「私、○○って嫌いなんだよねぇ〜」明日、ひさびさに「たこ大」

April 10, 2007

LET'S READING!!!


 僕はどうも本が好きだ。本は僕に生きていく上で重要なことから遠い国のある地方の言い古された伝説まで、さまざまなことをここにいながらにして教えてくれる。

 僕らのまわりには、格差社会とか少子高齢化とか環境問題とか他にも知らないたくさんの問題があるようだ。どの問題も単純に出せる正解なんてなくて、それは学者とかそういった偉い人たちが一生けんめい考えて作り出した答えであっても、そのどれもが全ての人を納得させられないってことからもよくわかる。

 そんな大きなのじゃなくても、もっと身近なところにもいたるところに問題はある。クラスのみんなともっと仲良くしたいとか、彼女をずっと好きでいたいとか、給料をもっともらえるようになりたいとか、子育てに追われて休みがないとか、若い部下に技術を上手に伝えたいとかそういうひとりひとりにとって身近な問題がそこかしこにちらばっている。

 一つ一つの問題が難しかったり答えが色々あったりするから、いざ「じゃぁ、今何から始めたらいいの?」ってなるととたんに何もわからなくなるんだけど、でもひとつ、これだけは言える。それは、あたりまえだけど、

「僕らは未来を今よりもよくしたいと思っている」

ということ。

 どう考えたらいいか、なにを知ればいいかはわからないけど、本を読むことが何かのキッカケになるかもしれないのなら、そして皆で考えることで解決できることがあるのなら、僕たちはもっと本を読もうぜっ! って思うんだ。
 だから、「LET’S READING!!!」って僕はいつも言うんだ。



 人生は時に残酷だ。好きな人が自分のことを好きでいる可能性は低いし、夜遅くまで勉強してもなかなか偏差値は上がらないし、行きたくなったときに限ってトイレは近くにないし、本人は良かれと思ってやったことが周りに迷惑かけていたりする。人には想像力というものが備わっていて、それが上手に働かないときに人は残酷だなぁって感じてしまうところがある。
 そんな残酷な毎日を過ごす中でもっとも恐れてしまうもの、それは「知らない」ということなんだ。

 昔の人は必要以上に雷を怖がった。雷が電気だと知らなかったからだ。日食も、子供が暗闇を怖がるのなんかもそう。それがどんなしくみでできていて、どういう影響を及ぼすか。それを知らないから人は怖れを抱く。

 僕らは誰も未来がどういうものか知らない。だから未来というものは基本的に怖いものなんだよね。でも一方で、その怖いはずの未来をよくしたいと思っている。そのためにはどうすればいいか。
 それは、怖れよりも大きくて強い希望をもつことしかないんだ。


 今のようなやるせない世の中でそれでも未来に希望を持つためには、まず過去を知り、今を知ることで未来をできるかぎり予測し、その中で不安を解消しつつ、(こうすればさらに良くなるんじゃないか)ってことをちょっとでも実行することに尽きる。そしてその希望をみんなで共有することで、気がつけばとんでもないことができるようになってたりするんだ。


 めちゃめちゃ好きな人がいると相手にも自分を好きになってもらいたいと思うだろう。進路決めなきゃいけないけどなかなか気分が乗らないなんてこともあるだろう。パチンコ止めなきゃいけないんだけど止められないって人もいるだろう。そういう時、じゃあ一体今この時点で何をすればいいと思う?
 そういう問題は細かく言えば君固有の問題なんだけど、実は似たようなことは過去にも色んな人が経験していて、その一部は本というカタチで残されている。

 本はそういう君の求める意味を最高のタイミングで君に伝えるために存在しているんだ。
 

 ワタシは本を読まないぜって人は、ためしに一度、本屋さんや図書館に行ってみてほしい。そして題名でも表紙の絵でもいいからピクッと気になった本があれば読んでみてほしい。気になるってことは君のアンテナが反応しているってことだから、あとは回数を重ねてそのアンテナの感度を上げていけばいい。
 するときっとわかると思う。同じ本でもビシビシ感じる時もあれば全然面白くないときもある。それが本の持つ意志とタイミングってヤツなんだ。


 実はこれは本に限らず、音楽映画仕事も何もかも全ての出会いに意志とタイミングがあるんだけど、中でも本を読むという行為は自分からの働きかけを必要とするもの。だからあえて本に絞ってこういうことを言うんだけどね。




 インドなんかはいまだに階層意識が根強くて、貧民層では手や足のない子どもが物乞いをしていることが多くあるらしい。そではなぜ手や足がないのかと言うと、親が子どもが飢え死にしないようにあえて切り落とすからだそうな。
 生きていけるように子どもの身体を傷つける親の気持ちとそれを受け入れた子どものことを考えると、もうどうしようもなく絶望的な気分になる。

 それと同時代を生きる一人として僕は自分に何ができるか考えたときに、あまりにも自分が無力であることを痛感した。それでもその中で何か生産的なできることとして僕は本の物々交換、つまりかえる文庫を始めた。本から得られる知識なら、何もない僕からでもシェアできると思ったのがその理由。
 

 本を身近にすることでもっと皆で本を読み、そこから知識を得、それを生産的な活動に結び付けていこう。そしてその集合がよりよい未来を築くことに少しでも貢献できるなら、そして間接的にであれ一人でも多くの子どもの腕を切り落とさなくてすむようになるなら、それって幸せなことなんじゃないかなぁ、と僕は思っています。

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この記事へのコメント

1. Posted by まんしょん屋   April 10, 2007 16:30
今は便利な世の中になった。
こないだのブルーオーシャンもそうだけど、アマゾンでクリックするだけで数日後には手元にやってくる。

でも、それはその本を「知っている」もしくは「読みたい」からであって、自分の知らない本は知っている数の何百倍・何万倍もあるんだよね。で、知らない本を買うことは出来ない。だってその本の存在を「知らない」わけだから。

本に対してアンテナ張ってる人はまだいいけど、そうでない人はものすごく出会う確立は少ないわけで。そういう意味でもかえる文庫って考え方はいいねぇ。


2. Posted by まんしょん屋   April 10, 2007 16:31
{続き}


自分は正直言って、本はそんなに好きなほうじゃないと思う。自分の興味ある題材(例えば三国志)は目に入ってくると買う!みたいな感じだけど、それ以外はあまり・・・。人が薦めてくれたり、良かったよって感想聞くと読んでみる・・みたいな感じかな。

大体自分の世代の人は分かってくれると思うけど、江戸川乱歩に始まり、三毛猫ホームズにはまりみたいな。

何が言いたいかって?
たこちゃんが語りかけてきてるから、俺も誰かに語りかけてるだけ・・・。

ブログ流行ってるよね?これもひとつのミニ文庫だよね。人の意見や考え方を読む。違うのは一方通行かそうでないかだけ。本への返信は、自分のその後の人生に対してすればいいだけなんだよね。

では・・・。
3. Posted by 店主   April 11, 2007 23:39
>本への返信は、自分のその後の人生に対してすればいいだけなんだよね。

ほんとそうですよね。で、その集まりが結果的にいい方向になると僕はこっそり信じてたりするんです。

そうそう。ブルーオーシャンはどうでした? 個人的にかえる文庫プロジェクトはひとつのブルーオーシャン足りえるんじゃないか? なんて思ってたりもするんですよ^^

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