2017年08月24日

解体しない中間集団、ソマリ人の氏族

新政府パスポート


夏期講習の講師だまりで、仙人と呼ばれる先輩講師が
「竹薮さん、これ知ってる?ふぉっふぉっ」と ↓ の一冊を紹介してくれた。
こいつの本は面白い。前から知ってけど、文庫が出たので買ったんだと。

仙人のいうことなら間違いないということで早速図書館で予約して入手。
キャンプに持ってった。

あまりに面白かったのでタケヤマにも勧めたら、
なんとタケヤマが一週間かからないで読んじゃいました。
これは画期的に早い。

それがこれ。


これ本当に面白かった。


この本、単行本で500ページを超える本。四泊の旅なら、これと小説の2冊で上等のはず。だが雨のため、ただただテントサイトで読書にあいつとめるしかなく、面白さもあってどんどん読み進む。しかし、そんなに進んだら読むものがなくなる。キャンプ場はWi-Fiがないので、青空文庫という手もつかえない。そこで、天気予報を確認しながら、面白いのに読み進まず、あえて丁寧に丁寧に行きつ戻りつしながら、二泊三日で熟読した。この種の本をこんなに丁寧に読んだのはここんとこなかった。

タケヤマは早速、文庫を買うと決断、高野氏がクラウドファンディングするなら即乗るといっている。それほど面白かったのだ。

ちなみに、タイトルの「ソマリ人」というのは「ソマリア人」の間違いではない。
ソマリアの「ア」は土地の意味。ソマリア=ソマリの土地。だからソマリア人ではなくソマリ人で良いわけ。へえ〜〜〜。これもこの本の中に出てくる。とにかく面白いので是非是非みなさんに読んでいただきたい。ある集団や共同体の意思決定の仕方について、現在の政治システムがまあいんじゃないの?と思っている私たちにとって、このソマリランドの意思決定の仕方は本当にリアルで合理的で、舌を巻く。なんというか、自分の頭で考えて自分の手を使って解決するということの実際を見せつけられる。

脳をひっぱたかれる感じ。

何度もいいますが、みなさんにはぜひ読んでいただので、内容には触れない。
でも一つだけ「氏族」ということについて述べたい。

今、日本でよく言われるのは、中間集団の解体だ。
よく言われるが、例えば「ひよっこ」で行方不明になった父親実さんは、行方不明になった挙句、発見され家に迎えられた。実さんの出稼ぎ先の宿舎はこれが高度経済成長時代なのかというような悲惨なものだった。そんな暮らしをしながら仕送りしていたのをひったくられて、記憶喪失になる。その彼には帰る家と彼を受容する人間関係があった。しかし、現在のネットカフェで生きているワーキングプアの労働者に帰る場所はない。生活水準はきっと今の方が高い。頻繁にお風呂に入れるとか、小綺麗な服装をするとか見かけではわからない。でも、家も人間関係もない。まったくもって孤独。承認ゼロ。それが中間集団の解体だ。

だが、ソマリ人は氏族という共同体を持っている。
その氏族関係がすべての人間にある。
それはすべての人間にセーフティーネットがあり、帰属先があり、相談する相手があり、コネがあるということでもある。それが自分の故郷だけでなく、そこら中にあるのだ。もちろん疎密はあるが、知らない土地にいっても、探せば同じ氏族がいるはずなのだ。

これはすごい。

さらにすごいのは、その氏族のネットワークに加入や移動の自由があるということだ。
わたしが、ソマリ人の氏族に加入することもできるのだ。
別に結婚なんかしなくても。
これは自由だ。
どうよ。

というわけで、本当にぜひご一読いただきたい。

ソマリア、ブラックホークダウンとかで見られる内戦の一方で、ソマリランドという独立国を話し合いで作っちゃうという荒技が世の中にあって、それが今も維持されているって、本当に痛快だ。

*************

<今日の夕食>

ひき肉とナスの炒め物
 (ソースと生姜と味噌)
キャベツ、人参、きゅうりの酢の物
玉ねぎとジャガイモとワカメの味噌汁

昨夜から夜エアコアンをかけて寝て、朝起きてエアコンを切らなかったので、ずっとエアコンの中にいた。録画して見てないものを見る。

過保護のカホコ:
これ本当にすごくいいですよ。さすが遊川で、本当にいい。

華族-最後の戦い
これも興味深く見ました。
本当にこの日本という国の良くも悪くも複雑さを実感しました。

さらに、ずっと気になっていた、これ
2007年のもの。古くないですよ。
夏の終わりの週末にどうぞ。

*************

こないだの新月はすごくって
あちこちでどどどっと胎動が起こってます。

焦らず大事に育てて生きましょ。



takeyabu31 at 21:28|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえの本棚(書評) 

2017年08月14日

現実の裂け目

2017-08-10-09-栄村


涼しい夏である。
六月からずっと暑かったから、八月のこの涼しさは嬉しいような怖いようなである。

先週は懸案の長野県栄村にキャンプに行ってきた。
懸案のというのは、この前の記事にある2003年以来のことで、
よく2004年に中越地震に見舞われ、さらに2011年には3.12地震で大変なことになったのが栄村である。見舞いに行かねばとか表敬訪問だとか話題にのぼりつつ、忙しさや諸々に阻まれ叶わなかった。

栄村のキャンプ場な前の記事にもあるように全く今風でない。
特に今年は台風がきているとかで、向かう途中にキャンプ場から「本当に来ますか」的な連絡があった。果たして3泊したが、最初の二日は雨、雨、雨で大変だった。
2017-08-08-10-山の水

川はまっ茶色でごーごー音を立てている。テントの中は殊の外うるさい。話し声も大きな声を出さないtと聞こえない。そんな凄い中でキャンプしようという物好きはさほど多くない。我ら夫婦ともうひと組という状態だった。子供連れの家族だ。

で、そういう物好きな家族はコミュニケーション能力が高くて、よくはなしをした。
その中で次のような会話が。

今日はどこへ行かれたんですか(この雨の中を)
震災復興祈念館です。
栄村には毎年来るというひとだったのでちょっと丁寧に話をした。
3.11の後、一日遅れで栄村は震災に見舞われた。
そのために政府からの支援は遅れがちであり、激甚災害の指定も遅れたという。
そのあたりの経緯にはここに詳しい。
毎年来る人でも知らないのだ。
そんなもんだ。

この夏、もう一つ現実の裂け目を経験した。
それは3.11の忘却である。
ある集まりで、二十人くらいいたかな。
被災地に行ったことのある人は二人だった。
びっくりした。
その集まりで震災は情報でしかないのか。
遠くから同情を寄せる対象なのか

絶句した。
あまりのショックに過呼吸を起こしそうだった。
1割と考えればそんなもんかと思うかもしれないが、二人は少ない。
絶対量として少ない。

それからしばらく、呼吸が苦しくて心臓がばくばくした。
なんとかするべきことをして、家に帰って久しぶりにソラナックスを飲んだ。
まだあってよかった。

疎外感というのよりももっと強烈な
まさに大地がパックリと裂けて
一人取り残される感覚だ。

テレビでよく報道される、広島、長崎、そして15日を知らないという若者
日本がアメリカと戦争していたと知らない人たち。
あるいは、選挙で自民党が圧勝するとき、
3.11の後の都知事選で石原慎太郎が瞬殺で当選したとき、
わたしの周りでは全然そうではないのに
なぜこうなってしまうのか、という疎外感を感じる

しかし、3.11はイデオロギーではない
共有経験のはずだ。
そして、その集まりは私にとって親しい集まりだと思っていた。

そうではないのか?
あれはすでに過去なのか。
過去ではない、現在完了進行形の事実なのだと、
その集まりで繰り返し述べた。

まただ。
私たちは敗戦を共通前提となしえなかった。
それが3.11を生んだ。
(自然災害の部分は仕方ないとしても、人災の部分を生んだのは「戦後」だ)
その3.11を総括し共通前提となし得ないのであれば、また
私たちは大きな痛手を負うことになるのは必定。

現状が3.11を忘れることにひた走っていることは
日々目にしていて、わかってはいるのだが、
私の面の皮も厚くなっている。

こうやって時々は肉を切られるようにざっくりと傷を負うのはいいことかもしれない。

次の日もソラナックスのお世話になって
一日眠りこけた。

そんなことがあった後の、復興記念館の話。3.12の話
お風呂場で1対1でゆったり話せたのがよかったのかもしれない。
さほど感情は波立たなかった。
その人が、こんないいところ今時滅多にないと心から思っているのが明らかだったから、
そして毎年、この山道を登ってやって来るのだから。
ただ知らないだけなんだと思えたからかもしれない。

なによりも、
復興祈念舘でみた展示の数々が「自立」と「自律」を謳っていたからかもしれない。
自分たちのことは自分たちでなんとかする。
その第一歩として自分たちの食べるものは自分たちで生産する。
そんな姿勢が潔かったからかもしれない。

ともあれ、三日間の滞在を終え、電源も照明も舗装もなく、食料を調達するのに片道1時間ワインディングロードをドライブしなければならないキャンプ場を後にした。

下界に降りて、一路新潟胎内市へ。
蟻の兵隊の奥村さんの墓参。
奥村さんが亡くなったのも3.11、震災後のゴールデンウィーク明けだった。
震災後、初めて知り合いが一同に会した感があった。
あれから七度目のお盆だ。
ようやく行けた。

寺の中の墓地は10日だったが、まだ誰もお盆の墓参には来てない様子で、私たちが一番乗りだった。下界ではスマホの電源の心配もなく、ヘイSiri!で花屋を探し、花束をこしらえた。花屋のおばさんは東京から墓参に来たというと盛大におまけしてくれた。お墓を洗い、水をたっぷりかけて、花筒に花を活ける。ビールと原酒を供え、これまた盛大に線香を炊いた。そして般若心経と延命十句観音経をとなえる。やれやれ、仕事が済んだ。

奥村さん、またいつか。

そして、夏のキャンプの恒例、福島で一泊。
これは震災前からの習慣だ。
雨に降られ抜いた栄村、秋山郷から会津若松市内のエアコン、Wi-Fi完備のホテルへ
壁があるってすごいねえ、やっぱ家って大事だねえ。
原始の人が洞窟に住んだのってわかるわ。などとしみじみと恩恵を享受。

でも、毎年通っていると空気感の違いを感じる。
震災の年の夏のあの空気感が忘れられない。

息ができない感じ。
空が閉ざされていて、ドームの中に分子量のめちゃでかい粒が詰まってて
それを吸い込んで吐くのが一苦労のあの感じ。

他の被災地にはない感じだった。

あれもまた、裂け目から湧いた空気だったのかもしれない。

そして今、裂け目は閉じているが、いつまた裂けるか。
それは放射性物質のことだけではない。

*************

キャンブで猛烈に虫に刺されて、手の肘あたりから手首にかけて
足首のあたり。
ちゃんとアームカバーしてたんだけど、そんなことはものともせず
ガンガン刺されました。
今日あたりようやく落ち着いて来て、皮膚はまだ水玉模様だけど
平坦になりました。

今日から平常運転で昼寝せずに起きてます。
この八月はやりたいことしっかりあるので、
ちゃんと勤勉にやらないとね。



*************

<今日の夕飯>
ひき肉のラタトィユ
 セロリ、ズッキーニ、茄子、エリンギ、トマトとひき肉

キャベツ、人参、きゅうりの酢の物
いっぱい野菜を切った。

お盆なので白玉を作った。
結婚して初めてのお盆で、舅と白玉についてやりとりしたことを思い出す。
懐かしい記憶だ。

明日は八月十五日
今。我が家の辺りは雨。室内の温度25度




takeyabu31 at 22:47|PermalinkComments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック みさえ(遊び) 

2003年夏キャンプ(旧館から再録)2003/8/11〜16


 今年も夏のキャンプがやってきました。
 指折り数えて8年目の竹薮一家恒例の夏行事です。
 今年は長野県の栄村にある『のよさの里』というところで4泊5日のテント暮しをしてきました。キャンプ場として必要最低限度の設備だけをきちっともっているなかなかの場所でした。

一日目
 関越自動車道をつかうと意外に近い。
 通常は夜明け近くに出るが、今年はゆっくり朝ご飯を食べて出発。隣接の新潟県津南町まではすぐについた。ここからはるばる四十分。これがとおい。くねくねと山肌に貼り付いた一車線の道路を登るのだ。すれ違いは不可能。見通しの悪い所では、クラクションをならし、見えるところでは対向車がみえたら、ところどころにある膨らみに待機する。日常的にこれをやるってのはなかなか面倒なことだと思う。救急車なんかどうすんのかなあ?少々心配である。
 その道に、タケノコ2号がやられる。
 直前まで「かあちゃん、うるさい。べたべたさわるな。」程度の憎まれ口をきいていたくせに、具合がわるくなると早速ぴたっとかあちゃんにくっついてくる。
「ふっふっ。カアチャンを大切にせいよ」
「ぐふぅ・・・」
 くねくねと山道はつづく。
 途中ひとつオートキャンプ場があった。しかし、そこはものすごくショボイとこだったので、「ここだったら泣く」とかいいながらもっと先へ。しかし、山道はどんどん細くなり、どうも登り過ぎた様子。そこでくだる。ようやく『のよさの里』を発見。中へ車を乗り入れるも、キャンプ場は見えず、ということは?
夫が事務局で訪ねると、さっきの「ショボイとこ」が目的地だったのだ。
 どうショボイかというと、まず、規模が非常に小さい。いままで出かけてきたところは、サイトが何十もあるところだった。キャンプ場のなかには鋪装されているところもあり、炊事場/水場、トイレ、シャワーの設備、洗濯場/洗濯機なども完備されているところだった。事務棟には、一通りのものが揃っており、なかなか、まあ、近代化されているわけだ。そこからくらべると、全部で最高10張りしかできない。ウチはテントとタープで2張り分使ったから、ほんとに小規模。その他には炊事場/蛇口が5つとトイレだけ。鋪装されている部分は水場とトイレ以外はまったくないし、側溝も掘ってないので、雨が降ったら事だろな?などと思いながら、テント設営。
 いつものことなんで、淡々とすすめるが、山道疲れが出てイマイチ不調。
だらだらと作業する。
 ようやく出来段階で、すでに4時を回っている。

 これから今夜と明朝の買い出しに行かねばならない。タケノコ達は温泉に入るのでサイトに残ることになる。温泉は「のよさの里」の本館(旅館である)にある。雑木林を抜けていくのだ。彼らはいつも最低毎日2回は、多ければもっと入るのだ。
 さて、夫と竹薮はまた山道をおりて登るわけで、「ひえ〜!!」だが、結局津南までもどるしか、食料調達の道はないのだから仕方ない。
 その日の夕食/鮪漬け丼・豚汁・トマト 

 ところが、ここに猛烈なお客が来週。大量の羽虫だ。刺しもしないし、払い落とせばそれだけで死んでしまうほどの小さな虫なので、どって事はないのだが、それでも量が半端じゃない。何百何千という数だ。虫が点ではなく、面でいる。食事中も注意して食べないと虫を食べてしまいそうだ。テーブルクロスに虫よけスプレーをかけてみたが、どうしようもない。8回目にして初めての経験だ。虫嫌いの2号はもう大騒ぎ。わーわーきゃーきゃー虫のシューティングに必死。

「虫が、虫が大量に襲ってくる!払っても払っても効果はない!いったいどうすればいいんだ!」
このうっとおしい時にシナリオでしゃべるな!
しかし、ほんとにその通りなわけで、大急ぎで片付けてネットの付いたテント内に撤収するしかない。
 というわけで、お風呂に入って早々に早寝。

 ニ日目
 朝食/ソーセージとキャベツの茹でたもの・豚汁に素麺をいれたもの

 今日の予定は近隣の民族資料館や博物館をめぐる予定。手で洗濯をしてほして出発。

 まず、山のすぐ下にある秋山の山田さんという人がやっている個人の資料館を訪ねる。玄関にでかでかと326風の字でメッセージがあり、全部身体はって生きてた時代の事をわすれたらいかんぜ!みたいな主張がでかでかとかかげられている。トイレの紙替わりの草も干してあり、ドライフラワーのように天井から下げてあった。タケノコ2号は眼をむいていた。2階に圧倒的なスナップあり。それは熊を狩る一連の写真だ。銃で撃っているものもあるが、手負いになってからは包囲して殴ったりして殺したらしい。その後、熊の河を剥ぐ。はがれた白い熊の大の字で往生した写真もあった。すごい。

 次に津南の民俗資料館をめざす。残念ながら休み。月曜は休館だとのこと。お役所は日本全国月曜は休館なんだな。

 気を取り直して、昼に美味しい蕎麦を食べようと信濃川/千曲川ぞいに飯山に向かう。千曲川は本当に見事な河。おもわず見愡れる。『とうとうと』というのがぴったりだ。すばらしい。隅田川のような都市の去勢された川とは違う。眺めていて飽きない。
 残念ながら蕎麦やははずれ。これなら、高速を降りてすぐ、山の中で食べた蕎麦の方がずっと美味だった。あの蕎麦はもう一度たべたい。米の名産地魚沼郡でたべた、蕎麦ですが。
 その後、ネット付きのタープを探す。いくら虫が主体の地域に、人間が邪魔しているとはいえ、もうちょっとなんとかならないか?というわけで、ネット付きタープを探すロードにでる。しかし、飯山、津南、十日町いずれにも存在しない。なんでだ?地元の人はキャンプなんかしないんだな、きっと。それは当たり前の話かも。

 しかし、いずれの町も、イーオン系のショッピングセンターが出来ており、十日町以外は地元の商店街はさびれていた。とくに寺の町飯山のさびれ方はすごかった。寺が多いせいで仏壇で有名なんだそうだが、仏壇屋以外の店はなんとも悲惨で、シャッターを降ろしたままの商店も多数。その降ろしたシャッターに向日葵の色紙がバランスよく貼付けてあるのが、ますます淋しい。その分、ショッピングセンターがばかに大きいのだ。
 というわけで夕飯の買い物をして、今夜も虫と闘おう!と悲壮な決意をして山を登る。

 いやというほど、車に乗って、そろそろ竹薮は車酔いならぬ車あたり気味。

 山を登る途中ではげしい夕立ち。
 夕飯/カレー、胡瓜・とうもろこし・トマトのマヨネーズ和え、桃、ぶどう

 不思議なことに、昨夜あれほどいた羽虫は一匹もいなかった。ほんとうに一匹もいなかった。昨日のあの現象はなんだったのか?今日出ないのは夕立ちのせいか?そのかわり、炊事場は激しく蛾の巣窟と化している。柱という柱に色とりどりの蛾がとまっており、水玉模様ならぬ、蛾玉模様なのだ。しかも色形ともさまざまにありとあらゆるといいたいほど、多様な蛾がとまっている。これもまた見物。我が家の男性陣は徹底的に虫が天敵なので、すごいよといっても誰も見にいかないが、一匹、なんとも綺麗な緑の蛾がいて、洗い物をしながら、思わずその蛾に眼がいった。
 その蛾に狂喜している一団キャンプ場にあり。
 昨夜の羽虫の時も、頭にライトをつけ、捕虫網とデジカメを装備した男子が夜更けまで観察に余念がなかった。今日は「200種類はいるよね。すごいよね。わたし蛾博士になれる!!」と眼に星を飛ばしている女子。すごいなあ。世の中にはいろんな人種がいるなあ。この集団はひそかに「昆(虫)研」となづけられ、竹薮の観察の対象となる。 
 この日の入浴回数。1号2号3回、夫2回、竹薮1回
 虫をさけて照明を暗くしているため本を読めず。
(03/08/11)

 三日目
 朝食カレーうどん、胡瓜と大根の辛子漬け

 タケノコ達はもちろん朝風呂にはいる。朝食後、よごれた洗濯物を袋に詰めて、出発。途中コインランドリーがあれば、洗おうという魂胆。今日の目的地は野尻湖。野尻湖一周のサイクリングとナウマン象博物館。昨日の飯山よりも更に進む。黒姫の近くまでいくのだ。途中いい天気になる。車の中は昨日の雨で乾き切らなかった洗濯物が広げられる。ダッシュボードにおいたものは良く乾く。リアウィンドウもなかなか。裏返したり場所を交換したりして、洗濯物をせっせと干す。
 ほどなく野尻湖につく。レンタサイクルを探す。ところが二人乗り自転車(ペダルが二つついてるもの)がない。二人乗りがないと2号が参加できないので、サイクリングは断念。かわりにペダルボートをかりて、湖中の島へでかけることにする。4人乗りで夫と2号が前に、竹薮と1号が後ろにのる。島をめざしてこぎはじめる。後ろの二人は日頃から自転車をこいでいるので、普通に漕ぐも、前の二人は結構大変そう。とくに座った姿勢で、足を下にではなく、前に出して漕ぐので腰に来るらしい。島の桟橋が近づく。接岸するために、バック。逆転して漕ぐとバックする。これが結構面白かった。自転車は逆に漕いでもギアがかまず、バックしないもの。
 島に上がる。宇賀神社がある。金龍と銀龍が本殿の手前の両側におられる。ドクターコト−のテーマソング「銀の龍の背に乗って」のせいもあって、ちょっと盛り上がる。なかなか、凛とした空気のいい神社でした。
 再び漕いで陸へ。昼食。その辺のオープンカフェ風の店で。それぞれ食べる。だんだん空模様が怪しくなり、食べ終えて、すぐそこのナウマン象博物館につく頃には雨。
 ここは残念ながら料金分の展示物はないところ。しかし、竹薮は結構ためになったかも。
 野尻湖でナウマン象の骨が発見されたことは、日本史で習った記憶があったが、そのことの意味は全然わかってなかった。象ということから、たんに日本列島と大陸が陸続きだったということを示す証拠としてしかうけとっていなかった。しかし、展示の示すものはそうではなく、縄文人達がどのように象を狩り、解体し食べたか?ということだった。縄文人達は象を食べつくし、その結果象は絶えてしまったのだ。象を食べていた!!これはちょっと吃驚した。他に鹿(えぞしか)も食べていたので、象の牙と鹿の角が「月と星」のように、配されている展示も美しかった。さらに花粉と珪藻の化石というのも顕微鏡を使ってみられるようになっている。はっきりいって、これもびっくり。つまりそんなもの肉眼で自然に発見できるわけはないのだから、見ようとおもってなんらかの方法で意図的に何かしない限り、見えない。だれが意図してそうしたのだ。すごいなぁ。どうしてそういうことおもいつくかなあ。
 タケノコたちは主に象の歯におそるおそる触れていた。象の歯は溝こそあるが大きな石のようだった。

 博物館を出たら雨が降っていた。帰途につく。途中、必ずコインランドリーがあるはずだと探す。飯山の町を探しあぐねてとうとう人に聞くと、すぐそこだった。やっぱきかなきゃわかんないわ。
 そのコインランドリーはすごかった。最低、10キロくらい。もっとおおきいのが普通。スニーカー専用のランドリーや乾燥機もあった。洗剤を持っていく必要はなく、小銭用の両替機もある。洗濯機から乾燥機への移動用のワゴンもある。しかもひろびろしていて清潔。まったくちらかってない。東京もいまはこんな風なのかな?
 洗濯の間に買い物をし、乾いた洗濯物をもって、又山に戻る。この日は1号が車あたりして、キャンプ場にもどってから、身体の不調をもてあましていた。竹薮もなんか車に乗るのがいやになってきてるのを実感。いやあ、すごいわ。山で暮すということは。

 夕飯/炭をおこして秋刀魚と鯛をやく。大変美味。


 昆虫研と妄想研 

 さて、昆虫研だが、最初の夜は七人くらいだった。とくに男子陣ばかり眼についた。ところが翌朝になってみると、テントの前で女子が膝を抱えてすわっている。(むむっ。。女子もいる。。)しかも、なんか蛾や蝶がじっとしているみたいに、テントの前でうずくまっている。昆虫研は虫に擬態するのか?

 人間観察の好きな竹薮はさっそく、昆虫研について夫になんやかやと推測を述べはじめる。夫いわく「彼らが昆虫研ならハハは妄想研だな」何をいわれようと、竹薮の観察は続く。女子は三人男子は四人。とするとカップルみっつにシングルひとりかも。テントも四つだし。。どの男子がシングル?やっぱヘッドライトの夜間徘徊君かな?今朝のメニュはゴーヤチャンプルだった。昨日の夜はインスタントのスパゲティ−だったから、彼らは朝が主食?なんかもめてるよ。ひとり勝手なやつがいるらしい、どのこかな?などなど。
 最初のカップル三つにシングルひとり説は3日目に破綻。だってものすごく人数が増えたもの。あの人数が寝袋で雑魚寝するにしても、テント四つのなかに一体どうやってねるの?まあ、どう考えてもプライバシ−はないから、大学のサークル系だろうと判明。一定期間ベースキャンプをおいて、そこへ各自都合の良い日程で参加/撤収するのだろう。最後まで不思議な集団だった。

 四日目
 朝食/ご飯、大根の味噌汁、鮭の粕漬け、枝豆、トマト

 朝食中に、広島の原爆記念式典がラジオで中継される。黙祷することにする。
「黙祷って何?」「眼を閉じてなくなった人たちが安らかであるように祈ること」「だれが死んだの?」「だからぁ〜」意外に伝わってないことに驚く。つまりタケノコ達はラジオをまったく聞いていなかったのだ。さすがに広島に原爆がおちていることは知ってるから、説明は早い。で、黙祷。しかし、直前に炭酸飲料をガブガブ飲んでいた1号のげっぷが、黙祷の一分間の間に3回ぐらい出て顰蹙。

 ほんとはこの日長野まで足をのばし、善光寺ならびにその他の旧跡を訪ねるはずだったが、全員車疲れでグロッキー。ゆっくり過ごすことにする。午前中はサイトでくつろぎ、本を読んだり、ちょっと勉強したりして、11時頃下山。2日前に休みだった、津南の民俗資料館にゆく。


 ここでも圧巻は、熊狩り。とくに皮をはがれた熊の顔のアップの写真があって、これはすごかった。恐がりの竹薮なんかは注視できなかったが、夫と2号はしげしげと見たらしく、瞼がどうとか、なんとかかんとか話し合っていた。熊の皮は重要な商品だろうから、皮を綺麗にはがす技術は人々にとって大切なものだったろう。だから、綺麗に作業をしたその成果である赤裸ならぬ白裸の熊の写真があるのは十分納得できるがそれにしても、ハードな写真であった。人間と自然はこんな風にむき出しの関係だったんだ。それは今も変わっていないのに、今は人間と自然との間に人工物の塊があるから、気付かないだけ。キャンプに来ると、人工物が減るから、自然に振り回されることがよくわかる。こんなヘナチョコキャンプでも。昔の人は今のキャンプよりももっと自然とぶつかりあっていたんだ。
 ぐふぅ。薄眼で白裸の熊をみる。

 もう一つ印象的だったのは、鋤/鍬キャップだ。竹薮の知っている鋤(すき)や鍬(くわ)は木の棒に金属で出来た鋤や鍬がついている。資料館にあったものも半分はそうなっていたが、残りの半分はちがった。歯の部分の大半が木でできていて、先の所だけ鋤や鍬の形の金属になっていて、それが木の部分にかぶせてあるのだ。これはおどろいた。考えてみれば、金属は非常に貴重だから、全部金属にするよりも被せ式にすれば、同じ量で三つできるかも知れない。限られ多量の金属をどうすれ有効に利用できるか徹底的に考えられたんだな。
 不足が分配の工夫を産む。
 現在は過剰だから、分配の不公平に鈍感になる。
 これはすごいことだ。近くにいる1号に、この工夫のすごさを話して聞かせる。かあちゃんは感動してるんだぞ!!だが、1号は火縄銃の方がいいらしい。はじめて本物の鉄砲を見たのかも知れない。「結構でかいよね」「そうね。でもこの鍬がさ」・・・だめ、ハハの感動は伝わらない。

 資料館をでて昼食。竹薮が食欲ないので、回転寿司が提案される。食べたくない人は食べなきゃ良いから。ところが2号が途中でみた鰻屋に入るといってきかない。かあちゃんの具合が悪いといっても、聞き入れず仕方なく鰻屋へ。竹薮は鰻茶漬けを頼むも、半分も食べられず、リタイア。ほんとに胃の具合が悪い。山のくねくね道恐るべし。この日もコインランドリーを使う。その間、津南の町をふらふらして洗濯ができたらまた登山。


 途中赤いお湯を名物にしている温泉に入る。ほんとに錆朱色/赤茶色。鉄分がおおいのか錆の臭いがする。味は塩辛い。湯殿はがら空きで竹薮家しか入っていない。竹薮は女湯にひとりで入って、向いの山を眺める。家がない。人がいない。ほんとに自然の方が圧倒的にかっている栄村。こういうところにすんでると人間が謙虚になるだろな。

 まだ浸かっていたい、風呂好きの1号を追い立てるようにして、キャンプにもどる。もどるやいなや夕立ち。ものすごい降りだ。バケツをひっくりかえしたようなというのがぴったり。しかも止まない。じつに三時間以上降った。四時半ごろから降り出し、雨があがるのをしばらく待っていたが、いっこうに止まないので、6時から雨の中、タープに炉をもちこんで火を起す。今日はバーベキューだ。バーベキューは夫の担当なので、竹薮はご飯を炊いて、あとは野菜を切ればいいだけだ。不調なので、ありがたい。雨の中準備をし、焼きはじめたら雨があがった感じ。なんとか最後の夜の食事になる。

 今回のキャンプで一番印象に残ったことはなんですか?
 
 1号「赤湯!」
 2号「資料館!」
 夫「白裸の熊の瞼!」
 竹薮「車あたり・・・」

 片付けて夜になったらまた雨。雨の音を聞きながら眠る。タケノコ達はまだ寝たくないといい、大人が先に寝る。2号がテントに入ってきたのはおぼえているが、1号はしらない。ひとりで暗闇の中起きているというのが、高校生になった証拠だろうか。今回のキャンプでは1号はやたらとひとりで動きたがった。自分がひとりで行動できるように選択するのだ。たとえば、風呂一つとってみても、去年までは2号が一緒でも文句はでなかったが、今回は「2号が風呂にいくなら、俺は2号が帰ってきてからにする」という調子。年頃なんだな。


 この夜、妄想研のもう一つの対象に、アプローチ。それは四人の壮年の男女。登山に来ているらしい。早朝から登山にでかけていない。夕方になってもテントの外にはちょっといるだけ、さっさとテントに入ってしまう。小さいテントなんだよねえ。あそこに四人じゃ窮屈だろうになあ。
 さらに、彼らが乗ってきたセダンがすごい。いつも中から結露で車内は霧が立ちこめている。なぜか?洗濯物が干してあるから。夫は「あれじゃかびるだろ」と心配している。とにかくみごとな状態の車だった。

 さて、この日は夕方大雨なので、夕飯がはじまらない。炊事場でたむろしている大人達。米を研ぎにいった竹薮に、おばさんひとり振り向きざま「どうする?この雨」と話し掛ける。そこへ「飲むしかないだろ、なあ?」とおじさんの絶妙なレス。この当然のように話し掛ける呼吸が壮年だなあ。それがきっかけで、いろいろと話す。夫婦ふた組の組み合わせ。山登りが大好きだが、腰も痛い。りっぱな中年の楽しい人たちだった。

 昆虫研とはこうはいかない。なんとか彼らと交流をはかるべく/つまり、正体を見極めようと、話し掛ける糸口を探る。ちょうどバーベキューの食べきれない残りがあったので、さつまいも、じゃがいも、とうもろこし等をもって、彼らのたむろする炊事場へでかける。「食べきれないんだけど、助けてくれないか」と聞くも、明らかにとまどっている。なかにひとり、社交的な子がひとりいて、嬉しそうに応答する。「うわぁ〜い、もらっちゃった、うれしいな/あっとでも部長に聞かなきゃ・・・」みたいな感じで、「長」とおぼしき人にお伺いをたてる。「仕方ないな/もらうか」という反応。まあ、全体としては引いてる印象。ここで一時撤収。つぎに、片付けの洗い物の時、再チャレンジを試みる。彼らはテーブルやイスをもっていないのでずっと炊事場にたむろしてるのだ。彼らは都内の大学の「生物研究会」の面々で、ほとんど理系だという。ということは文系もいるのか。総合大学だな。話の感じからいくとかなり賢そうな口調だから、都内の総合大学ということになる。早稲田か?いやいや、、しかし、大学どこ?まではいけなかった。
 やはり女の子の方がおしゃべりに乗ってくる。二人の女の子とおしゃべり。「女の子なのに虫好きとは珍しいね」という愚問をぶつけてみる。「そうですか?そんなことないですよ。最近は虫に触れない男の子もいるでしょう。」ジェンダーフリーだな。「ナウシカの影響ってある?」「私はない」「私は結構ある。漫画の方のナウシカには影響されてると思う」「アニメージュ版のほうね」「そうそう」「理系だと実験とか大変でショ?こんなに長く逗留するのって大変じゃない?」「大変ですよ。でも来たくなっちゃうの。で、来ちゃう」「主に蛾なの?」「私は今年は蛾です」「私はクワガタ。魚の人もいるし、植物の人もいますよ。いろいろです。自分の興味の対象で自由に動く感じです。」「ふ〜ん。共同研究して大学祭で発表とかしないの?」「そういうことのためにこういうキャンプをすることもあるけど、今年は自由。共同研究は日頃の活動で実験とかしてます。でも今回かきためたスケッチとかも展示できるといいね」と、そこにあったスケッチを見せてくれる。これが上手。すごく上手。わぁわぁほめる。
 とコミュニケーションを重ねたのに、その後も翌日もすでに知っている人としてのコミュニケーションはなされなかった。
 翌日したしげに挨拶したのは、最初から社交的だった男の子ひとりのみ。あとの人たちはまた、しんとした見知らぬ他人だった。現在の若者の状況をあらわしているなあ。。。でした。

 五日目
 今日は撤収の日。昨晩の雨も夜中にはきれいに晴れて星空が見えていたので、安心はしていた。荒天のなかの撤収は大変だ。雨で濡れているテントは畳みづらいし、だいいちびしょぬれになる。風があっても、吹き飛ぶものを押さえながら片付けるのは骨なのだ。今回は風もさわやかな晴天。片付け日和といえる。しかし、今回は車あたりのせいか、なんかめんどくさい。どうしてもきっちりできなくて、何でも放り込む箱が一つできてしまった。こういうことすると帰ってからニ度手間だとわかっていてもできなくて、ちょっと自分に不満がのこる片付けだった。山の日陰は恐ろしく涼しくて、日なただと汗がだらだら、日陰だとひんやり風が吹き抜ける。その対照がとても夏らしくて感動する。そういえば、この栄村の水はとてもつめたくて美味しい水だった。
 片付けおわり、車に積みおえて、一風呂浴びに本館にいく。
 お風呂に入ったあとで、土産物売り場に栄村村長の著書を発見。目次をみて納得。
 この村長は平成の大合併の国の号令に逆らって、合併せず、住民自治を貫いている有名な人だった。
竹薮の市は大合併の声に従っていち早く合併した。合併のメリットは合併特例債を起債できる(合併に際して、地方自治体が発行でき、かなりの部分を国が引き受けてくれる。しかし、いくらかでも借金ができることは事実)ことだ。新規事業を起そうとして、その財源をどこからもってくるかと考えれば、合併特例債は大きな魅力だ。ところが、この栄村、豪雪の寒村にもかかわらず、その合併を拒否して、独自の発想で事業を展開しているわけだ。
 くっそお!!そうとしってりゃ、村長にインタビューにいきゃあよかったよぉ。。
 ちょっと悔しい。いや、かなり悔しい。。
 山をおりて、飯山で、回転寿司を食べる。『かっぱ寿司』全部ひと皿百円。すごかったぁ。まずメニュー。コンビーフだの、コーンだのがある。コンビーフの寿司ってなによ?というわけで、食欲不振の竹薮以外、全員ばくばくいく。合計3600円なり。いやあ、安い。いつもなら軽く万札いくのだ。それに味もよかったと思う。ビントロなんか、ちゃんとビントロだったもん。喰い盛りがいるご家族にはお薦めです!

 その後高速に乗って、長野へ。
 狙いは善光寺一本。
 もうめちゃくちゃ暑い。焦げそうな感じだった。でも、日陰は涼しい。山の威力か?すごく都会だし、地方都市としてはかなりの風格だったな。
 さて、善光寺。戒壇めぐりはもう大騒ぎ。控えめながらきゃーきゃーわーわー、実は心の中は大騒ぎ。そのあと、様々な展示物を見学する。百羅漢では、1号の担任の先生にそっくりの羅漢さまがおられて、ひそひそと爆笑。竹薮夫にそっくりの方もおられた。どういうわけか尼僧であられた(!)2号は仏像群にしっかりご執心。突然目覚めた様子で、いつもは一番最後の竹薮のかなりうしろをついてくる。説明書きもいちいち読んでいた。きっかけは入り口にあった四天王像。四天王と東西南北、春夏秋冬、青龍、朱雀、白虎、玄武の説明をしたせいかもしれない。がぜん興味をもったわけだ。まあ、これでまたオタクに磨きかかかるだろう。
 その後茶店でかき氷を食べる。夜祭りの氷ではなく、ガラスの器に入った昔ながらのかき氷は初めてかもしれない。タケノコ達はしきりにおでこを叩きながら食べる。初体験なんだ。で、赤や黄色の舌の色にキャーキャーいう。こういうの夏の必修科目だな。
 その後さらに南下。諏訪につく。諏訪湖は大きな湖。諏訪の周辺の民家では家に温泉を引いているとか。小学校に温泉があるところがあるとか。いいなあ。間欠泉もあるんだけど、見忘れてちゃった。
 ホテルはまあまあで、それでも雨や風を気にしないでのびのびできるのはウソみたい。上げ膳据え膳でお布団もしいて貰えて、美味しいものがあって、虫もこない。すごいことだ。
 キャンプとホテルどっちがいい?タケノコ達はもちろんホテルだ。しかし、大人は両方!どっちかだけじゃいやだな。両方がいい。
 2号が中一になったので、食事は全員大人の食事になった。海の幸、山の幸の大人向けの和食だ。マヨネーズだのケチャップだのはぜんぜんない。牛肉も朴葉味噌だ。湯葉に、ゴマ豆腐。ジュンサイに山牛蒡ときた。でも全部食べた。文句いわずに食べた。大人になったなあ。。もちろん、好物ではない。しかし、文句いわずに食べた。
 
 同じ座敷きにちっちゃな子を二人連れた若夫婦がいた。むずかるし、さわぐし、もう大変。竹薮はそれをみると頬が緩む。かわいいなあ。。もうどんなに騒いでもいたずらしても、かわいい。。がんばれよ若夫婦。もうすぐ、その騒ぎも終わってしまうけど、それは楽しい記憶の財産になる。


大きな旅館/ホテルの関係者にお願い。
小さい子を持つ家族には部屋でご飯を食べるサービスをしてあげるといいと思う。
布団敷きサービスよりもずっと喜ばれると思う。
小さい子が騒ぐと親は、おちついて食事なんかできないし、人の眼も気になる。立ち歩いたりすれば、追いかけて、もう大変だ。部屋食なら、歩き回ろうが、叫ぼうが、大人は大人でしっかりご飯食べられるもの。考えてみてください。
すでに部屋食を実施している旅館/ホテルは小さなお子さんのいる方にと、アピールしてみてはいかが?


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2017年07月11日

アザミ嬢のララバイとファイト

空豆の豆苗


今日の「やすらぎの郷」は「ファイト」だった。

倉本聰は中島みゆきが好きらしい。
私は好きではない。

歌い方で「あ」と「え」の音が横に開きすぎている。
口の形です。だから「あ」が「え」に近くなり
「え」が「い」に近くなる。
それは好きじゃない。
まあ、これは趣味の問題だから。
みなさんはどうぞ、私は聞きません。そういう感じ。

多くの作品はいいと思うが
ファイトと世情は嫌いといってもいい。

ハタチぐらいの頃
1970年代 なんでか知らないけど、大学の中庭で世情を聞いた。
その瞬間、頭に血が上った。
隣にいたS君がニヤッと笑った。
(あれ?その頃S君と知り合いだったかな?
 記憶がいくつか混同しているかもしれない)
ともかく、あの中庭の掲示板前で沸き立つ怒りを感じたこと。
そして、その怒りを共有するものがいたことは確かだ。

シュプレヒコールの波 通り過ぎて行く
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため

この部分。
この時、話者はどこにいるか。
シュプレヒコールの波の中でないことは確か。
時の流れを止めて変わらない夢を見るものを批判しているように見えるが、
闘うものの中にはいないのだ。

そんなもんをあんな大掛かりな仰々しいエンディングで歌い上げるな!!

というわけで、その時、シュプレヒコールの波の中にいるつもりだった私は
大文字、特大フォントで「ふん!」と思ったのだ。

その後も中島みゆきにあまりいい記憶はない。
だいたい似たような構造の歌が多い。
大好きな TOKIOの宙船も
「お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな」
こういう二人称が多いのだ。
TOKIOの場合は先頭切って漕いでいて、
後をついてくる他の船に向かっていう感じなのでよしと思うけども。

ともかく、この二人称の感じが胡散臭いと

で、アザミ嬢のララバイである。

ララバイ ひとりで 眠れない夜は
ララバイ あたしを たずねておいで
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

これも二人称。あなたに向かって歌いかけている。

でも。
今日、大好きな浜田真理子が世情とメドレーで歌っているのを聞いた。



なんだ、これ相手いないじゃないか。
誰かいたのかもしれない。
しかし、これは来ない人をまつ自分に歌う歌だ。
一人で泣いて惨めなのは、もう一人の私で
一人で眠れなくて誰かに電話したいのも、私そのものだ。

浜田真理子の歌は明らかにそうなっている。

春は菜の花、秋には桔梗
そして、私はいつも夜咲くアザミ

夜、まだ閉じない傷口が傷む。

その時に誰かを求める。
傷の舐め合いではなくて。
どこかのだれか。 
この世にいるもう一人の自分。
ひょっとしたら多くの自分を夜の底に見ようとしている。
いや、いると信じたい。
そんな感じか。

中島みゆきの歌のつくりは、具体的な誰かを想定している。
でも、平成の浜田真理子はもっと一人だ。

で、浜田の世情はつぶやくように歌われる。
シュプレヒコールの波にも、
時の流れを止めようとするものにも属さない一人が口ずさむ。

絶望でも希望でもなく、ただ「ある」感じ。
さすがである。

では倉本聰はファイトの二人称をどう考えているのか。
死にゆく妻の好きな歌。
死にゆく妻の手を握って夫の歌うファイト

やだなあ、恥ずかしいなあ。
でも、やるんだな。


つまり十分に闘って、
十分に共に闘って、
そして、先に行く妻にファイトというのだ。
死ぬという闘いにファイト
一人残り生きるという闘いにファイトだ。

この現場においては闘うもの同士の言葉で
この主語は「私たち」である。
かなわんなあ。

さて、歌は二人称部分のコーラスと
一人称のヴァースの対比になっている。
曲が進むにつれて、か弱い一人称から、力強い二人称へと変化していく。

合唱でもよくうたわれる。
淀川工業グリーの名演がある。

最初のボソッと言い聞かせるような「ファイト」から
エンディングの確信に満ちた「ファイト」へ
そしてアカペラへ。

へそまがりの私にはとても恥ずかしくて無理です

というわけで、中島みゆきは苦手です。

*************

今日は全く夏の空でしたね

月曜締め切りの原稿をまだ書いてなくて
ブログ更新したりしてる絶賛逃避中です。

<今日の夕飯>
カツオとビントロの海鮮サラダ
厚揚げとインゲンの煮物
トマト
なるべく暑くないように。

*************

ちょっとしたきっかけがあって
最近、また音楽を聴くようになって、
ドラマが見られてないんですが、
さて七月期はどうなるでしょうか。

写真はソラマメの豆苗
全部生え揃いませんでした。


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2017年06月27日

「変な美香さん」と「わたしの偏屈じじい」

川口のすごい家


今日あたりはそうでもないが、昨日までは聞くに耐えない酷い音がテレビの画面から流れていた。全文書き起こした番組もあったようだ。全くもって信じがたい。
あの件はネットでは前日から話題になっていたが、音声は聞かないようにしていた。
でもワイドショーになると聞いてしまう。
勘弁して欲しいので、出てきたらチャンネル変えたりしてかわすも
聞いてしまう。

そしたらお腹痛くなった。
お腹の痛いのって、そんでトイレ行っても治らないのって、大抵ストレスなんで、何がストレス??と探した。そしたら、例の件だったというわけだ。

つまり、自分を投影して嫌悪してる訳で。
まあ、竹薮はあそこまでおかしくないけど、普通の人より怒るのは確かで、
ほんとに怒るから、最近は目立つ。
体育会系の男の子に、怖いって言われるくらい。

例えば、つい最近怒ったのは
小テストの採点について。
隣と交換して採点するのだが、その時に顔も見ない声も出さないで紙だけをやりとりする。本当に紙だけ相手をみないのだ。竹薮にはそれは異常なことだと思える。おかしくないか。普通、見るだろう、相手を。よくできてたらおおらかに見るし、不出来だったら申し訳なさそうにみる。そんな感じじゃないか。顔も見ないで顔も向けないでやりとりするのはおかしい。

そこで、叱る。
その態度はなんだと。
それでいいと思ってるのかと。
相手は人間なんだ。その人間を見ないで、紙だけやりとりするのは相手を人間だと思ってないという表現だ。あるいは相手を恐れるあまり、関わりたくないと思っているのか。それはおかしい。そのような態度では、すべて整った環境でしか生きていけない。例えば、地震の時の避難所でおにぎりあげようかと思える対象ではない。役に立たないどころか、避難所ではコストでしかない存在になってしまうということが、わかるか。

今できない者が、その時できると思うのか。
かなりガンガン叱る。

竹薮として間違ったことに対して許さん!と怒ってるわけだが、
お腹痛いってことはなんか感じてるんだろうと、投げかけてみた。

そしたら、わかった。

件の人は相手を支配しようとしている。
竹薮もある意味同じだ。
それはなぜかというに相手と徹底的に関わろう、引き受けるぞという気持ちだ。

竹薮が怒るのは、生徒とタケノコたちであって、
他の人には怒らない。
敵だと思ったら、冷静にマウントする場合はあるが、声を荒げて怒ったりしない。
冷た〜く厳し〜くいく。
勝つために詰めていく姿勢だ。

生徒たちに対してはそうではない。
感情が乗っている。
それが近さであり、圧力となって現れる。

大抵、竹薮の言ってることが正しい。
で、10ヶ月弱の関係の中である程度仕上げたい、伝えたいと思う中で
前傾姿勢になってガンガン叱るのだ。
姿勢、ペンの持ち方、ノートの広げ方
プリントの配り方、ファイリングの仕方まで徹底的に伝達する。
で、竹薮を納得させる代案がない限り言うことを聞けと言う。
それでも自由裁量の部分はあって、一冊として同じノートはない。
型をしっかりはめても個性的な表現は失われないのだ。

その挙句に、授業内で怠惰というか怯懦というか
そういうものがあった時、許せないのだ。

だから、竹薮は怒ってきた。
怒ることが悪いとは思えなかった。
有効でないと感じることはままあった。
しかし、怒ることが間違いだとは思えなかったのだ。

それならなぜ今回お腹が痛いのか。
竹薮自身が何かを感じているからお腹痛いのだ。

竹薮の言うことが正しくても、相手が正しいと思わない時もあるし、
相手が正しいとおもってても、そう出来ないこともある。
正しいことを今すぐしなくちゃいけないのかね。
リターンをすぐ返せって思ってないか。

はい。それ、間違い。
引き受けられません。
子どもでも。
有り得ません。

というわけで、
件の人と竹薮はたいして変わらないということがわかった。

ある意味、見守ればいいのであって、
丸ごとの関係を作る必要はない。


タケヤマに話したら

大人になったなー
えらいぞー
生きてるうちに
そういうこと言うとは思わなかった。

だそうで。

で、タイトルです。

最近、叶姉妹のLINEアカウントをフォローしてるんだけども
恭子さんの発言が清々しいんだな。その中で
妹美香さんが恭子さんについていけない時(性的趣味とか、いろいろな嗜好とか)
美香さんが引き気味になると
「どうして?変な美香さん。(うふふ)」という。
この言い方、かなり技だと思う。
自分が正しいと思ってるのだけれど、そう考えないあなたが不思議だわという投げかけ方。

もう一つ、ダウントンアビーというドラマの中で聞いた一言
妻「偏屈なジジイね」
夫「きらいになったかい」
妻「いいえ、わたしの偏屈ジジイですからね」

これも技だ。すごい技だ。

偏屈ジジイと言いながら「わたしの」(偏屈)ジジイだという。

どちらも相手を批判しながら、相手を肯定している。
件の人は相手を肯定しないから論外だが、
竹薮の怒りは、肯定と批判のどちらも激しく
二極化しており、相手はその二極を振り回されるわけで
大変だろうな。

ほんとは、その振れ幅全部で関係を作りたい。
それは竹薮の本音だ。

しかし、隣のクラスメートの顔すら見ない18歳に
そんなことできようはずもない。

それに本来、丸ごと出なくていいのだ。
というか、丸ごとだったら気持ち悪いというものだ。

そのことをしっかり確認して
余裕のコミュニケーションを心がけ
ゴールを目指さないことを旨としたい。
うん。

なんていうのかな。
存在してればいいんだよね。
竹薮のような珍獣枠は。


*************

上の写真は戸田市にある有名な家
面白いですよね。

存在することだけで、かなりいけるんじゃないかって思わせます。

<今日の夕飯>
ピーマンの肉詰め
 鶏肉があまりに淡白で失敗。
 もっと工夫が必要でした
小松菜、もやし、トマトのナムル
沢庵の千切りと大根葉のぬか漬けの胡麻和え
味噌汁

日月火と三日休みなんだけど、
この三日間は徹底的に怠けちゃったなあ。
日曜が割と動けたので、月火に期待だったが、ダメだった。
気圧に負けるな>自分




takeyabu31 at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 長電話(日記/告知) | 婦人口論(批評)

2017年06月19日

空を切るもの

2016-12-11-15-14-32


梅雨の晴れ間の一日
気持ちのいい風が吹いている。

空にはぽっかり雲
あの雲は誰のものでもない。
すべてのものの頭上に等しく架かっている。

聖人も犯罪者も赤ん坊も病人も老人も
男も女も
人も犬も猫も木も水も
作物も商品もゴミも

ありとあらゆるものの上に等しく架かっている。

それなのに、
その空を売買するものがいる。

法も制度も常識も全て捻じ曲げて
全てを我が手に握ったとばかりに

空を切り売りするものがいる。

神なき世の「神」なのか。

だがしかし、空は切れない。

いつか、それが明らかになるだろう。

王様は裸だ。
国民もまた裸だ。



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2017年06月16日

二つの次元

2017-02-28-11-23-11


この写真は医者いらず/アロエの花だ。
通りがかりの団地の地面に茂ったアロエに妖艶な花が咲いていた。
アロエは役に立つ植物で、竹薮が子供の頃は地面のある家には必ずあった。
でも、花は見たことがない。
大きく育たないと咲かないそうで、どうりでやけどだ、なんだとポキポキ折られていては花の咲きようがないのだろう。この写真のアロエも1メートルくらいにこんもりと茂っていた。

ポキポキ折られるアロエと、燃えるようなオレンジの花房のアロエ
これが同じ植物なんだから面白い。

さて、二つの次元だ。

ERに二人の急患が運ばれてくる。
一人は被害者。誰かに銃で打たれて渋滞。
もう一人は加害者。銃で打った後、自分で自殺を試みた。
これがテロ行為だったとする。

医師は人の命を助けるのが仕事だ。
両方助けようとするだろう。
もしも、加害者が助かって、被害者がなくなった場合
医師は猛烈な避難を浴びるかもしれない。

ここで大事なのは、医師はテロリストを助けたのではないということだ。
一人の重症患者を助けた。
それなのに、テロリストを助けたかのように理解され、ひょっとしたらテロに加担したかのように言われ、糾弾される。

なにもしていないのに、敵認定されてしまう。
この現象の一つが《炎上》だ。

ある人がかつて問題発言をしたことがあって、
それがとんでもない問題発言で
一度や二度ではなく口をひらけば問題発言で
本当に困った人物であった。

しかし、その人がこれからもずっとそうであるかどうかは全くもって不明だ。

だから、その人の発言を封じることはできない。
極論すれば、「犯罪を犯したい」という言論そのものは犯罪ではない(今日はまだ、セーフ)

さて、その人と同じ空気を吸って社会生活を送るなら、
ルールを決めなくてはならない。

で、ルールを決めようとすると、問題人物を肯定するのかという批判が来る。
これ非常におおい。
右も左もそうだ。
現実問題、そういう奴と関わりたくはない。
しかし、奴にも存在する権利はある。ほかの誰でも権利があるのと同様に。

今、ある問題でルールを決めようとした人が「敵」認定されて消耗している。
原則的な行動は、敵なの味方なのという決めつけの前に踏みにじられる。
自分と同じでなければ全部敵
甚だしい場合は
あなたに対して「うん」と言いたくないからあなたは敵
そんなのもある。

そうなると、収拾がつかなくなる。

残念なことです。

**********

〈今日の夕飯〉

豚肉とインゲンと舞茸の甘酢炒め
茄子の炊いたん
胡瓜とワカメと寒天の酢の物
味噌汁

メニューが夏だな。

*********

順調に減ってた体重の減りが止まった。
いかん。
なんというか、ダイエットがぬるくなってるのだ。
また仕切りなおすぞ!
一番ダメなのは何かと考えて、ご飯作るばっかで自分がちゃんと食べてないじゃんかと反省し、7時、13時、19時にちゃんと食べると決めた。お菓子は食べない。年末を目指して、健康をとりもどすんだもんね。


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2017年06月06日

見えない方向

新政府パスポート


書き留めておかなければならないこと。

今年、春になったばかりの頃
友人から連絡があった。

友人はネットが嫌いで
ネットメールもあまりやってない。
未だに紙の手紙か電話という人で、それも全く頻繁ではない。

で、ひさびさに問題主婦を見て、0号のお悔やみをくれたのだ。

そこで彼女に言われた。
問題主婦は反応しない人に向かって書くべきだと。

反応しないけど読んでいる人という意味だ。
そこにこそ大切な読者があるのだから、
反応を求めるな、みたいなことを言われた。

なるほどと思った。

伝わったかどうかは、竹薮が決めることではない。
伝わってれば、それがわからなくてもいいことで、
ただ書けばいい。

うん。

*************
<今日の夕飯>
ゴーヤチャンプルー
スイカのぬか漬けの生姜、胡麻あえ
大根と油揚の味噌汁

今日は寒いです。
ほんと寒い。
でも日が差すと熱くなります。
6月ですからね。

*************

今日のお供ドラマ


これには原作があって


貨幣というものについて考えさせると同時に
父性をテーマにした作品でもありました。
国家の発行する貨幣に対して、中国マフィアの発行する偽札とコミューン内で通用する地域通貨。
主人公の男は実の父を貧しさゆえに失い、コミューンで育ち、その創設者を父とし、中国マフィアのボスに特別の息子と呼ばれている。擬制の国家(父)の発行する貨幣が人々を腐らせるならと二人の父の狭間に生きながら、悪貨が良貨を駆逐することを狙うのだが。。。
小説はおもしろかったです。
ドラマもまあまあ。WOWWOWものとしては軽めです。


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2017年05月22日

ひよっこと斉藤和義

まずこれ。


これはNHKの番組 The Covers という番組での
斉藤和義による「東京砂漠」
オリジナルは内山田洋とクールファイブ、前川清です。

あっちは硬派な感じですが
斉藤和義はもっとヘタレです。
声も鼻声で、でもいいです。

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2017年05月19日

花が枯れても

ベランダのささやかな緑が色を変えている。
ベビーサンローズはまだ緑が濃いとは言えないまま花をつけ始めた。
ここのところの気温の変化で植物も戸惑っているのかもしれない。
そんななか、春の花が終わっていく。続きを読む

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2017年04月17日

新学期

2017-02-28-11-23-11


お久しぶりです。
私はまあまあ元気にしております。

毎日のルーティンを構築中で、あれやこれや試行錯誤しております。

昨年度は夫タケヤマが現役最後の一年で学年を外れたため、給食がなく一年間、弁当を作りました。弁当を作るのはいいんですが、朝6時に出て行くのでそれに間に合うように作るというのが問題。5時半におきて味噌汁とおにぎり(もみ紫蘇と紅生姜の刻んだものをご飯に混ぜ、芯に叩いた梅干しを入れるというもの)と弁当を作りました。最初はそんなんできるんかと思いましたが、やってみれば何とかなるもんで、一年過ぎました。

今年度は給食があるのですが、早起きを続ければ?ということで今年も5時半起きを続けています。

一年続けて、二度寝しない日が少しずつ増えて来ました。そうすると午前が長いので色々やってみることになります。やっぱ午前中は脳の動く傾向が違いますね。

一週間の私の時間割。
なかなかその通り実行できないんですけど、大きめに図に書いて色分けしてボードに貼りました。

事前のメモ
一週間、一日 メモに書き出す。
実は、メモ帳の作り方を見つけて作ったのがきっかけ。
何冊も作ったので使い道を考えてという逆コースでした。
買い物メモ、ToDoリスト、予定表、見えるようにしておくといいですね。

おやつ断ち、ローカーボ化
健康のために間食をやめました。少しずつローカーボにしています。
もちろんこれまでも、何度もそう思ったのですが、できませんでした。今回は続いています。現在23日目です。タバコをやめた時も、ある日突然やめました。いくら減煙しても完全には禁煙できず、自分では買わなくても、時々もらいタバコしたりしてたのが、ピタッと止まりました。それと同じ感じ。

LINE社会科学講座
大人の若い友人たちを対象にものの見方考え方のようなものを伝える作業を始めました。週に一回、ネット上にテキストをあげ、そこからコメントを付けあってやりとりします。始めたら紆余曲折、蛇行して舵取りは大変。でも、こちらも学ぶことは多いです。

こうやって眺めてみると、何だか全部地道な作業です。
今はそういう時期なんだろうなと思います。

急がずルーティンを作って60代の生活を安定させたいです。

**************

写真はアロエの花です。
地味で質実剛健なアロエが見事な花を咲かせるもんです。

水族館劇場が東京に戻って来ます。
今週、行きます。楽しみです。
この世のような夢

四月から新しいドラマが始まってます
倉本聰「やすらぎの郷」
岡田惠和「ひよっこ」

どちらも非常にいいです。
両方とも毎日あるので、1日のアクセントになってます。

毎日の出来事の中で本当に嫌なこともいっぱいありますが
こうやっていいこともあります。
何というか、新しい試みや新しい人が見えて来ているように思います。
劣化したものが壊れて行くときに事故のように何かが起こるのは当然で
だから、嫌なことが起こってやだなではなく、良くないものが劣化することは当たり前、いいことだくらいに思いたいものです。

こないだ、元教え子が「パラダイムチェンジ」って何ですか?と質問が来ました。
彼女も同じようなことを考えてるんだろうなと思います。

**************

三月、四月は金欠の月
豆や卵や豆腐が多用されます。
あと一ヶ月、頑張ります。
うふふ。




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2017年03月19日

嘘をつくなというな。

2017-02-28-11-28-41

竹薮は某防衛大臣を好かない。
全くもって好かない。
立ち居振る舞いから洋服のセンスから表情から声の調子から
とにかく好かない。

だからと言って、
嫌い=悪いではないし
(もちろん、彼女の場合は悪いんだけど)
政治というのは好き嫌いでもないので
この間の顛末をなんだかなあ〜〜〜と思って見ている。

特に「嘘をついた」ことを
鬼の首を取ったようにいいたてることだ。

そして異口同音に嘘をつくなという。

それはまあ、その通りなんだけども。
それって何か意味あるんですか?
マジで。

このブログでも既に書いたと思うんだけども、物事の前提になる心構えってのは、それはもう言わずもがなで、そこを言い立ててもなにも進まないってことをちゃんと確認した方がいい。

やる気があるのか!!とかって叱り飛ばしても、相手が「あります」って言ったらそれ終わりで、嘘つけ、ないに決まってるとせめても、やる気って血液検査したらわかるんですか?とかいう冗談はさておき、あるかないかは検証しようがない。だったらやる気を問題にするよりも、いついつまでにこれこれをやれと指示して、できなかったら、なぜできないのかという原因を究明し、その原因を取り除くようにすることが解決であって、やる気など問題にしてもなんの意味もない。

だから、件の大臣も、嘘をついたので大臣の資質が疑わしいという精神論ではなく、見える事実を問題にした方がずっとずっと生産的だ。攻める方が「嘘をつくな!」と精神論に堕してしまうから守る方も「誠心誠意」とかいうことになる。

日本人は精神論大好きだからねえ。

「誠心誠意」というのなら、日報の改ざんが「誠心誠意」なんですね?
ぐらいのことを言えないかね。

良い悪いの前に事実確認、因果関係の確認がまず第一で、その事実を共通の前提にして、そこから良い悪いの判断が始まるのが順序であって、良い悪い(ひょっとしたら好き嫌いー冗談ではなくほんとにありそうな気がするから猛烈怖いが)の立場から事実をいじろうとするから、話が噛み合わない。


今回の制服組の反乱は、文民統制によって現場が守られないからだろう。
現場はいつも置き去りにされ、命を危険にさらすことを求められ、感謝するとか言われる。国を守るために、個人的に殺人を犯すことを求められるのだから、戦闘行為ではなく衝突になるのは当たり前だなとツッコミたくなるが、その辺のことを全く考えず、

戦闘を衝突と言い換える「姑息さ」
記憶で物を言う「非常識」

などの精神論を問題にしている限り、政治的解決は絶対にできないだろう。
政治家諸氏、マスコミ諸氏は
そのあたりをよく考えて議論してもらいたい。

「嘘をつくな」禁止、
「事実と異なる」で良い。
その次は「この事実を認めるか」である。
認めるしかない。
さらに、「この事実はなにを意味するか」と話は進む。
それができないから、「誠心誠意」なんて無意味な言語しか出てこない。

今の国会は感情的に子どもをしかりつける、愚かな親と全く同じだ。

親子には感情的交流というのもあろう。
しかし、国会でそれをやるのはなあ。

***************

久々にお昼にぶっかけうどんを作った。
茹でたうどんに温泉卵と天ぷらを少々
(今回は芋天と人参と筍のかき揚げ)
ちくわなどの練り物
刻みネギ
そこに濃いめのタレをかける

餅麦で作ったという生うどんがあったので買ってみたのだが、
袋通りの茹で加減では柔らかすぎた。

でも、やはり、うどんは美味しい。




takeyabu31 at 17:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) | ポスト3.11

2017年03月13日

大人の社会科、大人の国語、社会科学LINE

2017-02-28-11-23-11


大人の社会科と銘打って始めた企画。
月に一度、プラスド西東京というNPOの事業の一つとして
大体子育て終了?もうちょっと?くらいの方を対象に講座をやってます。
満三年にあと一回まできました。
最初は大人の社会科だけだったのが、二年目から「小説を読む」を追加。
昨年度は、社会科でお金、小説は3.11を読む。
今年度は、社会科で女ってなんだ 小説は、戦争を読む。

これ、本当に力一杯でやってて、
終わったら疲れ果て日曜日は使い物にならない状態。
でも、三年間ずっとおつきあいしていただいてる方もあって、
竹薮自身を成長させてくれていると思っています。

思えば、還暦を過ぎて、新しい経験をできるのはうれしいこと。
素晴らしい聞き手に感謝です。

普段授業をするときは
もう勝手知ったる博物館の学芸員のような感じで
どこに何があるか、見学者がどこでどう感動したりするか
もう熟知しています。
あんなパターンやこんなパターン。
それに対応して、竹薮もああ出たりこう出たり。

でも「大人の〜」はちょっと違う。
しちめんどくさいことを考えたり、学んだりしてみようという大人の女性。
そういう人たちは感受性が豊かで。ご自分の感じたことが竹薮によってどのように表現されるのか待ち受けてる感じなんです。そこには無意識だけど真剣なやり取りがあります。

この間、倉本聰のドキュメンタリで、
プロというのは自分の力で何事かをなすだけでは不十分で
「何かがおりてくる」ように自分をもっていける人だといってました。

竹薮にとって「大人の〜」はまさにそれです。
2時間喋るのに、だいたい机の前に7、8時間座るし
それ以前いろいろ読むし
一週間くらいはずっと頭にそのテーマが転がってます。

で、レジュメを用意してあらすじは決まってるんですが
喋り出すと、内容がレジュメより二段は深まります。
事前に考えてない言葉やふくらみが出てきて、発見があるのです。
それは場の力で、素晴らしい聞き手がいて、
そこに向かって気持ちの良い緊張があって話すからだと思ってます。
もうぐったり。でも気持ちいい。脳をしっかり使います。

そういう場があることは本当に豊かなことだと思います。
この間は番外編でゆるこちゃんが卒論の発表会をしました。
いいでしょう。

もうひとつ
ネット上で社会科学的に考えるとはどういうことかというゼミをやってます。
毎週、ひとつ竹薮がテキストを書いて、LINE上にあげます。
そうすると、そこにわ〜〜〜とコメントがついて議論が進むのです。
参加者は30代女子3名(あれ?40代もいたっけ?)人文系の人ばっかで、心理とかそういうことはよく考えるけど社会科学的発想が薄い。日頃からそうじゃなくてさあ、こういう風には思えない?と突っ込みたくなる竹薮。そこで、こんなんやってみようかと提案したら、ワーワーと盛り上がり実施することに。二月から初めて、週1で真面目に、楽しくやってます。

知ってる人、わかってる人が、知らない人、わからない人に語る。説明する。
そこからフィードバックがあって、さらに知が発展する。
これって学問の基本形だと思います。

学問て、大学に行って単位取ることではなくて、生きるのに必要なことを学ぶということだと思います。大学で学ぶ学問も本当は同じはずなのに、世の中の仕組みがそれを単なる学歴に矮小化してしまいました。それはとても残念なこと。「大人の〜」も「LINE〜」も生きてるのに必要なことを一緒に考えるということです。今、苦しいこと、どうにもならないことを、それはなぜなのか?その意味することは何か?などを説明して、それが理解されるのは本当にうれしいです。

だから、もっと考えよう、読もうって気持ちになる。
もういいやってことはない。
特に今激動の時期だし。

主婦は家庭科じゃなくて全教科。
これ竹薮の持論です。

もうすぐ新年度
今年は、大人の国語で恋愛小説を読みます。社会科の方は激動って何がどう激動なのか?みたいなことを考えます。お近くの方でご興味あればぜひどうぞ。新年度から月に一度、日曜日2時半からです。

****************

今日は寒い。
気温はそうでもないけど、日が射さないと我が家は寒い。
まあ、気温は19度で暖房入れるほどでもないですが
いつもは日光のせいでポカポカなので、さむっと思います。

だから今夜は豚汁の予定。
他は何にしましょうかね。

写真は道端のアロエに咲いた花。
こんなに艶かしい花なんですね。

****************

秋から旧館の問題主婦が消えてます。
プロバイダを変更したためです。
内容はDLしてあるので、おいおい、こちらに移動しようと思ってるんですが、なかなか。
でも頑張ります。
iPadでしかアクセスできなくなったmixiの対策や、もう混沌としてきたTwitterのリストの整理もしたい。今週から高3生は新年度で週に二回出勤します。だから、4月の半ばから高卒生が本格化するまでに、何とかしないとね。やること満載。ありがたいことです。

ちなみにこんなの始めました。
いつまで続くか。
でもまあ、ちょっとやってみます。





takeyabu31 at 15:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 婦人口論(批評) | 問題主婦の主婦論

2017年03月06日

本当に美味しいものは

2017-03-05-11-10-41


こんなツイを読んだ
安倍首相は二度目の登板のときに「自分に媚びる人たちにのみ排他的に過分のご利益を与える」というルールを採択したのだと思います。それで党内と官僚とメディアの首根っこをあっという間に抑えてしまった。これは首相の狡知より「抑えられた」側の性根の卑しさの「成果」と言うべきでしょう。内田樹2017年3月4日

これを読んで思った。
なんで、そんなに「過分の」お金や権力がほしいのか。
理解できない。
もちろん竹薮としては、もうちょっとお金ほしい。
でも、せいぜい年に百万でいい。
そりゃ何億もあったら色々出来ることやしたいことがある。
でも、それは竹薮個人のためではない。

例えば、竹薮は外食が好きではない。
1人前1万円ぐらいの食事でも、全然ありがたがらない。こんなもん?とか思う。
それよりは自分で作って自画自賛でビール飲んでる方がいい。

当たり前だ。
1万円の食事の材料費ってどのくらいだろう。5千円てことはないとおもう。もっと少ないはずだ。それが商売というものだ。

竹薮が絶賛した外食は、山形で止まった旅館の夕食。これはほんとに美味しかった。何がって日本海で取れた魚の刺身や山形牛のステーキよりも、山の幸が絶品だったのだ。山の中の宿だったのだが、四季を通じて山に入り採集したものを新鮮なまま、あるいは保存したものを調理して出す。詳しくはもう忘れてしまったが、本当に美味しかった。つまり、誰でもとっていいものだ。その「過分」ではないものをどう生かすかというセンスと技術がすばらしいのだ。あれはまた食べたい。何度でも食べたい。

でも、年に1回、2年に1回でいい。

「過分」という「人より上」という相対的なものに高いお金を払う気にはなれない。
そう思うと<自分の好きなものを好きなように作って食べる>これは日常というより、
趣味なのかもしれない。

だから、そういう趣味のない人はファストフードだと割り切って、サービスを買えばいい。
それを高級だと誤解して有難がるから、おかしなことになる。

「あ」の人は自分の仲間に特別に利益配慮して、
それを有難がるひとたちが「あ」の人に群がり「あ」の人をまもる。

ほんとにありがたいですか?
ほんとにそのお金で買ってるお料理美味しいですか?
美味しいはずだとおもいこんでるだけじゃないですか。

今朝、タケヤマがバッグのファスナーが壊れたから、このバックどうしよう?と言った。ファスナー取り替えればいいんじゃないの?0号なら確実にダンボールいっぱいのファスナー持ってたけど、洋裁好きな人に上げちゃったかも。探したらなかった。でも、ファスナー1本くらいどこにでも売ってるし、取り替えるのはさほど苦でもない作業だ。それなら、取り替えようと竹薮は思う。なんでも使い安いバッグで気に入ってるんだそうだし。そもそも、リサイクルショップで買ったヤツなんだけど。

これが、平等に貧しくなるってことなんじゃないかと思う。ブランドもののバッグ、ほんとにすばらしいですか。すばらしいはずだと思ってるだけじゃないですか。何千万もする時計はどうですか?

その人が、ほんとに時計が好きなら、バッグがアイデンティティならとめないけど。

竹薮は本当に雑草が好きなので、最近見つけた「ヒメオドリコソウ」の群生から一株頂戴したいのだが、少々躊躇している。所有者のわからない土地だから。で、その「ヒメオドリコソウ」と「ブランドバッグ」は「好き」という点では同価値だ。

自分が愛するものは「過分」である必要はない。

それでも「過分」を求める人がいる。
すごいなあ。

こないだ、若い友人が言った
「アウトカーストの人でないと仲良くなれな〜〜〜〜い!」
大賛成である。

***************

1号、2号共に家を空けていた数日がすぎて今朝は山のような洗濯物。
日常が戻ってきた。さあて、踏ん張りましょう。

写真は2号が障害者センターの文化祭でもらってきたビオラ
秋にはちっちゃな苗だったものが、成長し、花が咲くのなんのって。
花も長く咲きますねえ。まだ全然、花がらになりません。
いくつかはタネにして増やしてみようかな?なんて。
うまくいくでしょうか。

土曜、日曜とタケノコたちの好物を作りました。
土曜は中華おこわと煮卵、角煮
日曜はキャベツのグラタン
今日は何にしましょうか。



takeyabu31 at 07:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック こまつな倶楽部(食べる) | 婦人口論(批評)

2017年02月25日

全てをスルーするの続き

2017-02-13-13-16-50


こないだ、ある人からアスパルガーの精神年齢は実年齢×4分の3だと聞いた。
なるほど。
で、わたしは、現在の成人年齢は30歳だと考えている。
つまり30歳は20歳。

1号は今年30になる。ということは20歳。×4分の3は15歳。
つまり彼の精神年齢は15歳なんだ。
素晴らしい。
思春期になったのだ。
じゃあ今までのはなんだったのだと考えれば、反抗期ってことになる。
はいはい。

今、1号はもう大変な母嫌いで大変なことになっている。ほんと、大変。
でも、15歳なら当たり前だ。

で、ともかくスルーする。
ただただスルーする。

実は竹薮は明治生まれの父と大正生まれの母に育てられたので、効率の悪いのが嫌い。
「ちゃっちゃとやる」のが大好き。
口もでる。
Aした方がいいのに、Bするのを見てるのは、かなり苦痛。
しかし、スルーする。

今日も午後3時までにやった方がいいことがあった。
で、午後1時から3時まで出かける用があった。それならば、出かける用の前にやるべきことを済ませるのは普通だと思うのだが、彼は惰眠。いつものように惰眠。アスペルガーだから仕方ないんだけども、頑強にいつものルーティンを守る。う〜〜〜ん。

わたしの方はいつもの家事をして、録画を見て、それが済んだらCURVESに行った。
家にいるとイライラするから。帰ったら、予定より早く出たのかいなかった。だから色々するべきことをして、書斎に入る。そのうち帰ってきて、バタバタやって出て行った。5時過ぎだったか。

そう、遅れてもいいのだ。
3時っていわれても、3時でなくともいい。
(そこで、3時にやろうというのはわたしの効率主義に過ぎない)
遅れても慌てることはない。別に誰かに迷惑かけたわけじゃないから。

というわけで、スルーだ。

2号は27歳になるからマイナス10歳で17歳
これまた思春期真っ只中。
家にいるのが嫌で仕方ない。
この家の居心地が悪いというなら、どの家の居心地がいいか言ってみろと詰め寄りたいがスルー。
思春期の人間というのは、とにかくめんどくさいもんで、それを正攻法で合理的な説得などできやしない。本当に人間はめんどくさい。

スルー。

この歳になって、こういう面倒くささを味わうとは思わなかった。

竹薮が上京するとき、0号は一年以上前から準備して、アイロンだの一人用炊飯器だのを買い揃え、家を決めたら後は運び入れるだけだったことを思い出す。その後も荷物が届くたびに隙間にはタオルや石鹸やティッシュペーパーが詰まってて、新聞紙なんてことはなかった。

そういうのが竹薮のイメージだったんだけども、どうも違ってるらしい。
だから、何?だ。

子どもが変わるということは、親も変わるということだ。
親子が丸ごと変わるんだ。

さて、どうなりますか。
踏ん張りどころだよ。お母さん。

***************

今日の夕飯

筑前煮の残り物
子鯵のマリネの残り物
きのこのアヒージョの残り物
お取り寄せのタン

タンだけ焼きました。
今日はタケヤマと二人なので、冷蔵庫から出しただけ。
お取り寄せのタンは美味しかった。
タケノコたちがいなければ、ご飯もこんなに簡単なんだね。

早く来い来い、そういう日!

***************

テレビドラマレビューのブログを作ろうと思ってます。
うふ。

上の写真はお榊の裏についていた花。
初めて見ました。
こないだ、お榊の鉢植えを買いました。
あんな花が咲くようになるかな。



takeyabu31 at 21:40|PermalinkComments(3)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック とんまの親子(子育て介護)