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 「天上天下唯我独尊」。ブッダ生誕にまつわる有名な句です。生まれたばかりの男の子が北へ向かって七歩進んで立ち、右手を天に、左手を地に指して宣言した、というのです。まあ、物語ですね。しゃべったとされるのは前章で触れた古代インドのパーリ語です。天上天下…は中国で翻訳されたのです。東京・上野の東京国立博物館に「釈迦誕生仏」なるものが陳列されています。「はじめに」の写真(大阪のハルカス美術館のポスター)です。
 『広辞苑』を引きます。
 【天上天下唯我独尊】(てんじょうてんげゆいがどくそん。釈尊が生まれた時、一手は天を指し、一手は地を指し、七歩進んで、四方を顧みて言ったという語) 宇宙間に自分より尊い者はないという意。
 【誕生仏】(たんじょうぶつ) 誕生時の釈尊をかたどった像。右手は天を指し、左手は地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えた相を表す。誕生会・花祭にまつり、甘茶をそそぐ。

 [ 参考 ] 東京国立博物館の誕生釈迦仏(模造=原品は奈良・東大寺)C0045842-1-1


     
 ところがこの「天上天下…」の句、第一章のルンビニー園を描写した『過去現在因果経』にはなかったですね。インドで二世紀に著されたアシュヴァゴーシャ(漢訳は馬鳴)の仏伝『ブッダチャリタ』(漢訳は「仏所行讃」)にも相当する記述がありません。

 「北斗七星のように明るい輝きに似た男の子は、しっかりと大地を踏んで七歩歩いた。そして獅子のごとく、四方を見わたしつつ宣言した。『悟りのため、世の幸福のために私は生まれた。輪廻にとどめを刺す私の最後の誕生となった』」(意訳)となっています。インドの古い仏伝には「天上天下唯我独尊」に相当する句がないのです。「輪廻にとどめを刺す」が最も言いたい句のようなのです。
 【馬鳴】(めみょう。梵語Asvaghosa アシュヴァゴーシャ) 二世紀頃のインドの仏教詩人。バラモン教から仏教に帰し、カニシカ王の保護を受けて仏教の興隆に努力。仏教文学「仏所行讃」などを著す。
 【仏伝】(ぶつでん) 仏陀(釈尊)の伝記。「マハーヴァストゥ(大事)」が最古とされる。ほかに馬鳴著「ブッダチャリタ(仏所行讃)」「ラリタヴィスタラ(方広大荘厳経)」など。釈迦の超人化に伴い、さまざまな物語要素を加え、文学として発展した。

 「ブッダチャリタ」よりも三世紀後の法顕(三三九?―四二〇?)のインド旅行記は次のようになっています。
 「園の名はルンビニーという。マーヤー夫人は池に入って洗浴し、池を出て北岸を歩むこと二十歩、手を上げて樹枝をつかみ、東向して太子を生んだ。太子は地に落ちると七歩歩んだ。二竜王が太子に水をかけて水浴させた所がある」(『高僧法顕伝』)

 やはり、ここにも「天上天下…」がありません。
 中国人や日本人の多くが知っているこの有名な句をおひざ元のインド人やネパール人は知らないということでしょうか。大阪でインド料理店を営むネパール人も知らない、と言います。
 【法顕】(ほっけん) 東晋の僧。平陽の人。三九九年同学の僧四人と律の不完全を嘆いて長安を発し、苦難の旅を続けインドに入る。三年滞在して梵語・梵文を学び、前後十四年の旅をして一人無事に帰り、『大般涅槃経』などを漢訳。(三三九?~四二〇?)
 【仏国記】(ぶっこくき) 五世紀初め、東晋の僧法顕が著した西域・インドへの旅行見聞記。一巻。古代インドの地理・歴史の研究資料。法顕伝。

 法顕は六十歳で梵語仏典をもとめてインドへ向かいます。同行した四人の僧のうち三人は途中で崖から転落したり、病気になったりして死亡します。帰国の段階でインドに滞在していた一人が体調不良のために帰国を断念。一人で海路南回りで帰国したときは七十四歳になっていました。
 八十一歳で亡くなったとみられますが、七年の間に『大般涅槃経』など四十八巻の仏典を翻訳したといわれています。

 調べました。すると、法顕よりも一世紀以上前の漢訳仏典に次のような記載が見えました。
 「四月八日夜、明星の出ずる時に到り、化して右脇より生まれて地に落ち、行くこと七歩、右手を挙げて立ちて言う。『天上天下、唯我為尊。三界は皆苦にして、何の楽しむべきものぞ』と。この時、天地大いに動き、宮中ことごとく明らかなり」

 「唯我為尊」(ただ我を尊しと為す)とあるこの仏典は中国・呉時代の訳経僧、支謙(二世紀末―三世紀中頃)訳の『太子瑞応本起経』です。中村元氏は『ゴータマ・ブッダ』(春秋社)の「注」で「『七歩歩んだ』というこの伝説は古い仏典には出てこないで、遅い漢訳に出てくる」として、さきほどの支謙訳のくだりを紹介しています。
 もともとインドの古い仏典・仏伝に「天上天下…」の句はなかったのです。
 【支謙】(しけん)→『広辞苑』に見出しなし。⇒第3章仏教辞典に記載
 【太子瑞応本起経】(たいしずいおうほんぎきょう)→『広辞苑』に記載なし。

 

 次回は「盗用だった天上天下唯我独尊」です。