「ブッダ伝」<お坊さんや仏教学者が教えてくれないお釈迦さまの一生> 

お坊さんや仏教学者が教えてくれない「お釈迦さまの一生」を書きます。(田口武男)

「ブッダ伝」 目次          

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第 1 章  ルンビニーで出生
第 2 章  天上天下唯我独尊 
第 3 章  盗用だった「天上天下唯我独尊」
第 4 章   母は7日後に死去
第 5 章  アシタ仙人の予言
第 6 章  異名が80も
第 7 章  諸説ある生没年
第 8 章  誕生日は4月8日
番外編① インド神話と阿修羅
第 9 章  四門遊観
第10章  出家を決意
第11章  怒り狂う妻
第12章  バラモンの世界
第13章  古代インドの宗教書
第14章  ヴァルナで束縛
第15章  アーラーラ仙人に会う
第16章  ビンビサーラ王の眼力
第17章  ウッダカ仙人にも学ぶ
番外編② 帝釈天と阿修羅
第18章  苦行をやめる
第19章  悟りを開く
第20章  仏陀になる
第21章  十二因縁
第22章  四諦と八正道
第23章  5人に初説法
第24章  コンダンニャの偈
第25章  カッサパ3兄弟が帰依
第26章  ビンビサーラ王に再会
第27章  サーリプッタが帰依
第28章  森は楽しい
第29章  祇園精舎とサーリプッタ
第30章  ラーフラの後見人
際31章  デーヴァダッタの反旗
第32章  サーリプッタ死す
第33章  モッガラーナ死す
第34章  最後の旅㊤ 故郷へ向かう
第35章  最後の旅㊦ 大いなる涅槃
第36章  500人の仏典編纂会議


番外編③ 琵琶演奏「祇園精舎」 



 

「ブッダ伝」<広辞苑で知るお釈迦さまの一生>
http://blog.livedoor.jp/taktag555-0216/archives/21231035.html

「冬尋坊日記」
http://blog.livedoor.jp/taktag555/

「ブッダ伝」番外編③  琵琶の演奏「祇園精舎」

  平家物語の有名な冒頭を田原順子さん演奏の琵琶で聴く。

 祇園精舎の鐘の聲
  諸行無常の響あり
  娑羅
雙樹の花の色
   盛者
(じやうしや)
必衰のことはりをあらはす
  おごれる人も久しからず
  只春の夜
の夢のごとし
  たけき者も遂にはほろびぬ
  偏に風の前の塵に同じ

  豊臣秀吉の時代、ロレンソ了齊という琵琶法師がいた。キリスト教の布教に尽くした人だ。平家物語を吟じ、キリスト教の教えを語ったという。人気を博し、高山右近ら戦国大名の多くがキリシタンになった。日本の人口2000万人のうち30万人(全体の1.5%。現在の日本のキリスト教信者は1%弱)が入信したという。ロレンソの功績大といわれる。で、琵琶の伴奏による平家物語が聴きたくなって「琵琶 平家物語」で検索したら田原順子さん(以下のyoutube)の名が出てきたという次第。
http://www.youtube.com/watch?v=xyUVT8sas6g&list=RD021zsJXncKieg


「冬尋坊日記」
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「ブッダ伝」第36章 500人の仏典編纂会議

ブッダは生前、葬儀の段取りについてアーナンダに言い含めておきました。「私の死後、出家修行者は葬儀の一切にかかわってはいけない。在家信者にまかせなさい」

そこで、アーナンダは指示通り、クシナガラに住むマッラ族の人たちに葬儀を頼みます。ブッダの遺体は真新しい布で何重にも巻かれ、積んだ香木の上に安置されました。マッラ族の人たちは香を炊き、花をささげ、音楽を奏でて供養します。

その上に大きな天幕を張って五日間待ちました。荼毘に付されたのは六日後。マッラ族の代表が焚き木に火をつけようとしたところ、火は燃え上がらなかったのです。

そのころ、サーリプッタとモッガラーナが世を去った後、ブッダの一番弟子になったマハーカーシャパ(摩訶迦葉)に率いられた五百人の修行僧がクシナガラに向かっていました。途中ですれ違った旅人から「ブッダ死す」と告げられたのです。仏滅から七日後、カーシャバ一行が到着し、遺体に礼拝すると、積み木が火を発し、ブッダの遺体はすっかり燃え尽きたと伝えられています。

遺骨は八等分され、シャーカ族、マガダ国王、マッラ族らに分けられ、各地に八基の塔が建てられました。それから百年後、インドを統一したアショーカ王は、仏教の保護に尽くし、この八基の塔を掘り起こして各地に仏塔を建てて供養したのです。


  仏滅から数カ月後。ブッダの後継者となったマハーカーシャパは、ブッダの教えや戒律が散逸することを心配し、ラージャガハ(王舎城)郊外の七葉窟に五百人の阿羅漢を集めて仏典編纂会議を開きます。これを第一結集といいます。七葉窟にこれほどの人数は入れないので、幹部だけが会議の方向性を窟内で決め、五百人の大会議は雨安居の時期に竹林精舎で開かれたのではないかと推察します。   

【迦葉】(かしょう。梵語Mahakasyapaマハーカーシャパ。摩訶迦葉) 釈尊十大弟子の一人。頭陀第一と称せられた。十六羅漢の一人。釈尊の滅後教団の統率者となり、王舎城の第一回仏典結集の主任となってこれを大成。特に禅宗では尊信される。釈尊の弟子の中に同名の者がいたので、摩訶(大)を付けて区別する。迦葉頭陀。迦葉尊者。

【頭陀】(ずだ。梵語dhutaドゥータ) 衣食住に対する貪欲をはらいのける修行。十二種あり、十二頭陀行という。

マハーカーシャパにまつわる句に拈華微笑があります。しかしこれは偽経に載った中国創作の成句。ブッダとのやりとりは作り話です。

【拈華微笑】(ねんげみしょう) 禅宗で、以心伝心・教外別伝の法系を主張するのに用いる語。霊鷲山で説法した釈尊が、華(はな)を拈(つま)んで大衆に示した時、摩訶迦葉だけがその意を悟って微笑し、それによって、正しい法は迦葉に伝えられたという。

【結集】(けつじゅう。けちじゅう) 仏滅後、異論を止め、教団を統一するため、代表者が集まって仏陀が遺した教えを集め、教典を編集したこと。

【五百羅漢】(ごひゃくらかん) 釈尊滅後、遺教結集(第一結集)に、またカニシカ王の時、第四結集に来会した五百人の羅漢。中国・日本では五百人の羅漢に対する信仰が生じ、図像・彫刻が作られたが、その典拠は不詳。五百阿羅漢。

【参考】――羅漢寺の五百羅漢――
http://www.rakanji.com/gohyaku.html


会議の目的はブッダの教説(経蔵)と戒律・規則(律蔵)を整理すること。律はウパーリ(優波離)という僧、経はアーナンダが担当しました。仏滅当時、修行僧の戒律は二百五十、尼僧は三百四十八あったそうです。有名なのは五戒です。『広辞苑』に「在家の守るべき…」とありますが、出家修行者も同じでしょう。

【五戒】(ごかい) 在家の守るべき五種の禁戒。不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒。

アーナンダはブッダの説いた教えを一つ一つ思い出しては述べ、それを他の僧が補足し、修正し、偈(詩)の形で残します。これが経になります。南伝仏典の基です。その頃は暗記で残したので、偈の韻律の方が覚えやすかったのでしょう。『サンユッタ・ニカーヤ』や『テーラガータ』などの原始仏典に少なからず反映されました。

  それからざっと五百年後に興った大乗仏教の仏典のほとんどは「このように私は聞いた」で始まります。原始仏典とはまったく異なる内容の大乗仏典を創作した僧たちが「(創作であっても)書き出しはすべてアーナンダが聞いたことにしよう」と取り決めをしたからです。中国に渡ると「如是我聞」(かくのごとく我聞けり)になります(第29章参照)。


  江戸時代の大坂の町人学者富永仲基が独自の「加上説」(継ぎ足しと粉飾があるとの説)にもとづき、仏典改変があったと主張して大乗仏説批判をしたのはこうした事情を知ったからでしょう(ただし富永の批判対象は漢訳の大乗仏典に向けられた)。鎌田茂雄氏は『禅とは何か』の中で「現在の学問的な成果からみると、まさに富永仲基が言った通りなのである」と高く評価しています。こういうことは素人の私だから書けるので、宗派の仏伝や仏教解説書には絶対載りません。鎌田氏は「富永のような学者こそ本当の天才だ」とも言っています。

   【富永仲基】(とみなが・なかもと) 江戸中期の思想家。号は謙斎。家は大坂の醤油醸造業・漬物商。父の創立した懐徳堂に入り三宅石庵に儒学を学び、仏典および神道に通じ、神・儒・仏を歴史的に批判。のち家塾を開き、「出定後語」「翁の文」などを著す。(一七一五~一七四六)


  

   経蔵。戒蔵を残したカーシャパは後に、アーナンダに後継を託し、ククッタパーダ山(鶏足山)に入って入滅したと伝えられています。その時期がいつだったのかは分かっていません。 カーシャパは岩山で修行することを好んだようです。『テーラガータ』に次のような偈が載っています。
  
●麗しい台地には雨が降り注ぐ。山々には仙人がしばしば訪れる。岩山では、孔雀が甲高く鳴いている、それらの岩山は、わたしを楽しませてくれる。
 
  【鶏足山】(けいそくさん。梵語Kukkutapadaククッタパーダ) インドのマガダ国の山。釈尊の弟子迦葉がこの山の洞窟に入定し、釈尊の遺法と衣を奉持して彌勒仏に授与するためその出世を待つという。狼跡山。 
    【弥勒】(みろく) 釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩。兜率天(とそつてん)に住し、釈尊入滅後56億7千万年の後この世に下生(げしょう)して、竜華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するという未来仏。弥勒菩薩。弥勒仏。

  【追加】―「女性の出家」とアーナンダ―

女性の出家第一号はブッダの養母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波提)です。夫スッドーダナ王の死後、「出家したい」とブッダに願い出ます。ところがブッダは即座に拒否します。やむをえず、黒髪を切り、鉢を手にして裸足でブッダのもとに向かいます。後ろには同じ思いを抱くシャーカ族の女性たちが続いたとのことです。西のコーサラ国が攻めてくるという恐怖があったのかもしれません。

このことを知ったアーナンダはブッダと何回も交渉します。その結果、八条件を守れば女性の出家を認めることになります。八条件とは「百歳の尼僧でも、きょう出家したばかりの新しい(男性)修行僧に対しても敬意を払うこと」「修行僧に対して尼僧は文句を言えないが、修行僧は尼僧に対しては言える」などです。

男女平等とは言えない条件ですが、ともかくもアーナンダの取りなしによって女性の出家が認められたのです。心優しいアーナンダがいなければブッダ教団の後世の評価は違ったものになっていたかもしれません。
  

アーナンダはブッダ教団三代目の統率者になります。しかし若い僧が言うことを聞いてくれないなどで悩み、教団をうまくまとめられなかったようです。『テーラガータ』に次のような偈があることからもその一端が見えます。

むかしの人々は、すでに去り、新しい人々は私となじまない。今日、私はただ独り思いに耽る。雨のために巣ごもりする鳥のように。

そのような彼は川を挟んだ二人の国王に「ぜひ、こちらの国に来てほしい」と同時に頼まれ、悩んだあげく、川の中央で船から入水したと伝えられています。心優しいアーナンダらしい最後でした。


                         (終わり)

【注】 ウィキペディアに「涅槃会は陰暦2月15日(の行事)」とありますが、第35章で書いたように清水寺や法隆寺などは新暦の2月15日に法会を行います。





「冬尋坊日記」
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