和田竜さんの『小太郎の左腕』を読みました。「のぼうの城」「忍びの国」に続く第3作目にして最新作。個人的には「のぼうの城」に続く読書となります。では簡単にアラスジです。

火縄銃時は1556年、戦国の大名がいまだ未成熟の時代。戸沢家と児玉家、両家を支えるそれぞれの武功者、「功名漁り」こと林半右衛門、「功名餓鬼」こと花房喜兵衛の両雄が終わりなき戦いを続けていた。その最中、わずか11歳の少年が歴史を動かすことになる。その名は小太郎。無垢な優しい心根の持ち主であり、幼少の頃より両親を失い、祖父と山中でひっそりとした暮らしていた。

雑賀党敗戦により迷い込んだ半右衛門一党と出会い、城下の鉄砲試合に誘われる。しかし、頑なに出場を反対する祖父・要蔵。ひょんなことで、左構えの鉄砲を持ったことにより、神憑った腕前を披露してしまう。要蔵は、そんな絶人ならざる鉄砲の腕を持つ孫を憂い、公にしたくなかったのだ。実は、小太郎は、狙撃集団として名を馳せていた雑賀党のなかでも群を抜く撃ち手であった。戸沢、児玉両家の戦が激しくなるなか、小太郎は両陣営の命運を握ることとなる…


実在の人物や歴史事実を扱った前作とは違い、今作は、すべて架空の人々や出来事で構成されています。フィクションなだけにエンターテインメント的な要素がさらに強く、山田風太郎ばりの「忍び」まで登場します。なお、架空の人物を扱ったことにより、武辺者2人、林半右衛門と花房喜兵衛は、いわば当時の男たちの象徴のような存在として丁寧に描かれています。

しかし、丁寧に描きすぎて、またしても心情描写が説明的すぎます。半右衛門の目を通して語る部分の方が多く、その描写がくどすぎるように思いました。デビュー作の「のぼうの城」でもそうだったのですが、主人公を取り巻く人物からの目線ばかりで、心理描写がされるので、肝心の主人公が食われています。そもそも、タイトルが小太郎なだけであって、作者本人は、武辺者2人の物語をメインに描きたかったのでしょう。
ほか、ストーリー展開も力技で、戦国を舞台にしたVシネでも観ているような錯覚に陥りました。史実を積み上げ独自の史観を形成した司馬遼太郎さんなどの歴史小説を読んだ時の感銘や余韻、そして深みは本書にはありません。時代小説という形を借りた娯楽小説、作者はそれを確信的に狙っているのでしょう。

キャラクターの立たせ方や最後のカタストロフィーは見事なだけに、エンターテインメント性の灰汁の強さが目立ったというのが正直な感想です。本格派の歴史時代小説好きの自分にはやはり馴染めない一冊。映像化され映画として観るには魅力的な作品だと思います。