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追い風の吹くカマラ・ハリス氏ですが…人望の問題が今更ながら注目されており…


ナショナルレビュー・コムの記事を拙訳していきます(2022年7月15日午前11時40分投稿)

People Really, Really Do Not Want to Work for Kamala Harris(本当に、本当に本当に、カマラ・ハリス氏の為に働きたくない)

By Dan McLaughlin

July 15, 2022 11:40 AM


カマラ・ハリス副大統領からのスタッフ流出は止まることを知らない:

ハリス副大統領は、8月に最も親しい長年の補佐官の一人である国内政策アドバイザーのロヒニ・コソグル氏(38歳)が去ろうとしている事に対応中だ。コソグル氏の予定された退職は、昨年末から春にかけてのオフィスの大きな変動に続くものである。コソグル氏は以前、ハリス氏の上院事務所と彼女の失敗した大統領選挙キャンペーンで首席補佐官を務めた経験がある。本人は、9歳、6歳、ほぼ3歳の3人の息子とより多くの時間を過ごしたいと述べている。ハリス氏の首席補佐官ティナ・フローノイ氏、副首席補佐官マイケル・フックス氏、国家安全保障顧問ナンシー・マクエルドウニー氏は春に退職した。これに先立ち、昨年末には首席広報官シモーヌ・サンダース氏や広報部長アシュリー・エティエンヌ氏を含む複数の上級補佐官が退職している。合計で、少なくとも13人のスタッフが昨夏以来ハリス氏のオフィスを去った。

正直なところ、過去1年半の間にハリス副大統領が公の場で話すのを見ていると、スピーチライターやアドバイザーがいることが信じがたい。あるいは、誰かがわざと妨害するほど嫌っているのではないかと思えるほどである。上院議員時代のハリス氏は扇動的な攻撃犬のようだったが、副大統領としてはこれほど馬鹿馬鹿しく空虚に見えた事はなかった。バイデン氏がエイミー・クロブチャー氏よりもハリス氏を選んだのは間違いだと思う。クロブチャー氏はスタッフを虐待するという恐ろしい評判があるが、少なくとも自身のやっている事を知っているプロのように見えるし、伝統的な民主党員のように話す。

以前指摘したが(こちらこちらを参照)、終わり無きスタッフの退職により示唆される点が2つある。おそらくどちらも真実だと思われる。1つは、匿名の情報源に基づくストーリーの連打が的を射ている事である。つまり、ハリス氏の下で働くことは悪夢であると。単にスタッフを厳しく取り扱うからだけでなく、能力や決断力などを備えていないため、政治の世界で要求の厳しい上司の下で苦労するインスピレーションを与えないからである。もう1つは、スタッフがハリス氏の政治的未来が暗いと理解している事である。そうであるべきではないが、本人は史上最高齢の大統領の副大統領であり、パートナーの大統領が職務中に死去または無能力になる可能性があり、再選を目指さないかもしれない。政治的基盤は国内最大の州にあり、「歴史的」な人種および性別のプロフィールと相まって、明らかな後継者となるはずである。ほとんどのスタッフは、これほど至高の地位に近い小さなチームに参加したがるだろう。だが、バイデン氏が目に見えて失敗し、ハリス氏が上司よりもさらに不人気な状態で、人々はその状況を見つめているのだ。

てな感じで気になるコンテンツを訳しておりますので、良かったら読者登録してください。ついでに拡散もお願いします。

先ほどの続報。カリフォルニアの「ザ・ユニオン」紙の編集委員が寄稿した息子の目撃談。「スタッフや他の人々を絶えず罵り、完全に恐れられていた」 



2019年11月5日付の記事です。

Terry McAteer: Another side to Kamala Harris(テリー・マカティア編集委員: カマラ・ハリスのもう一つの側面)

    Nov 5, 2019

多くの方がご存知だろうが、私の家族には長い政治的なルーツがある。私の父、Jユージーン・マクティアーは、サンフランシスコの監督官および州上院議員を務め、不慮の死を遂げるまでその職にあった。

私は教育政治の道を歩み、ネバダ郡教育長に六期四年間選出された。息子グレゴリーも政治が好きで、それが彼の情熱であるかもしれないと考えた。

数年前、私はグレゴリーがサンフランシスコのダイアン・ファインスタイン上院議員のオフィスで夏の無給インターンシップを取得するのを手助けした。ファインスタイン氏のオフィスは6月にグレゴリーを受け入れることができなかったが、当時のカリフォルニア州司法長官であるカマラ・ハリス氏が夏のインターンを探していると知った。

現在上院議員のハリス氏に対して個人的な恨みは無い。良い演説家であり、選挙職に就いている間にいくつか立派なことを成し遂げたが、私は彼女がスタッフに対してどのように接するかが、個々の立法上の成果と同じくらい重要であると考えている。大統領職を目指す人にとって、その人の人格はおそらく最も重要な属性の一つだからだ。

大統領候補でありアメリカ合衆国上院議員であるエイミー・クロブチャー氏は、スタッフに対する叱責的な扱いで批判を浴びてきた。この国のほとんどの人々は、選出された公職者がスタッフに対して礼儀と敬意を持って接するという基本的なことを尊重しないことに対して、ほぼ耐えられない。確かに仕事はストレスフルであり、誰もが怒った上司に対処したことがあるが、一般の人々が知らないカマラ・ハリス氏のもう一つの側面がある。

グレゴリーはカマラ・ハリス氏のオフィスで目を見張る経験をした。私たちの誰もがそのような事態を期待していなかった。彼のために、その月が早く過ぎ去ってほしかったことは言うまでもない。その後の夏をファインスタイン氏のオフィスで働くことができて彼は喜んでいた。

カマラ・ハリス氏のオフィスでのグレゴリーの1ヶ月間のインターンシップから4つの短いエピソードを共有したい:

  1. ハリス上院議員はスタッフや他の人々に対して絶えずFワードなどの罵り言葉を投げかけた。一日中罵り言葉を使っていたし、スタッフは完全に彼女を恐れていた。

  2. 司法長官として、ハリス氏は毎朝オフィスに入るとき、全スタッフに立ち上がって「おはようございます、長官」と言うよう指示した。

  3. 一ヶ月のインターンシップの間、ハリス氏は一度も息子に自己紹介せず(オフィスには20名の有給スタッフがいたにもかかわらず)、スタッフも彼女に恐れを抱いていたため息子に紹介しなかった。唯一の対面はインターンシップ最終日に彼に渡されたハリス氏の署名入りの形式的な「ありがとう」の手紙だった。

  4. グレゴリーには、ハリス氏に話しかけたり目を合わせることは絶対にしないよう指示された。その特権は上級スタッフにのみ許されていた。

このような職場環境を持つ者がスタッフを尊重しているとは思えない。有色人種の女性が入室するたびにスタッフが立ち上がるよう命じる職場環境は、我々アメリカ人がさげすみ、屈辱的と感じる過去の時代を思い起こさせる。また、彼女が質の高いリーダーシップスキルを示さず、まともな上司でもないこと、更に一ヶ月間で一度も「こんにちは、私はカマラ・ハリスです。このオフィスでボランティアしてくれてありがとう」と声をかけないことは本当に問題である。最後に、「彼女に目を合わせないで」という指示は何なのだろう?私はそのような敵対的な環境で働きたいとは思わない。

私はこの文章を提出する前にグレゴリーに読ませたところ、彼は自分の誠実さを賭けてこの文章を支持している。実際、誠実さと品格は、政治家と政治において守られるべき美徳であり、最近しばらくの間見られていないが、それを追求すべきである。


拙訳終わり。他のリンク先については、夕方以降に紹介します。気になるコンテンツを訳しておりますので、良かったら読者登録してください。



※Terry McAteer氏はユニオン紙編集委員。彼の見解は彼個人のものであり、ザ・ユニオンおよびその編集委員の見解を代表するものでは無い。彼の連絡先は editboard@theunion.com

地域報道拡大を目指すアメリカ公共ラジオの秘策とは #地域報道 #メディア




日本では全国紙の取材網の縮小が問題視されていますが、そうした悩みはアメリカにもあります。そんな中、アメリカ公共ラジオ(NPR)が地域報道拡大に向けて秘策を講じつつあると、カレント・オルグというサイトがほうじています(2021年5月24日付け)。ちょっと古い話ではありますが、折角ですので拙訳してみます。

How NPR and stations are working together to expand regional news(NPRと放送局の連携による地域報道の拡大)

By Tyler Falk Tyler Falk, Reporter | May 24, 2021

ジジ・ドゥーバンは、NPRとメキシコ湾岸諸州の公共ラジオ局がジャーナリズムのコラボレーションを構築するという提案を初めて聞いた歳、懐疑的な思いに囚われた事を認めている。アラバマ州バーミンガムにあるWBHMのニュースディレクターであるドゥーバンにとって、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州の州境を越えて協力するというのはは 「壮大過ぎるアイデア」 のように聞こえた。

「ルイジアナやミシシッピで何が起きているのか、アラバマにいる人たちにどうやって関心を持ってもらうのか?」というのが、思いの底にあったという。

「素晴らしいと思われたことの一つだったが、当時はこれがどのように見えるのか、ロジスティクス的にどのように機能するのかを理解するのは難しかった。」とドゥーバンはカレント・オルグに語った。

NPRは2020年2月、湾岸地域のジャーナリズム資源を増やすことを約束し、CPBからの120万ドルの助成金の支援を受けて、ガルフ・ステータス・ニュースルームという計画を発表した。

もっとも、そうした疑念は、ガルフ・ステータス・ニュースルームが9月にプリスカ・ニーリー (Priska Neely) を編集長として、また、刑事司法、医療、富と貧困を現在取材している3人の記者を雇用した事により消えた。

「取材に必要なニュースをカバーする能力が限られているリソース不足の局では、自分の受け持ちだけでなく、こうした地方局の編集局のギャップを埋めることに専念している記者の援軍となるのは歓迎すべきだ」とドゥーバンは述べた。

ドゥーバンはガルフ・ステーツ・ハブの企画立ち上げ時にWBHMの編集局を率いていたが、来月シアトルのKUOWのニュースディレクターに就任するために退職する。

ガルフ・ステータス・ニュースルームのステファン・ビサハ記者による富と貧困の問題についての調査報道やアラバマ州ベッセマーのアマゾン倉庫での組合組織についての報道などをドゥーバンは好例として指摘した。ビサハの記事はパートナー局やNPRで放送された。この地域に住むビサハは、そのような 「知って貰う事に値する重み」 を伝えられた、と述べた。

「時間が経てば経つほど、各放送局や記者の間で信頼が築かれていく」とドゥーバンは述べた。「...つまり、やればやるほど、その仕組みが見えてきて、...誰もがどのような恩恵を受けるかが分かる。そうした事例の正に1つなのだ」。

ガルフ・ステーツ・ニュースルームは、NPRがテキサス州、カリフォルニア州、中西部4州の加盟局と協力して開始した4つの地域ジャーナリズム拠点のうちの1つである。

4つのハブの中には編集の焦点が異なるものもあるが、このモデルは初期の段階で主要なドナーからの支援を集め、システムの報道能力を強化し、テキサスのハブでは新たな企業引受収入を開発する事により成功を収めている。

今後の課題は、NPRとハブに関わるパートナー局が初期の熱意を、当初の3年間の資金調達期間を過ぎても持続する長期的な協力関係に変えることができるかどうかである。

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NPRは2017年、地域や全国レベルでのジャーナリズムを改善し、公共ラジオが商業メディアによるニュース収集の減少によって生じたギャップを埋めようとする策として、公共ラジオシステムに野心的な計画を提示した。これらのハブは、駅とより密接に連携する方法としてのNPR会員局コンパクトに関する議論からも生まれた。

NPRの共同ジャーナリズム担当シニアディレクター代理のテイマー・チャーニーによると、こうしたハブは、共同ジャーナリズムネットワークを通じて加盟局と協力するというNPRの大規模な取り組みの 「地域的支柱」 だという。ハブに加えて、100局の記者と編集者が集まり、刑事司法から医療政策に至るまでの7項目の担当分やとトピックについて協力した。更に、2月には、加盟局の記者と協力して調査プロジェクトに取り組むステーション調査チームを追加した。

ハブモデルを通じて、「局同士やNPRとの連携方法を変えるだけでなく、局が...リソースを調整し、...カバレッジを得ることで、サービスが行き届いていない地域により良いサービスを提供し始めることができると考えています。」とチャーニーは語る。

最初のハブであるテキサス・ニュースルームは2019年に開設され、平日に州内の放送局で生中継されるニュース番組を制作している。一方、カリフォルニア・ニュースルームとミッドウェスト・ニュースルームは、地域における調査報道能力の構築に焦点を当て、2020年5月に発表された。ガルフ・ステーツ・ニュースルームでは、ジャーナリストは3州にとって重要な問題に関する専任報道に焦点を当てている。

これらのハブのユニークな構造について、NPRのネットワークハブコンテンツマネージャーであるキャシー・ゴールドガイアーは、 「本当に全てが局との会話から生まれた」 と振り返る。「これはNPRが誰かに課した結果ではないのだ」 。

「我々は地元の放送局と協力して、とにかくみんなが本当に取り上げたいと思っているトピックを特定した」 と彼女は述べた。

NPRはハブ局と提携しているが、ハブ局のスタッフは雇用しておらず、ハブ局は別の法人の下で運営されていない。

ガルフ・ステーツ・ニュースルームの場合、3人の記者はそれぞれWBHMのニーリーとの提携局の1つで雇用されている。ステーションは、ハブの従業員に給与を支払うが、助成金を通じて関連費用が補填される仕組みだ。

最終的には1人のNPR職員が複数のハブに配属され、 「ハブとNPRのニュースルームの間の結合組織となる」 可能性がある、とチャーニーは述べた。一方、「個々のハブに特化したNPRの従業員を置く計画は当面無い」 と続けた。

■期待を上回る

ガルフ・ステーツ・ハブが開始される前、ミシシッピ公共放送のエグゼクティブ・ディレクターであるロニー・アグニューは、自社のネットワークのニュース・ディレクターにプロジェクトを引き継いでもらう事が出来ると考えていた。

「勿論そこにはビジネス的な側面があるので、無理だと気づいた」と述べた。とは言うものの、現状ハブの進捗に 「有頂天」 である。

「実際、私の予想をすべて超えた」 と彼は言った。

このハブの地域報道は、すべてのパートナー局 (ニューオーリンズのWWNOとルイジアナ州バトンルージュのWRKFを含む) によって行われ、NPRですぐに全国の視聴者に届けられた。共同で最初のニュース記事をリリースした後、記者のシャリナ・チャトラニは、NPRのモーニング・エディションとウィークエンド・サタデーという番組に出演し、地域報道問題について議論した。

「これはジャーナリズムにとって素晴らしい事だ」 とアグニューは語った。「これはミシシッピ州、ルイジアナ州、アラバマ州のジャーナリズムにとって素晴らしい。...こうした報道の幾つかは、必要とされる適切なコンテキストを備えた国家レベルに到達しようとしている」。

また、提携局の報道スタッフのサポートや研修も行っている。ニーリーは、レコードのリクエストやソーシャルメディアのベストプラクティスなど、様々なトピックに関するワークショップを開催している。

WBHMのジャーナリストは、テキサス・ニュースルームで研修を受けた事もある。「そのような形で多くの相互交流が行われ、人材への投資も多く行われている...地域全体だけでなく、システム全体で、非常に、非常に必要とされている。」とドゥーバンは述べた。

WBHMのニュースルームに追加のジャーナリストを配置することで、ニュースチームのメンバーが新しい記事をピックアップする柔軟性が得られ、 「大きなニュース速報を取材する能力」 が向上すると述べている。

一方、アグニューは 「このような報道やいくつかの取材をやらない訳では無かったが、今は人が増えた。私たちはより良い報道や、より深く掘り下げた報道が可能となった」。

ニーリーは、ハブの報道を通じて地域に関する 「幾つかの固定観念に先んじる事」 の重要性を強調している。例えば、「極度の貧困もある一方、極度の富も存在するからだ」と同氏は述べた。

「問題についての暗い報道だけではなく、問題を変えようとしている人たちにも焦点を当てたい」

初期の課題の1つは、州政府から大学の免許取得者まで、パートナー局の異なるガバナンス構造をナビゲートする事だった。「全てに時間がかかる」 とニーリーは語る。

この点についてアグニューも同意する。パートナー局は請求システムから移動要件まで、あらゆるものに対して異なるバックエンドシステムと手順を持っていると述べた。例えばGMが覚書をまとめる際には、「些細な問題だと思われるものは全て大きな問題だった」と述べた。「出張する人にどうやってお金を払うつもりなのか」

しかし、初期の解決策の1つは、これらのシステムの操作を支援するビジネスマネージャーを雇うことだった、とニーリーは述べた。

「そのスペースを本当に所有できる人がいて、編集長が...コンテンツについて考える時間を持てるようにすることが重要だと思います」 とニーリーは語る。一方、ガルフ・ステーツ・ニュースルームのビジネスマネージャーであるキム・ホーマーは、 「多くのものから私を守ってくれている」 と語った。

共同作業が拡大するにつれて、ニーリーは 「この地域の当局者に責任を負わせる」 調査報道の可能性を見出している。また、より長い記事を構想している。

また、湾岸各州のハブが制作したコンテンツを、同地域の全ての公共ラジオ局が利用できるようにする計画もあるという。

■コラボは難しい

ハブのリーダーたちは将来の展望について勇気づけられているが、コラボレーションの性質上、強化のプロセスが難航しているのを認めている。

ハブ参加者の間でよく言われるのは 「コラボレーションは難しい」事だという。

「2つの主体、人や組織が同じように物事を進める事は無い」とNPRのチャーニーは指摘する。「また、共同作業を行う場合、関係社は一定の方法で仕事をすることに同意せねばならない。そこでは時間と信頼を築き、ある程度の妥協が必要だ」。

過去1年間の生活の多くの側面と同様に、新型コロナウイルスのパンデミックはハブの勢いを鈍らせた。「パンデミックによって突然、仕事生活全体が宙に浮いてしまった場合、変革をもたらす共同作業を行うのは困難だ」 と語る。

最初のロックダウンの波が襲ったとき、局のリーダーたちは「『みんな建物の中にいないのに、どうやってこれをやるの?’」と考えたとNPRのゴールドガイアーは振り返る。「そして、誰もがパンデミックに足を絡め取られ、そこから前進するのに再び集中するまでには、暫く時間がかかった」 。

ニーリーは仕事の最初の数ヶ月を新しい街で孤独に感じ、自宅から新しい共同作業を始めた。調子はどうかと聞かれると、「そこは編集長の仕事で、管理する人も編集する人もいない」と答えるという。

新型コロナウイルスのパンデミック (世界的大流行) で従業員が在宅勤務を義務付けられていなければ、自身は様々な局の編集局で時間を過ごし、スタッフの人々やニュースルームの運営方法を知るのに十分な時間を自ら埋没していただろうと語った。

その代わりにニーリーは、「ただぎこちないZoomの集まりが多く、これが何なのか、どうやってスタッフに説明すればいいのか、どうすれば『我々がしなければならない事として他に何があるのか?』と問いかけるだけでなく、みんながワクワクできるものに出来るのかを考えるだけだった」と振り返る。

しかし、1つの利点は 「誰もがオンラインでより機敏になり、Slackの使用に慣れなければならなかった」 事だったという。

■調査報道を伸ばすために

こうしたハブの内、2つは調査報道に特化している。その報道はエリックとウェンディ・シュミットからの470万ドルの助成金によって強化されている。

アイオワ州公共ラジオのエグゼクティブディレクターであるマーナ・ジョンソンが語ったところによると、NPRが昨年発表した中西部ニュースルームは、現在 「急成長中の段階」 にある。パートナー局は最近、この地域の調査報道の拡大に焦点を当てるというミッションを明確にした。

「これにより、個々のニュースルームと地域の両方で、ジャーナリズム全体の質が本当に向上するものと期待している」とジョンソンは述べた。「同時に、特に調査報道は...新聞業界が縮小しているため、本当に消えつつあるというのが、我々の揺るぎない認識だ。そのため、この地域に本当の価値を提供できる場所だと考えている」。

この共同事業はカンザスシティのKCUR、セントルイス・パブリック・ラジオ、アイオワ・パブリック・ラジオ、ネブラスカ・パブリック・メディアが主導し、ナショナル・パートナーはNPRだ。カンザス州、ミズーリ州、アイオワ州、ネブラスカ州のすべての公共ラジオ局が、共同で制作した放送を視聴できるようにしている。

データレポーターのダニエル・ウィートンに加えて、マネージングエディター、シニアコンテンツエディター、調査エディター、2人目のレポーターを含む5人の従業員を雇用する計画である。

ウィートンは既に、この地域の4つの州のワクチン接種率を郡毎に示した地図など、これまで各放送局がアクセスできなかった地域のデータジャーナリズムを提供している。

ジョンソンによると、中西部ニュースルームは 「この共同作業無しにはどうする事も出来ないという調査的要素を我々の報道に加えている」 という。

2010年にCPBのローカル・ジャーナリズム・センターの一つとして設立された公共収穫メディアを通じて、中西部ニュースルームの各主要局は農業報道にも協力している。

ジョンソンは 「収穫を持続可能なものにする方法を見つけたという事実に満足している」 と語った。「だから今回も同じ庫とが出来るだろうと期待している」 。

ジョンソンによると、公共収穫メディアの主要放送局はそれぞれ少なくとも1人のスタッフを雇用したという。それがハブの持続可能性計画になるかどうかは本人には分からないと言う。局は、最初の助成金サイクルの後にハブを維持する方法を考える初期段階にある。こうした決定を導くために外部のコンサルタントを連れてくる予定である。

一方、ジョンソンがハーベスト・パブリック・メディアから学んだ教訓の1つは、放送局からの賛同と、 「その一部を入手して所有し、コラボレーションを所有するという放送局のコミットメント」 の重要性だったという。

カリフォルニアでは、ハブは更に進んでいる。2人の編集長と調査局の調査を支援する調査編集者がいる。KQED (サンフランシスコ) のニュース編集責任者イーサン・トーベン=リンジーによると、報道は住宅や老人ホームなどの話題を扱っており、チームは公益事業や山火事に関するプロジェクトを計画しているという。

トーベン=リンジーはカリフォルニアのニュースハブを 「我々の協働方法の恒久的な変化」 と見ている。

調査以外にも、このハブはニュース速報を伝える局を支援している。また、スタッフは、ギャビン・ニューサム知事によるライブブリーフィングやその他の重要なニュースイベントなど、特別放送の制作において主導的な役割を果たしている。

トーベン=リンジーによると、山火事が発生している時期には、このハブが 「重要な電導線」 として機能し、各放送局が対応範囲やリソースを計画し、調整するのを支援するという。

「ハブは、私たち全員がニーズや学習をより良く共有し、聴衆にサービスを提供可能なように、関係や会話を促進してきた」と言う。また、州内の放送局のニュースルーム研修を促進する役割も担う。

新型コロナウイルスのパンデミックの最中、カリフォルニアのハブ空港は 「増大する痛み」 を経験したという。ジョアン・グリフィス編集長は、 「多くのプロセスとワークフローを一から構築する」 必要があった。

「しかし、足場が整った今、より広範な成長に向けて本当に良い位置にいると思う」と述べた。
「共有されたビジョン」 が主要な寄付者を引きつけるという。

これまでのところ、NPRとステーションパートナーは、地域ハブのために1000万ドル以上を調達している。NPRの開発担当シニアエグゼクティブディレクターであるパメラ・トンプソンによると、資金の約81%は個人からの寄付だ。また、財団も多大な支援を行っているとの事である。

俳優で『ファミリー・ガイ』などのテレビ番組のクリエイターであるセス・マクファーランドは、ハブを支援する最初の主要な寄付者の一人だった。マクファーランドは2018年にNPRに200万ドルを寄付し、この構想の立ち上げを支援した。シュミット夫妻からの470万ドルの寄付に加えて、これらのハブは匿名で100万ドルの寄付も集めている。

トンプソンによると、各ハブの立ち上げ費用は約200万ドルで、その大半は給与とインフラの共有に使われる。だが、コストは地域ごとの生活費や駅の資源需要によって異なる。

2017年にNPRの開発チームが資金提供者とハブについての話し合いを始めて以来、スタッフは 「これらの壮大なビジョンが資金提供者にとって実に魅力的である」 ことに気づいたとトンプソンは振り返る。

「私たちの全国的なリーチはユニークで、200以上のニュースルームをまとめるためにネットワークを編むのは魅力的だ」。「彼らは、我々が協力し、リソースを組み合わせ、専門知識を共有している事を知りたがっている。...彼らのお金を賢く投資している事を示している」。

総じて、共同作業は 「ドナーにとって常に魅力的である」 とトンプソンは述べた。自分のお金がどのように投資され、管理されているかという疑問を解決し、解決しようとしている問題とその方法を見ることができる。

トンプソンは、共同ネットワークのために初期の大きな贈り物を集めることが、資金調達の成功につながると期待している。多額の寄付をすれば「『彼らがNPRとこのアイデアを検証したなら、我々もそれを検討するだろう』」と言う自信を持てると言う。

NPRは、ハブの持続可能性についてもステーションと協力して取り組んでいる。ある財団が、移民報道を支援することに興味を持ってNPRに働きかけた。NPRはテキサス州の公共ラジオ局であるテキサス公共ラジオによる南部国境とテキサスのハブでの移民報道に関する情報を共有した。NPRの機関寄付担当シニアディレクターであるダイアン・ブレースによると、同財団は最終的にTPRとハブの間で2年間50万ドルの助成金を分配したとの事である。

「我々は多くの時間をステーションとの作業に費やしている」 とトンプソン。「そして、これらのハブは、我々が一緒に報じる上で本当に素晴らしい構造を提供してくれる。目標の共有、ビジョンの共有だ。そのため、ハブチームが構造化された取り組みを行うように、ある程度の集中が必要だが、我々はそれに多くの時間を割いているし、進歩しつつある」。

ガルフ・ステーツ・ニュースルームの開発に携わった元WBHMのチャック・ホルムスGMは、特に湾岸各州に於けるハブの国家的な資金調達は、最初の助成金サイクル後のハブの存続に不可欠だと述べた。

「率直に言って、少なくとも当初は湾岸各州のニュースルームを維持するのに十分な富と十分な寄付者が必ずしもこの地域にいるとは思わない」と指摘する。

「自分の局とそのニーズのために資金を調達し、自分の地域報道局を維持するのは難しすぎる」と付け加えた。「ガルフ・ステーツ・ニュースルームのような団体を作る事で...寄付者に何か報いる事ができるようになるよう願っている」 。

■サステナビリティの好スタート

そうした持続可能性に関しては、テキサスのハブは他よりも一歩リードしている。

共同での報道に加えて、テキサス・ニュースルームのパートナーは、州内の公共ラジオ局で放送される6つのライブニュース番組を平日に制作している。

ハブはこれらのニュース放送を通じて新たな引受収入を得ている。ダラスのKERAの最高経営責任者であるニコ・レオーネは、ニュース番組がハブに再投資されることで年間約25万ドルの収益をもたらしたと推定している。

「持続可能性の観点から言えば、我々は前進するべく幾ばくかの資金を得ているが、共同引受業務でかなり良いスタートを切った」と述べた。

テキサス・ニュースルームは、2019年に最初に立ち上げられたハブだ。州全体の平日のニュース番組であるテキサス・スタンダードの仕事を通じて、既に共同ジャーナリズムのプロセスの幾つかを確立していた。

「私たちは、...州の一部だけであれ、州全体であれ、ニュース速報の状況で一緒に働く本当に良い方法を開発した。そして、その強さは恐らくテキサス・ニュースルームに先行するコラボレーションに根ざしていると思う」とレオーねは分析する。

ジャーナリズムの面では、テキサス・ニュースルームが各局に 「遙かに大きな重み」 を与えている、という。「我々はコンテンツを共有し、ハブのスタッフだけでなく、より広く協力する事が可能だ」 と彼は言った。

共同作業におけるこの経験は、2月に同州を嵐が襲った際に役立ち、「事業の大部分とスタッフのかなりの割合、そして複数の市場が電力や水を持っていなかったこともあり、誰もが慌てていた。」とレオーネは述べた。

「我々はかなり効果的に活動出来た...地元で物語を伝える事、州として地域で物語を伝え、全国の聴衆に物語を伝える手助けをすること、自分たちの問題に対処しながらお互いを支援する事」などが該当するという。

ステーションのコラボレーションの経験にもかかわらず、常に進行中の作業であると彼は述べた。「私たちは毎日、毎週、毎月、...のコミュニケーションに取り組まなければなりません。コラボレーションをスムーズに実行するための全ての詳細についてだけである」とレオーネは述べた。

「これで学習モードから抜け出すことはないと思う」 と言う。

テキサス・ハブは最近、コリー・マクラガンを編集長に迎えた。レオーネによると、2月に引退したマーク・メモットの後任となる。この移行に伴い、テキサス・ニュースルームの次のステップと優先事項の計画が評価されることになった。

レオーネは「より多くのデジタル作業を一緒に行う大きな機会。ニュース番組、速報、テキサス・スタンダードの戦略を中心に構築されていたこともあり、まだ表面的には表面化していないと思う」と言う。

■地平線の拡大

NPR内のハブのより広いビジョンも、最近共同ジャーナリズムの編集長としてケニア・ヤングを採用したことで過渡期にある。

ヤングは地域のニュースルームを監督する役割をまだ始めていないが、 「これがどのように拡大するかについての道筋を示すのは、彼女次第である」 とチャーニーは言う。

それでも、一般的な計画では、NPRは「そこでは、加盟局からの関心とそれに対する必要性の両方があり、また、明らかにそれに資金を提供するためのリソースもある。」国内の一部に地域ハブを追加し続けるとの事である。

「その意図は間違いなく拡大を続ける事にある」 という。一方、拡大がどこで行われるかはまだ決まっていない。

各ハブは異なるが、NPRや新しいハブに適用できるステーションに教訓を提供し、次の共同編集ニュースルームに関する決定が行われる毎にプロセスを迅速化するのに役立つ。

2年前、NPRとテキサスの放送局がテキサス・ニュースルームの立ち上げに取り組んでいたとき、ゴールドガイアーは 「我々は何時間も会議に費やした」 と振り返る。「様々な作業グループや様々なトピックを持っていて、全てをハッシュアウトした」。

NPRはこの作業を通じて、新しいハブの立ち上げをよりスムーズに行うためのテンプレートを開発した。「毎回車輪を再発明する訳では無い」 。

訂正:この記事の以前のバージョンでは、中西部ニュースルームで参加局に関する誤った情報を表示する地図が含まれていた。イリノイ州の局は参加していないが、カンザス州の局は参加している。

(文中敬称略)

長い記事(苦笑)。「地域に関する『幾つかの固定観念に先んじる事』 の重要性を強調している」という下りが印象に残りました。ともすれば特定の地方=●●だというステレオタイプ、日本でもやっているのでは。

こうしたコラボがそのまま日本でも応用出来る訳では無いでしょうが、地域を超えて俯瞰するという作業が今求められている事には変わりありません。どのように換骨奪胎出来るかが、報道機関の関係者に突きつけられているのでは。

ワタクシメはそう思いますが、皆様如何でしょうか。

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今回のカナダでの未確認飛行物体撃墜についての詳報 #速報



アメリカCBSニュースが、今回の撃墜について詳報を配信していますので拙訳してみます(2023年2月11日午後6時31分投稿)。

"Unidentified object" shot down over Canada, Trudeau says(『未確認飛行物体』カナダ上空で撃墜とトルドー首相)

Updated on: February 11, 2023 / 6:31 PM / CBS News

カナダのトルドー首相は、 「『カナダ領空』を侵犯した」 「未確認物体」 を11日、自国上空で撃墜した事を認めた。

トルドー首相によると、この物体はユーコン上空で米軍のF-22によって撃墜された。

米当局者はCBSニュースサタデーの取材に対し、物体は北アメリカ航空宇宙防衛司令部 (NORAD) によって探知され、 「高々度気球」 のようだと認めていた。

トルドー首相は、NORADによる物体の「補足を命じた」後、「カナダとアメリカの航空機がスクランブルした」とTweetしている。

カナダのアニタ・アナンド国防相は11日、この物体についてロイド・オースティン米国防長官と会談し、 「我々は常に共に主権を守る事を再確認した」 とTweetした。

今回の撃墜はアラスカ上空で 「高高度物体」 が米軍に撃墜された翌日、中国の偵察気球がサウスカロライナ州沖で米軍に撃墜されてからちょうど1週間後のことである。

事件に先立ち、NORADはニュースリリースで、10日に撃墜されたアラスカ州デッドホース付近の 「海氷」 の捜索と回収作業が行われていると発表した。しかし、氷点下の気温と北極の気象条件により、難航している。

また、2月4日に大西洋で撃墜された中国の偵察気球の回収作業も続いている。乗組員はダイバーや水中無人機を使用していた。捜索には、米北方軍、米海軍、FBIが参加している。

米国家安全保障会議のカービー報道官は、アラスカ上空で確認された物体は 「小型車」 ほどの大きさだったと述べた。中国のスパイ気球は自由の女神像より大きかったが、それよりも簡単に破壊されたという。

この中国の偵察気球は、複数の大陸で数年前から運用されている 「より大規模な中国の監視気球計画」 の一環だったと、国防総省は説明している。1月28日にアラスカで最初に発見されたこの気球は、アメリカ本土を通過した後に撃墜された。バイデン政権当局者は、地上の民間人に危険があるため、撃墜を見合わせる事にしたと語っている。

拙訳終わり。取り急ぎ。

トラウマを経験した人向けのポルノとは、どんなものなのか #倫理ポルノ #フェア・トレード・ポルノ #表現の自由  #AV新法の廃止を望みます



こっち方面の紹介、今年まだだったので。MICというメディアによる、フェア・トレード・ポルノに関する概説記事です(2020年1月30日付け)。
What does porn for people who have experienced trauma look like?(トラウマを経験した人向けのポルノとは、どんなものなのか)

告白したい事がある。ポルノは好きでは無い。産業としてのポルノに反対してはいないし、実際、セックスワーカー全般を熱烈に支持しているほど。ただ、私は自分特有のトラウマ歴があり、多くの主流ポルノが思い出させてしまうと感じているのだ。少しでも同意していたと思えないようなあからさまな行為を見ると落ち込んでしまうほどだ。しかし、セックスについて多くの事を考えて書いている関係で、この種の娯楽から取り残されていると感じる時が多々ある。ポルノが好きになりたいけど、もっとトラウマに敏感にならないと。トラウマに配慮したポルノは存在するのか、それとも社会意識の高いフェミの夢物語に過ぎないのかを見極めるべく、私は動き出した。

この探求の間、私はポルノが好きではないと人に言うのが怖かった。仮にそれを知られたら、私をSWERF(訳注:Sex Worker-Exclusionary Radical Feminist の略語、主流のフェミニズムを支持するが、セックスワークは最終的に抑圧的であると信じて反対する女性を指す)だと思うだろうか? Good Vibrationsで性教育を担当し、「The Sex and Pleasure Book」の著者でもあるキャロル・クイーンは、 「ポルノの好みがあっても問題ない」 と語る。「『セックスポジティブ』 という言葉を誤用して、セックスをしたくないとか、全てのポルノを見たくないという人に問題があるように思わせる人もいると思いう。問題なんて無い」。クイーンは、誰もが自分のやりたい事や見たい事を判断せずに選択出来るべきだと主張している。だから、ポルノが嫌いだからといって、私や他の人が殺伐とした人間になる理由は無い。

ポルノを見たいと思っていて、 (たとえ些細なことであっても) トラウマを抱えているなら、クイーンは主流のエロティカを好きになる方法を幾つか紹介している。例えば、意識高い系な方々には、フェミニストポルノがある。フェミニスト・ポルノは女性の平等を求める人々によって、またそのために制作されているが、それが穏やかで面白みに欠けているとか、心底パワフルな支配と服従の表現が見られないと思うのは間違いである。「女性、そして多くの場合、変態系、トランス、またはノンバイナリーの人々が、自分自身の本物のセクシュアリティを描くことができるジャンルだと考えて欲しい。それは、愛情や平等主義と同じくらい、優しくて強烈なものになる事がある」とクイーンは言う。

くすぐったいと思っていても、圧倒的な量のヴィジュアルバイキングのビデオポルノを見る準備ができていないなら、代わりに文学から始めた方がいいかもしれないとクイーンは言う。彼女は、彼女が 「フェアトレード」 または 「倫理的」 ポルノと呼ぶものの擁護者であるトリスタン・タオルミノが編集した「フェミニスト・ポルノ・ブック」を推薦している。このエロティカの分類は、制作関係者の公正な労働条件を確保することに焦点を当てているため、これらのビデオは点灯後の良い次のステップになる可能性がある。XConfessionsとPinkLabelはどちらも倫理的に制作されたフェアトレード・ポルノの評判の高い製作元である。

フェアトレード・ポルノはまた、同意から始まる、より力を与えるポルノ体験のように感じられるものを視聴者に提供している。それは私のような視聴者にとって重要だ。「フェミニスト・ポルノやフェアトレード・ポルノの中には、出演者がビデオで何をしようとしているかについて交渉する内容が含まれているものもある」 。俳優たちが熱心に同意しているのを見ることは、私の知る限り、トラウマに基づく良い習慣であるだけでなく、非常にホットでもある。

「トラウマ情報に基づく」 と自称するポルノのジャンルは存在しないが、フェミニストやフェアトレードのポルノは主流よりもトラウマを意識している。トラウマは常に進化する研究対象であり、トラウマに敏感だと認識されているものは常に変化していることを意味する。また、トラウマは万能ではないので、それを意識したポルノもあり得ない。「すべての生存者が同じものを見たいと思う訳では無い」 とクイーンは言う。「『トラウマ情報に基づくポルノ』 という普遍的に認知されたジャンルを発展させたとしても、その中で多くのものを見たいと思わない視聴者もいるだろう。トラウマが性の歴史の一部であるかどうかにかかわらず、我々はまだ様々な快適さと関心のレベルを持っている。それが本当の試練だと思う」。

(文中敬称略)

拙訳終わり。毎度ながら、知らん事ばっかり(と書くとカマトトぶるなと言われそうですが)。

例えば、SWERFなんて言葉。昨今AV業界への苛烈な攻撃を仕掛けている方々、正にこれですよね。また、性生活やポルノに焦点を当てた研究書が多々ある。今回名前の上がっていた書籍はこれです。



文中の、「フェミニスト・ポルノやフェアトレード・ポルノの中には、出演者がビデオで何をしようとしているかについて交渉する内容が含まれているものもある」という下り(“Some feminist or fair trade porn includes the performers' negotiation about what they're going to do in the video.”)は、日本でもSM系のビデオの出だしで「出演女優にきちんと説明し、納得してもらっている」とのテロップを入れている事を連想してしまいます。つまり、日本もやるべき事はしているとなります。

となると、後はこういう学術的な研究と、それを読んだ上で議論していく事が重要では無いのか。同時に、トラウマを持つ人達への配慮も行っていく必要がある。

そこら当たりなんじゃないかなと、新年早々思ってしまいました。皆様は如何でしょうか。

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ハーバード大学のメディア研究所に寄せられた2023年予測。「プラットフォームは終わった。ChatGPTエエかもやで」 #ChatGPT #2023年 #プラットフォーム



年末に続く、来年のメディア業界予測シリーズ。ハーバード大学のメディア研究所「ニーマン・ラボ」への寄稿を拙訳してみます。

Platforms are over(プラットフォームは終わった)

“Why stay? Does the economic benefit really outweigh the reputational cost? The time seems opportune to leave and make a statement in so doing.”(何で続けているの? 経済的利益が風評被害を本当に上回っているのか?今こそ撤退し、それを表明する好機じゃないのか)

プラットフォームは瀕死の状態だ。代替AIインターフェースが増加している。メタは交流の場をフェースブックからARやVR対応のポータルに移している。一方、マストドンは殆どのプラットフォームが育む大規模な相互作用に対する、より友好的で小規模な (あくまで現状では) 解毒剤として台頭しつつある。Twitterは、トランプ大統領のPRツールとしての役割から、億万長者のペットプロジェクトへと移行した。世間の人々はプラットフォームから一斉に離れ始め、多くのフォロワーを持つゾンビのアカウントを残し、活動を停止している。コンテンツをダウンロードし、アカウントをロックする。家に閉じ籠もって敵対的な領域から出て行き、再び正常な状態になったら戻ってくるかもしれないと期待しているように感じられる。それが何を意味するかは兎も角として、だ。人は去る。そして、ボットは地歩を固め続けている。

そうなると、ジャーナリズムはどこへ行ってしまうのだろう。

ジャーナリストは、プラットフォームとの関係を再考する時期に来ている。プラットフォームは中立ではない。今までもそうだった。
プラットフォームとはテクノロジーである。クランツバーグの有名な第一法則によれば、テクノロジーは善でも悪でもなく、中立でもない。プラットフォームとは人間が作ったものであり、作り手、特に所有者の偏見を反映する。ジャーナリストが民主主義へのコミットメントを維持したいのであれば、民主主義の強化にほぼ役立たないプラットフォームとの関係を再考しなければならない。

ジャーナリストが調査や調査の場としてのプラットフォームを放棄せよと提案しているのでは無い。報道機関が自らの使命を中心に国民の信頼を再構築したいのであれば、自分たちがビジネスを行う場所や読者について批判的に考えなければならないと言いたいのだ。

報道機関はプラットフォームに依存してコンテンツを配信し、クリックを自社サイトに誘う。プラットフォームを離れる事は複雑な決断だ。これは経済的な影響を伴う決定でもある。だが、特定のプラットフォームに留まるのは、民主的な結果ももたらす。民主主義の核心を担う組織が、そうでないプラットフォームとの提携を維持する事は倫理的なのだろうか。

コミュニティ、信頼、信頼性は、たとえあったとしても簡単に拡大しない。プラットフォームが拡大するにつれ、独自性をもたらした信頼性が失われる。責任あるスケーリングは、世間の人々をそのプラットフォームに引き付けた当初の影響を維持する形で、プラットフォームの成長と大規模化を支援出来る。コンテクスチュアルキュレーション、一貫したモデレーション、プラットフォームへの社会化、エチケットは、プラットフォームが提供していた本来の相互作用の雰囲気を維持するのに役立つ実践である。ジョシュア・メイロウィッツが先見的に説明したように、世間の人々を引きつけ、コミュニティと信頼を育む公私の適切なバランスである場所の感覚を維持するのに役立つ。だが、やはりコミュニティや信頼は、我々が瞬時に作り出したり、量を共有したりするものでは無い。誰もが信用できる訳ではない。みんなと親近感を持てない。我々は、より大きな空間の中に自分たちの場所を作り、それによって、コミュニティを育むことが期待される親密さを生み出すのだから。

プラットフォームの規模が拡大するにつれ、人同志の繋がりはますます薄くなっていくだろう。プラットフォームは代わりに連絡先のRolodex(訳注:名刺の回転式ファイル機器)を提供する。他のスペースへのエントリーアカウントや廃屋のように埃を集めるゾンビアカウントは、ベンチャーキャピタルや株式市場の空売りの気まぐれをサポートするように設計されたコンテンツ操作に対して、より脆弱になるものと思われる。現在、世界中が注目しているのは、イーロン・マスクが株価への影響をテストするために仕立てたと思われる内容をTweetする事である。マスクはノイズを生み出す戦略に従っており、これがプラットフォームの価値に対する認識を維持または増加させると見積もっている。更に言うなら、彼は自分のプラットフォームに残りながら本人の慣行を批判する報道機関を嘲笑している。

何故残り続けるのか。果たして経済的利益が風評被害のコストを上回るのだろうか。今こそ撤収し、また撤収を表明する時期ではないのか。全ての報道機関が力を合わせ、Twitterのようなプラットフォームから離れる行為以上に、システムにショックを与える事はあるだろうか?

それが大変だと思われるなら、別の提案をしたい。

本稿執筆にあたり、私はChatGPTにジャーナリズムのマニフェストを書いてくれるようにした。その中身は、公平性、客観性、民主主義について、定型的でありながら正確な論説を提示するものとなった。我々が作り出した知性は、自らが訓練した通りの反応をするように調整されている。だが、ジャーナリズムの世界はそうなっているだろうか? では仮に、報道機関が自社の会話エージェントを訓練して、異なる様式のニュースストーリーテリングに従事させたらどうなるだろう。ポッドキャストのように、信頼を築くのに有望な、ゆっくりとした形態のニュースストーリーテリングを土台にしたニュースストーリーテリングである。私は、ChatGPTが操作される可能性がないと言ってはいないし、会話モデルを人間との対話に置き換える事を勧めているのでも無い。私は、ChatGPTのような言語モデルを最適化する事により、人間の能力を代替するのではなく、補完・増強して欲しいのだ。報道機関が短期的な利益では無く、信頼を回復する上での長期的な投資を行い、ニュースを共有するためのプラットフォームの構築にもっと関与できるようにする事を推奨しているのだ。ジャーナリストは社会科学者やエンジニアと協力して、こうしたインフラに適切な建築を施す事が可能だ。空間を場所に変えるような、信頼、コミュニティ、正確性を育むような建築なのだ。これは予測では無い。来年の課題であり機会なのである。

※ジジ・パパチャリッシはイリノイ大学シカゴ校のコミュニケーション学と政治学の教授である。

拙訳終わり。先日に続き、またもやChatGPT推しですね。で、何なんそれって感じが。

ウィキペディア英語版では既に言及されています(日本語版は無し)。触りだけ拙訳してみましょう。
ChatGPTはOpenAIが開発した対話を専門とする人工知能チャットボットのプロトタイプ。微調整された大規模な言語モデルであり、指導型学習と自己学習の両手法が用いられている。OpenAIのGPT-3.5ファミリー言語モデルのモデルを微調整したものでもある。

ChatGPTは2022年11月に開始され、詳細な回答と明確な回答で注目を集めているが、一方その事実に基づく正確さには批判もある。

ChatGPT(Generative Pre-trained Transformer)は,GPT-3.5を指導型学習と自己学習の両手法を用いて微調整を行った。指導型学習では,学習者がユーザーとAIアシスタントの双方に扮した会話をモデルに与える事により,AIアシスタントの能力を向上させた。強化のステップでは、まず人間のトレーナーが、以前の会話でモデルが作成した回答をランク付けする。このランキングは「報酬モデル」を作成するために使用される。モデルはProximal Policy Optimization (PPO) を何度か繰り返し更なる微調整を行った。Proximal Policy Optimizationアルゴリズムは,信頼領域ポリシー最適化アルゴリズムに対してコスト効率の良い利益をもたらし,高速なパフォーマンスで計算量の多い操作の多くを否定する形となった。

前身であるInstructGPTと比較すると、ChatGPTは有害で欺瞞的な応答を削減しようとする。例えば、InstructGPTが「2015年にChristopher Columbusがアメリカに来たときについて教えてください」というプロンプトを真実として受け入れるのに対し、ChatGPTはコロンブスの航海に関する情報と現代世界に関する情報(コロンブスに対する認識など)を用いて、コロンブスがアメリカに来たらどうなるかという前提で答えを構成する]。 ChatGPTの学習データには、掲示板システムやプログラミング言語「Python」など、インターネット上の現象やプログラミング言語に関するマニュアルページや情報が含まれている。

ChatGPTは、多くのチャットボットとは異なり、同じ会話の中で与えられた以前のプロンプトを記憶するステートフルなものであり、一部のジャーナリストはChatGPTをパーソナライズされたセラピストとして使用できるようになることを示唆している。 ChatGPTに不快な出力が示されたりそこから生成されることを防ぐために、クエリーは、モデュレーションAPIを通じてフィルタリングし、潜在的に人種主義または性差別主義のプロンプトが除外されるようになっている。

ただし、ChatGPTは複数の制限が課題となっている。また、ChatGPTは2021年以降に発生したイベントに関する知識が限定され、一部の著名人に関する情報を提供する事が出来ない。また、訓練では、レビュアーは実際の理解度や事実の内容とは関係無く、より長い回答を好んだ。訓練データもアルゴリズムのバイアスに迷走する可能性があり,CEO などの人物の曖昧な記述を含むプロンプトは,例えばその人物が白人男性と仮定した応答を生成する可能性がある。
以下略。要するに、先月出たばっかりですが、目端の利くジャーナリストやメディア業界関係者が早くも注目しているという構図のようですね。ではOpenAIって何なん?という方向けに、今度は日本語版を部分引用。

OpenAI は、人工知能を研究する非営利団体である。人類全体に、害をもたらすよりは、有益性があるやりかたで、オープンソースと親和性の高い人工知能を、注意深く推進することを目的として掲げている[3]

概要

2015年12月に設立された。イーロン・マスクをはじめとする有力な実業家・投資家が参加していることから注目を集める[4]

2016年4月に強化学習アルゴリズムの検証プラットフォームであるOpenAI Gymを発表した[5][6]

うーむ。マスクはん、自分が投資した研究室によるテクノロジーで、自分が巨額のカネを投じて買収したプラットフォームをバンザイさせてしまう可能性があるのか。

本社はサンフランシスコにあるそうですので、報道機関の関係者は一度視察なさってみては如何でしょうか。皆さんに目端が利くジャーナリストという自覚があるのであれば。

倫理ポルノサイト6選。そして考慮すべき事  #AV新法の廃止を望みます 




これまでAV新法への対案として欧米で提唱されている倫理ポルノについて紹介して来ましたが、今回はvanillaisthenewkink.comというサイトの2021年12月1日付けの記事を拙訳してみます。

Ethical Porn For Women, By Women: Our Guide To The Best Feminist Porn(女性向けの、女性による倫理ポルノ。最高のフェミニスト・ポルノへのガイド)


ByAlice Updated on December 1, 2021



アベニューQの歌にあるように、「インターネットはポルノのためにある」。だが、民産が私のようであれば、恐らくインターネットポルノの大半は、下劣で、卑屈で、嫌悪感があり、少しばかり疑わしいと思うだろう。正直言って、私には何の役にも立たない。でも、倫理ポルノやフェミニストポルノは、私にぴったりだ。

■倫理ポルノって何?そしてフェミニストポルノとは?

おすすめのフェミニストポルノを紹介する前に、この10億ドル規模の産業について一歩踏み込んで見ていこう。ポルノは世界で970億ドル規模の産業だが、倫理的なものだろうか? これだけ巨大な金儲けマシーンでありながら、広く規制されていない。

業界の規模が大きいと規制が難しいからだと言う人もいるし、銀行や金融機関から合法的に資金を得ることが極めて困難なため、この業界はより影の部分で活動せざるを得ないと言う人もいる。

これは、倫理に反する行動や政策にとって完璧な環境を作り出している。こうした環境では、女性はしばしば粗末に扱われ、搾取される事になる。

フェミニスト運動がそこに気づき、エロティックな物語の背後にある創造的なプロセス(女性による女性のためのもの)をコントロールする事によって、その役割を果たしつつあるのは素晴らしい。

女性パフォーマーの待遇の悪さは、業界の大きな問題のひとつである。

女性の平等な賃金は、多くの業界で問題になっている。悲しい話だが、当然ながら、ポルノ業界も同様だ。女性の賃金は男性の賃金より低い傾向にあるのだ。

また、同意が問題になる場合もある。気が付けばシナリオと全く違う演技を強要されている事もある。女性の健康は守られない場合が多い。それを変えようとしているのがフェミニスト・ポルノである。

有名なポルノ監督のエリカ・ラストなど、倫理ポルノをフェアトレード・ポルノと表現する人もいる。出演者には、仕事に対して適切な報酬が支払われるし、全てに完全な同意をし、映画やシーンの詳細についても出演者と話し合いの上で決定される。シーンは出演者の好みに合わせ、自分にとって気持ちの良いものである事を前提に撮影される。

倫理ポルノのもう一つの特徴は、包括的である事だ。様々自然な体型の人や、有色人種、そして一般的に言って、主流のポルノよりも現実的な人たちが出演しているのが大半だからだ。

これはまた、出演者が実際に望まない限り、痩せたり、手術を受けたり、何らかの形で自分の体を変えるようなプレッシャーを経験しない事を意味する。最高のフェミニスト・ポルノは、セックス・ポジティブとボディ・ポジティブを推進していく。

エシカルポルノは何年も前から制作されており、主流のポルノ業界を破壊し続けている。女性はこの革命の主要な推進者の一人である。我々はポルノを見るし、3分の1以上の人が週に1回ポルノを見ている。

一方、我々がポルノを探す際、出演者が良い扱いを受けているかどうかを知りたいと思う。スクリーンに映る女性たちが楽しんで撮影していることを知りたいと考える。そして、女性やセックスに関する時代遅れのステレオタイプを見せ続けるのではなく、我々を気持ちよくさせてくれるポルノを望んでいるのである。


■私たちのトップ5。最高の倫理・フェミニストポルノサイ

1. ラスト・シネマ

エリカ・ラストは、倫理的に作られたエロティックな物語の代表的な作家の一人だ。彼女のサイトでは、本人の作品と、他のフェミニストで倫理的なポルノ映画制作者のコンテンツが紹介されている。ラスト・シネマは、4つのサイトのうちの1つで、それぞれが独自の作風を持っている。

会員制で運営されており、様々な課金オプションがあり、会員は多様な倫理的ポルノにアクセス可能だ。XConfessionsは、ラストのもう一つのサイトで、会員制だ。両サイトとも、ラスト本人の映画製作部門であるラストフィルムズからのコンテンツがある。3つ目のサイトはザ・ストアで、映画を含むラスト・シネマのマーチャンダイズが含まれている。

最後が、エロティックフィルムズだ。ラストの映画をはじめ、倫理ポルノやフェミニストポルノを多数収録している。有料サイトなので、その時の気分で好きな映画をレンタル出来る。

広告が無いのも大きな魅力だ。全てでは無いにせよ、主流のポルノサイトの大半が、広告スペースの販売から追加収入を得ている。一方、そうした広告は、弱い立場の人を狙った詐欺である事が多い。ラスト・シネマはこのビジネスモデルを使っておらず、詐欺に広告スペースを売りはしない。

エリカ・ラストは、ポルノ産業がいかに進化し、そのあり方を変える必要があるかについてTEDトークを行いました。彼女は、パフォーマーには仕事に対して公正な報酬が支払われるべきだし、同意は譲れないものであるべきで、ポルノ撮影の技術職をより多くの女性が担うべきだと強く感じている。実際、彼女の撮影現場は50〜80%が女性パフォーマーと技術スタッフで構成されていると推定される。

ラストは、女性主導の撮影現場は、すべてのパフォーマーにとってより安全な雰囲気を作り出すと信じている。


2. メイク・ラブ・ノット・ポルノ

ポルノサイトではないが、フェミニストポルノの最高傑作の一つとして紹介するに値すると思う。シンディ・ギャラップが発案したこのサイトは、ソーシャルセックスのショーケースであると説明されているす。現実の世界でセックスをする人々の短編映画のカタログだ。

ギャラップは2009年にこのサイトを立ち上げた。ちょうど彼女のTEDでの講演と同じ頃だ。彼女は、主流のポルノが人々のセックスの見方に影響を与え、それが人々の現実のセックス体験に否定的な形で入り込んでいると感じていた。MLNPは、ハードコア・ポルノが現実世界のセックスに与える影響に対抗するべく立ち上げられた。

エロティックな動画は、サイトを通じて投稿され、ユーザーは単品料金か会員料金を支払って視聴する。収益は、サイトとビデオ投稿者の間で半々に分配される。

動画撮影時に部屋にいた人の身分証明書2通が必要だが、内容のガイドラインもある。メインストリームのポルノに近すぎると判断された動画は、サイトのキュレーターによって拒否される。このコンテンツガイドラインは、このサイトが、現実世界の「普通の人」が楽しむ、現実世界のエロティックな物語だけを紹介することを意味するものである。


3. インディーズポルノレボリューション

元々はnofauxxxとして知られていた。女性が運営するサイトで、伝統的に主流のポルノでは無視されるようなモデルやパフォーマーを選んでいる。最も古い「性的マイノリティ系」サイトの一つだが、多様なジャンルのカタログとパフォーマーを擁している。創設者のコートニー・トラブルの個人的なプロジェクトとして始まったが、その後、軌道に乗った。

コートニー・トラブルはパフォーマーであり、ディレクターでもある。彼女は、自身の会社トラブル・フィルムズで倫理的なフェミニスト・ポルノを監督しているが、商業的なポルノも監督している。彼女は、商業ポルノ作品を倫理的なポルノ観で編集・撮影し、主流のポルノ制作会社が映画を撮影し、パフォーマーを扱う方法に変化をもたらすことを望んでいる。その作品で多くのフェミニスト・ポルノ賞を受賞しています。

昔も今も、安全なセックスを優先する数少ないサイトのひとつである。このサイトは、安全なセックスは重要であり、すべてのパフォーマーがコンドームやラテックスグローブなどの安全なセックス用品を入手できるべきだとしている。

会員制で運営されているが、会員オプションが幾つかある。また、一つのパスワードで、トラブルフィルムズの全てにアクセス可能なオプションも用意されている。


4. ブライトデザイア

ブライトデザイアは、セックスの本当の側面を祝うことに焦点を当てた、非常にセックス・ポジティブなサイトだ。映画監督のミズ・ナウティによって設立され、数々の賞を受賞している。

多くのシーンが脚本化されておらず、出演者が主導権を握っているため、一味違ったポルノとなっている。また、セックスの裏側も紹介している。パフォーマーや実際のカップルが、ホットでスチームなセックスシーンの外で会話し、笑い、冗談を言い、交流している様子が描かれている。

会員制で、会員は多くの限定コンテンツにアクセス可能だ。コンテンツには、パフォーマーのインタビュー、エロティックな写真、フィクションのエロティックな物語などがある。


5. ジョイベア

ジョイベアは、2003年にジャスティン・サントスによって設立された英国のサイトである。彼は、喜びも無くセックスする人たち、特に女性を見るのに疲れてしまい、他の人たちも彼と同じように感じているのに気づき、着想したという。

サイトでは、女性のキャラクターが多面的に描かれ、主流のポルノに登場するキャラクターよりも遙かに発展した作品を紹介している。作品には、しばしば面白い場面や台本にない場面があり、見ていてとても楽しい。

パフォーマーに十分な報酬を迅速に支払い、パフォーマーを安全に保護し、パフォーマーが嫌がることは撮影せず、プロとして扱う。男性のポルノグラファーによって設立された会社だが、フェミニストポルノの原則に合致している。

6. モルガナ・ミュゼス

モルガナ・ミュゼスは、オーストラリアのフェミニスト・ポルノのパフォーマーであり、受賞歴のあるフェミニスト・ポルノのディレクターである。彼女の制作会社パーミッション4プレジャーは、スクリーン上でセクシュアリティの真実の表現を紹介することを目的としている。

フェミニスト・ポルノ業界での足跡は、落ち込んだ主婦から40代後半のポルノスターまで、実生活の経験に基づいた魅力的なドキュメンタリーの主題でもある。

■入選作品

上位6サイトを紹介したが、他のサイトや監督も間違いなくここで栄誉に値する。
  • キャンディダ・ロイヤル=女性向けエロティック映画のパイオニア。
  •  ライトサザン・シネマ=クリエイティブで本格的なポルノ。ホットでアーティスティック、美しい映像が特徴である。
  • ジャッキー・セント・ジェームス = BDSMのテーマをより現実的、本格的、倫理的に紹介する素晴らしい作品を制作するフェミニスト監督。
  • Pinklabel.tv = 新人や若手のフィルムメーカーによる包括的なポルノ。
  • 4つの小部屋=シネマスタイルの短編エロティックフィルム。
■FAQ

最高の倫理的ポルノ女性への平等な支払い:フェミニストポルノの重要な特徴

オンラインには数多くの無料ポルノサイトがあるが、無料ポルノには幾つか問題がある。

1. ポルノにお金を払わないなら、出演者はどうやってお金を得ているのか?全く支払われていないのか?また、報酬はきちんと支払われているのか?

2. 正確なセックスを表現していない。無料ポルノサイトは、ステレオタイプなセックスシーンに陥りがちで、ハードコアなセックスで、誰も楽しんでいないことが分かってしまう。セックスそのものも、パフォーマーの体型も、実に非現実的だ。

3. 女性の喜び、少なくとも純粋な女性の喜びを無視する場合が多い。主流のポルノや無料のポルノは、男性のオーガズムに焦点を当てる傾向があり、女性のパフォーマーには殆ど注意が払われていない。

4. 撮影されたシーンについて、出演者がきちんと承諾しているか? そのシーンの最終的な結果が、出演者の同意と異なっていた事は十分にあり得る。

5. 広告ベースの収入は、おそらくこのサイトの収入モデルである。アクセスするためにサイトにお金を払っていないのであれば、どこかからお金を稼がなければならない。つまり、ウェブサイト上の広告スペースを販売だと思われる。そうした広告には、3つの大きな問題がある。ウイルス、アドウェア、マルウェアだ。



倫理ポルノを見ているかどうかの見分け方

皆さんが見ているポルノが倫理的であるかどうかを知るには、多くの兆候を見分けられる。

1. ポルノにお金を払う

お金を払って何かを買う人は、買う前に十分なリサーチをする可能性が高いです。ポルノも同じです。また、より多くのコンテンツを得られるし、出演者のインタビューも含まれる可能性がある。ポルノにお金を払う行為は、皆さんが見ているものが倫理的に制作されたものであると見極める一つの方法なのだ。

2. パフォーマーの同意に関するポリシーを確認する

ポルノは、出演者が撮影と配信に同意している場合、倫理的と言える。制作会社のパフォーマー・コンセント・ポリシーを探そう。それがない会社は、倫理ポルノ制作会社とは言えない。

3. 非ポルノコンテンツを見る

舞台裏や出演者のインタビューなど、ポルノ以外のコンテンツがあるかどうか確認して欲しい。倫理ポルノ制作会社は、そうしたコンテンツも撮影するし、出演者が撮影するシーンに同意しているところを撮影する会社もある。また、シーンや照明、アングルの変更を出演者が提案し、撮影前にそのシーンについて話し合う裏舞台の模様を撮影する会社もある。

4. 出演者をSNSで探す

出演者の多くは、自身のソーシャルメディアページで積極的にファンと交流している。出演者が自分のSNSでシーンや映画のことを話していたら、それは純粋に自分の仕事や一緒に仕事をした会社を誇りに思っていると推察可能だ。

ポルノを見ることを恥じるべきか、それとも後ろめたく思うべきか?

それは最もエキサイティングな事のひとつだw。フェミニストで倫理的なポルノは、罪悪感なく楽しめる。出演者のニーズを第一に考えて、公正に制作されているからだ。現実的なセックスの表現であり、気持ちよくなれる。ウィンウィンの関係なのだ!


(文中敬称略)


拙訳終わり。実践手段は、日本でも導入可能だし、実際にもうやっている事例もありますね。

それにしても、こうした事例を時を遡りながら検索していく内に思ったのですが、欧米のフェミニストの方々は、全部が全部で無いにせよ、女性の性欲とポルノというジャンルを認めた上で、自分達なりの対案や実践をやっているんですよね。そこが日本と対照的。こんな愚かしい法律が出来る前に、そのような模索があって然るべきだったと痛感してしまいます。皆さんは如何でしょうか。

※御賛同頂けるようであれば拡散お願いします。後、読者登録も宜しければ。


海外では大学教授によるポルノの研究書が普通に出版されているぞ #AV新法の廃止を望みます 



小ネタです。先日の倫理ポルノ、学校での性教育で使用を推奨し、論争になっていた #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みますという記事を紹介した後、「教育とポルノ」というワードが気になりましたので。試しに検索したところ、海外では大学の教授さんが研究書を出してはるのに気づきました。これなんかがそう。「ポルノグラフィ 構造、エージェンシー、パフォーマンス(メディアと文化研究の鍵となる概念)(英語版)」オーストラリアのシドニー工科大の方ですわ。アマゾンからも入手可能。英語版とあるところをみると、様々な国の言語に訳されているのでしょう。

書籍紹介欄を拙訳してみます。
幅広い読者向けに書かれ、最先端の現代の学問に基づく本書は、現代のポルノについて問われるいくつかの重要な質問を扱っている。それは何か。誰のために制作されているのか? どのようなセクシュアリティを生み出すのに役立つのか。何故研究すべきなのか、その際に最も緊急を要する課題とは何か。ポルノを暴力と言うと何を意味するのか? 同意、自己決定、パフォーマンスの枠組みでポルノを議論した場合、それは何を意味するのか。

本書は、保守的で急進的な反ポルノ活動家の主張を、新世代のフェミニストやクィアのポルノ出演者や教育者からの挑戦に対抗するものとして位置づけている。ケーススタディの繊細で詳細な議論と、ポルノ業界で働く人々の声に細心の注意を払いながら組み合わせる事により、研究者、活動家、そしてセクシュアリティを理解する新しい方法を見つけようとしている人々に、ポルノの歴史と未来の最初の概観を提供するものである。
何だか、凄そうな内容ですね。どうしてこんな研究を工科大学でという疑問が残りますが。

残念ながらレビュー欄に投稿は無し。シリーズ化された書籍でして、2冊目はリアリティテレビの研究でした。どうやら、こういうのが一体的な繋がりがあるとお考えのようです。

いずれにせよ、思ってしまった事が。日本ではAV女優さんの写真集やエッセイ、或いは村西とおる氏の回想録的な書籍はありますが、AVそのものを大学の教授さんが研究し、学術書として世に問うている事例があるのでしょうか。もしあるのなら、読み比べてみようかなと考えておりますので、どなたかご教示いただければ。

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倫理ポルノ、学校での性教育で使用を推奨し、論争になっていた #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みます


AV新法への対案として、出演者が適切な契約と環境の下で制作される「倫理ポルノ」(Ethical Porn)を提唱しているワタクシメ。時系列を下りながら紹介しておりますが、今回はチャリスマン・ニュース・コムという宗教系サイトの過去記事(2014年3月17日午後5時投稿)を拙訳してみます。

Are Educators Really Suggesting 'Ethical Porn' in Sex Ed?(倫理ポルノを巡る教育者は本当に性教育で 「倫理的ポルノ」 を提案しているのか?)

5:00PM EDT 3/17/2014 The Christian Institute

最近の性教育ガイダンスで推奨されている、若者に漫画の画像を使った 「倫理ポルノ」 の作成を奨励するリソースが、家族運動家によって酷評されている。

テレグラフにオンラインで寄稿した家族教育財団のノーマン・ウェルズは、先月学校向けに作成された性教育のアドバイスに 「役に立つ」 と記載された様々な資料を批判している。

この指導は、全ての学校で性教育を義務化するように働きかける多くの団体によって作成された。

ウェルズは、このアドバイスに従うことは 「単に子供の性化に関する問題を悪化させるだけである」 (“would merely compound the problems associated with the sexualization of children.”)と述べている。

また、拘束力のないガイダンス内の 「有用なリソース」 のリストに含まれている 「Planet Porn」 と呼ばれるリソースパックを批判している。

「ポルノ討論」 と呼ばれる一連の活動について、版元は 「手渡されることさえしようとし、ポルノが良いか悪いかを人々に伝えようとはしない」(“tries to be even handed and doesn’t attempt to tell people whether porn is good or bad.”) と述べている。

これは 「相対論的アプローチ」 と 「完全に一致する」 とウェルズは指摘する。

本人によると、親たちは自分たちの子供が学校でポルノは間違っていると教えられると思い込んでおり、それを見るのをやめてしまうだろうという。

「親たちは一瞬たりとも、それが道徳的な枠組みや方向性を欠いた議論の対象として提示されるとは考えない」(“They don’t for one moment think that it will be presented as a topic for discussion, devoid of any moral framework or direction,”)。

また、若者を励ます「安全で、平等と多様性を促進し、誰がポルノを見ているかを仮定しない、セクシーなシーンや画像を提示する方法を考える」(” encourages young people “to think of ways to present sexy scenes and images which are safe, promote equality and diversity and don’t make assumptions about who may be watching porn.”)という活動もある。

この活動には、パックやスティックマンからの漫画画像を使用して 「倫理的ポルノ」 を作成することも含まれる。

このガイダンスでは、教師にポルノは必ずしも 「全て悪い」 ものではなく、 「非常に多様」 であることを念頭に置くようにと伝える別の資料を推奨している。

ザ・ポルノグラフィー・イシューと題されたこの電子雑誌はまた、10代の若者に 「ポルノは素晴らしいものになり得る」 (“porn can be great”)とし、このテーマに関する一連の 「神話」 に取り組むことを目的とした若者フォーラムのウェブサイトを推奨している。

ウェルズは、「一般社会、特にインターネットにおけるポルノの蔓延は、非常に大きな課題を提示しているという意見が幅広く共有されている」(“There is widespread agreement that the prevalence of pornography in society in general, and on the Internet in particular, presents enormous challenges.”
)と述べている。

その一方で 「解決策が学校のカリキュラムにポルノ教育を追加することにあると判断する前に、そのような授業が正確に何から構成されるのか、そしてその主題が扱われる道徳的枠組みについて、探求する質問をする必要がある」 ("before we determine that the solution lies in adding pornography education to the school curriculum, we need to ask searching questions about precisely what such lessons would consist of and about the moral framework within which the subject would be addressed.”)としている。

(文中敬称略)

拙訳終わり。性教育の教材に・・・って凄い話ですね。

で、同時に思ったんですが、そもそも日本では学校での性教育をキッチリやって来たのでしょうか? そして、このような試みは行われているのでしょうか。

AV業界の方々が、新法を巡って国会議員と接触なさっているようですが、そろそろここらで第二弾というか、業界で学校向け性教育倫理ポルノを制作して文教族に働きかけるというのは有りかなと思ってしまいました。皆様、如何でしょうか。

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哲学者のアラン・デ・ボットン氏、あのウォールストリート・ジャーナルにもポルノを巡って寄稿していた・・・で思った事が  #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みます

正直、この方の考察はここら辺かもなと思いつつ検索をしていたところ、何とあの世界を代表する経済紙のウォールストリート・ジャーナル上でポルノの問題提起をなさっていた事に気づきました。で、色々考えさせられたので拙訳してみます。



Why Most Men Aren't Man Enough to Handle Web Porn(何故、多くの男性はウェブポルノを扱えるほどの器が無いのか)

By Alain de Botton
Updated Dec. 26, 2012 4:05 pm ET

右も左も、全ての政党が自由を信じている。問題は、自由が多すぎる事、もしくは自由を非常に誤った方法で使用し、繁栄や安全、幸福など、我々が関心を寄せる他の事柄が損なわれ始める事があるかどうかである。

この問題は、インターネット・ポルノの問題に集約される。銃を買ったり、不健康な食べ物を食べたり、8回も離婚して再婚したり、自分の才能を何も生かせなかったりするのと同じく、人が好きなだけポルノを見るのは自由であるべきだというのが標準的な見解である。

だが、自由とは何だろう?神学者であり哲学者である聖アウグスティヌスの言葉を借りれば、本当の自由とは、何をする権利も無いという事だ。言い換えるなら、人生を豊かにするために必要なもの全てにアクセス出来る事を意味し、結果として人生を台無しにする多くのものから保護される事なのである。

ポルノを考えてみよう。アルコールやコカインと同じように、ある人々にとっては非常に魅力的なものであるのが問題の1つだ。この問題をあまり調査しないコメンテーターは、かつてプレイボーイ誌を覗いたり、ホテルのテレビチャンネルで卑猥な映画の予告を見たりした事があるかもしれないのに、何の問題もないと安易に考えてしまうのである。だが、問題はある。シスコ、デル・オラクル・マイクロソフト、そして何千ものポルノ・プロバイダーからなる、殆ど無意識のうちに結ばれた同盟が、男性という性別の設計上の欠陥を利用する方法を発見したのだ。ネット上でボタンをクリックするだけで提供されるもの、つまりサド侯爵の病んだ心では思いもつかないようなシナリオに、継続的に参加するオファーを突きつけられると、本来、サバンナの向こうの部族民を時折垣間見る程度の誘惑にしか対処できないはずの脳が、その能力を失ってしまうのである。我々の心理的な構成には、技術的な能力の発展を補うほど強固なものはないのだ。

我々は読んだり見たりするものに弱い。物は我々の上を流れるだけではない。我々は情熱的で、ほとんどの場合、破壊的なホルモンや欲望に翻弄される理不尽な生き物である。つまり、本当の長期的な野望を見失う事が決してないのだ。この脆弱性は私たちの自己イメージを損なうかもしれないが、間違った写真は実際に私たちを悪い方向に向かわせる可能性がある。つまり、特定の種類の役に立たないビデオクリップに接触すると、倫理的なコンパスに大打撃を与えるかもしれないのだ。無論、我々の全ての自由を恣意的で専制的な権威に譲るべきだという意味では無いが、我々自身の幸福と繁栄の能力のために、特定の状況下での我々の自由に対する理論的な制限を受け入れる事は可能だと示唆しているのである。明晰になった瞬間には、揺るぎない自由が我々を陥れる可能性がある。また、インターネットポルノに関して言えば、我々が消費するものを制限する措置を講じた場合、自分自身に多大な恩恵を与えることができるという事を、自ら認識出来る筈なのだ。

恐らくは、論理的な自己に対するセックスの力を十分に感じていない人たちだけが、この問題に対して無防備で自由な「現代人」であり続ける事が可能なのだろう。性的解放の哲学は、その殆どが解放された後にやりたい事が余りに破壊的であったり、奇妙だったりしない人々に訴えるのである。

一方、一般的なセックスや、特にインターネット・ポルノが我々の優先順位を変える力を持つのを経験した人は、自由についてそれほど悲観的になる事は無いと思われる。ポルノは、アルコールやドラッグと同様に、人生を適切に導くために必要な苦しみに耐える力を弱めてしまう。特に、不安と退屈という二つの曖昧な感情に耐える能力を低下させる。不安な気分は本物だが、何かが間違っているという混乱した信号である。故に、その信号に耳を傾け、辛抱強く解釈する必要がある。他方、これまでに発明された最も強力な気晴らしの道具の一つを手にしている際は、そうはいかないだろう。インターネットはある意味でポルノであり、我々が生まれながらにして抵抗する能力を持たない、絶え間ない興奮をもたらすものであり、本当に必要とされている物事とは関係のない多くの道へと導くシステムなのである。更に言うなら、ポルノは、良いアイデアを生み出すための空間を心に与えるために不可欠な退屈さ、つまり、お風呂や長い列車の旅で経験するような創造的な退屈さへの耐性を弱めてしまうのだ。

セックスが我々の心からの優先事項から遠ざける力があることを認めるという意味では、宗教だけが未だにセックスを非常に真剣に受け止めている。つまり、宗教だけが、セックスを潜在的に危険なものであり、警戒しなければならないものとみなしているのである。我々は、宗教がセックスの代わりに我々に注目してほしいものに共感しないかもしれないし、宗教の検閲のやり方が気に入らないかもしれない。だが、宗教は、性的なイメージが私たちの高次の理性的能力を憂鬱なほど容易に圧倒しうることを認識しているのである。

世俗的な世界は、イスラム教が推進するヒジャブやブルカを特に軽蔑している。信者たちは、薄着になった人を見るとアッラーに集中できなくなるかもしれないから、頭からつま先まで身を隠す必要があるかもしれないという考えは、世俗主義の保護者からすれば、荒唐無稽に思われる。理性的な大人が、魅力的な女性の膝や肘を見たからといって、本当に人生が変わる事が出来るのだろうか。半裸のティーンエイジャーが海辺を挑発的に歩いているのを見れば即座に心が弱まる訳でも無かろう。

世俗的な世界では、ビキニやあらゆる種類の性的挑発に問題は無い。と言うのも、セクシュアリティと美が私たちに重大な力を及ぼす可能性があるとは特に考えられていないからだ。人は、オンラインであれ現実であれ、美を見る事が出来るし、特に何も起こらなかったかのように人生を歩むことができる。

問題がそれほど単純ではないかもしれないと示唆するのは、人間の美に対する侮辱を意味しない。確かに、そうでない事を考えるのは美の力への賛辞である。宗教は高慢だと嘲笑されるかもしれないが、それとは程遠い。宗教がセックスを戒めるのは、欲望の魅力と力に対する積極的な意識からである。セックスがそんなに悪いとは思わないだろうし、セックスがそんなに素晴らしいものだと認識していないだろうし、それが必然的に、神や皆さんの人生のような、かなり重要で貴重なものの邪魔にもなる事を認める勇気がなければならない。

たとえ我々がもはや神を信じなくなったとしても、ある程度の抑圧は、我々の種と、中途半端な秩序と愛に満ちた社会が十分に機能するために必要であるように思われる。我々のリビドーの一部は地下に押しやられなければならない。抑圧はカトリック、イスラム教徒、ビクトリア朝だけのものではなく、永遠に我々と共になければならない。我々は仕事に行き、人間関係に関わり、子供の世話をし、自分の心を探求しなければならない。故に、インターネットに繋がっていようといまいと、性的衝動を無制限に表現する事を許すのは不可能である。;それは我々を破滅させるだろう。セックスとは、現実的に完全に 「解放」 されることを期待したり望んだりしてはならない力である。

アラン・デ・ボットンは、ピカドール社から出版された新刊『セックスについてもっと考える方法』など自己啓発書シリーズの著作がある。詳細については、www.theschooloflife.comを参照されたい。
拙訳終わり。お恥ずかしい話、哲学書というのをワタクシメは殆ど読んだ事がありませぬ。ですので、訳には難儀したというのが正直なところです。

ともあれ、そんなアホでも分かった(外れてるかもしれんけど)事が。

昨今のAV新法を巡って、その是非以前の話として、セックスについてどれだけ突き詰めて我々は考えたのだろうかと。

哲学というのは、物事を突き詰めて考えるという行為だとワタクシメは理解しております(外れてるかもしれんけど)。それを賛否両陣営はしたのかと。ワタクシメ自身も含め。

後もう1つ。AV新法とは別に世情を騒がせている統一教会問題ですが、あそこを始めとするカルト宗教は、性的自由を非常に忌み嫌って信者を拘束していますよね。この2つが同時並行的に世間の方々の関心を呼んでいるのは偶然なのか? 

そうした拘束行為を新法制定者が狂奔しているという点では、同じ根を共有しているのでは無いか。言うまでもありませんが、それって危険でしょうが。

てな事を訳し終えた今、つらつらと考えております。無論、ボットン氏の論考とは遠く離れてしまっているとは思いつつ(そもそも、この方は日本の現状とか御存知無いやろし)。

経済紙のウォールストリート・ジャーナルが、何で哲学者のセックスの問題提起という寄稿を載せたのかは分かりませんが、セックスについて深く考え、その規制の必要性を認めつつも、ハンドリングは難しいよというボットン氏の考えには、広く社会全体で議論していかねばならないものがあるのでは。

と言うか、日本のAV新法については、もっと新聞やテレビメディアが正面切って対峙論考すべきではないのか。皆様は如何お考えでしょうか。

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哲学者アラン・デ・ボットンによる「新しいタイプのポルノ」を巡る論争について #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みます



この問題の更新が遅れてしまっている事をお詫びします。今回はガーディアン紙が2012年5月22日午後8時に配信していた記事の拙訳です。

So Alain de Botton thinks we need a new kind of porn. Well I've got a few ideas for him(つまり、アラン・デ・ボットンは新しいタイプのポルノが必要だと考えている模様だ。私は彼向けのアイディアが幾つかある)

Hadley Freeman

After a week in Cornwall with no phone reception, on the train home, it suddenly returns. Oh, the pleasure!(携帯電話の電波が届かないコーンウォールに1週間滞在した後、帰りの電車の中で突然、電波が戻ってきた。ああ、嬉しい!)

Salt'n'Pepa(訳注:アメリカのヒップホップグループ)のように、アラン・デ・ボットンはセックスについて話したいと思っている。良い話をしたいのか悪い話をしたいのかは断言できない。と言うのも、なぜならデ・ボットンが本当に好きなのはセックスについて哲学することだからだ。哲学的でない我々のようなタイプには何を言っているのか正確に理解するのは少し難しいかもしれない。

先週届いたメールには、 「哲学者アラン・デ・ボットンが新しい種類のポルノを発表した」 と件名に書かれていた。わくわくして、すぐにメールをクリックしたが、失望した。写真が無いのだ。ただそれは、デ・ボットンが拳を握り締めて哲学的に結集している一種の声明文であることがわかった(何のことだか、私にはとても言えなかった)。

哲学は概して大がかりなジャズによって明白なことを述べる以上のものではない。そう信じている人にとって、デ・ボットンのポルノ宣言は他に説得の術が無い。同様に、デ・ボットンを実社会とはほとんど関係のない貴重な哲学者と見ている人たちに対しても、自分の意見がまったく変わらないように気を引き締めておくべきだ。

「ポルノが飽和点に達し、あらゆる場所にポルノが存在するとしたら、次にポルノに何が起きるだろうか?」("If we have reached porn saturation point, and porn is everywhere, what next for porn?")とデ・ボットンは息巻いている。その答えは、「ポルノについて考えるに当たり、倫理観、美的感覚、知性を捨てろと言わない」("If we have reached porn saturation point, and porn is everywhere, what next for porn?" De Botton heavy-breathes. The answer, he believes, is porn that doesn't "ask us to leave behind our ethics, our aesthetic sense and our intelligence when we contemplate it")ポルノだと。そう彼は信じている。もしデ・ボットンがポルノを「熟考」しているときに顎を撫でているとしたら、それは解剖学的に間違った部位を撫でている事になろう。

「世界はポルノだらけだ」 ("the world is awash with porn")と考えるのではなく、 「より良いポルノ」 ("better porn")を作り出すことが解決策だと提案するには、途轍もない柔軟な脳を持っている必要がある。しかし、デ・ボットンは、ほんの2週間前に 「How To Think More About Sex」 という本を出版した人物だ。この活動は、誰も助けを必要としていない。

「理想的には、ポルノは人間性の他の高い側面を提示する文脈でも、我々の欲望を刺激するだろう。例えば、人々がウィットに富んでいたり、優しさを示していたり、一生懸命働いていたり、賢いことをしていたりするような場合だ」 ("Ideally, porn would excite our lust in contexts which also presented other, elevated sides of human nature – in which people were being witty, for instance, or showing kindness, or working hard or being clever,")と彼は書いている。それはまるで、いじめっ子に向かって、(メガネを鼻にかけ直し)賢いことは実は心底クールだと主張している小心者の少年のようだ。

さて、公平に見て、人によってセクシーと感じるものは違う。だから、デ・ボットンが何に興奮するのかが分かった。しかし、デ・ボットンのような薄情な人間が、自分とは異なる嗜好を受け入れるだけの自制心と謙虚さを持ち合わせているとは考えにくい。(その薄さといえば、仮に貴殿が自分の本を嫌ったニューヨーク・タイムズの批評家に送ったような辛辣なコメントをガーディアンのウェブサイトに残さないなら、私にとっては侮辱となろう)。

恐らく半裸のニンフがスイスの哲学者に親切にする映画をせっせと作っている間に、私は、本人が熱心に提案している、この都合よく人目を引くトピックについて議論しておこう。デ・ボットンの言う通り、「世界はポルノだらけだ」 ("the world is awash with porn")。ビル・ヒックス(訳注:アメリカのスタンダップ コメディアン、社会評論家、風刺作家、ミュージシャン)が数十年前に指摘したように、最高裁の定義によれば、ポルノとは「芸術的価値を持たず、性的思考を引き起こすあらゆる行為」("any act that has no artistic value and causes sexual thoughts")であり、多くの広告がポルノに近い。このデオドラントをつければ、女性はあなたを輪姦しようとするでしょう!このジムに通えば、あなたのセックスライフは素晴らしいものになるでしょう。このガムを噛めば、3Pができる!

性的なイメージや性的な誘いかけが、あまねくある。故にそれらに興奮するどころか、その出現に対する一般的な反応は、チャンネルホップである。「ほら、またあの広告だ。カップルがインスタントコーヒーで事に及ぼうとするって中身だよ。BBC2では何をやっているんだろう」("Oh look, here's that advert again in which the couple are about to shag over instant coffee. I wonder what's on BBC2?")。

デ・ボットンの言う通り、新しいタイプのポルノは必要だ。しかし、彼が考えているようなポルノではない(人々がお互いに親切にすること?プレイボーイ・マンションはセサミストリートにあるわけじゃないんだよ)。ポルノが、長い間の願望や社会的タブーの破壊を約束することで心をときめかせるものだとすれば、セックスというものは、その乱用と偏在性から、最近ではそれほどポルノ的ではないのだ。これは、現代の真の興奮のセレクションである。

1.電話の電波が入ること

貴殿はコーンウォールに1週間滞在し、確かに素敵なところでしたが、携帯電話の電波が全く届きません。ガーン! しかし、帰りの電車の中で、突然受信できるようになります。ああ、嬉しい... ポルノグラフィティ XX

2. ワクワクするようなメールが届いた!

今までにないほど退屈な会議中の貴殿は、当然ながらテーブルの下でスマートフォンをいじっています。しかし、残念なことに! 誰もメールを送ってくれません! ところが、突然、誰かからメールが届きます。やった!やった!そうだ!そうだ!ポルノ評価 X

3. デイリーメールサイトの閲覧

ポルノ評価 XXX

(文中敬称略)

拙訳終わり。この方はガーディアンのコラムニストですが、批判的なスタンスですね。こういう意見もあるという紹介になります。

いずれにせよ、ポルノを巡っては先入観がありはしないかという観点で言えば、この哲学者の先生の問題提起は一考に値しましょう。・・・ただ、もう少し具体性が欲しいところではある。映像作品として提示してくれないと。

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哲学者アラン・デ・ボットンによる「新しいタイプのポルノ」、結構な物議を醸していた模様。で、思った事が #倫理ポルノ ##AV新法の廃止を望みます



先日紹介した哲学者アラン・デ・ボットンによる「新しいタイプのポルノはありうるか?」との考察 #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みますという記事の関連です。このニュー・ステーツマンというサイトでは、酷評が寄せられていました(2012年5月18日付け)。以下、拙訳。

18 May 2012

Alain de Botton’s “new kind of porn“(アラン・デ・ボットンの "新種のポルノ")

哲学者は「私たちの欲望を刺激する」事をお望みだ。

By Helen Lewis

何と言う事だ。アラン・デ・ボットンは、仕事の仕方や幸せになる方法を教えるだけでは飽き足らず、今度はセックスの仕方まで教えようとしている。

いや、本当に。今朝、私の受信トレイに飛び込んできたSchool of Lifeのプレスリリースをご覧頂きたい。

インターネットの出現により、現代社会にはポルノが溢れかえっている。ポルノを作る人にとって、その搾取という点で脅威であるだけでなく、それを視聴する人にとっても、ポルノに組み込まれた価値観とその後の人生における責任や価値観との間に生じる葛藤という点で脅威となる。
ポルノの禁止が一つの解決策である。もうひとつの解決策は、おそらくデ・ボットンが提案したより創造的な解決策だ。つまり「より良いポルノ」を作るのだ。 
ボットン自身と同様に、何が起こっているのかの要点を十分に伝えるために私が書ける事は何もない。
我々は、人間である事と性的である事のいずれかを選ぶ必要はない筈だ(古代ギリシャ人はこのことをよく知っていた)。理想的には、ポルノは人間性の他の高められた側面を示す文脈で欲望を刺激する。例えば、人々が機知に富んでいたり、優しさを示していたり、一生懸命働いていたり、利口であったりするという文脈で、性的興奮は、良い生活の他の要素に浸透し、それに対する敬意を高められるのだ。もはや性欲は、愚かさ、残忍さ、真面目さ、搾取と一緒にされる必要はなく、我々の中で最も高貴なもののために利用出来るのだ。

現在のポルノの本当の問題は、理性的で道徳的で親切で野心的な人が持つかもしれない他の全ての関心事からあまりにもかけ離れていることです。現在のポルノは、我々がポルノについて考える際、倫理や美的感覚や知性を置き去りにするよう要求しているのだ。しかし、セックスと美徳の間の厳しい選択を強いられないようなポルノグラフィーを考えることは可能である。つまり、ポルノグラフィーでは、性的欲望は我々のより高い価値を損なうことを許されるのではなく、むしろサポートするよう誘われるのである。
まあ、努力する仲間を責めるのは酷だ。しかし、残念ながら、「Alain de Botton porn」でググっても何もヒットしない。

(文中敬称略)
拙訳終わり。執筆なさっているHelen Lewisという方は、アメリカのアトランティックという老舗誌のライターさんで、ニュー・ステーツマンの副編集長も務めていた事があるそうです。

確かに、この方の御指摘通り、未だにヒットしません。肝腎のサイトが見当たらない。運営して、どんなのが出来るのかというのを見せてもらってこその話だと思うし、残念ではある。

一方で、哲学者の提唱というのに強烈に引き寄せられます(恐らく海外の方々もそうなのでしょう)。「怪しからんから根絶せよ」では無く、「人間の根源的な欲求だと踏まえて議論していく」姿勢は大事なのでは。

我々は、人間である事と性的である事のいずれかを選ぶ必要はない筈だ(古代ギリシャ人はこのことをよく知っていた)=We shouldn’t have to choose between being human and being sexual (the Ancient Greeks knew this very well).

この言葉、非常に心に刺さりましたので。

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哲学者アラン・デ・ボットンによる「新しいタイプのポルノはありうるか?」との考察 #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みます



何か凄い展開w。哲学者のアラン・デ・ボットン氏が「新しい種類のポルノは有り得る」と、ペーパーブログというサイトで主張なさっています。哲学者が・・・。2012年6月23日の記事です。以下、拙訳。

Can There Be a New Kind of Porn? Philosopher Alain De Botton Thinks So(新しい種類のポルノはあるのか?哲学者アラン・デ・ボットンは、あると考える)

■背景

我々は間違った種類のポルノを食べすぎたのだろうか? 哲学者のアラン・デ・ボットンは確かにそう考えている。彼は「セックスについて、更にどう考えるか」(How to Think More About Sex)という書籍を出版し、知性や倫理、美学を捨てない新しいタイプのポルノが必要だと考えた。 「Better Porn」 キャンペーンとウェブサイトを立ち上げる予定だ。それは、人間である事と性的である事に違いは無いという古代ギリシャの世界観を思い起こさせる。

ジョーによると、ボットンのサイトは、息子や娘がアクセスする事に親が喜びを感じるものになるという。また、インディペンデント紙によると、充実した人生を送るためのアドバイスを提供するために始めたスクール・オブ・ライフ運動の一部だという。下品について懸念しているのは言うまでも無い。政府はインターネットポルノから子供を守るための方策についても協議している。ポルノでは 「成人向け」 のコンテンツを受信するにはオプトインが必要になる。また、ハフポストの報道によれば、エロティックな小説 「50のグレーの色合い」 (50 Shades of Grey)がベストセラーリストのトップに躍り出たこともタイムリーであるという。

ガーディアンの紙上で「我々がポルノ飽和点に達し、ポルノがどこにでもあるとしたら、次にポルノはどうなるのだろう?」(“If we have reached porn saturation point, and porn is everywhere, what next for porn?” )と、ボットンは語っている。

■アラン・ド・ボトンは馬鹿げている

もし哲学が 「ジャズ・ハンドを駆使して自明なことを述べるだけのもの」(“little more than stating the obvious with extra jazz hands,”) と考えられているのなら、そうでなければ説得されないだろう、とガーディアンでの自由コメント欄の中でハドリー・フリーマンは嘲笑した。本人が欲しいのは 「ホットなポルノスター」 だけだ。そして、見ている間は体の間違った部分、つまり顎をなでている。あたかも 「おっちょこちょいな少年」 のようだ。性的なイメージはどこにでもあり、ほとんどの人はそれを無視している。だが、本人の言う通り、我々には新しい種類のポルノが必要だ。コーンウォールに1週間滞在して、ようやく「携帯の電波」が届くというのはどうだろう。退屈な会議中にEメールを受信するのはどうでしょう? Daily Mailのウェブサイトを見るのはどうなのだろう?

■アラン・ド・ボットンは間違っている

加えて、ボットンは 「倫理ポルノ」 と呼ぶものがすでに存在する、とAnti-Porn Feministsブログは述べている。「芸術、文学、映画」と呼ばれている。だが、ポルノの唯一の欠点は質だという間違いを犯している。ポルノを消費することは 「男性至上主義の行為」 だ。それは男性に優越感を与える。そしてボットンは、そこには全く触れていない。その分析は分析は、「レイプ、レイプ文化、性売買、児童の性的搾取、被害者非難が存在する」現実の世界にはそぐわないようだ。ポルノは女性が傷つくために男性によって利用される、それだけなのだ。

■アラン・ド・ボットンは正しい

ナンセンス、とニッキ・ホジソンはニュー・ステーツマンで切って捨てた。ボットンは擁護されるべきだ。ポルノは必ずしも倫理的に貧しいものである必要はない―そうアンジェラ・カーターが30年前に書いている。我々はポルノを改善することができる―まずは 「倫理的スタンプ」 が必要だ。ボットンが抱えている唯一の問題は、自分のポルノがセクシーだと人々に納得させる事にある。ボットンは「芸術と工芸のアプローチ」(“an Arts and Crafts approach”)–「エリート主義を避け、情熱を発揮すれば、社会はその生産によってより豊かになるだろう」(“Avoid elitism, invoke passion, and society will be better off for its production.”)に従う必要がある。

■ただ、それを正しく理解するように

エメット・パーセル氏はジョーとのインタビューで、 「おっぱいをケチらないことを忘れないで。それと、ボットンの幸運を祈っている」(“don’t forget not to skimp on the boobs Alain and then we’ll wish you the best of luck.”) とコメントした。HeresiarchのDungeonブログによると、ポルノは「思考を助けるものであり、30分間の激しいグループセックスを見る事により、プルーストを新たに(出来れば一生)理解を可能にするような、真の芸術形式」(“an aid to cogitation, a genuine art form in which the viewer might emerge from watching an intense thirty-minute session of group sex with a new (and hopefully lifelong) appreciation of Proust. )として使えると示唆した。このブログは続いて、ポルノでの性的な表現について哲学的な解釈を紹介した。セレブリティ・テープについて:「公開されたセックステープのない有名人は、このように半分しか形成されていないが故に、彼または彼女のすべての遍在性にもかかわらず、全く現実では無い。以上のように理解すると、セックス・テープは反社会的なものでは無く、むしろ検証の対象である」(“A celebrity without a publicly released sex-tape is thus only half-formed and so, for all his or her ubiquity, not quite real. Understood this way, the sex-tape is less a violation than a validation.”)

(文中敬称略)

拙訳終わり。高尚過ぎて訳わからん(汗)。と書いたものの、「今あるポルノが全て」という考えに囚われていないかという問題提起にも読めました。それなら分かる。

なお、サイトが見つかりません。書籍はこちらでした。


この方の実践については、当時議論になっていたようです。明日以降、また紹介していきます。

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急進フェミニスト学者の反ポルノ論に、同じくフェミスト学者が倫理ポルなどを引き合いに大反論! #倫理ポルノ  #AV新法の廃止を望みます #AV新法


今から11年前の論考。アメリカにも倫理ポルノという概念が当時からあり、色々模索していた事が分かる記事です。出典はラスベガス・ウィークリー・コムというサイトです(2011年2月2日午後3時40分投稿)。以下、拙訳。

EMINISTS GONE WILD! A RESPONSE TO PORN CRITIC GAIL DINES(フェミニストが大暴れ!  ポルノ評論家ゲイル・ダインズへの応答)

 
Lynn Comella
Wed, Feb 2, 2011 (3:40 p.m.)

「ポルノランド:ポルノは如何にして我々のセクシュアリティを乗っ取ったか」 (『Pornland:How Porn Hijacked Our Sexuality』) の著者で社会学者のゲイル・ダインズは、ポルノ業界には多くの責任があると考えている。本人の説明によると、それは女性への不快な行為、極端なイメージ、下劣な描写に満ちた世界だ。それは女性嫌悪を美化し、性差別を営利目的で売り、フェミニズムを軽く扱っている。その累積的な影響は有害であり、それが人間の性的な親密さにもたらす犠牲は有害である。

ダインズがどんなポルノを見ているかはわからないが、私が見ているポルノや、私の知る多くの女性や男性が選んで見ているポルノとは、明らかに大きく異なっている。

ダインズ氏は最近、2011年にラスベガスで開催された『アダルト・エンターテインメント・エキスポ』の開幕を数日後に控えたというタイミングで、英紙『ガーディアン』にポルノに反対する意見を寄稿した。その中で、ポルノ業界に対する不満の長いリストをリストアップしている。サンズ・エキスポ&コンベンション・センターで「風通しの悪い会議室」を埋め、ニッチ市場、ウェブトラフィック、顧客基盤をどのように成長させるかを議論する 「略奪的資本家」 を、何時もの辛辣かつ捕らわれのない態度で批判している。また、2008年に万博を訪れたときのことを思い出しながら書いている。「セックスではなくお金だ」(“is not sex, but money.”)と。

典型的なゲイル・ダインズの主張で、ポルノ反対派のフェミニストが何年も読んできたポルノの害についてのお決まりの主張を、修辞的に装飾して言い直したものだった。しかし、最後のパラグラフは、私を憤慨させた。

今年のエキスポのセミナーのひとつに、『In the Company of Women』というのがある。ここでは、学者がポルノグラファーと一緒になって、女性をターゲットにしたニッチな商品を開発する方法についてアイデアを出し合う。ポルノを見る事で女性がいかに力を得られるかという話がたくさん出てくると思う。と言うのも、ポルノ制作者は知識のあるビジネスマンであり、ポルノが実際に女性にとって良いものであることを伝える以上のものではないからだ。これは彼らの 「トリック」 であり、可塑的で定型的で一般的なポルノグラファーのイメージを、我々自身の経験、切望、欲求に基づく本物のセクシュアリティで置き換えたいのであれば、抵抗しなければならないだろう。

ダインズの解説には多くの誤解があるが、このセミナーのあからさまな誤解ほど個人的に不快なものはない。その描写は、実在しない幽霊を呼び起こすための全くの作り話だ。もっと分別がある筈と率直に申し上げたい。

私は、ダインズと違って、今年のExpoに参加した。しかも、2年連続で女性向けセミナーの司会と運営に携わった。エキスポのプログラムをざっと見ただけでも、オンラインで見ることができ、ダインズがセミナーの名前を挙げているので見たのだと思うが、私と一緒にステージに立ったのは、フェミニストの性具小売業者2人とフェミニストの性科学者と作家、女性のポルノプロデューサーと男性の性具デザイナー(女性セミナーに初めて男性が招待された)だった。ダインズ氏が読者のために作り上げた女性嫌悪の「トリックスター」の巣窟とはとても思えなかった。

だが、問題は別にある。ポルノの破壊的影響に関するダインズの包括的な主張を、著書でも一般紙での執筆でも、ポルノ業界を一本調子で、多様なニッチ市場や倫理的ビジネス手法、好感の持てる男性、自律性を持つ女性、フェミニズムらしきものを欠く一枚岩として提示する事に依存している点である。

ダインズは、ハードコアな「狂った」ポルノの世界という一断片を取り上げる。本人によれば、それは「女性が卑屈になり堕落するようなハードコアで体罰的なセックスを描く」(“depicts hard-core, body-punishing sex in which women are demeaned and debased”)ポルノであり、業界全体を象徴するものとして提示する。これは、マカロニ・ウエスタンだけを取り上げてハリウッドを語ったり、ヘアメタルだけを取り上げて音楽業界を一望したりするようなものだ。このようなアプローチは、健全な議論でも優れた社会学でもない。

学者のシラ・タラントが『ポルノランド』の最近の書評で指摘しているように、ダインズは、本人が語るポルノを複雑にするような反証に対処していないのだ。タラントによれば、「ダインズはフェミニスト・ポルノについて沈黙している。彼女は、ポルノを見る女性は、身近な男性に強制されているか、女性が自分を搾取することで報われる文化に騙されていると仮定しているのだ。ダインズは、クィアやゲイのポルノについての議論を一切省き、ポルノが男性の精神に及ぼす影響について、証明は不可能ではないにせよ、幅広い主張をしているのだ」(“Dines is silent about feminist porn. She presumes that women who watch are coerced by the men in their lives or duped by a culture that rewards women for exploiting themselves.” Dines omits any discussion of queer and gay porn, and makes broad claims about porn’s hold on men’s psyches that are difficult, if not impossible, to prove.)。

仮にダインズが実際にラスベガスに足を運び、今年の女性向けセミナーに参加していたら、女性の起業家たちが高品質の製品、性教育、倫理的なポルノ制作、オルタナティブな性的イメージへの関心をアダルト業界にもたらすのに貢献しているという事実を含め、性具やポルノに対する女性の市場について、一つや二つは学んでいたかもしれない。これらのことを見過ごしたり、もっと悪い事に、身無い振りをするのは、タイトルIXに一切触れずに大学スポーツの歴史を語るようなものだ。

女性向け市場は、単なるニッチではなく、過去10年間、アダルト業界のトレンドの最前線にあった。世界最大のポルノ会社Vivid Entertainment社で自身の作品を監督するフェミニスト・ポルノ・プロデューサーのトリスタン・タオルミノは、その代表格だ。タオルミノは、AVN賞を何度も受賞している。本人は、安全で、尊敬に値する、前向きな職場環境を優先しており、それには、パフォーマーが誰と仕事をしたいのか、どんなシーンで構成されるのか、パフォーマーと協力することが含まれます。その作品は、ホットで汗ばむようなセックス、女性のオーガズム、そして本物の親密さを特徴としている。

どんな社会現象についても、一般論で語るのは危険だ。また、学術研究者が、例えばポルノは悪いというような既成の結論に目がくらみ、競合する証拠を無視し、出来事を誤って伝え、容易に立証できない主張を事実として持ち出す事も危険である。

ダインズのガーディアン紙の記事のようなパラシュート・ジャーナリズムは、よくても疑わしい行為である。しかし、それが捕食的な反ポルノ・フェミニズムのブランドや薄っぺらな研究と結びついた時、その影響はまさに有害となりうるのである。

(文中敬称略)

拙訳終わり。ボロカスでんなw。

で、このゲイル・ダインズという方なんですが、ウィキペディア英語版によりますと1958年7月29日生まれの、マサチューセッツ州ボストンのウィーロック大学社会学・女性学名誉教授だそうです。

急進的なフェミニストで、ポルノグラフィーの研究を専門としています。 2010年には世界有数の反ポルノグラフィーの運動家と評された事も有ります。Stop Porn Cultureの創設メンバーであり、公衆衛生の危機としてのポルノグラフィーを扱うために作られたCulture Reframedの創設者だそうです。Pornography: The Production and Consumption of Inequality (1997)の共著者であるほか、Pornland.How Porn Has Hijacked Our Owners「ポルノランド:ポルノは如何にして我々のセクシュアリティを乗っ取ったか」(2010年)の著者でもあります。

少年や男性がオンラインで、女性に対してますます残酷で暴力的なポルノにさらされていると書き、ポルノは「家父長制のための完璧なプロパガンダ」だと論じているそうです。10代の少女たちがこうした画像にさらされることは、性的アイデンティティの感覚に影響を与える。その結果、彼女たちは自分についての嘘の画像によって 「囚われの身」 になり、女性らしさは 「過剰に染まり、若く、痩せていて、引き締まっていて、無毛で、多くの場合、外科手術によって強化された、魅惑的な顔をした女性」 になるとしています。

という方への反論となります。実際に足を運んで無いというのは良くないし、せめて見てから論陣を張れって話ですよね。ちなみに、この記事を書いたLynn Comella(リン・コメラ)氏はネバダ大学ラスベガス校学際・ジェンダー・民族研究学部ジェンダー・セクシュアリティ研究教授。性的経済と成人向け娯楽産業の専門家であり、研究は、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ローリングストーン、アトランティック、Jezebel、BUSTなどで紹介されているそうです。

著書に「バイブレーター国家:フェミニストの大人のおもちゃ販売店は如何にして悦びのビジネスを変えたか」(Vibrator Nation: How Feminist Sex-Toy Stores Changed the Business of Pleasure)というのがあります(2017年デューク大学出版)。この他にもポルノグラフィーの新たな見方(New Views on Pornography)の共編著者であり「セクシュアリティ、政治、法律」(Sexuality, Politics, and the Law) の共同編集者(2015年プレージャー社)でもあります。国際コミュニケーションジャーナル(International Journal of Communication)、ポルノ研究(Porn Studies)、「フェミニスト研究」(Feminist Media Studies)、「ザ・フェミニスト・ブック」(The Feminist Porn Book)、「コモディティ・アクティビズム」(Commodity Activism)、「コンテクスツ」(Contexts)、「セール向けセックス」(Sex for Sale)「セックスワークの新社会学」(New Sociologies of Sex Work)などにも掲載されているそうです。

映画・メディア研究協会成人映画史学術的関心グループ(Society for Cinema and Media Studies Adult Film History Scholarly Interest Group)の共同議長でもあり、フォーブスの定期寄稿者として、セックスのビジネスについて取り上げています。早期に於けるキャリアの業績が評価され、2015年ネバダ州リージェンツのライジング・リサーチャー賞を受賞し、メディアのコメンテーターとしても頻繁に活躍しています。

マサチューセッツ大学アマースト校でコミュニケーションの博士号を、ニュースクール社会調査大学院でジェンダー研究とフェミニスト理論の修士号を、ペンシルベニア州立大学で心理学の学士号(人類学と女性学の副専攻)を取得しています(以上、御本人のサイトより)。

つまり、フェミニスト学者さん同志のバトルでもある訳です。さて、どっちに与するべきか。

「メディアや報道関係のお問い合わせ、イベントや講演会のご予約は、lynn@lynncomella.com まで。Vibrator Nationのプレス向けコピーについては、Duke University Press (lsell@dukeupress.edu) のLaura Sellまでお問い合わせを」とありますから、日本のAV新法を巡る状況を英訳してメールする手はあるかもしれませんね。

いずれにせよ、「学術研究者が、例えばポルノは悪いというような既成の結論に目がくらみ、競合する証拠を無視し、出来事を誤って伝え、容易に立証できない主張を事実として持ち出す事も危険である」(There are also dangers when academic researchers are blinded by foregone conclusions—e.g., porn is bad—to the extent that competing evidence is ignored, events are misrepresented and claims that cannot be readily substantiated are trotted out as fact.)という言葉が刺さりました。これ、今回のAV新法制定に狂奔した関係者にも言えるのではなかろうか。

ポルノは倫理的でありうるか? 実践者とフェミニスト活動家のガチンコ対決! #AV新法



昨日ようやく自宅のインターネット回線が再開通。ボチボチと再開していきます。

今回は、2014年3月2日のニュー・インターナショナリストというサイトの記事より。

CAN PORN BE ETHICAL?(ポルノは倫理的でありうるか?)
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2 March 2014 Sexual Politics

ポルノパフォーマーで講師のキティ・ストライカーと、フェミニスト作家で活動家のルイーズ・ペニントンが、真っ向から対決した。

*シスジェンダーとは、性自認が社会的に認知された性別と一致する人の事である。

キティ

私は30歳のアダルト系パフォーマーで、ポルノを含む多様なタイプのセックスワークとセックスワークの活動を行っています。行う仕事は、社会的な意識が高く、パフォーマンスと制作の両面で倫理的で、本物の化学反応と合意の上での交渉によるセックスに基づくものであるという事を信条としています。私は、多様な、トランスを含む、ボディ・ポジティブなキャストを反映する会社と仕事をする事に深い関心を寄せていますが、それって自分がサンフランシスコ地域に住んでいるからこそ実現可能なのです。それでも、私は生活のためにポルノに依存しているわけではなく、白人でシスジェンダーなので、そこにも特権の交錯があります。

根本的に、倫理的なポルノは可能だと考えています。と言うのも、性行為を撮影するという固有の行為に、倫理的か非倫理的かは関係ないと思うからです。倫理的なポルノとは、撮影現場でもマーケティングにおいても、パフォーマーを労働者として、人間として扱う行動のスペクトラムだと思います。私自身、倫理ポルノの例として挙げるような作品を作ってきましたし、そのような基準を持つ会社と仕事が出来たのは幸運なことでした。より安全なセックスがより頻繁に描かれ、人種差別に異議を唱え、多様な大手企業がペアリングにおける「本物の化学反応」に注目するなど、変態系ポルノがしばしばポルノと政治を結びつけている結果がメインストリームに現れていると思います。もっとも、それが普通となるにはまだ長い道のりがありますが。

ルイーズ

私はラディカル・フェミニストです。女性の抑圧の根源は、女性の性と生殖への男性の暴力、支配、搾取にあると信じています。これは、女性や子どもを男性の所有物と見なすヘテロ規範的な結婚や、PIV(ペニスとヴァギナの挿入)セックスや男性のオーガズムを特権化し、同意という考えをフェティッシュ化しながら実際の実践を無効化するレイプ文化の中に見られます。

現在の資本主義的父権制においては、倫理ポルノの制作は、依然として、女性のセクシュアリティに対する男性の支配と、男性のオーガズムの特権化を維持するのに役立っています。倫理ポルノの制作を求める現在の動きは、暴力的な「非現実的」ポルノの偏在と主流化、子供への虐待を含む同意抜きでの撮影された作品の制作と流通、そして現在の「リベンジポルノ」の増加の結果に対処する事への前向きな試みです。

理論的には、性行為の撮影は本来、倫理的でも非倫理的でもありません。しかし、資本主義・父権主義の文化では、倫理的ポルノは不可能である。この文化では、女性はいまだにセックス階級として構成されている一方で、無料のはずのオンラインポルノを含むポルノ産業の大部分は、ごく少数の企業グループによって所有されています。倫理ポルノは、主流の暴力的で人種差別的で同性愛嫌悪的で女性差別的なポルノの力とは別の経済的存在ではない。

貧困が個人の「選択」を左右しない、ポスト家父長制、ポスト白人至上主義の世界では、倫理ポルノを作ることは可能かもしれない。ですが、我々はまだそのような立場にないだけなのです。

キティ

我々は資本主義的父権制の枠内で生きており、ポルノはそれが必要とする/支える制度的抑圧の外にあるわけでも上にあるわけでもないという点には、実はとても賛同しております。抑圧されているのはシスジェンダーの女性だけではないからです。トランス女性も苦しんでおり、特に有色人種のトランス女性は不釣り合いな割合で殺害されています。

そう考えるなら、AV業界は、フェミや女性が男性よりも常に多く稼いでいる唯一の業界であることを認める事も非常に重要であると思います。学歴のない女性やトランス女性にとって、ポルノはしばしば階級移動が可能な唯一の業界です。経済的平等と倫理ポルノの両面に道を開くために、この事実に対処する必要があります。

大手ポルノ会社の大半は、白人のシスジェンダーであるノンケの男性によって所有されていますし、これが倫理ポルノ制作の妨げになっています。それが問題であることは同意しますし、代表や疎外された声が中心になることは、倫理的な職場にとって非常に重要です。ただ、問題はポルノにあるのではなく、資本主義的な父権制にあるのです。

私が働いているポルノ会社のCEOは、有色人種の男装のぽっちゃり系女性です。もう1社は、ジェンダー変態系のプラスサイズのフェミのCEOがいます。安全なセックスが尊重・奨励される、多様性が優先・最前線にある世界ですし、性行為は出演者間で十分に交渉され、性別がどうであれ全員に同じ額の報酬が支払われる、社会的意識の高いセットを維持するために、個人は政治的であるという当事者の意識が役立っていると思います。異性愛が要求されたり期待されたりすることなく、PIVセックスはもはや「普通」とも「必要」とも見なされず、代わりに「金儲け」よりもパフォーマーの喜びに焦点が当てられるジャンルなのです。

ルイーズ

我々は、無数とも言える資本主義-父権制が抑圧を制度化する方法と、それが個人だけでなく、女性や他の集団に階級としてどのような影響を及ぼすかを認識する必要が絶対と言って良いほどあります。ラディカル・フェミニズムの理論では、複数の抑圧を認めていますが、必ずしも完璧とは言えないのが現状でしょう。

私は、複数のジェンダー表現を認識する必要がある事に反対です。むしろ、ジェンダーは還元的でヘテロ規範的な構造であり、人々をステレオタイプな役割に強制すると思います。複数のジェンダー表現の存在は、全ての人にとって有害な概念を根絶するのでは無く、役割の数を増加させるだけなのです。一方、それと同様に、複数のジェンダー的役割を認識する事が、倫理ポルノを制作することにつながるとは思えません。この2つは別個の問題であり、資本主義-父権制の枠内で倫理ポルノを制作できるかどうかではなく、男性の暴力の現実に関するものであるため、この問題は参考にならないと訴えたい。

ポルノ産業とモデル産業が、女性が男性を上回っている唯一の産業であるという事実は、ポルノ産業が引き起こす害を補償するのに十分ではありません。

キティ

男性の暴力が問題であるという点には同意しますが、トランス女性は女性であり、文化としてそれを尊重する必要があると強く感じています。私が変態系/フェミニスト・ポルノを好きな理由のひとつは、主流の性表現に批判的であり、細身の白人シスジェンダー女性、お馬鹿な非エロのシスジェンダー男性、挿入型の、しばしば定型のセックス以上の何かに飢えている文化に別の可能性を提供しようとしている点です。

変態系やフェミニスト系のポルノでは、性別の役割がしばしば試練を受け、完全に捨象されたりしています。安全なセックスが強調・奨励され、性器が撮影の焦点にならない事が多く、他の性表現(特に女性へのオーラルセックスやバイブレーターの使用)がしばしば登場するため、こうしたポルノの多くは、どちらかといえば反繁殖的でもあります。私は、男性が本質的に暴力的であるとか、女性が本質的に受動的であるとは思いません。そうした行為は学習された行動であるし、学びの場所のひとつがポルノです。それを破壊することができれば、ポジティブなことだと思いませんか?

インターネットがAVパフォーマーの経済的な可能性に影響を与え、業界標準である定額制ではなく、ロイヤリティでお金を稼ぐことができるようになった事にはエキサイトしております。実際、独立系のポルノ会社は、労働者がエージェンシーを持ち、職場が倫理的に維持されていることを示す、ウェブサイトが取得できる倫理的スタンプの可能性を模索しているのです。

倫理ポルノに対する抗議は、ポルノの倫理についてではなく、資本主義的な家父長制のもとで、雇用そのものがいかに倫理的でありうるかという事についてだと私は思います。

独立系ポルノ企業やパフォーマーが、作品や言葉の使い方、見せる身体を通して、性差別や身体嫌悪、人種差別、同性愛嫌悪、トランスフォビアと戦うことを支援されているおかげで、ポルノは資本主義や家父長制に対抗しつつ、その中で作る事が出来ると思っています。

携わる人達が安全で快適だと感じるように自分たちの職場の基準を作り、作品を消費者に直接販売できるようになれば、エロティックであろうとなかろうと、倫理的な仕事は現実になりうると思います。

ルイーズ

男性の暴力の問題とトランス女性の問題を混同しているのか、何故か混乱しています。この文脈では、男性の暴力が文化や生物学の産物であるかどうかという問題と同様に、この問題は赤信号だと思います。実際、我々は男性の暴力に支配された文化の中で生きています。身体的、性的、感情的な暴力を通じて、また経済的な暴力、言い換えるなら国家が認めた貧困によって、特定の個人への影響は、人種、性、セクシャリティ、信仰という交差する抑圧を通じて倍加される事になるのです。

主流派のポルノは、暴力的な男性性を維持し、創造する世界です。それは女性の身体をモノ扱いし、有色人種の身体を性的なものとし、彼らの人間性を否定しています。また、同意が必須とされながら現実には存在しない、覇権的で暴力的なヘテロ規範を(再)創造しているのです。

倫理ポルノは、覇権主義的な暴力的男らしさや、主流のポルノにおける女性の客観化・虐待に実際に挑戦しているのでしょうか? それは、資本主義的父権制の中での同意の構築に疑問を投げかけており、前向きな一歩だとは思います。ただ、それが十分な第一歩なのかどうかが分かりません。

「無料」ポルノサイトは、クリックベイトを奨励することによって、依然として主流派を財政的にサポートしています。一方、倫理ポルノ制作会社は、主流のポルノと同様の配信サイトをいまだに利用しており、そのため、両者は経済的に結びついています。

私は、合意の上でのセックスを撮影する事が本質的に非倫理的だとは思っていません。しかし、たとえ批判する意図があったとしても、覇権主義的で暴力的な男らしさの維持に役立たないようなポルノを、資本主義-父権制の中で制作し流通させるのは不可能だと思うのです。私は、女性が性階級として構成されている社会で、同意をどのように定義するのか、また、貧困が問題になっているときに本当に同意が得られるのか、疑問を抱いています。私は、ポルノという媒体を通じて、性差別、ボディシェイミング、人種差別、貧困と闘う事が可能だとは思いません。真に変化をもたらすためには、資本主義的な構造と家父長制的な構造の両方を解体する必要があります。一部のパフォーマーに適切な報酬が支払われるようにするだけでは、どの業界であれ、すべての労働者を保護するのに十分な変化をもたらすことはできません。私たちが目指すべきは、法の下だけでなく、男女が真に平等な新しい社会の創造にほかならないのです。
拙訳終わり。ルイーズさんの意見を深く理解するほどの知見がワタクシメにはありませんが、キティさんの方向性を全否定していない事は分かりました。

同時に、対談中にキティさんの行った「AV業界は、フェミや女性が男性よりも常に多く稼いでいる唯一の業界であることを認める事も非常に重要であると思います。学歴のない女性やトランス女性にとって、ポルノはしばしば階級移動が可能な唯一の業界です。経済的平等と倫理ポルノの両面に道を開くために、この事実に対処する必要があります」(With that in mind, I think it’s also very important to acknowledge that the adult industry is the only industry where femme, female-identified employees make consistently more than male-identified employees. As a woman without a degree, or as a transwoman, porn is often the only industry where class mobility may be achieved; a fact that needs to be dealt with in order to pave the way both for financial equality and ethical pornography.)という問題提起は大変重要だと思いました。ルイーズさんも、「私は、複数のジェンダー表現を認識する必要がある事に反対です。むしろ、ジェンダーは還元的でヘテロ規範的な構造であり、人々をステレオタイプな役割に強制すると思います。複数のジェンダー表現の存在は、全ての人にとって有害な概念を根絶するのでは無く、役割の数を増加させるだけなのです。一方、それと同様に、複数のジェンダー的役割を認識する事が、倫理ポルノを制作することにつながるとは思えません。この2つは別個の問題であり、資本主義-父権制の枠内で倫理ポルノを制作できるかどうかではなく、男性の暴力の現実に関するものであるため、この問題は参考にならないと訴えたい。ポルノ産業とモデル産業が、女性が男性を上回っている唯一の産業であるという事実は、ポルノ産業が引き起こす害を補償するのに十分ではありません」(I disagree that we need to recognize multiple gender expressions. Instead, I believe that gender is a reductive, heteronormative construction which forces people into stereotyped roles; the existence of multiple gender expressions only increases the number of roles, rather than eradicating a concept which is harmful to all. But, equally, I do not see how recognizing multiple gender roles requires the production of ethical pornography. I would suggest that the two issues are distinct and that the inclusion is unhelpful, as it is about the reality of male violence rather than whether or not ethical pornography can be produced within the confines of a capitalist-patriarchy.The fact that pornography, and also the modelling industry, are the only two industries where women out-earn men is not sufficient to compensate for the harm that the pornography industry causes. )と、持論を踏まえつつ、キティさんの意見に反対していますし。

そう考えるなら、今回のAV新法では、「階級移動が出来る数少ない手段であるという現実」を、どこまで踏まえた上で成立させたのかとの疑問が湧いて来ます。タワーマンションにお住まいの女優さんだっているんですよね。そんな人達に、オンボロのアパートに引っ越せと言うのかって話でもありますし。現に廃業を余儀無くされている人達も出ているのですから。

最後に、お二方のプロフィールをば。

キティ・ストライカーさんは、変態系ポルノパフォーマーであり、セックスワーク、同意文化、セックスポジティブな空間における交差性について講演を行っておられる活動家です。記事の書かれた当時には、Hot and Heavyに『Fierce Fat Girls on Love, Life and Fashion』、『Johns, Marks, Tricks and Chickenhawks』などに寄稿なさっていたそうです。



アマゾンにもありました。

一方のルイーズ・ペニントンさんですが、フェミニスト作家、活動家で、記事が配信されていた当時、My Elegant Gathering of White Snowsとハフィントン・ポストでブログを書いてはりました。ウェブサイトA Room of Our Ownの創設者であり、Ending Victimisation and Blame キャンペーンのシニア寄稿者という顔もお持ちです。

 

ひょっとして、ビリー・ジョエルのファンなのかな?

結局、ポルノの規制法は必ずトンデモを重ねる展開になるという悪例が英国に  #AV新法の廃止を望みます


拙ブログでは、AV新法成立を受け、その対案になりそうな「倫理ポルノ」について紹介してきました。その流れの中で、英国政府がAudiovisial_Media_Services_Regulations_2014という悪法を施行し、大炎上していたという話を紹介しました。

で、屋上屋を何とやらで、更に悪法を重ねていたのです。英国のガーディアンのアーカイブ記事を拙訳してみます(2016年11月23日付け)

UK to censor online videos of 'non-conventional' sex acts(英国、「変質的な体位による」性行為のオンライン動画を検閲へ)

Wed 23 Nov 2016 09.43 GMT

Campaigners label bill targeted at online pornography a ‘prurient’ intervention that will take Britain’s censorship regime back to pre-internet era(これに反対するキャンペーンを行っている関係者は、オンラインポルノを対象とした法案は、英国の検閲体制をインターネット以前の時代に戻す「淫乱な」な介入であるとしている)

現在下院を通過中の政府法案の中で、余り議論されていない条項がある。それに基づき、英国のウェブユーザーは、型にはまらないさまざまな性行為を描写するウェブサイトへのアクセスが禁止される事になる。

デジタル経済法案の一部であるこの提案は、英国映画分類委員会(British Board of Film Classification =BBFC)から商業用DVD販売として認定されないようなコンテンツをホストするサイトをブロックするよう、インターネット・サービス・プロバイダーに強制する内容だ。

これは、子供たちがアダルトサイトにアクセスするのを阻止するために、年齢確認を厳格に行うことを目的とした法案の条項の中に含まれている。議員からの圧力を受けて、カレン・ブラッドリー文化相は、政府は法案を修正し、非準拠のウェブサイトをブロックする権限を含めると発表した。

検閲規定に従うためには、多くの主流アダルトサイトが、英国の視聴者がアクセスできないように全セクションをレンダリングしなければならないだろう。つまり、16歳以上の成人が同意の上で行う行為や、他のほとんどの自由主義国の成人が撮影、配布、視聴することが合法であるにもかかわらず、である。

言論の自由を求める運動家たちは、この動きを人々の性生活に対する「猥褻な」侵害だと非難している。インデックス・オン・センサーシップの最高責任者であるジョディー・ギンズバーグは、「大人の合意によるセックスを規制することは、政府の仕事ではないはずだ」(“It should not be the business of government to regulate what kinds of consensual adult sex can be viewed by adults,”)と述べている。

スパンキング、ムチ打ち、杖打ちなどの跡が残るもの、排尿、女性の潮吹き、月経を伴う性行為、公共の場でのセックスなどの写真やビデオが禁止対象になる可能性が高い。事実上、英国の検閲体制はインターネット以前の時代に逆戻りするのである。

この規制の規模が明らかになったのは、1984年以来、商業的なレンタルや販売用のビデオを分類する権限を与えられてきたBBFCが、先月、オンラインの年齢確認規制機関となる事に同意してからだ。BBFCの広報担当者は、「我々が分類を拒否するようなポルノコンテンツ」(“pornographic content that we would refuse to classify”.)をホストしているサイトかどうかもチェックすることになると述べた。

「この評価を行うにあたり、我々はオフライン配信されているポルノに適用している基準に準拠する」(“In making this assessment, we will apply the standards that we apply to pornography that is distributed offline,”)と広報担当者は言った。「ウェブサイトがこれらの (年齢確認または猥褻なコンテンツ) テストのいずれかで不合格になった場合、不合格の通知がそのサイトに送信される」 (“If a website fails on either of these [age verification or obscene content] tests then a notification of non-compliance will be sent to the site.”)。

BBFCが禁止している性行為の明確なリストはないが、規制当局と仕事をした多くのポルノ映画製作者は、シーンのカットを余儀なくされていると、言論の自由運動家で、英国での新しい検閲推進運動の高まりを詳述した『ポルノ・パニック!』の著者ジェリー・バーネットは指摘する。

「名目上は英国検察庁の[猥褻出版物法]ガイドラインを強制するためのものだが、実際にははるかに厳しい線引きがなされた。その多くは不可解なものだ。女性の潮吹きの禁止は、特に奇妙な例だ」(“Although it is nominally designed to enforce the [Obscene Publications Act] guidelines of the Crown Prosecution Service, in practice it draws far tighter lines, many of them inexplicable. The ban on female ejaculation is a particularly strange example,”)と言う。

この検閲体制は、制作者と規制当局の間に奇妙な了解をもたらしたとバーネットは言う。そのひとつが、性的刺激を与えるために開口部に挿入できる指の数を制限する「4本指ルール」だ。

年齢認証を支持する人の中にも、このような厳しい検閲に疑問を呈する人がいる。ダラム大学のポルノ法の専門家で、ジェンダー平等メディアセンターの共同設立者であるクレア・マクグリン教授は、「犯罪行為でもないこのようなものを規制するのはおかしい」(“It’s mad that we regulate such material that aren’t even criminal acts,”)としている。

「月経血や排尿のようなものを規制するなら、本当に有害だと思うもの、つまり児童の性的虐待や性的暴力のようなものに焦点を当てる事から逸脱してしまう」(“If we are regulating things like menstrual blood or urination, that’s detracting from a focus on what I think is really the harmful material, and that would be material around child sexual abuse, but also around sexual violence,”)と付け加えた。

デジタル経済法案の委員会段階では、議員による検閲条項の議論はなく、年齢確認ルールに議論が集中している。しかし、アダルト業界の関係者は気づいているようだ。

世界最大級のポルノサイト運営会社マインドギークの広報担当者は、「成人がアダルトコンテンツを閲覧する権利を維持する」(“maintain the rights of adults to view adult content”)ための仕組みが作られるだろうと思っていると述べた。この法案が成立するまでに、猥褻物出版物法と同じCPSのガイダンスが整備されるかどうかについては、まだ判断がつかないという。

「R18(BBFCの最も露骨な認証)で禁止されている性行為の多くは、健全なセクシュアリティの規範化され受容された側面であり、国際的にフェミニスト、変態系、倫理的ポルノ運動によって誇らしく評価されている」(“Many of the sexual activities prohibited from R18 [the BBFC’s most explicit certification] are normalised and accepted aspects of healthy sexuality, and are proudly celebrated by the feminist, queer and ethical porn movements internationally,”)と、広報担当者は指摘している。

法案を起草した文化・メディア・スポーツ省(Department for Culture, Media and Sport=DCMS)も、BBFCも、検閲が緩和される可能性があるという指摘についてコメントしなかった。DCMSの広報担当者は、政府の目的は、物理的な世界に存在するのと同じ「規則と保護措置」がオンラインでも適用されるようにする事だとしている。

「DCMSは最近、BBFCを規制当局に指定する意向を示しており、これらの措置を実施するための最も効果的な方法を検討中だ」(regulator and is considering the most effective way to implement these measures,”)と付け加えていた。

(文中敬称略
拙訳終わり。指4本ルールって…。で、これを今の日本は笑えるかって話ですよね。ともあれ、「大人の合意によるセックスを規制することは、政府の仕事ではないはずだ」(“It should not be the business of government to regulate what kinds of consensual adult sex can be viewed by adults,”)という言葉は、日本でAV新法制定に狂奔した関係者がとっくと噛み締めてほしい。




英国では2013年に「倫理ポルノパートナーシップ」という構想がポルノ規制対抗策として提示されていた  #AV新法の廃止を望みます


沖縄での仕事を辞めて神戸に引き上げるなどのバタバタが続いておりますが、そろそろと再開していきます(暑い所から引っ越したせいか、疲れがブワーッと出ておりまして)。

改めておさらいすると、こういう「ポルノはケシカランから」という流れは他国にもありまして、英国でも未成年者が毒牙にかからぬようにとの出発点から法律改正が2014年に行われました(Audiovisial_Media_Services_Regulations_2014)。ところが、それまでの法律との整合性をという話になってしまってから、1950年代に制定された猥褻出版物取締法の流れを組み込み、結果として潮吹き行為や顔面騎乗という行為を配信するなというトンデモ系の法律になってしまいました。

轟々たる非難や抗議活動が展開されたのですが、一方で「では、出演者と制作側が然るべき合意を交わした上で作品を」という「倫理ポルノ」「フェア・トレード・ポルノ」運動が始まりました。

拙ブログでは、そうした過去の流れを追いかけつつ、先行例として取り入れられるところが無いかと紹介しております。で、表題のような過去記事を1本。2015年10月28日付けの記事で、英国の倫理ポルノ運動家のニッキ・ホジソン氏が執筆なさっています。

Introducing The Ethical Porn Partnership(倫理ポルノ・パートナーシップの御披露目)

Posted on July 4, 2013 by nichi

ここ数ヶ月間私が静かすぎたと思う向きもあろう。別段、カリフォルニアに日光浴していたからではなく(まあ、それだけではないんだけどね)、新刊のためにリサーチをしたり、いくつかの秘密プロジェクトに取り組んでいたからであり、その多くを近いうちに公開したいと思っているからだ。また、ボクシングを習ったり(かつてのドMエネルギーを他にどうするか) や、路上での嫌がらせ (西海岸では驚くほどで、風土病になっている感がある) との戦い、コンブチャという発酵飲料にハマっていたりしたのだ。

しかし、今すぐ明らかにせねばならない事が。現在、倫理ポルノ・パートナーシップの設立に追われているのだ。そう、フェアトレード・ポルノを遂に世に問うのだ。政府、企業、インターネット・ポルノ視聴者、そしてその考えに反発する多くの人々に、ポルノを作るにはもっと良い方法があると証明しようとするアダルト業界の専門家の連合体作りをしていたのだ。

全てのポルノは搾取的であるという考え方に異議を唱えたい。業界に携わる人々の健康と福祉に配慮するのは可能だ。それを証明するために高い基準を設定し、満たす事が出来るのだ。 また、カメラの側にいる人々のための相談窓口として機能し、教育者、教師、両親のためのポルノと性教育のリソースをホストしていきたい。

倫理ポルノ・パートナーシップでは、同意した成人が、他の同意した成人によってなされたセックスや性行為を描写するオンラインコンテンツを、再現や恥辱、検閲を恐れることなく見たり楽しんだりできるべきだ、と考えている。仮に皆さんが視聴するポルノの質を気にする知覚のある人なのであれば、倫理ポルノ・パートナーシップは味方となろう。同時に、素晴らしいコンテンツの制作に関心を持つ、責任あるアダルト事業者であるなら、同様だ。

自由と説明責任に関するものなので、倫理ポルノ・パートナーシップはその利益の一部を人身売買防止と性暴力防止のためのイニシアチブに寄付する予定だ。

ウェブサイトは現在作成中です(近日中にこちらで公開をお知らせします)。

それまでは、Twitter(@ethicalpornorg)でフォローも可能だ。

また、倫理ポルノについてもっと情報が欲しい場合は、いつものように、私に連絡をお願いする。

拙訳終わり。サイトはその後、こちらのURLでローンチしたそうです。


 こちらも追々紹介していきます。


いわゆる倫理ポルノのカテゴリーは、2013年の時点で配信サイトに作成されています #AV新法の廃止を望みます

リンク先はあられもない画像だらけですが、取り急ぎご報告まで。

ポルノグラフィーの善と悪、そして倫理ポルノ

今回は、Womanlog.comというサイトで2014年11月1日に投稿された記事を拙訳してみます。女性の月経と追跡するアプリで人気だそうです。


ポルノは、世界で年間900億ドルの収益を上げる人気のアダルト映画のジャンルです。ライフスタイルや恋愛事情に関係なく、多くの人がAV鑑賞を楽しんでいます。一人でポルノを見る人もいれば、寝室でのスパイスとして利用する人もいます。アダルト映画はあなたのセックスライフに新しさをもたらしますが、責任を持って鑑賞し、フェアトレードな 提供元を見つける事が重要です。

主流のポルノは多くの点で問題があり、視聴者の親密な関係や自尊心に悪影響を及ぼす可能性があります。ポルノコンテンツには高い需要があるため、多くのコンテンツプロバイダーは、稼ぎ方についてほとんど気兼ねすることがありません。一方、一部の人々は、倫理的なエロティカを支持して、主流のポルノを拒んでいます。

ポルノグラフィーのスキャンダラスな評判は、決して得体の知れないものではありません。性的コンテンツは本質的に悪いものではありませんが、性産業が悪者扱いされた結果、合法的なビジネスとは見なされず、撮影や採用活動において悲惨な規制の欠如を招いています。そのため、ポルノで働く人たち、特に女性は無防備で、多くの被害が水面下で進行しています。

保守的な人たちは、ポルノを完全に撲滅することで、関係者を最もよく守ることができると主張します。しかし、最近の統計によると、毎秒2万8258人のユーザーがオンラインでアダルトビデオを見ているとの事です。人の性欲を無くすのは不可能なので、それを満たすために作られた業界を根絶するというのは、倫理的か否かにかかわらず、同様に不可能なのです。ネット上の性的コンテンツが不可避だと認める方が、業界を変え、その影響を受ける人々の生活を改善するための会話を始める事が出来るため、遥かに生産的です。

では、具体的に何を変えればいいのでしょうか?

■期待値と表現

殆どのポルノで描かれるセックスは、パフォーマンスであることを理解することが重要です。俳優や女優は、誇張されたボディランゲージ、うめき声、維持するのが不快な体位などで視聴者を刺激し、行為全体を通して最高のカメラビューを可能にしようとしているのです。一つのシーンを撮影するにも、カメラマンの前で、監督が調整し、指示を出しながら、何度も演じなければならない事が多いのです。

ただし、それはあくまで仕事。自分たちの意思で体験しているわけではありません。逆に、ポルノ映画のセックスは、幅広い観客にアピールするための一定のルールに則っています。そこには、快楽を描くことや、さまざまな性の「理想」をひとつにまとめて提示することが含まれます。魅力的で完璧に剃られた体、(サイズや見た目が)平均を大きく上回る第一次および第二次性徴の選別、及び大仰な快楽の発声、驚くべきスタミナといった形などが、その典型でしょう。

■彼のために、彼女のために

主流のポルノのもう一つの問題は、男性の快楽に焦点を当て、女性のニーズを無視しがちであることです。現実の世界では、女性は一瞬で興奮する事はありませんし、絶頂に達するまで少なくとも20分はかかると言われています。しかし、主流のポルノでは、アクションは男性の視点からですし、クライマックスとは男性の射精です。

95%のポルノは膣内性交とフェラチオに焦点を当てていますが、現実には、追加の刺激なしに性交でオーガズムに達する女性は21%から30%に過ぎません。大多数の女性は、性交の準備をし、セックスを十分に楽しむために、クリトリスへの刺激と長時間の前戯を必要とします。

かくして、ポルノが不当なまでに男性の快楽に焦点を当てているにもかかわらず、主流のポルノを見る男性は、男優の過剰な美貌と自分を比較して、自尊心の低下や否定的な身体イメージに悩まされる事があります。そもそも男優は、その肉体的な外見で明確に選ばれています。ほとんどの場合、長時間の撮影でも勃起を持続させるために医薬品(シルデファニル、一般的にはバイアグラとして知られています)を使用し、画面の外でも十分な休憩を取ります。

多くの大人はスクリーンで見るものが行為であると認識しているものの、多くの若者はポルノから初めてセックスについて学んでいるのが現状でしょう。特に、他の事例がない場合はそうです。発達途上の精神は簡単に惑わされ、合意の上でのセックスや性別の役割について不健康な考えを採用するよう促される可能性があります。

■ノンケ、白人のセックス

ポルノの主流は、身体、人種、性自認の多様性に欠けます。ポルノにおけるデフォルトの組み合わせは、ストレートで白人、伝統的に魅力的な健常者の2人です。このプロフィールに当てはまる人は少数派で、そうでない人は、通常フェチや変態のための「特別な」カテゴリーとして表現され、「通常の」選択の一部にはなりません。

そうしたポルノを額面通りに受け取ると、体がどのように見えるべきかについて非常に狭い考えを持つ事になります。パートナーに何を期待するか、そして自分自身に何を期待するかという非現実的な期待を助長する事にもなります。仮に貴方が映画の中で見るようなポルノスターでないのなら、何か問題があるに違いない...と。ネガティブなボディイメージは、低い自尊心につながり、人の性欲にも影響を与え、本当の親密さとセックスを楽しめなくしてしまいます。

これらの不安は深く動けるのです。一部の女性は膣形成術(整形手術の一種)に頼り、一部の男性はスクリーンで見るものと一致させようと自分の性器を変更することを意図してペニスの拡大を求めています。体を変えるのは自由ですが、物足りなさを感じての豊胸は健康的ではありません。

ポルノ俳優や女優が、自分たちの容姿を保つために整形手術などを受けることは珍しい事ではありません。その上、映画のセットにはお世辞にも綺麗とは言えない照明が施され、ビデオは欠点を隠すように編集されています。

夫婦が性生活のスパイスとして一緒にポルノを見ることは不健全ではありませんが、ポルノを見なければと強迫観念的になり、人間関係の問題につながる危険性があります。2002年の調査によると、離婚の56%は、パートナーのどちらかがポルノグラフィーの利用を高めていた事が原因でした。研究者や恋愛セラピストは、パートナーの一方がポルノを偏って見ている場合、そのカップルは平均よりも離婚する可能性が高いという点で意見が一致しています。

ポルノと問題のある関係を築いた人は、親密さの問題に苦しみ、視覚的な刺激なしに興奮することができなくなる可能性があります。これは通常、羞恥心を伴うので、さらに問題を悪化させる可能性があります。

■ポルノ依存症について

2019年に行われた研究によると、ポルノ中毒は関連する映画視聴者の3~6%に発生すると示唆されています。ただし、「中毒」とは過剰な行動を指すものであり、例えば、ポルノなしでは興奮できないと悩んでいる人が、必ずしもポルノ中毒に陥っているとは限らないことを明確にしておく必要があります。

ポルノ依存症は、ポルノの強迫的な消費として表れます。一度中毒になると、自分の行動をコントロールできなくなり、実際のセックスをポルノに置き換えたり、セックスにまったく興味を持たなくなったりする傾向があります。パートナーや友人、日々の活動よりもポルノを優先し、注意力が散漫になり、集中力の欠如に悩まされるようになります。ポルノの過度の使用と中毒の境界線は薄いのです。私たちは皆、自分の行動傾向を自覚し、問題の最初の兆候が現れたら助けを求める必要があります。

行動依存症の治療には、通常、認知行動療法(Cognitive Behavioural Therapy=CBT)のような心理療法が行われます。まず問題を認め、関連する思考パターンを特定し、次にこれらの思考パターンへのアプローチ方法を再構築し、再び快適に生活出来るようにする療法です。

このように恐ろしい話もありますが、責任を持ってポルノを楽しめば悪影響を及ぼすという証拠はありません。ポルノを性生活に取り入れることは、事前に話し合い、関係者全員がそのアイデアに納得していれば、寝室でのスパイスとして完全に受け入れられる方法なのです。

さて、あなたとあなたのパートナーが話し合って、ポルノをセックスライフに取り入れることにしたとします。しかし、コンテンツそのものについてはどうでしょうか?

■倫理ポルノ

倫理ポルノもしくはフェアトレードのポルノは、同意に基づく多様な性体験を促進し、俳優とスタッフに同意と境界を強調します。通常、倫理ポルノは、独立したクリエイターやアーティストによって制作されます。主流の市場は、本物の人々が本物のセックスをするというコンセプトに対してまだ少し神経質になっているからです。

フェアトレード・ポルノのクリエイターたちは、女性のニーズと欲望に焦点を移し、時代遅れの主流ポルノの固定観念を取り払おうとしています。これは、長い間待たれていた事です。倫理ポルノはまた、アダルト映画のコンテンツの幅を広げ、喜び、性自認、年齢、人種、体型などを真に包括的に描写する余地を与えてくれます。また、俳優が自由に楽しむことができるリアルなセックスを見せることを目指しています。人為的に作られたシナリオを見るのと、誰もが公平に扱われる臆面もない性の探求とでは、大きな違いがあるのです。

これらは、ポルノ産業を、搾取的で虐待的な混乱から、正当な仕事の供給源に変えるために必要な重要な第一歩であり、弱者や絶望的で選択の余地がほとんどない人だけが利用できるものではありません。

■搾取と人身売買

通常、ポルノグラフィーの視聴者は、自分が見ているコンテンツがどのように作られたのかについて、殆ど考えません。大規模なポルノ配信サイトでは、通常、参加者が自発的に参加したかどうか、公平に扱われたかどうかについては、何の表示もありません。

セックスにはある程度の脆弱性が必要ですし、脆弱性があれば、そこには搾取の可能性があります。例えば、ネット上で見られるコンテンツの多くは、女性の不健全な性的表現やジェンダーに基づく攻撃性を示しています。このようなシーンは、合意の上で撮影される事もありますが、通常はそうでは無いのです。

監督や共演者などの権力者から虐待を受けたり、強要されたり、その他の方法で利用されたりしている出演者の報告は驚くほどたくさんあります。自ら望んでこの業界に入った人たちでさえも、被害を受けることがあります。虐待とは、不快なシナリオに参加させられたり、同意していない行為をさせられたりする事を指します。肉体的・性的虐待を受ける場合もあります。

性的人身売買は、世界で最も成長している犯罪ビジネスです。男性、女性、子どもを問わず、誘拐され、ポルノに参加させられ、後に利益を得るために売られるのです。このような運命をたどった人々の平均年齢は12〜14歳です。

直感に反するかもしれませんが、虐待を止めるには、セックスワークを非犯罪化することです。ポルノで働く人々の安全と公平を確保することは、こうした人々を搾取しようとする人々が、もはや違法性のベールの下で活動できないことを意味します。法律を破れば、結果に直面するが、そのためには破るべき法律がなければならないのです。

■健全な関係(とポルノグラフィ)

一人で見るにせよ、パートナーと一緒に見るにせよ、ポルノコンテンツがどこから来るのかを理解することが不可欠です。セックスワークは他の仕事と同じで、ワーカーは身の危険を感じることなく仕事をすることができるはずです。あなたが見るポルノは、倫理的な配信元である事を確認してください。責任を持って作られたポルノは、自分のセクシュアリティを発見したり、安全な方法で性的ファンタジーを探求したい人にとって役立つツールになりえます。これは、セックスワーカーの搾取を助長しなくても達成できるのです。

もし、交際中にポルノを見ているなら、それをオープンにした方が断然良い。秘密主義は不信感を生みます。一人で楽しむことは、独身でも交際中でも重要ですが、パートナーの境界線を越えて、そのことを隠したりしていない事を確認したいものです。

仮に、ポルノを恋愛に取り入れたいのであれば、事前に十分な話し合いをする必要があります。パートナーは、二人でいるときだけポルノを見ることに同意するかもしれませんし、二人がオープンにしている限り、別々に見ても構わないかもしれません。

お互いが納得し、境界線が明確であれば、ポルノを使ってセックスライフを盛り上げてみてはいかがでしょうか。
  • スパイスを効かせる、言い換えれば単調な関係が性的興奮を失わせる事は前述した通りです。ポルノなどの新しさは、それを呼び覚ます方法になることがあります。新しい体位やテクニックを発見し、ベッドルームでそれを再現してみる事が可能です。
  • あなたの最も深い欲望について話す行為は、威圧的になる可能性があります。ポルノで性的ファンタジーを紹介する方が簡単かもしれません。心を開くのが難しいなら、俳優が同じようなことをしている映画を探して、パートナーと一緒に見てみましょう。
  • 自分の体を知る、つまり自慰行為は、セルフケアの一環になり得ます。これは、自分の身体とセクシュアリティについてもっと知るための、安全で健康的な方法です。ポルノは、喜びを感じる方法を発見するためのガイドになりえます。自分の体を知ることで、パートナーとのセックスも楽しみやすくなるでしょう。
もし、ポルノで見た事を再現したいのであれば、軽い気持ちで行うようお心がけ下さい。見た目以上にハードな練習もありますから、笑いが起こるシチュエーションも想定しておきましょう。同様に重要なのは、新しいことに挑戦する場合は、必ず事前に調べておくことです。例えば、アナルセックスやBDSMは、何も知らずにやると怪我をする可能性があります。


拙訳終わり。最近「ビッグ・ピクチャー」という言葉を覚えたのですが、今のセックスというビッグ・ピクチャーを描いた上で倫理ポルノに触れている事が分かります。

逆に、AV新法制定に狂奔した方々は、そもそもこうしたビッグ・ピクチャーを持っておられるのか。そんな気持ちにさせられてしまいました。皆さんはいかがお考えでしょうか。

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倫理ポルノを支援する5つの方法(たとえお金がなくても)   #AV新法の廃止を望みます 



「倫理ポルノ」系の記事の紹介がおろそかになっておりました。今回は、倫理ポルノがある程度定着し、どうしていくべきかという局面となっていた頃の記事を紹介してみます。オートストラッドルというサイトの記事です(2015年3月4日付け)。

5 Ways To Support Ethical Porn (Even If You Can’t Afford It=倫理ポルノを支援する5つの方法(たとえお金がなくても) 

BY CHELSEA POEMARCH 4, 2015

倫理ポルノという概念は矛盾しているように思えるかもしれないが、実際には多くのポルノが、多くの人(特に女性やトランスの人)が想定するような非倫理的な慣習にとらわれずに作られている。

倫理ポルノは、出演者に適正な報酬が支払われ、安全な性行為を選択し、セックスを楽しんでいることを積極的に表現している点で倫理的だ。また、あらゆる性別、人種、サイズ、能力を持つ人々を包含している。Crash Pad Series、Trouble Films、Foxhouse Films、Heartless Productions(これらの幾つかは、私がパフォーマーとして仕事をした事がある)などが好例だ。

倫理やフェアトレードのラベルは、コーヒーから衣料品、ダイヤモンドまで、あらゆる業界で使われているが、ポルノではしばしば嘲笑される。性的な魅力を持つものが倫理的に作られるというコンセプトは、業界内でも批判を受ける事が多い。性的マイノリティや身体に惹かれる人たちをフェティッシュ化するような中傷が使われる事もある。倫理ポルノで重要なのは、我々の感覚にとって非常に重要なもの、つまり我々自身のセクシュアリティを、日常生活の他の側面と同じように考える事が出来るのだと思う。牛が粗末に扱われていないことを知るために、オーガニックの放し飼い牛肉を買うとしたら、同じようにポルノを作る人たちへの懸念について考えるべきじゃないのか。現代のインターネットを作り上げた産業とその労働者を、我々が消費する際に置き去りにしない事は重要だ。倫理的なポルノを支援する第一の方法は、お金を払う事だ。しかし、出費を抑えながらも、倫理的なポルノと倫理的なポルノパフォーマーを支援できる簡単な方法が幾つかあるのだ。

 1. ソーシャルメディアでフォローする

ほぼ全てのポルノスターは、パフォーマーのTwitterを持っており、そこでネットワーク、キャスティング、ポルノファンとの交流が行われる。実は、Twitterのフォロワー数は、ファン層の大きさや、監督が我々を集められる可能性を如実に表している。また、SNSでパフォーマーをフォローする事により、お気に入りのパフォーマーが何をしているかを知ることができ、無料でヌードが見られる事も多いという利点もある。

2.ポルノは何でも買う

DVDに30ドルもかけるのは、誰もができる贅沢ではない行為だと理解はしている。仮に、年に1本だけDVDを買う余裕があるなら、パフォーマーのウェブサイトから直接購入するのが一番効果的だ。多くのパフォーマーはオンラインで行為を中継するショーを行っているので、DVDを買う余裕がなくても、作品を本当に楽しんでいることを示すべく、チップを渡す事が可能だ。殆どのポルノは海賊版だ。例えばyoupornやredtubeのようなチューブサイトは悪名高く、全ての人にポルノにお金を払わせようとするのは苦しい戦いとなる。クラッシュ・パッド・シリーズのように、段階的なオンライン購読を提供しているサイトもあり、1ヶ月の会員権を22ドルという低価格で手に入れることができる。

3.活動を支援する

倫理ポルノの一部は、積極的にポルノをより良いものに変えようとしている。例えば、私はトランスポルノでトランス嫌いだとする中傷が飛び交う事に非常に強く反対してきたので、それを積極的に変えるための署名運動を始めた。倫理ポルノに携わる人の多くは、この業界に入った理由がポルノを作るのと同じくらいアクティビズムと結びついています。たとえば、コットン・セリング(訳注:レズビアン故の性生活の苦しさをなくしていこうという運動)についての会話を始めるのに貢献したドリュー・ドヴォー、ぽっちゃり系の女性の活躍の場を作ったコートニー・トラブル、そしてメインストリーム・ポルノ界にジェンダー・クィアのパフォーマーを紹介したジズ・リーなどがそうだ。特に、セックスワーカーの声は無視される事が多いので、彼らの活動を支援するのは非常に重要だ。多くの非セックスワーカーがセックスワーカーの懸念に関わる事により、会話はより多くの人に届くようになり、ひいては非倫理的な政策を積極的に変えられるのだ。

4. 上映会やポルノパネルに参加する

主流派のポルノとは異なり、その大半は直販DVDか、会社や出演者のウェブサイトに掲載されている。多くの倫理ポルノは、興奮するためのものであると同時に、そのポルノの背後にある理由を語ってくれる。ポルノに関する上映会やパネルの素晴らしいのは、一つの地域に限定されないので、実際にパフォーマーに会い、映画の上映環境で彼らのポルノを見ることが出来る事だろう。例えば、私の作品『Fucking Mystic』はベルリンでプレミア上映されたが、同じ週にオハイオ州デイトンとニューメキシコ州アルバカーキでも上映されました。これらの上映会は、ポルノが上映されることを想像する多くの人々のイメージとは異なり(例えば、トレンチコートを着た不気味な男性)、大学生やアーティスト、そしてブルックリンの上映会の場合は、たくさんの超キュートなクィアたちが登場するのである。

5. 私たちを怖がらないで

飛行機で、バーで、近所で通りを歩いている私を見たけど、何か言ったら変に思われるんじゃないかと心配だというファンからのメールを非常によく受け取る。正直、AVは素晴らしい仕事だけど、他の業界と一緒で、色々ある。だからファンから「あなたのAVで彼女と初めて付き合いました」とか「あなたのAVを見て、性交障害を克服できました」というメールをもらうのは、本当に意味がある。セックスは誰にとっても重要な要素であり、あらゆるタイプの身体や積極的にセックスに取り組む人々を見せる事が出来るポルノを作ることは、我々のコミュニティに対して全体的に大きな影響を与えうるのだ。トランス女性である私は、トランスの身体を奇妙なもの、あるいはフェチとして描くための中傷にさらされながら、これを乗り越えていかなければならなかった。ポルノにまつわるネガティブな物語を消し去るには、代わりに倫理的でポジティブなポルノの物語をサポートするしかないと思う。 

(文中敬称略)

拙訳終わり。参考までに、Fucking MysticのYoutubeの予告編を添付しておきます。



重層的な話ですね。フェミニズムのアプローチとしてコットン・セリング運動というのがあると、初めて知りました。性的な多様性を認めるなら、セックスにおける多様性もまた認めねばならない。その実現手段として、また、参加している関係者が不当な搾取や従属を受けていないという事を示せるのが倫理ポルノという位置づけになりましょうか。

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Audiovisial_Media_Services_Regulations_2014の中身について(2)  #AV新法の廃止を望みます

 

日本のAV新法と並ぶ「?」な法律であるAudiovisial_Media_Services_Regulations_2014の全訳プロジェクトのパート2でおま。

説明文

(この注記は規則の一部では無い)。

Audiovisial_Media_Services_Regulations_2009(1) および 2010(2) は、視聴覚メディアサービスの提供に関して加盟国の法律、規則、行政行為によって定められた特定の規定の調整に関する理事会指令 89/552/EEC を改正する欧州議会および理事会の指令 2007/65 EC (「AVMS 指令」) を実施するものである。

2009年規則では、オンデマンド番組サービスの規制枠組みを規定する2003年通信法(「法」)の第4部Aを挿入した。

第2規則は、同法の第368E条2項を修正し、オンデマンド番組サービスは、ビデオ作品当局(英国映画分類委員会=BBFC)が1984年ビデオ録画法(4)に基づく取り決めに基づき分類証明書の発行を拒否したビデオ作品、またはかかる証明書を拒否することになった資料を含んではならないと規定している。

また、第2規則は、法第368条E項2号を改正し、オンデマンド番組サービスは、BBFCがR18の証明書を与えた映像作品、当該証明書を受けたであろう素材、または18歳未満の者の身体的、精神的もしくは道徳的発達を著しく損なうおそれのあるその他の素材を、当該者が通常見聞きしないことを確保する方法で利用可能としない限り、含有してはならないと規定している。

第3規則は、法第368B条10項を修正し、Ofcom(訳注:日本の総務省に相当)と指定団体であるテレビ・オン・デマンド局(ATVOD)に、オンデマンド番組サービスの共同規制機関としてのOfcomとATVODの機能に関連してBBFCが使用する情報を供給する権限を付与する。

本制度が企業やボランタリーセクターに与えるコストへの影響に関する影響評価は、文化・メディア・スポーツ省(www.gov.uk/government/organisations/department-for-culture-media-sport)のウェブサイトから入手可能である。また、restruction.gov.ukのウェブサイトから入手可能な説明文書にも添付されている。

本規則は、指令98/48/EC(6)により改正された指令98/34/EC(5)に従い、欧州委員会に草案として通知された。

通常、欧州指令を施行する第一次または第二次立法とともに、政府が指令の主要な要素をどのように英国法に移項するかを示した移項ノートを議会に提出するのが常である。しかし、今回のケースでは、移項ノートは利用可能になっていない。これは、政府の見解では、移項ノートを作成するために必要な資源は、結果として読者にもたらされる付加的な利益によって正当化されるよりも著しく大きいからである。Audiovisual Media Services Regulations 2009の説明書に付属するTransposition Noteは、restruction.gov.ukのウェブサイトから入手可能である。



(3)指令2007/65 EC OJ No L 332, 18.12.2007, p.27 は指令89/552/EEC OJ No L 298, 17.10.1989, p.23 を改正し、指令97/36/EC OJ No L 202, 30.7.1997, p.60 によって修正された。

(4)1984 c.39。この法律は、2010年ビデオ録画法(c.1)により廃止され、復活した。

(5)情報社会サービスに関する技術基準及び規則並びに規則の分野における情報提供のための手続を定める欧州議会及び理事会指令98/34/EC OJ No L 24, 21.7.1998, p.37.

(6)技術基準及び規則の分野における情報提供のための手続きを定めた指令 98/34/EC の改正指令 98/48/EC OJ No L 217, 5.8.1998, p.18.

拙訳終わり。というか、これで全文でした。もっと長いかと思っていた。ざっと読んだ限りでは、EUの法体系に合わせる必要があったけど、その後Brexitなどもあり、訳の分からん方向性に突っ走ったという感じでしょうか。

Audiovisial_Media_Services_Regulations_2014の中身について(1)  #AV新法の廃止を望みます

 

先日来、度々言及してきたAudiovisial_Media_Services_Regulations_2014ですが、この際ですし全文を訳してみる事にします。出典は英国政府のLegislation.gov.ukという法律条文掲載サイトからです。例によって長いので、分割しながら紹介していきます。

The Audiovisual Media Services Regulations 2014
You are here:

    UK Statutory Instruments2014 No. 2916 はじめに

■法定公告
2014年 第2916号

■電子通信

■ブロードキャスティング
The Audiovisual Media Services Regulations 2014

■作成

2014年11月4日
議会上程

2014年11月6日

発効日

2014年12月1日

本規則は、欧州共同体法1972年第2条(2)(1)により付与された権限を行使して、主務大臣が制定するものである。

主務大臣は、情報社会サービス(2)に関連して同条の目的のために指定された。

(1)1972 c.68; Section 2(2)は、Legislative and Regulatory Reform Act 2006 (c.51) の Section 27(1)(a) およびthe Schedule to the European Union (Amendment) Act 2008 (c.7) によって修正された。

(2)S.I. 2001/2555.

引用、開始および解釈

1.-(1) 本規則は、Audiovisial_Media_Services_Regulations_2014として引用され、2014年12月1日に発効が可能である。

(2) この規則において「2003年法」とは、2003年通信法(1)を意味する。


■2003年法第368条E項(有害物質)の改正について

2.  2003年法第368E条(1)(有害物)において、(2)項を次のように置き換える。

(2) オンデマンド番組サービスは、禁止された素材を含んではならない。

(3) 「禁止された素材」とは、以下をいう。

(a)映像著作物機関が1984年法の目的のために、その映像著作物に関して分類証明書を発行するのに適していないと決定した映像著作物、または

(b)その中身が、当該の素材が分類証明のために映像著作物当局に提出された映像著作物に含まれる場合、映像著作物当局が、当該映像著作物がそれに関して発行されるべき分類証明に適していないと当該目的のために決定すると予想するのが合理的であるような素材。

(4) オンデマンド・プログラム・サービスは、18歳未満の者が通常見聞きしないことを確保する方法で利用可能とされない限り、特別に制限された素材を含んではならない。

(5) 「特別に制限された素材」とは、以下をいう。

(a)ビデオ著作物当局がR18分類証明書を発行したビデオ著作物。

(b)その性質上、当該素材が分類証明のために映像著作物機関に提出された映像著作物に含まれる場合、映像著作物機関がR18分類証明書を発行すると期待することが合理的である素材、または

(c)その他、18歳未満の者の身体的、精神的または道徳的な発達を著しく損なう恐れのあるもの。

(6) 資料が(3)(b)または(5)(b)に該当するかどうかを判断する際には、分類証明書の発行に関する方針について映像製作局が発行するガイドラインを考慮しなければならない。

(7) 本節において

「1984年法」とは、1984年ビデオ録画法(Video Recordings Act 1984)を指す。

「分類証明書」は、1984年法におけるのと同じ意味を有する(同法第7条参照)。

「R18分類証明書」とは、1984年法第7条(2)(c)に規定される、当該ビデオ著作物を含むビデオ録画を認可された性風俗店以外では供給しない旨の声明を含む分類証明書を指す。

「ビデオ作品当局」とは、1984年法第4条第1項に基づき、ビデオゲーム以外のビデオ作品に関して手配を行う責任を有する当局として指定された者または個人を指す。

「ビデオ著作物」は、1984年法におけるのと同じ意味を有する(同法1条2項参照)。

(1)第368E条は、S.I.2009/2979により挿入された。

2003年法第368B条(情報の提供)の改正について

3.  2003年法第368B条(1)(適切な規制当局)において、第(10)項では、第(c)項の後に以下を挿入する。

(d)OFCOM は、適切な規制当局としての組織の機能に関連して映像著作権者が使用するために、第368E 条の見地により、映像著作権者に情報を提供する事が出来る。

(e)指定機関は、適切な規制当局としての指定機関の職務に関連して映像著作権者が使用するために、第368E条の意味において、映像著作権者に情報を提供する事が出来る。

(1)第368条Bは、S.I.2009/2979により挿入された。

エド・ベイズィー

国務大臣

文化・メディア・スポーツ省

2014年11月4日

拙訳終わり。続きは明日にでも。未成年者の保護を謳いながら、途中で変な方向に行ってしまった点で日本と共通しているようです。

Audiovisial_Media_Services_Regulations_2014制定の経緯 #AV新法の廃止を望みます



英国の大衆紙、ミラーの記事から( 2013年7月22日付け)

Looking at rape porn will become a new crime says David Cameron(レイプポルノを見ることは新たな犯罪になる、とデイヴィッド・キャメロン首相)

Publishing the vile material is already a criminal offence but a legal loophole means people who look at it online are not breaking any law(下品なコンテンツの配信は既に犯罪だが、法律の抜け穴があるため、オンラインでそれを見る人は何の法律も犯していない状況だ)
    
ByJames Lyons

    00:00, 22 Jul 2013

デイヴィッド・キャメロン首相は本日、レイプをシミュレートしたポルノの閲覧を違法とすると発表する予定だ。

下品なポルノを配信する事は既に犯罪だが、法律の抜け穴があるため、オンラインでそれを見ても違法では無い。

首相は、インターネット上の汚物の津波を食い止めることを期待する大規模な取り締まりの一環として、これを変更する予定であるとしている。

首相は今日、このことを明らかにする予定だ。「我々は抜け穴を塞ぎ、レイプを描写するインターネットポルノの所持を犯罪とする」(“We are closing the loophole, making it a criminal offence to possess internet pornography that depicts rape.”)

この法律では、ポルノ俳優による露骨なレイプ行為も対象となる。

また、アダルトショップで買えないような過激なポルノも違法とすると首相は明言した。

「簡単に言えば、店で買えないものは、もうオンラインでは買えないという事なのだ」(“Put simply, what you can’t get in a shop, you will no longer be able to get online,”)。

キャメロン首相の演説は、病的なインターネット・ポルノの影響への懸念が高まっていることを受けたものである。ティア・シャープちゃん(12歳)とエイプリル・ジョーンズちゃん(5歳)を殺した犯人たちは、罪のない少女をターゲットにした卑劣な妄想を実行する前に、レイプポルノと児童ポルノをオンラインで見ていた。

専門家は、少年や青年がオンラインで見る過激な写真や映画によって、何が普通かという見方が歪められていると警告している。首相は、インターネット企業が変質者による児童虐待画像へのアクセスやコンテンツの共有を阻止するためにもっと努力しなければ、新しい法律で脅すと述べている。

また、虐待に関連する単語やフレーズを仮に入力しても空白のページしか表示されないように、攻撃的な検索語をブラックリスト化する事も求めている。

このポルノ対策には、警察が児童虐待画像を作成・配布した人物を簡単に逮捕出来るように、児童虐待画像の単一データベースを構築することも含まれている。また、既存のChild Exploitation and Online Protection Centreは、10月に発足する新しいNational Crime Agency(英国のFBIとして広く知られている)の一部となることで、より大きな権限を得ることになる。

新しいデータベースは、変質者が違法な画像やビデオを共有する「隠れたインターネット」を取り締まるのに役立つだろう。

首相は、「そうではないと考える犯罪者に対しては、はっきりさせておこう。児童虐待の素材にアクセスできる "安全な "場所など、インターネット上には存在しないのだ」(“Let me be clear to any offender who might think otherwise: There is no such thing as a ‘safe’ place on the internet to access child abuse material.”)。

拙訳終わり。痛ましい強姦殺人事件(それも少女)を受けての法改正だったのですね。その流れは分かるとしても、何で女性の潮吹きとか顔面騎乗とかが駄目となるのか。日本のAV新法でもそうですが、出発点は兎も角、途中から「え?」という方向性になってしまったとなりましょうか。

もう少し調べていきます。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(11) #AV新法の廃止を望みます




さて、今回はカナダのグローブ&メール紙の報道から(2015年4月17日付け)。この年にスウェーデン出身の2児のママさんが、実際に倫理ポルノ映画を制作していたという話です。以下、拙訳。

Breaking the mainstream mould: Filmmaker Erika Lust’s mission to make ethical porn(主流の型を破る。映画監督Erika Lustの倫理的なポルノを作るという使命)

Zosia Bielski
Published April 17, 2015

蝶ネクタイをしたヒップスターが、年代物のソファでコニャックをすする。後ろのスタイリッシュな壁には鹿の頭が飾られている。上手なマニキュアとタトゥーをした3人の若い女性が、風通しのよいロフトで 「地元のワイン」 を飲みながらブランチをとるために、卵のベネディクトとガスパチョをむさぼる。Jクルーのカタログから飛び出したカップルが、裸ではあるがタイタニック号のシーンを真似しながら、豪華なヨットでのんびりしている。

こんなの普通のポルノ映画の設定には無い。キャスティング用のソファや配管工、ピザボーイも見当たらない。エリカ・ラストというスウェーデンの政治学専攻の学生が、自分でポルノを作る事で業界を微調整しようと決めた作品なのだ。

コンバースを履いた荒々しい声のポルノグラファーで、『Good Porn: A Woman's Guide』の著者でもあるラストは、女性にアピールするシーンの撮影について長年発言してきた。現在、彼女はクラウドソースポルノを作っている。前述のシーンは彼女のXconfessionsプロジェクトによるもので、人々が匿名でEメールで送ってきた自分の妄想を見るというものだ。バルセロナを拠点とするラスト監督は、こうしたシーンを脚本化し、高プロダクションの短編映画として撮影している。今週、トロントのロイヤル・シネマで開催されたGood For Her Feminist Porn Awardsの一環として上映された後、ある観客は「本物のおっぱい、本物の髪、本物のオーガズム」("real boobs, real hair and real orgasms.")の驚くべき展開に衝撃を受けたという。


Good Porn: A Woman's Guide (English Edition)
Lust, Erika
Seal Press
2010-05-25



2児の母であるラスト監督は、若い女性や男性がネット上で遭遇したものをどのように内面化するかについて、もっと議論を巻き起こしたいと考えている。主流のポルノ暴力的な描写が増えゆくばかりである事を憂い、学校で性的健康教育の一環としてポルノ・リテラシーを教えるよう提唱しています。

グローブ紙では、これらの懸念、「セックスに関するより映画的な映画」("more cinematic films about sex")の探求、そしてフェミニスト・ポルノのラベルが限定的であると考える理由について、ラストに話を聞いた(人々はこのジャンルが女性にしかアピールしないと思っていますが、彼女のウェブサイトのメンバーの60パーセントは男性だ)。


ーポルノのプロットを一般から公募することになった経緯は?

私が映画を作り始めた頃、多くの人が私にアイデアを持ちかけてきました。スクリーンでは見た事の無いようなセクシュアリティの話が多々ありました。人に語らせると、その人のセクシュアリティは従来よりも意外なものになるのです。だけど、最も素晴らしいと思ったのは、上手に文章を書くなぁという事でした。

ーネット上のポルノが氾濫するなか、人々がまだ自分自身のファンタジーを作り出せるというのは、心強いことです。メインストリームのポルノは、見る人にどんな影響を与えると思いますか?

私たちは、ポルノからセクシュアリティについての共通認識を得ています。ポルノは、私たちがセックスを見る場所なのです。他にどこでセックスを見る事が出来ましょうか? 私たちの大半は、ドアを閉めて寝室でセックスしています。そこは秘密の世界なのです。

ースクリーンで起きている事と、現実で起きている事を分けられる人もいる。それは人生で性体験をしたことのある人たち、つまり大人の人たちです。でも、セックスをしたことがない人はどうなるのでしょう? 見たものが、実際に行われている方法だと信じてしまうのです。

私たちは、若い人たちにポルノについて話し始める必要があります。セックスをしたことがない人がポルノを見ると、自分に対してひどく不安な気持ちになることがあります。自分はあの人たちのようには見えないし、あの人たちがやっていることをどうすればいいのか、全く分からない。「自分はセックスするために生まれてきたのではない」と思うのです。

ーポルノは攻撃的で 現実のセックスに 影響を与えると批判しています 私がインタビューしたポルノ作家やポルノスターでさえ、ポルノを性教育として使うのは、ハリウッドのアクション大作を見て、カーチェイスシークエンスを運転教習として扱うようなものだと力説します。

それって、批判的思考の話です。私たちは、若い世代に、スクリーンで見るものすべてがOKではない事を伝える必要があります。抗議して、「気に入らない」と言って、スイッチを切って構わないのです。誰が自分について嫌な思いをしたいと思うのでしょうか? 自らを心地よくする事がポルノの理想なのです。

ー男女平等は多くの面で達成されていますが、女性の堕落が進んでいるポルノは別だと発言していますね。

ポルノ業界は、ビジネス的に危機的状況にあります。VHSの製造が盛んな業界だった頃はお金を払ってくれました。その後、インターネットが登場し、全てが変わった。プロデューサーたちはこわばり、観客を取り戻そうとどんどん過激にし始めたのです。


同時に、消費者の意識も高まっています。最初は食べ物からでした。スーパーマーケットで卵を買うと、その卵がどこから来たのか、鶏は卵を作るために工場に立たされているのか、それとも田舎の好きな場所で好きに生んでいるのか知りたくなる。皆さんは田舎の卵の方が好きでしょう? その考え方が好きというだけでなく、味も好ましいからです。

このように、人々がAVを考えるようになってきているのです。この映画を作ったのは誰なのか、責任の所在はあるのか? 俳優にお金を貰ったのか? 健康診断を受けさせたか?

男性はポルノを見る際、倫理に興味がありますか?

はい。男性はまた、何か違うものを求めています。女性が壁に押し付けられて叩かれない映画も観たいのです。

ー「フェミニスト・ポルノ」というレッテルは嫌われるのでは?

そのようなレッテルの貼り付けには意味がありません。フェミニスト・ポルノには女性しかいないのかと聞かれますが、そんなことはありません。フェミニスト・ポルノには、女性の喜び以外にも多くの要素があります。面白いキャラクターで面白い展開だからです。素晴らしいロケーションで、面白い文脈で起こってほしい。なぜその状況にいるのか、彼らが何者なのか、なぜお互いを好きなのか知りたい。セックスをありのままに見せているのです。

ー「セックスは汚れたままで良いが、価値観はクリーンでなければならない」と言っておられますね。その価値観とは何でしょうか?

基本的な事ですが、人の尊重と、楽しい時間を過ごしてもらう事です。カメラの前にいるのが心地良いと感じる人、お金に困っているから体を張っているのではない人たちと一緒に仕事をすることです。

ー根本的に、ポルノをどのように見直そうとしているのですか?

ポルノは重要で影響力があります。そこでの言説はセクシュアリティに関するものですし、私は参加したいのです。私のアプローチは、全プロセスに女性を参加させることです。私の音響技師は女性です。助監督も女性です。ラインプロデューサーも女性です。私たちのビジョン、私たちはさまざまなものを求めています。重要なのは、女性たちがこのジャンルに参加し始めたということです。

ースウェーデンは常に性教育の最先端を走っています。あなた方は、単に危険性を説くだけでなく、性の主体性や快楽にまで踏み込んでいますね。その世界観はどのようなものなのでしょうか?

私は性教育を受けましたし、セクシュアリティのポジティブな側面についても語っていました。そうした事は通常の性教育ではされていません。通常の性教育では性行為を行う当事者がどのようにして楽しむかを教えるのでは無く、もっぱらテクニック面なのです。スウェーデンの高校生向けに制作された短編ドキュメンタリーシリーズの中で、私はポルノが与える影響についてインタビューを受けました。授業でインタビューを見せて、それについて話し合うという流れです。露骨な画像は見せませんでしたが、ポルノについては話しました。

ーあなたには4歳と7歳の娘さんがいますね。娘さんたちは、あなたがどんな仕事をしているか知っているのですか?

私が映画監督であることは知っています。私の映画に登場する人々が何度も裸になり、キスをしていることも知っています。美術館で裸の彫像や絵画を見たことがあるようです。ヘルムート・ニュートンの展覧会にも一緒に行きました。

ージャンクフードを食べさせたり、ファッション雑誌のスーパーモデルを基準にしたり、ポルノからセックスを学ばせたりするのは好ましくないとおっしゃっていましたね。

最終的には、自分達がセクシーで美しくて素敵で面白いと思うものを見られるようになればいいんです。

このインタビューは、要約して編集されている。

拙訳終わり。どんな映画なのか見たいですね。ネットフリックス当たりで無いかなw

記事を読む限りでは、カナダではフェミニスト・ポルノというジャンルでの映画祭があるようなので、これも宿題とさせて頂きます。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(10) #AV新法の廃止を望みます

 

英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。過激なポルノを擁護し、取り締まりの根拠となっている猥褻物取締法の開設を目指すマイルズ・ジャックマンという弁護士の方へのインタビュー記事の3回目です(2015年9月9日付)。余りに長いので、分割して紹介します(ライブドアブログは5万字以上は無理なんですわ)。なお、原題はOne lawyer’s crusade to defend extreme pornography.「過激なポルノを守る、ある弁護士の聖戦」という訳になりましょうか

以下、拙訳。
■マイルス・ジャックマンのカミングアウト

アダルト業界の会議から数カ月後、ジャックマンからまたメールが届いた。「拷問庭園」に行かないか?と。そこはフェチ系クラブで、コミュニティの中心的存在だとジャックマンは後で電話で説明してくれた。エレファント&キャッスル駅にいた頃は、夜が更けつつあった。みんなそこにいるはずだ。私は異性愛者だし、そっち方面に詳しくも無い、つまり「バニラ」なので、彼は私がそのシーンを理解することが重要だと考えたのだ。

トール (ハンマー) 、ローマの剣闘士 (鞭毛) 、医師 (探針) 、騎兵将校 (穀物) の格好をした男たちが並んでいた。手の込んだボンデージキニ (革、スパイク、スタッズ) を着たり、PVC (ポリ塩化ビニル) を着たり、制服を着たり、ボディストッキングやラテックスをはいたり、黒いローブを着たりしていた。全てが肌に密着したプラスチック、ガスマスク、首輪、リード、マスク、チェーン、カフ、鞭、そして時折、銃口やフードなどの視覚的なオーケストラの如き一体感を成す。全てが体の大きさと形を示していた。

ジャックマンは、群衆の間を縫うように登場した。まるで放浪の民を指揮する予言の王のようだった。カウボーイのような黒い服を着ていたが、バットマンTシャツを着ていた。だが、私がいるせいなのか、彼はトーンダウンしているような印象を受けた(後で聞いたら、ポケモンのピカチュウ、つまり黄色い毛のぽっちゃりしたキャラクターの格好で出かけるのが好きなんだそうだ)。ジャックマンは、私を行列から解放してくれた。デスクで「ジャックマン、マイルス・ジャックマン」と素早く声をかけ、私たちはすぐに中に入ることができた。Xbizの時と同じように、彼は私たちが会った何十人もの人と顔見知りのようで、およそ15分ごとに名前を呼ばれ、親しみを込めて挨拶されていた。会場には1000人以上の人がいた。

我々は、医療、拷問、遊びなど、様々な迷宮を一緒に見学した。男性も女性も檻の中に閉じ込められていた。ある者は吊るされたり、縛られたりしていた(『とても注意深く、安全策が講じられている』とジャックマンは言ってのけた)。ある女性は口と膣で2人の男性を同時に迎え入れていた。女性をリードでつないだ男が、別の男の上に女性を立たせることを「許可」していた。もう一人の男は床に横たわり、彼女の踵を熱心に舐めたり、裸の胴体に圧力を受けたりしていた。その後、彼は彼女に礼を言った(彼女の主人は私に話すことを禁じたので、彼女がどう感じたかは不明である)。

私はジャックマンにソフトドリンクを買ってやり(彼はアルコールをめったに「嗜まない」)、外に運んで彼がタバコを吸えるようにした(倹約のための巻きタバコだ)。(彼の母親が、チャーリーが自分のアパートを取り戻したとき、今後どこで、どのように暮らすかを心配したというが、無理も無かろう)。腰布しか身に着けていない痩せた男が、何かを失くして慌てて通り過ぎていった。

ジャックマンは、自分のセクシュアリティについて「カミングアウト」したかったのだ。彼は、自分がBDSMコミュニティの活発なメンバーであることを記録に残さないのは偽善的だと感じていたので、大声で堂々と宣言して全く問題なかったのである。「自分は変態だ」(“I’m kinky.”)と。そして、BDSMのセクシュアリティは「幼い頃から常にあった」(“always been there from a very young age”.)事を明確にしたかったのだ。ジャックマンの主張はプロフェッショナルで信念のあるものだったが、個人的なものでもあったのだ。本人は、自分が単に猥褻罪で起訴された人々の弁護士であるだけでなく、自身も、こうした法律によって性行為が制限されているコミュニティの一員であることを告白したかったのだ。

「自分は熊だ」(“I am a bear,”)と、ジャックマンはタバコを吸いながら、私たちの前にある「カップルルーム」に向かう途中、通りすがりの人たちにしきりに挨拶をしてうなずいた。「顎髭を生やした大きな男性が好きなタイプの男性や女性を相手にしているんだ。実際には、魅力や身体的な外観の従来の概念を満たしていないかもしれないが、独自の感覚だけど魅力的だと思う人がいる事を知っていると、かなり救われる。主流社会ではお呼びで無いと言われても、ポルノでは『ねえ、あなたはあなたが望むものになれますよ。何の問題も無くね』と言われるんだよ」(“I play to a certain type of man or woman who likes a big man with a beard. And that’s actually quite liberating to know that that you may not fulfil conventional notions of attraction and physical appearance, but there are people out there who will find you uniquely desirable. Mainstream society is saying ‘You must be a size 0’, but porn is saying: ‘Hey, you can be whatever you want, it doesn’t matter, someone out there is going to find you sexually desirable.’”)。

「人間のセクシュアリティを束縛しようとする勢力に対して広く戦っているんだ」(“My fight is broadly against the forces which wish to constrain human sexuality,”)とジャックマンは続けた。「BDSMコミュニティは、権利、認知度、知名度において、LGBTQコミュニティより20年ほど遅れていると、ずっと言ってきた」(“I’ve always said that the BDSM community is about 20 years behind the LGBTQ community in terms of rights, recognition and visibility.”)。本人は、BSDM「コミュニティ」の「闘い」と「道のり」を、このような言葉で、非難と犯罪化から主流の受容へと枠付けしている。

我々は別の迷宮を訪れた。20代の女性が5人の男に囲まれていた。彼らは、アラバスターのような肌、艶やかな肌、うつぶせ、ぽっちゃりとした、まるで赤ん坊のような格好をしていた。彼らは彼女の指示通りに体を撫でた。時折、鞭で叱ったり、男としていかに不甲斐ないかを説いたりしていた。

■裁判

4月、今年最初の間違いなく晴れた朝、私はロンドン南部にある裁判所前でジャックマンに会った。ジャックマンが言っていたように、仕事、人生、十字軍、法律の日々の現実を目の当たりにするチャンスであった。

ジャックマンの依頼人(ここでは「デビッド」と呼ぶことにする)は、別件で逮捕されたのだが、これもまた根拠のない申し立てだった。他の被告と同様、2008年の法律に基づく過激なポルノ所持の罪で起訴されたのだった。ジャックマンにとっては日常茶飯事だ。そして、この裁判が「代償」を自分の目で確かめる機会になると私に言ったのは、自分自身ではなく、被告に対してという意味だった。だが、外の階段で、私はジャックマンがこれまで見たこともないほど緊張しているのに驚いた。もう葉巻も吸わず、箱は空っぽだ。スーツ姿のジャックマンは、このプレッシャーに耐え切れず、むしろ他の場所にいたがっていた。ジャックマンがよく一緒に仕事をする弁護士マシュー・バックランド(殺人と麻薬事件のベテランで饒舌な男)も、負けそうな状況を率直に心配していた。私に、こういうのを見た事あるかと尋ねた。彼は歯を食いしばっていた。

「ほとんどの裁判は物的証拠で決まる」(“Most trials are about the physical evidence,” )とジャックマンは憤慨した。「彼はやったのか、やらなかったのか。この証人は彼を見たのか、見なかったのか? だが、ここでは--私の作品の多くと同様--証拠に議論の余地は無い。ここで試しているのは、我々全員が合意した出来事について、どう考えるか。それを我々は試しているのだ」(“Did he do it or didn’t he? Did this witness see him or not? But here – as with a lot of my stuff – the evidence is not in dispute. What we are trying here is what we think about what we all agree has happened.”)。アダルト俳優が18歳以上で同意している事を証明するための法的文書があるので、従来型な意味での被害者はいないと、主張した。バックランドも言った。「ここが争点になるのですから。同意の上での性的暴力は問題でだ」(“This is where the disputes are, because this is the contested area. Consensual sexual violence is problematic.”)

これは、ジャックマンの嫌いな言葉に再び帰結することになる。その画像は、「露骨かつ現実的な方法」で、以下のいずれかを「描写」しているか。(a) 人の生命を脅かす行為 (b) 人の肛門、乳房、性器に重大な損傷をもたらす、あるいはもたらす可能性のある行為」(“(a) an act which threatens a person’s life, (b) an act which results, or is likely to result, in serious injury to a person’s anus, breasts or genitals”)のいずれかを「露骨かつ現実的な方法」(“explicit and realistic way”,)で「描写」(“portray”)したのか?

「リアリズムの主観的なテストとは何か、教えてくれないか?」(“Can you tell me what is the subjective test for realism?”)ジャックマンはこう言った。ハリウッドの自動車事故のシリーズを、警察の追跡映画を見たことがない人たちに見せたとしたら、暴力、ガラス破り、血、死など、「リアルさ」を判断できるだろうか、と彼は言った。さて、ここで何が起こるかというと、彼はこう主張したのである。何が「不快」で、何が「嫌悪」なのか、「猥褻 」なのか、この作品を見た事の無い人たちが判断出来るのか? 道徳的に主観的な言葉を使うのは何故なのか? また、同意に基づく性的な文脈の中で嫌悪感を探求することは正当なことなのか? これらは本質的に哲学的で美的な問題であって、誰がハンマーを持っていて、どの部屋でマスタード大佐を殺したかという問題ではない、と本人は信じていた。

裁判の事前審理の間、裁判官はパロディーと言えるほど不機嫌で、怒りっぽい人だった。彼は、上からの役に立たない政府命令に延々と悩まされ、下を流れる果てしない人間の不幸の川に悩まされているに違いない忙しい人だった。最大の関心事は、自分の裁判所で起こる事ができるだけ早く起きるように思えた。もちろん、これは日常的な刑事司法制度であるが、被告人であるデイビッドにとっては、彼の人生そのものであった。彼は50代で、名前を変えることを条件に、私と話をすることに同意してくれた。以前は、職業人として尊敬される先輩だった。今は、カーディフの友人宅に寝泊まりして、最低賃金で暮らしている。もし法律について少しでも知っていたら、ダウンロードしたポルノには決して近づかなかっただろうと言った。「でも......あのね、僕はこれまで犯罪を犯そうと思った事は一度も無いんだ」(“But ... you know, I have never had a criminal thought in my life.”)。 彼は懲らしめられ、怒りに燃え、しかし絶望的な男だった。​「失業した。妻と子供を養う事が出来なくなった。これが始まってからほぼ2年になるが、私はその間ずっと拘束されてきた。生産的な社会人から非生産的な社会人に変わってしまった。これは…」(“I have lost my job. I have been unable to support my wife and children. It’s almost exactly two years to the day since this started, I have already served all that time. I have been turned from a productive member of society into an unproductive one. This has been ...”)。​最後は言葉にならなかった。

法廷には23人がいた。法曹関係者、陪審員、証人、被告人。この事件に直接関わっていないのは私一人で、他の報道陣も一般市民もいない。裁判官は、陪審員を誘導しないように、ポルノを見る前に何も言わないことにしていた。そして、陪審員たちは、自分たちが何をされるのか全く想像もしていなかったが、冒頭の弁論が行われ、自分たちがこれからどう過ごしていくのかがわかるまで、無表情でいるという英雄的な(同時に、ほぼ説得力のある)仕事をやってのけた。一方、検察側は、映画からの短いクリップを流したいと考えていた。しかし、バックランドとジャックマンは、全部見たら、現実的とは思えないだろうからと、2時間近くもある動画をフルで流すことを主張した。

法廷係が上映の準備をしていると、コンピューターが故障した。何もスクリーンに映らなかった。突如、袋小路に陥ったのだ。もっと言えば、期待と不幸な好奇心が交じり合った、超現実的だが共同体的な恐怖の状態となってしまった。ジャックマンだけが無表情だった。陪審員は退出した。店員たちは電線をいじりながら――プラグを抜いて、再起動しながら――怒り狂った裁判官に、あの極端なポルノは朝の早い時間にはちゃんと再生されていたのだと言い続けた。太陽が高台の窓に現れ、私たち全員を春のアプリコットの光に浸し、一瞬、私は宇宙の別の部分から来た人類学的観察者であるかのように、自分が目撃しているものについて考えた。人間が自ら作り出すことのできる状況の真の実存的な狂気だ。ここに至って、我々はインターネットを発明し、それを使ってお互いの性器を見つめ合うようになったのだ。更に言おう。当事者の拷問を複雑に偽装しているのだ。撮影し、お互いが逮捕される。判事が法廷で装束をまとい、その現実性について議論する。

裁判所の職員は、バックアップシステムを作動させた。陪審員たちは、公平に、無表情に、忍耐強く、かつてないほど高い確率で最善を尽くしつつ、戻ってきた。その間も、ジャックマンの態度は、法廷での礼儀や作法に、これまで以上に仮に過剰なまでに気を配ることで、反抗のエッセイと化していた。最も顕著なのは、出入りする際に裁判官に対して大げさにお辞儀をする事である。

そして、画像が表示された。その後に映画も。高い窓の外には、落ち着いた哲学的な議論が展開されている。素材はすぐさま、本能的に衝撃的な事が分かった。乳首の留め金から陰唇のネズミ捕りまで、あらゆる種類の拘束器具を使った、段階的な絞首刑と窒息行為だった。動画は主に誘拐、強姦、窒息についてのものだった。一人は太った男の話という設定だったが、あるものは、史上最も説得力のない俳優である太った男が、史上最悪の独白をつぶやきながら隣人を絞め殺すというストーリーである。別の作品では、フードをかぶった2人の男が、病的な音楽に合わせて女性を吊るし上げるという演出がなされていた。3つ目は、ホテルの部屋に来た売春婦が、頭から袋を被せられるというものだ。

憤懣やるかたない思いが、法廷を覆い尽くした。このような内容だったので誰かを叱責し、投獄したい衝動に駆られた。そして、まだデイビッドがいた。そして、我々はまだ何時間も座っていなければならない(本当は、余りに憂鬱で重苦しい内容だったので、見ていられなかったのだ。その代わり、何か建設的なことをしなければと、深く安堵しながら、ノートパソコンを開いてメモを取り始めた) 。音量も大きすぎるようだった。午後は、裁判所の4つの大きなスクリーンに映し出される、オーガズムに呻く男たちの声が、ひたすら続くのである。

ジャックマンとバックランドは、この殺伐とした状況の中で、弁護をしなければならなかった。まず、どんなに暗くても、これがフィクションであることを仮に強調するために、クレジットを流すように主張した。実際に襲われている人がいれば、そこに立っている撮影スタッフに何らかの形で訴える事が出来るでは無いか? この俳優たちは、他の映画にも出演している。死ぬ訳では無い。現実的とは言い難い。(この頃には、衝撃の勾配は平坦になり、嫌悪感が長く続くようになっていた)。そして、同意の問題がある、とバックランドは主張した。(スクラムに強い体格とは対照的な、巧みで静かな主張だった)。確かに、私たちはBDSMの世界にいた。ジャックマンは、陪審員に被告人ではなく自分を見るようにと言わんばかりに力強く前に座っていたが、俳優たちは年齢が高く、同意しており、全員が報酬を受けていた。

検察側のトニー・プロッサーは、このことは法律とは無関係だと言った。陪審員が票決するべきは、デイビッドがその画像を所持していたかどうか、そして、その画像が生命や傷害を脅かす行為を「現実的に描写しているかどうか」(“realistically portray”)だけだった。2日目の休憩中、プロッサーは「私は道徳的な聖戦をしに来たのでは無い」(“I’m not here on a moral crusade,”)と物腰柔らかな口調で言った。「これは法律であり、私たちはこの映像が法律に反しているかどうかを判断するためにここにいる。そして、忘れてはならないのは、判断は陪審員に委ねられるという事だ。陪審員が決めるのだ」(“This is the law and we’re here to try whether these images are on the wrong side of it. And remember: it comes down to the jury. The jury decide.”)。このように、法律も陪審員と同じように時代とともに動いているのだと彼は主張した。国会はガイドラインを作るが、現代の基準を決めるのは国民であり、その時々に何が極端と言えるかを判断し、定義するのである。「法廷に、誰かに対する大きな陰謀が存在する訳は無い」(“There’s no great conspiracy against anyone here,”)。「我々は、陪審員が警察に同意するかどうかを確認するためにここにいる - この材料は、議会が我々向けに描かれた境界線の間違った側に落ちるのだろうか?」(“We are here to see if the jury agree with the police – does this material fall on the wrong side of the line that parliament has drawn for us?”)

陪審員は出て行った。判事も同様である。我々は昼食しに歩いた。バックランドは何も食べなかった。青ざめ、疲れ切っているように見えた。この事件で「虚無感に襲われたことは記憶にない」(“feeling so emptied”)と言った。ジャックマンも同意見だった。「皆が感じている気持ちの強さと、いたずらが比例していないんだ」(“the mischief is out of all proportion to the strength of feeling that everyone is experiencing”.)。(『いたずら』とは、法律の条文がどうのこうのという事では無く、実際に起きた常識的な悪事を指す弁護士用語である)。不安が紐状の無煙火薬のように空中に漂っていた。バックランドに言わせると、セックス事件は、強盗や暴力や麻薬の裁判とは違うという。このような裁判が精神的に過酷で、この事件ではジャックマンに何の報酬も無い事を考えるなら、なぜ会社法などのもっと儲かる仕事に就かないのかと尋ねた。「好きだから」(“Because I love it,”)と彼は言った。「どうしようも無いほどね」(“I just fucking love it.”)。

午後2時に法廷に戻り、陪審員が戻ってくるまで更に1時間待った。画像の件では、「生命を危険にさらす」(“endangering life”)という1つの訴因に関しては無罪。もうひとつは有罪(フィルム)。一方、画像に関する3つ目の訴因、「重大な傷害を引き起こす可能性がある」(“likely to cause serious injury”.)については判断出来なかった。裁判長は、12人中10人という多数決で評決を行うよう指示した。陪審員は再び外に出た。また待たされる。また戻ると、無罪となった。

デイヴィッドは3つの容疑のうち2つを無罪にされたのだ。しかし、バックランドとジャックマンは、フィルムが過激でないということを陪審員に納得させる事が出来なかった。ジャックマンは、「この仕事で一番難しい箇所だ」(“the hardest part of the job”)と言った。フィルムの上映が始まると、デービッドは陪審員たちと同じように険しい表情になった。彼は今、犯罪者なのだ。(その後、2年間の執行猶予付きで懲役8ヵ月の判決となった)。

ロンドンに戻る列車の中で、ジャックマンは殆ど話せなかった。今までの自分とは正反対だった。激しい反感は消えていた。口が渇き、背中が痛むという。そして、「家に帰って犬を抱きしめたくなった」(to go home and cuddle the dog”.)と言った。そこには人としての弱さがあった。突然無気力が襲ったのだ。彼は、クライアントのために苦しんでいたのだ。だが、それ以上に、使命、試練、人生、その全てが蝕んでいるのは明らかだった。彼はもう無理だ。1件だけとはいえ、やはり挫折であった。ヴォクスホールの高架橋から、まだ明るい太陽がゆっくりと西に沈んでいくのが見えた。明日も明後日も、またこんなことを考えなければならないとは、想像も出来なかった。

ジャックマンは、今年3月、資金調達のために司法調査を提出した。法律扶助庁は、公共の利益に反するとして、拒んだ。彼はすぐにその決定を不服として控訴し、現在もその結果を待っている。

その後、裁判の夜、ジャックマンは私に、クラッシュの曲「I Fought the Law (And the Law Won)」のリンクを貼ったメッセージを送ってきた。彼は戦争を認めたわけではなかった。しかし、彼は最新の戦いを認めていたのだ。そして、私が電話をかけたとき、出なかった。

(文中敬称略
拙訳終わり。記事はこれにて終わりです。

どうしようも無いほど好きだから、全身全霊を賭けて弁護する。自らの主義心情に忠実な余り、不器用な生き方しか出来ていない。・・・こういう人、嫌いじゃないですw

ともあれ、吐き出される叫びは、心に刺さる。

「ポルノは言論の自由という炭鉱のカナリアである」(“Pornography is the canary in the coal mine of free speech.”

「嫌悪感について、警察と立法は何の役割も果たすべきではない」(Disgust should play no part in policing and law making.)

「このような戦いはたいてい端っこのほうで行われる。言論の自由や表現の自由の問題の一つは、そこなんだ」(“One of the problems that we find with free speech and freedom of expression is these fights are usually in the fringes.”)

「寝室に国家を置くな」(“Keep the state out of the bedroom.”)

これら全ては、狂信的にAV新法を定めようとした方々が傾聴すべき言葉だ。

皆さんは、どう思われましたか。

※御賛同頂けるようであれば、拡散お願いします。あと、読者登録も宜しければ。


AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(9) #AV新法の廃止を望みます

 

英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。過激なポルノを擁護し、取り締まりの根拠となっている猥褻物取締法の開設を目指すマイルズ・ジャックマンという弁護士の方へのインタビュー記事の2回目です(2015年9月9日付)。余りに長いので、分割して紹介します(ライブドアブログは5万字以上は無理なんですわ)。なお、原題はOne lawyer’s crusade to defend extreme pornography.「過激なポルノを守る、ある弁護士の聖戦」という訳になりましょうか

以下、拙訳。

■突破口

2010年以降、猥褻事件の数々がジャックマンに舞い込み、その名を知られるようになった。この不愉快で貧しい法律分野で働く弁護士はほとんどおらず、法令、判決、含意を詳細に把握している弁護士となると更に少なく、信念、怒り、職業意識を持つ弁護士となれば、ほぼいなかったと言える(ジャックマンと一緒に仕事をしたことのある法廷弁護士のマシュー・バックランドは、『性的自由を求める議論に於いて、マイルス・ジャックマンほど情熱的に信じている人物はいないでしょう』と語っている) だが、ジャックマンがようやく必要としていた脚光を浴びるようになったのは、2012年になってからである。

最初の大きな突破口は、ピーコック裁判への参加だった。この裁判は、緊縛、支配、サディズム、マゾヒズム(BDSM)という、ジャックマンにとって馴染みの深い領域で争われた。この裁判では、鞭打ち、誘拐の演出、拳銃やウロラギア(訳注: 排尿を見たり考えたりすることで性的快感を得る嗜好)が含まれる、ゲイ男性同士の鞭打ちや誘拐、レイププレイなどの映像が出た。いずれも違法行為では無い。しかし、被告であるマイケル・ピーコックという売春夫は、自分自身と顧客を撮影し、そのDVDを販売していたのだ。これは、所持ではなく頒布の犯罪であり、ジャックマンが得意とする2008年の法律ではなく、旧来の猥褻出版物法の範疇に入るものだった。しかし、ジャックマンにすれば全て同じで、時代遅れのポルノ法は取り壊す必要があるのだ。そんな本人にとって、BDSMの裁判は、世間に知られれば知られるほど好都合なのである。

証拠物件の映像には、男性が睾丸を殴られるなど、多様な暴力的シーンが含まれており、陪審員は評決を下すために見る事を要求された。ジャックマン自身、弁護側訴訟チームの一員として、チャリングクロス警察署で長い週末を過ごし、14時間以上もかけてDVDを視聴し、メモを取った事があった(彼は、週末も夜も休日も、クライアントの弁護のために必要なものは何でも視聴する)。

そして陪審員の出番となった。陪審員たちは、こうした映像が見る者を「堕落させ、または堕落させる」(“deprave or corrupt”)と信じるかどうかという評決に全てがかかった。2時間後、陪審員は戻ってきた。「無罪」。全員一致だった。ピーコック裁判は、ジャックマンの昔の上司であるナイジェル・リチャードソンが当時言っていたように、「何かを堕落させたりするという考え方は時代遅れだ」(“the whole idea of something being depraved or corrupt is outdated”.)ということを証明した画期的な事件と見なされている。

ジャックマンが次に注目したのは、フィストファックだった。2012年2回目の大きな裁判は、法廷弁護士でボリス・ジョンソンの側近であるサイモン・ウォルシュが登場人物だった(つまり、キャンペーンのためにさらに注目を集める事件となったのだ)。ウォルシュは、2008年に過激なポルノを所持した5つの訴因で起訴されました。尿道穿刺(性的満足を得る目的で尿道に手術用の棒を挿入すること)の画像3点とアナルフィストファックの画像2点です。フィスティング(膣や肛門に手を挿入する行為)は、2つの理由からジャックマンにとって長い間戦う原動力となっていた。1つ目は「不可解な事に」(“inexplicably”)、この行為は合法であるが、撮影はできない(そしてもう1つは、フィスティングはフェミニストや同性愛を扱う映画の制作者にとって政治的なテーマであり、その多くはジャックマンの友人だからだ)。

この具体的な点について、ジャックマンは、ポルノサイト「ドリームズ・オブ・スパンキング」を運営し、作品を販売しているフェミニスト・プロデューサー、パンドラ・ブレイクを紹介してくれた。ブレイクは、フィスティングに関する規制は、LGBTQとフェミニストのポルノ・コミュニティを「不当な標的にしているのは明らかだ」(“explicitly and disproportionately target” the LGBTQ and the feminist porn community. “)と考えている。「フィスティングは、多くの同性愛者のセックスに絶対に欠かせない行為だからだ」(“Fisting is an act that is absolutely essential to a lot of queer sex,”)と説明してくれた。「異性愛ではなく、同性愛の歴史に深く関わり、フェミニスト・ポルノの大きな部分を占めています。仮にフィスティングが禁止されるというのなら、多くのフェミニスト・ポルノが禁止されるという事になってしまう」(“It’s not phallic, it’s very much associated with queer history and is a huge part of feminist porn. So for fisting to be banned means lots of feminist porn is banned.”)。

被告のサイモン・ウォルシュは、自らの法的な取り決めをしていたが、まだジャックマンに会っていなかった。「我々の友人の判事が、本人が裁判にかけられる前の水曜日に私を(ウォルシュに)紹介してくれたんだ」(“A friend of ours who is also a magistrate introduced me to [Walsh] the Wednesday before he was due to go on trial,”)とジャックマンは振り返る。「『サイモン、君はまだ裁判を受ける準備ができていない。今、裁判をすれば、有罪になる』と言ったんだ」(“And I just said to him: ‘Simon, you’re not ready for trial. If you go to trial now, you will be convicted.’” )。ジャックマンはウォルシュを説得し、一緒に来るように言った。「その週の金曜日までに彼を法廷に招き、代理人を変更出来るようにした」(“We had him in court by that Friday so that he could his change his representation.”)

ウォルシュはパーティでハメ撮りし、他の参加者にのみ送信していた事が初公判で明らかにされた。全ては、描写された行為が「人の肛門、乳房、性器に重大な損傷を与える可能性があるかどうか」(likely to result in a serious injury to a person’s anus, breasts or genitals”.)という法律の文言にかかっていた。故にジャックマンは、何ら躊躇う事無く大腸肛門外科医のイアン・ジェンキンスを証人席に立たせた(ジェンキンス:『マイルスは大きな印象を残すし、本人独自のアプローチを持っている』)。ジェンキンスは、これまでフィストファック行為で怪我をして来院した患者はいなかったと証言している。一方、ジャックマンは、英国で初めて裁判からライブでツイートする許可を得た事務弁護士代理となった。ハッシュタグ#porntrial(#ポルノ裁判)を使い、ネット上でウォルシュ支持者の声高な支持を集めていたのだ。陪審は90分で終了し、無罪となった。

数日間、ジャックマンの人生は超音速の忙しさとなった。起訴すべしとした検察庁長官のアリソン・サンダースは、ジャックマンが言うように「自らの行動を正当化するために」(“to justify her behaviour”)「ニュースナイト」(訳注:BBCの人気ニュース番組)に出演しなければならなくなったからだ。ウォルシュも出演して、無罪になっても仕事とキャリアを失ったのだから、自分の人生はすでに破滅しているのだ、と主張していた。ジャックマンは、「あれが転機の一つだった」(“It was one of those turning point moments,”)と言う。「ニュースナイト」で 「肛門フィストファック」("anal fisting ")と言えるようになれば、ようやく何かが見えてきたと感じた筈だと。

■その男・ジャックマン

2月のある朝、路上で息を切らしながら(それが常なのだが)ジャックマンは、自分の見解ではフェティッシュ文化が主流になりつつあり、だからこそ皆に代わって全てに挑戦しているのだと、理由を説明し始めた。私たちは彼のユーストンオフィスを出て、彼のお気に入りの地元のカフェ「コーヒーとケーキとキス」(以前は「そして変態」が後に続いた)に行く途中だった。(ジャックマンは、まるで自らが海の高波のように動きます。一緒にロンドンの舗道を歩くことは、直線という都会の珍しい喜びを体験する事なのだ。そこでは 人が邪魔にならない)。「バットマンの比喩を使うなら、我々全員の生き方を変えるために法律を使う用意のある、十字軍のような弁護士は殆どいない」(“there are very few crusading lawyers who are prepared to use the law to change the way we all live.”)。

「コーヒーとケーキとキス」は「全ての性別、セクシュアリティ、関係モデル、ライフスタイルを歓迎する」との運営方針を掲げていた。ジャックマンはカフェに代わって、「そして変態」を削除する必要性を感じたと憤慨している。「革の表紙 」は「ゲイの使う金」とほぼ意味が同じで、BDSMコミュニティの購買力を意味し、今にも世界はその重さに目を覚ますだろう、と彼は断言した。その目覚めに協力するように、ケーキとペストリー、そして4倍のコーヒーを提供した(ジャックマンはエスプレッソを猛烈な勢いでダブルで飲み、ショットの小ささに何度も戸惑うような表情をする)。その日は自分の進歩の無さに苛立っているようだった。次の大きな猥褻物裁判に取りかかるのを切望していた。日程は決まっている。私は出席できるだろうか? この「無意味な」法律で人生を完全に狂わされた男に会って、日々の現実を理解することが重要だと考えていた。やがて、ジャックマンは自分の姿勢や熱意の源について、自由に話してくれるようになった。

ジャックマンは、三人の子の真ん中である。上は姉、下は妹だ。父親は放射線科医、母親は放射線技師である。彼は、父親がコンサルタントをしていたバジルドン病院で生まれた。「父親とは暗い部屋で出会った」(“I met his father in a dark room,”)と、母親のスーザンはストレートに話してくれた。「バリウム食と浣腸をやっていた。ボタンを押して、息を吸えだの止めろだのと指示する係だった」(“We were doing barium meals and enemas. I was the one who presses the button and tells people to breathe in or stop breathing.”)。

ジャックマン自身は、父親と「何時も共通点がある」(“always had a commonality”)と感じていた。「その話の根拠なんだけど、祖父母のガスマスクを屋根裏で発見した人達を知っていてね」(“I know people who, for the sake of argument, have discovered their grandparents’ gas mask in the attic,”)と、カフェで切り出した。「その人達はガスマスクに魅了され、更に大人になってからゴムやマスクなどに惹かれるようになったんだ。それが原因なのかそうでないのか、はっきりしたことは言えないけどさ。だけど、性道徳の偽善を見つめるという点では、誰よりも(父の)影響を受けているだろうな。幼い頃からナショナル・ポートレート・ギャラリーを歩き回り、誰が誰の愛人で、誰と寝ているのかなどを教えてくれたのを覚えているから」(“And they have been fascinated by the object and as adults have gravitated towards rubber or masks or whatever it might be. I can’t say for certain whether there is a connection or not. But more than anyone else, [my father] would be an influence on me in terms of looking at the hypocrisy of sexual morality. I can remember from a very young age walking around the National Portrait Gallery and he was able to tell me who was whose mistress and who was sleeping with whom and so on.”)。

父親は、ジャックマンが大学で法律を学んでいた18歳の時に世を去った。「間が悪かったのよね」(“Not ideal,” )スーザンは唇を少し引き締めた。「きつかったと感じているのだと思う」(“I think he has found that difficult.”)。

エスタブリッシュメントとアンチエスタブリッシュメントの間の亀裂(マグマが湧き上がる箇所だ)が最初に開いたのは、学生時代である。カンタベリーのキングス・スクールの寮生として、不幸な境遇にあった。母親によれば、「厄介事を起こした」(“caused ructions”)。ジャックマン本人によると、7回も 「最後通告」を受けたという。元カノのチャーリー(本名ではない)によると、「学校でいじめられたから、いじめっ子が嫌いなんだ」(“He was bullied at school and that is why he doesn’t like bullies,”)という。非常に明晰な人物だったが、学業では劣等生だった。母親が言うように「ブリストルにはない」ブリストルUWEに入学したのだが、その後、法学部の学位、大量の読書だけでなく、学習にも苦戦を強いられた。失読症と診断されたのは、37歳のときだった。だが、同じ年の2012年、「猥褻法に関する卓越した仕事に基づいて(中略)その仕事は、性的道徳が表現される法的枠組みに挑戦する上で役立った」(“on the basis of his outstanding work on obscenity law [and because] his work has been instrumental in challenging the legal framework in which sexual morality is represented”.)として、法律家協会の非常に権威あるジュニア・ロイヤー・オブ・ザ・イヤー優秀賞を受賞した。

最近では、ロンドンのキングスクロスとユーストンの間に位置し、チャールズ・ディケンズが少年時代を過ごしたサマーズタウンの1930年代の公営団地の中庭に、アパートを借りている。2年前に別れた理由だが、チャーリーによると、ジャックマンと一緒に暮らすのは「不可能」で、「一度に一つの事しか出来ない」(“only do one thing at a time”)からなのだそうだ。昨年の冬、霧が立ちこめる夜、「自宅」を訪ねると、彼女がここを返してほしいというので、引っ越すことになったと悲しげに話してくれた。ここは長い間、ねぐらだった。床、壁、何もかもがむき出しだ。不安定に積まれたピザの箱、たくさんの本、大きな画面のパソコン、疲れ切ったソファ以外で目に付くものはほぼ無い。

我々は近所を歩いた。やがて、ジャックマンは古い売春宿を指差して、閉店を嘆いた。その一方で、新しいフェチ系ショップがオープンしていたのは、明るく思わせた。ロンドンの夜の闇に包まれても、ジャックマンは撃たれそうになっていたところを助けた老犬パンと共に、通行人から温かく迎えられまた(ジャックマンは以前、犬の救助隊の運転手をしていた事がある)。我々は彼の地元のサマーズタウン・コーヒーハウスに入り、ローストビーフとエスプレッソを味わった。

「自由の範疇の中で真っ先に根絶やしにされるのがポルノだ」(“Pornography is the first freedom to die,”)と、ジャックマンは、私と同じようにバーの店員や他の客に向かって言った。「このような戦いはたいてい端っこのほうで行われる。言論の自由や表現の自由の問題の一つは、そこなんだ」(“One of the problems that we find with free speech and freedom of expression is these fights are usually in the fringes.”)。以前、私が成人雑誌を揶揄するような言葉を使った際、彼が叱責した事があった。(ジャックマンと何時間も話したが、彼は一度も下品な表現を認めなかった)今度は、私の間違った態度に直接言いたかったのだろう。「ハイ・アートと呼ばれるものは神聖であり、そうした批判を避けられる。しかし、低レベルの、あまり高尚でない作品こそ、闘争の場となる。これは完全に階級主義的だとも言える。だから、漫画、俗悪ビデオ、ビデオゲームなどが矛先となるのだ」(“What we might consider to be high art is somehow sacrosanct and avoids these kind of critiques. But lower level, less high-minded works is where the struggle is. One can argue that this is entirely classist, so comic books, video nasties, video games.”)。

「見せたいものがある」(“Let me show you something.”)と、 ジャックマンは携帯電話を取り出した。「1982年のホロウェイ事件での判決文だ。ポルノビデオテープを所持し、それをラグビーやクリケットのクラブに持ち込んで見せて友人を楽しませる若者を、禁固刑に処すべきだとは考えない」(“This is from a case back in 1982 – Holloway – a direct quotation from the judge: ‘Nor do we suggest that a young man who comes into possession of a pornographic videotape and who takes it along to his rugby or cricket club to amuse his friends by showing it should be sentenced to imprisonment.’”)。こういう時、ジャックマンは顔を真っ赤にして語る。信じられない!。女性はポルノを見ない、見るのは男性だけという考え方があるし、ラグビークラブやスタッグナイトなど、その筋の人たちがやっているような事だってある。高貴な人々や教育を受けてきた人々が、そういったものを判断する上で最適な立場にあるという考え方は、非常に不愉快だ。性差別、家父長制のたわごとだ」(“It’s unbelievable! You can see: we’ve got this notion that women don’t look at pornography, that it’s only men and of course rugby clubs, stag nights – the sort of thing that the establishment would be doing. And I find that very offensive, the notion that some people through rarefied means or education are best put to judge such things. It’s sexist, patriarchal bullshit.”)。

牛肉に舌鼓を打つ余り黙り込んだが、やがて話を戻した:「1980年代の頃を考えてみてくれ。ビデオデッキが家庭に入ってきて、何が起きたというのか。国家は統制を失ったか」(“Think about the 1980s – the VCR comes into the home and what happens? The state loses control.” )。嘲りは皮肉になった。「これは『一般大衆』に対する恐怖だ。もし彼らがポルノを入手したらどうするのか? 善良な小さな労働者は気が散るだろうし、そのような放縦を許してはならない。一方で、知識人であれエリートであれエスタブリッシュメントであれ、アート集団であれ、ラグビークラブであれ、何と呼ぼうと、彼らは決して公にはしないような活動に偽善的に従事する準備が完璧に出来ているのが、そういう奴らなんだよ」(“This is the fear of ‘the great unwashed’. What will we do if they get pornography? The good little worker should not be distracted or allowed such self-indulgence. But the intelligentsia or the elite or the establishment or the art crowd or the rugby clubs or whatever you want to call them, they are perfectly prepared to engage hypocritically in activities that they would never countenance publicly.”)

ジャックマンは、ポルノは主に男女間の問題ではないし、世間が思っているような問題でもない、と主張した。「全ての男性は喜んでおり、他方女性はそうで無いという共通の思い込みがあるが、間違っている。それは、膨大なゲイの男性ポルノが出回る前の話だ。倫理ルポルノ、ビーガン、フェティッシュ、女性社会、フェミニストポルノもある」(“There is this common assumption that all the men are delighted to be there and that all the women are not, which is not true. That’s before we even get into the vast amount of gay male porn. Then there is ethical porn, vegan, fetish, fem-dom, feminist porn ...”)

特にジャックマンは、私に「家父長制のたわごと」を理解してほしいと切に願っていた。そこで彼は、アダルト・エンターテインメント・ビジネス・カンファレンス(「Xbiz」)に参加して、自分が代わりに戦っていると信じている女性プロデューサーや俳優たちに会うことを私に勧めた。ジャックマンがバッジを用意してくれたので、私はパディントンの広大なホテルの地下深くで、仲間の代表者たちに混じってジャックマンを待つことにした。会議、セミナー、基調講演がある。年齢認証が議論されていた。現在と将来の市場動向、新しいビジネスモデル、新しいテクノロジー、eビリングの安定性フォーラム。そんな中、ジャックマンは、まるで港の安全を守るタグボートのように、この喧騒をかき分けて現れた。ジャックマンは、4人に1人の割合で個人的に知っているようだ。握手、頷き、肯定、純粋な温かみがある。

ジャックマンは、Urban Chick Supremacy Cellというウェブサイトを運営しているイツィ・ウルティアを私に紹介してくれた。「家父長制度を破壊するために。すべてのシティボーイズと他の資本主義者の性差別的な男の屑を追い詰めるために...雄鶏を粉砕し、男性の性を破壊するために!」(“To destroy the Patriarchy. To hunt down all City Boys and other capitalist sexist male scum vermin ... To crush the cock and destroy the male sex!”)彼女のサイトには、フードを被った女性たちに縛られ、猿ぐつわをはめられ、檻に入れられ、鞭を打たれた男性たちのクリップが販売されていた。私はウルティアに性的暴力について尋ねた。「私は、情報に通じ、同意している全ての成人が、たとえ一般大衆の好みに合わないとしても、参加者の誰にも長期的または不可逆的な害を及ぼさない性行為に従事することを許されるべきだと思う。嫌悪感について、警察と立法は何の役割も果たすべきではない」(“I think that all informed, consenting adults should be allowed to engage in sexual practices that cause no long term or irreversible harm to any of the participants, even if they are not to the taste of the general public. Disgust should play no part in policing and law making.”)。「寝室に国家を置くな」(“Keep the state out of the bedroom.”) 。これはジャックマンの語録である。

スパンキングのプロデューサーであるパンドラ・ブレイクは、こう表現した。「ブルース・リーに体を張らせてもいい。ブルース・リーが体を張った事については喜んで許す癖に、なぜ私たちは大人のエンターテイナーに同じことを提供させないのか」(“We’re happy to allow Bruce Lee to risk his body. Why do we not offer adult entertainers the same?”)。彼女は、「いつも家父長的な方法で線が引かれる」(“always get drawn in patriarchal ways”.)事に腹を立てていた。最近、オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014の下で、ある種の顔面座位が禁止された事を引き合いに出した。女性が勃起したペニスをくわえているときの自己性愛的窒息は問題ないが、膣が空気の流を制限している際のある種の顔面座位は問題視されている、彼女は指摘した。彼女は理由を知りたがった。同様に、男性の射精は問題ないが、女性の潮吹きは新しい規則で禁止された。またしても、である。何で? 何で女性が服従する事の空想が許されないのか? 何で社会は女性が性的に支配的である事に反対するか?「フェミニスト的な方法でセックスが可能なら、撮影しても良いだろうに」(“If you can have sex in a feminist way, then you can film it,”)と付け加えた。「撮影に違いは無かろうが」(“The filming isn’t the difference.”)と。

ジャックマンと私は、基調講演の準備のためにコーヒーを飲んだ。恥ずかしながら、私はまだ過激なポルノや、特に性的暴力について心配している事を認めた。このようなものについて、気後れしないようにするのは難しいことだね、と私は告白した。

ジャックマンは、「同意、同意、同意」と返した。(同意は指導的な原則でなければならない。同意は、かなり簡単に守れるはずだ。動物、死体、16歳以下の子供は同意が得られない。精神的に不自由な人は、同意を与える能力が無い。同様に、酩酊している人、何らかの強制や強要を受けている人もだ」(“Consent has to be the guiding principle. Consent should be fairly simple to observe – right? Animals, cadavers, children under the age of 16 cannot give consent. People under a mental incapacity are not competent to give consent. Likewise, those who are intoxicated or under any coercion or duress.”) 。更に、こう踏み込んだ。「熱狂的な積極的同意」(“a societal move”)への「社会的な動き」(“enthusiastic positive consent”.)があって然るべきと考えたのだ。

もちろん、私も同意し、より熱狂的で積極的な態度で臨むようにした。だが、過激なポルノは、彼の心理に全く影響を与えなかったのだろうか?「プロフェッショナリズムを維持しなければならない。言うまでも無いだろ」(“One has to retain a degree of professionalism obviously,”)と彼は言い、エスプレッソをもう一杯飲んだ。

(文中敬称略)

AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(8) #AV新法の廃止を望みます



英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。過激なポルノを擁護し、取り締まりの根拠となっている猥褻物取締法の開設を目指すマイルズ・ジャックマンという弁護士の方へのインタビュー記事です(2015年9月9日付)。余りに長いので、分割して紹介します(ライブドアブログは5万字以上は無理なんですわ)。

以下、拙訳。


One lawyer’s crusade to defend extreme pornography(過激なポルノを守る、ある弁護士の聖戦)

Myles Jackman is on a mission to change Britain’s obscenity laws. For him, it’s more than a job, it’s a moral calling(マイルス・ジャックマンは、英国の猥褻物取締法を改正する使命を担っている。彼にとって、それは仕事というより、神による道徳的な使命だという)

Wed 9 Sep 2015 06.00 BST

1. タイガー・ポルノ
2008年の晩秋のある夜、アンドリュー・ホランドは休暇から戻ると、レクサムの自宅の玄関が壊されているのを発見した。泥棒に入られたと思った本人は、警察に電話をかけた。すると、即座に警察がやってきて、ホランドを逮捕してしまった。

家に押し入ったのは、警察自身だったのだ。ハードディスクを調べたところ、別のコンテンツが見つかった。当初の告発は取り下げられ、代わりに2009年春、2008年に新たに定められた刑事司法及び移民法に基づき、2つの画像の所持で起訴した。1枚は「身体改造激痛五輪」と呼ばれるサドマゾヒスティックなシリーズの画像で、もう1枚は法律で禁じられている「生きた動物との性交行為」を示すものだった。動物とはトラである。

北ウェールズの街角や新聞・インターネット上で、ホランドはすぐに「トラのポルノ男」(“the tiger-porn guy”)として知られるようになった。その結果、「死ぬよりひどい目に遭った」(“worse than being dead”)と本人は振り返る。自警団が彼の家を張り込んだし、ヘイトメールや排泄物が投函された。18ヶ月間、娘に会うことを禁じられた。心臓発作も起こした。

一方、ロンドンのアパートのねぐらで、マイルス・ジャックマンが監視していた。グーグルのアラート、Twitter、掲示板、裁判のレポートなど、常に目を光らせていたのだ。彼は非常にユニークな使命を持った人物で、ホランドの事件は自分だけが好機と捉えているだろうと考えていた。それ以上に、世界を変えるチャンスなのだ。

マイルス・ジャックマンは、英国を代表する猥褻問題を取り扱う弁護士である。単に被告人を弁護するだけではない。人生の大きな計画であり目的は、この国から過激なポルノを犯罪とする法律(本人はこの法律を道徳的、社会的に不道徳なものだと考えている)をきっぱりと排除する事だとしている。ジャックマンは幅広くて背が高く、悲しげな目とベドラムの藁のような髭を蓄えている。遠目で見ると、ガッシリとした不屈の精神を持ち、大きな食欲と拒否感を持つ人物であり、マカロニ・ウエスタンに登場する悪徳法律家のように見える。だが、近くで見ると、柔和な繊細で、仲間思いの人物で、ウェスタンで演じられるセルジオ・レオーネの悪役よりもずっとハグリッド(訳注:ハリーポッターに出てくる巨人の魔法使い)に近い。

ジャックマンは、不当な猥褻物取締法に反対する大々的なキャンペーンを率いなければならないと熱烈に信じている。ポルノは階級問題、ジェンダー問題、哲学的問題、自由という問題、全ての問題であると彼は主張する(「ポルノは言論の自由という炭鉱のカナリアである」というのが口癖の一つだ) 。そして、彼のキャンペーンは、州法と法令の両方に対して行われる。日中は、暗い色の弁護士服に身を包み、バットマンの靴下を履き、夜にはバットマンのTシャツを着ている。この6年余りの間に、彼はただの弁護士から、猥褻物担当のバットマンへと変身を遂げたのである。

昼は弁護士のようなスーツに身を包み、バットマンの靴下を履き、夜はバットマンのTシャツを着ている。

2009年末、そうした志がまだ薄かった頃、ジャックマンはアンドリュー・ホランドに連絡し、「虎のポルノ」(“tiger porn”)事件で協力を申し出た。だが、ホランドの弁護団は乗り気でなかった。ジャックマンは無名で、若すぎたのだ。そして、その年の12月31日、ホランドに獣姦映像の所持の疑いが晴れるというサプライズがあった。虎が女性とセックスしている写真は写真ではなく、ビデオの静止画であることが公判前審問で明らかになったのだ。驚くべき事だが、警察と検察はその映像を流していなかったのである。裁判官が法廷でその映像を流すように命じたところ、その動物は本物ではないことが判明した。トラはフォトショップで加工され、男の体に重ねられていたのだ。(フィルムの最後に、"トラ "はカメラに向かって、「凄ぇぇだろう!」("That's grrrreat!")、「生活のためにフロスティーズ(訳注;飲料品の一種)の広告に出るよりかマシだ」("That beats doing Frosties ads for a living. ")と言っていた。検察庁は起訴を取り下げた。

ジャックマンにとって、完璧な事件の完璧な展開であった。猥褻問題を背負った法律は、意味を成さないと思っていたからだ。これは、ジャックマンのキャンペーンを展開する絶好の機会だ。一方、ホランドはまだ安心はできなかった。「身体改造激痛五輪」の決勝戦の映像がまだ残っていたのだ。友人がブルートゥースでホランドの携帯に送ってきたもので、中身を知らずに開封してしまった。彼は当初、有罪を主張することを拒んだ。「身体改造激痛五輪のビデオは2分半もあり、私は6秒見て、趣味では無かったので消した」と説明した。それでも、性器切除、内臓摘出、睾丸の破裂などの2つ目のビデオが法廷に流されると、あからさまに顔をしかめる人がいた。ホランドの弁護士が小部屋に連れて行った。短い話し合いの後、ホランドは有罪を認め、刑期を終え、刑務所に収監される可能性が高いという判決を受ける準備をした。

しかし、ジャックマンは違う見方をしていた。裁判が終わった後、ジャックマンはホランドに連絡を取り、有罪の主張を「取り消す」事は可能だと提案した。ジャックマンは、それでも闘う価値があると、ホランドを説得にかかった。ジャックマンは、ホランドを説得した。そして、ジャックマンはウェールズにあるモールド裁判所に向かい、そこで本格的に仕事を始めた。

ホランドが起訴された2008年の刑事司法及び移民法では、「『過激な画像』とは、...著しく不快、嫌悪、その他猥褻な性質を持つ画像である」(“an ‘extreme image’ is an image which ... is grossly offensive, disgusting or otherwise of an obscene character”)と規定されている。この定義のもとで画像が「過激」であるとみなされるためには、画像に「現実性」が無ければならないと法律で定められている。(この「過激」と「現実的」という2つの用語の法医学的考察は、ジャックマンの人生の大部分を占め、この言葉自体がしばしば大きな怒りの対象になる)。今年の初めにロンドンのオフィスで会ったとき、ジャックマンはこう説明した。「検察官に、彼らが見ているものはポルノではなく、過激でも現実的でもないと伝えるのが私の仕事だった」(“it was my job to tell the prosecutor that what they were looking at was not pornography and was not extreme or realistic.”)と、動機を説明した。

「身体改造激痛五輪については」(“The thing about the BME Pain Olympics,”)、「楽しませる、あるいは嫌悪感を与えるという意図がある訳だ。検察官は、映像の中で射精があったと主張する。それ自体は事実だ。しかし、その場面は皮下インプラントと呼ばれる小さな丸い金属製のボールベアリングを射出するペニスが登場するというものだった。その時、ウェールズではどうなっているか知らないけれど、ロンドンでは射精するときにチンコから金属の玉を出す人はいないと、私は法廷で言わざるを得なかった。馬鹿げてるだろ」(“is that the intention is to amuse or disgust. The prosecutor said there was ejaculation in [the film] and – it is true – there’s a sequence where there’s a penis that shoots out these subdermal implants, which are small round metal ball-bearings. But, at that point, I had to say that I don’t know what happens in Wales, but I can tell you in London no one shoots metal balls out of their cock when they ejaculate. That would be ridiculous.”)彼は続けた。

ジャックマンはこの映像を作った人を見つけた。複数だった。彼らはすべて「トマトソースとカクテルソーセージ」であると証言した。つまり、「現実的ではない」ということだ。告訴から9ヵ月後、検察側は告訴を取り下げた。ジャックマンは勝訴した。彼の使命は達成された。だが、タイガー・ポルノだけでは不十分なのだ。

2. 目的

端的に言えば、2008年に制定された刑事司法及び移民法は、国による介入の焦点を、過激なポルノの製造者や流通業者から消費者に移したのである。ジャックマンが弁護士資格を取得した年に成立したこの法律は、根本的な転換を意味した。ジャックマンの導火線となった所以である。それまでは、1959年に制定された「猥褻出版物法」が、この分野を支配していた。この法律は、「堕落させ、堕落させる傾向のあるものを全体として流通、販売、貸与、譲渡、貸与」(“circulates, sells, lets on hire, gives, or lends ... items taken as a whole such as to tend to deprave and corrupt”.)した者を処罰するものである。(『堕落させる』『腐敗させる』という言葉は、ジャックマンを苛立たせるもう一つのフレーズだ。『誰を堕落させるのか?』『誰によって?』) 2008年にこの法律を導入した政府の目的は、インターネット・ポルノの津波に対処することにあった。多くが英国外で制作されていたため、猥褻出版物法の適用外であったからだ。

この法律は、アンドリュー・ホランドと彼の虎ポルノビデオのような、ジャックマンが 「残念賞」 と呼ぶ起訴を引き起こした。立証されていない申し立ての結果として逮捕されたが、その後、電子機器で発見されたものに基づいて起訴される人達がいた。ハードディスク上のデジタルレジスタは、画像の出所に関わらず、所有を構成するのに十分である。ジャックマンは、WhatsAppやスナップチャット、ブルートゥース、電子メールなどを介して画像を受信した多数の事例を挙げている。更には、コンピューターやスマートフォンの画像のキャッシュ方法のために、削除だけでは完全に消去できない場合がある。多くの場合、ハードドライブには、使用状況や将来のメモリ需要に応じて後で 「上書き」 されるまでファイルが保存されるからだ。

自分のコンピューターとポルノに関する法律がどのようなものであるか知らない人が大半だ。ジャックマンは、警察が2008年の法律を利用して、もともと別の容疑で捜査していた人たちを起訴するケースが後を絶たないと強調する。新法が施行されたとき、司法省は年間約30件の起訴につながると見積もっていた。しかし実際には、年間800件近く、つまり合計で5,500件以上の起訴があったことが、成人のあらゆる合意による性行為する事への参加の権利を求めるキャンペーン団体『バックラッシュ』によって明らかにされた。

これこそ、ジャックマンが戦っている「茶番」だと感じた。4月のある日、私は王立裁判所でジャックマンに会い、これからどうするかという説明を受けた。司法審査を通じて、現行法の再検討を迫るのが目的だという。司法審査とは、裁判官が再考の根拠があるかどうかを判断し、ある場合は法律を議会に持ち帰って再策定する手続きである。司法審査が成功するためには、裁判官の説得力のある論告に加え、不正、不均衡な判決、定義の混乱、誤った起訴、法律が意図したとおりに機能していない証拠など、多くの事例を提示しなければならない。

ジャックマンは、その日の朝も勝訴したばかりで、素晴らしく上機嫌だった。彼の大望は、実は人種関係法のような「性関係法」であることを明かし、「刑事、民事、情報目的など、いかなる形であれ、人々のプライベートな性生活が彼らにとって不利になってはいけないという考えを根付かせたいのだ」(“that enshrines the idea that people’s private sexuality should not be held against them in any way, whether it’s criminal, civil, for intelligence purposes, or whatever”.)だと語った。

(文中敬称略・続く)

拙訳終わり。既に「長いな」とお感じの方々もおありでしょうが、これで全体の約3割ですわ。と言う訳で、続きは明日にでも。

AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(7) #AV新法の廃止を望みます



英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2014年12月3日の配信のスザンヌ・ムーアという方による寄稿記事です。ガーディアンで何度か取り上げてきたニッキ・ホジソン氏へのインタビュー記事です(2015年11月25日付)。以下、拙訳。

Interview Meet the woman who wants to disrupt the porn industry(インタビュー・ポルノ業界の破壊目指す女性に会う

Harriet MinterCould introducing a kitemark change working practices in porn? Nichi Hodgson believes so and she’s out to make it happen(カイトマークを導入することで、ポルノ業界の労働慣行を変えることができるだろうか?Nichi Hodgsonはそう信じており、それを実現しようとしている

※カイトマークは、日本のJIS規格に相当

Wed 25 Nov 2015 07.40 GMT Last modified on Wed 8 Sep 2021 10.10 BST

私が最初にホジソンに会ったのは、ソーホーのホテルでだった。我々は、リベルティーンとサス・インティメート・スキン・ケアらの主催による、21世紀の親密性について話し合う女性たちと男性1人の小グループの一員である。このグループは、学者、作家、運動家、そしてこのテーマに関心を持つ人々で構成されている。そして、SMクラブの元女王で現在はジャーナリストであるホジソンは、倫理ポルノパートナーシップ(EPP)の創設者であり、ひとりの女性として政府が無視または非難する業界に最低基準の労働慣行をもたらそうと試みているのだ。

「5年ほど前から、ジャーナリストとしてセックス産業を取材してきた」(“I’ve been covering the sex industry as a journalist for about five years now,)とホジソンは語る。「現場では、何をするのか事前に分からないまま撮影に臨んだり、ギャラの透明性が確保されていないなど、悪質な行為だけではなく、いかがわしい行為も多く見受けられる事が分かった。楽に稼いでいたり、大きな利益を得ている人達でさえ、自分たちのしている事に対して深いレベルで不安を抱いているというのを感じた。AV業界で会ったほぼ全員が 仕事への不安を抱えていた」(“What became apparent to me was that while there were lots of wonderful people working in it, there was also lots of what I would consider not malpractice, but dubious practice: people turning up on set not always knowing what they were going to do before they did it, and no transparency around the pay. Just a general sense that even the people who were comfortably making it, and making huge profits, had misgivings on a deep level about what they were doing. Nearly everybody I’ve met in the porn industry has some kind of anxiety about the work.”)

ホジソンは、「このままではいけない」という思いから、きっかけを見つけようとした。起業家と同様に、ホジソンも問題を解決する必要があると考え、EPPを通じて解決しようとしている。この業界で働く人々と消費する人々の双方に安心感を与えるには、業界の労働慣行の基準を設定することが必要だと考え、フェアトレード・マークと同様に、ポルノに関する優良慣行のためのカイトマークを作成する事を着想した。

消費者がポルノを探すに当たり、選んだ作品の制作会社の行動や慣習を調べ始めるまでにはまだ至っていないとホジソンは認識している。であるならば、視聴者が見ている作品に安心感を持てるようにしたいと考える。EPPのロゴがあれば、その作品が一定の基準に則って制作されている事が分かる。具体的にどのような基準なのかは、まだ検討中である。

「今、我々は基準を作っている只中だが、実はとても時間がかかっている。多くの女性は、特に仕事を始めたばかりの頃は、ただ手っ取り早くお金を稼ごうと、やりたくもない事をやってしまったり、やりたくもない方法で働いてしまったりするからだ。その一方で、正しい事をやっている会社はたくさんあるのだから、そういう会社を簡単に紹介できるようにしていきたい」(“At the moment we’re bashing out the criteria, which is actually taking quite a long time. So many girls, especially when they’re first starting out, just want to make a quick buck and probably end up doing things they didn’t want to do; working in ways they didn’t want to. There are plenty of companies doing the right thing, so you want to make it easy to point [the girls] to one of those.”)

だが、標準的な労働慣行(給与の透明性、明確な契約、撮影現場での定期的な休憩とリフレッシュ)を推進する任意参加の業界団体が、それ抜きで利益を上げている業界を本当に変革可能なのだろうかともホジソンは考えている。当初は、EPPに署名するのは小規模な独立系スタジオだろうが、運動が軌道に乗れば、大手プロデューサーも参加したいと思うようになるだろうと予想している。「害を与えはしない。むしろ、為になるのだ」(“It’s not going to do them any harm, it will only do them good,”)と、ホジソンは説明する。

何を表示出来るか(または出来ないか)をEPPで指示するのは望まないと明言している。「ポルン・リテラシー」 を育てるために、業界全体の透明性を高めるためにEPPを使用したいと考えている。

「制作したものが強調される事が、中の人を不安にさせる。スクリーン上で行うことは、現実のそれよりかけ離れていなければならない。トリックや煙や鏡のようなものが多々ある。倫理ポルノパートナーシップのウェブサイトに関しては、コンテンツがどのように制作されたかを示すビデオやバックストーリーを作成するというのが私のアイディアだ...そう、基本的にトリックを示すのだ」(“The thing that causes people anxiety is that on the screen you’re heightening whatever you’re producing. Whatever you do on screen has to look bigger than you’d ever do in real life. There’s lots of trickery and smoke and mirrors involved. My idea for the Ethical Porn Partnership website would be to create videos, backstories that show how the content has been produced … basically to show the tricks.”)

だが、これによって本当にポルノを変えられるのだろうか? 業界を取り巻く最大の問題は、それがどのように機能するかという事ではなく(利益が成功の尺度となるなら、かなり上手くいっているとなろうが)、その社会へのより広い影響にあるように思われる。今日見られるポルノの多くに見られる女性差別的なトーンは、女性が入ってきて変えようとする事を歓迎しない世界ではないのかと示唆している。

「どのような業界であっても、女性として積極的に行動し、業界を変えようとしないなら、搾取されない事を諦めるしかない。それが私の考えだ。教育でも医療でも政治でも、女性が積極的に『我々は前進する』と言い出すまで、本当に変わった業界は一つも存在しない。私がよく知っているジュリー・ビンデルやゲイル・ダインズのようなフェミニストは、ポルノ業界の廃止を望んでいる。でも、廃止されはしないだろう。ブラック工場を無くせても、ポルノを無くす事は出来ない。ならば、制作の現場を改善する必要があると、私は口を酸っぱくして言っている」(“My view has always been that it doesn’t matter what industry it is, if, as a woman, you don’t go in and take the bull by the horns and try and change it, you’re just resigning yourself to being exploited. There hasn’t been a single industry, whether it was education or medicine or politics that really changed until women became proactive and said, ‘We’re going to put ourselves forward’. Feminists like Julie Bindel, who I know really well, or Gail Dines just want to see the abolition of the porn industry. But it’s not going to be abolished. My point is always, you can get rid of sweatshops but you can’t get rid of the clothes. You need to improve the product that is already out there.”)

他の業界と同様に、ホジソンは問題を解決しようとしているある種の起業家にすぎない。本人は、自分は一人の女性にすぎず、大規模で確立された業界を変えようとしている事と、多くの起業家と同じ問題に直面している。また、その事について現実的だ。

「大きなプロジェクトだと思う事は確かにある。『変える事に意味があるのか』では無く、『このまま勢いに乗っていけるのか』がポイントだ。スタートアップではそういう事があると誰もが思う。興味のある人は沢山いるが、時間を割いてもらう事が一番難しい。お金を貰っている訳でも無いし、資金もない......起業家としてのアイデアはあるが、完全に開花させるだけのビジネスセンスはまだ持っていないので、全て自分で考えなければならない」(“There are definitely times when I think this is too big a project. Not, ‘What’s the point trying to change it’ because there is a point, but ‘I don’t know if I can get the momentum going.’ I think everybody has that with a startup. There are lots of people who are interested, but getting people to commit time is the most difficult thing. I’m not getting paid and there’s no funding for it … I have entrepreneurial ideas but I don’t necessarily have the business acumen to make them fully flourish yet, I’m having to figure everything out as I go.)

「余りに大変だと思い始めた場合は、 EPP]が実際に機能したらどうなるのかを想像するようにしている...陳腐だろうが、世界を変えるために何かをしたいし、少しでも世界を変える事には価値があると思う」(“When I start to think that it’s all too hard, I imagine if [EPP] were actually functioning … I mean, it’s a cliché to say that you want to do something to change the world but to change it even a little bit would be worthwhile.”)。

倫理ポルノパートナーシップの詳細はこちらで閲覧可能だ。


(文中敬称略)
拙訳終わり。日本ビデオ倫理協会をさらに厳格化したコンセプトかな…と思っていたら、ウィキペディア日本語版を見ていてびっくり。もう解散しているのですね。以下、引用。

1990年代前半、写真集や週刊誌などでヘアヌードが解禁されると、加盟各社より、陰毛規制を緩めるよう要望が出たが、ビデ倫はこれに反対し、結果としてインディーズメーカーの台頭を許した[1]。

審査基準の異なる自主規制団体が複数存在する事態となり、その後の業界再編に少なくない影響を与えた。

2006年4月より、経済産業省の指導により映倫管理委員会(映倫)、コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)、コンピュータエンターテインメント協会(CESA)、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)、日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)と共に映像コンテンツ倫理連絡会議(仮称)において、審査基準・表示の一本化を協議することが決定している。

2007年8月23日、アダルトDVDの審査が不十分だとして、警視庁保安課による家宅捜索を受け、資料を押収された。モザイク処理の薄いDVD(後述)の販売を幇助した容疑によるもので、同組織にとって初の警察による強制捜査となった。2008年3月1日、ビデ倫の審査部統括部長とビデオ制作会社社長がわいせつ図画頒布幇助の容疑で逮捕された。

この事件の影響で2008年6月限りで作品の審査業務を終了、過去に審査した作品の管理に専念することが決定した。

2008年6月25日、ビデ倫加盟メーカーが新たに設立した新団体「日本映像倫理審査機構」(日映審)は、同年7月より2006年にビデ倫、コンテンツ・ソフト協同組合(CSA)、日本映像ソフト制作・販売倫理機構(制販倫)の合意のもと設立、従来CSA作品の審査を行っていた「審査センター」に審査業務を委託することが発表された[2]。日映審加盟メーカーは約40社、毎月700〜800本程度の作品が審査対象となる。

その後、日映審は2010年12月にコンテンツ・ソフト協同組合(CSA)の内部組織・メディア倫理委員会(メディ倫)と合流して新組織・映像倫理機構(映像倫)となり、映像倫に一切の組織と業務を譲渡して解散した[3]。


引用終わり。ふーむ。知らなんだわー。日本コンテンツ審査センターが業務継承しているそうですが、一方で「DVDについては、コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)でも審査を行っており、審査基準は両団体で多少異なる(最も大きな違いは、ビデ倫では一度市場に出たインディーズ作品はモザイク等の修正を行っても審査対象としないのに対して、ソフ倫は審査対象とする)ものの、相互に審査結果を尊重する旨の覚書を交わしているため、両団体で審査を受けた作品は市場では同等の扱いを受ける。また、CS放送成人番組倫理委員会(CS成倫)との間でも同様の覚書を交わしている」(前出ウィキペディア)との事ですから、ちょっとばかしややこしいですね。倫理ポルノパートナーシップを日本に移植するなら、まずどっちに?となりましょうか。皆様、妙案ありますでしょうか。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(6) #AV新法の廃止を望みます


英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2014年12月3日の配信のスザンヌ・ムーアという方による寄稿記事です。オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014は機能しないぞという話です。

I’m no fan of the porno-industrial complex but these new rules are unworkable(私はポルノ産業複合体のファンではないが、この新しいルールは実行不可能である)

Restrictions on what can be depicted in UK-made online pornography are bizarre, random and won’t protect our kids(英国製のオンラインポルノに描かれる内容に対する規制は、奇妙かつ出鱈目で、子供達を守れない)

Wed 3 Dec 2014 20.00 GMT

失礼な事は言いたくないのだが、そうしなければなるまい。人が互いに失礼な行為をするのを見るのが好きな人は多い。続にポルノと呼ばれ、関連する法律がある。主に猥褻物出版法がカバーする領域だ。

ポルノが好まれない理由はたくさんある。女性に対する扱い、暴力、理想化された体型、奇妙な体型、男性の妄想に焦点を当てている事、苛立たせる事、どこかが麻痺しているのでは無いかと思わせるような単調さ、想像出来うるあらゆるものを詰め込もうとする妄想に取りつかれている事、セックスとの距離の長さ等が上げられる。ただし、今言ったこととは全く逆のポルノを見つける事が出来た。ニッチ市場です。

ポルノ・インダストリアル・コンプレックスはウェブカメラとDIY精神のせいで衰退の途上にあるが、それでも巨大なビジネスだ。不快で狂気を髣髴させるような内容や、拷問やレイプのような代物がそこらじゅうにある。大きな懸念である児童ポルノはポルノとは全く言い難い。犯罪の証拠書類です。

私は多くのポルノに対するフェミニストの事例をよく理解している。女性はモノ扱いされ、猿ぐつわを履かされ、固定されるべき穴の集まりにすぎない。ポルノはもっと良いものであるべきだ。アロマキャンドルやマイケル・ブーブレ(訳注;カナダの歌手・男優)とかでは無く、女性の欲望を様々な形で表現した中身があったって良いだろう。ファンタジーを売るビジネスと言うのなら、女性のファンタジーは男性のそれと同じくらい多様である可能性がある。

インターネットは全てを変えた。子供達はポルノに簡単にアクセスできるようになり、男の子たちは携帯電話のスクリーンセーバーとして保存していたりする。関連するパニック事案は無数だ。ただし、自分のパートナーがポルノに 「依存」 しているのではないかと心配する女性たちが殺到している事例を除けば、ポルノが人生の一部であることを認めたがる人は誰もいない。

それらしき答えの1つが検閲だ。正気の人間が、自分の目に見えるものについて、国家にこれ以上の権力を手渡そうとする理由など、全くのところ理解できない。フェミニスト達が、政府が女性の利益を考えていると思っているのなら、欺かれているのだ。私たちが不道徳だと思う事の大半は既に違法であり、これ以上違法にする事は不可能だからだ。

そして今、まったくばかげた新しいルールができた(2003年通信法を改正した『オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014』)。英国で制作されたポルノに関し、現在受け入れられないと考えられている奇妙で無作為な性行為のリストで構成されている。恐らく、オンラインで一般的に支払わなければならないものを見る事から子供たちを保護するためだろう。では、クレジットカードを持っている子供達向けの法律なのか? こう言い換えようか。現在入手可能なものは、英国で既にDVDとして出回っているものと同じでなければならないのだ。

以下は、見せてはいけない恣意的なものの一部だ。:スパンキング、杖、「穏やかなレベル」を超える鞭打ち。「吞む」のであれば、おしっこも。「義足の挿入」については放任されている。理由を私に聞かないで欲しい。浣腸は中身を食べなければOK。男性の射精は消費しても良いが、女性のは見せてもダメ。適度なBDSMプレイは「踏みつけ」同様、問題なし。顔面騎乗はNG。ペニスをくわえるのはOK。「電動工具の使用」はNG。緊縛は四肢を縛らない限りOK。という具合に延々と続いている。

他の人の電動工具がどうなっているかは存じないが、この団体が狂気の域に達していることだけは確かだ。同時に、これが検閲の問題点なのだ。他人の許容されるファンタジーを決めるのは、一体誰なのだろう? 誰も汚物を見る必要はない。「ブリティッシュ・ベイクオフ」(訳注:英国の料理コンテスト番組)があるでは無いか。なぜ、この実行不可能なリスト作成にお金と時間が費やされたのか? 仮に誰かがこれらの禁止された行為を見たいと思えば、今でもオンラインで視聴出来るというのに。

インターネットが存在しなかった大昔の空白地帯で作られた法律を目にする事が多くなっている。更に言おう。現在検閲されているこうした行為の多くは、女性の喜びや支配者の行為に関係するものだ。なぜ、男性の射精はOKで、女性の潮吹きはダメなのか? このようなルールを作り上げる人々の権限とは何なのだろうか?

誰もが非難するような、子供がアクセスするようなポルノは、主流のコングロマリットによって作られている。ここでは、女性が女学生の格好をしたり、ペニスをくわえて射精させたりするのは構わない。今、この国で制作してはいけないのは、フェミニストの原典を読ませながら、女性が市井の少年を誘拐し、罰を与えるようなフェティッシュな内容の作品なのだ。

だが、より大きなポイントがある。これだけの努力が、強制力のない法律の作成に費やされているという点がそれだ。一方、性的虐待に関する調査の責任者は不在だ。ウェストミンスター(訳注;英国国教会の寺院)の小児性愛者集団の噂が絶えない。ロザラム(訳注:お下劣系アダルトビデオ)は氷山の一角なのは分かっている。本当に子供達を守りたいのであれば、そうする筈だろうが。

このような新しいルールはビデオオンデマンドと、英国で制作されたコンテンツにのみ適用されるが、ここでレズビアン、ゲイ、BDSMによるポルノが標的にされているのには驚くべきだ。

真面目な人たちで構成される委員会が、私が男性の顔に座っている女性を見るためにお金を払うことを禁止する法律を真剣に考え出したのは信じられない。一方、 「ザ・フォール」 のようなテレビ番組では、女性の恐怖はスタイリッシュな刺激とされている。検閲はそういう仕組みになっていて、どんな小さな入り口からでも忍び込んでくる。これは同意の上なのか? いいえ、ファンタジーの取り締まりは決してそうでは無いのだ。

(文中敬称略)
拙訳終わり。Suzanne Moore(スザンヌ・ムーア)氏ですが、ウィキペディア英語版によると、1958年7月17日生まれのフリー・ジャーナリスト兼コラムニスト。主に女性の権利の問題を陣地となさっている方で、ガーディアンの他にデイリー・メールという大衆紙(こっちで言えば夕刊フジ)やインディペンデントという新聞にも寄稿してはります。過去には2003年のイラク戦争に反対したり「世間受けしない意見を述べた結果、数年前に警察の保護を受けなけなくなった他、彼女はネット上で虐待やレイプ、殺害予告が殺到し、子供をレイプするという脅迫まで受けた」(保守系のテレグラフ紙報道)といった騒動になっています。

そんな人でも反対する、この法律。「フェミニスト達が、政府が女性の利益を考えていると思っているのなら、欺かれているのだ」(If feminists think that government has women’s interests at heart, they are deluded.)との下りは、特に重い問いかけです。洋の東西を問わず、国民の事を第一に考える議員や役人なぞおるもんですか。

※御賛同頂けるようであれば、拡散お願いします。後、読者登録も宜しければ。


AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(5) #AV新法の廃止を望みます



英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2014年12月5日の配信記事です。オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014に、そもそも科学的な根拠があるのかという内容です。

The UK pornography law: a scientific perspective(英国のポルノ法:科学的見地から)

今週、英国で或る種のオンライン・ポルノを制限する法律が導入され、物議を醸している。これらの規則に対する批判は多いが、一つの不満は、それらが論理的に意味をなさないという事である。では、この新しい法律とその根拠とされるものは、科学的な精査に耐えるものなのだろうか? 疑わしいと思われる。

Fri 5 Dec 2014 07.15 GMT

自覚する限り、私には奇妙な性癖はない。性生活について話す事はない。恐らく、誰かがDulux〔訳注:塗料ブランド)のカラーチャート、特に「クールなニュートラルカラー」のページの音読を聞くのと同じくらい楽しさだろう。

最近、Girl on the Netの本を拝読した。素晴らしいのだが、このような幅広い性行為の一人称の記録を読むと、ヘビーメタルのコンサートに来てしまった田舎の牧師のような気分になる事がままあった。

私は世間が刺激的だと思う事を全く問題視しないし、表向きそう言っている。だが、今の英国政府の考えは違うようだ。英国のポルノで見せられる多くのジャンルを制限する法案を導入したからだ。この規制は恣意的で憂慮すべき性差別であり、実行不可能で無駄であり、偏狭であり、ただ単に非論理的である、といった多くの批判が湧き上がっている。

これは公平なことなのだろうか?それとも、この規則とその論拠には、科学的なメリットがあるのか? 多くの側面があることは間違いないが、ここではより顕著な問題を列挙してみよう。

■死の危険性

ルールで禁止されているリストには、様々な正当性を想定した奇妙な代物だ。その内のの3つ(首絞めプレー、顔面騎乗、フィストファック)は「生命の危険」としてリストアップされています。世間知らずの人がこれらの行為を自ら行った場合、致命的な怪我をする可能性があるというのが根拠の模様だ。確かに、首を長く絞めれば死ぬし、拳で殴ればまれに致命傷になることもあると思われる。だが、顔面騎乗で死亡したという記録は見つからなかった。

どのような場合に起こるかはある程度想像が付くが、偶然には起こりにくいだろう。脳には、逃避反応や反射を誘発する窒息を検出するための特異的な化学センサーがある。それに、下にいる人が拘束されていないと起こりえないものと思われる。だが、新たな法律では身柄拘束もいけない事とされたので、心配する必要はない。

■水上スポーツ

禁止事項の中で、より議論を呼んでいるのが、女性の潮吹きである。女性の潮吹きは奇妙な物議を醸すテーマだが、科学はそれを否定しない。多くの人が、女性の潮吹きの禁止を、新しいルールの性差別的性質を明確に示すものとして挙げている(男性の射精や、それを吞む人の姿を見せるのは特に問題視されていないからだ)。一方、規則の施行に責任を負う英国映画分類委員会(British Board of Film Classification=BBFC) は、この禁止は、ポルノグラファーが主張する女性の潮吹きが、実際は排尿を映しているという事実を反映したものであるとしている。

セックスで排尿を見せる行為である隠語「ウォータースポーツ」は、英国のポルノでは長い間禁止されてきた。科学的というより、文化的なコンセンサスであるように思える。尿は無菌だから傷をきれいにするのに適しているという神話があるが、実際はそうではないので、人に排尿すると感染症になる可能性がある。しかし、これは人間が作り出すあらゆる液体について言える事だし、液体の多くはポルノで表現されているが、このように制限されてはいない。

興味深いことに、誰かに放尿することは他の文脈では問題になっていない。たとえば、メインストリームのヒット作『アメリカン・パイ2』には、主人公が放尿され、明らかにそれを楽しんでいる悪名高いシーンがあり、R15の指定がされている。しかし、もし主人公の両方、あるいはどちらかが裸だったら、これは禁止されていただろう。矛盾しているように思えるのだが・・・。

そういえば・・・

■整合性

BBFCは、新法は一連の行為を全面的に禁止しようとするものではなく(どのみち不可能だろうが)、単にオンデマンドのオンラインコンテンツを、DVDやその他の記録物の販売に適用されるルールと一致させようとするのが目的だとしている。一見公平に見えるが、ビデオやDVDを管理するルール自体が論理的で賢明であることを前提としている。それが証明されているとは言い難い。

例えば、多くの行為が「猥褻物出版法」に従って規制されている。この法律で禁じられているものは、BBFCでは許可されない。しかし、この法律が制定されたのは1959年だし、それから55年の間に性意識は多少なりとも進歩したと言って良いだろう。例えば、男性同士のホモセクシャル行為は、当事者の同意があったとしても違法だった。

この法律は、何が猥褻の基準が曖昧なのが気になる。Obscenity Lawyerというブログを書いているマイルズ・ジャックマンが、この辺りの法的側面と懸念について優れた要約を教示してくれる。許容される性行為のパラメータでさえ、多くの場合曖昧だ。例えば、「睾丸を伸ばす」のが許される一方、「睾丸を引っ張る」のは違法だ。この2つの違いは、私の知る限り、経験的な測定に基づいてはいない。だが、この調査に進んで協力してくれる人には公平に見てもらいたいと思う。主に強調されているのは、この規則が子どもたちを 「堕落」 から守ることを意図しているという事だ。これは正当か?

■子供達の事を考えよう

こうした制限を擁護する際に出てくるのは、子供達の保護に懸念が生じるという主張である。明らかに崇高な目的ではあるが、一方で特定の目的やイデオロギーをもつ人々に頻繁に利用され、操られて議論を妨害するものである。市民の自由に対する攻撃がテロリズムと戦うための試みとして偽装されるのと同じだ。

Ofcom自身、ハードコアなポルノに接した子供に悪影響が出るという明確な証拠は無いとする報告書を作成した。だが、そこでの証拠は決定的なものでは無い。主たる理由として、そのようなものを研究する際に提示される重大な制約(倫理的な承認を得ることはできないだろう)があると強調している事に注意せねばなるまい。

科学は、子供達が、良いものであれ悪いものであれ、見た事のある行動を真似る傾向があると示している。しかし、これは必然的・自動的な事では無い。仮に、暴力的なビデオゲームをすると暴力的になるという主張は、科学によれば、疑問の余地があるといった次元に過ぎない。従って、子供がより過激な性行為を見たから、必然的にその行為をしたくなると考えるのは、かなり論理が飛躍している。

仮にそうであったとしても、なぜポルノだけ槍玉に挙げられるのだろうか? ポルノにおける拷問シーンは、たとえ同意している大人同士のものであっても禁止されている。しかし、「24」でジャック・バウアーがそれをすれば、エンターテイメントとして受け入れられる。

子供たちがセックスについて学ぶのに何歳までが適切か、ほとんどのポルノに見られるような疑問のある描写はどうなのか、妥当な議論があるはずだ。一方、この規制が適用されるのは英国製の有料オンラインコンテンツだけだ。禁止されている行為を見たい人は、インターネットに接続できる環境であれば、今でも簡単に視聴可能だ。この規制で制限されそうなのは、クレジットカードとコンピュータを持ち、外国人を激しく嫌う裕福な子供たちだけだ。まるで英国独立党の若者のグループのようだ。

他にも考慮すべき点はたくさんあるが、全体として、主な批判に対する議論は、科学的な精査に耐えるものでない。これは、インターネットを1950年代の法律やモラルに適合させようとした結果であり、馬の最高速度に基づいた交通規制を導入するようなものだからかもしれない。

露骨な表現を楽しむ成熟した大人たちを否定する事無しに、子供達から効果的に遠ざける有効かつ実用的な解決策があるかもしれないが、これはそれとは違うだろう。

(文中敬称略)
拙訳終わり。潮吹き行為というのが、科学的考察の対象になるから本稿が世に出たのでしょう。記事で触れている整合性や実効性については、日本のAV新法でも深く考察すべきでしょう。

今回の記事を訳していて一番印象に残ったのは、猥褻物出版法の出発点となった道徳観が、今となっては古いのではないかという問題提起。古いのに、そこにわざわざ合わせてどうするのだという指摘は頷ける。そう、「わざわざ〜する」という行為が、この種の法制定に常に付きまとうというのが、英国の法律から学ぶべき教訓であり、日本のAV新法でも再度考察すべき要素だなと思えてなりません。

皆様は如何お考えでしょうか。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(4) #AV新法の廃止を望みます



英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2014年12月12日の配信記事です。オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014への抗議活動を報じた内容です。

顔面騎乗


Face-sitting protest outside parliament against new porn rules(ポルノ新規制に反対し、国会前で顔面騎乗の抗議行動)

Sex workers and campaigners gather to demonstrate opposition to changes to UK pornography regulations(セックスワーカーと運動家が集まり、英国のポルノ規制の変更に反対するデモを展開)

Press Association
Fri 12 Dec 2014 14.26 GMT

セックスワーカーと運動家が、英国のポルノ規制の変更に抗議するべく、国会前に集まった。

主催者のシャーロット・ローズは、規制を「馬鹿馬鹿しい」(“ludicrous”)とし、表現の自由を脅かすものだと述べた。

抗議者たちによると、禁止された行為のリストには「顔面騎乗」が含まれており、運動者たちはモンティ・パイソンの歌『Sit On My Face』を歌いながら、集団デモを行うことを計画したという。

シャーロット・ローズは、「顔面騎乗は、国民に知らされることなく、リストに加えられた」(“These activities were added to this list without the public being made aware,”)と語った。「一般に知られることなく、一般人の同意もなく、これを行ったのだ」(“They’ve done this without public knowledge and without public consent.)。

「リストには性差別とみなされる活動もあるが、それだけでなく、検閲が問題なのだ。政府がやっていることは、我々の個人的な自由を、我々の同意抜きで奪っているのだ」(“There are activities on that list that may be deemed sexist, but it’s not just about sexism, it’s about censorship. What the government is doing is taking our personal liberties away without our permissions.”)。

この抗議は、政府が「有害な」コンテンツを取り締まるために、英国で撮影されたオンラインポルノ・ビデオからの性行為のリストを禁止したと発表した後に行われた。

静かなる法改正により、有料オンライン・ポルノ・ビデオは、風俗店タイプのビデオ用に制作されたコンテンツと同じルールに従わなければならなくなった。

これは、英国映画分類委員会(BBFC)が定めたガイドラインに沿ってR18に分類されないような行為が禁止されることを意味する。

約10の行為のリストは、スパンキングから首絞めプレーまでと伝えられている。

この変更は、オンライン視聴者が海外で撮影されたビデオを見ることで、英国で禁止されているコンテンツにアクセス可能なため、国内のポルノ産業に損害を与えるだけでなく、「恣意的な検閲」に相当すると反対者は言う。

オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014は今月から施行された。

プロのSMクラブの女王であり、フェティッシュ・プロモーターであるアブソリュート嬢(39歳)は、この法律は制限的であると述べた。

「これは、私の性的自由と性的嗜好に忍び寄る何かの始まりだと感じた」(“I felt that this was the beginning of something to creep into my sexual freedom and sexual preferences.)。

「他の法律が忍び込む上での入り口だ」(“This is a gateway to other laws being snuck in.”)。

彼女の友人で熟年学生のニール・ラシュトン(33歳)は言う。「非常に性差別的な法律だ。男性とは対照的に、女性の楽しみに関する行為に的を絞っている」(“They’re very sexist laws. These are very geared towards women’s enjoyment as opposed to men’s.”)と述べた。

二人は今日の午後、集団顔面騎乗に参加する予定だ。

Bish UKというウェブサイトを運営する性教育者のジャスティン・ハンコックは、次のように語っている。「これらのウェブサイトをブロックするのと同じフィルターが私のウェブサイトをブロックする事が良く起きており、私はポルノ業界と同じような検閲問題に悩まされている」(“Often the same filters that block these websites block my website, so I suffer from the same kind of censorship issues that the porn industry does.)。

「この特別な規制では、ある人が他の場所では見る事のできないポルノの視聴は防げない」(“This particular regulation will not prevent one person from seeing any porn that they can’t already see elsewhere anyway.)

「セックスと若者をめぐる議論は、もっともらしい装いをするものだが」(“Them using the argument around sex and young people is completely specious.)。

「それが諭すという形になってしまっている。社会として、どんなセックスが許されるかと言う話になっているのだ」。

ハンコックはまた、「国家はインターネットを支配しようとしている」(“state is trying to take control of the internet”.)と警告した。

猥褻事案を扱う弁護士のマイルズ・ジャックマン、セックス・アンド・センサーシップ (Sex and Censorship) のジェリー・バーネット、同意する大人行動ネットワーク (Consenting Adult Action Network) のジェイン・フェイらが抗議集会でスピーチを行った。

フェイはこの変更を 「異種標準」 と呼び、 「制限されるのは、同意した大人が作成したあらゆる種類のオンラインコンテンツだ」(“What is being clamped down on is any kind of online content made by adults who are consenting.)としている。

「これは巨大企業の独占を意味する」(“This is entrenching big business.”) 。

デモの参加者たちはシュプレヒコールをあげた。「何が望みだ? 正座! 何時が良いかって。今だ!」(“What do we want? Face-sitting! When do we want it? Now!”)

拘束マスクをした参加者は、マットと毛布を使って正座をした。

(文中敬称略)

拙訳終わり。そうか、検閲に繋がる話でもあるのか。そこは気づかなかったな。この法律の意味する危険性は、日本のAV新法にも通じる。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(3) #AV新法の廃止を望みます



英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2014年12月5日付けの配信記事です。オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014(Audiovisial Media Services Regulations 2014)というポルノ規制法への抗議と、その理由について報じています。
Bound and gagged: the women urging a repeal of the porn laws(縛られ、猿轡を噛まされる:ポルノ法の撤廃を求める女たち)

Online regulators can accept untold degradations as long as they happen to women(オンライン規制当局は、女性に起こりうる限りの、数え切れないほどの卑劣な行為を容認する)


Zoe Williams
@zoesqwilliams
Fri 5 Dec 2014 23.04 GMT

「この規則による適合性とは、ポルノの最悪のモデルへのものだ。特にフェミニストやフェティッシュポルノに関連する行為を標的とし、禁止している」(“The conformity that it’s imposing is to the worst model of porn. It specifically targets and bans acts that are associated with feminist and fetish porn.”) パンドラ・ブレイクは、ウエルシュ・レアビットと卵を食べながら、新しいポルノ法について説明してくれた。テレビオンデマンド機構(The Authority for Television On Demand=ATVOD)を通じて、オンラインのポルノ製作者を規制する新しい方法で、DVDのポルノに関する規則に従わなければならないという。

独立系ポルノスタジオはDVDを制作しない。この種の放送に関する規制が非常に厳しく、説明責任が無い委員会によって考案され、こと女性に対する限り、数え切れないほどの下劣な行為に対処可能にしたからだ。ハードコアのメインストリームでお馴染みのものであれば許容されるが、誰もやったことがないようなものであれば、恐らく禁じ手となる。

ブレイクに初めてインタビューしたのは1年前、彼女が作る倫理ポルノについて研究していた頃である。同じように一生懸命考えた人に出会う事はあっても、彼女ほどセクシュアリティとその表現について考えていた人には出会えないと思う。その後、彼女の撮影した作品は、ほぼ自身のウェブサイト「Dreams of Spanking」だけだったが、最近では、同僚で「キンクスター」のニムエ・アレンと共に、ハードコア・フェミニスト・ポルノに多様化している。「撮影を計画している時も、撮影中も違法では無かった。なのに、帰ってきたら違法となっていた」(“When we were booking the shoot, it wasn’t illegal, when we were shooting it, it wasn’t illegal and then when we got back, it was illegal.”)

SMクラブの女王様であるイツィコ・ウルティアは「私が最もショックを受けているのは、」(“The thing that shocks me most,”)「これが立法化された事だ。禁止された性的行為のリストは、それが現在のコンセンサスであるように、あなたがそれらを、まだ少女たちを恐れている男子学生によって書かれた、女性の性に対する女性嫌悪のビジョンとして読みでもしない限り、全く意味をなさない。混沌とした悪魔のような女性の性的エネルギーは、完全なる抑圧の対象なのだ!」(“is that this is legislation at all. The list of sexual activities banned make no sense at all, unless, as it’s the current consensus, you read them as a misogynistic vision of female sexuality, written by school boys who are still scared of the girls. The chaotic, demonic female sexual energy must be suppressed at all costs!”)。

実際、禁止リストはこんな感じだ。:気道を塞ぐように見える女性へのオーラルセックス;​男性の気道を塞ぐオーラルセックスの行為は構わない;​女性の潮吹きは、誰かがそれを尿と間違える事がないように禁止されている。​男性の射精は問題無い。​「女性の性欲や行為があっても、それは許されないのだ」(“Where you’ve got female sexual desire or agency, that’s disallowed,”)とパンドラは語る。​「だから、実質的にEUの平等に関する法律に違反していると思う」(“So I think it’s actually in contravention of EU equalities legislation.”)。​女性支配のポルノ作家が、英国映画分類委員会をストラスブールの裁判所に提訴した事以上に喜ばしい法的挑戦は、ほとんど思いつかない。​ナイジェル・ファラージ(訳注:英国独立党)の顔を想像するだけでさえ、私を喜ばせる。

両腕、両足、猿ぐつわなど、特定の量の緊縛が禁止されているのは、どうやら同意が得られなくなってしまうからだ。誤解しないでほしいのだが、私はBDSMについてあまり詳しくないものの、両腕、両足、そして無防備な口を使わなくても、同意を示す方法があるということは十分に知っている。

Girl on the Netというブロガー兼ポルノ作家が、ロンドン東部のショーディッチにあるカフェで私に会い、ATVODについてかなり辛抱強く語ってくれた。「『安全にやれるけど、見るのは嫌な事もある』 というこの原則を受け入れると、何時もこのような断絶を経験する。...適度で合意の上でない限り、特定のタイプの尻たたきをすることができないという奇妙な事になってしまう。そして、そうした奇妙な事は1つでは無い。さて、誰が中庸を決めるのか? 私は変態なので、こういうことを決めるのは私だといつも教えられてきた。第三者が私の同意に口を出すことはできない」(“Whenever you take this principle of ‘some things are safe to do but disgusting to see’ you’re always going to get this disconnect … one of the weird things in there is that you can’t have a particular type of spanking unless it is moderate and consensual. Well, who decides what’s moderate? As a kinky person, I’ve always been taught, the person who decides these things is me. A third party can’t tell me what I consent to.”)。

私は一連の規則を読んだ事が無いが、法的支援の変更でさえも、適用される人々と原則について議論することを甚だしく省略している。ATVODから連絡を受け、登録申請を求められた場合にのみ適用されるという流れだ。仮に皆さんが拒否するなら,彼らは閉め出すし、従うなら、彼らの定めに從わなければならないのだ。

ATVODの権力は、主に子どもに害を与える物質を指す悪名高い第11条で正当化される。内部整合性が無いのだ;ニッチ・ポルノにはお金を払わなければならないので、子供がアクセスするのは最も難しい。

「彼らは同じジャンルのサイトを30から40も取り込んでいる。これまで標的にされてきたのがゲイサイトやフェミニズムであるというのは非常に興味深い。女性サブグループを持つBDSMサイトは標的にされていない」(“They’ll grab 30 or 40 sites of the same genres, so it’s very interesting that so far the ones that have been targeted have been gay sites and fem-dom. No BDSM sites with female subs have been targeted because that’s apparently fine,” )とパンドラは言う。彼女自身のサイトは今のところ向こうに注目されていない。

しかし、通告を拒否した人もいる。ウルティアだ。Ofcom(訳注:英国の総務省に相当)に訴え、勝利しました。​「抗議しなかった小さなスタジオは閉鎖された。私は独身で、子供はいない。名前が出たとしても構わない。私の家族は外国にいる。一方で、私のような女性には家族がいます。多くの人がその料金を支払うと決め、自分達がこの法律の下に従属していると気づく。これからは潮吹き法として知られるようになるだろう」(“Smaller studios who didn’t challenge it were shut down. I am single, I don’t have children, I don’t care if my name is attached to this. My family is in another country. But women like me, we have families. Many decided to pay the fee, and they find themselves under this law. It’s going to be known as the female ejaculation law from now on.”)。

(文中敬称略)

拙訳終わり。非情に重たいトーンの記事ですね。実際に閉鎖に追い込まれたプロダクションがあったとは・・・。フェラ駄目、潮吹き駄目というのは、表現の自由だけでなく、商品としての魅力を大幅に低下させますよね。しかも、女だけ駄目ってのは整合性も欠く。

これ、AV新法が成立した後の日本の業界の先行例では無いのか。皆様、如何お考えでしょうか。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(2) #AV新法の廃止を望みます

 

昨日に引き続き、英国の左派系メディア「ガーディアン」のアーカイブから見つけ出した「倫理ポルノ」に関する記事。2015年10月1日付けの配信記事です。前回紹介した記事に出て来た番組のレビューですね。

Can Porn Be Ethical? review – a refreshing debate with no groaning sound effects(『ポルノは倫理的でありうるか』番組評論〜 うめき声抜きの爽やかな議論)

Can fruit salads on set and buck’s fizz and salmon for breakfast make up for gruelling 12-hour shoots?(撮影現場で出されるフルーツサラダ、朝食のバックス・フィズとサーモンは、12時間の過酷な撮影を補えるのか?)

Thu 1 Oct 2015 16.59 BST

倫理的ポルノは有り得るのか? 30分では答えられない質問だ。ニッキ・ホジソンのディベートでは、誰もトップに立てないが、価値のあるものです。今週、ラジオ4は、ホジソンのドキュメンタリー番組『ポルノは倫理的たりうるか?  唸るような効果音や「ボーチカ・ワウワウ」(訳注:ポルノ映画やストリッパーが使うBGM)を伴わない性産業についての番組を聴くのは新鮮だ。しかし、そんな事を言っている暇はない。ホジソンは、多様で傾聴すべき異なる意見を取りあげたからだ。

ホジソンは早い段階から、かつてSMクラブの女王様としてアルバイトをしていた事を明かしつつ、これはポルノ業界における倫理観についての議論であって、ポルノの存在の是非についての議論では無いのだと語っていた。業界の運営方法について、「厳格なルール」があるべきなのだろうか(記事の後段を読んで訝しんではいけない)。

業界を代弁する人々は、ソフト・ボイスのゲイ・ポルノ・スターであるJPデュボアを含め、素敵で良識ある人物に見える。また、現実的な態度を取るAV女優でコメディアンのジェシカ・ジェンセンは、保険の仕事を捨ててDaily Sportのコンテストに応募し、大ブレイクした過去がある。ジェンセンの最大の関心事は、出演依頼では無く、12時間の撮影で食事が提供されないことだ。ジェンセンは、ポルノは女性にとって良い場所だと考えている。「お金もいいしね」(“The money’s good,”)。「買うのは男なんで、女の立場は強い」(“I guess technically the women are powerful because the men are buying the stuff.”)

フェミニストのポルノグラファー、ペトラ・ジョイは、撮影現場にフルーツサラダを持ち込み、バックス・フィズとスモークサーモンの朝食を提供し、出演者たちが交代でお互いを支配するのを楽しみにしている。倫理的なポルノについては楽観的な見方だ。一方、ゲイル・ダインズ博士は、そんなものはないと考えている。「倫理的なポルノを作ると言っている人たちがいくら主張しても、気にも留めない。結局はカネだ」(“I don’t care how much these people argue who say they make ethical porn. It is always about profit,”)と彼女は主張する。「カネじゃないというのなら、無料でやれば良いだろうが」(“If it’s not, do it for free.”)。

ホジソンは、ジュリー・ビンデルが、ポルノは「人間の穴という穴を商売にしている」(“commercialising orifices”)しているなどと主張すると、満足げに応える。ポルノグラファーのヴェックス・アシュレーは、女性器をバレエダンサーの足にたとえて、自分の立場を守ろうとした。

当然ではあるが、中道的意見は存在しない。しかし、同一賃金、健康診断、妥当な労働時間などの可能性を討論するのは価値があるだろう。

(文中敬称略)

拙訳終わり。番組を聞き逃した人向けの「まとめ」ですね。色んな意見が飛び交うのは当然でしょうし、まずは長短を問わず、このガーディアンで紹介されている記事の全てを時系列に従いながら紹介し、皆さんに考えて貰いたいという姿勢をワタクシメは取りたい。

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英国ではオーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014(Audiovisial Media Services Regulations 2014)という法律でポルノでのスパンキング行為などが禁止に  #AV新法の廃止を望みます




さきほどの「AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(1) #AV新法の廃止を望みます」という記事の中で、英国でポルノに於けるスパンキング行為などが法律で禁じられているという下りがあったのを御記憶かと。気になって仕方無いので(苦笑)調べて見たところ、デイリー・ミラーというタブロイド紙が詳しく報じていました(2014年12月2日)。

以下、拙訳。


Spanking BANNED from porn under new government law - what else isn't allowed?(新法律でスパンキングがポルノで禁止に - 他に許されないものは?)
Spanking, being tied up and female ejaculation are now all banned from internet porn under a new law. Sex workers aren't best pleased(スパンキング、緊縛、女性の潮吹きなどが、新しい法律によりインターネットポルノ上で禁止された。風俗嬢は大喜びである)

ByHelena Horton
Alex Hudson

    13:40, 2 Dec 2014Updated15:39, 2 Dec 201

昨日、新しい規制が出来て、政府がインターネット上のどのポルノが安全か危険かを決めている事に対し、セックスワーカーは怒っている。

最も一般的な性的ファンタジーの多くは、現在、ビデオオンデマンドポルノ、つまり、インターネットに転がっているそれや、オンラインでお金を払うポルノ(または無料で視聴可能)上で禁止されたのである。

政府が、皆さんが見る事を許されるポルノを決めているのだ。

オーディオビジュアル・メディア・サービシズ規則2014(Audiovisial Media Services Regulations 2014)は、DVDや映画、テレビ番組を規制するのと同じ基準で、英国で作られたポルノを規制するようになった。18禁の映画で上映されないようなものは、ポルノでも許されないようにしたのだ。

つまり、政府が「危険」と判断した行為をカメラで撮影するのは、「テレビ的」と解釈される可能性があるポルノでは禁止されているのだ。

何が禁止されているのか?

実はかなりランダムである。排尿は性的な文脈では禁止されていりが、政府は女性の潮吹きを排尿とみなしているようだ! つまり、女性の射精を撮影したポルノはすべて排尿とみなされ、潮吹きを扱ったポルノが禁止される事になる。

そして、かなり主流のファンタジーや性行為が、スクリーン上で禁止された。

我々は英国映画分類委員会(British Board of Film Classification=BBFC)に、何が禁止されるのか、どの時点で禁止されるのか、なぜ禁止されるのかを正確に明らかにするよう要請した。その回答を待ちたい。
  •  緊縛 - 縛られることは禁止された。猿ぐつわも同様。女性の52.1%、つまり半数以上が妄想した事がある(46.2%)。英国ではもうこのポルノを買うことはできない。男性の59.6%、女性の46.7%が、誰かを支配することを妄想した事がある
  • スパンキング、打撃、鞭打ち - 女性の23%、男性の39.6%、そしてなんと読者の53%が性的快楽のためにスパンキングや鞭打ちをされる事に興味を持っている
それほど危険ではない事は、以下の通りである...
  • セックス中の罵詈雑言が禁止される - ベッドでの罵詈雑言は今後一切禁止。AVは本当に礼儀正しいものばかりになりそうで、残念だ。何が 「乱暴な言葉遣い」にあたるのか?BBFCに、セックス中に誰かを「チンカス」と呼ぶことは禁止されるのかを訊ねたところである
  •  顔面騎乗 - これがどのような悪い方向性を持つかは分からなくも無いが、本当に禁止されるべきなのか?セックス中に顔に座らされて死んだ人はいるのか?
  • フィスティング(ただしすべての指の関節を挿入した場合のみ)確かに、小さな手の指の関節をすべて使うのは、大きな手の指の関節の一部を使うよりも良い事だと
■誰が影響を受けるのか?

少なくとも、メインストリームのポルノ業界には大きな影響は無いだろう。英国に拠点を置いていないプロバイダーやサーバーからのポルノも英国で利用できるため、皆さんが見るポルノには余り影響が無いだろう。また、主流のポルノの多くは、これらの禁止された行為を、そもそも余りやらない。

一方、独立系やBDSMポルノのプロバイダーには影響が出る。当然、この変更に腹を立てている。そして、人身売買や俳優への不払いなどの問題を抱える主流のポルノ業界が、愛情あるカップルがBDSMポルノを制作・販売するよりも有害であることは議論の余地がない。

私は、BDSMを専門とするセックスワーカーに話を聞いた。彼女の作品名は「subSinead」。

彼女は、女性の潮吹き禁止ルールは性差別だと考えている。

「何で男性がイクのを見せるのはOKで、女性のオーガズムはダメなのか?男性(自慰ライブを見るにはクレジット/デビットカードが必要なので成人男性でなければならない)が女性のオーガズムを見たら世界は崩壊するのか?」("Why is it OK to show men coming but not the female orgasm? Is the world going to fall apart because men (and they have to be adult  men since you  need a credit/debit card to watch a cam show) see a woman orgasm?")。

「政府は現在、ポルノを見るのは良いが、女性がそれを楽しみすぎて、短時間でオーガズムを感じるようであればダメだと言っているのだ。彼らは何を望んでいるのか、座して我々は英国の事を考えなければならないのか?」("The government are now saying it is ok to watch porn but not if the woman enjoys it too much, not if she orgasms more than briefly. What do they want, us to lie back and think of England?!")

また、彼女は張り形の大きさに関する法律も馬鹿げていると考えている(セックスワーカーであれば、映画で『危険物』を使って貫かれる行為は許されなくなったのだ)。

「撮影に使って良い張り形の大きさの規定があるんだ。どの大臣が担当するのだろう、私の性具を測って、キャメロン(訳注;当時の英国の首相)が認めたものを教えてくれるのだろうか? 審議した閣僚会議の傍聴をしたいくらいだ」("There are now rules on how big a sex toy i can use on cam. Which minister is in charge of that, are they going to come round and measure my sex toys and tell me which ones Cameron approves of? I would love to be a fly on the wall at that cabinet meeting.")

要するに、大人がBDSMポルノを売買するのは、合意の上であり、全体として害はない、という事だ。彼女はこう結論づける。

「私がしていることは、合意の上の、大人同士のもので、誰も傷つけない。それを問題視するという事が、政府のセックスに対する姿勢の全てを物語っている」("What I do is consensual, between adults and harms no one, the fact the government sees a problem with that says all you need to know about their attitude to sex.")

■この法律は誰を守っているのか?

表向きは子供たち。しかし、これはネットでお金を払って買うポルノに限った話だ。もし母親が自分の子供にクレジットカードを渡して、ハードコアなBDSMポルノを買わせているとしたら、それは母親の問題であって、ポルノ業界の問題ではない。

また、「芸術だから」という鉄壁の防御もある。

1959年のわいせつ出版物法では、「科学、芸術、文学、学問、その他一般的な関心事の利益になるという理由で、出版が公共の利益のためであると正当化される場合、犯罪は成立しない」と規定されている。ただ、きれいに見せれば良いという訳だ。

また、「有害または危険なコンテンツの閲覧から公衆を保護する」のだそうだが、ソウの映画(訳注:スプラッタ映画)には、女性が潮吹きするビデオよりも危険なコンテンツが含まれている事を指摘したい。

subSineadは、政府は時間を浪費しており、もっと重要な問題に目を向けるべきだと考えている。

「多くの自慰行為を演じる女優は、国会議員が児童虐待を断固たる姿勢で無視している事を調査している中で、政府がこの問題に時間を浪費している事に非常に怒っています。実際、我々の多くは、これは本当の問題から目をそらすための方法であり、高い所にいる友人が降りている間に自分たちが何かしている振りをしているのだと考えている」("Many cam girls are very angry that while we have inquiries into MPs ignoring child abuse at the highest level, the government is wasting time on this. In fact at lot of us think it is a way of distracting from the real issue, a way to show they are doing something while their friends in high places get off.")

皆さんはどう思うか?

拙訳終わり。

東にも西にもアホな法律こさえて悦にいるセンセイ方がおるんですねー。Audiovisial Media Services Regulations 2014については、明日にでも調べて見ます。今から仕事なもんで。

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AV新法の対案になりそうな英国で提唱されている「倫理ポルノ」の過去記事検索(1) #AV新法の廃止を望みます



昨日はアーカイブ記事(世情騒然状態の「AV禁止法案」。海外では「倫理ポルノ」「フェア・トレード・ポルノ」「フェミニスト・ポルノ」というのがありまして、ここらが落としどころかな(その2) #AV新法)がヒットして久々の300人超えとなりました。同時に、AV業界の方々の困惑と不安を知る事となりました。

折角なので、同種の問題に早くから触れていた英国のガーディアンの過去記事を逐次見ていきましょう。この新聞は左派系で、日本で言えば朝日か毎日といった感じの新聞です。上記の記事も、ガーディアンのそれです。

という訳で、最初はこれ。ちょっと長めの番組紹介で、倫理ポルノが取りあげられています。2015年10月24日の配信記事です。



The week in radio: Can Porn Be Ethical?; The Report: The ‘Pink Pill’ – the Female Viagra?; You Must Remember This(今週のラジオ ポルノは倫理的で有り得る?「ピンク・ピル」–女性用バイアグラ?;これ覚えておいて

Should the porn industry give out kitemarks for quality? Plus an unsexy voyage around female sexual desire…(ポルノ業界はカイトマーク〜英国規格協会の認証を受けていることを示すマーク、日本のJIS規格に相当=を発行すべきか? さらに、女性の性欲をめぐるセクシーでない航海とは...)

Sat 24 Oct 2015 06.59 BST

セックスが売り物であり、いたずら好きなラジオ4は、今週は目一杯の時間を費やして、我々の寝室に入り込もうとしている(自然史のヒーローについても75分間放送している。御存知だろうが、刺激を催す者には貪欲なのだ)。月曜の夜、ニッキ・ホジソンはポルノに取り組んだ。幸いなことに、ジャッキー・スミスの古典的な『5Live』のドキュメンタリーのように、「何なのこれは!」という感じでは無い。スミスは実際にポルノを見たことがないことを認めたのだ。旦那はポルノ映画の費用を請求してくるし、内務大臣というポルノに関する法律を制定しなければならない仕事に就いていたにもかかわらず、である。いやいや、ホジソンは元々上から目線の働きぶりだし、ポルノを見るのも好きだ。ジャッキー・スミスのようなタイプではない。

そうは言っても、ポルノ番組そのものとは対照的に、実際に視聴者と視聴者の間を行き来する事はあまりなかった。まぁそんなもんだろうさ。代わりに、「ポルノは倫理的たりうるか?」とぶち上げた。学者や運動家、倫理ポルノと呼ばれるものを作ろうとしている人など、様々な専門家から話を聞いて回ったのだ。その結果、倫理的なポルノは少し厄介な話である事が分かった。ホジソンがインタビューした人たちによると、実際には存在しないか、合意によって定義されているか、あるいは存在してはいるものの、非常にニッチで、遙かに厄介な商業ポルノ業界には何の変化ももたらさないという。私はある点では他の方々全員と意見が一致した。

このような議論は興味深いものではあるが、まず絶対と言って良いほど、学問的なものになる。そして、高邁なコンセプトは、実際に生きている人達の生活を封じ込めるのに苦労する(美術家からポルノ作家に転身した人が、ポルノ俳優としての仕事とバレリーナとしての仕事を並列に扱おうとすると、フェミニスト運動家のジュリー・ビンデルは『我々はヴァギナと足と同じ関係にしていない!』と叫んだ)。ホジソンは、ポルノ業界に適切な規制は無いものかと考えた。例えば、品質を示すカイトトマークのようなものが考えられる。昨年、政府は、ポルノ映画では「過度な」鞭打ちやスパンキング、緊縛を映してはいけないという法律を可決していた。また、女性の射精も禁止されている。主流の映画におけるセックスと、良くあるポルノ映画で男性の射精が何回描かれているかを参考にしながら、議論して貰いたい。

まだ興奮してない? 心配しないで。そのための薬があるのだから... 木曜日の夜のThe Reportで、メラニー・アボットが女性用バイアグラの進化について論じました。メラニーは、女性の性欲を高める薬の特許を持つ製薬会社スプラウトの女性代表を厳しく追及し、非常にBBC的なアプローチを執った。この薬、フリバンセリンは、当初、アメリカ食品医薬品局から認可が下りなかったため、キャンペーンが展開されました。このキャンペーンは、少なくとも部分的にスプラウト社の資金提供を受けているのではないかという疑問も持たれていた。

この番組もあまりセクシーではなかった。その代わり、健康と安全、薬の副作用、巨額の医薬品費、家父長制度が問題として取りあげた。アメリカには男性の性欲減退に対処する26種類の合法的な薬があるとの事だが、一方で、女性用のは存在しない。しかも、この26種類の薬は性欲の喪失では無く、性機能の喪失に対処している事や、女性の膣の乾燥などの身体症状に効果のある薬があるのを知った(ちゃんと読んでますか?)。報告書は、ある専門家がフリバンセリンは合法であるべきだが、 「ほとんど誰も使用すべきではない」 との言葉で締めくくっている。研究によると、平均的な女性が1カ月にもう1回 「性的な出来事」 を経験するほど、女性の欲望を増大させるという。毎月もう1回!エクスタシーが復活しているのも不思議では無いのだ。

このセクシーな話があなたの気をそらしているなら、むべなるかな! 「ハリウッド1世紀」の秘密の歴史を驚くほど詳しく掘り下げたポッドキャスト、カリーナ・ロングワースによる「これ知っておいて」で落ち着いてみてはどうだろう。例えば、チャールズ・マンソンの 「ハリウッド」 シリーズには50分のエピソードが12回も放送されている。驚くほど徹底した内容だ。そして言うまでも無いが、セックス―セックスをしない、やりすぎ、不適切な相手とセックスする―という問題は、何時もこうした歴史の中に折り込まれる。嘘をつく必要があると思うのだが...

(文中敬称略)
拙訳終わり。必ずしも肯定していませんし、むしろ定義がハッキリしていない事を疑問視しているのが分かります。本稿では、こうした否定意見も込みで紹介していきます。

それにしても、日本では挿入禁止とか法案段階で言い出して、「何をアホな」と思ったものですが、英国は英国で過度なスパンキングや緊縛が法律で禁止されていたとは・・・。向こうの葵マリーさんや明智伝鬼さん、お困りやろなー。この当たりの英国のAV業界関係者の反応とかが分かったら、また紹介していきます。

ちなみに、ラジオ4とはBBCの局。日本で言えば、NHKラジオがラジオ深夜便の代わりに、こんな話を真夜中にぶち込んできているんですね(汗)。す、凄い国だな英国って(脂汗)。

※御賛同頂けるようであれば拡散お願いします。後、読者登録も。




#歴史 #新聞 ロサンゼルス・タイムズ、旧社屋跡の出土を特集。「昔、爆弾テロに遭った事がありまして」とシレッと告白し、世間が大仰天?

老舗企業ともなれば、山有り谷有りな歴史があるもの。これも、その1つと言えましょうか。

ロサンゼルス市の再開発工事に伴い、先週末にロサンゼルス・タイムズの前の前の社屋跡地が出土しました。

週末で、ロサンゼルスの歴史に詳しい市職員が捕まらなかった事もあって、同紙自身が結構詳しい特集記事を作成。その中でですね、

「この旧々社屋、100年ほど昔に爆弾テロに遭いまして。結構な人が死んだんです」とシレッと告白して、世間が大仰天してるんですわ。

いや、仰天してるのはワタクシメだけかもしれんけど(汗)。続きを読む

ノーボスチ通信が、またガガーリン特集

小ネタです。ロシアのノーボスチ通信が、またガガーリンの写真特集をしていますね。

まぁ、ソ連という陰惨極まり無い国家体制の中で、本当に数少ないセールス・ポイントだったのがガガーリンでしたものね。

私生活にスポットを置いた特集でして、見ると魚釣りやハンティングが趣味だった事が分かります。また、8ミリでの撮影を楽しんでいる様子を収めた写真もありました。ち宇宙飛行士になるぐらいですから、メカに強かったのでしょうね。

1934年生まれですんで、生きていたら今年で80歳。TwitterとかiPhoneとかにハマっていそうな気がしてしまいました。

#新聞 50年前のアラスカ地震で、当時の新聞の対応を紹介した記事が

50年前の1964年3月28日に、アラスカで大きな地震が発生しています(アラスカ地震として、ウィキペディアの日本語版でも紹介されています)。

当時ライバルだった2つの地元紙が、呉越同舟とばかりに合同で新聞を発行していたのだそうです。

newsminer.comが報じています(2014年3月26日午後6時投稿。同日午後6時24分更新)続きを読む

第一次世界大戦100周年を記念し、ウェールズでデジタル・アーカイブ化が

最近、BUSHOO!JAPANというサイトで歴史物の記事を書いている関係で、そういう方面の記事を読むようになったのですが、ちょっと面白い試みを見つけました。

来年は第一次世界大戦100周年に当たりますが、英国のウェールズで関連するデジタル・アーカイブ化が進んでいるのだそうです。

BBCが報じています(2013年11月28日午前7時26分投稿)。続きを読む

#新聞 昨日に続き、ケネディ特集:当時のニュージャージー近辺の1面

昨日に続き、ケネディ特集です。当時のニュージャージー州近辺で発行されていた新聞(ニューヨーク・タイムズ含む)が、どのような1面にしていたかを回顧しています。

nj.comが報じています(2013年11月22日午前6時50分投稿。11月22日午前10時45分更新)。
続きを読む

#新聞 ケネディ大統領暗殺50周年で、全米各紙が特集

22日(現地時間)でケネディ大統領暗殺50周年ということもあって、全米の新聞が様々な特集を組んでいますね。続きを読む

お知らせ:「オールズ」という欄を新設しました

お知らせです。オールズという欄を新設しました。

メディアが過去の歴史上の大事件や出来事をどのように報じていたか、また、当時のデータを再紹介している企画などを紹介していく積もりです。

これに伴い、過去のデータの幾つかを移動させましたので、後でまたご覧下さい。

ノーボスチ通信が、クルスク戦70周年の写真特集をしてますね

小ネタです。ノーボスチ通信が、クルスク戦の写真特集をしてますね。今年70周年だからなのでしょう。

2枚目の写真の説明文によると、戦いは6月5日に始まり、8月23日まで続いたとあります。ソ連にとって第二次世界大戦に於ける主要な戦いの1つであり、赤軍の突破口となったと書かれています。

そうか、現地時間で本日が終わりの日となる訳か。だから紹介しているのですね。

また、3枚目の写真の説明文によると、参加した兵の数は双方合わせて400万人超(多分これ、延べ人数なんでしょうね)。1万3000両の戦車と1万2000機の飛行機が動員されたともあります。

ちなみに、写真は14枚。もうちょっと紹介してくれても良いのではと思ってしまいますが…思わず見入ってしまいますね。

日本でも、こういう特集は可能だろうに。

小ネタです。ナチス占領下のポーランドのカラー写真をライフ誌が紹介していたのですね

ここんところ、小ネタばっかりやなぁ。しかも、歴史発掘系ばっかりで、ワンパターンかも(苦笑)。

でも史料性は高いですよ。あのライフが、ナチス占領下のポーランドをカラーフィルムで撮影した写真を紹介しているのですから。当時の様子が窺える貴重な写真と言えましょう。続きを読む

小ネタです。ノーボスチ通信がガガーリンの写真特集を

小ネタです。ロシアのノーボスチ通信が、世界初の宇宙飛行士となった、ユーリー・ガガーリンの写真特集をしています。

こないだのはアメリカ側から見た特集でしたが、ロシアもロシアでスポットを当てていた訳ですね。

8枚目の写真を見ると、偉業を称えて世界中から手紙が来たので、家族総出で読んでいるとあります。次の写真の説明には「色んな意味でガガーリンの家族の生活はソ連の他の家とは違っていた」と書かれています。それなりに厚遇されていたのでしょうね。

最後の写真は、事故死後と思われるご遺族の様子。娘さん2人を遺しての無念の死だったのでしょうね。この方々、今どこでどうしてるんでしょうか。

温故知新。ガガーリンの宇宙初飛行を、当時のアメリカの新聞社はこんな風に報じていたのでした #新聞

これまた小ネタです。アメリカのジャーナリズム分析サイトとして知られるコロムビア・ジャーナリズム・レビューが、ユーリー・ガガーリンの人類初の宇宙飛行について当時のアメリカの新聞がどのように報じていたかを特集しています(2013年4月12日午前6時49分投稿)。続きを読む

スターリングラード戦報道番外編。第三国の特集やいかに?(2) #スターリングラード

さて番外編その2。流石に疲れてきた(苦笑)。

ロイター通信は、今回の戦勝記念式典をプーチン大統領が愛国的基盤を作るのに利用しようとしていると報じています(2013年2月1日午後5時29分投稿)。続きを読む

スターリングラード戦報道番外編。第三国の特集やいかに?(1)#スターリングラード

さて、スターリングラード戦報道の番外編。独露両国以外では、どんな風に報じているのでしょうか?

ワシントン・ポストは写真特集を組んでいます。続きを読む

スターリングラード戦70周年で、独露両国メディアが特集(4) #第二次世界大戦 #スターリングラード

小ネタです。ノーボスチでは、生き残った兵士へのインタビューをしてますね。

まだ生きておられる方々がいたとは、少し驚き。長生きなさって、後世に歴史を伝えて頂きたいものです。

…それと、これも少し驚いたのですが、それほど寒そうじゃあなさそうですね。冬のスターリングラード=極寒!!というイメージがあっただけに「えっ」って思ってしまいました。

ノーボスチのこちらの映像では、市の目抜き通りで戦勝記念祝賀行事をやってるのですが、参加なさってる人の服装を見ると、結構軽装ですよね。

こういうのも、地球温暖化のせいなんでしょうか。もし、独ソ戦勃発の頃の気候が今みたいだったら、冬将軍も来ずにナチスが勝っていたかもしれませんね。

色んな事を考えさせられます。

スターリングラード戦70周年で、独露両国メディアが特集(2) #第二次世界大戦 #スターリングラード

小ネタです。シュピーゲルでは、当時の独ソ両国のメディアの撮影した写真をギャラリー紹介しています。

個人的に印象に残ったのは11枚目の写真。37ミリ砲で応戦してますよね。しかも、ポンチョを着ているのが1人だけ。戦時向けの演出もあったのかもしれませんが、もはやあの局面で37ミリ砲が役に立っていたのでしょうか? そりゃ、先にロケット弾を装着するというオプションはありはしたでしょうけど、この写真ではそうではありませんよね。

こういう写真から、「あぁ、あの時点でもうしんどかったのだな」とか「うぁ、これは何か動きがあるのかもな」と読む事が大事なのだろうなと思わされた次第です。
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