2005年04月25日

♯幕末

幕末司馬遼太郎

人類史の中における壮挙ともいうべき、無血革命であった明治維新にありながらも、全くの無血であったわけでは当然なく、個別には数々殺された。

司馬遼曰く、“暗殺”なるものは生産的な結果を見い出すことはまずないが、ゆいつと言っていい例外として桜田門外の変での井伊大老の暗殺であるという。これを機に時代の波は大きく転回したという。この本が書かれたのは私の生まれた昭和38年頃だから、司馬遼もその後のヨーロッパの革命を知るべくもない。無血と言えば「ベルリンの壁崩壊」、そして生産的な暗殺と言えば「チャウシェスク大統領の処刑」、ああこれは暗殺じゃなくて政権転覆後の処刑か。

ともかくこの本は、明治維新という革命を「暗殺」という側面からアプローチした本。

その後、沢木耕太郎によって書かれた「テロルの決算」も暗殺者の人間的な側面からのアプローチといという点で同色だが、ノンフィクションと小説の差は歴然としていて、やはりこの司馬遼のほうが面白い。

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