『キリスト教よもやま話』 作:P・Ludovico(洗礼名)

カトリック信徒の「つれづれ日記」。

ローマ法王訪日正式発表へ  

 核廃絶訴え広島 長崎を訪問 
2019年9月13日 11時08分
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□【バチカン=共同通信】バチカンにあるローマ法王庁は、フランシスコ法王がことし11月23日から26日にかけて日本を訪問すると、日本時間の13日午後にも正式に発表する見通しです。ローマ法王の訪日は38年ぶりで、核兵器の廃絶を訴えるフランシスコ法王が、被爆地、広島と長崎でどのようなメッセージを打ち出すか注目されます。

□ローマ・カトリック教会の総本山、バチカンにあるローマ法王庁はこれまで日本政府などと調整を続けてきた、フランシスコ法王の訪日を日本時間の13日午後にも正式に発表する見通しです。

□日程は11月23日から26日の4日間で、23日にもう一つの訪問先、タイから東京に到着し、24日に被爆地の長崎と広島の両市の平和公園をそれぞれ訪れて、犠牲者を悼むほか、長崎ではミサも行う予定です。また、25日には東京で天皇陛下との会見や安倍総理大臣との会談が予定されているほか、東京ドームで大規模なミサを開き、翌26日にバチカンへ帰国するということです。

□ローマ法王が日本を訪れるのは1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりとなります。

□6年前に就任したフランシスコ法王は核兵器の脅威を繰り返し訴え、バチカンもおととし、いち早く、核兵器禁止条約を批准するなど、核廃絶に向けて積極的な取り組みを続けています。被爆地への訪問でどのようなメッセージを打ち出すか、注目されます。







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□環境保護のための世界祈願日:教皇「自然に囲まれて祈る習慣を」
□教皇フランシスコは、「環境保護のための世界祈願日」のメッセージを発表された。
□カトリック教会は、9月1日、「第5回環境保護のための世界祈願日」を記念した。

□毎年9月1日に記念されるこの祈願日は、環境問題に関心と考察を深め、そのために祈ることを目的に、教皇フランシスコによって、2015年に制定された。

□コンスタンティノポリ総主教庁と、同日に同目的のために記念するこの祈願日は、エキュメニカルな意味を持つものでもある。

□教皇は今年の祈願日のメッセージで、「創世記」における「神はこれを見て、良しとされた」(1,25)という言葉に、被造物に注ぐ神の優しい眼差しを観想する一方で、この賜物に対し、罪や、利己主義、所有と搾取の強欲をもって答えてきた人類の悲劇を見つめている。

□この問題の根源は、わたしたちが何ものであるかを忘れていることにある、と述べた教皇は、「人間は神ご自身にかたどって創造され(参照:創世記1,27)、同じ共通の家に兄弟姉妹として暮らすように召された」と説いている。

□こうした中、教皇はエキュメニカルな国際運動、「被造物の季節」(Season of Creation)への参加を広く呼び掛けた。そして、わたしたちの「共通の家」のために祈り、行動するこの月間が、9月1日のこの「環境保護のための世界祈願日」から、アッシジの聖フランシスコの記念日10月4日まで行われることを紹介している。

□教皇はこの期間を、「創造主なる神への感謝が自ずと生まれる自然の中に身を浸しながら、祈る習慣をつける時」と述べている。

□また、それは「食べ物、消費、移動手段、水やエネルギーの使用、有害とされる物質などをめぐって、わたしたちの生活スタイル、日常の選択を見直す時」でもあると記している。

□さらに、教皇はこの機会を「預言的な行動をとるための時」として示し、すでに世界中の多くの若者たちが、この問題について正しい選択をするよう声を上げていることに言及された。

□教皇は、わたしたちの祈りとアピールが、環境問題に対する政治や社会の責任者たちの関心を高めていくことを願われた。

□そして、皆が被造物を大切にするための祈りと取り組みを心に留め、その責任を自覚するようにと呼びかけられた。

(01 9月 2019, 14:28)


https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-09/messaggio-la-giornata-mondiale-preghiera-per-la-cura-del-creato.html


□日本ではあまり知られていないが、ユダヤ教の呼吸法をマスターし聖書をじっくり読めば、キリスト教の奥義に近づける。キリストもパウロも身につけた呼吸法。按手で病気の治療もできた。ユダヤ教は有料で病気治療していたのに対して、キリストは無料で治療したために、ファリサイ派が「営業妨害だ」としてキリストを妨害。十字架刑にまで追い詰めたとの説も最近出ている。
 日本では典礼が儀式化・形式化した結果、聖書ディレッタンティズムdilettantismに陥っってしまった。フランチェスコ教皇はプネウマpneumaの駆使を独自にマスターしたので、自然や人間に関する発言に説得力が出るようになった。教皇の生き方を知らない信徒が日本には多すぎる。
 この点、日本のキリスト教はイタリアばかりでなく、韓国や中国にも遅れていることはよく知られている。「(日本のキリスト教は)夜明け前。スタートラインにも立っていない」と断言する日本人司祭すらおられる。これは悲しい現実。11月の教皇来日に浮かれている場合じゃない。看脚下❢











(4月19日にフェイスブックに投稿済。8月5日に「いいね」があったので、『キリスト教よもやま話』にも投稿することにしました)

□聖書勉強会の冒頭「わたしはあなた方信徒を信用していない。だから、(この勉強会に関する)質問や意見は一切聞かない。嫌なら来なくてもよい」「教会内で『正義とか平和』を口にしたら殺す。それが神父の務めだ」と言ったトンデモ神父さんが大阪のカトリック教会におられた。今もいる。以下の「日本カトリック正義と平和協議会(JP)」の文書を教会で読んだらどういうことになるのだろう。

日本カトリック正義と平和協議会会長談話「3・1独立運動100周年を迎えて」
2019/03/05
日本司教団関連文書 諸文書 諸外国司教協議会文書 日本カトリック正義と平和協議会

□日本カトリック正義と平和協議会会長談話
□「3・1独立運動100周年を迎えて」

 今年の3月1日は、日本からの独立を求め朝鮮半島全土で人びとが立ち上がった3・1独立運動から100周年です。1919年3月1日、日本の植民地下ソウル・パゴダ公園で宗教指導者らを中心に独立宣言書が発せられ、数万人の市民がソウル市内を「独立万歳」の叫びを挙げながら行進しました。この動きは朝鮮半島全土に波及し、200万人の人たちが立ちあがったといわれます。
 この3・1独立運動に象徴される朝鮮半島の人たちの植民地支配からの独立・解放への血のにじむ闘いと抵抗の精神は連綿と受け継がれ、近年のキャンドル行動や南北平和に向けた運動にも引き継がれているといえるでしょう。

□韓国司教協議会会長談話

 ところで、韓国カトリック司教協議会会長を務めるキムヒジュン大司教は、2月20日に3・1運動100周年について「3・1運動の精神の完成は真の平和」というタイトルの談話を発表しました。そこでは「100年前に多くの宗教者が独立運動に参加した歴史的事実を、私たちは覚えています」としながらも「しかし、その歴史の現場でカトリック教会が自分のなすべき役割を果たさなかったことを告白します。…韓国カトリック教会は、時代の兆候を正しく見ないまま、民族の苦しみと痛みを無視し、捨ててしまった過ちを慚愧の思いで省察し反省します」とされます。独立宣言書の作成には、天道教(15人)、プロテスタント(16人)、仏教(2人)が参加しましたが、そこにカトリック者の名前はありませんでした。それは「朝鮮王朝後期における過酷な迫害を経験して、ようやく信仰の自由を得た韓国カトリック教会は、当時、困難で骨の折れる時期を過ごしました。それゆえ、外国の宣教師で構成される韓国カトリック指導部は、日帝の強制併合に伴う民族の苦しみと痛みについても、教会を維持して信者を保護しなければならないという政教分離政策を掲げ、解放を宣言しなければならぬ使命を無視したまま、信者の独立運動への参加を禁止し」たからであり、さらに「後には、信者に日本の侵略戦争に参加することや神社参拝を勧告することまでし」たと言われます。
 しかしながらキム大司教は「私たちは、3・1運動の精神を受け継ぎ、お互いの相違が差別と排斥ではなく、対話の出発点となる世界で、戦争の不始末を越えて、真の懺悔と赦しとして和解をなす世界を作ろうとします」、「韓国カトリック教会は、過去を反省して、信仰の先祖たちに恥ずかしくない子孫となり、朝鮮半島に真の平和をもたらし、さらにアジアと世界の平和に貢献することができるように祈り、絶えず努力します」と強調します。

□日本の責任

 ひるがえって今年の3月1日は、私たち日本のカトリック教会にとっても、歴史を直視し、朝鮮半島を初めとするアジアの人々と平和をいかに築くのかを問い直すべき日でしょう。日本のカトリック教会は、植民地時代の韓国カトリック教会に大きく関与しましたし、日本の侵略戦争への協力を信者に促したことについても責任があります。さらに1945年に植民地から解放された後の朝鮮戦争と南北分断の根源にも、明治以来の日本の侵略政策という歴史があります。
 現在また、政治において日韓政府の間は緊張していると言われますが、私たち日韓のカトリック者は、同じ平和の福音のもとに集うイエス・キリストの弟子・兄弟姉妹として、日本の過去の加害の歴史を見つめながら、文化・宗教など市民によるさまざまな交流を深めていくことがたいせつです。それが100年前に朝鮮独立運動に立ち上がった人々、そして現在、朝鮮半島と東アジアの平和を祈り願う人々に対して、私たちが今果たすべき応答ではないでしょうか。

□普遍的呼びかけとしての3・1宣言書

 3・1宣言は、次のように呼びかけます。
「日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年(1876年)に結び、(朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず)そこに書かれた約束を破ってきた。しかし…わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。…日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。
…ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じ込もるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう」(外村大・東京大学教授訳)。
 すなわちこの独立宣言書は、日本を非難断罪するためでなく、差別や民族の自己決定権を奪い取る植民地主義の克服という、より崇高な人類普遍の理想実現への呼びかけ・招きです。そしてこれは韓国・朝鮮の人びとのみならず、100年後の今を生きる世界のすべての人にとっても、記憶し、想起されるべき内容を含んでいます。
 それゆえ、私たち日本のカトリック教会信徒も、韓国カトリック教会とともに、この「宣言書」のめざす地平を見つめ、国家よりも人類、またキリスト者として、東アジアと世界の平和と人間の尊厳を尊重し合っていく人間の歩みを前進させることを祈り求めましょう。

□2019年3月1日

□日本カトリック正義と平和協議会会長
□勝谷太治司教


 【感想1】トンデモ神父が大阪にいるとアベさんが知ったら、ニンマリではないか。「大阪のカトリックの神父はテッポーダマとして使えるぞ」。
 【感想2】そもそもこういう人が神父になったのはおかしい。神父になった経緯が怪しい。臭う。裏口神父ではないか。

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