OB会事務局
2016年12月12日
28期・小林至氏講演のお知らせ
「スポーツビジネスのしくみ」
全4回 (19時〜20時半)1/23,1/30,2/6,2/13
場所:早稲田大学のエクステンションセンター 八丁堀校
http://www.ex-waseda.jp/about/access.html
講座内容:
・1/23 スポーツビジネス〜他の産業との関わり深く、伸びしろ大きい成長産業
・1/30グローバライゼーションとスポーツ〜NBAに学ぶ、グローバル時代の国際戦略
・2/6 プレミアリーグから読み解く、規制緩和の経済効果
・2/13 Beyond 2020〜日本のスポーツビジネスの未来
野球、ビジネスにご興味のある方なら楽しめて役に立つ講座です。
野球界の裏話なども盛り込んでくれるそうですので興味のある方は是非受講してください。
関係者への連絡にもご協力下さい。
申込・講演詳細は以下で。
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/37462/
小林 至
江戸川大学教授1968年1月30日生まれ。神奈川県出身。92年、ロッテにドラフト8位で入団。史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。退団後、アメリカに7年間在住し、96年にコロンビア大学でMBA取得。02年より江戸川大学。05年から14年まで福岡ソフトバンクホークス取締役を兼任。近著に『スポーツの経済学』(PHP)。
2016年11月21日
2015年07月25日
2015年01月16日
2/7(土)多摩高野球部OB会新年会のお知らせ
2014年09月01日
2014年08月27日
テツと監督
昼は監督、夜はマスターと自分の忙しさは棚にあげ、多くの教え子の一人のため田中監督は平然と言い切った。
2007年44歳の冬、テツ(24期・瀬尾鉄二)から難病を打ち明けられた夜、絶望して監督のスナック・ナインに逃げ込んだ。
全身の筋肉が萎縮し動かなくなる、原因不明の不治の病「ALS」。助かる見込みはない。
治験のため相模原まで通院しなければならないが、すぐにテツ一人では行けなくなると話した時のことだった。
演歌の流れる騒がしい店内で顔を近づけて言われた。
「バーカ、お前がしっかりしなくてどーする」
怒られたのは、あの秋以来のことか…。
1980年高校2年の夏、新チームの初練習に新監督がやってきた。
斜めのサングラスに突き出たお腹。グラウンドに一礼した時、見えた頭に髪の毛はほとんどない。
18期松本監督から17期太田監督、1年毎に代わった若手監督に比べ、明らかに3期田中輝夫監督は年季が入っていた。
初日のノックで、ライトのテツが大暴投。
「しっかり投げろ、バーカ!」
ホームへ呼ばれ、ノックバットで何度も腹を小突かれる。
(こりゃ、えらい監督にあたっちまった…)
嫌でも気を入れてボールを追った。
関東大会をかけた秋の準決勝、日大藤沢に大差で負けた時、一番悔しがっていたのは監督だった。
ベスト4である程度満足している俺達に、全身を震わせ怒鳴りまくった。
「お前ら悔しくねーのか、負けるにも負け方があるだろ、バカ野郎!」
…この人は本気で甲子園を狙ってる。
驚きながらも、頼もしく思った。
中学時代はハンドボールでならしたテツを「3年間続ければ必ずレギュラーになれる」と強引に野球部に引き入れた。しかし、同期が16名も残りレギュラーどころか3年夏にベンチ入りするのがやっと。
素振りやティーをさんざんやって手はマメだらけになったものの、テツは公式戦に出ることなく野球を終えた。
それでも、後悔の言葉は聞いたことはない。
田中監督引退の2008年夏、もう歩けなくなったテツを同期で背負い等々力まで応援に行った。
試合前、応援席への挨拶で監督は誰かを探していた。テツを見つけると安心したようにニヤッと笑い俺にうなづく。
最後になるかもしれない大事な試合なのに、真っ先にテツを気遣う…。
監督の教えは胸に深く刻み込まれた。
…今はもう、テツも監督もいない。
なぁ、テツ、野球やって良かっただろ。
俺達と、そして監督と、野球ができて良かっただろ。
でも、どうせそっちでも怒鳴られてるんだろうな。
「テ〜ツ、バーカ、しっかり投げろ!」
24期・矢島 徹
2014年07月22日
田中輝夫監督と歩んだ日々
「お前、声でかいなあ。名前、なんだっけ?」
「山崎です」
「おっ、山崎。今日からキャッチャーやれ」
1980年、1年生の夏。新チームの監督に就いて間もない田中輝夫さんから、練習中にそう指示された私は正直面食らった。中学時代から一塁しか守ったことがない。しかもキャッチャーをやらせる理由は「声が一番でかいから」。
新監督については、「多摩高、国学院大時代を通じて名内野手として鳴らしたすごい人」ということを聞いていた。そんな田中さんが「やれ」と言うのだから、「俺にもできるのかな」。すっかり勘違いしてしまった。
一つ上の24期は斎藤睦さん、平田稔さんとピッチャーが良かった。だから当初は私でも何とかつとまっているように感じていた。しかし肝心なところでボロが出た。
10月5日、春の甲子園につながる関東大会出場がかかった秋の県大会準決勝・日大藤沢戦。先発でマスクをかぶった私は7回までに計7盗塁を許し、4―15で大敗する主因となった。一塁に出ると、相手はほとんど二盗を試みた。100%走ると分かっていても、私は一人も刺すことができなかった。「このキャッチ、フリーパスよ〜」。日藤の応援席からはそんなヤジが飛んでいた。
試合終了後、保土谷球場の三塁側ロッカールーム。「同じ負けるにも、負け方ってのがあるだろ」。語り草になっている監督の一喝のかなりの部分は、私に向けられていたのだろう。普段は大声で怒ったりしない監督の言葉は今も耳に響いている。
汗っかきの私は、すぐにユニフォームが泥だらけになった。プレーはとても自慢できるものではなかったが、グラウンドで声だけは人一倍出していたと思う。そんな、鈍くさい私に監督は目をかけてくれた。年が明けて、春の県大会、川崎市長杯と出番はなかったが、夏の大会では再び先発で起用してくれたのだ。
ところがまた大事な試合で期待を裏切ってしまう。
81年7月24日、川崎球場で行われた4回戦の相手は、先日亡くなった原貢氏の監督復帰で注目された東海大相模。
0―0で迎えた2回表、同期の5番・原智宏と24期の6番・千石立樹さんのヒットでつくった2死1、2塁の先制のチャンスが、8番の私に回ってきた。マウンドにはカーブが得意の左腕、石井投手。直球とカーブであっという間に2ナッシングに追い込まれた。3球目もカーブとヤマを張り、1、2の3で振ってやれと思っていたら、来たのはど真ん中の直球。まったく手が出ず、一度もバットを振ることなく三球三振に倒れた。
その裏、2点を先行され、試合は終始相手のペースで進行。1―4で敗れた。
「果てしも知らぬ平原に…」。一塁側ベンチ前で、小学校時代よく口ずさんだ相手校の校歌を聞いた。試合の主導権を握る絶好機に、打席で文字通り棒立ちだった私。使ってくれた監督、けがで控えに回りながらも強力なリーダーシップでチームを引っ張っていた主将の岩本雄一さん、3年生のみなさんに、お詫びのしようもなかった。
当時、監督は一年交代が慣例だった。だから私たち25期も、引き続き田中監督に指揮を執っていただけると知った時は、「今度こそは」の思いが強かった。
同期は左腕投手・青山博之、遊撃手で後に中堅に回った原、二塁手・園田年彦、三塁手・松井健司、左翼手・平井一也、右翼手・岩田貴、一塁に戻った主将の私、マネージャーの河崎正美さんの8人。
26期の後輩たちに多彩な人材がそろっていたとはいえ、24期が去り戦力ダウンは明らか。田中監督は、ノックに多くの時間を割き守備を徹底的に鍛えてくれた。と同時に、足が早くセンスが光る右打ちの平井、松井をスイッチヒッターに。手持ちの戦力を最大限生かすにはどうすればいいか―常に考えておられた。
秋、春の県大会はいずれも初戦で敗退。市長杯も3回戦止まり。それでも夏までに内野では園田、松井が目を見張る上達を見せた。外野も、中学時代はバレーボール部出身の岩田が、何とか任せられるレベルにまでになった。
夏の大会を控えた、ある日の炎天下。あまりにノックの時間が長くなり、ばてた私たちのプレーが雑になってきたとみるや、怒った監督はノックバットを高く放り投げて、そのまま部室に引き上げてしまった。みんなに促された私が、おそるおそる部室まで謝りにいくと、すでに着替え終わってうまそうにタバコを吸っていた監督は何事もなかったかのように、「明日もまた頑張るぞ」。そんな監督のもとで、1試合でも多く戦いたかった。
そして82年7月18日、藤沢・八部球場。夏の初戦の相手は秦野だった。だが、チーム状態は最悪。エース青山は1カ月前に利き腕の左手中指をつき指して完治しないまま。平井も3週間ほど前に左肩を脱臼。松井は2日前に左目に打球を受けて負傷していた。
痛みをこらえ青山がマウンドに上がり、打っては3安打2打点の活躍を見せたものの、2―4で敗退。私たちの最後の夏は終わった。5番の私は4打数無安打。4番の青山がつくってくれたチャンスを、ことごとくつぶしてしまった。
「ここまでやるだけやったんだ。胸張って帰るぞ」。監督はそういって、うなだれていた私の尻をポンとたたいた。
2014年正月。24期の矢島徹さんから「野球部時代の思い出を書け」と連絡を受け、同期のマネージャー、河崎さんにスコアブックや新聞記事のコピーを送ってもらった。30数年前の記憶が鮮やかに蘇ってきてが、こみ上げてきたのは悔しさばかり。今年で50歳。いい年したオッサンが高校時代にタイムスリップしたように、数々の苦い思い出をかみしめている。
2008年の12月14日、登戸の元海であった監督の引退祝賀会。久しぶりにお会いして昔話に花を咲かせていたとき、「なぜ私にキャッチャーをやらせたのですか」とあらためて尋ねたら、ニコッと笑って、「だってお前、一番、声がでかかったじゃねえか」。当時と変わらぬ田中監督がそこにいた。
「一つっつ、一つっつ、丁寧にいけ」。守りでも、打席でも、気ばかり焦っていた私は、監督からそう繰り返し注意された。現役時代、残念な思いばかりさせ、「大学でも野球をやります」という約束も破り、監督を裏切った。再会から間もない09年2月8日に監督は帰らぬ人となってしまった。もう恩返しをすることはできない。せめて、教えを守り、今ある人生を一歩、一歩、丁寧に歩いていこうと思い定めている。(了)
25期 山崎 健
2014年07月09日
2013年12月13日
多摩高野球部のOB大会と母校の評判
2013年(平成25年)の小春日和の週末、多摩高野球部OB会主催の野球大会があり、日ごろの運動不足解消の気持ちもあって参加し、いい汗を流した。
集まったのは高校を卒業してからまだ数年の大学生から、60年の歴史がある野球部3期生の70歳を超える大先輩までさまざまな年代の50人余りが集まったが、やはり高校時代に真剣かつ夢中になって白球を追った面々なので、OB野球といってもかなりレベルが高いのに驚いた。
草野球ながら、正式の審判を付けた試合だったこともあり、3チームに分かれて行われた試合はいずれも僅差のスコア。
投打だけでなく、守備、走塁で随所に好プレーが見られ、ベンチで見ていても緊迫した試合展開に目が離せなかった。
筆者にとっては、1972年(昭和47年)春の卒業以来、本当に久しぶりに訪ねた母校だったので、グラウンドを離れて閑散とした校舎や中庭を見学してみた。
学校創立から60年がたっているため、40年以上前の高校生時代に比べ、やはり建物、施設の老朽化を感じた。白亜の2階建て校舎は耐震上の問題があるということで、現在、建て替え工事が行われていた。
熱戦ぞろいの野球の試合を終え、夕刻、近くの懇親会の会場に向かう途中、5年ほど後輩のS君(19期・佐藤純夫君)から最近の母校の評判を聞くことができた。
S君には大学生の子供がいるので、現在の大学受験事情に通じていて、進学校でもある公立の母校の評判が中学生の受験生やその親の間では「昔ほどは高くないのですよ」と話していたのに少しばかり驚いた。
その理由は、建物の老朽化と高校での進学指導がそれほど熱心ではないので、受験生の親が自分の子供を私立の進学校に行かせる傾向が強まっているのだという。
母校の校訓は「質実剛健」。その校訓通り、現在もそうだろうが、筆者の高校生時代は、部活動や体育祭、文化祭といった生徒の自主性に任せた勉強以外の活動が盛んで、それに熱中するあまり、受験勉強の開始が遅れ、大学受験では1年浪人してでも、自分の行きたい大学に進学するという同級生、生徒が多かった。
昔はそれが当たり前と思われていたのだが、「近年の経済情勢もあり、子供を浪人させる余裕がないという家庭が増えている」というのがベテランの電通マン、S君の見立てだった。
そういえば、現在の大学受験予備校は昔と違って、現役高校生の合格実績をPRしているケースが圧倒的に多い。
筆者の高校時代、予備校はもっぱら浪人生のためにあったもので、現役合格のために予備校や塾に通っていた友人を知らない。
懇親会は昼間の熱戦を酒の肴に大いに盛り上がった。
たまたまその場に駆けつけた高校同窓会の会長(5年先輩)にS君との会話を紹介すると、「若いころの1年、2年の遅れは長い人生からみて、どうということはないんですけどね」と感想を語った後、「高校時代に野球に全力投球して得られることは、この日のOB野球や懇親会での先輩、後輩の交流などにうかがえるように、人生では大変貴重に思いますね」と話した。
高校時代に庭球部を中途退部した同窓会会長の思いにわが意を強くした。(了)??
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??(多摩高野球部14期 伊藤 努)
2013年12月10日
2013年10月25日
12/7(土)OB野球のお知らせ
久しぶりに多摩高で野球をやって美味いビールを飲みましょう!
(見学・応援、遅れて・打上げからの参加も大歓迎!)
多摩高野球部OB会で軟式野球の試合をします。
以下ご確認いただき、参加希望の方は24期・矢島まで連絡願います。
(打上げ含む出欠、参加時間、各野球用具の有無)
【OB野球大会】
2013年12月7日(土)10:30〜16:00
・10:30多摩高グラウンド3塁側ベンチ集合・着替え
・11:00〜11:30 アップ・練習
・11:30〜16:00 試合
(時間制、第1試合1130〜1300、第2試合1300〜1430、第3試合1430〜1600)
※遅れて参加、打つだけ参加も可
・会費:1000円
【打上げ懇親会】
・同日1700〜2000
・庄や 宿河原店(駅前すぐ2F)
http://www.hotpepper.jp/strJ000209314/map/
・会費:4000円(女性・学生3000円)
PS.打上げ前に駅前の銭湯でひと風呂浴びるも良し
【お願い他】
・軟式バット、グラブ、ミット、マスク・プロテクター・レガース等の用具をお持ちの方、ご持参下さい。
・ユニフォーム着用(なければジャージ等も可)
・悪天の際の開催・中止連絡は、当日AM8:00までに当ブログに掲載。
・広く関係者への連絡にご協力下さい。
2012年12月11日
新年会のご案内
来年も2月の第一土曜日に、恒例の多摩高野球部OB会主催「新年会」を開催します。
野球部OB・OG以外の多摩高卒業生や父母会等、野球部を応援してくれる方の参加も大歓迎です。
参加いただける方は、年賀状での返信か、24期・矢島まで連絡願います。
皆様の参加をお待ちしております。
多摩高野球部OB会主催【新年会】
◆日時:2013年2月2日(土)17:00〜20:00
◆場所:磯料理「元海」 044-922-2422
多摩区登戸3288、南武線・小田急線登戸駅徒歩2分
http://r.gnavi.co.jp/g444400/map/
◆会費:男性5,000円、女性・学生・シニア(60歳以上)3,000円
2012年07月09日
平成24年度OB会総会
7/7(土)多摩高校野球部OB会総会が、武蔵小杉「海宴丸」にて開催されました。
約40名のOB・OGに参加いただき、懇親会も含め活発に議論しました。
本総会で、新たに30期・中尾さんが副会長に選出されました。
また、OB会活動に関する意見として
・スカウティングの第一歩として、会長・事務局長の名刺を作成し配ってみたらどうか。
・ブログの更新頻度を増やして欲しい。
・3年生の進路状況を報告して欲しい。
等々の提案をいただきましたので、実行できるよう検討してまいります。
OB会事務局長・24期矢島
■平成24年度活動計画
・5/27(日)多摩高校同窓会幹事会出席 峰野・矢島2名参加
・父母会主催壮行会出席 6/30(土) 現役寄贈20万円 多摩高ネーム入り硬球5ダース贈呈
・OB会総会 7/7(土) ※毎年7月の第一土曜に固定
・夏季県大会応援
1回戦:シード、2回戦:7/15(日)13:30〜相模原球場 VS上溝⇔浅野の勝者
3回戦:11:00〜平塚球場 VS横浜創学館⇔(愛川⇔横浜桜陽)の勝者
・OB会ゴルフコンペ 8/25(土)予定
・秋季大会応援 8月
・秋季 東京六大学早慶戦観戦
・OB会主催 新年会 2013年2/2(土) ※毎年2月の第一土曜に固定
・ ブログの維持運営
【取組み着手・検討】
・着手→名簿作成(OB会行事等連絡、・・・就職・転職相談):事務局の同期から
・検討→現役生・若手OBとの交流、スカウティング
■平成24年度予算
●収入の部 650,000円
・平成24年度会費 650,000円
●支出の部 650,000円
・現役野球部支援金:220,000円
・通信費、業務委託費:75,000円
・会議費:70,000円 ・事務費:10,000円
・ブログ維持費:10,000円 ・雑費:25,000円
・六大学観戦費:80,000円
・新年会等不足支出:80,000円
・弔慰金支出:20,000円 ・予備費:10,000円
・甲子園積立金:50,000円
●甲子園積立金
・平成22年度:100,000円
・平成23年度:77,047円
・平成24年度:50,000円
2012年02月10日
盛況だった新年会!
総勢120名の方が参加していただき、2/4(土)の新年会はとても賑やかで楽しい宴となりました。
多摩高同窓会から9期阿部会長・12期陣内副会長・19期中島副会長、
箱根駅伝で4年間活躍した50期矢澤さん、
54・55期の父母会の皆様等、野球部以外の方にも多数参加いただきました。
やっぱり多摩高って、いいですねぇ。
高校時代からの友人は、一生の宝物です。
校歌を聞くと今でも胸が熱くなるのは、私だけではないはず。
受付や会計をしてくれたスタッフの皆さん、同期等に声掛けて集めていただいた皆さん、ありがとうございました。
来年はもっと繋がりを広げて、さらに盛大で楽しい会にしたいですね。
24期・矢島
2012年01月12日
2011年06月14日
OB会総会のお知らせ(7/2)
平成23年度の多摩高野球部OB会総会を以下の通り開催致します。
多数の皆様に参加いただけるよう、本総会より会費を低減しています。
同期等お誘いの上、出席下さい。
◆日時:7/2(土)16:00〜17:00総会 17:00〜19:00懇親会
◆場所:武蔵小杉「海宴丸」 武蔵小杉タワープレイス2F 044-712-1160
◆会費:男性3,000円、女性・学生2.000円
◆議事:前年活動報告・会計報告、本年度活動計画・予算案、会則改定等
参加いただける方は、ご案内ハガキの返信、または矢島まで連絡願います。
※24期・矢島 090-4720-9378 tyajima@world.co.jp
2011年02月08日
盛況だった新年会
野球部関係者以外からもサッカーOBの12期・陣内さん等多数の方に参加いただき、多摩高の絆の強さを再認識することができた。
最後の校歌斉唱で熱くなったのは私だけではないだろう。
やっぱり多摩高って、いいですね。
野球部OB会事務局より
ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
100人規模の会は初めてだったこともあり、行き届かない面が多かったことをお詫び致します。
今回の反省を踏まえてさらに充実した会になるよう頑張りますので、来年も参加いただけるようお願い致します。
夏の大会でも結束して応援し校歌を高らかに唄いましょう!
2011年02月06日
矢澤さん(早稲田・競走部)からのメッセージ
2/5(土)野球部OB会主催の新年会で、陸上部OBの50期・矢澤さんから野球部にむけたメッセージをいただきましたので以下掲載します。
多摩高校野球部の皆さん。
いちOBである自分が、このような場でご紹介いただけることを光栄に思います。
活躍は旧友を通して聞きます。
先日、偶然にも多摩高野球部のブログを拝見し、現役の選手の熱い気持ちを垣間見れたことをとても嬉しく思いました。
そして大いに刺激をもらいました。
野球部を始め、所属した陸上部、ほか多く、頑張っている後輩に勇気づけられることが多いです。
感謝しています。
また同期や、友人、周囲の多くの人からも刺激を受けています。
今はどのスポーツも、試合が少なくモチベーションの保ちにくい時期かも知れません。
みなさんも、少しでも周りに目を向け、周りから刺激をもらってください。
そして来季の目標に向かって精進してください。
ひとつだけ、大学の同じゼミに所属する野球部の市丸くんのことを紹介させていただきます。
彼は2007年の夏の甲子園で、初出場初優勝という快挙を成し遂げた県立佐賀北高校のキャプテンです。
彼の話は劇的です。
しかし力強くて、無名の佐賀北の優勝が『偶然』でありながら、しかし『必然』であったことを思わせてくれます。
佐賀北高校の部訓は『ピンチの裏側』だそうです。
ピンチの裏には常に、どこかチャンスが隠れている!それを見逃さないことだ。
今季のみなさんの活躍を期待し、応援しています!
――――――――――
早稲田大学競走部 矢澤曜
2010年12月04日
2010年07月05日
平成22年度OB会総会
7/4(日)、武蔵小杉・海宴丸にて平成22年度多摩高野球部OB会総会が行われ、役員改選・活動計画案等が承認された。
◆役員改選
牧田さん(7期)に代わり峰野さん(15期)が新会長に就任した。新体制は以下の通り。(敬称略)
会長:峰野(15期)
顧問:大谷(2期)、牧田(7期)、山根(15期)、中島(21期)
副会長:南保(18期)、浜田(22期)、渡辺(23期)
監査:佐藤(19期)
会計:河崎(25期)
事務局長:矢島(24期)
事務局:澤田(16期)、松本(18期)、青山(25期)、横嶋(26期)、中尾(30期)、蛭間(37期)、柏木(48期)
◆活動計画案
今後の新年会、及び総会は日曜日から土曜日開催に変更。
また、来年度のゴルフに関して、開催場所・曜日変更を検討することとなった。
今後の主な活動計画は以下の通り。
・夏の大会応援
7/12(月)12:00〜 VS茅ヶ崎北稜 藤沢八部球場
7/15(木)14:30〜 VS横浜創学館 平塚球場
・9/5(日)ゴルフコンペ(川崎国際)
・10/末or11/初 在校生六大学見学
・平成23年2/5(土) OB会主催の新年会
・平成23年7/2(土) OB会総会
◆決算報告(H21.4.1〜H22.3.31)
【収入の部】
・OB会費:605,000円(会費納入者125名、重複あり) ・その他:502,380円(総会、新年会会費等) ・前期繰越金:207,197円
〈収入合計〉 1,314,577円
【支出の部】
・現役野球部補助金:349,998円(20万円寄贈、壮行会寸志、ボール5ダース等) ・事業経費:503.780円(総会、新年会、ブログ維持費等) ・通信/事務費等:164,314円 ・六大学野球観戦:44,000円 ・高校駅伝寄付:30,000円
〈支出合計〉 1,092,092円
【差し引き】
222,485円 (繰越金へ)
◆OB会会則の変更・追加
・第3条3項 (副会長の人数)複数名に変更
・第8条 (総会の日程)7月の第一土曜日に変更
・第11条 (慶弔規定)原則として会費納入者であるOB会員死亡時にOB会より生花相当のものを出す