『大唐西域記』は玄奘訳、弁機撰となっています。
 玄奘がインドから帰国後、長安には唐朝廷直属の翻訳場がもうけられ、たくさんの僧が集められました。玄奘が梵語を漢語に訳して読み上げ、それを筆受する僧たちが必要だったのです。漢字が間違っていないか、文章の流れはどうかなどをチェックする僧たちもいました。
 弁機はそのうちの一人で大捴持寺から派遣された僧。当時二十六、七歳だったとみられます(中野美代子説)。筆受役の傍ら、西域やインド旅行の話を玄奘から聞き、編集してまとめたのです。

 それで旅行記編集者の弁機がつい「天上天下唯我為尊」という支謙の造句をパクって「為尊」を「独尊」と書き換えて入れた、ということも考えられます。もちろん玄奘が話した可能性が大ですが。
 どっちにしても、玄奘は校閲の段階で「インドに関する記述の出典は梵語原典だけにしてほしい。粉飾された漢訳からの引用はよくない」と弁機に訂正を申し入れるべきだったのです。

 そもそも玄奘は原典忠実翻訳主義者でだらだらした訳しかできなかったのです。それでも新訳を心掛けました。しかし、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)訳の『金剛般若経』を重訳したとき、歯切れの悪い訳になってしまい、皇帝が期待した「新訳」の流布は実現しなかった、ということがありました。
 日本の禅宗は玄奘訳ではなく、鳩摩羅什訳の『金剛般若経』を所依の仏典としています。
 お経というものはリズムが悪いと「受けない」みたいです。原典を忠実に訳すことを第一とした玄奘にはそれがうまくできなかったのでしょう。ただし『般若心経』だけは違います。鳩摩羅什訳を盗作したのでリズム感ある訳に仕上がったのだと思います。
 盗作の根拠を一つ挙げます。『般若心経』には梵語原典にない「度一切苦厄」という句があります。これは鳩摩羅什の造語です。玄奘はそれも引用して
います。何よりの証拠です。「天上天下…」と同じ手法。まさに同様手口です。玄奘は多くの日本人が思っているほど立派な訳経僧ではないのです。情けない僧です。『西遊記』は歴史的事実が一%もありませんが、「情けない僧」という点ではうまく表現しているように思います。

 『大唐西域記』は弁機「撰」となっていますが、誰しも玄奘が著者であると思っているでしょう。弁機は後に腰斬の刑に処せられます。その顛末については中野美代子著『三蔵法師』(集英社)をお読みください。中公文庫からも出ています。今、『玄奘年譜』という北京で購入した薄い本を見ながら書いています。『大唐西域記』の完成は弁機の処刑後ですから、盗用の責任が玄奘にあるのは当然です。
 『広辞苑』を引きます。
 【弁機】(べんき)→『広辞苑』に記載なし。
    【鳩摩羅什】(くまらじゅう。梵語Kumarajiva) 中国南北朝時代の訳経僧。インド人を父とし、亀茲(きじ)国王の妹を母として亀茲に生まれる。401年長安に到り、「法華経」「阿弥陀経」「中論」「大智度経」など35部を漢訳。ほかに維摩経注釈。羅什。クマーラジーヴァ。(344~413)
         
 詩人のアシュヴァゴーシャはかなりの空想家だったのでしょう。想像たくましく仏伝を書いたようですが、それでも漢訳の粉飾には負けました。

 生まれたばかりの子が七歩歩んで宣言したというのは明らかに作り話です。しかしマーヤー夫人が出産のために実家に帰る途中だったとの話は事実だと思います。ルンビニー園で出産があったというのも本当の出来事だったのでしょう。
 スッドーダナは愛妻家だったのでマーヤー夫人を臨月まで実家に帰ることを許さなかった。それで出産ぎりぎりになって遠出しなければならなくなり、マーヤー夫人の母体に異変が生じたのでしょう。

 わが子を出産して七日後、マーヤー夫人は亡くなります。夫人がルンビニー園で手に取った薄黄色の花は梵語でアショーカ、漢訳は無憂華(木は無憂樹)。
 憂いのない花という意味ですが、現実は母親の死という悲劇が起きたのです。これがシッダッタをして「人生は苦である」と自覚させるもとになるのです。
 【無憂樹】(むうじゅ。梵語asoka) 釈尊の生母摩耶夫人が出産のため生家に帰る途中、藍毘尼園の下で釈尊を生んだ。安産であったため、この樹を無憂樹といい、その花を無憂華(むうげ。むゆうげ)という。アショーカ。

 マーヤーのもともとの意は神秘的な力、霊力。のちには幻とか幻影を意味するようになったそうです。(のちに仏陀となる偉大な)わが子を産んで七日後に亡くなった母の儚い命をしのんで「幻影」の意が加わったのでしょうか。

 アショーカ(無憂華)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%A6%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A5

 切手になったマヤ夫人
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 [追加]――西遊記について――

 中国の四大奇書の一つ『西遊記』は玄奘の西域・インド旅行をヒントにした呉承恩の長編小説です。孫悟空の八面六臂の活躍によって化け物の妨害をはねのけてインドにたどりつき、仏典を持ち帰るという筋ですが、物語そのものは全くの創作で史実は〇・〇一%もありません。
 インドに向かう途中、烏巣という禅僧に「般若心経」を授けられたというのも作り話です。誤解なきように。
 合っているのは主人公の三蔵という優柔不断のお坊さんが仏典をもとめてインドへ行って、多数の仏典を持ち帰ったという骨、いえ髄だけです。ただし持ち帰った仏典数も違います。
 【西遊記】(さいゆうき) 明代の長編小説。四大奇書の一つ。呉承恩の作とされていたが、現在では疑問視されている。百回。唐僧玄奘三蔵が孫悟空・猪八戒・沙悟浄とともに、さまざまな妖魔の障碍を排して天竺に至り、大乗経典を得て帰るという筋。
 【呉承恩】(ごしょうおん) 明代の文学者。号は射陽山人。江蘇省の人。官途に恵まれず、晩年は著述に専念。『西遊記』の作者とされるが疑問がある。(1500頃―1582頃)

 『西遊記』のことで思い出すことがあります。2005年頃、中国のテレビ局が放映した「百家講壇」という人気番組がありました。『論語』や『紅楼夢』などを大学教授がおもしろおかしく解説するもので、生徒はいないものの中国版「白熱教室」(米国ハーバード大サンデル教授の授業)といったおもむきでした。講義内容の本もベストセラーになって話題になりました。

 ある日、テレビを見ていたら、玄奘の「大唐西域記」がテーマで、画面の背景に使われているのは「西遊記」でした。事実と創作の合体です。惹きつけますね。
 そこで、教授が言ったことが微妙でした。玄奘が西(シルクロード)へ向かう話で、話題が音楽になって言いました。「中国の民歌のいい曲はだいたい少数民族で生まれたものだ。漢民族からはいい曲が出ていない」。
 えっ、そんなこと言ってもいいんですか、と正直思いました。漢民族が多数を占める中国人のプライドはものすごいですからね。心配していたら、翌週この番組は消えました。

 「草原情歌」に代表されるように、中国の有名な民歌のほとんどは少数民族のメロディーです。少数民族の曲をアレンジし、中央の作詞家が歌詞を書きなおしたものが多く、教授の指摘は正しかったのです。しかし一回出演しただけで番組を降ろされました。いえ、番組は何回か続くはずでした(教授の話は一回目でまだインドに至っていなかった)が、この玄奘をテーマにした番組そのものがなくなってしまったのです(突然別のテーマに代わってしまった)。
 漢民族の心をいたく刺激し、テレビ局に抗議が殺到したのではないでしょうか。最後まで見たかったなあ、あの番組。残念でした。

 次回は「アシタ仙人の予言」です。







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