宮崎ますみさんが「がん緩和医療番組」に出演参議院行政監視委員会で小出氏、孫氏らが原発事故について発言!

2011年05月05日

故郷・岩手から戻りました

吉里吉里


津波により1m40cmほど浸水した実家を解体することになり、家の片づけと支援物資を手渡すため、岩手県宮古市へ行ってきました。

往復2400キロの旅でした。
行きは弟と交代の運転でしたが、兄は運転しないので帰りは私一人。
渋滞のため盛岡―横浜間が13時間!
横浜―浜松間は深夜だったこともあり幾分空いて4時間。
さすがに疲れて、夕べは爆睡してしまいました。

いろいろな思いが巡っています。

想像を絶する、海沿いの町の無残な光景…。
言葉も出ませんでした。

ふつうは、テレビに出る映像や新聞などに載る写真って、実際よりも誇張して見えるものですよね。
一番酷いところを切り取って見せているから。
現実には「たいしたことないじゃないか。ほんの一部がひどかったんだ」と思うこともしばしば。

でも、今回の震災で津波の被害を受けた沿岸部は違うんです。
見渡す限り瓦礫と化した集落が一山越えるごとに現れます。

それがずーっと続いている。

同じまちでも、たとえば私の実家から海の方向に向かうと、5mごとに風景が変わっていく。
一見、外観はふつうに見えても、中は何もないかグシャグシャ。

船が町中に流れてきているのは特別な風景ではありません。
車が建物の上に乗っているのも…。

地上に見えているのと同じくらいの瓦礫が海にも沈んでいるそうです。

途方に暮れるような膨大な瓦礫の山をどうやって片づけていくのでしょう。
運ぶところは?
瓦礫にはさまざまな有害物質が含まれ、塩化ナトリウムはそれらの発生を強める上に焼却炉を傷めるので、すぐには焼却できないとも聞きました。

科学者の方、何とか毒を中和し、瓦礫を用いてその場で防波堤に造りかえることはできませんか。
英知と優れた技術によって、どうか環境も守りつつ、早い復興に繋がる方策を考えて頂けませんか。

被災地の支援についても、もっとダイレクトに素早くできるようにと祈らずにはいられません。

避難所で肩を寄せ合う暮らしはもう限界ではないのか。
でも、戻る家がなければどうすればいいのだろう。
たとえ戻っても、仕事もない壊滅状態の地区では、支援が受けられなければ生きていくことができません。


友人や兄弟とも話していたのですが、たとえばすべての被災地の学校1校に対して全国の学校が複数校ずつ「姉妹校」になって、支援と交流を続ける。
被災地の市町村および集落1か所に対して、複数の全国の市町村がそれぞれの「ふるさと」提携を結び、細かいとことまで手が届く支援を長く続ける。

助け合い、行き来することによって、心の通う支援ができると思うのです。
そして、自分の町が被災した際にも大きな経験となり、今度は逆に素早い支援を受けることになるでしょう。

こうした“里親”的な支援ができるよう、国指導で半強制的に割り振り、進めてほしいと思うほどです。

もどかしいな。
どうしたらいいんだろう。
何ができるんだろう。

私は、せめて周りの人に語り伝えたいと思います。

※写真は宮古から車で1時間ほど行った大槌町・吉里吉里。井上ひさしの『吉里吉里人』の舞台のモデルになったところです。

takutaku7and7 at 12:20│Comments(7) 地震 | 岩手のこと

この記事へのコメント

1. Posted by GAMA   2011年05月05日 15:27
本当にお疲れさまでした。

浜松市と宮古市、静岡県と岩手県、という風にね。

瓦礫防波堤構想は誰かも言ってましたっけ。
あの膨大な瓦礫の処理に何年も費やすのなら、よほどその方が理に適うと思う。
同じような津波がきたら、防波堤がない今、被害が甚大になるもの。

皆がもっと真剣に考えなきゃならない時期がきてます。

TAKUちゃん、今は身も心もゆっくり休めてね。
2. Posted by くりりん   2011年05月05日 21:13
おかえりなさい。よく行ってきましたね。
そんな長距離を運転したんですねー。すごいなあ。

本当に、今起こっていることを人事で済まさないように皆で考えなくてはいけませんよね。

大変なことだと思いますが、見てきたこと、感じてきたこと、語り伝えてください。

まずは、ゆっくり眠ってくださいね。
3. Posted by TAKU   2011年05月05日 23:08
GAMAちゃん、向こうではいろいろお世話になりました。

瓦礫防波堤、やはり提唱している方がいるんですね!
ぜひ、実現してほしいです。
瓦礫を遠くへ運び処理する手間とコスト、そして新たに防波堤を造るコストを考えれば、有効な方策だと思いますから。



くりりんさん、どうもありがとう。
はい、おかげさまで無事帰ってまいりました。
私は直接の被災者ではないけれど、実家は確かに被災しているし、故郷は被災地。
支援物資を届けながら、実家の片づけをする…。何とも複雑な思いでした。
日本中、どこで起こっても不思議のない震災です。
浜岡に近い浜松に住む私たちにとっては原発問題もね。
本当に他人事ではありません。
4. Posted by あっちゃん   2011年05月06日 02:24
Takuちゃん、改めてお見舞い申し上げます。
長い距離に加えて、渋滞ではさぞお疲れでしたでしょう。お体、おいとい下さいませね。

瓦礫の山、そのまま燃やすとダイオキシンが発生する恐れがあるそうですね。
TVのニュースで、その瓦礫をチップにしてボードへ加工、仮設住宅に利用されると流れていました。
少しでも早く住まいが供給される事を祈ります。

神戸の震災時に、カトリックの学校では姉妹校として支援と協力をしました。
公立でも同様に実現できたらいいなと思います。
いいアイデアですよね。
自然発生的にうまくいけばいいのですが、
あまりに甚大で、これって、どうしたら実現に結びつけられるのでしょう‥。
5. Posted by TAKU   2011年05月06日 06:06
あっちゃん、どうもありがとうございました。
そうですね、ダイオキシンは確かに出ますね。

瓦礫をチップにしてボードに加工する話が出ているんですか。それは良かった。
でも、できればなるべく運ばずに現地に簡易的な工場を建てて、やはり防波堤の材料にする案も考えてほしいな。

造ること自体も復興につながるし、なるべく移動は少ない方がいいかと。
自発的な姉妹校や姉妹都市はすでに動いているでしょうから、それでも先を考えると、私は指導でもいいので割り振ってすぐに動き出してほしいと願っています。
「何か役立つことをしたい」そういう気持ちは誰もが持っていると信じていますから。
それだけ現実は深刻です。
6. Posted by kawa   2011年05月07日 18:26
「里親的支援」いいですね。
被災した範囲が広すぎるせいか、一方では支援物資を持て余している地域もあれば、未だにろくな食事もできていない地域もあるようで、すべての地域にきめ細かく支援の手が届くようにするために、とてもいいアイディアだと思います。
「官」の足りないところは「民」の力で支援してもいいし。
でも、実現するにはどうすればいいんでしょうね。
瓦礫の処理といい、支援の仕方といい、みんなで知恵を出し合い、それをいろいろな場面で発信し、発言していく。
もどかしいけれど、それしかないのでしょうか。
7. Posted by TAKU   2011年05月07日 21:49
KAWAさん、ありがとうございます。
向こうの友人たちが話していたのは、「やはり地域のリーダーかな」と。
たとえば、盛岡のリーダーが、沿岸部のキーマンに連絡して何人かの知り合いを通じて自宅に戻った人たちが何に困っているか、不足しているものは何か吸い上げる。すぐに今度は盛岡のキーマン何人かに連絡してそれぞれが知り合いから必要な物資を素早く集め、沿岸部のキーマンに届ける。
そのキーマンが直接困っている人に配って回る。
この、小さなネットワークが一番確実で素早いと聞きました。
なので、今回もそのルートを使ってピンポイントの支援を行ったのですが、そのピンポイントがたくさんあるといいなあと思ったのです。
困った親戚を助ける感じですよね。
実際に友人が向こうでやっているのを見て、確かにそういう支援が大事だと思いました。
瓦礫の問題は、もっと大きな知恵と力が必要ですが。

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