苦しいとはどういうことか。

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どんな苦しみであれ、
それが共有されているといないとでは雲泥の差である。
共有された共苦であれば、それはほとんど苦しみではない。
それはともに乗り越えるべき課題である。

別苦、あるいはひとりの苦しみであるからこそ、
さらにいえば、共有すべきなのにできないと認識されるからこそ、
それは課題から、問題、苦しみへとなりさがり、肥大する。

だいじょうぶ?という声が出せれば、
お願い助けてといえれば、

ただそれだけのことができず、苦しみに浸る

どうしようもなくはない。
どうしようもなくはないのに、どうしようもない。

愚かだ。
愚かだとわかっていてもどうしようもない。

その状況に気付いたものは勇気をもって声を出さなければならない。
それが主体性である。

***************

今日のセッションはエンデの貨幣論について。
貨幣の問題はおもしろいとしみじみ思った。
使えば使うほど減る貨幣なんて、どうやって思いつくのか。
ゲゼルのエイジングマネーはほんとにファンタジーだし、
成功した地域通貨ももっと考えたい。
借り手が所有するというグラミン銀行もおもしろい。
発想力だ。
お金は大事だ。
それは関係を作るから。
でも、お金があることをめざす、そんな発想じゃだめだ。

それは、同じ権力構造で勝ち組になることを目指すのと同じだ。
勝つこと。それは現状維持だ。
かっちゃだめ、で、まけないこと。
それでしゅわっと勝ち負けを逸脱する発想をすること。

ほんとにかっこいいのはそれだ。


本日ゲット。
ピンクの綿棒
ありがと〜!!
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パプリカ

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冬ですね。
大好きな冬なんだけど
太陽光線が不足してて
土日のあいだ
動きがとれない。

でもまあ、ずっと寝るわけでもなくて
なんとか少しずつ動いてみる。

今日は
パプリカを見た。

すすめられて読んだ江頭の映画本江頭2:50のエィガ批評宣言江頭2:50のエィガ批評宣言
著者:江頭2:50
販売元:扶桑社
発売日:2007-12-14
おすすめ度:4.5
クチコミを見る

まあまあの本だった。書いてることはまちがってないんだけども、ものたりない。気合いで一生懸命。はい、うんうん。そんなほん。編集もそんな感じで、前半の対談のとこはごっちゃごちゃで読みにくい。まあ、それはテリトリーの差だろう。んで、そのなかにパプリカがあった。

今、平沢進がマイブームで、そのきっかけがニコニコ動画の作品だったのだ。
それ以来、いろいろ聞いてきた。
なかなかステキだった。あの空気感が好きだ。
生徒に聞くと、パプリカという作品もなかなかの評判だった。

そこで今日タケヤマに借りてきてもらって(自分ではいかない/ひきこもり)見た。
この今敏という人のを他には見てないのでなんとも言えないが、ウィキによれば、HALにいたギタリスト今剛と兄弟とのこと。ほぉ。



で、マトリックスと攻殻機動隊とブレードランナーと平成狸合戦ポンポコなんかのコラージュだ。
それと西尾維新の文体と共通するものもあった。ちょっとレトロな饒舌。
でも、
自我の遅延という問題は一番顕著に描かれていたと思う。

自我の遅延というのは
たとえば、バロウズがいうところの墜落していく自分をもう一人の自分が見ているだとか、
ランボーがいうところの「わたしは一個の他者なのだ」Je est un autre 英語でいえば「I is an other」というイメージ。
自分の中にある、しっくりこなさ加減といえばいいだろうか。
探偵が犯人を追いかけていて、犯人について熟考するあまり、自分が自分を追いかけているような感覚になり、そしてけっして自分を捕まえられない。そんな欠落感。現代人は、過剰適応や自分探しのあまり、自己像が揺らいでいる。そして、自分を自分の外においもとめ、追いついたらその次にはもう次の自分を欲する。そんなスカスカの自我の具象化には成功していたかなと思う。

ただ、それはあくまでも直観的な印象であって、世界観がきちんとしているわけではなかったかな。しかし、楽しめるものだったので。もう一回観て、他のも見てみようと思う。


さて。明日と明後日。
とにかく、そこだけはがんばる。
この土日、頭が低体温状態でほんとに動かない。
問題を解決できない、その問題の前にすくんでいる。
あるいは
手足を奪われている感、
さらに
永遠に「待て」を言い渡されている。

イメージとしてはそんな感じだ。
その自分もまた自分の内部であることは確か。

************

2号がゆかちんと映画を見に行った。
これです
http://www.ima-bokuwa.com/
見る価値のあるものだったと帰ってきた。
ふむ。

1号のインフルは全快。

今日の夕飯

鶏肉とネギの焼いたの。
大根とツナの煮物
ほうれん草の和え物

大根と豆腐とわかめのみそ汁

明日のセッションの準備をしなくちゃいかんが、頭動くのか。

切り傷

09112211


指が切れていた。
血が止まらない。

中指と薬指の付け根から第一関節の間。
外側にすっと一筋。
右手なんでずっと使うから、傷がふさがらない。

もう何時間もずっとずっと血が止まらない。

絆創膏を何度もはりかえる。

傷みはない。
ただただ傷が血を流し続けている。

絆創膏をまいたまま、水仕事もする。
洗濯物を干して、料理をする。
着替えて化粧して普通に暮らす。

あたらしい絆創膏ににじんだ血は、だんだんと流れていく。
わたしの血は日常のなかにまぎれこんでいく。

夕方、買い物にでた。
クローバーの道を通る。
初冬のこの季節になっても、クローバーは地面に逆らって緑の高さを保っていた。
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丈夫なんだなあ。ふと見とれる。
そのなかにはっきり一輪、花もあった。

見回せば、農地が住宅に転じたあたりの風景。
これまでこの地域の道は農道を整備して拡幅したものだった。
そこに一筋に都市計画道路ができたのだ。

この道は何を通す道なのか。
どんな思いを通す道なのか。

思いを通そうと大地が切り拓かれたのだ。

ちりちりちり
指の絆創膏がつれる。
わたしの思いを通そうと傷口がひらく。

「切通しを帰るんだわね、思いを切って通すんでなく、身体を裂いて別れるような。」(婦系図)

思いを切るのではなく、身体を裂く。
そうだ。思いがきれなければ、身体が裂かれるしかない。

傷はなんども現れるだろう。
あちらにもこちらにも。
ふさがらない傷口には思いがある。

思いを切れば病むだろう。
思いを通せば傷つくだろう。

クローバーは瘡蓋にさくのだ。


*************

昨夜、11時半くらいにかえって、マイガール。
なんとなく、朝生がはじまって、ぼんやりしてたら四時。
だめだよ、こんなことしてちゃ。
で、朝起きられず、おばあちゃんのディのお迎えで目が覚める。
ありがたいことに、おばあちゃんが自分で起きて準備してくれていた。
やれやれ。

その後、衛星で、新派120年の「婦系図」をみる。
波乃久里子のお蔦、片岡仁左衛門の早瀬主税だ。
きれいな芝居だった。


「切通しを帰るんだわね、思いを切って通すんでなく、身体を裂いて別れるような。」

この台詞は湯島の別れの場面だ。
そうだ、別れたんじゃないんだなと納得。あれは悲劇だと思ってた、お蔦は病死、主税は自殺だし。しかし、そうでもないのかもしれないとおもったことだ。だが、最後まで見られず。長いのだ。その長さに集中力がもたない。今日は外の天気はどうだったんだろう。猛烈に上がらない一日だった。

3時過ぎ、がんばって昔の友人に電話。
友人いわく「ああ、久しぶりだった。そのまんましゃべるの。いつもは薄めて緩めてしゃべってるもんね。」

一日、なんにもしてません。
今夜はこないだのピザをもう一回通販したので、それです。

このままでは頭脳警察行けない模様。
もう仕方ないかもしれない。

心配である

09112209


なにが。
みなみが。
だいじょぶか。

これはもう本気で心配である。
みなみがおぼえるべきこと、へたれ。

ああ、そうだ。
そうだな。
☆☆ちゃんの「うたれ」さんは
へたれの外化なんだな。
☆☆ちゃんも
へたれたりを自分自身で表現することが不得意なんで、
絵で量産するんだな。

みなみはそういう外化も禁じているふしがある。
いかん。

しかしへたれなさいと命じるわけにもいかないし、
どうやったらへたれられるんだろう。

へたれなんて、へたれたくなくてもへたれちゃうのになあ。
できない人にはむずかしいんだなあ。

わたしなんか、叶うもんなら一生へたれていたいぞ。
まったく。

**************

さあて、活動開始。
これから洗濯物を外に干して
(ひさびさ!!うれしい!!清々する)
夕飯の支度をして、
プリントのチェックをして
出勤。

へたれてたいぞお。
あ、薬とサプリ飲まなきゃ。

中休み日記


昨夜はふと思いついて、女子飲みを挙行。
せんづを呼び出す。
そしたら、ゆかねえに引き合わせたくなり、
三人で夜十時スタートの女子飲み。
痛快だった。
大笑いして言いたいことを言いたいようにいう
どう受け取られるかなんて気にしない。
相手が違って受け取ったらせいだいにわいわい言う。

すっきりして帰る。
ほんとにすかっと軽くなる。
こういうことは定期的にやらなきゃいかん。
お風呂に入ったり
うだうだしたりしてて、寝たのは四時。

でもなんとか午前中に起きて洗濯物干し
そして銀行へ、タケヤマの代理。
それからもろもろの用足しをして、そこらへんの店で、一筆箋や絵はがきを買う。当然、郵便局で切手も買う。無印良品であたらしいバッグインバッグが出てて気に入って買う。わたしは普段の鞄を結構変えるので、バッグインバッグは大事。荷物も多いし、あれこれ持ってるので、ないお鞄のなかがぐしゃぐしゃになってしまう。

さらに食べ物の買い物。
大谷青果店に久しぶりにいく。
その程度に元気が復活したのだ。
青果店の向かい側は理髪店だったのだが、
それが古本屋になっている。
最近小説を読んでないのでなにか買おうと入るも、あまりない。そこで岩波文庫の「春琴抄」と隣にあった亀井勝一郎の「恋愛論」、それから川原泉を一冊と、夢枕獏が選んだ少女漫画のアンソロジーを買う。レジにはメール便の封筒が山ほど積んであった。アマゾンかな。店員さんの指はスゴく冷たかった。

さらに二三軒先のリサイクルショップで「We wish your merry christmas」のオルゴールを買う。古びていてよい。

Good tiding to you!!
この曲大好き。

こんなふうに水曜を過ごせたらいいな。
ここんとこ、水曜、土曜は完全に死んじゃう日だったから。

その後1号発熱。
インフル。
でもまあ、体力あるからダイジョウブ。

ツリーをだして、机周りを片付ける。これがまあ、一仕事。
でも片付いてすっきり。

夕飯はビントロ中心の海鮮丼と具沢山のお汁。
みんなハグハグたべる。
テレビは相棒とギネ
どちらも「ひとりじゃない」がキーワード

そう人間はひとりだし、ひとりじゃない。
その使い分けがむずかしい。

つい最近
ある女性にわかってないですね、本気でやる気ありますか。
というような趣旨のメッセージをしたら、
見事な返事が返ってきた。
その返事が見事なんで、こっちもやる気がでた。

彼女が一人を覚悟したので、関係がつながったのだ。
そして彼女には自分が問題を引きおこしたという自覚があって、被害者意識に逃げないで、かつ自分はダメだダメだという過去に引きずられるのではなく、未来の困難をひきうけようとするから、関係がつながったのだ。

「問題を解決しようとしてはいけません。
 解決なんかないのです。
 死ぬまでわからない。あるいは死んでもわからない。
 問題を考え続け、感じ続け、働きかけつづけるだけですよ。」

このよびかけに見事に応えた。
立派だ。

なんて、つらつら書きながら、トイレ通いをしていた。
もう止まったかな。
自律神経が不安定。
気功の最初の呼吸法をやりながら寝よう。

あと、一週間で後期が終わる。
あとは緩やかにウィニングラン状態。
がんばるのはわたしではなく生徒。

おやすみなさい。


やすみ日記続き

09112211


日曜は早寝して、といっても12時をまわったが、
月曜日、朝のうちに起きた。
お風呂へ。

その車中のバトル勃発。
わたしと2号。
2号は外界に対しての感度低過ぎ。
自分にむけられた言葉に気付かない。
自分のなかにへたり込んでいる。
そのわりには、気付いてほしいオーラ出過ぎなのだが。
まあ、思春期特有の症状かもしれないが、わたしはそんなに優しくない。なんだ、その態度は!!ぷんぷんぷん。
だが、まあ、そこまで怒りを買って、そこでひきこもってしまわない程度には成長した。これは受験効果である。高3の時に9月の時点で卒業見込みがでなかった、苦い体験。これは大きかったな。で、ちゃんと、かあちゃんに話しかけてくるので、そこからびしっとダメだしをして、当初の予定通りソフトバンクショップに行く。2号の携帯をiPhoneに買い替えて、それからわたしの携帯の不具合を不定愁訴。いやいや、携帯屋ってなんでこんなに時間がかかるのか。

やはり携帯ってのは人間にとってよろしくない機械ではないか。
もうしっかり携帯依存だが。
(いや、ネット依存か)
道具は人間の延長で、機械は外化だという。
携帯電話は外化なのに、延長的使い方をする。そこがミスマッチなんではないかと漠然と思う。近すぎるのだ。機械のくせに。そうだ。携帯してる機械ってケータイしかないと思う。これはなんかやばそうだ。

その後、駅の西友に。
第三のビールを買いにいく。
  これ

検索して気付いた、大森南朋のCMではないか。
これ安くておいしいです。
西友では6本で700円いかない。
その値段以上にかなりおいしい。日々の飲みにはいい。
そのほかに大根やもも肉1キロとか買ったのでかなりの重さになったのを家までもって歩く。レジ袋だったので手が痛い。やれやれ。暑くなって上着を脱いで長袖Tシャツ一枚で。
帰ったらタケヤマはフリーを飲んでいた。なんだそれなら迎えにきてもらえば良かったな。

それから、昼寝。
起きて、洗濯物をもう一回干して、夕飯の支度。

昨日の鍋をみそ汁にして、タケヤマ希望のようこちゃんの生姜焼き(おふくろの味)それから拍子木に切った蕪の甘酢漬け、ブロッコリ。みそ汁がおいしくて男子チームは皆おかわり。

さて、どうすっかなあ。
東京ドッグスみるかなあ。
それともマッサージチェアにかかって寝るか。
どうすっか。
3日目になるとかなり頭もオフになる。

だって外化と延長を独立させてかかないもの。
これだよ。長く休んで、全体の緊張度をさける。これ大事だなあ。

(´Q`)。oO

TWITTERとMIXIとブログ

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最近、仲のいい友だちがTwitterに移行した。そしたら、ついこないだ、また別の知人がmixiいらねえとTwitterに移行した。そっかあ。そうかな。それぞれ、ブログもmixiもある人たちで、今日の日記のタイトル通り、Twitterとmixiとブログのことを,考えてしまった。

前の人はTwitterをmixi日記にまとめている。
後の人はブログにTwitterを貼っている。

わたしはねえ。
それぞれ別なので、別にやっている。

わたしにとってmixiは近所なの。コミュニティ。
だから、あれはなくせない。
わたしはなんというかな、コミュニティがないと日々送れないので、コミュニティの中で、何人かの人の暮らしを確認しないではいられない。それは家から駅まで歩く途中で、ベランダや庭を見るようなもの。今日も洗濯物干してあるなとか、庭の手入れいつも通りだなとか、新聞なくなってるなみたいなの。だからいつも朝イチで日記書くひとが書いてないと心配で、携帯メールしたりする。だいじょぶ?mixiのボイスで電車が遅れてるとか情報をゲットする。それも近所の感じ。夜の日記もそう。今日も無事にすんだね、よかったよかったって。ほんとにコミュニティだとおもってる。わたしのマイミクさんたちは、皆そう。皆会ったことがあって、どこに住んで何してる人で家族構成はどうでってだいたいわかってて、気遣いあってる感じなんだと思う。遠くて近い。その感覚にわたしはかなり救われてるなと思うの。わたしは自分からねぇねぇと出てくことはよほどでないかぎりないから、だから、ことばでつながった関係は非常に居心地がよい。だもんで、日記は基本マイミクのみ限定。

それにくらべて、ブログは不特定多数の人にむけて書いている。
毎日120前後のユニークアクセスがある。そのなかの何人の人をわたしは知っているのだろうか。指折り数えても二十名くらいの人しかしらない。その数のなかでも、かつては連絡を取り合っていたけれど、今はそうでもない方もいる。だから、やはりわたしにとっては不特定多数の人だ。その人たちにむけて書いている。ひとつひとつの記事は、わたしの日常のなかでリアルに種を持っている。(共感のプールはそうであるものもあればそうでないのもあるが)それを一般化して不特定多数の方々に共有可能な形にしようと思っている。

一説には、問題主婦は女が読んでるのか(笑)というのもあって、男性のコアな読者もありがたいことでおられる。だが、ふっとメッセージをくださるのは、発達障害のお子さんをもっているとか、介護中とか、その両方とか、離婚とか、とにかくさまざまな困難を抱えている方だ。100%そうだ。コメントをくださるのは、ホームページという頃から、やはりいろいろな問題を自立して考えて表現できる方達ばかりだ。世の中にはそういう方たちが点在しているんだなと思う。そしてふっとわたしの言葉が目に留まるのだと思う。

で、Twitterは、そのどちらでもなく。なんというか、ほんとにぼろっと「つぶやき」だな。きっかけは石井ゆかりさんが、毎日星占いを発信しているというので、それっとばかりに入ったわけだ。もうひとりかつて、Twitterみたいなソフトがあって(feecleとかいったな)そこですごいと思っていた短歌の方がいらして、この方ですがその方が、Twitterにうつったというので、入った。その方はいま、非公開設定(mixiのマイミクみたいなの)になっているので、読めないんだけども、それなら読みたいと申し込めばいいんだけども、それをしないのが、Twitterでるような気もする。雑踏のなかの呼吸。それを文字にするようなそんな感じ。

以前、こっそりアメブロやってたことがあって、そこでフィクションの散文詩のようなものを書いていた。読者を想定していなかったが、なんだか猛烈にナンパメールが来始めたので撤退したのだ。インターネットという巨大なビットの海で匿名でいたい。でもどっかにアンカーを降ろしておきたい。そんな感じがTwitterかな。

あ、でもこれはひとそれぞれの感じであって、わたしがそういう風に利用してるだけだろうと思う。Twitterは巨大な茶の間だという人もいる。そうなんだろうと思う。

道具なんだもの使い方はいろいろだ。いろいろに使えばいいと思う。

それと、なんといってもお子様がいないのがいい。
なんか大人の場所に子どもが入り過ぎだからさ。

*************

朝起きて、珈琲、洗濯物干し、買い物。
帰ってきて昼。
豆乳ラーメン。あったまります。
これです

その後、生活者ネットの議会報告会へ。
今年は2度目だ。6月議会も出たし、9月も出たことになる。
でるといろいろ情報はある。
都区内はプラスチックゴミの消却がすすんでいる。
(数字を忘れました。23区のなかで、13といったような気がするが不確かです)でも、焼却は3倍のCO2が出るそうで(また忘れました、なんの三倍なのだ?)それはやっぱりいかんわなあ。

なんで、こんなに数字を覚えてないかっていうと、悍の郵送作業をしてたの。封筒にいれて一筆箋を書いてって。でも、それを見とがめてそれ何?って方もいらして三冊売れました。ありがとう。

そのかわりに悪魔の囁きをするかたもいて、あはは。だめよ。千円でわたしの自由を奪おうってそれはないからね。いや、お金の問題じゃなくてムリはムリ。

その後下のデポーで、買い物してたら、まあ、AさんやBさんや、CさんやDさんや、まあ知った人ばっか。笑っちゃった。

今日の夕飯

鍋:ごぼう、大根、人参、ピーラーでそいで。
  あとは白菜と小松菜。エリンギと舞茸
  それから、肉団子(卵、パン粉、塩こしょう、片栗)

おいしかったです。
でも、この肉団子が。。。
ネギ類を刻んでいれなかったし、肉がスーパーのひき肉だったから、臭かった。男達は平気だったらしいが、わたしは臭かった。はい。

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クローバーの道にクローバーが残ってた。
すっごいでっかいの花が。
寒いのに。
クローバーってすっごい丈夫なんだ。
緑化にはぴったりだと今日の報告会でいってたな。芝なんて全然ダメだって。手間ばっかかかってコスパが悪いって。その点クローバーは丈夫って。

そうなんだ。そうかそうか。

やすみ日記

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金曜夜。
11時15分をまわってしまう。
マイガールを見ながらマッサージチェアとビール
その後、だらだらとテレビ。
あるいはmixinのアプリ。徐々に撤収の方向。でも、立つ鳥跡を濁さず、タイミングがあるからさ。これはクールダウンも兼ねる。
1時をまわってから、武田百合子の富士日記をもってお風呂へ。これはほんとにクールダウンにいい。ほんとに脳がやすまる気がする。おちついたシンプルな世界。迷いがない。淡々としている。主人公はほとんど一人で動き、一人で判断し、一人で実行する。感情に惑わされないのだ。いい気持ち。お風呂のなかでうとうとしながら読み進む。とうとう最後にがくっとなって本の下の方が湯につかってしまう。その辺が頃合い。あがる。寝る前のサプリメントをのんで寝る。

土曜日
朝、何度か寝たり起きたりしながら、おばあちゃんをディに送り出す。その後、珈琲、洗濯物を干して、ブログ更新。ベッドに逆戻り。うとうとうとうと。夕方まで眠る。

タケヤマが帰ってきて、飲みはじめる。
ビール1本。そのあと焼酎のお湯割り梅干し入り。

夕飯の支度
大根と厚揚げと卵の炒め物
モヤシとほうれん草と鯖缶の和え物
鶏の胸肉の焼いたの、ガーリック風味。

昨日の残り
蕪の漬け物、銀ダラの塩焼き。
胡瓜の味噌漬け、ピリ辛。

夕方の報道番組
医療と貧困の問題だった。
無保険者。
そのなかで、ひとつ悲惨な話があった。
マンガ喫茶で子どもを産み落とし、ポリ袋にいれて用具入れにおいた。そのせいで子どもは植物状態に陥る。そして救急搬送、親は保護責任者遺棄で逮捕。収監される。

昨日の日記にかいたかわいそうな男の人も、自己破産を申請すれば良かったのだ。この母親もだれかに相談すればよかった。今の日本にその程度の救済システムがないわけがない。

だが、それをできないのは誰の罪なんだろう。
当人の罪だけではないだろう。
周りの罪でもあるだろう。
彼らにかかわる多くの人が、すこしずつ無理をして変わっていかなければならない。この二人を救うシステムはあった。だが、そのシステムを使えなかった。彼や彼女のまわりに、このシステムと繋ぐ人間が存在したなら。彼も彼女のその子どものもっと違う人生があった。

テレビのなかの八ヶ月の子どもはかわいいパジャマを着ていた。しかし植物状態の子どもはまったく力なく、股関節も膝関節も脱力していて、ベッドの上にあった。なんとも。

くらしのなかには、あらゆるものが詰まっている。
その、あらゆるものをすこしでも前もって知っていること。
それが人生を分けたりする。

この前M校の女子たちが、先生はなんでそんなになんでも知ってるの?と聞いてきた。え〜?なんでもなんか知らないわよ。全然しらないって。ちがうよ、先生なんでも知ってるよ、何聞いたって答えるし、参考文献でこれ読めとかいうじゃない。そうかなあ、知ってるかなあ、いや、しらないと思うよ。知ってるの。知ってるの先生は。どうすればそんな風になれる?まあ、わたし程度ならアンテナ立ててればいいんじゃないの?自然に入ってくるよ。わたし全然勤勉じゃないもん、なんとなく知ってるのよ。それだよ、先生。先生は勤勉じゃない。でも、先生の知ってることってアンテナとかじゃない感じがするんだよね。そうかなあ。

まったくわからない。
わたしが何でもしってることなんて、まったくない。
生きるに必要なことを知るための枠組はあるかもしれない。
個人と社会のつながり具合。大まかなこと、だいたいは知ってる。
そこが基本になっているのかもしれない。

看取りのこともそうだ。
小林光恵さんの新刊がでた。
看取り講座のこともほんのすこし出ている。
死化粧の時 ~エンゼルメイクを知っていますか死化粧の時 ~エンゼルメイクを知っていますか
著者:小林 光恵
販売元:洋泉社
発売日:2009-11-21
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これも生きていくのに、知ってなきゃいけないことだ。

ただ、わたしは活動家ではないので、自分が生きていくこと自体に関わる範囲で、知り発信しているということだと思う。だから、たとえば、エンゼルメイクを自分の仕事としている小林光恵さんが、看護師のエンゼルメイクから、家族のエンゼルメイクへと拡大していくことに、わたしの活動が一助となる。問題主婦として、GJだと思う。

竹薮と看取りについては
プラグインからカテゴリー「看取り死化粧」へどうぞ。


夕食後、だら見のテレビは録画のギネ、外事警察から、単発のハッピーバースデーへ。今日は夜中に中森明菜があるんだよね。
BSでちあきなおみやってる。昔の画像だから、ひどい。でも、ちあきなおみ見るにはふさわしいか。

イマココ。






水で書く手紙

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手紙を書いている。
ペン先をインク壷にいれて、紙の上におろす。

お久しぶりです。
その後いかがお過ごしでしょうか。

でも、紙の上に文字の跡がのこらない。
まただ。またかけない。

書けないどころか、インクは水滴となって
紙の上をころころと舞う。しみさえしない。
わたしは何行か試みて、そして断念する。
紙の上の水の玉は美しい。きらきらと光を集め、発散する透明の玉。

この水玉をどうすればいい。

その水玉がいくら美しくとも、用をなさないそれを
わたしはいつまでも眺めてはいられないから。
さて。さてさて。

ある時は窓をあけ、空中で便箋を振り、
ある時は植木鉢のうえで傾け、
あるいは蒸発するにまかせた。

そう、わたしはもう何度もこの作業を繰り返している。そのたびに言葉は色と形をなさず、ただ水の玉となって紙の上をころがるのだ。

わたしはそのことに絶望もせず希望ももっていない。
あるいはあまりに深く絶望し、そのうえで希望もすてられないのかもしれない。いずれにしても、わたしはまた、インク壷にペン先を浸すだろう。なぜなら、手紙を書くことは、わたしの一部だから。その行為は繰り返される。

いつか。
そのとき。
それが来るか来ないかにかかわらず。

水で書く手紙
絶望と希望の彼岸

************

今週も週末になった。
なんとかまた一週間終わったな。
三連休だが、頭脳警察のドキュメンタリにいけるだろうか。
無理しない方がいいんだろうなと思いながら、ぼんやり。

昨日はマダムと一緒でいろいろとこの一年をふりかえりながら帰った。思うにまかせない。しかし、考えてもみよ。思うに任せようが任せまいが、やることに違いがあるわけではない。だったら、やるべきことをやるだけだ。楽しいか楽しくないかの違い、感情の問題だ。そんなもの、どこか他でどうにかすればいいだけじゃないの。そうそう、そうよね。毅然かつ従容としていましょうよ。あはは。

その後、さらに悲しい知らせがひとつ。
かわいそうな男。
男ってそういうとこ、不器用で越えられないのよね。
女でよかったわ。
女には、「おいしい、たのしい、かわいい」という武器がある。
長電話ねえねえとか、きゃ、なにこれとか、そう、ピンクとか。

そういえば、昨日、今泣いたカラスがもう笑ったの現場に居合わせた。ほんの一瞬で目に涙があふれ、その次の瞬間に猫型のポインタのかわいさを語っていた。やだ、なにそれ、かわいい!!みたこともないものを想像して、わたしはその涙の名残をみながら笑った。

ひとつ足そう「おいしい、たのしい、かわいい、きれい」は女の武器である。それらをいかなる時でも楽しんでしまう。それが武器である。

そういえば、マダムが竹薮にCherのトートバッグはどうだといった。
え、やだ、あれなんか、素材がチープな感じしない?
だから、それなりに使えばいいじゃないの。
だって、猫も杓子ももってるもの。
それがね、紺のはそうでもないわよ。で、ハートがピンクなの。
ちょっと赤みのあるピンク。どう?いいとおもわない?
そうかな。
いいと思うよ。

なんかマダムからもピンク来そうだ。

さて、今日はどうしようかな。

がんばれじぶん

もうちょっと、もうちょっとだ。
仕事は12月1日に終わる。そのあとちょこちょこ補講だのなんだのがあるが、夏期講習とちがって冬期講習はかなり楽なので、ほんとにあとちょっとだ。

今年は脳が明らかに弱っていて、
飛ぶんだ、しゃべりながら。
寝ながらしゃべってることもあったりするんだけども
しゃべりながら飛ぶ。
それと生徒の名前を言い間違える。

でも、一生懸命やってるんだよ。
一生懸命なんだけどさ、でも飛んじゃうの。

だんだんメカニズムがわかってきた。
睡眠不足が一番いけない。
あとは、換気も大事。
換気できないとやばい。

しゃべってると、いわゆる予測変換みたいに、最初の音から次の音を予測してしゃべっちゃうようだ。ある程度辞書機能が働いて、微調整するんだけど、明らかに逸脱した言葉を言ったところで、我に返る感じだな。いやコンピュータのシステムってのはやはり自然にアナロジカルに脳と似るのか、あるいは、わたしがアナロジカルに理解しているのか。しかし、何がなんでも寝ないといかんと実感する。まったく。

年をとるごとに自己管理が重要になる。
ほんとに気をつけよう。

ふう。

だから、今朝は朝イチで
トールキャラメルマキアートライトシロップショット追加を投入。
わたしが行くとこには全部スタバがあってほしいなあ。
そしたら、胃に来ちゃって。
かつ教室のわたしの席のあたりが、エアコンの風が直撃で
胃が冷え冷えになっちゃって。

お昼に弁当持ってったんだけども、
昨夜のハンバーグつめていったんで、これまた胃に来て。

あったかいお茶飲んであっためた。

でも夕方にはお腹空いて、迷ったあげく
ampmでドリアにした。

なんとかがんばって授業して
必死に帰って「不毛地帯」をみる。

主人公の壹岐正は周りの人全員から、
「あなたにはわたしの気持ちはわからない」といわれる。
なんたる不条理。
そんなことお互いさまじゃないの。
だれがだれの気持ちがわかるのか。
ねえ。

誰も見下ろさない。
誰からも見上げられない。
それがいいよ。
見上げられるの大嫌い。
見下ろすのもいや。

嫌いな人も見下ろすんじゃなくて
う〜んと遠くにいってほしい。
なんだかなあ。

さあ、お風呂入ろ。
寝ます。

*********

今日の夕飯

楽天でかったピザ
おいしかった。これで宅配ピザは卒業だな。
これです

http://www.rakuten.ne.jp/gold/nampoodo/

空は

0907042

コスモスも終わってしまった。
冬のような冷たい雨が何日も降った。

そのなかを傘をさして歩いていたのかどうか
濡れたのかどうか
記憶がない。そんなふうにすごしていた。上の空。

そうか、ここ何ヶ月もわたしは上の空だったんだ。

そして今日。

いいお天気
絵に描いたような雲が
ふわり
空に浮かんでいる。

きれい。
うすい青にちぎれたような白い雲。

ひさびさに晴れた。

カーテンをあけて、部屋に日射しが入ると
窓がしまっていても
外が流れ込んでくる。

空はわたしのために晴れたのではない。
雲はわたしを慰めようとぽかりと浮かんでいるのではない。
ただ、空であるように、雲であるように、そうしているだけ。
だが、わたしに流れ込んできた。
水が低いところに流れるように。

そんな風に、そこいらじゅう全部空と雲だ。
そういえば
太陽の光は過去からくる。
わたしは未来なのだ。

そうか。そうか。そうか。

人-間というものはそういうことなのかもしれない。
だれかに取って人-間は外部だ。
あるいは過去だ。
だれかの外部や過去であるわたしは、
ただ人-間としてあればそれでいいのだろう。
だって空や雲だから。

べつに届けようと思わなくても
ただ、人-間としてあればいいのだ。
空は空らしく、草は草らしく、木は木らしく、花は花らしく、
菜っ葉や芋や肉や魚のようにそれらしく。
わたしも。

結果はでる。必ず。
それを知ることができなくても。

悲しみにくれることはない。
喜びに溢れることもないだろうけども。
希望と絶望の彼岸というものがあるのだ。
そういう人-間

早い話が、それを「よろこべ」と、いうのだろう。

深呼吸しよう。



歌われない歌
ひかれないギター
送られない手紙
読まれない本

I never believe
that you will not come home

love never known
you、never forgotten

忘れるということ自体が忘れようが忘れまいが無意味なんだ。
空が 空で ある限り


*************

冷蔵庫が壊れました。
製氷室が不具合なんで。
修理の人が来て、いろいろ情報を提供され、選択肢は三つ
1、修理しないで冷凍室に製氷皿をいれる。
2、修理する。
3、買い替える

3はないとして、1か2は一か八かでした。
2を選ぶと技術料が発生し、かつスカかもしれないので。
で、えいやっと2を選択、セーフでした。よかった。

保護司の仕事の後始末、市役所の人がわざわざ来てくれました。
ありがとうございます。ほんとに申し訳ない。

ばあちゃんの後発白内障の手術。
レーザーをあてて、簡単に終わる。面倒な目薬もなし。
http://ganka.com/diseases/aftercat/aftercat.html

問題はばあちゃんがわざわざ遠い医者まで行きたがること。
まあ、その程度のわがままはよしとする。
で、電車に乗って出かけた。

あきらかに高齢者なので、駅のエレベーターや道などで見知らぬ方に親切にしていただくのだが、ばあちゃんはまったく無視。ありがとうもなにもない。つまり、まったく外環境としか意識していないので、目にも見えないし、聞こえないのだろう。見てて、視力とか聴力とかではなく意識の問題だと思った。

高齢者がワガママとか無礼だと思うことがあったら、ひょっとして、気がつかないでいるのかもしれないと、思ってみてほしい。気がまわらないのだ。

帰りに、この駅ではたこ焼きがあるんじゃないかと言い出す。
なに?食べたいの?うん。じゃあ、買って帰ろう。ひょっとしてお腹空いてる?ちょっと。じゃあ、おそばもあるよ。おいしいおそばだよ。半分しか食べられないからいらない。ああ、そうか。じゃあ、たこ焼き食べてく?食べるとこあるの?あるよ。じゃあ、そうする。と、なにやらうれしそうな気配。あはは。タケノコたちにお土産買って、銀ダコの一舟を二人で食べる。八個入りを四つずつ食べた。満足そう。

見えるようになったので、あちこち見回してあれ何?これ何?と聞く。いわれてみると、たしかにいろんな不思議なものがある。あはは。普段、必要なものしか見てないなあと実感。

見えるようになった日の空が、なかなかドラマティックで良かったな。

今日の夕飯
ハンバーグ(ダイストマト煮込み)
じゃがいもとサツマ芋のサラダ
コールスロー

今日からウチのコーヒーは noel です。

あふあふ日記

1251855989_37s


だからさ。
帰ってきて、自分の席にすわるじゃないよ。
そんでPCをひらいてふらふらするじゃんよ。

で、読むでしょ。
そしたら,頭にいろいろ浮かぶけどもさ、
そのゲル状のものに形を与えて、
相手にむかって返すってのができないわけよ、
この時間だともう。

だれか、
いや、みんな
わたしの頭のなかから勝手にもってってくれればいいのに。
なんでも好きなもの勝手にもってってくれればいいのに。

電脳の海にコネクトしたら、
自我はなくなるのかなんてことは思わない。
なくならないと思う。
自我の輪郭なんて、もともとあやふやなもんだよ。

端っこほつれてるよ。
実感する。

だからさ、好きなとこドラッグしてもってきゃいいのよ。
減るもんじゃなし。

ああ、
そう考えれば、コアなわたしから拡散して薄まって
その端っこは海にとけて
そか。
おちなくてもいいんだ。

あは。

だからわたしは、脳内の想念とは別に、
洗濯したり、授業したり、できるわけだ。

自己というミルフィーユ。
ああ、ミルフィーユじゃないなあ。
だって重層なだけじゃないもん。

なんていえばいいんだろ。

まあ、まあ。まずは(´Q`)。oO

責任と自己実現

0907043


いろいろと思うことがある。
わたしは有名になんぞなりたくない。
まったくなりたくない。
そんなことしたら、自由がなくなる。
気楽でなくなる。

顔を出すのなんかまったくいやだ。
裏でこっそりがいい。

だが、そうでない人もいる。
これは事実なのでみとめなくてはならない。

なんといっても仕事はできなきゃいけない。
サークル活動じゃないんだから、がんばったけど無理でしたじゃこまるんだ。そこが責任。それをかんちがいしてくるひとがいるから、こまる。そのひとは善意だ。仕事を達成することを望んでいる。そのことが大事だとわかっている。だからこそ達成感もあるのだろう。その気持ちはわかる。だが、どうしても自分が先に出てしまう。

おそらく達成感というものが動機になっているのだ。
自分の力を確認することの心地よさが大事なのだ。
心地よさを味わうことが足りてないから。
一般的にはそうだろう。

だがほんとに足りてないのか。

十分足りてても、一度味をしめてそこばかりというのもある。
そういう場合も少なくないように思う。

聞くべきもの、見るべきものは、
大抵の場合、聞いたり見えたりしないものだ。
聞こえないものを聞き、見えないものを見るためには
自分が前にでるとできない。
自分になにができるかとか、自分がなにをやりたいかということが前に出ると、聞こえないもの見えないものは遠ざかる。そして悪循環がはじまる。

自分を大事にすることは、それこそ大事だけども
ケースバイケースなんだ。
ごく一次的な近い人間関係においては思うままにふるまえばいい。
でも、そうでないときは、
自分を第3者、あるいは無人称の位置におくことが大事だ。
空気になって黒子になってタイムリーに動く。これが仕事の理想だ。

なかなかできないんだけどねえ。

吐息。

***********

完全に睡眠不足
眠い。

今日の夕飯
ネギトロ(好評だったので、ふたたびお取り寄せ)
ほうれん草と白菜の和え物
塩味の肉じゃが

うう。マジねむい(´Q`)。oO

ピンク日記

1308995294_161s


ROMのみなさま
サイトのデザインがころころかわって
驚かれていることと思います。

前のはなあ、自分でもちょっと納得いかず、そのもひとつ前のの方がも,もちろん好きだったのですが、とりあえず変えました。どうしてかというと、

ピンクだったから。

なぜピンクかというと、わたしのまわりにピンク包囲網があるから。
まあ、でもその、前のリポンのはあんまりだと思って、今日ライブドアのデザインのなかを延々さがしました。ライブドアってデザインは貧困。というか、ない。ニフティーのココログなんてほんとにステキなデザインがあっていいなと思う。大人なんだよな、デザインだ。

ともかく、その包囲網によれば、
ピンクは鬱に良いのだそうだ。
癒しの色なのだそうだ。
で、言葉でピンクがいいというだけでなく、ピンクのグッズが送られてくるのだ。

ピンクのハンカチ、ピンクのクッション、ピンクのマグネット、ピンクのメモ、ピンクの入浴剤、ピンクの加湿器、ピンクの。。。。。で、それらを包装してある紙や袋類も見事にピンクである。
まあ、世の中にはピンクってすごくあるのね。驚くわ。

だもんで、洗脳されてしまう。

手帳をピンクに変えてしまった/はははははは。
ショッキングピンク

周りがそう思うほど
どうも、わたしはくたびれているらしい。

自覚症状はある。
鬱の波が来た時に抗いがたいものがある。
感染症にかかる。
自分がキープしているラインが守れない。
(たとえば、乾燥機をつかわないで干すということ。
 これを譲ってしまう。)
そういうことが一杯あるのだ。

去年は出来た。
しかし、今年はできない。
とくに秋になってから、顕著だ。

だから、休もうと思って休まないとダメだってことらしい。

わたしの場合、脳を休ませるってことが一番なんだが、起きてると休みなく脳内検索してしまうので、寝るか、どうでもいいことに脳を明け渡すしかない。それがテレビだ。どうでもいいもの。あまりにくだらなくて辟易せず、適度に刺激的で、思考、分析対象にならないもの。それがいい。相棒などは最適であるのだ。でなければ寝る。

先週末土日2日間、ばっちり寝たらお肌の状態のいいこと。

それを脳にするためには、今のわたしにはどのくらい寝る、あるいはB級ドラマが必要なのだろうか。

などといいながらピンクグッズをながめている。
わたしのテリトリーにはなかったものだ。
半世紀の間なかったと思う。
子どものころからなかった。
グッズも服もだ。
わたしは小さいころから自分の好みがはっきりしていたので、母はデザインや素材をわたしに選ばせていた。記憶にある範囲でピンクはない。赤やオレンジ、紫はあったが、ピンクはない。ランドセルは黄色で、筆入れは赤かった。せいぜい譲って、サーモンピンク、肌色にちょっと朱の入ったもの。だから半世紀なかったものがあるわけだ。

これも防衛線がゆるんでいるのかもしれない。
でも、信頼する人たちが、そうしろというのだから乗ってみてもいいではないかと思う。というか、遊ばれている。いいことではないかと思う。

休む。
わたしは得意だったはずだ。
一日中からだを縦にしないなんて普通だった。
子どものころから、何もしてない時はごろんところがる。
しかも床に。
夏は鉄平石の廊下に転がるのが好きだった。
涼しいところを知っていて、そこにころがる。宿題をするのも本を読むのも床。結婚して、わたしが台所の床に寝そべるのをみて、タケヤマがおどろいたっけ。冬はもちろん炬燵だ。今の家は床暖があるので床。これも非常に気持ちいい。でなければソファ。椅子とか座布団とか布団とか、そういう然るべきところではいけない。床とか廊下とか、座るのも階段とか好きだ。つまり日常の圏域から離脱するってことだと思う。

休む。
そのとき自分のことを考えてはいけないので、本とか漫画とか、なにか脳を占拠してくれるものが大事。寝てたらそれでいいのだけども、きれいな景色もいい。空とか草木とか。そしてそういう風に何かに自分を明け渡している時に、ふっと言葉が降ってきて、問題をすとんと納めてくれる。

母がよく「日にち薬」といってたが、時間が解決するというのは休むということなんだろうなと、今思う。休まないと日数が経ってもだめなんだろう。

休み時間。
仕事の合間。これも大事。
女のいない職場は休まらない。まあ、気のきかないというか、アホな女じゃこまるが、上手に天気の話ができて、常識のある女。できれば冗談のひとつもいってほしいのだが、そういう女がいると休まる。神経がほぐれる。M校はばっちり、T校もまあまあ、Nには絶対いきたくないね(笑)同僚の女も大事、マダムはいい同僚である。迎合せず、違いは違いとしてみとめ、敬意を払う。そんなだ。そのほか、後輩にあたる若い理系の女子たちもいい子たち。さばさばしていて楽しい。

休むは捨てる。
捨てなきゃ休めない。なにかやってから休むんじゃなくて、思い切って止めて、捨てて休まないとダメな感じもある。

休むホーム
家がホームでないのはきつかろうと思う。
わたしなどヤモリ/家守なので、家が一番。
自転車と徒歩の圏内が一番だ。
最近はインターネットでなんでもお取り寄せ可能だし、ネット上の人間関係に非常に満足しているので、家が一番。

高くておいしい他所のご飯よりそのあと、ぱたっと寝られるお家ご飯が一番。で、家族相手に愚痴言ったり、からかったり、いたわられたりするのが一番だ。あとは、寝てるかあちゃんに話しかけないで。これだけ。

というわけで、早く終われ、今年の仕事。
2月、3月はきっちり休むのだ。
その間にあれもやろうこれもやろうなんてのはなし。
ぼーっとする。

そうでないと波にのれないから。

****************

朝から、衣替え。
ベッドリネンの洗濯。いい天気だから。
日曜なのでベランダに干せるから。

それから、
細々仕事。
郵便をだす。メール便。悍をおくる。

それから、生協のデポーにお米を取りにいく。
夕飯は
ハンバーグ
ポテトサラダ、
コールスローサラダ
そうなるとコーンポタージュか?




のはずだったのに、衣替え、リネンの洗濯まではよかったが
タケヤマがリビングの模様替えを始めてしまった。
だもんで、派生的にわたしもやる。
で、それはキッチンに波及し。。。。

これって、&%$の時の”#$だよね。とか、
これは$#”だけど、あの’&%はどうしてるだろうかとか。
まあ、ここも越してきて10年以上たつわけで、なんやかんやあるはな。
盛大にすてました。

疲れたぞ。
懸案がいくつかかたづいてキレイになったが。

つくれるのか飯?

い、いかん。


加藤和彦の続編を早く書くようにとリクエストもらってたんだった。
いかん。
書かなくちゃ。

とだけ書いて、家事にもどる。
今日は晴れ。

わたしたちの更新

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わたしはわたしを終えようとしている
これまでのわたしを終えようとしている。
それは
わたしの結ぼれを更新するということだ。

わたしは
わたしを成り立たせていたわれわれを
終えようとしている。

まるで幽体離脱のようだ。

いやちがう。
わたしは墜ちていくのかもしれない。

自我は波頭だという。
沖から浜へ押し寄せてくる波。
それは一つの波頭ではない。
水はそこで上下しているだけだ。
沖から浜へひとつの力が加わって、次から次へと水を押し上げているだけだ。一つの波と思われているものの中身はどんどん入れ替わっている。次から次へと別のわたしがたちあがっている。

わたしは、
断続的にすばやくスイッチする頂点にサーファーのように乗っかっている。

わたしはそこから今、自覚的に墜落しようとしているのかもしれない。そしてそれは自我の喪失ではない。そのように理解している。

波の上から海のなかへ
両手をひろげて空をみながら墜ちていく。
質量をみたした水のなかへゆっくりと墜ちていく。

からだをひらいてうんと伸ばして
その質量に同化していく。

そこは、浜にいたらなかったもの
陸にならなかったもの
全てを生み出していながら後にのこされたものの世界だ。
残念さの液化したところ、それが海。
だが
そここそがユートピアである。


「できなかったこと」
それが海への切符だ。
涙にくれ砂をかみ波頭の上で危ういバランスをとりながら
墜落のタイミングをはかる。

わたしの残念さは海のなかでどのように見えるのだろうか。
液体残念のなかで わたしは
わたしは 自分をひらいて
ひらいたなかで 
残念さで交歓する。

分けあいながら、そこから空を見上げてみよう。
いつか沖の方からまた意思のような力がくる。
そのときにはまた立ち上がって大気のなかに顔をだし
浜を目指してみよう。



さよなら、さらば。
おさらばでございます。

はらり。

****************

ひさびさにお家ご飯な感じ。

今日はほんとうになんにもしていない。
せいせいするほどなんにもしていない。
起きたのは午後の1時過ぎ(爆)
ここの更新もしようとおもってたのだが、我が家のAirMacがご機嫌ななめで、3時頃ようやくつながった。それまで買い物しただけ。なんとなく片付けて、6時ごろからようやく夕飯の支度。

鶏の唐揚げを1キロ以上あげました。もも肉4枚にむね肉2枚
それに大根の間引き菜と厚揚げの炒り煮
ターツァイとセリと大根のスープ。

家ご飯はおいしい。
よっぽどおいしいものでないなら、行って帰ること、とくに食べてから帰ってくることを考えたら、家ご飯がいい。自分でつくって自分でたべるけど、自分の好きなようにつくれるので、家ご飯がいい。

そのほかに昨日の残りの高野豆腐と椎茸の卵とじ
鮪漬けなど。

さあ、お風呂入って寝よ。
何もしない日。
何でもない日、おめでとう。





PANTA日記

IMG_0273


PANTAの話である。
今日は一日ぼんやりyou tubeみながらぼんやりしていた。
で、わたしのPANTA史を書こうと思っていた。
PANTAそのものの説明ではなく、わたしのPANTA史を。

でも、なんかもったいないので止める。
思い返して見ると、
わたしのPANTA史は男友達の記憶につながっている。
で、それはなんというかな、ある意味大事な記憶だ。
だから、大事にしようと思うわけだ。
うふ。

最初から、わたしはPANTAを知っていた。
それはメディアの情報によるものだろう。
それは中学生のころ。
それから、40年だ。
その40年ずっとなんらかのタイミングでPANTAがわたしの前に現れる。
それがいいじゃないか。

そして、今年はゆかちんがそれを運んできた。
そこには意味があると思う。
ゆかちんはそれと知らずに運んできた。
でも、近くにいるのだ。
そこが大事だ。うん。

さて、40年だ。
最初はここだった。/ふざけるんじゃねえよ

この曲は今も時々歌う。

それからこれだ。/裸にされた街


これも好きだった/ステファンの六つ子


さらに/屋根の上の猫


永遠の名曲/さようなら世界夫人よ


今日発見した故どんととの楽しそうなセッション/悪たれ小僧


こうやって聞いていると、自己を歌った曲は一曲もない。
自分自分という肥大した自己がない。
それが気持ちがいい。

書かないことにしたいくつかの記憶。
これはわたしの出会いの記憶だ。

ある人物とわたしがPANTAを介して出会う。
それは偶然だが、100%の偶然ではなく、三者が三様にその位置をキープしていたからだと思う。お互いに無自覚にそれまでの時をシンクロしているからこそ、出会うのではないか。

そんな風なことを考えながら、公式サイトをみたり、動画をみたりしながらぼんやりしていたら、せんづから着信三件。おやおや、よほどいいたいことがあるらしい。なんだろう。

で、夕飯の支度後、コールバックしてみる。
はたして。
そうかそうか。そうだったのか。
その話はせんづとわたしにしかわからない話だ。そりゃ3回かけるわな。で、それは人間関係をつないだ話だった。5年ぶりとかだって。その5年ぶりをやったって。

人間関係はつながる時はつながる。
その人がその人らしく生きていて、わたしがわたしであれば。
そしたらつながる。そんな風におもったことだった。

せんづ GJ

わたしは、だから、失うことを持ち続けよう。
わたしはわたしたちであるから。

**************

ピンク攻勢続いている。
その他、今日はみなみから柿が来た。
旅先から送ってくれたのだ。
でっかい柿でおいしかった。

今日の夕飯

肉じゃが(牛肉で)
肉団子の具沢山スープ
(蓮根とネギを刻み込んだ合い挽き肉の団子、大根、人参、ごぼう、白菜)



頭脳警察日記

暴力燦々


ちょっとおねえさん、PANTAよ、PANTA。
しらなかったわよ。どうすんのよ。
この土日寝込んでる場合じゃなかったのよ。
奥村さんの映画にいっても間に合ったのよ。もうどうすんのよ。

やだ、どうしよ。
きゃ。

と言う気分である。
こういう映画が出来たのだ。


で、それが、先週の土曜日から公開になっている
三部作だ。今週中は一日で三本見られるのだが、
来週からはレイトショーである。

内容はここ
http://www.brain-police-movie.com/

PANTAは、わたし、デフォルトなんでもう絶対MUSTなんだけども、
いったいどうすればいいんだろうか。
考えられない、きゃーきゃーきゃーきゃー
頭の中をキャーが飛び交う。

今日、ゆかちんがM校の授業の引け時をねらって、ストーキング。
ピンクの袋を抱えていた。できゃぁの。
んでもって、ピンクでわーわーいってたら、
ふっとテーブルの上にちっこい三つ折りのフライヤ

なにこれ!!
え?なんだろ、どっかでもらったフライヤの落とし物かな。
PANTAじゃないよ。
なによこれ。

ああ!!

でもしばし、ゆかねえとガールズトークして、帰りの電車のなかでしげしげとフライヤをみる。ああ、PANTA。最後にライブにいったのは、頭脳警察再再結成後の渋谷AXだ。公式サイトによれば2001年。もう8年もまえ。2号はまだ小学生、1号も中学生である。いやいや。その前は多分結婚前なのでもう25年以上前。どうしましょ。いや、たんに個人的感慨なんですけどね。

わたしにとってはピンクもぶっとぶ頭脳警察です。
頭脳警察とはなにか、まあ、ご存知ない方は検索してください。
世界革命戦争宣言でデビューしながら、

頭脳警察 1(ファースト)頭脳警察 1(ファースト)
アーティスト:頭脳警察
販売元:ディウレコード
発売日:2001-06-30
おすすめ度:4.5
クチコミを見る

かの橋本治先生とKISSたらいうあんまぁ〜いアルバムを作って周囲の目を点にした方でもあります。

KISSKISS
アーティスト:PANTA
販売元:インディーズ・メーカー
発売日:2007-08-08
おすすめ度:5.0
クチコミを見る


このアルバムが出たときは「いいとも」のテレフォンショッキングもでたのよ。橋本治氏からの紹介だったと思う。

いや、もうね、PANTAについては、稿を改めて書きます。
一刻も早くお知らせするための記事をアップです。
ROMのみなさんで、PANTAが好きという方きっと多いと思うので、
ご存知ないといけないから。

そうこの記事、単なる告知です。

**********

さて、上のピンクの話。
これ現在、mixiの内部で局所的にしずかな盛り上がりを見せている竹薮にピンクを持たせる運動というのがありまして。
昨日は雀ちゃんにストーキングされ、今日はゆか。
そのうちキャロがどっか〜んとなんかやらかすんじゃないかと思ってるんですが、まあ、その、ピンクが鬱にいいそうで、で、ピンクのものを持てと。そういうことです。

だから、PANTAとか頭脳警察とかの記事を書きながら、近々サイトのデザインがピンクになるかもしれません。あはは。笑ってやってください。わたし、人のおもちゃになるの好きなんです。上手におもちゃにしてくれる分にはよろこんで遊ばれます。上手じゃないと引っ掻きますが。


今日の夕飯

大根と水菜と油揚の煮浸し
蓮根とピーマンとコンニャクのきんぴら
ねぎとろ

写真は再び『悍』
みなさん、もうお買い求めいただけましたか。
日記が頭脳警察なんで「暴力燦々」にしてみました。

MSG/君じゃなくても

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それが君じゃなくていいということはね。
君がどうでもいいということじゃない。

その人は君とでなくてもできることを
君としようとしている。
そっちが大事なんだよ。

巡り会ったことの意味は
わかりそうでわからない。
ふしぎだねえ。

わたしたちのめぐりあいもね。

*******

風邪。
薬が切れるとぶり返す感じ。
まだまだ寝ますが、
とりあえず片付けないと悲惨。
3日分の洗濯物たたみ
今、今日の洗濯物干し終わった。
ベッド周りを片付けて、次台所行きます。

夕飯はパス。
各自勝手になんか喰ってくれ

風邪日記

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昨日からくしゃみが止まらず。
しかし、熱もなく喉も痛くないため、秋花粉デビューかと思っていたら、夜になってだんだん熱っぽくなってきた。

学期中に風邪を引くなんざ、ないことである。
風邪を引くのは2月、3月。
せいぜい年があけてからだ。
引いても、熱などはでない。風邪っぽいなあくらいである。

こんなに引き込むなんて。

先だって月曜に体調を崩していらい、飲み物は白湯にしている。
内蔵を暖めるため。それなのに。

まあ、ひいてしまったものは仕方ない。
背中とお腹にカイロを貼り、葛根湯をがんがん飲み、白湯ではなく生姜湯を飲む。で、今朝になっても好転せず、医者へ。

朝イチで行けば良かったが、ぐずぐずしていて、11時前につく。とんでもない混み方。一旦家に帰るかと思ったが、それも面倒くさく、ずっと座って待っていた。2時間。わたしの診察がおわったのは、1時半。それでも十人以上残っていた。全部おわるのは3時近かったろう。大変なことになってるな。

インフルエンザだけでなく、風邪もはやってるのだ。

薬を飲んで、カイロ、水分、ストレッチ、リンパ刺激などの作戦を実行。そのあとただただ寝る。眠れるので、眠るだけ寝る。汗をびっしょりかいて起きる。現在だいぶ軽快した。よしよし。月曜なんとかなるだろう。よし。

2時間の待ち時間で気になったこと。
子どものお行儀。
小児科ではなく耳鼻科である。ぐったりしている人も多くいる。
それなのに、よろしくない振る舞いの子どもが散見された。一見、親は子どもをよくケアしているように見えるのだが、子どもの振る舞いへの線引きが甘い。弱っているわたしにはかなり辛抱がいることであった。
老老介護と思しき夫婦
二組。両方とも夫が妻をであった。一組の妻は失語症とのことであった。もう一組も妻の不安が強く、同じことを何度も何度も夫に確認していた。団塊女子のメンタリティーに一般化してはいけないのだろうが、しかし、普通は女という種は強いのだ。心配だ。60代と思ったな。お大事にと心のなかでおもって見送った。

あれらの親子や夫婦を支える人ー間があれらの人たちの周りにありますように。

人ー間に支えられていない人は、目の前の人間に執着する。
そして閉じた,二人だけの人間関係になってしまう。
それは重いし、関係のエネルギーを奪う。

関係をひらくこと
ひらいていれば、失語症にも夫にすがることにもならなかったかもしれない。ひらいていないかったから、悪くまわる。

自立とは人ー間に支えられるということだなと、二人きりの夫婦をみて思う。

医者から帰ったら、ブロッホの本が2冊届いていた
「ユートピアの精神」と「異化」
そのほかにピンクの二枚のハンカチが届いていた。
苦しみながら生きている小さい人からの便り。
ささやかだが、しっかりした人ー間である。

今日は奥村さんの舞台挨拶の日だった。
今日は特別大事な日だった。
行くべきだった。
でも、この体調では行けない。

そしたらmixiのvoiceにまいちゃんの書き込み
奥村さんに会いに来たぜょ。 早すぎた為 スカしたカフェで悍読みますゎ。
スカしたカフェで悍読むってのがまいちゃんらしい。
奥村さん元気だった イカすぜ じぃさん
そうか。よかった。ありがとう。まいちゃん。奥村さんの人ー間である。

さて、また薬飲んで寝ます。

皆さんも風邪には気をつけて。

ここは

主婦が元気になるためのブログです。今時、女と女を支援する男しか当てにならない。全てのドーラに連帯のエールをおくります。

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