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これまで海外の新聞業界の動向などを紹介してきましたが、今後は海外のコンテンツ配信ビジネスや「ほぅ」と思わせる新規ビジネスについて紹介していきます。

書評

#書評 :野口悠紀雄「平成はなぜ失敗したのか」






昨日読了しました。昭和61年に大阪の夕刊紙に入社し、その後、全国紙に転籍し、平成21年まで働き、経済事件の数多くを目撃した身としては、頷ける所の多い書籍でした。

入社して間も無くバブルが始まり、そして崩壊し、大阪は混沌の渦に巻き込まれました。本書にも出てくるイトマン事件は、良く覚えています。前後のウンザリするような展開も思い出され、お陰で昨夜から今朝にかけての睡眠では悪夢にうなされました(苦笑)。恐らく、ワタクシメと同世代の五十路半ばぐらいの方々なら、同じ思いにさせられるでしょう。

その詳細は読んでのお楽しみとして、野口さんが著書で一貫して説き続け、警鐘としているのは「変化を変化として認め、対応する事」の大切さです。「復活」「蘇る」という言葉の呪縛に囚われたのが平成だったと言えましょうか。水平分業の時代が到来していたのに、旧来型の組織構造を維持しようとして大怪我をしてしまった企業の当事者(本書では名指しされています)や、当該の企業からリストラされてしまった人には、苦い薬となる著書と言えましょう。

新聞業界にいた身としては、野口さんの説く「変化を認め、対応する。旧来のビジネスモデルは、捨てねばならない局面になったら捨てる」(実際、アップルは水平分業に移行し、時価総額世界一の企業となりました)というのを、元の業界は出来ていないなと感じてしまいました。何が今更、紙媒体事業ですかホント。

そのツケを、どう払っていくのか。国への依存なのか。それだけは、やってはいけないのですが・・・。


宝島社「新聞凋落! 10の理由」



家から歩いて30分のショッピングモールにて購入。興味深く拝読いたしました。

幾つか間違いがありますが(例えば、58ページの『最近では、IT大手・アマゾンがワシントン・ポストを買収して話題となった』とありますが、正しくは『同社の総帥であるジェフ・ベゾス氏が個人として購入した』 ですし、170ページの朝日新聞大阪本社の写真は建て替え前の社屋です)、大筋では頷ける話です。斜陽産業の当事者は、この本を読んで危機意識を新たにして欲しい。

後、リーマン・ショック後から業界の行く末を研究してきた身としては、若干の注文と意見をしたく。 

1,本体の広告収入も去る事ながら、本当に憂うべきは販売店の折込チラシの先々の運命でしょう。フェースブックなどのSNSや、グーグルなどによる個人の嗜好や位置情報を基にした激安の広告が、最終的に紙媒体広告の需要を奪っていくからです。そうなった場合、代わり得る収益源は販売店にありません。そして、販売店の収益構造は折込チラシ7割に新聞配達費用が3割というのが業界の相場です。

つまり、最終的に新聞社本体が肩代わりせねばならなくなります。問題は、そうした流れが何時から始まるかでしょうが、恐らく東京五輪後ぐらいからだろうというのがワタクシメの見立てです。

同時に、そうなったら恥ずかしげも無く助成金を言い出すでしょう。フランスの新聞業界を見たらわかりますが、それだけは絶対にやってはいけない選択肢です。国家の容喙を意味するからです。ル・モンドの編集幹部がサルコジ政権にされた仕打ちをご存じないのか。補助金体質というぬるま湯体質に慣れきった同国の新聞業界が、結果としてインターネット時代の対応が遅れてしまっている現状を知らないのか。

2,軽減税率適用に一切触れていませんが、いかがなものか。ワタクシメからすれば、ワシントン・ポストが身売りを余儀なくされた2013年8月が、やり直せる最後の機会でした。あれだけの老舗新聞社でも身売りを余儀なくされたという現実を、なぜ直視出来なかったのか。ところが現実は、軽減税率適用という腐った選択。これを以って、業界は破滅の方向に突っ走ってしまったと思っております。

翌年に明るみに出た、ニューヨーク・タイムズのイノベーション報告を通読し、その思いは日々強まるばかりです。あの報告では、インターネット時代の中で紙媒体の劣勢を素直に認めた上で、日々刻々と新たなインターネット上のイノベーションを逐一観察しては経営陣に定期的(しかも、大変短いインターバルで)に報告する重要性を切々と説いていたのが印象的でした。

報告の要は、才能ある人を見出し、ライバル会社に流出させないという「タレント・マネジメント」となりましょう。然るに、日本新聞協会の軽減税率適用キャンペーンは真逆の方向を示してしまいました。あのキャンペーンを一言で要約するなら「我々はインターネット時代にどうして良いかサッパリわかりませんので、ITに知見をお持ちの新聞業界の皆様、どうか他所の業界でご活躍を」となります。

あのような宣言を恥ずかしげもなく行える業界に、IT方面に詳しい人達がどうして身を投じるものですか? 知見をお持ちの方々が業界を見限ると、なぜ想像出来なかったのか理解に苦しみます。

なお、ワタクシメには定年もしくは途中で業界を後にした元記者の友人が何人かいますが、皆こぞって軽減税率適用キャンペーンに強硬に反対していますよ。 

 3,現状並びに今後5年は、モバイルが決戦場になるでしょう。この方面で如何にして存在感を示せるかが、業界の重要課題の筈です。書籍でもグノシーなどのキュレーションサイトについて触れていますが、こうしたビジネスモデルの先行者が制覇するだろうとワタクシメは思っています。

同時に、遅れてしまった業界は置き去りに遭うでしょう。そもそも、視聴時間(読む、では無いですよ。視聴ですよ)を割いてくれない。そんなサイトに広告主は載らない。 悪循環です。

そして、今ですら殆ど無い若年層への訴求力を、完全に失うでしょう。書籍では団塊の世代重視の紙面づくりは突然死を招く危険性がある」(山田健太氏)と指摘されていますが、こうした世代でもスマートフォンが静かに浸透していく現状を鑑みれば(疑うならゴルフの打ちっぱなしに行って観察するがよろしかろう。こうした世代のゴルファーは、ほぼ全員がスマートフォン・ユーザーです。スイングチェックのアプリがありますから)、その日は遠くないでしょう。ちなみに、ワタクシメ自身は、戦前生まれの人達が鬼籍に入った頃合いで突然死すると思っております。

そう、もう破滅は避けられません。少なくとも今のようなビジネスモデルを貫き、時代に即応出来ない限りは。

後は、滅びた後に少人数(100人まででしょうね)によるオンラインオンリーのメディア体制を構築できるかどうかでしょう。しかも、今のような高給取りでいられる可能性は皆無です。

そのような未来を受け入れた上で、それでもジャーナリストの仕事を続けられるのか。阪神の金本知憲監督ではありませんが「覚悟のすすめ」が求められるというのが、ワタクシメの読後の感想かつ補足となりましょう。

ともあれ、業界内外を問わず、目を通して欲しい書籍であります。取材記者としては有能だったのでしょうが、経営者としては馬鹿そのものであるというのが今の新聞業界なのですから。 まずは呆れて欲しいなぁ。

書評「『はい』と言わない大阪人」 #earthquake #PrayforJapan #jishin

「はい」と言わない大阪人
「はい」と言わない大阪人

著者のわかぎゑふ氏は、この種の類書を数多く出しています。大阪の人達のユーモアを時事的な批評を絡めて論じていくのが好きで、これまで何冊か購入しています。

「じゃあ、このブログの趣旨とは本来関係が無いのでは?」というご意見もありましょう。そうではありません。わかぎさんは、東日本大震災を念頭に、この本を上梓なさってるからです。

あの3月11日、わかぎさんは東京で遭遇しました。

震災当日、私は東京に居ました。夕方からは劇団の東京公演の本番のため、世田谷区にあるザ・スズナリという劇場に出かける予定でした。

ちょうど原稿を書いている最中に地震が起き、あれよあれよという間に横揺れが激しくなり、部屋に吊ってあった鏡がガシャーンと音を立てて床に落ちて割れました。それから本棚がガタンと揺れ、中のものが次々と飛び出し、たんすの上に置いてあったものがどんどん落ちてきました。
(本書3~4P)

ただ、わかぎさんを初めとする劇団員は、95年の阪神淡路大震災を経験しており、冷静に対処できたそうです。団員は劇場に向かい、老朽化した場内の点検を終えたオーナーから「上演できるならしてもよし」との判断を貰い、「お客様が1人でも来てくれるのならやります」と決意して幕を上げました。

正直、余震のくる可能性の中で、それでも、責任者の私がやると言ったら反対する人は居ない、そう思うと興行を打つこと自体の怖さが身に沁みました。

ただ、私を大きく動かしたのは前の震災の時に、親戚のほとんどが兵庫県内に住んでいたので、いろいろ行動した経験と、反省がありました。「元気な者はまず目の前の生活をしろ、自分は弱るな。その分しっかり稼いで、出来るようになったら支援しろ」という、あの時の教訓を肝に銘じていたからです。

当日、お客様は六人いらっしゃいました。劇場の電話も通じなかったのですが、みなさん歩いて来られました。それから次の日からは「スズナリは芝居をやっているらしい」と噂を聞きつけ、「こんな時だから、生で人間がやっているものを観て一体感がほしい」という方が続々と来られました。中には岩手の両親の行方が分からないけど、何も出来ないから家に居たくないので来たという女性も居られました。

あの日、あの時期に公演をしたことを後悔はしていません。人間は身体に栄養が要るように、心にも要ると信じていますし、実際に私はその栄養のおかげで演劇人になったからです。

(同4~5P)

その後、わかぎさんも東日本大震災の支援に動きます。被災なさった方向けに日用品を送る内、偶然大阪で働く事になった福島の人に、大阪の地図や、本を送ったのだそうです。家にあった自著「正しい大阪人の作り方」という文庫も添えたそうです。

すると、その方から「本をありがとうございました。久しぶりに声を出して笑いました。子供たちがビックリしています」というお礼のメールがあったのです。

私は本名しか名乗ってなかったので、純粋に大阪本として送った自分の本を読んで、和んでくれた人が居てくれたことに感激しました。そして逆に書く勇気をもらった気になり、脚本を書き上げました。

その最中にこの本の出版のお話をいただきました。誰かが自分の本を読んで、少しでも笑ったり、和んでくれるかもしれないのなら出そう。今はそう思っています。

テーマは「会話」にしました。ここ数年、日本人は返事をしているだけで、会話をしていないんじゃないか? と感じていました。何を聞かれても「はい」と「いいえ」さえ言ってれば、会話をしているような気になっている若者が増えたなと……あ、内容については、中を読んでいただくほうがいいですね。

ともかく、今こそ楽しい会話を取り戻すべきだと私は思っています。会話こそが人生最大の娯楽であるとも。できれば多くの人がそう思ってくれたらいいなと思います。喋って伝えることの大切さを失いたくないと、痛感する年ですし。ね!

(同6~7P)

そうして、何時ものわかぎ節(というか、大阪のおばちゃんの言行録という感がありますが)が全開していきますが、これは読んでのお楽しみ。

俗に関西では「言うだけやったらタダ」と言います。本書を読んだ後では「言うだけやったらタダやけど、今はそれに二つ三つ何か足せるわなぁ」との思いになりました。その一つは笑いでしょう。心身・財布的にしんどい今こそ、「言うだけやったらタダ」な精神で笑わせる事が大切なのではないでしょうか。そしてもう一つは「心の潤い」。これは多くの説明を要しますまい。

今、必要なのは「会話」だと思います。互いに言いたい事はありましょうが、このような状況だと、ついついギスギスしがち。そうではなく、笑えるような言葉のキャッチボウルを通じて、冷静になって物事を考えるようにする習慣づけをしていくべきなのではないでしょうか。

ま、余り真面目に論じずとも、本書を読んで、笑って、考えて、自身の生活に応用していければなぁと思いましたのでお薦めします。



補足というか、わかぎさんの「こそばい感覚」という本書の分析を読んで、ある謎が解けた気になりました。「こそばい」というのは、「くすぐったい」という意味です。

大阪の人は褒められる事に弱い。何故か?

多分、子供の頃に母親にこっぴどく叱られるからだと思う。テストで一〇〇点取っても「一回ぐらいでうぬぼれなや」と言われたりする。学校の成績が良くても「頭がええだけでは社会に通用せぇへんねんで」と怒られ、友達が持ってるから同じ物を買ってほしいとねだると「あほか、自分の考えはないんか?」と否定される(中略)。

東京の人はなんでも褒める。芝居の現場でも「いいね。いいよ、それ」と演出家が言ったりする。嘘やろ? と思いつつ、みんなが納得しているので黙っているのだが、なんだかこそばい。

そう、大阪人は褒められるとこそばいのだ。この感覚は他所の土地の人には分からないのだろうか。私は大阪人のもっとも好きな部分のひとつなのだが……。
(同30~31P)

この「いいね。いいよ、それ」の下りを読んで、元大阪人(約30年ほど暮らしました)な私は、ポンと膝を打ちました。

フェースブックの「いいね」ボタンを見る度に持っていた違和感を説明された気になったからです。そうか、こそばいのか! そやそや、そうやわ!! うんうん。

同種の違和感を、多くの大阪人は持っているに違いない。フェースブックでの閲覧で、「いいね」ボタンを押すのも押されるのも、そして見るのも「こそばさ」を感じているに違いない。中長期的に見れば、この地域での利用普及率に影響が出るボトルネックかも?

かといって、グーグル・プラスが代わりうるかというと、そこも微妙だったりする。「G+」などと略する向きがありますよってな。何だかスカパーの、ジャイアンツ万歳な放送局名を彷彿させるし、それって甲子園を聖地と崇める大阪人にとっては一大ボトルネックだし。

と、わかぎさんが本書で言う「話にオチを」というお薦めに従って、この稿を締めてみたりするのでした。サイナラ~。



書評「大震災名言録」 #earthquake #PrayforJapan #jishin

三宮のジュンク堂で、こんな本を昨日買いました。


大震災名言録―次の災害を乗り越えるための知恵 (知恵の森文庫)
大震災名言録―次の災害を乗り越えるための知恵 (知恵の森文庫)
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東日本大震災の便乗本ではありません。97年に出版された本です。そう、阪神淡路大震災の被災者の言葉やエピソード集です。「ユーモアで切り取りまして…」(あとがきより)書き上げておられます。

不謹慎な、と思われる向きもありましょうが、これは実際にあれを目の当たりにした人でないと分かりづらいかもしれません。序文を寄せた田辺聖子さんは、こんな話を紹介しておられます。

私の友人の話では、被災後いくばくもなく知人にばったり遭い

<あんたトコ、どうやった。>

と聞くと、

<ウチ? 貴乃花や>

というではないか。全勝に全焼を引っかけているのである。二人で笑い合って別れたというが、私の友人は、そのネタを誰かれなしには、その当時しゃべれなんだ、という。震災直後とて、人によっては不謹慎と怒る人もいようし、この時節に何をいうてるのや、と交情に間隙を生じることもあろうかと恐れた、というのであった。しかし、右の知人も、関西人らしくフテブテしいではないか。

どうしようもない運命は駄洒落で笑わな

(しゃーないやん)

という不逞な居直りがやけくその明るさを与えている。ーーそして、本書はこのたぐいの被災地のユーモアを拾いつつ、読者を哄笑にに捲き込みつつ、みごとに趣向を変えた「震災記」になっている。


本書の特色が、これでお分かりになられたかと思います。実際、私も何度も笑ってしまいました。

本書を今回勧めるのは、田辺さん同様の理由ですが、それ以外にもう1つあります。被災地のあり方で参考となりそうなエピソードが多いからです。

【人類の歴史】

日本の歴史をひもとくと、古代、日本列島で縄文人が暮らしているところに大陸から弥生人がやってきて、もめたりしながらも、混じりあい、現在の日本人を形成したという説が夕録である。

そこここの避難所でも、この歴史めいたことがくり返された。いくつかパターンがあり、神戸大学のように、

比較的余裕のある人たちが一応の荷物など持って、まず避難所へ来所

「ここは寒いでしょう」と管理人に言われ暖房のある部屋に移る

少ししてから、やや離れたところの、家も全部つぶれた地域の住民たちが、着の身着のままでやってくる

後発組が、
「わしらが寒い部屋に入れられて、いろいろ服とか持っとるあいつら(先住組)が暖房のある部屋におるのはおかしいやないか」
と抗議


話し合いのすえ、混合して体育館に移って落ち着く。(本書41Pより)。

こういう事例が多分、東北の被災地で起きているだろうと思われます。

或いは、こんな例も。

【有音食品無音食品】

ほとんどなにも口にできない被災者が溢れるなか、食料を携えて被災地入りしたマスコミ、ボランティア団体は違った意味で「食べる苦労」を味わった。

「ロケ車の中でカーテンを引いて食べるように」

「毛布にくるまって食べろ」

など、ノウハウは蓄積されたが、ある宗教団体の申し送りマニュアルには、

「せんべいだめ、ようかんなどがいい」

という一行が。理由は食べるとき、音がしないから。

それにしても、「主食、副食」「必要栄養素、嗜好品」など、食品の分類法はいろいろ存在するが、「音」が基準に持ち込まれたことは、世界栄養学史にもなかったと思われる。
(95~96Pより)

とか、

【トン汁大行進】

「おにぎりとか冷たいもんしか食べてない。何か、温かいものを食べたい」

という被災者の声を、くり返しテレビがすくい上げたため、救援団体はボンベを揃え、懸命に炊き出しを提供した。

しかし、いかんせん、

「栄養があって、温まるものといえば…」

みな考えることは同じで、初期のメニューはトン汁大攻勢となった。

炊き出しを受けに来る被災者は誰も大きな声では言わなかったが、

「ええかげんにしてくれ! トン汁はもう、においかぐのもイヤや」

という状態の人も多かった。
(101Pより)

東北の被災者が読まれたら、きっと頷かれるのではないでしょうか。

或いは、こんなのも。

【次の震災のためのボランティア】

救援物資の「救援さまたげ物資」であるゆえんは、ほとんどがゴミであるにもかかわらず、何パーセントかある「医薬品」「現金」といった、本当に救援になる物資の入った小包となんら見分けがつかないため、『ウォーリーをさがせ!』状態になること。結局、仕分けが終わり、有用物資が取り出されたときには、その避難所の被災者が半減しているという例が続出。

筆者が震災二ヶ月後に手伝った避難所では、四階建ての公民館の一フロアーを救援物資が占拠、避難民もほとんどいなくなっていたにもかかわらず、仕分け作業は終わっていなかった。

一見不毛な作業を続けるボランティアのリーダーに、筆者が、

「何でまだやってんの?」

と聞くと、リーダーからは、

「次の震災があったとき、すぐ送れるようにしてるんですわ」

という、美談なのか、錯誤なのかわからない答えが。いずれにしても、そうとでもみずからに言い聞かせなければ、とてもやってられない無意味な作業で、筆者もガレキの街の中で黙々と「次の震災のためのボランティア」につき従った。
(127Pより)

…むしろ、こういう話をユーモア抜きで書けば、救いようのない本になっていたかもしれませんね。

著者の藤尾潔さんは神戸出身。それだけに、大手メディアの有りようには厳しい視線を向けています。

【公共広告機構からのお知らせ】

企業がCMを流すことを避けたため、代わってさかんに流されたスポット。

一時はCMのほとんどはこれで、まるで道徳口座のようだったが、被災者からすれば、

「オモチャを捨てるようにペットを捨てる人ーー」(今、飼っとった犬探しとんじゃ)

「水は限りある資源。大事にーー」(しとるわ)

「ゴミを出さないようにーー」(全部ゴミになったんじゃ)

と、いちいちタイミングの悪すぎるコピーの連続だった。
(246P)

これ、今回全く教訓として生かされませんでしたね。

特にこれ↓

【神戸?】

正式名称の大ぶろしきぶりとはうらはらに、番組名や標語、呼びかけになると、突然、

「神戸のかたがたに……」

「被災地、神戸では……」

と話を神戸に集中しすぎるきらいがあるが、家屋倒壊率、死亡率が最も高かったのは、それぞれ芦屋市、西宮市。

神戸市東部、芦屋市、西宮市は、たんなる行政区分にすぎず、地形的には何の区切りもないなだらかな平地で、被害もそっくりだったにもかかわらず、大阪から入る救援隊、消防隊、ボランティア、マスコミはすべて神戸をめざして両市を素通り。被災当日から、

「こらあかんわ」

と住民を絶望させた。
(252~253P)

【震災名所】

マスコミの「名所づくり」好きと、その手腕・技術はたいしたもので、「本山第三小学校」など、「大阪方面から国道2号で神戸に入って最初にある学校」という、交通上の理由から手近だったにすぎない、と思われる一避難所を各局横並びでひっきりなしに生中継し、避難民を緊張させ、ボランティアと救援物資の山を築くなど、特殊な状況を生んでいた。

こうした「避難所名所」や、阪神高速倒壊現場など同じところばかり取りあげる「震災名所めぐり」が批判を集め、それを反省する記事・番組までつくられていたにもかかわらず、一年目の「神戸は今」企画ではまたしても須磨区鷹取など、横並びの「復興名所」、西神第七仮設住宅のような「不便な仮設名所」が設定され、

「がんばって商売再開しましたでぇ」

と各マスコミに登場する「復興有名人」、都市計画に反対する地域といえばかならず登場する「反対名所」まで生まれていた。
(258P)

私はこうした下りを読んで、烏賀陽弘道さんの「そこは『忘れ去られた被災地』だった 津波に押し流された岩手県・野田村で見たもの」を思い出し、暗然たる思いになりました。轍を踏んでしまってはいないか。いや多分踏みまくっているでしょう。

なお、筆者はその後光文社から明月堂書店に版を移してます。私が買ったのは明月堂書店版。「2010年1月15日第1刷」とあります。入手出来るとしたら、こちらになるでしょう。

大震災名言録―次の災害を乗り越えるための知恵
著者:藤尾 潔
明月堂書店(2010-01)
販売元:Amazon.co.jp
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画像が無いのが残念ですが、装丁は全く同じです。色んな意味で、一読に値する本です。特にメディア関係者とボランティアの人々に読んで欲しい良書です。

書評「リストラなう!」4

リストラなう!
リストラなう!
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「たけくまメモ」で取り上げられた頃から気になっていましたが、書籍を手にしたのは一昨日の事。一気に読みました。アクセス数が比較になりませんが、片や出版、片や新聞、入社年次と、取り巻く環境の疲弊という所が私と共通している。ついでながら、私も独身です。もっとも、単にもてなかっただけですけどね(涙)。

「恵まれたリストラではないか」というご意見は、もっともでしょう。社内事情をここまで書いて大丈夫なのかな、とも思えました。ですが、御本人のブログを通じて、業界の状況や課題を浮き彫りにしたのは事実です。外野を含めて、結果としてそうさせたのは、炎上、苦言全てに真摯に向き合おうとする御本人の力量だし、人徳だと思う。

時折、龍馬伝を見た感想をお書きですが、その坂本龍馬が口にした「せんたくし候」という言葉を、ちょっと思い出してしまいました。たぬきち氏は出版業界を「せんたくし候」しているのではないか。ご本人や、コメント参加者全員で。同時に、私のブログで意見が飛び交わないのは、我が未熟さと不徳の致す所だなあと反省させられました。

それにしても、実に色んな御意見が飛び交っています。業界外だからこそ出来たビジネス分析(特にkkさんの指摘は重い)や、親父さんや同僚の感想には唸ったり、ホロリとさせられました。



何時か、この人に会ってみたい。そうして、通ずるであろう所を交換し合いたい。そんな気にさせられました。続きを読む

「東洋経済」7月3日号を読んでの感想(2)4


週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]
販売元:東洋経済新報社
発売 日:2010-06-28
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昨日の続きです。池田信夫さんと岸博幸さんの対談について。

正直、この2人という顔ぶれで、4ページと言うのは無いと思う。お2人とも目一杯しゃべる人だろうし(笑)、語り尽くせてない気がします。最初の2ページで、お顔をアップする必要もないと思う。池田さん、あごの下のヒゲの剃り残しが分かるし(私も良く剃り損ねます)。皆様如何でしょうか。

池田 50年間にわたってテレビ局が一局も潰れていないほうが異常だ。

それはそのとおりだと思う。でも、文化、ジャーナリズムという社会の重要な基盤をどう維持するのか、という問題は残る。一部のIT評論家は「市民の力で大丈夫」というが、それは間違い。ジャーナリズムには訓練されたジャーナリストが必要だし、本を商品のレベルにするにはプロの企画や編集の力が大きい。

池田 プロフェッショナルであれば独立してやっていけばいい。今やメディアは信じられないくらいローコストで運営できるようになった。記者クラブだって開放され始めており、もはや独立してやっていくうえでの障害はない。
(42 ページ)

えーっと、確かKBS京都は一度潰れた筈ですが(苦笑)。それはともかくとして、岸さんは「間違い」とおっしゃいますが、これは米国を含め目下模索中というのが正しいのではないでしょうか。むしろ大学に席を置かれる方にお聞きしたいのは、日本の大学は何をしているのかという事。

訓練されたジャーナリストを育成しているのが新聞や硬派の雑誌である事は確かですし、両者が衰微しているのは疑いの無い所。ではその対策としてアカデミズムの世界(特に新聞学科を設置している大学)は、どうなのか。カンザスの大学では、新聞専攻とテレビ専攻を統合させていますよ。

池田 確かにネットでモノを売るのは本当に大変。アゴラブックスでも、思うようには本が売れない。電子書籍は本の形をとっているから、紙の本からの連想でカネを払ってくれるけど、それがいつまでもつか。むしろネットはタダであっても有料のセミナーをやるとか、そういうリアルなところで稼がないと。

そうですよね~。私のブログでも、売り上げは本1冊だけやし(涙)。2月に上京した際も「業者にHPを構築してもらい、月5万件のアクセスがあるが、売り上げに殆ど結びついてない」(ある食品関係のマネジャーさんの話)とか「ネット広告の代理店業者の収入は、300万円台がザラ」(ある広告代理店の方の話)とか、色々な事例を教えて頂きました。

おカネになってない。どうすれば儲けられるか。ここが本当に悩みどころ。池田さんにして、こう唸るしかないんだな~と思ってしまいました。ちなみに有料セミナーのアイディアは、クリス・アンダーソンも「FREE」で紹介していましたね。

後半は、無料モデルや、グーグルが牛耳る現状とかの話になっています。池田さんのグーグルに情報もカネも吸い取られているのはわかる。でも、それが大変だと言ってもどうしようもない。日本の業者がグーグルと競争できるだけのビジネスをやらないかぎりは、それを法律で止めようと言っても仕方無いという意見はその通りでしょう。結局、法律を作らせる事で、霞ヶ関に借りを作ってしまうんですから。あとが恐いと思いますけどね。

規制よりも、矢張り競争だと思います。そうする事によって、潰れる業者が出るでしょう。痛みを伴うプロセスがあるに違いありません。でも、それが後々の日本の為になるのであれば、必要な犠牲と言えますまいか? 90年代、銀行や証券会社が悪あがきをした挙げ句、数えきれないほどの不祥事を引き起こし、結果として国民の金融業への不信感を極大化させた例を忘れるべきではない。「失われた20年」の定義は多々ありましょうが、煎じ詰めればそこに行き着くのではないか。そして、ジャーナリズムや出版界がその轍を踏んではならないと思います。

その意味で、池田さんの言う「メディアの人間は特権意識を捨てなさい」というアドバイスは頷けます。作品ではなく商品になっていくのは流れでしょうから。この一節を敢えて載せた東洋経済の編集の方には「良くぞ載せられた」と賞賛したい。僅かな光明でありますが、多様化の流れは米英で出て来てます。ザッカーマン記者の例を思い出して頂きたい。あの記事を紹介後、フリーランスの記者の方から、ペイパルの仕組みについて問い合わせが有りました。日本でも注目している人がいるんですよ。

繰り返しになりますが、食べていける仕組みは、なお模索せねばならないでしょう。池田さんも、そうなさっておられましょうが、私も私なりに出来の悪い頭で考えたい。実は、ハイパーローカルとフランチャイズシステムをくっつけた、個人ジャーナリストが生活出来てゆくビジネスモデルを研究中。ある程度まとまったら、また投稿しますね。

と、最後はブログ宣伝してしまいました。強引は関西人の常。平にご容赦のほどを。(続く)

「東洋経済」7月3日号を読んでの感想(1)4


週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]
販売元:東洋経済新報社
発売 日:2010-06-28
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2月20日号に続いて、メディア特集をやってます。「70ページ大特集!」と謳うだけあって、中身が濃い。

こっちみたいに、個人商店でやってるのと違って組織力で対応出来るのは矢張り強みですね。負けた~って感じ。

ご教示頂いた話も多かった。WePadがWeTabに名称変更していたのなんか、知りませんでした(恥ずかしい…)。直当たりの大切さを、今更ながら痛感しました。神戸の家で、ネット見てるだけでは限界があります。

とまぁ、落ち込んでいても仕方無いので、特集を批評したく思います。

まずは冒頭のプラットフォームの話から。アップルがこじあけたタブレットによる電子読書がどうなって行くか、図とグラフでまとめておられます。良くやったな~て思う。どのぐらい編集時間をかけたのか存じませんが、日進月歩の業界ですものね。個人商店としてはタブレットの話を追いかけるだけで精一杯だった(涙)。

「機能分解」「自由価格化」「グローバル化」「コングロマリット化」だとする流れについては、大筋でそうだろうなと思います。

日本の大手出版社が慌てて手を結び、日本電子書籍出版協会を立ち上げた理由は「抜け駆けしてアマゾンとホールセール契約を結ぶ出版社が現れないよう牽制するためだ」(関係者)。(40ページ)

さもありなんって話ですね。公取が良く何も言わないものです。もっとも、こうした後ろ向きの対応以外に、ドイツのように(WeTab)、日本でも自国プラットフォームを作ろうとする動きがある事を紹介し(ソニー、KDDI、朝日新聞社、凸版印刷の4社が立ち上げた電子書籍配信構想がその一つだとしています)。

印象に残ったのが、末尾の方(41ページ)の、この下り。

これまでは各社とも、特定の企業とは結び付かず誰でも参加出来る中立的存在を装っていたが、伝統メディアを傘下に収め救済する動きも発声するだろう。プラットフォームとメディア企業が垂直統合した、情報コングロマリットが誕生する可能性もある。

丁度この記事の投稿直前に、フランスのテレコム陣営が、ル・モンド買収合戦から撤退表明をするという速報がありましたので、特にその感を強くしました。もし実現していたら、第一号になっていたのでしょう。ひょっとしたら、日本でそうした動きが生まれてくるのかもしれない。そんな思いも抱きました。(続く)

激烈! メディア覇権戦争 新聞・テレビ・出版Vsアップル・グーグル・アマゾン

来週の東洋経済が、またこんな特集をやるそうです。

週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 7/3号 [雑誌]
販売元:東洋経済新報社
発売日:2010-06-28
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新しい支配者はだれか?…って、そりゃ後者の陣営でしょうに。と書いたら、元も子もないか。

個人的には、こないだから任天堂が気になってしょうがない。あそこはソツが無いし、また良い所を全部持って行きそうな気がする。もう校了してるんでしょうけど、そこら当たり入れてて欲しいなあ。

別館もよろしくお願いします。

書評「新聞が消える」4

新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか
新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか
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著者はアメリカ南部の地方紙を経営する一族の息子として生まれ、長じて記者となり、幾つかの社で働いた後にニューヨークタイムズに職を得て、そこでピュリッツァー賞を受賞しました。ケンタッキーの地方紙を経営する一族が、チェーン化に抗しきれずに売却のやむなきに至った話での受賞だったというから、よくよく新聞に縁のある人です。

そうした経歴を持つ著者だけに、新聞への思い入れは深い。それも、願望でなく、過去に新聞がアメリカで果たして来た歴史を連綿と綴っています。ペンタゴン・ペーパーズを巡るNYTとニクソン政権の確執、ウォータゲート事件とワシントンポスト。著者の一族の歴史にも触れています。ここが感動的でした。

著者は「鉄心のニュース」の大事さを説きます。「イラクでの戦争に関する取材から、モザンビークの国立公園を救おうとする支援活動まで、海外の様々なニュースが含まれる。政治ニュースも同様に、ホワイトハウスから市長の取材まで」(24P)が、その一部だとしています。「政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で『説明責任ニュース』とも呼ばれる日々のニュースの集合体である」(25P)とも定義しています。

ところが、この「鉄心」の取材には、金がかかる。これまでは購読や広告によって賄われて来ました。今は左前のロサンゼルスタイムズは、かつて3人の記者を使って、3年かけてロサンゼルス市の後見人制度の悪用を告発する調査報道を行ったそうです。これには数十万ドルかかりましたが、市側が記事で指摘された問題点を改善するなどの結果を生みました。民主主義に必要な「権力の監視」が、その機能を遺憾なく発揮したと言えるでしょう。

ところが、インターネットの出現で、そうした土台が崩れつつある。上記のロサンゼルスタイムズが、悲惨な凋落をしていく過程も詳細に書かれています(その下りは、新聞関係の方が読めば泣けてくるものがあるでしょう)。

著者は、「鉄心」の事例をこれでもかこれでもかという具合に挙げて行きます。正直、最初はアメリカの新聞業界の惨状を307Pかけて詳述しているのかと思って買いましたので、面食らいました。ただ、良い意味で裏切られた。断片的なアメリカの新聞の歴史が頭の中で一纏めになりましたし、独立戦争から今日に至る興亡の様子は、現職や元職、これからジャーナリストを志す人まで一読に値すると思えます。ピュリッツァー賞を貰う人だけあって、筆力が違うなあと思いました。

ただ、その著者にして、今後どのようなビジネスモデルが理想かという事になると、矢張りすっきりしない答えしか出していません。方々に取材し、2章を割いて詳述していますが、決定的なモデルとなると、「しかし結局のところ、鉄心のニュースの救済は、『どうやってその資金をまかなうか』という難問に対する解答いかんにかかっている」という結論になってしまいます。誠に苦悩せざるを得ない難問です。

正直、現職の新聞関係の方が読むと、苦いものが残るでしょう。ただ、こうも言えます。「著者は世界中の新聞関係者にシェアしてもらいたがってるのではないか」と。監視されない権力がどうなるかについては、隣国の中国を見ても明らかです。ああなってはいけない。これはアメリカだけの問題ではないし、世界中で考えなければならない次元の話です。そして、アメリカ人が見つけられないのなら、日本人が見つけましょうよ。思いもよらぬアイディア出すのは得意じゃないですか? そう考えるんですけど、如何でしょう。

なお、版元に言いたいんですけど、誤植が何カ所かありました。惜しいので、増刷の際にはご一考下さい。敢えて★を一つ引いておきます(と、誤植だらけのブログを運営しておきながら言う私だったりする)。

書評「新聞消滅大国アメリカ」5

知り合いから教えてもらって購入しました。

新聞消滅大国アメリカ (幻冬舎新書)
新聞消滅大国アメリカ (幻冬舎新書)
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著者はNHK勤務で、1月に放送した「クローズアップ現代」のアメリカでの取材を担当なさった方だそうです。その際に書ききれなかった事を加筆して上梓なさいました。

新書サイズですけど、中身が濃い。私にして初めて知る内容も幾つかありました。やはり現場に足を運んだ方は凄いなと思う。関係文献や情報に良く当たってます。驚いたのは、コロンビア大学の「アメリカのジャーナリズムの再建の為に」を通読なさった事。こちらにリンクを貼っておきますけど、流石にこれは全訳を諦めたぐらいの長さでした(苦笑)。

新聞の不在、少なくとも新聞に相当する調査報道機関の不在は権力の腐敗を招くという指摘は頷けますし、実際取材の空白地帯が恐るべき速度で広がっているのを見ると危機感を覚えます。日本もばらまき行政を展開しつつありますが、マスメディアがしっかりしないと、絶対行使する側の腐敗を招きますよ。だって金をバンバン使って良いというモードなんですからね。

同時に、新聞も(代わりうる報道機関も)、持続可能なビジネスモデルが見いだせなていない。その間にも、資金は枯渇しつつある。有料化という流れにも疑念を捨てきれない。読んでて辛い物がありました。

「この本はアメリカの新聞社を題材にしているが、全て自分たち(NHK)の問題でもあると思いながら、執筆していた。テレビの世界から、新聞の世界を他人事として見ているつもりは全くない」という危機感は、称賛に値します。

こうした問題を日本の新聞社が、もっと分厚いボリュームで分析し、論じて欲しかった。そこが惜しまれます。勿論これは、著者の鈴木さんの責任ではありません。





書評「電子書籍の衝撃」5

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
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昨日のiPad購入待ちの戦友になってくれた良書。居住まいを正して読んでしまいました。

音楽には疎く、また最近までiTunesを使う事も無い身だったので、音楽ビジネスの辿った道を本書でご教示頂けたのは収穫でした。

正直、本書を読むまでは、「1曲が短い場合もある音楽とは違って、小説は長いのもあるんやし、『原子単位の消費』は必ずしも当てはまらないんちゃうかな~」と思ってたのですが、本書を読んで蒙を啓かされた感があります。アマゾンもアップルも、実にエゲツナイ。ジョブズさん、道修町や船場のご主人さん方と気が合いそうですね(苦笑)。

iTunesに結局は良いように毟られた音楽業界を見れば、出版界がナーバスになるのは当然と言えば当然。ただ、既存のビジネスモデルが崩壊しても、そこから先にチャンスがあるかもしれない。

IBMだって、ソリューションビジネスに転じて今日がある。エルメスだって、元は馬車の装飾品の会社だったのが、自動車が出現するのを見て、今日の業態に変わったんですから。変わる事で生き残るのを模索しても良いのでは?

佐々木さんの言われる出版社の将来の方向性が正しいかどうか、残念ながら門外漢の私には分かりません。ただ、非常に追いつめられた状態なのは、今週号のSPA!(6月1日号)の「出版崩壊!?現場㊙リポート iPad、キンドルの登場は福音か破滅へのカウントダウンか?」を読めば、相当な状況である事が推察されます。

現場におられれば、楽観的になれる筈が無いでしょう。まして、現状に留まれば、You are in the shit!ではないのでしょうか。それで良いのでしょうか?

勿論、これは新聞業界にも当てはまります。両方ともよくよくご熟考頂きたいと、僭越ながら申し上げたく思います。

今週の週刊現代の「大特集『新聞社・テレビ局は消えてなくなるのか』」を読んで

北海道だと、沖縄同様、週刊誌の発売日がずれてるんですね。そんな訳で昨日、こういう特集が組まれているのを知りました。そして、今日旭川で購入。

こないだの東洋経済ほどではないにせよ、結構読ませる記事でした。幾つか突っ込みたいところがあるので、書きます。

まず、広告について。各紙の部数減少について、具体的な数字を挙げながら、こう展開しています。「また、広告収入は一昨年以降の急激な景気後退のあおりをもろにうけて、全国紙5紙すべてが減収」(54P)。

本ブログをお読みの方はご存知でしょうけど、景気後退だけが理由ではないですよね。

アメリカの新聞広告の惨状について」(インターネット広告の方がコスト面で高く安く、検索連動型にすれば訴求力が違ってくるといった構造要因があるんです。

週刊誌も広告が載っている以上、そこらは書けなかったのでしょうか・・・?

その次が、日経の電子版の内部状況。「課金モデルの問題~要は絶対的な人数?」(
そうか。日経BP社から引っ張ってくる積もりなのか。こういう人材プールがある社は強いですよね。

最後が価格設定。現代は値段面について批判していますが、これは正直言うのは酷だと思えます。値段設定は、日経だけでなく、どこの社も迷っているのが実情です。ロールモデルも不在ですし。土台、タダだったものを有料化するのですから、幾らにしようと「高いやんけ」という声が出るのは当然な気がしなくもなし。

特集を読んで思ったのは、「英語で発信できるかどうかが鍵かな~」と。衰微したとはいえ、日本経済の情報(特にテクノロジー)は海外でも注目されていますし。情報網自体は健在な訳で。BP社には英語の出来る人がおられましょうし、「これは」と思う記事を英訳して発信していけばアクセスは増えるでしょう。何なら英語版は日本語版と違う価格体系(もちろん安く)にする手だってある。

いずれにせよ、日経さんの基本的な戦略は、そう外していないと思う。案外成功するんじゃないかと感じられました。



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「新聞崩壊」(J-CASTニュース編集部)を読んで(5)~読んでて気の毒になった新聞労連のインタビュー3

表題の通りで、読んでて気の毒になったのが、この一倉さんへのインタビュー。この書籍、新聞社の現職の人にはインタビューしていない(断られてるんですね)その中で、現場に一番近く、危機感を肌合いとして知っている方がこの人。新聞社と言っても、処遇についてはピンキリな訳で、一括りにされるのはな~って感じで読みました。コメント欄にきつい内容があったけど「察してあげようよ」と思ってしまいました。

組合本来の仕事ではないのですが、組合内部にそうした要望があったので、新聞社の新たなビジネスモデルを研究する産業政策研究会という組織を新聞労連内に07年に立ち上げました。しかし、まだ経営の現状をまとめた中間報告をした段階で、具体的にはまだ話せません。09年7月にはまとめたいと考えています。とはいえ、我々は経営者ではありません。雇用を守りながら、という中で答えは出しづらいところがあるのも事実です。報告書として完成品を示せるかどうかはまだ分かりません。

この当たりに苦衷を察します。不安感に少しでもお答えしたいという誠意なんでしょうけど、社によって個別の事情があるでしょうし、経営陣にモデルを提示したところで、いわゆる「Yes,But…」な展開が待っているだけな気がしますが。

その後研究会がどうなってるか、グーグル検索した所、HPを立ち上げていますね。恐竜をあしらったイラストに、不吉さを感じてしまうのは私だけかな。滅びていった種族なのに…。色々と活動なさってるようなので、後でリンク先として登録し、折々覗いていきます。あ、それとTwitterにアカウントをお持ちですね。ここもフォローしました。

非正規雇用が増えている現状にも触れられていますね。

どう受け止めるかはこれからの議論だと思います。雇用といっても正規、非正規問題も存在しています。新聞業界でも約14%は非正規ですから。非正規の人たちを正社員化すべきだ、という運動方針案を掲げていますが、では人件費がふくらむのをどうするのかという議論も必要になってきます。

社によっては、校閲を丸ごとアウトソーシングしてる所もあるそうです。非正規自体は今後も増えるでしょうが、なかなかこういう実態がマスコミの世界では表に出ませんよね。それってどうなのかな、と思いますが。

他産業と比べ高いことは認識していますが、その善し悪しは議論してないし、議論する必要があるかどうかも分かりません。

給与についての回答がこの下りなんですが、そろそろ必要性については議論する時なのではないかと思います。収益構造が変化していく中で、国からの公的資金を論じてる人も出てきてるのですから。人の財布を当てにするのなら、自分の財布をさらけ出さないと。そこはスキップもスルーも出来ない事だと思います。公的資金を考慮しないというのなら、それはそれで判断として尊重しますが。ただ、そうなると、HPの恐竜が余計に…。

「新聞崩壊」(J-CASTニュース編集部)を読んで(3)~新聞社は会社官僚制か4

書評の続きです。「新聞記者は会社官僚制の中で埋没 だから新しいニーズを掬えない」という東大の林香里准教授の指摘には、言い得て妙だなと思いました。

元々、新聞社の職位に「局長」という肩書きを導入したのは某新聞社ですが、これは昭和の初めに霞ヶ関で使われていた肩書きを真似たという話があります。官僚制は怪しからんと言いつつ、実は体質的に似ている。「極端は相和す」という、向こうのことわざを彷彿させます。

新聞で取り上げられると、「新聞が取り上げてくれた!」と喜ぶ当事者はまだまだ多いわけですが、裏をかえせば、普段は目を向けてもらえていない、光の当たっていない問題が多いということです。困難な難病治療、複雑な家庭事情、不公正な労働条件、先の見えない介護労働などなど。たくさんありますよね。新聞については、投書欄もバイアスがかかっている感じがするし。結局、一般読者は新聞に自分たちの存在を認知してもらいにくいことにフラストレーションがたまっている。新聞は規模が大きすぎて、どこか「新聞メタボ」で市民生活に鈍感な状態におちいっているのではないでしょうか

確かに、編集方針と言ってしまえばそうですが、左派系の社が市民運動の話を、保守系が社民党叩きなどをやってると、関西で言う「ああまた言うてはるわ」な感じがあります。お約束というか…。

まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう。外から見ていると、そういう悪循環のシステムができあがってしまったように思えますね。記者一人一人の責任や能力の問題というよりは、記者が巨大システムの中で埋没してしまって自分の意志をもてなくなっている。みんな忙しくて、目先のことに囚われてしまっている。いまはある意味で日本全体がそんな状態かもしれません。でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか。記者が会社員と違うのは、そういう種類の感受性を要求される仕事だということもあると思います。

そうですね。ただ、新聞社が官僚機構と違う決定的な点は、一応民間企業である事。そして今、経営の基盤が揺らいでいる事です。

「何故それが大事か」という説明は、多くが記事のマターでした。しかし今度は経営の舵取りで説明をしなければならない。しかも、説明する相手も海千山千。下手をしたら自分の地位が危うくなる場合だってある。しかも、仕事柄「情報収集能力と、何時どんな形で得た情報を暴露すれば、どういう結果になるかを予測出来る能力には長けている」人たちばかり。経営上のコンセンサスを得ようとするにも、だから中々難しい。

近年、全国紙自身が「新聞は変われるか」という問いを立てているようですが、しかしたいていその解には「規模の縮小」という選択肢は入っていません。全国紙は、部数はこのままで、でも変わらなくちゃ、と考えているけれども、ちょっとそれは虫がよすぎるのではないかと思います。いっそ小さくなって、とんがって、出直すっていう選択もあるのではないでしょうか。おもしろいジャーナリズムを考えるなら、そのぐらいの踏ん切りがないとダメなのかもしれません。

その踏ん切りが、果たして出来るのか。官僚が一番得意とするのは保身ですが、一番苦手なのは踏ん切りだと思いますし。

「新聞崩壊」(J-CASTニュース編集部)を読んで(2)~再販制についての論考は興味深かった4

先ほどの続きです。興味深かったのは第6章。「新聞を法律で守る必要があるのか 『再販制』という反消費者制度」鶴田俊正さんへのインタビューです。公正取引委員会の「政府既成と競争政策に関する研究会」の座長を務められたそうです(1988年~2001年)。

随分と不愉快な思いもされたようで、1996年に読売新聞の渡辺恒雄社長(当時)から「新聞なんかつぶしてやりたいと思っている、3人のイデオローグがいる」と名指しで非難されたのだそうです。

また、こんなエピソードも披露してます。

1995年に開催した公取の小委員会で、新聞の「特別扱い」が必要な理由などについて意見が交わされました。ある新聞社の販売局長が「新聞は公共性・公益性が高い」と表現したので、三輪教授は公共性・公益性とは何かと質問したのです。すると新聞協会関係者が「誰に対しても、どこに住んでいても確実に、しかも同じように安く手に入るという仕組みは新聞にとって大事だ」と説明しました。別の新聞社関係者は「一般大衆ほとんどの人が使う有益な商品」と答えました。
   これに対し三輪教授は、公共性というものが「あらゆる人に行き渡らなければならない」のだとしたら、「例えばトイレットペーパー」も「そうだろう」と指摘したのです。要するに、新聞社側が行った公共性の説明は「(定義として)十分ではないだろう」と言っただけなのです。


そうしたら、どうなったか。「ある学者が新聞とトイレットペーパーは商品として同じだと言い放って新聞を貶めた」という趣旨の新聞記事に化けたそうです。これって…。

鶴田さんが以前調べた限りでは、新聞の再販制度があるのは日本とドイツだけだそうです(すんません、これ初めて知りました。お恥ずかしい)新聞を守るために再販制を守ったつもりなのでしょうが、皮肉なことにその再販制に守られた中で新聞はここまで苦境に陥ってしまいました。再販制をたてに独自性を十分に発揮する競争から逃げてしまったからではないでしょうか」との指摘は、今日の結果を見れば頷かざるを得ません。

ひとつだけ付け加えるなら、そうした再販制度は実質的に機能しなくなってきつつあります。私の実家のある大阪南部では、ある全国紙がHPなどで謳っている月極購読価格の半額で宅配しています。私の住んでいる地域ではやっていませんが、限定的な現象と見て良いのでしょうか? そうとは思えないのですが(この問題について、読者の皆様からの情報を募りたく思います)。

「新聞崩壊」(J-CASTニュース編集部)を読んで(1)~毎日さん、そらアカンでしょ。4

昨晩寝しなに一挙に読了。いろいろ考えさせられました。

各界の専門家にお話を聞き、それに対して寄せられたコメントを併記する構成。ネットの体裁をそのまま移植したようですね。「何言ってるのこの人は」という意見があったりして、正直だなと思えました。

ネットと新聞は補完し合っても良いだろうに、互いが互いを敵視している構図ですね。そこが読んでて何だかな~と思ってしまいました。

特に驚かされたのは、佐々木俊尚さんのインタビュー。「『変態記事』以降も毎日新聞の『ネット憎し』は変わってない」には、特に驚かされました。例のWaiWai記事を巡る問題(こちらにまとめサイトがある)で、いわゆる「電凸」が起きた事に対し、威力業務妨害だとする意見があったそうです。

はぁ?って感じですよね。

佐々木さんも同意見で「消費者運動の一種じゃないですか。実際に物を壊すとかであれば、威力業務妨害ですが、『電話をして抗議する』というのは、1970年代から消費者運動として行われてきたことです」と指摘しています。

ち なみに、佐々木さんは毎日新聞のOB。社内に知己がいるのでしょう。「20~30代の若手記者までネットの悪口を言っている」との情報を得ておられるそう です。PJニュースや個人のブロガーにひどい対応をしたり、またそれを暴露されたりで、「ガバナンスが不足している」とする佐々木さんのご意見は、誠に頷 けます。

ガバナンスと言えば、事件を起こした英文毎日は紙媒体時代、昭和天皇のご不例中の昭和63年9月26日に、「全国民悲しみに打ち沈む」(A Nation Plunged Into Grief)と題する追悼社説を載せてしまったんです。配達中に気付いて回収に走りました。当時の渡辺襄社長が宮内庁に謝りに行ってるぐらいです。

ちなみに、同紙の秋山哲・経営企画室長は「信じられない大きなミスを犯し、読者や陛下のご快癒を願っている国民に対して申し訳ない」とコメントしています(昭和63年9月27日付読売新聞東京本社朝刊14版30P。縮刷版のページ数は1338P)。


この時に懲りなかったのかのだろうかと、正直思ってしまいましたが、皆様は如何思われますでしょうか。当時の週刊文春(1998年10月6日号)の特集記事では、毎日本社の外信部から管理職が英文毎日に送り込まれる人事がされていると紹介しています。ところが「英語を書いた事の無い記者がゴロゴロいて、『英文毎日』では日なたぼっこですよ。『英文毎日』担当重役というのもいるけど、おそらく読んでないんでしょうなあ」(32P)とも書かれている。

「威力業務妨害」を口にする前に、こうした過去がありながら、しかもまた繰り返してしまった事について想いをいたす必要があるのではないでしょうか。…あ、まさか、この紙面事故を知らないって訳ではないですよね?

ついでのついでに書きますが、当事者のライアン・コンネル氏(正直、敬称を外したい所だ)に警察の身辺警護がついていた(NOT so long ago Ryann Connell, an Australian journalist based in Japan, pointed out happily that he was doing his "dream job".Since accepting police protection from incensed Japanese last week, the chief editor of the Mainichi Daily News English website has been more circumspect.)事は、多分皆さんご存じないでしょう。

言論へのテロや恫喝は論外としても、警護が血税で賄われている事実に想いを致して欲しい。そして、そうした事態は自らが招いた事も把握して欲しい。そう思うのは、私だけではない筈です。

「東洋経済」2月20日号を読んでの感想(5)4

続きです。84Pの「コミュニティの形成が重要だ」との記事には納得。コアな読者層の形成こそが、レガシー・コストに苦しむ新聞社の脱出口だとする、ペニー・アバナシー氏(元NYTの経営企画責任者だそうです)の見解はもっともだと思います。東奥日報の試みなども、カテゴリーで言えばコミュニティ形成の中に入るでしょう。

例示なさっているフェーユットビル・オブザーバーの成功については、今度検索した上で紹介したく思います。軍の基地近くで発行していて、その地域での読者層形成に成功なさってるそうです。ここを読んで「ふーん」と思いました。というのは、同じように軍の基地近くで発行しながら、人員削減に踏み切っている社があるからです。テキサス州のフォート・ワース(昨年銃乱射事件のあったフォート・フートとは別)の新聞社なんですけどね。ここは多分、そうしたコミュニティの形成に失敗したんだろうなあ。

フィランソロフィーや、財団に頼る危険性については、私のブログでも過去に一度触れました。「基金は問題の先延ばし」とする見解には、私も同調せざるを得ません。何よりも失職する人が多く、避難先として頼っているのが現状ですから。キャパの問題はどうしても出てきます。

大手紙が、従来のアグリゲーターではなく、記事の重要性から順に表示していくアグリゲーターとして生き残っていくべきだという見識は、これから先のデジタル上での経営展開として、傾聴するべきではないでしょうか。

週刊 東洋経済 2010年 2/20号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 2/20号 [雑誌]
販売元:東洋経済新報社
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「東洋経済」2月20日号を読んでの感想(4)4

昨日の続きです。今度は海外編。

ニューヨークタイムズ側の、有料化についての見解は、正直楽観的過ぎるのではないかなと思えました(80~83P)。こないだもブログで書きましたが、同社が導入しようとしている「メーター制」(私のブログでは『従量制』と訳していますが)には、うまくいくかどうか懸念する向きはあります。導入に当たっての事前調査でも、広告主が無料ユーザーのアクセス離れがありうるとしていましたし。

ハンフィントン・ポストについては過去にも触れてましたが、創業者がオバマ政権寄りとは知らなかった。個性的だなと思える言動をなさっていましたので、注目はしていましたが。ニュース・マックスについては初耳。今度フォローしておきます。

「iPad頼みの成長を手放しで歓迎してよいのか」という論調については納得できました。iTunesが音楽産業のビジネスモデルを変えた(アルバムから1曲だけダウンロードするようになり、儲けが薄くなった。かつてみたいに、不法ダウンロードが跋扈するよりかはマシなんでしょうけど)ように、報道の世界にも影響が出るのではないか、との指摘、まことにごもっとも。グーグルのシュミットCEOが言う、「原子単位の消費」という言葉を思い出させました。

「関心のある記事だけに課金しない」とする英国のタイムズ紙(マードック氏のニューズ・コーポレーションの傘下にある)の方針は、そういう意味で評価されて良い。ここは昨年11月に課金制度導入の際の会見で、個別の記事への小額課金はしないとの姿勢を示しました。もしそんな事をしたなら新聞は「ブリトニー・スピアーズの事を増々書くようになるが、スリランカ北部のタミル人(独立運動で揉めている)について増々書かなくなる」(“a lot more about Britney Spears and a lot less about Tamils in northern Sri Lanka.”)ようになってしまうだろうと話しています。そして、それは新聞にとって先行き危険だと言ってます。立派な考えだと思います。

娯楽としてのワイドショーを決して否定はしませんが、既存メディアがワイドショー化せざるを得なくなり、かつその事に読む側が気づかなくなるのは危険だと思えますから(続く)。

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「東洋経済」2月20日号を読んでの感想(3)4

続きです。興味深かったのは、日経でデジタル事業の生みの親であった坪田知己さんのインタビュー記事。「カギを握るのは個人の意思決定支援」との見出しでした。

「単に記事を電子的に送ればいいのというものではないのだ。相手を特定し、その特定のニーズにマッチする提供、そして24時間サービスが不可欠だ」としています。

先だって紹介した、フィガロの課金サービスは、まさにそれですよね。逆に、漫然と送ってしまった(付加価値をつけなかった)挙句に大失敗だったのがニュースデイでしょう。

記事の中で坪田さんは「編集局が『俺たちが先頭に立ってやる』と宣言しなければならないし、そうした意識改革ができるかどうかが成否を分ける」ともおっしゃってます。ただし、その道のりは険しい。特に所帯の大きな全国紙は、合意形成に時間がかかるでしょう。海千山千の人も多いでしょうし。

その点、小回りの利く地方紙なら、いろんな対処もやってるんだろうなあと思っていたところ、この特集でさまざまな試みを紹介しています。東奥日報の試みは面白いなあと思えました。紹介されているようなサービス、都市部での青森県出身者へのアピール力は強烈なものがあるでしょう。県人会への広告営業の支援ツールにもなる。これは他社も見習う余地があると思います。

と、いろいろ褒めましたが、ひとつだけ残念だったのは、スポーツ紙への言及が無い事。他日改めて、紹介してほしいなあと思いました。スポーツ紙を愛する人間としての思いです。

いろいろ書きましたが、国内情勢についての感想はここまでにします。明日は紹介された海外情勢についての感想を書いてみたいと思います。

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「東洋経済」2月20日号を読んでの感想(2)4

続きです。興味深かったのは、読売の時事通信へのアプローチでした。多分、敢えて書かず、今後の推移を見守ろうとしている材料があるのではないかと感じられました。

以下は、私の推測であることを強調しておきます。外れているかもしれないし...。

通信社のイメージというと、全国紙をお読みの方は「海外ニュースで時たま使われているなあ」ぐらいのものだと思います。確かにそういう面はありますが、地方紙にとって全国ニュースの分野で通信社に頼っているウェートは低くありません。はしなくも、それが露呈したのが香田証生さんの殺害報道でした。

クレジット(情報の入手先)をはっきり書かないのは、日本のマスコミの悪癖だと思えます。面子なんでしょうかね。ちなみに、地方紙をお取りの方、「表層深層」というカットつきの記事を見かけたら、それは共同通信配信の記事です。

また、こうしたニュース記事とは別に、株式市況や生鮮食料品の市況、金などの商品相場、スポーツニュースでの選手成績や試合結果などのデータの配信を行っています。こうした数字は、業界関係者にとって、非常に重要である事は言うまでもありません。そして、こうした数字は紙媒体での新聞というフォーマットに於ける、非常に重要な材料である事も言うまでもありません。

賢明な読者の皆さんは、ここまで書くとお分かりかと思います。つまり、通信社に影響力を持てると、配信先の地方紙にも影響力が持てる訳です。相手のシェアを切り崩すより、間接的に影響力を持つ方がベターという経営判断ではないか。

しつこいようですが、これは私の推測でしかありません。ただ、地方紙の皆さんは、こうした読売の時事へのアプローチが、その後どのような展開を見せるか、決して目を離すべきではない。これは確実に言えると思います(続)。

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「東洋経済」2月20日号を読んでの感想(1)3

Twitter上で話題になってましたが、期待を裏切らない内容でした。よく取材なさってると思います。私の感想と、拙い分析を補足します。

全国紙に於ける取材網、支局網の維持が難しくなってきている。そうした中で毎日と共同、読売の時事へのアプローチは理解されるべきなのだと思います。提携後に待っているのは、編集局員の整理なんでしょうね。社内での抵抗は当然あるでしょうが、どの道リストラは避けられない。

毎日新聞の社長さんが「映画業界に学ぶべき」とインタビューで答えていたのが、その意味で印象的でした。かつての映画産業は、東映、東宝、松竹、大映、日活の5社体制。その前に新東宝や大蔵映画がありましたが、淘汰されて2社減って、しばらく続きました。ご年配の方なら「5社協定」という言葉を思い出されるでしょう。

自前の俳優さんに、自前の監督や撮影所、自前の配給網。殆どすべてをクローズドに行ってきたビジネスモデルでしたが、やがてテレビという無料娯楽装置の普及によって、娯楽の王様の地位から滑り落ちました。大映が倒産し、日活がポルノに特化し、有為転変を重ねて姿を消していったのはご存知の通りかと思います。

そして現在は、クローズドなビジネスモデルを止めて、専属俳優制度もほぼなきに等しい。無論、人員整理もしました(痛みを伴う作業であった事は、色んな方の証言で明らかになっています)。「リストラ」の持つ本来的な意味である「ビジネスモデルの再構築」を成し遂げ、なおかつ家庭用ビデオによる2次利用で、漸く息をついたという流れでした。

新聞社も、内外を問わずに、そうしたビジネスモデルの再構築と、映画産業におけるビデオデッキ的のような補完する収益源を見つける必要性があるでしょう。また、そうしない事には明日がないのではないでしょうか(続)。

週刊 東洋経済 2010年 2/20号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 2/20号 [雑誌]
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書評「次に来るメディアは何か」5

次に来るメディアは何か (ちくま新書)次に来るメディアは何か (ちくま新書)
著者:河内孝
販売元:筑摩書房
発売日:2010-01-07
おすすめ度:4.0
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こちらによくお越しになられる、著名なジャーナリストの方からご教示頂いた書籍です。実家に帰りがてら、電車の中で一気に読み通しました。私のように、ネットを通じて単にこうして訳しているだけではなく、幅広く様々な方にお話を聞き、分かりやすく解説しておられるのは素晴らしい。

アメリカの新聞業界の事情、日本の現状、テレビ業界を含むマスコミ業界の今後の再編と勢力図の予測が書かれており、通信キャリアーが鍵を握るだろうとするご意見には納得しました。紙媒体時代のような独占的な優位を保つ事はもはや不可能でしょう。おりしも、電通さんがこんなデータを発表しています。


アメリカで政府による新聞社救済法が、かつて1度あった事、及び今回また独禁法の改正で具体的にどんな事が討議されているかを初めて知りました。アグリゲーションサイトに幾ら課金するかを話し合うと、独禁法違反になるとは。オンラインニュースへの課金を巡り、各国の新聞社に企業連合を打診したマードック氏は危ない橋を渡ってるかもしれないんですね。同時に、各社がコメントを拒否しているのも、この著書を読んで納得しました。下手したら手が後ろに回る訳ですから、そりゃしないのも道理。

つい最近まで、新聞業界に席を置いた身として、河内さんの分析には大筋で合意します。ただ、新聞業界の再編図にはいささか異論が。通信社がご指摘のような形態になったとしたら、そこから株式市況や生鮮市場の市況、ないしスポーツニュースの各種記録を配信してもらっている全国紙はどうするのか。この一点だけが納得いかなかった。スポーツ新聞の動向も入れてあげるべきではなかったのか(本書では触れていない)と思いますし、そこが残念です。

経営修士の免状を持たれている方から「結局、あなたは新聞の人ね。どうやったら新聞が生き残れるか、そればかり考えてますね」と揶揄されたそうですが、著者のそうした姿勢には共感しています。私も出て行った身分ながら、業界の先行きが心配でなりません。ただ、愛情を持っているからこそ言わなければならない事もあるかと思えますので、敢えて本書でズバリ書いてない言い回しをさせて下さい。

各新聞社は、血で血を洗う大リストラを、一度は経験しなければならない。

本当に辛い過程になると思います。経営陣や労組にしたら寝られない思いをする事になるでしょう。察するに余りあります。

書評「その英語、品がありません」

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%82%BB%82%CC%89p%8C%EA%81A%95i%82%AA%82%A0%82%E8%82%DC%82%B9%82%F1&x=10&y=20
表のカバーにイラストで別嬪さんが「What are you talking about?」と、外国人の上司に尋ねてます。そうしたら、裏のカバーで「That's disrespectful!」と上司がカンカンになって書類をぶちまけてるイラスト。はー、これって無礼な言い方になるんですね。
 とまあ、自分に悪気が無いのに向こうを怒らせたらなんにもならない訳で、特にある程度しゃべれるようになって長期滞在なんかする際には気をつけないとアカン。
 そうした際の言い換え集って所なんでしょう。裏カバーには「ものは言いよう」。ともあります。ま、理屈だ。
 ちなみに、上記の言い換えは「I'm not sure I know what you're talking about.」になるそうです。ちょっとしたフレーズなんでしょうね。

 ただ一つだけ気になるのは、こういうのを覚えても下手したら「慇懃無礼」にならないのかなって事。向こうにはそうしたのが無いのでしょうか? まあいずれにせよ、
知ってて損は無いです。

リトビネンコ事件での書評

 長らく滞っていたリトビネンコ事件関係の翻訳を再開します。
 http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601088&sid=azo8x9mudklk&refer=muse
 ↑ブルームバーグのHPから
 Litvinenko's Murder Left Polonium `Crawling Walls,' Mixed Clues リトビネンコ氏殺人事件、ポロニウム去り「壁を這い」手がかりまぜこぜに
 Last Updated: September 29, 2008 19:06 EDT←投稿時間
 ポロニウム-210を使った元ロシア諜報員アレクサンデル・リトビネンコ氏の身の毛のよだつような殺人事件は、結論の出ない理論が輩出し、多くの本が出るに及んで、切り裂きジャック事件と同様になる模様だ。
 ニューヨーク・タイムズのAlan S. Cowell による「The Terminal Spy」は最新の上梓だ。Cowellは事件が最後の局面を迎えていた所、ロンドン支局に勤務していたが、(著書で)2006年の殺人で暗殺者を特定出来るような突破口は開いていない。しかし、巻末で彼の分析は生き生きとした説明になっているが、主要な容疑は関与を否定する2人の男に注がれている。元KGBのボディガードで、英国が引き渡しを要求しているアンドレイ・ルゴブイと、その友人で元ロシア陸軍軍人のドミトリー・コブトンだ。
 Cowellがもたらした法医学上のご馳走は、事件の中心となる技術(暗殺術の事か)の、より強烈な試験だった。特に、彼はポロニウム-210~放射性物質でロンドンとハンブルグ(コブトンのいた街)に渡って汚染の跡が展開されている~の歴史と性質を欺いている。大気中に放出されると、ポロニウムは「壁を這う」(``crawls the walls,'')と核科学者のVilma R. Huntは著者に告げている。
 リトビネンコ氏はロシアの連邦保安庁(FSB)を離れ、諜報部の行き過ぎぶりを告発し続ける英雄として描かれている。 Cowellの見積もりは、そのイメージを余りサポートしていない。リトビネンコ氏の父が、極東の流刑地でソ連政府の医師だったと知ったのは面白かった。リトビネンコ氏は自分で極悪な活動に関わっていた。特にチェチェン戦争の間中容疑者を尋問していた。
 この元FSBの諜報員は戦争の残虐さから亡命者になったと一部で主張していた。Cowellによると、そうではなさそうだ。著書からうかがいしれる彼の実相は、チェチェンで一緒に働いていた同僚によると、大言壮語をするバクチ打ちで、苦痛を与える事をいとわなかったと言う。
 しかし、リトビネンコ氏はまた、不可解で夢想家でもあった。彼を知るロシア人の大学院生、Julia Svetlichnayaによると、「失われた魂」(``lost soul'')は死の床でイスラム教に改宗したと、我々は告げられている。
 Cowellの追跡はモスクワに及んでいる。当地でリトビネンコとウラジミール・プーチンがかつて両者が中佐の時に会っている。1998年の事だ。プーチンは中級の地位にもかかわらず、諜報部のディレクターに任命されている。
 リトビネンコは新しい上司に、情報将校がギャング行為に関与していると警告している。プーチンの反応はリトビネンコの電話盗聴をする事だったと、Cowellは書く。
 しかし、プーチンへの事件は2つの点で音沙汰が無くなっている。Cowellはリトビネンコ氏の著書「吹き飛ぶロシア」(``Blowing Up Russia,'')での主張に疑問を寄せる。同書でプーチンは1999年のモスクワとダゲスタンでのアパート爆破事件~チェチェンへの新たな攻撃への前奏曲となった~に関与しているとされている。Cowellはまた、プーチンがリトビネンコ殺害を命じたという件について疑問を呈している。
 プーチンの攻撃は、むしろ殺害が可能になるような気候を作る事にあったと、著者は論じる。これはビジネスウィークのSteve LeVineの近著「プーチンの迷宮」( ``Putin's Labyrinth.'')での結論の核でもある。
 例えば2006年の7月、リトビネンコ氏の死の数ヶ月前、プーチンは秘密諜報部に外国でテロリストや過激主義者になりそうな人間を暗殺する布告にサインした。ロンドンで亡命生活を認定されたチェチェン人指導者・Akhmed Zakayev氏と共謀している、ロシア人の目を持つ元FSB職員に、誰かがどこかで法律(布告)を拡大解釈したかもしれないと理解するのは、僅かな想像で済む。モスクワではテロリストとして認定されているZakayev氏はリトビネンコ氏の友人だった。
 Cowellの名著にも関わらず、核となる謎は残る。もしプーチンが後になって主張するように、リトビネンコ氏が彼に取って重要でないとするなら、なに故に彼はそんな恐ろしくて政治的に危険な死に値しなければならなかったのか?
 さらなる啓蒙の為に、次の著書を待とう。

「マーフィーの法則」

 今日は一日、ある本に溺れてました。
 「21世紀版 マーフィーの法則」(アスキー)。
 10年以上前、全国をシニカルな笑いで席巻したマーフィーの法則のアップグレード版です。
 今回も為になる言葉が一杯! しかも英語の原文つき。これは外国人相手の会話に使えます。
 「ウソだとなんど証明されても、本当だと信じる人々は必ず存在し続ける」=No matter how often a lie is shown to be false,there will remain a percentage of people who believe it true.てな言葉、胸を打ちますなあ。

追悼代わりに、書籍の紹介

 毒殺された元大佐の著書を検索したら、こんな題名でペーパーバックスが出ているようです。
 「Blowing Up Russia: Terror from Within : Acts of Terror, Abductions, and Contract Killings
Organized by the Federal Security Service of the Russian Federation」
 Yuri Felshtinsky (著), Alexander Litvinenko (著), Geoffrey Andrews (翻訳)と、アマゾンのHPにありました。殺されるだけの内容だったのでしょうね。買ってみる事にします。

新刊の書評「9月11日までの道を追跡~告白とトラブルの詳細」

Retracing the path to 9/11,in telling and troubling detail
 2001年9月11日のテロは、今なお生々しく記憶に残っております。陰謀説も含め、謎が多く残っているのは皆さんもご存知かと思いますが、米国で一連の動きを追跡した本が出たそうです。
 昨日のヘラトリの8面に書評が載りました。
 The Looming Towerという題名。「ぼうっと現れた塔」ぐらいの意味ですか。コーランの一節から取ったそうです。
 著者はLawrence Wright。書評は英国タイムズ紙のバグダット特派員Dexter Filkins氏です。

 分からなかった単語
 confederates=共謀者、仲間
 comandeer=徴発する(乗っ取る、ぐらいの意味もあるようです)
 steer=進路を取る
 precincts=寺院
 delusion=欺瞞、誤った考え
 torment=激しい苦痛
 rivet=うっとりする
 verve=気迫、活気
 villains=小悪党
 progeny=(比喩的に)子孫
 bedevil=邪魔する、混乱させる
 demon-ridden=悪魔に支配されたriddenで支配されたという意味があるそうです
 frantically=死にものぐるいで
 sleutch=捜索犬、探偵(やや揶揄の意味あり)
 peremissive=自由放任
 indulgent=気ままな
 cave-dweller=洞窟の住人
 mimics=~の真似をする(ややからかいの意味あり)
 humdrum=平凡な、つまらない
 sura=辞書に無し。
 transplant=移植する
 militancy=好戦性
 frail=弱い
 font=洗礼などに使う水入れ
 repel=反発する
 delirum=うわごと
 enchant=魔法にかける
 nymph=ギリシャ神話に出てくる妖精、または若い女
 scream=泣き叫ぶ
 impoverish=疲弊させる
 invariably=一定して、変わらない
 ossifie=骨となる(基盤になる?ぐらいか)
 unmitgate=和らげられない 
 premontious=予感
 adomonish=勧告する
defiantly=挑戦的に
 gut-wrenching=腸を激しくねじる(痛々しい、ぐらいか)
pry=秘密を詮索する
 dangle=ぶらりと垂れている
 substantive=実際の、本質的な
 complaint=不平、苦情
 verbatim=逐語的
 
 
 あの日のテロで、FBIのエージェントがツインタワーの中で犠牲になっていたんですね。Jon O'nellと言う名前の方だそうです。死にものぐるいで、ビンラーディンのテロを阻止しようとしたんだそうですが、かなわなかった。その存在を知るだけでも、本の価値はあると評者は書いてはります。事実なら凄いですよね。Wrightはニューヨーカー誌のスタッフライターで、足を棒にして取材しながら上梓したんだとか。
 それだけに内容も衝撃的で、例えばビンラーディンが、アフガン戦争で世間で言われるような英雄ではなく、実際はstick-in-the-mud(新しい事を嫌う人。アナクロな人って事でしょうか)で、戦闘前に病気になっており、アフガンの戦士らは、彼や仲間のアラブ人を使えないと宣言していたとか、私生活では自由放任の親であり、きままな夫であるとか、えらい素顔というか実像だそうです。関西弁で言う「口だけ番長」みたいなオッさんなんかもしれません。
 さて、計画は立案されたものの、実行に当たる「アメリカ国内に西洋化されたイスラム教徒の中から、確信を持って飛行する兵士」がいなかったので、そのままになっていたんだそうです。まさにその時、アタがアフガンに現れた。後の共謀者となるRamzi bin al-ShehhiとZad al-Jarrah、Marawan al-Shehhiと共に。そしてゲームが開始されました。
 アタらに影響を与えたのはビンラーディンですが、彼は「神学上では素人」だそうです(そういえば、いつぞやのアジテーション映像で、コーランの字句を間違って引用していたと、以前ニュースで聞いた記憶があります)。ラーディンに影響を与えたのは、エジプト人のイスラム教原理主義者Sayyid Qutbだそうで、1940年代にアメリカに留学後、かの地の文明に大変反発、後々非イスラム教徒の殺戮を合理化したり、西洋との戦いをあおったりしたんだそうです。そうしたQutbの履歴と、西洋社会で疎外を感じていたアタらの心情がシンクロするところがあったのでしょう。
 一方のオニール氏。ニューヨークのFBIのスパーバイザー(どんな地位に当たるんだろう)で、アルカーイダを追跡していたんだそうです。容赦なき鬼刑事で火山のような性格(いわゆる「瞬間湯沸かし器」って性格なのかな。写真を見る限り、怖そーな人です)他の誰よりも、あの時点で奴らがアメリカに来つつあると感じていた。すぐに動けない、官僚主義的な自らの組織とも戦い、悲劇的な結末を迎えた(ここら当たりを詳しく知りたいのですが、読んでのお楽しみって所なんでしょうか)。
 「今日我々が知るように」と評者は言います。「何人かの同じ分野(件)を追うFBIエージェントは、予兆を感じていた」と。ミネアポリスのスーパーバイザーは前月にイスラム過激派が飛行機学校に通っていると警告されていた。それに対して挑戦的に「誰かが飛行機で世界貿易センターに突入する事を阻止するよう努力してる」と、挑戦的に打ち返した(自信が無いので、原文を。When he supervisor of Minneapolis field office was adomonished,in August 2001,for expressing fears that an Islamic radical attending flight school might be planning a suicide attack,he sot back defiantly that he was "trying to keep someone from taking a plene and clashing into the World Trade Center")
 痛々しいのは、連携の悪さ。9月11日が近づくにつれ、FBIはCIAからの情報を詮索します。CIAはマレーシアで2000年の1月、アルカーイダの上級工作員が会合を開き、後に会議参加者の2人が米国に侵入した事を知っていました。後に両人とも、テロで重大な役割を演じたのだそうです。

 その事を、FBIに伝え損ねてるんですね。それさえしてれば、あのテロは防げたかもしれないのに。

 両者の運命的な努力によって、決行数ヶ月前に攻撃の外郭に達するものの、詳細は分からなかった。連絡会議(?)で、FBIはハイジャックを最終的に行った面々の写真を提出します。しかし結局彼らが誰かまで言い切れなかった。同時にFBIは、CIAがイスラム過激派の決定的な証拠を持っているのではないかと感じるものの、それが何か言えない。6月11日~運命からちょうど3ケ月前~両者はニューヨークの会合でいがみあい、緊張は極に達します。そして…。

 うーん。7月か8月だったか、ホワイトハウスの会議でテロの兆候が報告されていましたよね。決行2日前だったか前日だったか、在外米国人に「何か危険なことが起きる」という警報が国務省から流されたのも記憶してます。未然に防ぐところまで、あと少しだったんですね。ため息の出る話です。
 28ドルで469ページ。Alfred A.Knopf社から出版。

 
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