玉村豊男の「元気自慢」

古希を超えた玉さん。老いてますます……元気です

画像診断

『水到魚行』76


4ヵ月ぶりで上京した。病院の検査のためである。

慢性肝炎が薬で治った後に肝臓ガンが発生したことはすでに書いたが、その宣告からちょうど4年が経過した。

午前中に血液の採取とMRIの撮影をおこない、結果が出るまで3時間ほど待ってから先生の診断を受ける。もしガンが見つかれば、即入院の手続きをしなければならない。

入院して手術を受けた回数は4年間で6回だが、昨年の7月を最後に新しいガンの発生はないので、今年からは検査も3ヵ月に1回から4カ月に1回でよいことになった。

時間が来て看護師さんから呼ばれ、先生の診察室に入る。

先生はパソコンの前で、モニターに映る肝臓の断面を、絶えず変化させながら眺めている。

私の位置からも画面は見えるが、写っている画像のどこを見れば何が分かるのかまったく見当もつかないので、ひたすら先生の言葉を待つしかない。

先生は無言で、なかなか言葉を発しない。ときどき、いったん見た画像に戻って、溜め息をついたりする。心臓に悪い。

 死ぬほど長い時間が過ぎた後に、といっても10分間くらいだと思うが、先生はようやく口を開いた。

「ま、今回は大丈夫かな」

 やった! これで丸1年入院ナシのまま5年目に突入だ。

 ふつうは短い結果の宣告だけで診察は終了するのだが、今回は先生が珍しく繰り返し画像を見ながら感想を口にした。

「最初の頃は、4年も保つとは思わなかったね」

たしかに最初のガンは3センチもあったし、その後も次々に発生し、針を通すのが難しい箇所の施術もたびたびあった。先生はその痕跡をひとつひとつ確かめながら、この4年間を回想しているようだった。

幸運にも、私は命を助けられて今日まで生きている。その事実をかみしめると、残された日々を心して大事にしなければいけないとあらためて思う。

うれしいというより、私はいつになく神妙な気持ちで病院を後にした。

  

大蔵財務協会『税の導』727日号より転載 


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掘りたてのジャガイモを絵に描きました。

ジャガイモ掘り

『水到魚行』75  

 

梅雨の晴れ間にジャガイモを掘った。

土は湿っていたほうが掘りやすいが、濡れた地中に長いこと置いておくとイモが腐ってしまうので、適当なタイミングで一挙に収穫する。

私たちが農園をはじめて間もなく、ちょうど今頃の時期に、東京から知人の一家が訪ねてきたことがある。畑仕事を手伝いたいというので、その日にジャガイモを掘ることにした。

子供たちふたりは、土に触るのは嫌だと言って、家の中でテレビゲームに夢中だった。親は説得を試みたがあきらめ、自分たちだけ野良着に着替えてジャガイモを掘りはじめた。

ジャガイモは最初に植えた種イモから、地中で子供たちを増やしていく。収穫のとき、ごく稀にだが、その最初の種イモがわずかに姿を保っていることがある。

黒く、萎びて、見る影もなく小さくなった親イモが、元気な子イモたちの陰に隠れるようにひっそりと残っている。

これが親イモの姿ですよ、と私が言うと、それまで勢いよくイモを掘っていた母親が一瞬固まったように手を止め、これ、子供たちに見せなくちゃ、と言って家のほうへ一目散に走って行った。

ほら、よく見なさい。これがあなたたちを育てた母親の姿なのよ。

無理やり手を引っ張って連れてきた子供たちに、彼女はほとんど泣きそうになりながら、最後は独り言のようにつぶやいていた。こんなにボロボロになるまで頑張って……。

もう20年以上前のことだが、いまでもジャガイモを掘るたびにこの日のことを思い出す。

昨年の秋、彼女の訃報を受け取った。あの日以来ほとんど会う機会がなく、近況はまったく聞いていなかったので、その知らせは突然だった。

今年のジャガイモは、春に低温が続いたせいか、少し小ぶりのものが多かった。掘りながら目を凝らして探したが、親イモの残骸は、どこにも見つからなかった。あの子供たちは、元気に育ってくれただろうか。
(大蔵財務協会『税のしるべ』7月20日号より転載
 

 

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自画像

『水到魚行』74

 フェイスブックもツイッターもやったことがない。

インスタグラムやティックトックとは無縁だし、ユーチューブさえ自分から見ようとしたことはない。

 ラインは周囲があんまり奨めるので一度だけ入ったことがあるが、登録した途端に十数人からコンタクトがあり、よく知らない人もいたし、知ってはいるがとくに付き合いたくない人もいたので、即刻止めた。

もともと電話をかけるのが苦手だから、顔を見ながら話したいとも思わず、スカイプもズームも利用しない。連絡はすべて文章をメールでやりとりすれば済むと思っている。

 外出自粛で自宅にいる人は、オンラインで繋がるのがうれしいらしい。が、私にはその「人と繋がりたい」という感覚がよく分からない。

 かれこれ4ヵ月以上、ほとんど人と会っていないが、人が恋しくなることはなかった。もちろん、自宅の暮らしでも妻や妹や会社のスタッフが身近にいるので、日常の会話はふつうにあり、決して鬱になって引き籠っているわけではないのだが、それ以上誰かに会いたいと思ったことは一度もない。 

 それどころか、人と会わなくてもよい、というこの状態が、自分でも不思議なほど甘美で快適で、このまま永遠に続けばよいと思うようになっている。   

私は、こんなに「人嫌い」な人間だったのか……。

子供の頃からひょうきんで、学生のときもつねに友だちがまわりにいた。が、思い出してみると、悩みがあっても誰かに打ち明けたとか、相談に乗ってもらったという経験はない。

人に囲まれて楽しく過ごす時間は好きだが、みんなが去ってひとりになってからの時間のほうがもっと好きだった。

ひとつひとつ、昔を思い出しながら考えている。おまえは、いったいどういう人間なのだ。

冬になったら、自画像を描いてみようと思っている。自分の顔を凝視しながら、これまでの人生を振り返り、何がいまの自分をつくってきたのか、ひとりで考えるにはよい機会だ。

 

大蔵財務協会『税のしるべ』713日号より転載


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書斎の壁にかけてある1987年の自画像(油絵)。書棚の本と書類が写り込んでいます。
自画像はもう30年以上描いていない・・・

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