阿部真大『地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会』を読んだ。

早速、この本の論旨にUVERを接続していく。

P170,L9.
 Jポップは、80年代の反発の時代(BOOWY)から90年代の努力の時代(B'z)、関係性の時代(ミスチル)を経て、地元の時代(キック)へと突入した。そして現在、「ポスト地元の時代」(ワンオク、ラッド)へと入りつつある。

それでは、阿部氏がワンオクを「ポスト地元の時代」の代表格と見做した理由を検証しよう。

P163,L9.
 他者とぶつかることによって自分たちが強くなるという方向性が示される。「当たり障りのない日々」を「当たり障りのある日々」へと変えていく。それによって変わりばえのしない毎日を変えていく。

P164,L1.
 「他者とぶつかり合いながら自分たちを高めていく」という、新しい世界観を提示しているのである。

P165,L9.
 彼らにとって、自分らしさとはこうした試行錯誤のなかで見えてくるものなのである。

P166,L8.
 自分たちが強くなるためには、居心地のいい場所は出て行かなくてはならない。これは、気の合う仲間たちと全能感を享受する地元時代のアーティストたちへの決別の曲ともとれる。

これらの根拠としているのは2010年の楽曲≪未完成交響曲≫と≪完全感覚dreamer≫に、2011年のシングル≪アンサイズニア≫、2007年の楽曲≪夜にしか咲かない満月≫の歌詞である。

この方法論に則ってUVERの楽曲から似たような歌詞を探る。

2011年のシングル≪CORE PRIDE≫の2番Aメロに次のような歌詞がある。

 予想以上に仲間は集まった
 お互いの日々や将来の話で 熱くなって殴り合いになった

これだけを聞けば、≪未完成交響曲≫で「人それぞれ違ってだからこそぶつかって」と歌われているように、他者とのぶつかり合いを称賛しているようだ。

しかし、続きがある。

 そうやって意地張って 踏ん張って生きてなくちゃ 時間の流れさえも怖くなる
 本当に殴るべき相手は そんな自分だろ
 ただ今は負けたくない 自分に負けない「プライド」

そう、UVERのテーマは「自分に負けないプライド」である。

他者とぶつかることよりも、自分とぶつかることに重きが置かれている。

だが、自己完結していると見るにはまだ早い。

別の視点を導入しよう。

「意地張って 踏ん張って生きてなくちゃ」

ここに見えるのは「努力の時代」を代表するB'zが象徴するマゾヒズムである。

ここで一つの疑念が湧き起こる。

それは、UVERが「努力の時代」のみならず、「反発の時代」「関係性の時代」「地元の時代」の全てを包括している可能性だ。

そもそもUVERの音楽性を一言でいえばミクスチャーロックである。

彼らは「カッコいい」と思う音楽を創るために「カッコよければ」ジャンルを問わず吸収してきた。

ワンオクが「エモ」に影響を受けているのに対して、UVERは意識的に多様な音楽を取り入れている。

そう考えれば、歌詞についてもまた、それぞれの時代を反映している可能性がある。

再び≪CORE PRIDE≫の歌詞を見てみよう。

 届かぬものや限りあるものに 熱くなる胸を押さえつけるのは
 理解もせず 押さえつけようとしてきた
 嫌いで許せなかった あの大人達と同じじゃんかよ

ここで歌われているのは、「自分に負けてはいけない」というメッセージだが、その説得に「大人達」が出てくる。

現代においては「反発の時代」を象徴する「大人の支配する退屈な世界」はない(論旨に従えば)。

しかし、「自分の中にある大人」に対して「反発」を見せている。

この点で、UVERは「反発の時代」を取り込んでいると言えるだろう。

次に、「関係性の時代」で取り上げられたミスチル≪東京≫に関する阿部氏の見解を引く。

P132,L11.
 しかし、そんななかで頑張っている人たちからすると、そこにいる理由は、「この街に大切な人がいる」からである。こう読み替えることによって、桜井は、東京に生きるすべての人々を救済する。

こうしたミスチル的メッセージは、UVERにとって半分引き継がれている。

三度≪CORE PRIDE≫の歌詞を引用する。

どうしたって やっぱ一人の夜は 自分の事さえも分からなくなる
そんな俺と分かり合おうとしてくれる君が居るなら もっと強くなれる

ここに「二者関係」の図式を見ることができる。

しかし、横道にそれるかもしれないが、「東京に生きるすべての人々を救済する」ための手法として、「この街に大切な人がいる」というロジックと、むしろ反対の主張をしている歌がある。

それが2011年の楽曲≪一石を投じる Tokyo midnight sun≫である。

 逢いたいんだ君に くだらない奴ばかりだ
 その手で誘え 生きる力を
 忘れんなこの世界は 俺らの意思消す事
 浮気相手の着信消す程度にしか思ってないぞ

 様々なその生き様 醜さも虚しさも隠す お月様
 東京のブランド一刀両断 闇照らし出す我らmidnight sun

「この世界」「東京」に居るのは「くだらない奴ばかり」だとサビで歌われている。

その中で「君に」「逢いたい」と歌うのだから、≪東京≫と同じロジックに一見すると聞こえる。

だが、決定的に違うのは、「東京に生きるすべての人々」を「くだらない奴ばかりだ」と言い放っている点である。

ミスチルの歌ではいわば東京でもがいている人々の背中を後押ししているのに対して、

UVERは、「浮気相手の着信消す程度」の「くだらない奴ばかり」だと言っているのだ。

ここから見えてくるのは、UVER陣営の「孤軍奮闘」感である。

そこまで多くの人を敵に回した後を見て行こう。

「地元の時代」である。

この時代を代表するキックに関する阿部氏の記述を見ていこう。

P141,L11.
 夢は地元を出てひとりで叶えるものから、地元に残り続けて仲間たちと叶えるものへと変化した。

キックのような「東京から地方へ」という「郊外感」はUVERの歌詞には立ち現われていない。

むしろ、「地方から東京へ」というイメージは真っ先に浮かぶ。

それはUVERが滋賀県出身であり、≪一石を投じる~≫で東京(しかも六本木)について歌うところからも明らかだ。

しかし、事は単純ではないと思う。

恐らく、UVERは東京を手放しに肯定していない。(それは≪一石を投じる~≫を聴けば明らかだ


ただの闘う場に過ぎない、とも見ていないと思う。

このことは留保するとして、「夢は」「仲間たちと叶えるもの」という点はUVERの楽曲に立ち現われている。

それが良く分かるのは2012年の楽曲≪23ワード≫である。

 Just going
 負けんな同志
 流れる闘志
 本気だと認める男同志
 お前が終わりゃ 俺も半分死んだ気になる

 お前とつるむようになって 俺は少し変われた
 仲間を信用出来ない 仲間を大切に出来ない
 そこには死んでく以上の孤独があるらしい

 なぁ兄弟

汗臭さ漂うが、ここでは仲間の大切さが歌われている。

ただし、注意しなければならない点がある。

それは「同志」や「兄弟」という表現だ。

つまり、これは「地元の友達」というような関係性ではない。

同じ志を持って「兄弟」と呼び合えるような「仲間」。

つまり、そこに「地元」は無くてもいい。

その点で、ポスト「地元の時代」と言ってもいいスタンスがUVERにも見止められる。


これまでの議論を整理すると、

①UVERの歌詞は各「時代」を経由、継承している。

②しかし、「地元」志向のないUVERの区分けは「ポスト地元の時代」に違いない。

③そんなUVERの普遍的なテーマは「自分との闘い」であり、そこには「同志」がいる。

問題は、そんなUVERのどこを「自分らしさ」と見て取るかである。

参照しておきたいのは、2012年のシングル≪REVERSI≫だ。

 汚い都会で 皆 息を止めながら歩いて
 不安と迷いの中生き方を見つけだす

 どうしても僕を認めたくない全ての人に
 心から感謝を捧げるよ
 敵も味方も その存在に平等に価値を感じる
 でも白黒つけようか

ここには、「反発の時代」(一行目)、「努力の時代」(二行目)、「関係性の時代」(三、四、五行目)の三つの時代が凝縮されている。

そこに対する答えとしての「白黒つけよう」。

恐らく、これがUVERの見つけた「自分らしさ」である。

「ポスト地元時代」をワンオクと共に代表するラッドの≪おしゃかさま≫に次のような歌詞があるらしい。

P169,L1.
 上じゃなくたって 下じゃなくたって 横にだって道はあんだ

この歌詞について阿部氏は「彼らの言う「横」は、もっと厳しいものである」と補足している。

では、ここで満を持してUVERの2011年のシングル≪BABY BORN & GO≫の歌詞を引用したい。

 そうだ 真直ぐだ その突き当りをまだ真直ぐだ

 出口のないラビリンスそんなときは第六感を辿りな(Goodbye to my self)
 そんくらいの覚悟なしにいける程単純じゃねえぞ

これぞUVERの真骨頂。

ストレート、いや魔球である。

まるで、大リーグボール(漫画『巨人の星』参照せよ)。

ラッドよりも厳しさを自覚している。

そう、UVERの武器は「覚悟」だ。

再び≪23ワード≫の歌詞を引用する。

 今日 立ち上がったとして 遅すぎる事があって
 叶わずタイムオーバーだったとしても
 天国に昇ったとして すぐに降りてきて
 戦う姿勢をお前に見せてやるよ
 
 なぁ兄弟 この時代を生き抜いて
 あの世で少し落ち着いたら
 セントラルパーク ダコタハウス前
 来世はそこから旅を始めようぜ

 しかしまだここでは終われないと 唱え続ける

さらに、もう一曲たたみ掛けたい。

2012年のシングル≪7th Trigger≫である。

 上を向いて歩いたくらいじゃ何も変わらなかった 目を向けるべきは 己の内面
 競争社会で気になってる 横 横 じゃねえぞ

注目すべきは「上を向いて歩いたくらいじゃ何も変わらなかった」が意味するところだ。

これは坂本九≪上を向いて歩こう≫に対する反感と理解できる。

この曲が世に出たのは1961年だった。

高度経済成長まっただ中である。

戦後社会がアメリカに追いつけ追い越せと成長させた経済。

深読みすれば、80年代どころか、60年代以降の音楽全てを包括し、揶揄ているともいえよう。

そして、ここでも「目を向けるべきは 己の内面」と、UVERの普遍的テーマ「自分との闘い」が掲げられていることが分かる。


さて、ここからがUVERの評価の分かれ道である。

ワンオクとの違い。

それは「他者とぶつかり合いながら自分たちを高めていく」か「同志とともに自分と闘う」かの世界観の違いである。

外に向かうか、内に向かうかの真逆に見えるこの世界観だが、両者は裏表の関係にあると思う。

まず、どちらも「自分たちが強くなる」という姿勢は共通している。

その上で、他者とぶつかれば自分と向き合うことになるだろうし、自分と闘えば他者と向き合うことにもなるだろう。

両者の違いはただ、その比重の違いに過ぎない。

「競争社会」に囚われている場合にはUVERの「自分と闘う」姿勢が有効だろうし、

自分の殻に閉じこもっている場合にはワンオクの「他者とぶつかる」姿勢が有効だろう。

どちらも危うい話ではある。

「競争社会」から目を逸らした場合、どう生きていくのか。

「他者とぶつかる」と言っても、狭い世界で完結してしまっては社会に影響を与えられない。


『地方にこもる若者たち』というこの本の趣旨は、地方の若者たちが新たな公共を創ろうとアクティブな姿勢を取り始めていることに目を向けよう、と大人に呼びかけるものだ。

だから、ワンオクの「他者とぶつかる」姿勢を取り上げたに過ぎないのだと考える。

それがストレートな表現で分かり易いからだ。

そもそも、阿部氏がこのような主張をしている背景には若者世代の将来に対する危機感があるからだろう。

このままでは、新たな公共を創れず、本のタイトル通り「地方にこもる若者たち」が増えていく可能性がある。

そうならないためには、「他者とぶつかり合いながら自分たちを高める」ことと「同志とともに自分と闘う」こと、その両方が必要だ。

「ポスト地元の時代」の代表格としてワンオクとラッドが取り上げられてたが、その裏にはUVERの姿がある。

UVERはワンオクと違い、英詞による海外志向はないし、天性の歌唱力もない。

しかし、日本の若者たちを支える一翼を担っているという点ではワンオクと何も変わりはしない。

ただ、その姿勢が直球過ぎて、表舞台に出られなかっただけのことである。

その点、UVERは一時代を築くというよりは、長きに渡って日本の若者を支える影の実力者とでもいえるポジションを得るだろう。

やはり、UVERにはメジャーの中のマイナーが相応しい。