2014年01月10日

♯五千回の生死

五千回の生死宮本 輝

1990年に文庫化された短編集。人生というか、人が生きていく上では、様々な人と関わり、様々なドラマが描かれていく。どうということもないものもあれば、そんなことがあるのかと驚くようなものもある。しかしそのひとつひとつに見方を変えれば、独特のドラマとなっていく。そんな短編集。

「トマトの話」
とある小さな広告代理店の昼休み。思い出に残るアルバイトを語り合う。小野寺の語った話は、大学時代にやった道路工事での交通整理。真夏の飯場に横たわる体調の悪い日雇い労務者から、絶え絶えの息の下からトマトを欲しがった。

「眉墨」
結核療養にひと夏軽井沢で過ごすことになった「私」は、高齢の母と叔母を誘った。ここ一、二年前から必ず寝る前に眉墨を塗るようになった母は、この避暑地でもその習慣は改めなかった。そんな母がある日、体調の不良を訴えた。

「力」
相次ぐ不運に心を萎えさせた「私」は、夕暮れの公園のベンチで、予定していた得意先にも行かず時間を潰していた。となり合わせた老人がいう。「元気のなくなった時は、子供の頃を思い出しなさい」。その言葉に反発しならがらも、初めてバスに乗って通学した小学一年生のあの日を思い出した。

「五千回の生死」
ある日12年ぶりに訪ねてきたかつての親友と飲みながら、ダンヒルのオイルライターにまつわる昔の不思議な話を話して聞かせた。

「アルコール兄弟」
同期入社ながら組合活動の道を選んだ島田と、場末のスナックで初めて胸襟を開いて飲んでいる。飲むにつれ気持ちを分かり合った二人だったが、別れた後は…。

「復讐」
高校時代、僕ら3人は柔道部の熱血顧問である体育教師に睨まれ、ある日、部室で体罰を受けていた。その日以来、僕ら3人は、あいつへの復讐を誓い合った。

「バケツの底」
精神的な病から一流会社を辞め、小さな建築金物を扱う商店に務め始めた「ぼく」は、工事現場に営業に回された。ある大雨の日、現場のミスからそれを修復するための蓋の発注を受けた。それをバケツの底で代用できないか…。

「紫頭巾」
大阪の貧乏長屋の一角の鉄くず置き場で、「私」たち12才の子ども4人は、近くに住む「園子」が倒れ亡くなる現場に遭遇してしまった。園子はなぞの多い女性で、「猿公」は園子が大阪駅の裏で紫頭巾をかぶって占い師をしていたという。

「昆明・円通寺街」
中国・昆明の食堂の一角で、「私」は親友・石野への手紙を書こうと思った。しかしなかなか筆は進まず、思い出すのは、子供の頃、濁音がまじると喋れなくなった石野との日々だった。

takosuzuki at 22:15│Comments(0)TrackBack(0)clip!LIBRARY-BOOK | 宮本輝

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