2007年03月

2007年03月31日

続・鎌田先生の話

cc5929af.JPG日が経つと、やはり記憶は薄れてくるものですね。
先週土曜日の講演は、気になった単語以外はメモを取っていないので、頼りにならないなあ。
細かいところはおぼろげですが、伝えたいのは本質的な問題なので、どうぞお許しを。
鎌田先生のお話は、どれも感銘を受けるものばかりだったのですが、疑問に思ったことがあります。

「誰(何)が命の終わりを決定するのだろう」

「医師はどこまで患者の“生と死”に関わることができるのだろう」

幾つか例に挙げられた患者さんの話のなかに、末期の膀胱がんで転院してきたおばあちゃんの話がありました。
他臓器(胆管の話をしていたように記憶)まで転移し、腹水も溜まっていたようです。
前の病院ではもう余命幾ばくもないと言われ、すっかり希望を失った老夫婦…。
治療は望まず、静かに命を終えるために諏訪病院の緩和病棟へと来たのでした。

聞けば、老夫婦は蕎麦屋を営んでおり、やっと自分たちの時間を楽しもうとダンスを始めていたところだったそう。

まったく希望を失って死を待つばかりだったおばあちゃんを見て、鎌田先生は「このまま死なせるわけにはいかない」と決意します。
専門の医師に確認し、「完治はしないけれど、手術ができること。手術をすればダンスも踊れるようになるかもしれないこと」を話し、老夫婦を説得。おばあちゃんは手術を受けました。

手術はうまくいき、今度は「何とかダンスを踊れるようにしてあげたい」と鎌田先生は考えます。
そして、病院のフロアで、スタッフや患者さんに見守られ、腹水でお腹がぱんぱんになったおばあちゃんはやっとのこと着たドレス姿で、おじいちゃんと一緒にダンスを踊ったのでした。

おばあちゃんは「いい時間をもらった」と喜び、手術から1年後に亡くなります。
おじいちゃんは「いい思い出ができた」と喜び、おばあちゃんが亡くなったあとも時々病院を訪れているそう。

ふつうは家族が亡くなった病院は「嫌な場所」だけれど、いい最期であれば「思い出の場所」となり、医師ともつながっていく。この“つながり”が大事なのだと、鎌田先生は話していました。

確かに、私は夫が入院した病院に足を踏み入れたいとは思わないな…。
いい最期であれば、そこに足が向くのだろうか。
いい先生だったら、“つながり”は持ちたいと私も思うけれど―。

この話を聞いたとき、確かに美しいエピソードだし、みんな「良かった」と思っているのでいいのですが、どこか私のなかで引っ掛かるところがありました。

鎌田先生は、他の患者さんが「積極的な治療を望まない」ときに、その意志を尊重して緩和医療を行うことが多いにもかかわらず、なぜこのときは患者が望んでもいない「手術」をさせようと動いたのか。
もし、手術が成功しなかったら、どうなっていたのだろう。
そう難しくないものだったのなら、なぜその前の病院で早い段階でできなかったのだろう。
結果的にダンスを踊れる機会を設けられたからいいものの、もしできなかったらどうなったのだろう。
「良き死」とは「良き儀式」なのだろうか。

場所にもよるかもしれませんが、高齢になって手術を受けることがどんなに大変なことか、私は父や義父の経験を通じて知っています。
義父は末期でなかったにも関わらず、術後1年で亡くなりました。
腫瘍マーカーが高い値を示し、貧血があったことから再発または転移していたと思われますが、医師からは何の説明もありませんでした。
もし、手術しても1年しか持たないと知っていたら、義父は手術しなかったと思います。
もっと免疫力を高める苦痛のない治療法を選び、最期までふつうの生活を送りたかっただろうと思うのです。

とはいえ、25日の夜、TBSで放送していた、「家族に迷惑をかけたくない」と、かたくなに治療を拒んでいたがん患者の話もまた疑問を抱くものでした。
「治療をすれば助かる可能性はある」と医師は判断しますが、患者は拒み続け、「娘は自分が治療を受けることを望んでいない」と感じています。「生きることが苦痛」と感じている患者。
そこで娘に話をしますが、娘は「母が思うとおりにさせてやりたいので、母が治療を拒むなら、私もそうしてほしい」と言います。
結局、病院は患者の治療をしないことを決めました。

患者の「ほんとうの気持ち」は言葉と異なることもあります。
なかなか短時間の面談では引き出せないこともあるでしょう。
病気の説明の仕方によっても、知識の有無によっても、そのときの身体の状態によっても、「患者の気持ち」や「言葉」は変わります。

私は、「いい最期」が「いい人生」を決定するとは思わないんですよね。
たとえば極端な話、結果的に野垂れ死にしたとしても構わない(たぶん。すごく苦しかったら撤回するかな)。とにかく「今、このときを大事に生きたい」と思う。
そのために必要な医療は受けたいし、自分の体のこともきちんと知っていたい(余命は聞きたくないけど)。

鎌田先生は、たまたま死を間近に控えた患者さんと遭うことが多いので、そこをより良くしたいと考るのでしょうし、その姿勢は正しいと思います。
でも、治療の選択と決定に関しては、どうかな…。
正直言って、「最期」に向け、鎌田先生のいうところの「デザイン」をあまりにも意識的に進めていると、感じるところもありました。

私の友人は、病院から「お父さんは膵臓がんで、余命3ヵ月」と言われ、80歳を超えていたこともあり、何の治療もしないことを選択しました。
免疫力を高めるお茶を飲む程度で、ふつうに家で過ごし、食べたいものを食べ、自転車にも乗り、結局それから2年余り生きて寿命を全うし、亡くなりました。

いろんな人がいて、いろんな人生があり、いろんな考えがあります。
その考えでさえ、状況や周りの人たちにとって変わっていきます。

私たちは自分で生きているような気になっていますが、命は与えられたもの。
“そのとき”がくるまでは生きることしかできないんですよね。

ことさら「死」だけを切り取って美化するものでもない。
だから、一人ひとりの人間ができることとすれば、やはり「いまを大事に生きること」しかないのだと思うのです。


ああ、だらだら書いてしまいましたねー。
長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


※写真は房総のハーブ園で撮ったもの。温室にありました。名前は確認できず。相変わらず植物オンチでごめんなさい。


takutaku7and7 at 09:51|PermalinkComments(13) 病気全般 | がん全般

2007年03月28日

鎌田實医師のお話

58e4f020.JPGちょっと今、仕事の締切で大変なのですが、3月24日(土)に浜松で行われた鎌田實医師の講演のこと、流してしまいそうなので、忘れないうちに書きたいと思います。

鎌田さんについては、著書『がんばらない』と『あきらめない』がロングセラーとなっており、TVにもよく出るのでご存じの方も多いかと思いますが、諏訪中央病院を建て直した後、同病院の院長となり、早くから緩和ケアに目を向け取り組んだ方です。
また、チェルノブイリの救護活動への参加をきっかけに、世界の病める子どもたちのためにボランティア活動を続けています。

医師になったときから、一貫して地域医療に携わってきた鎌田さんの眼差しはやさしく、温かい。
きちんと患者とその家族に向き合ってきた人だから、現実をよく知っていて言葉に説得力がある。

鎌田さんは、他の病院で「もう治せません」「余命3カ月ですから」などと冷たく言われ、移ってきた患者さんを大勢看取ってきました。
生きる希望をすっかり失い、傷ついた患者とその家族に鎌田さんが正面向き合って接するうち、だんだん希望を持ち初め、残された時間を生き生きと過ごすようになる過程の話は、その当事者だけに胸打つものがありました。
ちゃんと本人が登場するスライドを見せながら話すということは、患者さんも了解していたわけですから、強い信頼関係で結ばれていた証ですよね。


中でも、スキルス性胃がんで余命3カ月と言われ他の病院から諏訪病院へ移ってきた女性の話には驚き、いろいろ考えさせられました。

前の病院ではあまりに激しい痛みで生きる意欲も失っていたのですが、痛みが取れると、彼女は「生きたい」と言うのです。
「上の子の卒業式にどうしても出たい」
余命3カ月と言われ、転院してすでに時が経っています。
医師も家族も驚き、迷い、そして本人の希望を叶えようと綿密な計画のもと抗がん剤治療を始めます。
そして奇跡的に無事卒業式に出ることができ、喜びに包まれました。

すると、今度は「下の子の卒業式にも出たい」と言い始めます。
それは無理だろうと、誰もが考えました。
しかし、ここでも再び奇跡が…。
何と彼女は夏を越え、秋を越え、冬も越えて生き続けました。
動ける身ではなかったので卒業式には出られませんでしたが、その後にお子さんと病室で卒業祝いをしたそうです。
入学した子の姿も見守り、4月まで生き抜き、そして亡くなりました。

鎌田さんは、この余命を超えた「生命力」を「抗がん剤が効いた」とは言いませんでした。
もちろん、その効果は少しはあったでしょう。
でも、それを上回る彼女の希望が明るさとなり、ナチュラルキラー細胞を活性化させたと鎌田さんは言います。
医学では説明のつかないことがある、人間には不思議な力があると。

鎌田さんは、ただ延命するだけの医療に反対している方です。
安易に呼吸器はつけません。
でも、本人の意志や希望を尊重します。
「生きたい」と思う気持ちを尊重し、できるだけ苦しまないように医療をほどこし、本人らしい時間を最期まで持たせたい、というスタンスです。
「きちんと病名と治療方法については本人に話すが、余命は告知しない」という点も、私と同じ考えなので、共鳴するところが多々あります。

そして、すごいところは、弱ったときの患者の「言葉」に惑わされないこと。
深いところで、本当に死を受け入れているわけではなく、「思い」があるときには、ちゃんと苦しみから抜け出て明るさと希望を取り戻すよう、患者に接し、努力します。

「冷たい介護は必要ない。必要なのはいいケア」と鎌田さんは言いました。
「人間はつながっている、思いは通じる」と。

「人と人」「人と自然」「体と心」
3つの言葉を挙げ、この“つながり”が大切なのだと教えてくれました。


と、ここまでは共鳴することばかり書いてきたのですが、実は疑問を持つこともありました。
たくさん、お伝えしたことはあるのですが、今日は取りあえずここまで―。




※写真は房総のハーブ園で撮影したもの(すみません、冬っぽくて)。まつぼっくりの間にある毛のような玉、何だろう?
私が仕事の後この講演に行った日、横浜に弟一家が両親を見舞うため訪ねていました。両親もとても喜んでくれ、兄一家とも楽しい時間を過ごしたとのこと。今朝起きたら弟から写真がメールで届いていました。母の幸せそうな顔を見ていたら涙がぽろり…。「ああ、横浜の施設に移って良かった」、そう思えた嬉しい報告でした。今度はぜひ私も参加して一族みんなで会いたいと思います。感謝!

takutaku7and7 at 07:38|PermalinkComments(5) 病気全般 | 介護・認知症について

2007年03月24日

私に漢方薬は必要ない?

e1c0be6d.JPGブログの更新が遅くなってしまいました。
今週から来週にかけては仕事のピーク。
書きたいことは山ほどあるのに、なかなか書く時間がなくて…(涙)

先週金曜日は、立川病院の石橋先生の診察日でした。
以下はその会話です。

先生「どう?変わりない?」
私「ええ、私は変わりないですけど、先生はずいぶん変わりましたね」
先生「あ、この頭ね。また前みたいに伸ばしてるんだけど」(“前と同じ”と言っても、私は修行僧のような石橋先生しか知りません)

私から、慶應病院でのCT検査を1月に受け、植松先生から順調な経過だと言われた話を伝えました。
先生「それは良かった。痛みは?」
私「胸の痛みもありませんし、どこも何ともありません」
先生「そういえば手の痛み、結局、リウマチじゃなかったんだよね。ちゃんと聖隷浜松病院の先生から詳しい検査結果の手紙が届いたよ」
私「そうなんです。あれ、結局何だったのかわからないのですが、嘘のように痛みが消えたんですよね」

聴診器を胸と背中に当て、そのあとに首のリンパ腺付近を触診。

先生「大丈夫、異常はなさそうだね。リンパも腫れてないし。あ、そういえばブログ読んでいるよ」
私「あ、それはどうもありがとうございます」
先生「TAKUさんの考え方って、よくわかるし、だいたい僕も同じなんだ。ただね、ひとつだけ言ってもいいかな」
私「もちろん! どうぞおっしゃってください。何でしょう」
先生「漢方薬のことなんだけど、西洋医学的な処方がされている場合が多いと思うんだよね。今のツ○○なんかが出している薬の中でも、西洋医学的な発想からできているものもあるし(小青竜湯のことを言ってたかな?ちょっと、うろ覚え)。そういうのはちょっと違うような気がするんだ」
私「ああ、何となくわかります。ちゃんと漢方医が東洋医学的に全身を診て、その人に合った漢方薬を調合して出すものではないから、対処療法になっているという意味でしょうか。私はずっと十全大補湯を服用してますが、石橋先生は必要ないと思いますか」
先生「TAKUさんは、呼吸法もやっているし、副交感神経優位の生活をしているから、必要ないと思うよ」

このあと、漢方薬から有機野菜の話やらいろいろ話をして…。

私「さんざんお話を聞いた後でとても言いにくいんですが、今日実は十全大補湯を処方していただこうと思ってきたんです…。あはっ、先生、出してもらえないですよね」(どひゃ〜!! 自分でも笑っちゃうというか、申し訳ないというか)
先生「(ぽっと、顔が赤くなったような…)いや、出すよ」(苦笑)
私「すみませーん」

ああ、何とも恐縮しながら、席を立ったのでした。

でも、いいお医者さまですねえ、石橋先生。


漢方薬のこと、もっともっと本格的に知りたくなってきた私です。



takutaku7and7 at 07:28|PermalinkComments(10) 代替医療 | 写真アルバム

2007年03月20日

放射線治療について

61699bec.JPGご無沙汰していました。

日記を更新していないのにアクセス数が多いのは、今朝のNHK「生活ほっとモーニング」で放射線最前線についての放送があったからでしょうか。
11月15日放送分を再構成したものだそうですが、見始めたらいきなり三次元ピンポイント照射の説明で植松先生登場! あ、これ前にちゃんと見ていた番組でしたね(^^;)

見ながらあらためて気づいたことがあったので、幾つか挙げておきますね。

・ピンポイント照射の治療後、まるで魔法のようにパッとがんが消える、という印象を持たれた方もいるかと思いますが、実際は放射後に軽い肺炎のような状態になるのでCT画像では全体が白くなり、だんだんそれが薄れていくに従って、がんが消滅したことがわかっていくことになります。私は小さい腫瘍なので尚更わかりにくいのかも。取り上げられていた画家の方は、腫瘍が5cmだったでしょうか。大きいのでその差も歴然としていたのかもしれません。いずれにせよ、何年か経過観察をしていくうちに消えていることを確認することになります。

・放送をご覧になった方はお気づきかと思いますが、ピンポイント照射が適応するがんに、乳がんが入っていませんでした。これについては、植松先生に私が質問したときの会話をブログにアップしていますが(今年の1月18日の日記を参照のこと)、先生は「乳がんに対してきわめて有効」とおっしゃっています。2cm以下の腫瘍なら切らずに治せるので、女性にとってこんな嬉しいことはありません。ただし、手術後に行う放射線治療が必須であるのと同じく、ピンポイントの場合もさらに通常の放射線治療は行われます。

ただし、まだ「保険診療として認められていない」んですよね。
つまり自由診療なのですが、植松先生のいる「UAS オンコロジーセンター」では、保険治療で受けられるよう治療の組み合せ(表現がちょっと変ですが詳しくは直接おたずねください)を行っています。

・がんの予防としての放射線治療について説明していましたが、これも誤解を招く表現だなあと感じました。
番組では、乳がんの手術後に「再発を予防するため」に放射線治療が有効であると説明。
5年後の再発の割合を比較すると、
放射線なし=26.1%
放射線あり=7.4%
つまり、放射線を受けた人は放射線を受けなかった人に比べ、再発のリスクは4分の1という結果です。

一方、10年生存率を比較すると、
放射線なし=64.1%
放射線あり=69.5%
つまり、放射線を受けた人は放射線を受けなかった人に比べ、生存率が5%高いという結果です。
「5%の差は大きい」とゲストの医師は強調していましたが、私は「放射線を受けたとしても、生存率は5%しか違わないんだ」と思ってしまいました。
本当はどういう進行度の人がどうなったのか、という内訳が知りたいところですけどね。

私が思うに、術後に放射線をかけるという意味は、次のようなことなんじゃないでしょうか。
ひとつのがんが見つかったということは、どこかにまだがんが潜んでいる場合がある。だから、腫瘍近くに「目に見えないほどの小さながんの芽を殺すため」照射する。
これによって確かに再発のリスクは軽減できるが、同時多発的に起こっている他の部位のがんにまでは効かない。がんになっている人は免疫力が落ちていているため、年月を経て他の臓器のがんの芽が大きくなることは十分考えられるのではないかと。

・乳がんの治療の後、放射線をあてることは当然のことのように医師は説明しますが、その“大変さ”についてあまりにも説明がなさ過ぎます。皆さん、手術にばかり気を取られがちで、「温存法だから5日で退院できて傷跡も小さい」と安心するのですが、人によって差はあるものの、その後の治療として提案される放射線治療やホルモン治療の方が手術より辛いものかもしれないんですよね。
実際、私は大変でした。
術後の放射線は週に5日、5週から6週に渡って毎日通うという束縛の辛さがまずあります。また、倦怠感、疲れ、熱っぽさ、照射部の痒み、若干の痛み、皮膚が硬くなる、焼ける、といった副作用も。断っておきますが、同じ放射線でもピンポイント照射に関しては治療中に感じる副作用はまったくありませんでした。
ちなみにホルモン治療のほうは、あまりの辛さに私は止めてしまったほど辛いものでしたねー。

・もう一つ気になったのは、放射線治療はがんの標準治療にもかかわらず、その専門医の数はとても少ないのです。放射線治療専門医は全国でたった500人。東京など首都圏に集中していますから、地方では本当に少ないはず。これでは安心して受けることができません。

・さらに、この前の日記にも書きましたし、番組に登場した方も話していたことですが、がんになった際にいきなり「放射線を窓口として初診を受ける人はまずいない」ため、どうしても診てもらった医師の治療法を勧められがち。もっと患者側の考えや生活、価値観によって治療法が選択できるよう、情報提供を行って欲しいと思います。
また、大きな病院ではチーム医療を基本としていく姿勢も必要なのではないでしょうか。



※写真は3月17日、房総で撮影した菜の花畑。暖かそうに見えますが、実は小雨の降るさむ〜い日でした。立川病院に行った話などをアップしようと思っていたのですが、朝のTV番組を見てしまったので急遽変更。ここ数日の話はもう少しお待ちくださいね。



takutaku7and7 at 16:53|PermalinkComments(8) 肺がん,、ピンポイント照射について | 写真アルバム

2007年03月16日

今日から東京へ

004a717c.JPG今日は午後に、立川病院石橋先生の診察があります。
最近、読み始めた方は事情がわからないかもしれませんが、私の肺がんの主治医である植松先生がピンポイント照射をご自身で行っていなかった時期があり、その間に私が治療をすることになってしまいました。
そこで、植松先生が開発したピンポイント照射と同じ設備を整えて治療を行っている立川病院を紹介されたというわけです。
もっと遡って、「どうして浜松に住んでいるのに東京まで通っているんだ」という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、そもそも肺に腫瘍が見つかったとき住んでいたのが千葉県流山市だったんですよね。
途中から浜松へ引っ越したのですが、当時静岡県内でピンポイント照射を行う医療施設はありませんでした。

昨日、「最初にどの科にかかるかによって治療法の選択が変わる」という話を書きましたが、まさにそれを経験したのが私です。
最初に見つかった国立の病院で外科医に回され、開胸手術を勧められました。
まだ悪性だと確定していないのに、細胞診は危険だから手術をするといいます。
それなら内視鏡手術をしてほしいと言いましたが、「まだ新しい治療法なので勧められない」という答え。
同じ系列の別の病院ではもうしているのに。
要するに、その医師は経験がなくできないということだったんですね。

そこで自分で調べ、他の治療法を探るためにセカンドオピニオンを求めて、血管内治療の奥野医師と、ピンポイント照射の植松医師の元へ行ったのでした。

私が開胸手術を拒んだ理由は、
・なるべく体にメスを入れたくない(それまで私は小さな手術まで含めると7回も受けています)
・できるだけ負担が少なく、短期間で回復し、後遺症や副作用のない治療が受けたい。
・これまでと同じように生活したい。
という理由でした。

この「理由を持つ=自分の考えを明確に持ち、伝える」ということが大事だと思うんですよね。
本人ができなければ、家族や身内同様の親しい友人が付き添っても構わないので、どういう生活スタイルで、どういう考えと性格の持ち主かを伝えて欲しい。

先日のETV特集に出ていた女性は、夫を咽頭がん(だったかな)で亡くしたのですが、医師に勧められるまま手術を受けます。夫はグルメで何よりも食べることが好きだった。
ところが、手術後まったく食べられる状態に回復することはなく、無念さを抱えたまま、亡くなりました。
「そうなるとわかっていれば手術は選択せずに、好きなものを食べさせてあげたっかた」と女性は悔やみ、自分を責めていました。

あ、もう出なくちゃ!
中途半端ですが、お許しを。

診察の後は仕事やプライベートな用事もあり、月曜まで東京&横浜です。

※写真は、先日の「西浦の田楽」の帰り、真っ暗な森に降る細雪を撮影したつもりだったのですが…、こんな写真になりました。ちょっとシュール?

takutaku7and7 at 10:11|PermalinkComments(3) 肺がん,、ピンポイント照射について | 写真アルバム

2007年03月15日

医師の勧める治療は必ず正しくベストか

1176daaa.JPG3月10日夜、NHK教育で放映された「土曜フォーラム」は、肺がんの治療法の選択というのがテーマでした。

これが期待以上にいい番組で、もし「医師は必ずベストの治療を勧めてくれるから、任せていれば安心」と思っている方が見たなら、さぞショックを受けたことでしょう。

公開フォーラムの壇上に並んだのは、東京医科大学の教授で外科医、国立がんセンター東病院副院長で内科医、京都大学大学院 の放射線医、国際医療福祉大学の外科医であり光線力学の専門医と各分野で活躍する医師たち。

まず、現在の肺がんの状況説明から。
肺がんは、今や胃がんを抜いて日本人がかかるがんの死因トップ。男性で1位、女性でも3位から2位に上がる勢いだそう。

肺がんの種類と病期の判断、標準的治療法の説明があり、そのあと視聴者から寄せられた治療法選択の相談について、ケースごとに各医師が「自分が主治医なら勧める治療法」を挙げ、そこに順番をつけていくというスタイルでフォーラムは進められました。

たとえば、初期の腺がんで左肺に1cmの腫瘍とか、小細胞がんで転移ありといったように、年齢や今の医師から言われている判断なども話し、それについて各先生がボードに「手術」「放射線」と治療法の札をお勧めの順番に貼って掲げていく。

驚いたことに(当然ともいえるけど)、4人の先生方、まずほとんど意見が全員一致することがない。
「手術をすべきだ」という人もいれば、「いや、放射線のほうがいい」という人もいる。
「高齢だし、何もしないほうがいい」と先生が言ったのに対し、「いや、この方はお元気そうだし、手術しても大丈夫」と別の先生が言う場面もあって、なかなか興味深かったですねー!

問題になっている内服抗がん剤ゲフィチニブ(商品名イレッサのこと)についても、慎重な意見と、効果がある条件を挙げて推奨する意見とに分かれていました。

再発した「すりガラス状のがん」については、「だいたいですねー、再発や転移の人の肺をヘリカルCT(精度の高いCT)で見ると、細かい腫瘍が幾つかあるもんなんですよ。中にはいっぱいある人もいて、すりガラス状に見えることがある。それはいわゆる“がんもどき”と言われるもので、あまり気にすることはないんです」とある先生が解説。

ふーん、時代もずいぶん変わったものですねえ。
慶應病院の近藤誠医師が「がんと闘うな」という本を出し、「検査によって、本当は自然に治るがんもどきまで手術している」と言ったときには、有名な医師たちはこぞって近藤医師を袋叩きにしたじゃありませんか。それが、今はふつうに「がんもどき」と医師たちも使っているのですね。

新しい治療法として紹介されていたのは、「定位放射線照射」(=ピンポイント照射。現在、全国60施設で受けられるそう)と「光線力学療法」。

この「光線力学療法」について、私はよく知りませんでしたが、皆さんはご存じですか?

「PDT」とも呼ばれる、光化学反応を利用した内視鏡によるレーザー光線照射法なのだそう。
肺がんの場合、煙草などが原因で肺の中央の気管支付近にできるがん(中心型)は、CTなどの映像では映りません。
なので、早期発見が難しいのですが、痰を調べる「喀痰(かくたん)検査」を受けてがんと診断されれば、初期で小さい腫瘍の場合、レーザー光に反応する薬剤を入れ、そこを目がけてレーザーを照射すれば簡単に消滅できるそうです。ふつうのレーザー治療との違いはよくわかりませんが。

他の正常細胞を傷つけることもなく、副作用もなく、いたって安全に治療できるのが特徴で、しかも大きな病院であればどこでも設置されている設備だというではありませんか。
そして先生が言ったのです。
「 かなり以前からある治療法なんですけど、なぜか行う病院が少ないので、知られていないんですよね」

なぜ?!

ネットで調べたところ、肺がんのほかにも内視鏡が入るところなら治療可能で、子宮頚がんや胃がん、食道がんにも有効とのこと。
ただし、初期に限りますが、それでも手術や抗がん剤を使わなくて済むならそのほうがいいですよね。

このフォーラムを見終わって何がわかったか―。

・医師は自分の専門の治療を第一に勧める。
・医師は自分の専門の治療では救えない、と判断すると、まず「助からない」と思う傾向にある。
・医師は自分の専門外の治療法については、あまり知識を持っていない。
・難しい症例の場合、患者の年齢や状況により、治療の選択については医師もかなり迷うものだ。

つまり、最初に「どの専門の先生に診てもらうか」によって、治療の運命は分かれていくということですね。

さあ、あなたはそれでも「私は素人なので、プロであるお医者さんにすべてお任せします」と言えるでしょうか。


※写真は先日の「西浦田楽」。他のカメラのフラッシュが同調して、こんな面白い色合いの写真になりました。

takutaku7and7 at 15:54|PermalinkComments(3) がん全般 | 肺がん,、ピンポイント照射について

2007年03月11日

医師と患者をつなぐもの―ETVワイドを見て

7a8890da.JPGNHKでは、がん特集など医療関係の生番組をこれまでも放送しています。
夕べ放映された「ETVワイド ともに生きる」は、“エライ人”が参加していなかったせいか、とても自然な流れだったので、好感を持って見ることができました。

テーマは「医師と患者のコミュニケーション」。

ある調査で「十分に対話していますか」というアンケートをとったところ、
医師の67.8%が「している」と回答しているのに対し、患者は38.4%が「している」と回答。

これは結局、医師の側は十分準備して必要なことを説明していると思っているが、患者はわからないことがあってもそこで聞けずに十分理解できていなかったり納得していなかったり、という「溝」があるということのようですね。

辛い症状を訴えても「気のせい」と言われたり、心ない言葉を言われたり、納得いかない治療をされて何も言えなかった家族の話が出たり…。
先日書いた通り、私もかなり医師の言葉で傷ついた経験があります。

スタート時、患者が医師から受けたひどい言葉や経験の話が続いたので、どんな展開になっていくんだろう、と思っていたら、小堺一機がいいことを言いました。
「こういったテーマなので当然コメントは被害を受けたという意見が多く集まると思うが、被害者、加害者にしてしまうと、単なるバトルになってしまう。せっかく医師と患者が集まる場が設けられたのだから、そうならないようにしたい」と。

忙しい医師の現場の様子、患者とコミュニケーションをとるよう心掛けているという医師とその患者、病院の中に設けられた誰もが気軽に訪ねることができるサロン的な患者会、病院で取り入れている「医療メディエーター」の存在といった事例がレポートで紹介されていました。

一番、関心を持ったのは、「医療メディエーター」です。
患者から話を直接聞きその立場に寄り添い、医師からも直接話を聞く。そしてお互いがコミュニケーションを取れない原因を客観的に把握し、それを両方に伝え、もう一度きちんと話し合える場を持つようにするというのが、その役割。

常々、医師と患者をつなぐコーディネイター的な存在がどんどん増えて欲しいと思っていたので、これはいいなあと思いました。

番組に出ていた医療メディエーター豊田さんは、5歳になる子どもを医師の誤診により失ったという辛い経験を持っている女性。何度も説明を求めましたが、医師に会うことはできず話は聞けなかったそうです。
ふつうなら、こういう経験をした場合、病院に怒りや恨みを抱き、敵対視する人が多いのに、なぜ敢えてこうした職業に就き病院にいるのか―。
その医療ミスの事件が発覚したのは病院からの内部告発だったとのこと。医療従事者たちが自分の身の危険まで侵し、なぜそういう行動に出たのか。という疑問から発し、多くの医療被害者家族との出会い、心ある医療者との出会いがあったそう。
悲劇はどちらか片一方だけではないと、心が回復するうちに感じていったそうです。

豊田さんは、密室の間の出来事ははっきりしないことが多いので、なぜそういう「すれ違い」や「誤解」が生じてしまったのかということを互いに知る必要があるといいます。
間に人がいることによって「争い」ではなく「理解し合う」という気持ちになっていき、互いに「気づき」を得ていくと。

印象的だったのは、「私は有資格者ではないので、もし医学的な争いだけであれば、私は役に立たないのだと思います」という言葉。
そうなんですよね、案外患者は第三者に話すだけで気持ちが落ち着くものなのかもしれません。

また、別の病院では、患者の自己決定をサポートする体制を整えていました。
医師の説明の後に専門の看護師が患者と話し、きちんと医師の話を理解しているか、何か疑問や不安を覚えていないかを聞き取っているのです。
こういうシステムを取り入れると、医師は時間を取られず医療に専念でき、患者さんも「聞きたくても聞けない」というジレンマがない、というわけです。

患者会も病院と深く関わっていて、ボランティアでサポートしたり、患者の立場で意見を病院に伝えたりということを行っていました。

医療者と患者の垣根がはずされていくことはいいことです。


さらに望むのは、そうした動きをしっかり国が支えてほしいということ。

医療崩壊の日本とならないように―。


※写真は義母宅の庭で1週間前に撮影した「蕗の薹」です。


takutaku7and7 at 17:15|PermalinkComments(9) 病気全般 | 写真アルバム

2007年03月10日

「スマステ」乳がん特集に宮崎ますみさんが生出演!

8d470bda.JPG情報キャッチが遅くなったので、間に合わない方も多いかもしれません。


今晩、テレ朝系11時〜「スマステ」乳がん特集に、宮崎ますみさんが生出演します。
最新治療法についての紹介もあるようです。
ぜひ、ご覧くださいね。
詳しくは「スマステ」のHPをご覧ください。


同じく今晩8時からNHK教育で放送される「ETVワイド ともに生きる」も見たいなー。
新聞の番組欄には、
「心通う医療のために・患者と医師のコミュニケーション、医師の心ないひと言に傷ついた患者の叫び、超多忙!患者と向き合えない医師の悩み、意識のズレを埋める突破口は?、小堺一機・アグネスが自らの病の体験を語る」
とあります。


あ、またその下の番組欄発見!
夜11時半からの「土曜フォーラム」では、手術・抗がん剤・放射線の選択を取り上げるようですね。
「スマステ」と同じ時間帯。おまけに私は今晩7時からヨガ教室です。
忙しいですね〜!
録画の準備しなくちゃ。



※写真は、3月4日、神戸から浜松へ戻る新幹線から撮影した夕景。ちょうど飛行機が沈む夕日に向かって飛んでいました。



takutaku7and7 at 16:45|PermalinkComments(4) 乳がんについて | 病気全般

2007年03月08日

月と炎と舞と神

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闇につつまれた山の向こうに月が姿を現すと、神を迎えるための舞が始まった。

燃える薪が時折爆ぜ、火の粉が舞い上がる。

火の粉はまるで生きているように宙を泳ぎ、天を目指して昇っていく。

ゆっくりと、あるいは素早く、炎と人が同調するように舞う。

1300年前、修験者(しゅげんじゃ)たちが伝えたという中世の舞を

山里の民たちは守り続けてきた。

笑いを誘う問答は、確かにこの世に生きる今の民たちのもの。

だが、ひとたび舞が始まり、

単調ながらも独特な笛と太鼓の響きの中、繰り返し繰り返し舞いながら、
民は神の迎え人となり、
時を超えて、舞い継いできた代々の踊り手と一体となる。

神を迎える舞が始まる、その時。
月は白くその輝きを増し、
空気は冴え渡り、炎の柱が天高く伸びていく。
火の精たちが舞い上がっては消え、
白い灰となって落ちてくる。

さらに、細かな白い灰は人々の上に舞い降りては、すっと消えていく。

よく見れば、それは雪…。
月が煌々と輝くその夜空から、ちらちらと舞い落ちる雪。

あまりにも鮮やかな神の演出に、思わず感嘆の声が漏れてしまう。


「神秘」という言葉を体感した、西浦(にしうれ)の夜―。




※1300年もの間、守り継がれてきた中世の舞「西浦(にしうれ)の田楽」を見るために、今年も浜松と長野の県境の奥深い山里、水窪(みさくぼ)へ行ってきました。毎年、旧暦の正月1月18日、月の出から月の入りまで47番もの舞いを踊り続けるこの伝統芸能は、国指定の無形民俗文化財。昨年は深夜0時から明け方5時までいましたが、最後まで見ることができませんでした。今年こそ最後まで!と思ったのですが、9時半から見始め4時で限界。眠気と寒さに負けてしまいました…。来年は早寝して夜中の3時頃からラストまで見届けたいと思います。炎の舞い

takutaku7and7 at 22:57|PermalinkComments(6) 写真アルバム | 詩のようなもの・雑文

2007年03月07日

自然治癒力を高めるオススメ本

2a9a8777.JPG最近、相次いで知り合いの方が、がんと診断されたり、入院されています。
再発の心配をされている方も…。

検査結果が出て、治療方針が定まるまで落ち着かないという方もいらっしゃるでしょう。
手術や抗がん剤治療を受けたものの再発や転移に不安を覚えている方もいらっしゃるでしょう。

黙って医師の治療を待ち、受けているだけでは落ち着かない。
何か自分でもできることはないだろうか…。

そんな不安な気持ち、とてもよくわかります。
私も同じでしたから―。

そこで、以前から少しずつ取り上げていきたいと考えていた本を一挙公開!

もう数年前に読んだ本が中心になりますが、いま読んでも参考になるかと思います。
いずれも自然治癒力を高めるための、さまざまな方法について書かれたもの。
難しいのは苦手という方、理論が明確でなければ納得できない方、それぞれに向いた本がありますので、ご自身が読みやすい本をどうぞ。
詳しい解説やレビューは、アマゾンなどで検索してくださいね。


写真左上から。

●「心身自在」(アンドルー・ワイル) 角川文庫
下の「癒す心、治す力」の理論を日々の暮らしの中で実践するための案内書。本来誰にでも備わっていいる自発的治癒力・免疫力を甦らせ、身体と心、そして人生をも変えていく。※呼吸法、食事のメニューなどあらゆる代替療法について細かく実践的に解説しています。

●「笑いは心と脳の処方せん」(昇 幹夫)リヨン社
私が購入した中では最新本。大阪で産婦人科医診療を行いつつ、日本笑い学会副会長として全国で講演を行っている。笑いが免疫力を高めるメカニズムを楽しくわかりやすく解説。自然治癒力を高め、がんから生還した人の話も載っている。※この先生、本当は講演のほうが面白いです。もし機会があったらぜひどうぞ。

●「笑いと治癒力」(ノーマン・カズンズ)岩波書店
これは以前にも紹介済み。不治と言われた難病を「笑って」治したジャーナリストが綴る自らの闘病体験本。笑いとユーモア、生への意欲が奇跡を起こすことを例証する。心とからだの微妙な関係に注目し、全人医療の在り方を問う。※この本は何人の方にプレゼントしたかわかりません。いま病気ではない方にもオススメ。

●「内なる治癒力」(スティーヴン・ロック+ダグラス・コリガン著)創元社
精神免疫学者が説く「こころと免疫をめぐる新しい医学」。全人的な視点を持ちながらより科学的で有効な行動医学をもとにして書かれた専門性の高い本。※少々難解。医師や医療関係者の方々にも読んで欲しいですね。

●「がんのセルフ・コントロール」(カール・サイモントン、ステファニー・M・サイモントン、ジェームス・クレイトン共著)創元社
「サイモントン療法の理論と実際」という副題がついている通り、イメージ療法のパイオニアでありその名がセルフ・コントロール法の代名詞ともなっているサイモントン博士の著著。※全人的なアプローチでがんメカニズムを解き、具体的なイメージ療法のプログラムを実例に基づき紹介しています。

●「癒す心、治す力」(アンドルー・ワイル)角川書店
最初にご紹介した本の原著ともいえる本。第一線で活躍した医学博士としての経験から自然治癒力に着目し、あらゆる代替医療を研究。12年も前に出た本だが、いまでも十分参考になる。※「心身自在」より専門的で理論のウエイトが高い。

takutaku7and7 at 14:35|PermalinkComments(7) 本の話 | 自然療法

2007年03月05日

その耳かきの名は「ミミダス」

462d9e46.jpg3日の「耳の日」にちなんでご紹介した、愛用の耳かき、「どこで買えるの?」という問い合わせがありましたので、調べてみました。

私が購入したのは今から6、7年前。
一時帰国した際、面白いプレゼントを探して入った新宿の「王様のアイデア」で見つけたものです。

調べてみて、さらに愛着が深まったのですが、この耳かきの名は、21世紀の耳かき「ミミダス」といい、発明したのは日本人の建築家。
夫人が耳かきで耳を痛めたのをきっかけに、医学書で耳の構造を学び、図面を引いて“理想の耳かき”を試作し、およそ半年で完成。
99年に出来上がった商品は大ヒットし、その年のグッドデザイン賞に輝きました。

以来、各社がさまざまな耳かきを競い合うブームの先がけとなったようです。

販売しているのは、東急ハンズ、王様のアイデア、紀伊国屋や三省堂など大手の書店、コンビニのサンクスなど。
詳しくは「ミミダス」のHPにアクセスしてみてくださいね。


写真は昨日、義母の住む高齢者マンション近くにある公園で見かけた桃の花。
桃の節句、義母の誕生日にふさわしい、自然からのプレゼントとなりました。

それにしても、叔父たち「シルバー・パワー」には圧倒されっぱなし!
淀みなく溢れ出るような昔の思い出話や田舎の暮らしについての話に、ただただ耳を傾けていた2日間でしたねー。

夕べは神戸から戻るとすぐに、お世話になっている浜松のタウン誌の編集長宅へ。
これまた陶芸家のY先生の誕生日を祝って、少し遅れての食事会。
美味しいちらし寿司とワインを戴き、楽しいお喋りに話を咲かせたのでした。

さっ、気分転換したところで、エンジン全開、仕事に取り掛からなくちゃ!

takutaku7and7 at 10:23|PermalinkComments(7) 写真アルバム | 息抜き

2007年03月03日

3月3日は…

473d9c05.JPG桃の節句ですね。

いま、ラジオを聴きながらキーボードに向かっていますが、3月3日は「耳の日」でもあるそう。

そこで、きれいに掃除した耳でいい音を聴こうというわけではありませんが、私が長年愛用している耳かきをご紹介しましょう。
昔ながらの竹製も持っているのですが、購入するときに「使用感」がわからないため、なかなかお気に入りに巡り合わないんですよね。

その点、この写真の耳かきはスグレモノ!

ステンレス製で、先がバネのように(ら旋状に)巻かれています。
痛そうに見えるかもしれませんが、耳に差し込むとほどよい柔らかさで自由に動かすことができ、気持ち良〜く耳の中を掻くことができるのですよ。

特に今の季節、花粉症のため耳の中までかゆーい、という方にお勧め。
耳の中を傷つけることなく、それこそ「痒いところに手が届く」ように掻くことができます。
このステンレス棒の後ろ、黒い部分をはずすとブラシになっていて、バネ部分に溜まった耳垢をさっ、さっと落とせちゃう。

また、先端部分はボール状のところをつまんで引っ張るとはずせ、引っ繰り返して棒部分にすっぽり納めることができます。
衛生的だし、スマートでしょ。

シンポジウムの続きを書けないまま、私は今日と明日、神戸へ。
明日が義母の誕生日なのです。
義母方の親戚も3名ほど集まることになっていて、今晩は楽しい宴になりそう。


歩きながら、電車に乗りながら、今日はふだん気づかない音に耳を澄ませてみたいと思います。

takutaku7and7 at 07:57|PermalinkComments(4) 息抜き | 日記

2007年03月02日

きっかけ

fe52005b.JPG忙しくて、なかなかブログ更新ができずにいます。
ああ、もどかしい。

まず、水曜日に受けた婦人科検診のご報告から。
右卵巣のう腫と診断されて7年近く経ちますが、昨年暮れあたりから痛みがほとんどなくなり、まったく違和感もなくなっていました。
なので、「女性ホルモンの分泌が減ってきたようだし、おっ、これはもしかしてのう腫がなくなってるかも!」と淡い期待を抱いていたのですが、やはりのう腫はしっかりありました。

佐々木先生「大きさは7.4cm×4cmぐらい。前回とほとんど同じね」
私「やっぱり大きいままなんですねえ…。痛みがないから小さくなってると思っていたんですが」
佐々木先生「でも、水性のものだから心配ないし、内蔵を圧迫することもないから(水なので自由に動くという意味らしい)大丈夫。このまま様子をみるということでいいんじゃない」
ということで、また半年後に検診を受けるということでおとがめなし。

それにしても、今回の子宮頸癌検査は痛かった〜!
子宮頚部から組織を採取するために少し切り取るというか削ぎ取っていると思うのですが、今までは「あ、痛い」程度だったのが、今回は「わっ! い、いたあ〜い! 痛いですっ!!」と思わず悲鳴を上げたほど。
どうしてでしょうねえ。

血圧は前より下がって、まずまず正常値。ほっ。
血液検査は郵送してもらうことにしました。

免疫力を高めるための「十全大補湯」と鼻炎を抑える「小青竜湯」を処方してもらい、午後からの仕事に間に合うよう急いで浜松へ戻ったのでした。

終末期医療の話は、何とか今日中にまとめたいなあ。

最近、仕事関係の人もブログを読んでいるので、仕事が進まないのにこっちが進んでいるとどうも…(汗)

この前の続きを書く前に、私が終末期医療に関心を持つようになったきっかけだけ書いておきますね(以前にも書いたので繰り返しになりますが)。
それは、夫が食道がんになり急遽帰国したものの、入院した病院で「末期がんで肝臓にも転移しており、根治の望みはない」と言われ、さらに家族だけに「余命半年」と告げられたことから始まりました。
一時は放射線と抗がん剤治療により、食事ができるまで元気になりましたが、治療開始から3カ月で再びがんが増殖し始めました。
いきなり「終末期」を迎えることとなったのです。
でも、本人も家族も希望は持っていますから、副作用が強く可能性の低い抗がん剤は止めて血管内治療は受けたい、ということになりました。

当時の主治医は、「この病院に入院したまま、血管内治療を受けに行ってもいい」と言ってくれたのですが、海外出張となったため他の医師が担当となりました。
血管内治療の話を聞くと、猛然と怒りだし、「だいたい君はもうホスピスに行く段階なんだよ。ここは“治すための治療”を行うところで、入院の順番を待っている人がたくさんいるんだ。抗がん剤治療を受けるならここにいてもいいが、そんな訳の分からない治療を受けるのなら退院してもらうしかありませんね」と言って部屋を出ていったのです。

夫のショックの大きさはとても言い表せるものではありませんでした。
私はすぐに医師のところへ行き、「医者の言葉は薬にもなりますが毒にもなるんです。どうか患者に話すときには言い方に気をつけてください」と抗議しました。

そこの病院にはホスピスが併設されていましたが、何と3カ月待ちだというではありませんか。
ホスピスに行く段階だと言いながら、ホスピスには入れない。
この矛盾!
それからすぐに別の病院へ転院の手続きを取り、同時に私は「家で暮らしたい」という夫のために、在宅介護の準備を始めたのです。

夫の両親が「神戸の家を売って一緒に住んでもいい」と言ってくれたので、みんなで住む家を探しに夫と見に行ったりもしました。
ぎりぎりまでそんな“夢”を追い続けけたかったのかもしれません。

でも、在宅介護を受けたくても私たちの前に様々な“壁”が立ち塞がりました。
夫は38歳と若かったため介護保険は受けられません(今は年齢が下がったものの、それでも40歳以上です)。
つまり在宅介護を受けたくとも、自費になってしまいます。
車椅子や電動ベッドを借りるにしても、介護保険対象者優先だったり、そもそも若いがんの末期患者は借りられなかったり…。

そこを必死に頼み、情報をもらい、電動ベッドは市のリサイクルで探し出し、車椅子も特別に貸し出してもらいました。

他にも受けられる援助や控除など、困ったことは枚挙にいとまがないほど。
また、医療においても夫が最初に入院した病院では国立でありながら、「抗がん剤治療は受けたくないが、痛みと苦しみを取り除く治療と、必要な検査は受けたい」という私たちの希望は聞き入れてもらえませんでした。

つまり「終末期をちゃんと生きる」ための社会的基盤やさまざまな体制、緩和医療がおそろしく貧弱で不備なものだということをそのとき初めて知ったのです。
こういったことなくしては「尊厳ある死」など、あろうはずがありません。

呼吸器をはずす、はずさない、といった問題だけが「終末期医療」の問題ではないんですよね。

3人に1人がんで亡くなる時代です。
もちろん他の病気や怪我で急に病院に運び込まれることもあるでしょう。
この世に死なない人などいいないのですから、長さは別にして必ず誰にでも「終末期」は訪れるのです。

どのような人であっても、またどのような終末期であろうとも、きちんと望む医療が受けられ(積極的治療だけでなく過剰な医療行為をしないということも含め)、安心して生き、死んでいくことができる―。
それが、「尊厳ある死」であり、理想(当たり前)の「終末期」だと思うのです。

あらら…、“きっかけ”の話のつもりがすっかり長くなってしまいました。
ごめんなさい。


※写真は先日の東京プリンスホテルの夜桜、アップです。

takutaku7and7 at 13:47|PermalinkComments(8) がん全般 | 子宮・卵巣の病気