昨日帰宅。
自分でもよもやまさかでしたが、会社の指定日に健康診断を受けたら、心筋梗塞発覚→緊急手術。「あと1週間遅く検査を受けてたら死んでましたよ」とお医者さんに言われました。以下、顛末記。
■起
10日朝の事。何時ものようにブログ更新をして、その後で会社が指定する津山中央病院へ。家の近所の市役所がある通りから循環バスが出ているので、それに乗ればよかろうと思っていたら、乗り遅れた。まずここからケチの何とやら。
しょうがないので、蒸し暑い中を1時間半ほどかけて歩く事に。次が1時間後だったし。前日夜9時以降は絶飲食と言われたのを後生大事に守りながらトボトボと。
9時前に到着し、受付で関係書類に記入。「何か体に異変がありますか」との質問事項があったので、「気管支が痛む」と書きました。喘息もちで、気圧の谷が近づくと痛むので、今回もそうなんだろうと(ここ数日の日本列島の急な大雨は皆様共通の認識でしょう)。今から考えれば、ここが運命の分かれ目でした。
■承
検便提出→採血→身長と体重測定→レントゲン→心電図→視力検査→聴力検査→バリウム検査という流れでしたが、心電図の結果を見た看護師さんが、まるで万引き犯らしきオッサンを見とがめた私服の警備員のような視線をワタクシメに投げかける。
一方、それを気にせず、時折気管支の痛みを感じながらバリウム検査へと向かいました。全てが終了したら、お医者様から所見を窺う予定でしたので、その時にでも聞けばよいかと。
そうしたら、他の人は次々に呼ばれるのに、自分だけ置いてけぼり。「何これは」と訝しがっているところへ、わらわらと制服姿のお医者様が数人取り囲み、その中の1人が「レントゲンと心電図の結果から、心筋梗塞を起こしている事が推察されますので」というなり、搬送の担架にあおむけにさせられ、手術室に直行。
え、えーっ?
■転
部屋の前で「ご家族の連絡先は」と尋ねられる。手術の承諾とか、手術代の支払いの保証人とかの手続きが必要だと言う。「独身で結婚歴無し」と言うと、では近親者の連絡先をとなり、大阪と宮崎にそれぞれ住む妹の電話番号を告げる。そしたら今度は「かけて下さい」と。そこで我が姿に気づく。怪しいひげ面で不健康なブ男。諸事情訳アリの流れ者と誤解された模様。不徳の致すところですなぁ。皆さん、面倒くさがらずひげはそっておきましょう。
■結
大阪の妹は電話に出ず、宮崎の方が出た。こないだちょっと口喧嘩をして以降ぎくしゃく。ただ、事情を話すと流石に驚いた様子。「病院の人が誰か立ち会うてくれと言うてんねん」と言うと「遠すぎて無理」との事。冷たいなと思いかけたけど、いやいや、津山と宮崎だったら頑張っても7時間ぐらいかかるしなと。その後、執刀の先生と妹が数分話した後、しゃーないというか、立会無しでの手術と相成りました。
万が一失敗した時に備え(と言うか、健診で1日休むだけだったので)、会社に電話したら、社長が驚愕(そらそやろ)。「お医者様は最長2週間の入院と言うてはります」と伝え、可能な限り有休対処してもらう事にしました。78キロの体を数人がかりでベッドに移す作業(この時ほどダイエットしておけばよかったと痛感した事はおません)をして、いよいよスタート。
およそ1時間半ほどでした。右手に小さな針孔を開けて、そこからカテーテルを入れていくという術式。勿論、局部麻酔は打ちますし、痛くは無いのですが、想定外だったのは尿管へのドレーン装着。こちらは麻酔無し。マジで飛び上がりそうになった。もっとも、看護師さんによると、女性の方が尿管が細いので数倍痛いらしい。
時折り声をかけ、それに受け答えしていくという、ちょっとシュールな感じの手術。生まれて初めての体験でしたが、大きな照明から発せられるまばゆい光というのはもう昭和の話なんですね。左側に大型スクリーン(モニター4台がくっつけられ、それぞれがデータを表示していました)を見ながらカテーテルを心臓の真上まで持って行く作業。何だかeスポーツみたい。金属アレルギーがあると申告したので、金属による拡張は無しだとの事でした。
■それから
ともあれ、無事終了。気管支の痛みは消えましたが。局部がうずく。麻酔が切れてからの右腕もジワジワーっとうずきが。そして、再び妹に電話。お医者様ともども手術が成功したと伝え、集中治療を受けた患者専用の病棟へ。
ここは異様なほど冷房が利いていて、かつ、ベッドがフカフカ。手術後「私たちが良いと言うまで一人で勝手に起き上がらないように」と言われ、ずっと天井を見上げながらの無言のまま同じポーズ。すぐ隣の患者さんは、昭和懐メロ歌謡祭の録画を見るともなく見ている模様。こちらは、それも見る事も出来ないまま、聞き入るのみ。無言の業が苦行に思えだしてきた。
すると「あの、寝返り打つぐらいはかまいませんよ」と看護師さんが。それを早く言うてくれホンマ。
なお、何だかんだで当日はその病棟から出られず、何故か食事も翌朝まで出ず。それでも、ある種の極限状態にあったせいか、不思議と空腹感を覚えず。一方、ほっとしたのか急に眠くなり、以後、翌朝まで断続的に眠りました。
■翌朝
翌朝、ようやく食事が。病院食とはよく言ったもので、「え、これだけ?」というボリューム。1分以内にペロリって感じでした。もっとも、味は悪くなかった。食べた後で、執刀の先生や、各種手続きのための事務員さんとかがひっきりなし。お医者さんとは忙しいもんですね。何でも、心筋梗塞の手術は1日10件はこなすそう。「ただし、今回のような緊急手術は稀です」とも。
こちらが「会社の指定した健康診断日が昨日だったんですわ」と答えると「それまで痛みはどうでしたか」「ありましたけど、喘息もちの身で、過去にも気圧の谷が横切る時は痛みがあったもんで」というと、笑いながら「運の良い方だ。指定が1週間後だったら死んでましたよ」。1週間後なら、市川雷蔵や石原裕次郎と同じ命日だな、などと不謹慎な連想をしてしまった(前の前の職場で、『きょうは何の日』系のレイアウトしてきたもので、そういうのは覚えていたりする)。
ちなみに、先生によると、心臓の冠動脈が8割方詰まっており、ふさがる寸前だったとの事。最悪そうなると心臓が破裂するんですって。いやー、マジで死線からの帰還ですなぁ。
案じていた入院日数は2週間から手術直後は「6日ほどですかね」となり、結局昨日の退院となりました。今後は定められた処方薬を飲み、毎日決められた時間に血圧を測り、かつ、グレープフルーツを飲んではいけないと釘を刺されました。そうか、焼酎のグレープフルーツ割が今後は飲めないのか。あ、もう数年は禁酒って話ですよね。
気になったのがバリウム検査をせず終いだった事。心電図から循環器が悪い事が分かったけど、じゃあ消化器は?となりますよね。「今度はここが悪いので追加手術を」とでもなりはしないか。
その事を言うと「日を改めて検査しなおすしかないですね」との事。麻酔薬とか、予後の薬とか飲んでいる分、正確なデータを取れないのでしょう。かくして、次回は8月20日再訪と相成りました。
気になるお値段は結局7万円弱。高額医療に相当し、かつ、健康保険でそんだけの額に落ち着いたとの事。5000円を頭金に分割してもらう事にしました。
御赦免は10時過ぎ。ドストエフスキーの「死の家の記録」のラストを思い出しながら、支払窓口に並び(結構待たされた)、「使い捨てなんですけどどうしますか」と言われたので入院患者に与えられる洗面器と歯磨き粉、ブラシなどなどを記念に持ち帰る事を決意。院内の公衆電話から会社に電話し、15日まで休む事にしました。
ただし、そのままバスで帰宅はせず。血圧測定器を買わねばならなかったので、病院から見える津山のイオンまで歩き、そこで4000円のを購入。合わせて、携帯電話の充電器も買い、フードコートで読書しようかと。外が暑かったしね。
まぁ、61にもなったら色々とガタが来て当然ですが、そういう思いも含め、素人診断は禁物やなぁと。今回の発覚と初手術は、幸運の賜物としか言いようがありません。ちょっとした事で即座に救急車を呼ぶのは顰蹙物ですけど、「大した事ないで」と思ってはいけない。侮りの向こうに死神がおいでおいでしてるかもしれないのだから。特にここは強調しておきたいところです。
あと、「死ぬのかも」と思いつつも、不思議と恐怖心が無かったかな。いや、強がりでも何でもなく。これが拷問とかだったら恐怖だったんでしょうけど。今までの人生、物損事故6回、自らが巻き込まれた人身事故2回(うち、1回はNHKの全国ニュースになった。なお、ワタクシメは免許を持っておらず、全て助手席もしくは後部座席或いはバスの座席での事故です)、乗ってる電車への飛び込み自殺が2回、阪神淡路大震災、大阪北部地震、北海道胆振東部大地震と3回も大災害に遭ってきたからかも。ただ、今回はそういう悪運すら使い果たしてしまったのかもなと思っております。前の前の会社を辞めて15年、一度も健康診断受けてなかったし。久しぶりで、これ。そういう意味でも運が良すぎ。
ともあれ、「生かされた」のなら、今からどうしていこうかとは思ってしまった。ささやかながら培ったメディアビジネスへの知見を早急に言語化しておく必要はあろうかなとも。
ま、聞いてくれる人たちがどんだけおるかという世界ではあるのですが。
自分でもよもやまさかでしたが、会社の指定日に健康診断を受けたら、心筋梗塞発覚→緊急手術。「あと1週間遅く検査を受けてたら死んでましたよ」とお医者さんに言われました。以下、顛末記。
■起
10日朝の事。何時ものようにブログ更新をして、その後で会社が指定する津山中央病院へ。家の近所の市役所がある通りから循環バスが出ているので、それに乗ればよかろうと思っていたら、乗り遅れた。まずここからケチの何とやら。
しょうがないので、蒸し暑い中を1時間半ほどかけて歩く事に。次が1時間後だったし。前日夜9時以降は絶飲食と言われたのを後生大事に守りながらトボトボと。
9時前に到着し、受付で関係書類に記入。「何か体に異変がありますか」との質問事項があったので、「気管支が痛む」と書きました。喘息もちで、気圧の谷が近づくと痛むので、今回もそうなんだろうと(ここ数日の日本列島の急な大雨は皆様共通の認識でしょう)。今から考えれば、ここが運命の分かれ目でした。
■承
検便提出→採血→身長と体重測定→レントゲン→心電図→視力検査→聴力検査→バリウム検査という流れでしたが、心電図の結果を見た看護師さんが、まるで万引き犯らしきオッサンを見とがめた私服の警備員のような視線をワタクシメに投げかける。
一方、それを気にせず、時折気管支の痛みを感じながらバリウム検査へと向かいました。全てが終了したら、お医者様から所見を窺う予定でしたので、その時にでも聞けばよいかと。
そうしたら、他の人は次々に呼ばれるのに、自分だけ置いてけぼり。「何これは」と訝しがっているところへ、わらわらと制服姿のお医者様が数人取り囲み、その中の1人が「レントゲンと心電図の結果から、心筋梗塞を起こしている事が推察されますので」というなり、搬送の担架にあおむけにさせられ、手術室に直行。
え、えーっ?
■転
部屋の前で「ご家族の連絡先は」と尋ねられる。手術の承諾とか、手術代の支払いの保証人とかの手続きが必要だと言う。「独身で結婚歴無し」と言うと、では近親者の連絡先をとなり、大阪と宮崎にそれぞれ住む妹の電話番号を告げる。そしたら今度は「かけて下さい」と。そこで我が姿に気づく。怪しいひげ面で不健康なブ男。諸事情訳アリの流れ者と誤解された模様。不徳の致すところですなぁ。皆さん、面倒くさがらずひげはそっておきましょう。
■結
大阪の妹は電話に出ず、宮崎の方が出た。こないだちょっと口喧嘩をして以降ぎくしゃく。ただ、事情を話すと流石に驚いた様子。「病院の人が誰か立ち会うてくれと言うてんねん」と言うと「遠すぎて無理」との事。冷たいなと思いかけたけど、いやいや、津山と宮崎だったら頑張っても7時間ぐらいかかるしなと。その後、執刀の先生と妹が数分話した後、しゃーないというか、立会無しでの手術と相成りました。
万が一失敗した時に備え(と言うか、健診で1日休むだけだったので)、会社に電話したら、社長が驚愕(そらそやろ)。「お医者様は最長2週間の入院と言うてはります」と伝え、可能な限り有休対処してもらう事にしました。78キロの体を数人がかりでベッドに移す作業(この時ほどダイエットしておけばよかったと痛感した事はおません)をして、いよいよスタート。
およそ1時間半ほどでした。右手に小さな針孔を開けて、そこからカテーテルを入れていくという術式。勿論、局部麻酔は打ちますし、痛くは無いのですが、想定外だったのは尿管へのドレーン装着。こちらは麻酔無し。マジで飛び上がりそうになった。もっとも、看護師さんによると、女性の方が尿管が細いので数倍痛いらしい。
時折り声をかけ、それに受け答えしていくという、ちょっとシュールな感じの手術。生まれて初めての体験でしたが、大きな照明から発せられるまばゆい光というのはもう昭和の話なんですね。左側に大型スクリーン(モニター4台がくっつけられ、それぞれがデータを表示していました)を見ながらカテーテルを心臓の真上まで持って行く作業。何だかeスポーツみたい。金属アレルギーがあると申告したので、金属による拡張は無しだとの事でした。
■それから
ともあれ、無事終了。気管支の痛みは消えましたが。局部がうずく。麻酔が切れてからの右腕もジワジワーっとうずきが。そして、再び妹に電話。お医者様ともども手術が成功したと伝え、集中治療を受けた患者専用の病棟へ。
ここは異様なほど冷房が利いていて、かつ、ベッドがフカフカ。手術後「私たちが良いと言うまで一人で勝手に起き上がらないように」と言われ、ずっと天井を見上げながらの無言のまま同じポーズ。すぐ隣の患者さんは、昭和懐メロ歌謡祭の録画を見るともなく見ている模様。こちらは、それも見る事も出来ないまま、聞き入るのみ。無言の業が苦行に思えだしてきた。
すると「あの、寝返り打つぐらいはかまいませんよ」と看護師さんが。それを早く言うてくれホンマ。
なお、何だかんだで当日はその病棟から出られず、何故か食事も翌朝まで出ず。それでも、ある種の極限状態にあったせいか、不思議と空腹感を覚えず。一方、ほっとしたのか急に眠くなり、以後、翌朝まで断続的に眠りました。
■翌朝
翌朝、ようやく食事が。病院食とはよく言ったもので、「え、これだけ?」というボリューム。1分以内にペロリって感じでした。もっとも、味は悪くなかった。食べた後で、執刀の先生や、各種手続きのための事務員さんとかがひっきりなし。お医者さんとは忙しいもんですね。何でも、心筋梗塞の手術は1日10件はこなすそう。「ただし、今回のような緊急手術は稀です」とも。
こちらが「会社の指定した健康診断日が昨日だったんですわ」と答えると「それまで痛みはどうでしたか」「ありましたけど、喘息もちの身で、過去にも気圧の谷が横切る時は痛みがあったもんで」というと、笑いながら「運の良い方だ。指定が1週間後だったら死んでましたよ」。1週間後なら、市川雷蔵や石原裕次郎と同じ命日だな、などと不謹慎な連想をしてしまった(前の前の職場で、『きょうは何の日』系のレイアウトしてきたもので、そういうのは覚えていたりする)。
ちなみに、先生によると、心臓の冠動脈が8割方詰まっており、ふさがる寸前だったとの事。最悪そうなると心臓が破裂するんですって。いやー、マジで死線からの帰還ですなぁ。
昼からは立ち上がっても構わなくなり、相変わらず管に繋がれてはいたものの、トイレとかはOKに。午後4時、一般入院患者の部屋へ移動。大事を取って車いすでの移動でした。携帯電話のバッテリーが残り少なくなっていたので充電器を買い求めようと思ったのですが、病棟から外に出られず(きょうびは電話以外なら携帯OKなんですね)。仕方なく、持参した小林恭子さんの著書「なぜBBCだけが伝えられるのか」を熟読。面白うございました。
晩御飯は、相変わらずの量。何故か焼きそばだった。娑婆を思い出してちょうだいという心遣いだったのか。
■そして、退院案じていた入院日数は2週間から手術直後は「6日ほどですかね」となり、結局昨日の退院となりました。今後は定められた処方薬を飲み、毎日決められた時間に血圧を測り、かつ、グレープフルーツを飲んではいけないと釘を刺されました。そうか、焼酎のグレープフルーツ割が今後は飲めないのか。あ、もう数年は禁酒って話ですよね。
気になったのがバリウム検査をせず終いだった事。心電図から循環器が悪い事が分かったけど、じゃあ消化器は?となりますよね。「今度はここが悪いので追加手術を」とでもなりはしないか。
その事を言うと「日を改めて検査しなおすしかないですね」との事。麻酔薬とか、予後の薬とか飲んでいる分、正確なデータを取れないのでしょう。かくして、次回は8月20日再訪と相成りました。
気になるお値段は結局7万円弱。高額医療に相当し、かつ、健康保険でそんだけの額に落ち着いたとの事。5000円を頭金に分割してもらう事にしました。
御赦免は10時過ぎ。ドストエフスキーの「死の家の記録」のラストを思い出しながら、支払窓口に並び(結構待たされた)、「使い捨てなんですけどどうしますか」と言われたので入院患者に与えられる洗面器と歯磨き粉、ブラシなどなどを記念に持ち帰る事を決意。院内の公衆電話から会社に電話し、15日まで休む事にしました。
ただし、そのままバスで帰宅はせず。血圧測定器を買わねばならなかったので、病院から見える津山のイオンまで歩き、そこで4000円のを購入。合わせて、携帯電話の充電器も買い、フードコートで読書しようかと。外が暑かったしね。
で、バスを待つ間に今度は職場時代の同僚だった三枝玄太郎さんの「メディアはなぜ左傾化するのか」を購入し、フードコートで読む。で、面白かったので読了し、バスにて帰宅を図りました。
ただし、津山駅までの直行便に間違えて乗り、自宅近くには降りられず。仕方なくタクシーに乗ったら、今度は血圧測定器を車内に忘れると言うアクシデント。ホンマ、最後まで色々ありすぎました。なお、先ほどタクシー会社さんが自宅まで届けて下さいまして、この件はめでたく解決しました。
■今の心境まぁ、61にもなったら色々とガタが来て当然ですが、そういう思いも含め、素人診断は禁物やなぁと。今回の発覚と初手術は、幸運の賜物としか言いようがありません。ちょっとした事で即座に救急車を呼ぶのは顰蹙物ですけど、「大した事ないで」と思ってはいけない。侮りの向こうに死神がおいでおいでしてるかもしれないのだから。特にここは強調しておきたいところです。
あと、「死ぬのかも」と思いつつも、不思議と恐怖心が無かったかな。いや、強がりでも何でもなく。これが拷問とかだったら恐怖だったんでしょうけど。今までの人生、物損事故6回、自らが巻き込まれた人身事故2回(うち、1回はNHKの全国ニュースになった。なお、ワタクシメは免許を持っておらず、全て助手席もしくは後部座席或いはバスの座席での事故です)、乗ってる電車への飛び込み自殺が2回、阪神淡路大震災、大阪北部地震、北海道胆振東部大地震と3回も大災害に遭ってきたからかも。ただ、今回はそういう悪運すら使い果たしてしまったのかもなと思っております。前の前の会社を辞めて15年、一度も健康診断受けてなかったし。久しぶりで、これ。そういう意味でも運が良すぎ。
ともあれ、「生かされた」のなら、今からどうしていこうかとは思ってしまった。ささやかながら培ったメディアビジネスへの知見を早急に言語化しておく必要はあろうかなとも。
ま、聞いてくれる人たちがどんだけおるかという世界ではあるのですが。
以上、つらつらと書きました。お目汚しすんませんです。
なお、午前6時現在の血圧は最高値が134。最低値が85。脈拍81でした。少し下がったけど、油断は禁物ですわ。
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