2009年11月26日

#父・藤沢周平との暮らし

父・藤沢周平との暮らし遠藤展子

藤原周平の一人娘の書いた父についてのエッセイ集。
藤沢周平は何度も言うように、結婚後すぐの住まいが清瀬であり、都営中里団地に5年住んだ後、隣接する東久留米金山町に移転する。そしてそのまた7年後に大泉学園に終の住まいを決めた。
このようにすべて西武線沿線である。そしてすべて私がよく知る地域であり、氏の住んだ住所を調べてみると、やはりいずれも知っているところだった。
娘の書く本なのだから、当然ながらプライベートなことを中心に書かれているのだろうと大学生協でこの本を見つけた時、すぐに買った(ちなみに大学生協で本を買うと、なんと1割引きなのだ!!)。
するとやはり期待通り、清瀬や東久留米、大泉学園のことが沢山出てくる。タウン誌を読んでいるように地域の固有名称が出てきて、とても嬉しくなった。

先に書いたように、氏が西武線沿線ばかり住んでいることについて、娘も父に尋ねたくだりがある。
父の引越しの足跡をたどると、東村山の療養所から始まって、私が生まれる前に生母と新居を構えた富士見台、それから、清瀬(※始めは駅近くの中清戸のアパート、続いて都営中里団地)、東久留米、大泉学園と、すべて西武線の沿線でした。
「お父さん、なんでいつも西武線なの?」
と私は聞いたことがあります。
「西武線の周辺は今でも畑がたくさんあって、田舎の雰囲気を残しているから、なんとなく落ち着くんだよね」
これが父の答えでした。

また娘として父・藤沢周平から教わったこととして、
父のことが語られるときに、「藤沢さんは物事にこだわらない性格」とよく言われます。しかし、娘の私から見ると、それは少し違います。
 父は物事にこだわらないのではなく、普通でいること、平凡な生活を守ることにこだわっていたのです。普通の生活を続けることの大切さや、普通でいることの難しさを、私は父から教えられました。人を外見や持ち物(財産)などで判断することは間違っているということも学びました。偉そうに威張っている人のなかに本当の偉い人はいない、なぜなら、本当に偉い人は自分で威張らなくても周りが認めてくれるから、とも教えられました。
 父の言う普通の生活とは、平凡に、家族が仲良く、病気や怪我をしないで健康で平和に暮らせるという、ただそれだけのことです。しかし、ただそれだけのことが難しいことを、父は身をもって知っていたのです。普通の生活を毎日続けていけることが本当の幸せであると娘の私に言い続けたのは、結核で前途を閉ざされ、家族を病気で亡くして、幸せが一瞬で崩れるという経験をした父だからこその言葉だったと、私は思っています。
よく歴史小説家として司馬遼と比較される氏だが、英雄を主人公に歴史上の大事件を書く司馬遼に対し、無名の庶民を主人公にその人の平凡な日常の中に惹起するドラマを書く藤沢。
娘の語る氏のそんな信条、生き様が、ああいう小説を書かせるのだと納得した。

思えば、私にとって始めての藤沢作品だった「たそがれ清兵衛」も、病弱な妻にかわって幼い娘の世話のため定時になるとサッサと帰る、うだつのあがらぬサラリーマン(下級武士)の話だった。これは、氏が娘を出産後すぐに他界した妻にかわって男手ひとつで娘を育てた姿とだぶる(氏は都内に勤めていたが娘の保育園お迎えがあるため、定時になるとすぐに家に帰った)。

関連してこんな話もある。
テレビ出演することのなかった氏が、郷土愛から地元山形放送のインタビュー番組に出た際のこと。
父の「小説に英雄が出てこないのは?」の質問には、どんな人でも人間にはそれぞれのドラマを持っている、無名の人の中にどういうドラマがあるのかに興味を引かれる、有名な人のドラマを追うよりも、かえって名もない人が何を考えているのかの方に気持ちがひかれるのです、と答えていました。
 庄内の人と風土については、雪が大変に影響しているとも話しています。
 雪は人間を我慢強くする、雪を我慢しなければ春は来ない、雪の中で家にこもってものを読んだり、色々なことを頭の中で考える、そういうことで、地道にものを見つめる、堅実な考え方が育つのではないだろうか、雪はそういうことを教えてくれる、と。


ますます藤沢周平が好きになった。

takosuzuki at 19:34│Comments(0)TrackBack(0)clip!LIBRARY-BOOK | 藤沢周平

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