにかく面白いので是非是非みなさんに読んでいただきたい。ある集団や共同体の意思決定の仕方について、現在の政治システムがまあいんじゃないの?と思っている私たちにとって、このソマリランドの意思決定の仕方は本当にリアルで合理的で、舌を巻く。なんというか、自分の頭で考えて自分の手を使って解決するということの実際を見せつけられる。

脳をひっぱたかれる感じ。

何度もいいますが、みなさんにはぜひ読んでいただきたいので、内容には触れない。
でも一つだけ「氏族」ということについて述べたい。

今、日本でよく言われるのは、中間集団の解体だ。
よく言われるが、例えば「ひよっこ」で行方不明になった父親実さんは、行方不明になった挙句、発見され家に迎えられた。実さんの出稼ぎ先の宿舎はこれが高度経済成長時代なのかというような悲惨なものだった。そんな暮らしをしながら仕送りしていたのをひったくられて、記憶喪失になる。その彼には帰る家と彼を受容する人間関係があった。しかし、現在のネットカフェで生きているワーキングプアの労働者に帰る場所はない。生活水準はきっと今の方が高い。頻繁にお風呂に入れるとか、小綺麗な服装をするとか見かけではわからない。でも、家も人間関係もない。まったくもって孤独。承認ゼロ。それが中間集団の解体だ。

だが、ソマリ人は氏族という共同体を持っている。
その氏族関係がすべての人間にある。
それはすべての人間にセーフティーネットがあり、帰属先があり、相談する相手があり、コネがあるということでもある。それが自分の故郷だけでなく、そこら中にあるのだ。もちろん疎密はあるが、知らない土地にいっても、探せば同じ氏族がいるはずなのだ。

これはすごい。

さらにすごいのは、その氏族のネットワークに加入や移動の自由があるということだ。
わたしが、ソマリ人の氏族に加入することもできるのだ。
別に結婚なんかしなくても。
これは自由だ。
どうよ。

というわけで、本当にぜひご一読いただきたい。

ソマリア、ブラックホークダウンとかで見られる内戦の一方で、ソマリランドという独立国を話し合いで作っちゃうという荒技が世の中にあって、それが今も維持されているって、本当に痛快だ。

*************

<今日の夕食>

ひき肉とナスの炒め物
 (ソースと生姜と味噌)
キャベツ、人参、きゅうりの酢の物
玉ねぎとジャガイモとワカメの味噌汁

昨夜から夜エアコアンをかけて寝て、朝起きてエアコンを切らなかったので、ずっとエアコンの中にいた。録画して見てないものを見る。

過保護のカホコ:
これ本当にすごくいいですよ。さすが遊川で、本当にいい。

華族-最後の戦い
これも興味深く見ました。
本当にこの日本という国の良くも悪くも複雑さを実感しました。

さらに、ずっと気になっていた、これ
2007年のもの。古くないですよ。
夏の終わりの週末にどうぞ。

*************

こないだの新月はすごくって
あちこちでどどどっと胎動が起こってます。

焦らず大事に育てて生きましょ。



takeyabu31 at 21:28|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえの本棚(書評) 

2017年08月14日

現実の裂け目

2017-08-10-09-栄村


涼しい夏である。
六月からずっと暑かったから、八月のこの涼しさは嬉しいような怖いようなである。

先週は懸案の長野県栄村にキャンプに行ってきた。
懸案のというのは、この前の記事にある2003年以来のことで、
よく2004年に中越地震に見舞われ、さらに2011年には3.12地震で大変なことになったのが栄村である。見舞いに行かねばとか表敬訪問だとか話題にのぼりつつ、忙しさや諸々に阻まれ叶わなかった。

栄村のキャンプ場な前の記事にもあるように全く今風でない。
特に今年は台風がきているとかで、向かう途中にキャンプ場から「本当に来ますか」的な連絡があった。果たして3泊したが、最初の二日は雨、雨、雨で大変だった。
2017-08-08-10-山の水

川はまっ茶色でごーごー音を立てている。テントの中は殊の外うるさい。話し声も大きな声を出さないtと聞こえない。そんな凄い中でキャンプしようという物好きはさほど多くない。我ら夫婦ともうひと組という状態だった。子供連れの家族だ。

で、そういう物好きな家族はコミュニケーション能力が高くて、よくはなしをした。
その中で次のような会話が。

今日はどこへ行かれたんですか(この雨の中を)
震災復興祈念館です。
栄村には毎年来るというひとだったのでちょっと丁寧に話をした。
3.11の後、一日遅れで栄村は震災に見舞われた。
そのために政府からの支援は遅れがちであり、激甚災害の指定も遅れたという。
そのあたりの経緯にはここに詳しい。
毎年来る人でも知らないのだ。
そんなもんだ。

この夏、もう一つ現実の裂け目を経験した。
それは3.11の忘却である。
ある集まりで、二十人くらいいたかな。
被災地に行ったことのある人は二人だった。
びっくりした。
その集まりで震災は情報でしかないのか。
遠くから同情を寄せる対象なのか

絶句した。
あまりのショックに過呼吸を起こしそうだった。
1割と考えればそんなもんかと思うかもしれないが、二人は少ない。
絶対量として少ない。

それからしばらく、呼吸が苦しくて心臓がばくばくした。
なんとかするべきことをして、家に帰って久しぶりにソラナックスを飲んだ。
まだあってよかった。

疎外感というのよりももっと強烈な
まさに大地がパックリと裂けて
一人取り残される感覚だ。

テレビでよく報道される、広島、長崎、そして15日を知らないという若者
日本がアメリカと戦争していたと知らない人たち。
あるいは、選挙で自民党が圧勝するとき、
3.11の後の都知事選で石原慎太郎が瞬殺で当選したとき、
わたしの周りでは全然そうではないのに
なぜこうなってしまうのか、という疎外感を感じる

しかし、3.11はイデオロギーではない
共有経験のはずだ。
そして、その集まりは私にとって親しい集まりだと思っていた。

そうではないのか?
あれはすでに過去なのか。
過去ではない、現在完了進行形の事実なのだと、
その集まりで繰り返し述べた。

まただ。
私たちは敗戦を共通前提となしえなかった。
それが3.11を生んだ。
(自然災害の部分は仕方ないとしても、人災の部分を生んだのは「戦後」だ)
その3.11を総括し共通前提となし得ないのであれば、また
私たちは大きな痛手を負うことになるのは必定。

現状が3.11を忘れることにひた走っていることは
日々目にしていて、わかってはいるのだが、
私の面の皮も厚くなっている。

こうやって時々は肉を切られるようにざっくりと傷を負うのはいいことかもしれない。

次の日もソラナックスのお世話になって
一日眠りこけた。

そんなことがあった後の、復興記念館の話。3.12の話
お風呂場で1対1でゆったり話せたのがよかったのかもしれない。
さほど感情は波立たなかった。
その人が、こんないいところ今時滅多にないと心から思っているのが明らかだったから、
そして毎年、この山道を登ってやって来るのだから。
ただ知らないだけなんだと思えたからかもしれない。

なによりも、
復興祈念舘でみた展示の数々が「自立」と「自律」を謳っていたからかもしれない。
自分たちのことは自分たちでなんとかする。
その第一歩として自分たちの食べるものは自分たちで生産する。
そんな姿勢が潔かったからかもしれない。

ともあれ、三日間の滞在を終え、電源も照明も舗装もなく、食料を調達するのに片道1時間ワインディングロードをドライブしなければならないキャンプ場を後にした。

下界に降りて、一路新潟胎内市へ。
蟻の兵隊の奥村さんの墓参。
奥村さんが亡くなったのも3.11、震災後のゴールデンウィーク明けだった。
震災後、初めて知り合いが一同に会した感があった。
あれから七度目のお盆だ。
ようやく行けた。

寺の中の墓地は10日だったが、まだ誰もお盆の墓参には来てない様子で、私たちが一番乗りだった。下界ではスマホの電源の心配もなく、ヘイSiri!で花屋を探し、花束をこしらえた。花屋のおばさんは東京から墓参に来たというと盛大におまけしてくれた。お墓を洗い、水をたっぷりかけて、花筒に花を活ける。ビールと原酒を供え、これまた盛大に線香を炊いた。そして般若心経と延命十句観音経をとなえる。やれやれ、仕事が済んだ。

奥村さん、またいつか。

そして、夏のキャンプの恒例、福島で一泊。
これは震災前からの習慣だ。
雨に降られ抜いた栄村、秋山郷から会津若松市内のエアコン、Wi-Fi完備のホテルへ
壁があるってすごいねえ、やっぱ家って大事だねえ。
原始の人が洞窟に住んだのってわかるわ。などとしみじみと恩恵を享受。

でも、毎年通っていると空気感の違いを感じる。
震災の年の夏のあの空気感が忘れられない。

息ができない感じ。
空が閉ざされていて、ドームの中に分子量のめちゃでかい粒が詰まってて
それを吸い込んで吐くのが一苦労のあの感じ。

他の被災地にはない感じだった。

あれもまた、裂け目から湧いた空気だったのかもしれない。

そして今、裂け目は閉じているが、いつまた裂けるか。
それは放射性物質のことだけではない。

*************

キャンブで猛烈に虫に刺されて、手の肘あたりから手首にかけて
足首のあたり。
ちゃんとアームカバーしてたんだけど、そんなことはものともせず
ガンガン刺されました。
今日あたりようやく落ち着いて来て、皮膚はまだ水玉模様だけど
平坦になりました。

今日から平常運転で昼寝せずに起きてます。
この八月はやりたいことしっかりあるので、
ちゃんと勤勉にやらないとね。



*************

<今日の夕飯>
ひき肉のラタトィユ
 セロリ、ズッキーニ、茄子、エリンギ、トマトとひき肉

キャベツ、人参、きゅうりの酢の物
いっぱい野菜を切った。

お盆なので白玉を作った。
結婚して初めてのお盆で、舅と白玉についてやりとりしたことを思い出す。
懐かしい記憶だ。

明日は八月十五日
今。我が家の辺りは雨。室内の温度25度




takeyabu31 at 22:47|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえ(遊び) 

2003年夏キャンプ(旧館から再録)2003/8/11〜16


 今年も夏のキャンプがやってきました。
 指折り数えて8年目の竹薮一家恒例の夏行事です。
 今年は長野県の栄村にある『のよさの里』というところで4泊5日のテント暮しをしてきました。キャンプ場として必要最低限度の設備だけをきちっともっているなかなかの場所でした。

一日目
 関越自動車道をつかうと意外に近い。
 通常は夜明け近くに出るが、今年はゆっくり朝ご飯を食べて出発。隣接の新潟県津南町まではすぐについた。ここからはるばる四十分。これがとおい。くねくねと山肌に貼り付いた一車線の道路を登るのだ。すれ違いは不可能。見通しの悪い所では、クラクションをならし、見えるところでは対向車がみえたら、ところどころにある膨らみに待機する。日常的にこれをやるってのはなかなか面倒なことだと思う。救急車なんかどうすんのかなあ?少々心配である。
 その道に、タケノコ2号がやられる。
 直前まで「かあちゃん、うるさい。べたべたさわるな。」程度の憎まれ口をきいていたくせに、具合がわるくなると早速ぴたっとかあちゃんにくっついてくる。
「ふっふっ。カアチャンを大切にせいよ」
「ぐふぅ・・・」
 くねくねと山道はつづく。
 途中ひとつオートキャンプ場があった。しかし、そこはものすごくショボイとこだったので、「ここだったら泣く」とかいいながらもっと先へ。しかし、山道はどんどん細くなり、どうも登り過ぎた様子。そこでくだる。ようやく『のよさの里』を発見。中へ車を乗り入れるも、キャンプ場は見えず、ということは?
夫が事務局で訪ねると、さっきの「ショボイとこ」が目的地だったのだ。
 どうショボイかというと、まず、規模が非常に小さい。いままで出かけてきたところは、サイトが何十もあるところだった。キャンプ場のなかには鋪装されているところもあり、炊事場/水場、トイレ、シャワーの設備、洗濯場/洗濯機なども完備されているところだった。事務棟には、一通りのものが揃っており、なかなか、まあ、近代化されているわけだ。そこからくらべると、全部で最高10張りしかできない。ウチはテントとタープで2張り分使ったから、ほんとに小規模。その他には炊事場/蛇口が5つとトイレだけ。鋪装されている部分は水場とトイレ以外はまったくないし、側溝も掘ってないので、雨が降ったら事だろな?などと思いながら、テント設営。
 いつものことなんで、淡々とすすめるが、山道疲れが出てイマイチ不調。
だらだらと作業する。
 ようやく出来段階で、すでに4時を回っている。

 これから今夜と明朝の買い出しに行かねばならない。タケノコ達は温泉に入るのでサイトに残ることになる。温泉は「のよさの里」の本館(旅館である)にある。雑木林を抜けていくのだ。彼らはいつも最低毎日2回は、多ければもっと入るのだ。
 さて、夫と竹薮はまた山道をおりて登るわけで、「ひえ〜!!」だが、結局津南までもどるしか、食料調達の道はないのだから仕方ない。
 その日の夕食/鮪漬け丼・豚汁・トマト 

 ところが、ここに猛烈なお客が来週。大量の羽虫だ。刺しもしないし、払い落とせばそれだけで死んでしまうほどの小さな虫なので、どって事はないのだが、それでも量が半端じゃない。何百何千という数だ。虫が点ではなく、面でいる。食事中も注意して食べないと虫を食べてしまいそうだ。テーブルクロスに虫よけスプレーをかけてみたが、どうしようもない。8回目にして初めての経験だ。虫嫌いの2号はもう大騒ぎ。わーわーきゃーきゃー虫のシューティングに必死。

「虫が、虫が大量に襲ってくる!払っても払っても効果はない!いったいどうすればいいんだ!」
このうっとおしい時にシナリオでしゃべるな!
しかし、ほんとにその通りなわけで、大急ぎで片付けてネットの付いたテント内に撤収するしかない。
 というわけで、お風呂に入って早々に早寝。

 ニ日目
 朝食/ソーセージとキャベツの茹でたもの・豚汁に素麺をいれたもの

 今日の予定は近隣の民族資料館や博物館をめぐる予定。手で洗濯をしてほして出発。

 まず、山のすぐ下にある秋山の山田さんという人がやっている個人の資料館を訪ねる。玄関にでかでかと326風の字でメッセージがあり、全部身体はって生きてた時代の事をわすれたらいかんぜ!みたいな主張がでかでかとかかげられている。トイレの紙替わりの草も干してあり、ドライフラワーのように天井から下げてあった。タケノコ2号は眼をむいていた。2階に圧倒的なスナップあり。それは熊を狩る一連の写真だ。銃で撃っているものもあるが、手負いになってからは包囲して殴ったりして殺したらしい。その後、熊の河を剥ぐ。はがれた白い熊の大の字で往生した写真もあった。すごい。

 次に津南の民俗資料館をめざす。残念ながら休み。月曜は休館だとのこと。お役所は日本全国月曜は休館なんだな。

 気を取り直して、昼に美味しい蕎麦を食べようと信濃川/千曲川ぞいに飯山に向かう。千曲川は本当に見事な河。おもわず見愡れる。『とうとうと』というのがぴったりだ。すばらしい。隅田川のような都市の去勢された川とは違う。眺めていて飽きない。
 残念ながら蕎麦やははずれ。これなら、高速を降りてすぐ、山の中で食べた蕎麦の方がずっと美味だった。あの蕎麦はもう一度たべたい。米の名産地魚沼郡でたべた、蕎麦ですが。
 その後、ネット付きのタープを探す。いくら虫が主体の地域に、人間が邪魔しているとはいえ、もうちょっとなんとかならないか?というわけで、ネット付きタープを探すロードにでる。しかし、飯山、津南、十日町いずれにも存在しない。なんでだ?地元の人はキャンプなんかしないんだな、きっと。それは当たり前の話かも。

 しかし、いずれの町も、イーオン系のショッピングセンターが出来ており、十日町以外は地元の商店街はさびれていた。とくに寺の町飯山のさびれ方はすごかった。寺が多いせいで仏壇で有名なんだそうだが、仏壇屋以外の店はなんとも悲惨で、シャッターを降ろしたままの商店も多数。その降ろしたシャッターに向日葵の色紙がバランスよく貼付けてあるのが、ますます淋しい。その分、ショッピングセンターがばかに大きいのだ。
 というわけで夕飯の買い物をして、今夜も虫と闘おう!と悲壮な決意をして山を登る。

 いやというほど、車に乗って、そろそろ竹薮は車酔いならぬ車あたり気味。

 山を登る途中ではげしい夕立ち。
 夕飯/カレー、胡瓜・とうもろこし・トマトのマヨネーズ和え、桃、ぶどう

 不思議なことに、昨夜あれほどいた羽虫は一匹もいなかった。ほんとうに一匹もいなかった。昨日のあの現象はなんだったのか?今日出ないのは夕立ちのせいか?そのかわり、炊事場は激しく蛾の巣窟と化している。柱という柱に色とりどりの蛾がとまっており、水玉模様ならぬ、蛾玉模様なのだ。しかも色形ともさまざまにありとあらゆるといいたいほど、多様な蛾がとまっている。これもまた見物。我が家の男性陣は徹底的に虫が天敵なので、すごいよといっても誰も見にいかないが、一匹、なんとも綺麗な緑の蛾がいて、洗い物をしながら、思わずその蛾に眼がいった。
 その蛾に狂喜している一団キャンプ場にあり。
 昨夜の羽虫の時も、頭にライトをつけ、捕虫網とデジカメを装備した男子が夜更けまで観察に余念がなかった。今日は「200種類はいるよね。すごいよね。わたし蛾博士になれる!!」と眼に星を飛ばしている女子。すごいなあ。世の中にはいろんな人種がいるなあ。この集団はひそかに「昆(虫)研」となづけられ、竹薮の観察の対象となる。 
 この日の入浴回数。1号2号3回、夫2回、竹薮1回
 虫をさけて照明を暗くしているため本を読めず。
(03/08/11)

 三日目
 朝食カレーうどん、胡瓜と大根の辛子漬け

 タケノコ達はもちろん朝風呂にはいる。朝食後、よごれた洗濯物を袋に詰めて、出発。途中コインランドリーがあれば、洗おうという魂胆。今日の目的地は野尻湖。野尻湖一周のサイクリングとナウマン象博物館。昨日の飯山よりも更に進む。黒姫の近くまでいくのだ。途中いい天気になる。車の中は昨日の雨で乾き切らなかった洗濯物が広げられる。ダッシュボードにおいたものは良く乾く。リアウィンドウもなかなか。裏返したり場所を交換したりして、洗濯物をせっせと干す。
 ほどなく野尻湖につく。レンタサイクルを探す。ところが二人乗り自転車(ペダルが二つついてるもの)がない。二人乗りがないと2号が参加できないので、サイクリングは断念。かわりにペダルボートをかりて、湖中の島へでかけることにする。4人乗りで夫と2号が前に、竹薮と1号が後ろにのる。島をめざしてこぎはじめる。後ろの二人は日頃から自転車をこいでいるので、普通に漕ぐも、前の二人は結構大変そう。とくに座った姿勢で、足を下にではなく、前に出して漕ぐので腰に来るらしい。島の桟橋が近づく。接岸するために、バック。逆転して漕ぐとバックする。これが結構面白かった。自転車は逆に漕いでもギアがかまず、バックしないもの。
 島に上がる。宇賀神社がある。金龍と銀龍が本殿の手前の両側におられる。ドクターコト−のテーマソング「銀の龍の背に乗って」のせいもあって、ちょっと盛り上がる。なかなか、凛とした空気のいい神社でした。
 再び漕いで陸へ。昼食。その辺のオープンカフェ風の店で。それぞれ食べる。だんだん空模様が怪しくなり、食べ終えて、すぐそこのナウマン象博物館につく頃には雨。
 ここは残念ながら料金分の展示物はないところ。しかし、竹薮は結構ためになったかも。
 野尻湖でナウマン象の骨が発見されたことは、日本史で習った記憶があったが、そのことの意味は全然わかってなかった。象ということから、たんに日本列島と大陸が陸続きだったということを示す証拠としてしかうけとっていなかった。しかし、展示の示すものはそうではなく、縄文人達がどのように象を狩り、解体し食べたか?ということだった。縄文人達は象を食べつくし、その結果象は絶えてしまったのだ。象を食べていた!!これはちょっと吃驚した。他に鹿(えぞしか)も食べていたので、象の牙と鹿の角が「月と星」のように、配されている展示も美しかった。さらに花粉と珪藻の化石というのも顕微鏡を使ってみられるようになっている。はっきりいって、これもびっくり。つまりそんなもの肉眼で自然に発見できるわけはないのだから、見ようとおもってなんらかの方法で意図的に何かしない限り、見えない。だれが意図してそうしたのだ。すごいなぁ。どうしてそういうことおもいつくかなあ。
 タケノコたちは主に象の歯におそるおそる触れていた。象の歯は溝こそあるが大きな石のようだった。

 博物館を出たら雨が降っていた。帰途につく。途中、必ずコインランドリーがあるはずだと探す。飯山の町を探しあぐねてとうとう人に聞くと、すぐそこだった。やっぱきかなきゃわかんないわ。
 そのコインランドリーはすごかった。最低、10キロくらい。もっとおおきいのが普通。スニーカー専用のランドリーや乾燥機もあった。洗剤を持っていく必要はなく、小銭用の両替機もある。洗濯機から乾燥機への移動用のワゴンもある。しかもひろびろしていて清潔。まったくちらかってない。東京もいまはこんな風なのかな?
 洗濯の間に買い物をし、乾いた洗濯物をもって、又山に戻る。この日は1号が車あたりして、キャンプ場にもどってから、身体の不調をもてあましていた。竹薮もなんか車に乗るのがいやになってきてるのを実感。いやあ、すごいわ。山で暮すということは。

 夕飯/炭をおこして秋刀魚と鯛をやく。大変美味。


 昆虫研と妄想研 

 さて、昆虫研だが、最初の夜は七人くらいだった。とくに男子陣ばかり眼についた。ところが翌朝になってみると、テントの前で女子が膝を抱えてすわっている。(むむっ。。女子もいる。。)しかも、なんか蛾や蝶がじっとしているみたいに、テントの前でうずくまっている。昆虫研は虫に擬態するのか?

 人間観察の好きな竹薮はさっそく、昆虫研について夫になんやかやと推測を述べはじめる。夫いわく「彼らが昆虫研ならハハは妄想研だな」何をいわれようと、竹薮の観察は続く。女子は三人男子は四人。とするとカップルみっつにシングルひとりかも。テントも四つだし。。どの男子がシングル?やっぱヘッドライトの夜間徘徊君かな?今朝のメニュはゴーヤチャンプルだった。昨日の夜はインスタントのスパゲティ−だったから、彼らは朝が主食?なんかもめてるよ。ひとり勝手なやつがいるらしい、どのこかな?などなど。
 最初のカップル三つにシングルひとり説は3日目に破綻。だってものすごく人数が増えたもの。あの人数が寝袋で雑魚寝するにしても、テント四つのなかに一体どうやってねるの?まあ、どう考えてもプライバシ−はないから、大学のサークル系だろうと判明。一定期間ベースキャンプをおいて、そこへ各自都合の良い日程で参加/撤収するのだろう。最後まで不思議な集団だった。

 四日目
 朝食/ご飯、大根の味噌汁、鮭の粕漬け、枝豆、トマト

 朝食中に、広島の原爆記念式典がラジオで中継される。黙祷することにする。
「黙祷って何?」「眼を閉じてなくなった人たちが安らかであるように祈ること」「だれが死んだの?」「だからぁ〜」意外に伝わってないことに驚く。つまりタケノコ達はラジオをまったく聞いていなかったのだ。さすがに広島に原爆がおちていることは知ってるから、説明は早い。で、黙祷。しかし、直前に炭酸飲料をガブガブ飲んでいた1号のげっぷが、黙祷の一分間の間に3回ぐらい出て顰蹙。

 ほんとはこの日長野まで足をのばし、善光寺ならびにその他の旧跡を訪ねるはずだったが、全員車疲れでグロッキー。ゆっくり過ごすことにする。午前中はサイトでくつろぎ、本を読んだり、ちょっと勉強したりして、11時頃下山。2日前に休みだった、津南の民俗資料館にゆく。


 ここでも圧巻は、熊狩り。とくに皮をはがれた熊の顔のアップの写真があって、これはすごかった。恐がりの竹薮なんかは注視できなかったが、夫と2号はしげしげと見たらしく、瞼がどうとか、なんとかかんとか話し合っていた。熊の皮は重要な商品だろうから、皮を綺麗にはがす技術は人々にとって大切なものだったろう。だから、綺麗に作業をしたその成果である赤裸ならぬ白裸の熊の写真があるのは十分納得できるがそれにしても、ハードな写真であった。人間と自然はこんな風にむき出しの関係だったんだ。それは今も変わっていないのに、今は人間と自然との間に人工物の塊があるから、気付かないだけ。キャンプに来ると、人工物が減るから、自然に振り回されることがよくわかる。こんなヘナチョコキャンプでも。昔の人は今のキャンプよりももっと自然とぶつかりあっていたんだ。
 ぐふぅ。薄眼で白裸の熊をみる。

 もう一つ印象的だったのは、鋤/鍬キャップだ。竹薮の知っている鋤(すき)や鍬(くわ)は木の棒に金属で出来た鋤や鍬がついている。資料館にあったものも半分はそうなっていたが、残りの半分はちがった。歯の部分の大半が木でできていて、先の所だけ鋤や鍬の形の金属になっていて、それが木の部分にかぶせてあるのだ。これはおどろいた。考えてみれば、金属は非常に貴重だから、全部金属にするよりも被せ式にすれば、同じ量で三つできるかも知れない。限られ多量の金属をどうすれ有効に利用できるか徹底的に考えられたんだな。
 不足が分配の工夫を産む。
 現在は過剰だから、分配の不公平に鈍感になる。
 これはすごいことだ。近くにいる1号に、この工夫のすごさを話して聞かせる。かあちゃんは感動してるんだぞ!!だが、1号は火縄銃の方がいいらしい。はじめて本物の鉄砲を見たのかも知れない。「結構でかいよね」「そうね。でもこの鍬がさ」・・・だめ、ハハの感動は伝わらない。

 資料館をでて昼食。竹薮が食欲ないので、回転寿司が提案される。食べたくない人は食べなきゃ良いから。ところが2号が途中でみた鰻屋に入るといってきかない。かあちゃんの具合が悪いといっても、聞き入れず仕方なく鰻屋へ。竹薮は鰻茶漬けを頼むも、半分も食べられず、リタイア。ほんとに胃の具合が悪い。山のくねくね道恐るべし。この日もコインランドリーを使う。その間、津南の町をふらふらして洗濯ができたらまた登山。


 途中赤いお湯を名物にしている温泉に入る。ほんとに錆朱色/赤茶色。鉄分がおおいのか錆の臭いがする。味は塩辛い。湯殿はがら空きで竹薮家しか入っていない。竹薮は女湯にひとりで入って、向いの山を眺める。家がない。人がいない。ほんとに自然の方が圧倒的にかっている栄村。こういうところにすんでると人間が謙虚になるだろな。

 まだ浸かっていたい、風呂好きの1号を追い立てるようにして、キャンプにもどる。もどるやいなや夕立ち。ものすごい降りだ。バケツをひっくりかえしたようなというのがぴったり。しかも止まない。じつに三時間以上降った。四時半ごろから降り出し、雨があがるのをしばらく待っていたが、いっこうに止まないので、6時から雨の中、タープに炉をもちこんで火を起す。今日はバーベキューだ。バーベキューは夫の担当なので、竹薮はご飯を炊いて、あとは野菜を切ればいいだけだ。不調なので、ありがたい。雨の中準備をし、焼きはじめたら雨があがった感じ。なんとか最後の夜の食事になる。

 今回のキャンプで一番印象に残ったことはなんですか?
 
 1号「赤湯!」
 2号「資料館!」
 夫「白裸の熊の瞼!」
 竹薮「車あたり・・・」

 片付けて夜になったらまた雨。雨の音を聞きながら眠る。タケノコ達はまだ寝たくないといい、大人が先に寝る。2号がテントに入ってきたのはおぼえているが、1号はしらない。ひとりで暗闇の中起きているというのが、高校生になった証拠だろうか。今回のキャンプでは1号はやたらとひとりで動きたがった。自分がひとりで行動できるように選択するのだ。たとえば、風呂一つとってみても、去年までは2号が一緒でも文句はでなかったが、今回は「2号が風呂にいくなら、俺は2号が帰ってきてからにする」という調子。年頃なんだな。


 この夜、妄想研のもう一つの対象に、アプローチ。それは四人の壮年の男女。登山に来ているらしい。早朝から登山にでかけていない。夕方になってもテントの外にはちょっといるだけ、さっさとテントに入ってしまう。小さいテントなんだよねえ。あそこに四人じゃ窮屈だろうになあ。
 さらに、彼らが乗ってきたセダンがすごい。いつも中から結露で車内は霧が立ちこめている。なぜか?洗濯物が干してあるから。夫は「あれじゃかびるだろ」と心配している。とにかくみごとな状態の車だった。

 さて、この日は夕方大雨なので、夕飯がはじまらない。炊事場でたむろしている大人達。米を研ぎにいった竹薮に、おばさんひとり振り向きざま「どうする?この雨」と話し掛ける。そこへ「飲むしかないだろ、なあ?」とおじさんの絶妙なレス。この当然のように話し掛ける呼吸が壮年だなあ。それがきっかけで、いろいろと話す。夫婦ふた組の組み合わせ。山登りが大好きだが、腰も痛い。りっぱな中年の楽しい人たちだった。

 昆虫研とはこうはいかない。なんとか彼らと交流をはかるべく/つまり、正体を見極めようと、話し掛ける糸口を探る。ちょうどバーベキューの食べきれない残りがあったので、さつまいも、じゃがいも、とうもろこし等をもって、彼らのたむろする炊事場へでかける。「食べきれないんだけど、助けてくれないか」と聞くも、明らかにとまどっている。なかにひとり、社交的な子がひとりいて、嬉しそうに応答する。「うわぁ〜い、もらっちゃった、うれしいな/あっとでも部長に聞かなきゃ・・・」みたいな感じで、「長」とおぼしき人にお伺いをたてる。「仕方ないな/もらうか」という反応。まあ、全体としては引いてる印象。ここで一時撤収。つぎに、片付けの洗い物の時、再チャレンジを試みる。彼らはテーブルやイスをもっていないのでずっと炊事場にたむろしてるのだ。彼らは都内の大学の「生物研究会」の面々で、ほとんど理系だという。ということは文系もいるのか。総合大学だな。話の感じからいくとかなり賢そうな口調だから、都内の総合大学ということになる。早稲田か?いやいや、、しかし、大学どこ?まではいけなかった。
 やはり女の子の方がおしゃべりに乗ってくる。二人の女の子とおしゃべり。「女の子なのに虫好きとは珍しいね」という愚問をぶつけてみる。「そうですか?そんなことないですよ。最近は虫に触れない男の子もいるでしょう。」ジェンダーフリーだな。「ナウシカの影響ってある?」「私はない」「私は結構ある。漫画の方のナウシカには影響されてると思う」「アニメージュ版のほうね」「そうそう」「理系だと実験とか大変でショ?こんなに長く逗留するのって大変じゃない?」「大変ですよ。でも来たくなっちゃうの。で、来ちゃう」「主に蛾なの?」「私は今年は蛾です」「私はクワガタ。魚の人もいるし、植物の人もいますよ。いろいろです。自分の興味の対象で自由に動く感じです。」「ふ〜ん。共同研究して大学祭で発表とかしないの?」「そういうことのためにこういうキャンプをすることもあるけど、今年は自由。共同研究は日頃の活動で実験とかしてます。でも今回かきためたスケッチとかも展示できるといいね」と、そこにあったスケッチを見せてくれる。これが上手。すごく上手。わぁわぁほめる。
 とコミュニケーションを重ねたのに、その後も翌日もすでに知っている人としてのコミュニケーションはなされなかった。
 翌日したしげに挨拶したのは、最初から社交的だった男の子ひとりのみ。あとの人たちはまた、しんとした見知らぬ他人だった。現在の若者の状況をあらわしているなあ。。。でした。

 五日目
 今日は撤収の日。昨晩の雨も夜中にはきれいに晴れて星空が見えていたので、安心はしていた。荒天のなかの撤収は大変だ。雨で濡れているテントは畳みづらいし、だいいちびしょぬれになる。風があっても、吹き飛ぶものを押さえながら片付けるのは骨なのだ。今回は風もさわやかな晴天。片付け日和といえる。しかし、今回は車あたりのせいか、なんかめんどくさい。どうしてもきっちりできなくて、何でも放り込む箱が一つできてしまった。こういうことすると帰ってからニ度手間だとわかっていてもできなくて、ちょっと自分に不満がのこる片付けだった。山の日陰は恐ろしく涼しくて、日なただと汗がだらだら、日陰だとひんやり風が吹き抜ける。その対照がとても夏らしくて感動する。そういえば、この栄村の水はとてもつめたくて美味しい水だった。
 片付けおわり、車に積みおえて、一風呂浴びに本館にいく。
 お風呂に入ったあとで、土産物売り場に栄村村長の著書を発見。目次をみて納得。
 この村長は平成の大合併の国の号令に逆らって、合併せず、住民自治を貫いている有名な人だった。
竹薮の市は大合併の声に従っていち早く合併した。合併のメリットは合併特例債を起債できる(合併に際して、地方自治体が発行でき、かなりの部分を国が引き受けてくれる。しかし、いくらかでも借金ができることは事実)ことだ。新規事業を起そうとして、その財源をどこからもってくるかと考えれば、合併特例債は大きな魅力だ。ところが、この栄村、豪雪の寒村にもかかわらず、その合併を拒否して、独自の発想で事業を展開しているわけだ。
 くっそお!!そうとしってりゃ、村長にインタビューにいきゃあよかったよぉ。。
 ちょっと悔しい。いや、かなり悔しい。。
 山をおりて、飯山で、回転寿司を食べる。『かっぱ寿司』全部ひと皿百円。すごかったぁ。まずメニュー。コンビーフだの、コーンだのがある。コンビーフの寿司ってなによ?というわけで、食欲不振の竹薮以外、全員ばくばくいく。合計3600円なり。いやあ、安い。いつもなら軽く万札いくのだ。それに味もよかったと思う。ビントロなんか、ちゃんとビントロだったもん。喰い盛りがいるご家族にはお薦めです!

 その後高速に乗って、長野へ。
 狙いは善光寺一本。
 もうめちゃくちゃ暑い。焦げそうな感じだった。でも、日陰は涼しい。山の威力か?すごく都会だし、地方都市としてはかなりの風格だったな。
 さて、善光寺。戒壇めぐりはもう大騒ぎ。控えめながらきゃーきゃーわーわー、実は心の中は大騒ぎ。そのあと、様々な展示物を見学する。百羅漢では、1号の担任の先生にそっくりの羅漢さまがおられて、ひそひそと爆笑。竹薮夫にそっくりの方もおられた。どういうわけか尼僧であられた(!)2号は仏像群にしっかりご執心。突然目覚めた様子で、いつもは一番最後の竹薮のかなりうしろをついてくる。説明書きもいちいち読んでいた。きっかけは入り口にあった四天王像。四天王と東西南北、春夏秋冬、青龍、朱雀、白虎、玄武の説明をしたせいかもしれない。がぜん興味をもったわけだ。まあ、これでまたオタクに磨きかかかるだろう。
 その後茶店でかき氷を食べる。夜祭りの氷ではなく、ガラスの器に入った昔ながらのかき氷は初めてかもしれない。タケノコ達はしきりにおでこを叩きながら食べる。初体験なんだ。で、赤や黄色の舌の色にキャーキャーいう。こういうの夏の必修科目だな。
 その後さらに南下。諏訪につく。諏訪湖は大きな湖。諏訪の周辺の民家では家に温泉を引いているとか。小学校に温泉があるところがあるとか。いいなあ。間欠泉もあるんだけど、見忘れてちゃった。
 ホテルはまあまあで、それでも雨や風を気にしないでのびのびできるのはウソみたい。上げ膳据え膳でお布団もしいて貰えて、美味しいものがあって、虫もこない。すごいことだ。
 キャンプとホテルどっちがいい?タケノコ達はもちろんホテルだ。しかし、大人は両方!どっちかだけじゃいやだな。両方がいい。
 2号が中一になったので、食事は全員大人の食事になった。海の幸、山の幸の大人向けの和食だ。マヨネーズだのケチャップだのはぜんぜんない。牛肉も朴葉味噌だ。湯葉に、ゴマ豆腐。ジュンサイに山牛蒡ときた。でも全部食べた。文句いわずに食べた。大人になったなあ。。もちろん、好物ではない。しかし、文句いわずに食べた。
 
 同じ座敷きにちっちゃな子を二人連れた若夫婦がいた。むずかるし、さわぐし、もう大変。竹薮はそれをみると頬が緩む。かわいいなあ。。もうどんなに騒いでもいたずらしても、かわいい。。がんばれよ若夫婦。もうすぐ、その騒ぎも終わってしまうけど、それは楽しい記憶の財産になる。


大きな旅館/ホテルの関係者にお願い。
小さい子を持つ家族には部屋でご飯を食べるサービスをしてあげるといいと思う。
布団敷きサービスよりもずっと喜ばれると思う。
小さい子が騒ぐと親は、おちついて食事なんかできないし、人の眼も気になる。立ち歩いたりすれば、追いかけて、もう大変だ。部屋食なら、歩き回ろうが、叫ぼうが、大人は大人でしっかりご飯食べられるもの。考えてみてください。
すでに部屋食を実施している旅館/ホテルは小さなお子さんのいる方にと、アピールしてみてはいかが?


takeyabu31 at 18:11|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえ(遊び) 

2017年07月11日

アザミ嬢のララバイとファイト

空豆の豆苗


今日の「やすらぎの郷」は「ファイト」だった。

倉本聰は中島みゆきが好きらしい。
私は好きではない。

歌い方で「あ」と「え」の音が横に開きすぎている。
口の形です。だから「あ」が「え」に近くなり
「え」が「い」に近くなる。
それは好きじゃない。
まあ、これは趣味の問題だから。
みなさんはどうぞ、私は聞きません。そういう感じ。

多くの作品はいいと思うが
ファイトと世情は嫌いといってもいい。

ハタチぐらいの頃
1970年代 なんでか知らないけど、大学の中庭で世情を聞いた。
その瞬間、頭に血が上った。
隣にいたS君がニヤッと笑った。
(あれ?その頃S君と知り合いだったかな?
 記憶がいくつか混同しているかもしれない)
ともかく、あの中庭の掲示板前で沸き立つ怒りを感じたこと。
そして、その怒りを共有するものがいたことは確かだ。

シュプレヒコールの波 通り過ぎて行く
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため

この部分。
この時、話者はどこにいるか。
シュプレヒコールの波の中でないことは確か。
時の流れを止めて変わらない夢を見るものを批判しているように見えるが、
闘うものの中にはいないのだ。

そんなもんをあんな大掛かりな仰々しいエンディングで歌い上げるな!!

というわけで、その時、シュプレヒコールの波の中にいるつもりだった私は
大文字、特大フォントで「ふん!」と思ったのだ。

その後も中島みゆきにあまりいい記憶はない。
だいたい似たような構造の歌が多い。
大好きな TOKIOの宙船も
「お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな」
こういう二人称が多いのだ。
TOKIOの場合は先頭切って漕いでいて、
後をついてくる他の船に向かっていう感じなのでよしと思うけども。

ともかく、この二人称の感じが胡散臭いと

で、アザミ嬢のララバイである。

ララバイ ひとりで 眠れない夜は
ララバイ あたしを たずねておいで
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

これも二人称。あなたに向かって歌いかけている。

でも。
今日、大好きな浜田真理子が世情とメドレーで歌っているのを聞いた。



なんだ、これ相手いないじゃないか。
誰かいたのかもしれない。
しかし、これは来ない人をまつ自分に歌う歌だ。
一人で泣いて惨めなのは、もう一人の私で
一人で眠れなくて誰かに電話したいのも、私そのものだ。

浜田真理子の歌は明らかにそうなっている。

春は菜の花、秋には桔梗
そして、私はいつも夜咲くアザミ

夜、まだ閉じない傷口が傷む。

その時に誰かを求める。
傷の舐め合いではなくて。
どこかのだれか。 
この世にいるもう一人の自分。
ひょっとしたら多くの自分を夜の底に見ようとしている。
いや、いると信じたい。
そんな感じか。

中島みゆきの歌のつくりは、具体的な誰かを想定している。
でも、平成の浜田真理子はもっと一人だ。

で、浜田の世情はつぶやくように歌われる。
シュプレヒコールの波にも、
時の流れを止めようとするものにも属さない一人が口ずさむ。

絶望でも希望でもなく、ただ「ある」感じ。
さすがである。

では倉本聰はファイトの二人称をどう考えているのか。
死にゆく妻の好きな歌。
死にゆく妻の手を握って夫の歌うファイト

やだなあ、恥ずかしいなあ。
でも、やるんだな。


つまり十分に闘って、
十分に共に闘って、
そして、先に行く妻にファイトというのだ。
死ぬという闘いにファイト
一人残り生きるという闘いにファイトだ。

この現場においては闘うもの同士の言葉で
この主語は「私たち」である。
かなわんなあ。

さて、歌は二人称部分のコーラスと
一人称のヴァースの対比になっている。
曲が進むにつれて、か弱い一人称から、力強い二人称へと変化していく。

合唱でもよくうたわれる。
淀川工業グリーの名演がある。

最初のボソッと言い聞かせるような「ファイト」から
エンディングの確信に満ちた「ファイト」へ
そしてアカペラへ。

へそまがりの私にはとても恥ずかしくて無理です

というわけで、中島みゆきは苦手です。

*************

今日は全く夏の空でしたね

月曜締め切りの原稿をまだ書いてなくて
ブログ更新したりしてる絶賛逃避中です。

<今日の夕飯>
カツオとビントロの海鮮サラダ
厚揚げとインゲンの煮物
トマト
なるべく暑くないように。

*************

ちょっとしたきっかけがあって
最近、また音楽を聴くようになって、
ドラマが見られてないんですが、
さて七月期はどうなるでしょうか。

写真はソラマメの豆苗
全部生え揃いませんでした。


takeyabu31 at 19:00|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2017年06月27日

「変な美香さん」と「わたしの偏屈じじい」

川口のすごい家


今日あたりはそうでもないが、昨日までは聞くに耐えない酷い音がテレビの画面から流れていた。全文書き起こした番組もあったようだ。全くもって信じがたい。
あの件はネットでは前日から話題になっていたが、音声は聞かないようにしていた。
でもワイドショーになると聞いてしまう。
勘弁して欲しいので、出てきたらチャンネル変えたりしてかわすも
聞いてしまう。

そしたらお腹痛くなった。
お腹の痛いのって、そんでトイレ行っても治らないのって、大抵ストレスなんで、何がストレス??と探した。そしたら、例の件だったというわけだ。

つまり、自分を投影して嫌悪してる訳で。
まあ、竹薮はあそこまでおかしくないけど、普通の人より怒るのは確かで、
ほんとに怒るから、最近は目立つ。
体育会系の男の子に、怖いって言われるくらい。

例えば、つい最近怒ったのは
小テストの採点について。
隣と交換して採点するのだが、その時に顔も見ない声も出さないで紙だけをやりとりする。本当に紙だけ相手をみないのだ。竹薮にはそれは異常なことだと思える。おかしくないか。普通、見るだろう、相手を。よくできてたらおおらかに見るし、不出来だったら申し訳なさそうにみる。そんな感じじゃないか。顔も見ないで顔も向けないでやりとりするのはおかしい。

そこで、叱る。
その態度はなんだと。
それでいいと思ってるのかと。
相手は人間なんだ。その人間を見ないで、紙だけやりとりするのは相手を人間だと思ってないという表現だ。あるいは相手を恐れるあまり、関わりたくないと思っているのか。それはおかしい。そのような態度では、すべて整った環境でしか生きていけない。例えば、地震の時の避難所でおにぎりあげようかと思える対象ではない。役に立たないどころか、避難所ではコストでしかない存在になってしまうということが、わかるか。

今できない者が、その時できると思うのか。
かなりガンガン叱る。

竹薮として間違ったことに対して許さん!と怒ってるわけだが、
お腹痛いってことはなんか感じてるんだろうと、投げかけてみた。

そしたら、わかった。

件の人は相手を支配しようとしている。
竹薮もある意味同じだ。
それはなぜかというに相手と徹底的に関わろう、引き受けるぞという気持ちだ。

竹薮が怒るのは、生徒とタケノコたちであって、
他の人には怒らない。
敵だと思ったら、冷静にマウントする場合はあるが、声を荒げて怒ったりしない。
冷た〜く厳し〜くいく。
勝つために詰めていく姿勢だ。

生徒たちに対してはそうではない。
感情が乗っている。
それが近さであり、圧力となって現れる。

大抵、竹薮の言ってることが正しい。
で、10ヶ月弱の関係の中である程度仕上げたい、伝えたいと思う中で
前傾姿勢になってガンガン叱るのだ。
姿勢、ペンの持ち方、ノートの広げ方
プリントの配り方、ファイリングの仕方まで徹底的に伝達する。
で、竹薮を納得させる代案がない限り言うことを聞けと言う。
それでも自由裁量の部分はあって、一冊として同じノートはない。
型をしっかりはめても個性的な表現は失われないのだ。

その挙句に、授業内で怠惰というか怯懦というか
そういうものがあった時、許せないのだ。

だから、竹薮は怒ってきた。
怒ることが悪いとは思えなかった。
有効でないと感じることはままあった。
しかし、怒ることが間違いだとは思えなかったのだ。

それならなぜ今回お腹が痛いのか。
竹薮自身が何かを感じているからお腹痛いのだ。

竹薮の言うことが正しくても、相手が正しいと思わない時もあるし、
相手が正しいとおもってても、そう出来ないこともある。
正しいことを今すぐしなくちゃいけないのかね。
リターンをすぐ返せって思ってないか。

はい。それ、間違い。
引き受けられません。
子どもでも。
有り得ません。

というわけで、
件の人と竹薮はたいして変わらないということがわかった。

ある意味、見守ればいいのであって、
丸ごとの関係を作る必要はない。


タケヤマに話したら

大人になったなー
えらいぞー
生きてるうちに
そういうこと言うとは思わなかった。

だそうで。

で、タイトルです。

最近、叶姉妹のLINEアカウントをフォローしてるんだけども
恭子さんの発言が清々しいんだな。その中で
妹美香さんが恭子さんについていけない時(性的趣味とか、いろいろな嗜好とか)
美香さんが引き気味になると
「どうして?変な美香さん。(うふふ)」という。
この言い方、かなり技だと思う。
自分が正しいと思ってるのだけれど、そう考えないあなたが不思議だわという投げかけ方。

もう一つ、ダウントンアビーというドラマの中で聞いた一言
妻「偏屈なジジイね」
夫「きらいになったかい」
妻「いいえ、わたしの偏屈ジジイですからね」

これも技だ。すごい技だ。

偏屈ジジイと言いながら「わたしの」(偏屈)ジジイだという。

どちらも相手を批判しながら、相手を肯定している。
件の人は相手を肯定しないから論外だが、
竹薮の怒りは、肯定と批判のどちらも激しく
二極化しており、相手はその二極を振り回されるわけで
大変だろうな。

ほんとは、その振れ幅全部で関係を作りたい。
それは竹薮の本音だ。

しかし、隣のクラスメートの顔すら見ない18歳に
そんなことできようはずもない。

それに本来、丸ごと出なくていいのだ。
というか、丸ごとだったら気持ち悪いというものだ。

そのことをしっかり確認して
余裕のコミュニケーションを心がけ
ゴールを目指さないことを旨としたい。
うん。

なんていうのかな。
存在してればいいんだよね。
竹薮のような珍獣枠は。


*************

上の写真は戸田市にある有名な家
面白いですよね。

存在することだけで、かなりいけるんじゃないかって思わせます。

<今日の夕飯>
ピーマンの肉詰め
 鶏肉があまりに淡白で失敗。
 もっと工夫が必要でした
小松菜、もやし、トマトのナムル
沢庵の千切りと大根葉のぬか漬けの胡麻和え
味噌汁

日月火と三日休みなんだけど、
この三日間は徹底的に怠けちゃったなあ。
日曜が割と動けたので、月火に期待だったが、ダメだった。
気圧に負けるな>自分




takeyabu31 at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 長電話(日記/告知) | 婦人口論(批評)

2017年06月19日

空を切るもの

2016-12-11-15-14-32


梅雨の晴れ間の一日
気持ちのいい風が吹いている。

空にはぽっかり雲
あの雲は誰のものでもない。
すべてのものの頭上に等しく架かっている。

聖人も犯罪者も赤ん坊も病人も老人も
男も女も
人も犬も猫も木も水も
作物も商品もゴミも

ありとあらゆるものの上に等しく架かっている。

それなのに、
その空を売買するものがいる。

法も制度も常識も全て捻じ曲げて
全てを我が手に握ったとばかりに

空を切り売りするものがいる。

神なき世の「神」なのか。

だがしかし、空は切れない。

いつか、それが明らかになるだろう。

王様は裸だ。
国民もまた裸だ。



takeyabu31 at 23:18|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ポスト3.11 

2017年06月16日

二つの次元

2017-02-28-11-23-11


この写真は医者いらず/アロエの花だ。
通りがかりの団地の地面に茂ったアロエに妖艶な花が咲いていた。
アロエは役に立つ植物で、竹薮が子供の頃は地面のある家には必ずあった。
でも、花は見たことがない。
大きく育たないと咲かないそうで、どうりでやけどだ、なんだとポキポキ折られていては花の咲きようがないのだろう。この写真のアロエも1メートルくらいにこんもりと茂っていた。

ポキポキ折られるアロエと、燃えるようなオレンジの花房のアロエ
これが同じ植物なんだから面白い。

さて、二つの次元だ。

ERに二人の急患が運ばれてくる。
一人は被害者。誰かに銃で打たれて渋滞。
もう一人は加害者。銃で打った後、自分で自殺を試みた。
これがテロ行為だったとする。

医師は人の命を助けるのが仕事だ。
両方助けようとするだろう。
もしも、加害者が助かって、被害者がなくなった場合
医師は猛烈な避難を浴びるかもしれない。

ここで大事なのは、医師はテロリストを助けたのではないということだ。
一人の重症患者を助けた。
それなのに、テロリストを助けたかのように理解され、ひょっとしたらテロに加担したかのように言われ、糾弾される。

なにもしていないのに、敵認定されてしまう。
この現象の一つが《炎上》だ。

ある人がかつて問題発言をしたことがあって、
それがとんでもない問題発言で
一度や二度ではなく口をひらけば問題発言で
本当に困った人物であった。

しかし、その人がこれからもずっとそうであるかどうかは全くもって不明だ。

だから、その人の発言を封じることはできない。
極論すれば、「犯罪を犯したい」という言論そのものは犯罪ではない(今日はまだ、セーフ)

さて、その人と同じ空気を吸って社会生活を送るなら、
ルールを決めなくてはならない。

で、ルールを決めようとすると、問題人物を肯定するのかという批判が来る。
これ非常におおい。
右も左もそうだ。
現実問題、そういう奴と関わりたくはない。
しかし、奴にも存在する権利はある。ほかの誰でも権利があるのと同様に。

今、ある問題でルールを決めようとした人が「敵」認定されて消耗している。
原則的な行動は、敵なの味方なのという決めつけの前に踏みにじられる。
自分と同じでなければ全部敵
甚だしい場合は
あなたに対して「うん」と言いたくないからあなたは敵
そんなのもある。

そうなると、収拾がつかなくなる。

残念なことです。

**********

〈今日の夕飯〉

豚肉とインゲンと舞茸の甘酢炒め
茄子の炊いたん
胡瓜とワカメと寒天の酢の物
味噌汁

メニューが夏だな。

*********

順調に減ってた体重の減りが止まった。
いかん。
なんというか、ダイエットがぬるくなってるのだ。
また仕切りなおすぞ!
一番ダメなのは何かと考えて、ご飯作るばっかで自分がちゃんと食べてないじゃんかと反省し、7時、13時、19時にちゃんと食べると決めた。お菓子は食べない。年末を目指して、健康をとりもどすんだもんね。


takeyabu31 at 17:25|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) 

2017年06月06日

見えない方向

新政府パスポート


書き留めておかなければならないこと。

今年、春になったばかりの頃
友人から連絡があった。

友人はネットが嫌いで
ネットメールもあまりやってない。
未だに紙の手紙か電話という人で、それも全く頻繁ではない。

で、ひさびさに問題主婦を見て、0号のお悔やみをくれたのだ。

そこで彼女に言われた。
問題主婦は反応しない人に向かって書くべきだと。

反応しないけど読んでいる人という意味だ。
そこにこそ大切な読者があるのだから、
反応を求めるな、みたいなことを言われた。

なるほどと思った。

伝わったかどうかは、竹薮が決めることではない。
伝わってれば、それがわからなくてもいいことで、
ただ書けばいい。

うん。

*************
<今日の夕飯>
ゴーヤチャンプルー
スイカのぬか漬けの生姜、胡麻あえ
大根と油揚の味噌汁

今日は寒いです。
ほんと寒い。
でも日が差すと熱くなります。
6月ですからね。

*************

今日のお供ドラマ


これには原作があって


貨幣というものについて考えさせると同時に
父性をテーマにした作品でもありました。
国家の発行する貨幣に対して、中国マフィアの発行する偽札とコミューン内で通用する地域通貨。
主人公の男は実の父を貧しさゆえに失い、コミューンで育ち、その創設者を父とし、中国マフィアのボスに特別の息子と呼ばれている。擬制の国家(父)の発行する貨幣が人々を腐らせるならと二人の父の狭間に生きながら、悪貨が良貨を駆逐することを狙うのだが。。。
小説はおもしろかったです。
ドラマもまあまあ。WOWWOWものとしては軽めです。


takeyabu31 at 20:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) 

2017年05月22日

ひよっこと斉藤和義

まずこれ。


これはNHKの番組 The Covers という番組での
斉藤和義による「東京砂漠」
オリジナルは内山田洋とクールファイブ、前川清です。

あっちは硬派な感じですが
斉藤和義はもっとヘタレです。
声も鼻声で、でもいいです。

続きを読む

takeyabu31 at 21:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえ(遊び) 

2017年05月19日

花が枯れても

ベランダのささやかな緑が色を変えている。
ベビーサンローズはまだ緑が濃いとは言えないまま花をつけ始めた。
ここのところの気温の変化で植物も戸惑っているのかもしれない。
そんななか、春の花が終わっていく。続きを読む

takeyabu31 at 15:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 長電話(日記/告知) 

2017年04月17日

新学期

2017-02-28-11-23-11


お久しぶりです。
私はまあまあ元気にしております。

毎日のルーティンを構築中で、あれやこれや試行錯誤しております。

昨年度は夫タケヤマが現役最後の一年で学年を外れたため、給食がなく一年間、弁当を作りました。弁当を作るのはいいんですが、朝6時に出て行くのでそれに間に合うように作るというのが問題。5時半におきて味噌汁とおにぎり(もみ紫蘇と紅生姜の刻んだものをご飯に混ぜ、芯に叩いた梅干しを入れるというもの)と弁当を作りました。最初はそんなんできるんかと思いましたが、やってみれば何とかなるもんで、一年過ぎました。

今年度は給食があるのですが、早起きを続ければ?ということで今年も5時半起きを続けています。

一年続けて、二度寝しない日が少しずつ増えて来ました。そうすると午前が長いので色々やってみることになります。やっぱ午前中は脳の動く傾向が違いますね。

一週間の私の時間割。
なかなかその通り実行できないんですけど、大きめに図に書いて色分けしてボードに貼りました。

事前のメモ
一週間、一日 メモに書き出す。
実は、メモ帳の作り方を見つけて作ったのがきっかけ。
何冊も作ったので使い道を考えてという逆コースでした。
買い物メモ、ToDoリスト、予定表、見えるようにしておくといいですね。

おやつ断ち、ローカーボ化
健康のために間食をやめました。少しずつローカーボにしています。
もちろんこれまでも、何度もそう思ったのですが、できませんでした。今回は続いています。現在23日目です。タバコをやめた時も、ある日突然やめました。いくら減煙しても完全には禁煙できず、自分では買わなくても、時々もらいタバコしたりしてたのが、ピタッと止まりました。それと同じ感じ。

LINE社会科学講座
大人の若い友人たちを対象にものの見方考え方のようなものを伝える作業を始めました。週に一回、ネット上にテキストをあげ、そこからコメントを付けあってやりとりします。始めたら紆余曲折、蛇行して舵取りは大変。でも、こちらも学ぶことは多いです。

こうやって眺めてみると、何だか全部地道な作業です。
今はそういう時期なんだろうなと思います。

急がずルーティンを作って60代の生活を安定させたいです。

**************

写真はアロエの花です。
地味で質実剛健なアロエが見事な花を咲かせるもんです。

水族館劇場が東京に戻って来ます。
今週、行きます。楽しみです。
この世のような夢

四月から新しいドラマが始まってます
倉本聰「やすらぎの郷」
岡田惠和「ひよっこ」

どちらも非常にいいです。
両方とも毎日あるので、1日のアクセントになってます。

毎日の出来事の中で本当に嫌なこともいっぱいありますが
こうやっていいこともあります。
何というか、新しい試みや新しい人が見えて来ているように思います。
劣化したものが壊れて行くときに事故のように何かが起こるのは当然で
だから、嫌なことが起こってやだなではなく、良くないものが劣化することは当たり前、いいことだくらいに思いたいものです。

こないだ、元教え子が「パラダイムチェンジ」って何ですか?と質問が来ました。
彼女も同じようなことを考えてるんだろうなと思います。

**************

三月、四月は金欠の月
豆や卵や豆腐が多用されます。
あと一ヶ月、頑張ります。
うふふ。




takeyabu31 at 11:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 長電話(日記/告知)