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  法顕が「旅行記」に引用しなかった支謙の句「天上天下唯我為尊」。しかし法顕より二世紀後の玄奘は『大唐西域記』の中で次のように引用したのです。
 「…東隣の塔はアショーカ王が建てたものである。二匹の竜が太子に水浴させた所である。菩薩(のちのブッダのこと)は生まれるや手助けなくして四方に行かれること各七歩されて、自ら『天上天下唯我独尊。今より以後、私の持ち前の生はもはや尽くした』と宣した」
 
 「為尊」を「独尊」と一字直しただけです。インドに十五年間(類書は十七年間)も留学した玄奘の旅行記の出典が梵文原典からのものではなく、粉飾された漢訳からの引用だったことがこれで分かりました。
 玄奘は「般若心経」の重訳でもこの手を使って盗作(こちらは全文の九〇%以上なので引用ではなく盗作!)し、一部の語句だけを改めて「新訳」としています。
 【玄奘】(げんじょう) 唐代の僧。法相宗・倶舎宗の開祖。河南の人。六二九年長安を出発し、天山南路からインドに入り、ナーランダー寺の戒賢らに学び、六四五年帰国後、「大般若経」「倶舎論」「成唯識論」など多数の仏典を翻訳。玄奘以前の訳を旧訳(くやく)とし、玄奘以後の新訳と区別する。玄奘三蔵。三蔵法師。(六〇二~六六四)
 【大唐西域記】(だいとうさいいきき) 唐僧玄奘のインド・中央アジア旅行見聞録。十二巻。六四六年成る。各地の仏教の状況のほか、地勢・制度・風俗・産業を記し、仏教史の根本史料。
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 玄奘は皇帝から翻訳場と多数の訳経僧を提供され、国家的プロジェクトとして多くの仏典を漢訳します。中でも六〇〇巻の『大般若経』が有名です。興味深い旅行記によって「天上天下唯我独尊」も流布しました。しかし、梵文原典からの引用ではなく、古い漢訳からのパクリだったということを知ったら「インド人もびっくり」です。いえ、天国にいるブッダも苦笑いでしょう。「漢訳の書き飛ばしはずいぶん弾んでいるなあ」

 付け加えます。インドで最古の仏伝といわれる『マハーヴァストゥ』(漢訳は「大事」。成立時期不明)に次のような一節があります。
 「釈迦族に生まれし賢者は、直ちにこの世にて七歩歩み、周りをぐるりと見渡すや、『今、この存在こそ唯一にして最後たらん』と笑い声を挙ぐ」(平岡聡訳)

 『マハーヴァストゥ』の漢訳、チベット訳はなく、『ブッダの大いなる物語』(平岡聡訳、春秋社)の題で二○一○年に初めて邦訳が出ました。ここにも「天上天下唯我独尊」に相当する句がありません。「この存在こそ唯一にして」がヒントになったと言えなくもないのですが。
 【マハーヴァストゥ】→『広辞苑』に記載なし。
 
 出生譚は次のような一文もあります。
 「幼児は誰の助けも借りず、東西南北それぞれの方向に七歩ずつ歩んだ。(略)幼児はこう宣言した。『もはや耐え忍ばねばならない生を再び享けることはない。これが私の最後の身体だからである。今私は、生と死とによって惹き起こされる悲しみを滅ぼし、根こそぎにしてしまうだろう』。この不思議な誕生の七日後に王妃マーヤーは亡くなった」((M・B・ワング著、宮島磨訳『仏教』、青土社)

 著者のワング氏は米ピッツバーグ大の教授(宗教学)。ヒンディー語の教師でもあるという。伝説の出典は記されていません。『マハーヴァストゥ』よりも時代が経っている伝説を引用したと思われるので「宣言」も少し長くなっています。仏典・仏伝は時代を経るとともに増幅されていく傾向にあります。ワング氏は書きやすい後代の仏伝を採用したのでしょう。
 
 梵文原典になかった「天上天下唯我為尊」は支謙の造句である、と筆者は推理します。支謙はいくつかの梵文仏伝を読んでいて、それらのイメージを膨らませ「天上天下唯我為尊」の句をつくって誕生譚に挿入したのではないでしょうか。
 その造句を玄奘は引用したのです。梵文原典にない句なので、「支謙訳からの引用」あるいは「古訳にあり」と断る必要がありました。インドに長期留学した玄奘の記述ゆえに読者はインドの古い伝説と誤解したでしょう。

 西域・インド旅行では果敢に行動した玄奘が意外や、翻訳や著述に関しては姑息なことをする僧だったとは。玄奘は皇帝に対して古訳(支謙訳もその一つ)や旧訳(鳩摩羅什訳が代表)とは違う仏典の新訳献上を約束していただけに、原典になかった先人の造句を盗用したのはアンフェアだったと思います。
 
 仏典関係の著述が多い中村元氏は『ゴータマ・ブッダ』の中で「天上天下、ただ我ひとり尊し。今より以後、私の持ち前の生はもはや尽くした」との玄奘訳の後にマル括弧で、(これが最後の身であり、今後は輪廻転生することはない)を挿入しています。この挿入文はワング氏の訳のニュアンスとだいたい同じです。

 玄奘訳はこの挿入文がなければ意味がよく分かりませんね。玄奘の漢訳は仏伝の意図をうまく伝えていないのではないか、という疑問が出てきました。
 漢人の訳経僧玄奘よりもアメリカ人の宗教学教授の訳の方が梵文原典の意をうまく伝えた、ということでしょうか。中村氏の挿入文や、ワング氏の「生と死とによって惹き起こされる悲しみを滅ぼし、根こそぎにしてしまうだろう」の意味は何でしょうか? 仏伝作者の意図は何だったのでしょうか? またゴータマ・シッダールタが求めた真理とは何だったのでしょうか?

 [追加] ~支謙のこと~

 『広辞苑』に見出しがなかった支謙。『仏教辞典』(岩波書店)は次のように記しています。
 【支謙】(しけん) 二世紀末から三世紀中葉の人。三国・呉時代に活躍した在俗の訳経家。祖父が大月氏から帰化。十三歳で胡書を学び、六カ国語に通じた。三十六部四十八巻の仏典を漢訳。『法句経』の訳文は文雅であり、聖典の意味をよく捉えていたとされている…」

 支謙の名は唐代の仏典目録『開元録』に「摩訶般若波羅蜜神呪」の訳者としても見えます。いわゆる「般若心経」の漢訳は九つあったと記録され、八つは現存しています。残念なことに支謙訳は経題だけ残り、本文は残っていません。
 『広辞苑』を引きます。
 【法句経】(ほっくきょう。パーリ語Dhammapadaダンマパダ 真理の言葉の意) 原始仏典の一つ。パーリ語で書かれた四二三の詩。仏教の要義を約説したものとして、広く読まれる。中国では、呉の支謙ら訳二巻があり、また初唐の偽経『仏説法句経』がある。
 【ダンマパダ】(パーリ語Dhammapada)→ 法句経に同じ。
 【般若心経】(はんにゃしんぎょう) 仏典の一つ。漢訳に諸訳あるが、最も流布しているのは唐の玄奘訳に二文字を付加した二百六十二字から成るもの。般若経の心髄を簡潔に説く。心経。般若波羅蜜多心経。摩訶般若波羅蜜多心経。

 次は『法句経』から――。
 「人の生を享くるは難く、やがて死すべきものの、今いのちあるは有り難し」

 次回は「母は7日後に死去」です。