19423926即興ディベート。
近年、ディベート甲子園やディベートサークルF主催の大会等、アカデミックディベートの即興ディベートが行われることが多くなりました。

しかし、一方でアカデミックディベートの即興がどういう意味を持つのかという点に関してはあまり多く語られていない気がします。

なので、今回はアカデミックの即興ディベートについて考えてみたいと思います。

誤解。
アカデミックディベートの即興と書きましたが、これには理由があります。
よく誤解されているのが、「資料を使うディベート=アカデミックディベート、即興で行うディベート=パーラメンタリーディベート」という認識です。

アカデミックディベートとパーラメンタリーディベートはそもそもスタイルやジャッジの仕方が違います。アカデミックディベートはあくまで論証重視で議論のみが判定に影響するのに対し、パーラメンタリーディベートは議論だけでなく話し方等も判定に影響します。ですから、アカデミックディベートの即興をパーラメンタリーディベートと呼ぶのは間違いです。パーラメンタリーディベートをやっている人からすれば、アカデミックの即興をパーラと呼ぶと、「こいつは分かってないな」と思われちゃうわけです。

何を学ぶか。
「呼び方なんてどうでもいいじゃん」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。ディベートのスタイルの違いを概念としてしっかり認識しておくことで自分達が何をしていて、何を学んでいるのかを知ることにつながります。

アカデミックディベートは論証重視のため、論理的思考力や批判的思考力を始めとした思考系の能力が徹底的に磨かれます。一方で、パーラメンタリーディベートは表現やウィット、ユーモアなど、話し方の能力が効果的に磨かれます。

この違いはどこから来ているかというと、間違いなく評価の仕方からだと思います。アカデミックでは、ジャッジに論題を採択させる(もしくは、採択させない)ために、証拠資料やデータを用いて論証を行います。原則的には、純粋に論理だけで勝ち負けをつけるので、ディベーターも当然論理を追求し、より説得的な議論をするための証拠資料の提示やデータの検証などを行い、「論理を追求」します。自分はパーラはやったことないので、詳しいことは分かりませんが、資料を用いない、話し方が評価に含まれることで、ディベーターはより説得的な「話し方を追求」します。

以上のような違いから、思考系の能力を重点的に育むためにはアカデミックディベート、話し方の能力を重点的に育むためにはパーラメンタリーディベート、といった風に目的に応じて取組みが行われているわけです。

アカデミックの即興は?
では、アカデミックの即興の教育効果って何でしょう?

まず、忘れてはならないのが、アカデミックの即興は、スタイルがアカデミックである故に、論証によって評価されるということです。ということは、まず、パーラのように話し方が評価されるわけではないので話し方の習得は限定的です。限定的というのは、通常、アカデミックディベートで行われているような(一般人からみるとちょっと特殊な)コミュニケーション、なるべく多く話すためスピードが早くなったりするようなスピーチが行われるわけです。では、早い分、論証がなされて思考能力が磨かれるかというと、それもやはり限定的にならざるを得ないと思います。なぜなら、証拠資料やデータが用いられないからです。例えば、「CO2のせいで地球温暖化が進んでいる」というのは一般常識とされていると思いますが、通常のアカデミックディベートの議論ではデータを示すことによって、「地球温暖化の原因はCO2ではない」という議論をすることも可能です。しかし、資料やデータを用いることができなければ、そうした議論を論証することはかなり難しいのではないでしょうか。

つまり、アカデミックの即興はアカデミックの意義の一つであるデータに基づいた議論を捨て去ることによって、その一番の学習意義である思考能力の養成を弱めているのです。

アカデミック即興の意味。
にもかかわらず、なぜ近年、これほどアカデミックの即興が行われるようになったのでしょうか?

それは、敷居の低さにあると思います。アカデミックディベートではプレパ(準備)やリサーチにそれなりの力を注がなければなりません。しかし、即興で行えば、そうした負担はなくて済みます。大会ならば選手は参加しやすくなります。

それに、手軽にアカデミックディベート的な議論ができるということで、限定的な中でも議論をそれなりに楽しむことはできるでしょう。

そうした観点から「たま。」でも、レクリエーション的な意味合いや議論の形式になじむために即興ディベートを時折行っています。

やるならやる!
しかし、アカデミックの即興はどこまでいってもアカデミックの即興であって、アカデミックディベートではない。アカデミックの即興をやってディベートを学んだとか、コミュニケーション能力が身に着くとか、議論が上達するとかはあまり考えない方がいいと思います。

安酒は所詮安酒なのです。

自分はアカデミックの即興を否定したり、やめろというつもりは毛頭ありません。ただ、それがどんなもので、どんな意味を持っているのかを理解して行わなければ、安酒で悪酔いしかねないと思う訳です。

本気で論理的思考力や批判的思考力などを磨こうと思ったら、きちんとアカデミックディベートをやるべきだし、スピーチ力を磨きたいと思ったらパーラメンタリーディベートをやるべきだと思います。

ただの杞憂かもしれませんが、その手軽さ故に、アカデミック即興をやることが広まって、本家のアカデミックディベートがあまり行われない、もしくは混同されるという事態になったら嫌だなぁと個人的には感じています。それだけ、近年、アカデミック即興に対する需要みたいなものは多いと肌で感じていたりもします。

しかし、そもそも何かを得ようと思ったら、その分、労力なり時間なりを投資しなければならないのであって、それを感覚的にしろ、避けようとする傾向があるのも世相かもしれませんが、個人的には「なんだかなぁ。」と思っています。

さて、最後はちょっと愚痴になりましたが、何をやるにしろ、自分のやっていることは何か、何が学べるのかということを知っておいてほしいというお話でした。

安酒も飲み方次第です。 

コメント一覧

    • 1. T〇DO@某インカレ
    • July 07, 2014 14:53
    • >アカデミックの即興をパーラと呼ぶと、「こいつは分かってないな」と思われちゃうわけです。
      まさにそう思っています。


      >以上のような違いから、思考系の能力を重点的に育むためにはアカデミックディベート、話し方の能力を重点的に育むためにはパーラメンタリーディベート、といった風に目的に応じて取組みが行われているわけです。
       こちらは、異論があります。パーラーメンタリーディベートでは、英語での表現や状況に応じた話し方のマナーに気を使うだけでなく、ロジックの立て方や戦略の立て方に相当に気を使いますし、典型論題に関しては事前に準備しておくことも多いです。これはパーラーでは幅広いトピックから論題が出されますが、多くの論題は良くある対立軸の議論に収束することが多いからです。アカデミックディベートで使う能力が特定の論題でのリサーチ-議論戦略-早口に近いスピーチと、ある種特殊且specificな能力育成に特化しているのに対し、パーラーは準備からスピーチ至るまでにとにかく幅広い能力や準備を求められることが多いように感じます。
      イメージとしてはパーラーは総合格闘技でアカデはK-1に近い感じです。
       なので、個人的には論理的思考力や批判的な思考力を付ける際でもパーラーをお勧めできます。
    • 2. T〇DO@某インカレ
    • July 07, 2014 14:53
    • 続き
      >その手軽さ故に、アカデミック即興をやることが広まって、本家のアカデミックディベートがあまり行われない、もしくは混同されるという事態になったら嫌だなぁと個人的には感じています。
       これは同感です。誤解を恐れずに言えば、アカデ即興の議論の多くは基本的な対立軸への理解がなく、イマイチなのものが多く、今のまま即興ディベートが続いていってもあまり意味がないなあと個人的には感じています。
      ただ、これは今のディベーター(特に中高生)がそもそもアカデミックディベートを続けることにあまり魅力を見いだせていないのと同時に、対立軸を学ぶ機会がないこと/経験値がまだ少ないことによるのでしょう。
       まあ、後者の方は即興の大会を主催しているものとして改善していきたいなと思っています。
    • 3. 主宰。
    • July 09, 2014 12:45
    • >TODOさん

      実際にパーラをやっている方のご意見、参考になります('ω')
      ありがとう!

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