『キリスト教よもやま話』 作:P・Ludovico(洗礼名)

カトリック信徒の「つれづれ日記」。

 日本人にとって一番身近な仏典は『般若心経』と言っても過言ではないでしょう。書店には解説書がたくさん並んでいます。そのうちの一冊から冒頭の数行を紹介します。漢語原典にはない句読点を入れます。

 観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
 舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是。
 
 観世音菩薩が深く般若波羅蜜多の行をしていた時、五蘊は皆空であると照見して、一切の苦厄を度した。(そして、言った)「サーリプッタよ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はこれ即ち空であり、空はこれ即ち色である。受・想・行・識もまたそれぞれ同じである」
 
 本書の23、24章と併せてお読みいただければと思います。なお、観自在菩薩の訳は玄奘。観世音菩薩は鳩摩羅什の訳です。前者が新訳、後者は旧訳(くやく)と言われているものです。しかし、日本では古い観世音菩薩の方が一般には流布しています。舎利子は玄奘訳ですが、京都・奈良あたりの寺院では羅什訳の舎利弗の名を見ることが多いのではないでしょうか。『般若心経』がいわくありの仏典とみられている一端はこれらからもうかがえるのです。
 本書を通読された方はお分かりと思いますが、舎利子のパーリ語はサーリプッタ、サンスクリット語はシャーリプトラです。イケメンプロレスラーのような、アヴァローキティシュバラ菩薩がサーリプッタに対して「空即是色、色即是空」とパーリ語で言ったのです。
 と、書けばもっともらしいのですが、実は大乗仏典の般若心経はブッダ在世中はまだなかったのです。ですから、サーリプッタがアヴァローキティシュバラ菩薩から般若心経のレクチャーを受ける場面はあり得なかったのです。架空の話であったとしても……。
 それに、般若心経は玄奘が訳した600巻の『大般若経』のポケット版と思われていますが、対応するフレーズがない単独の、あやしげな仏典です。あまたある『心経』解説書はこうした点について詳しく書いていません。ゴータマ・ブッダの生涯に関するきちんとした著述がないのと同様です。

 「まえがき」にも書きましたが、宗派に縛られないのびのびした書き方の釈迦伝がないのを憂えたことが本書『蘊蓄 お釈迦さま』〜お坊さんも知らない仏教の開祖ゴータマ・ブッダの生涯〜を発刊した動機です。本書がきっかけでゴータマ・ブッダに関心をもつ一般の人が多くなり、仏典に対する興味が増すようになることを切に望みます。

5年前の記事です

http://blog.livedoor.jp/taktag55/archives/70436245.html
Zünd_Gang_nach_Emmaus_1877~2












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