玉村豊男の「隠居の小言」

この秋に「喜寿」を迎える玉さん、老いてますます元気です。 昨年1年間のブログは、私家本『玉村豊男コラム日記2021』にまとめて3月12日発売。今年も毎週1回、月曜日に更新します。

77歳

 今週の土曜日、私は77歳になる。先週の土曜日は、80歳になる友人の誕生日を祝った。そのときに集った仲間も、これから続々とその後を追う年齢だ。

 自分の歳を数えるたびに、50代や60代、ときには40代の若さで死んでいった同世代の友人たちを思い出す。彼ら彼女らが生きていたら、私の人生ももっと豊かなものになっていたはずだ、と思うと同時に、その生死の境を分けたものは何だったのか、病気になるのも事故に遭うのも決して本人の責任ではない……と考えれば、私が感謝すべきは単なる「偶然」なのだろうか。あいにく宗教心がないので、その「偶然」を差配する存在には思い及ばず、この先も行き当たりばったりで死ぬまで生きていくことになるだろう。

 慢性肝炎を長いこと患っていたので、せいぜい70代に届けばよいほうだ、と自分の寿命を予想していた。が、その慢性肝炎は69歳のときに新しく開発された薬で思いがけなく完治し、これで予想がつかなくなった、と思っていたら、翌年、肝炎で傷んだ肝臓にガンが発生した。

 ガンを宣告されたときの心境は、そうか、それならおそらくあと2年、72歳で死ぬだろう、やっぱり私の予想通りだ、と、安堵したと言うのはおかしいが、それに近い心境だった。

 それから5年。予想に反して私はまだ元気である。1年に1、2回、小さなガンが新たに見つかるたびに処置のため入院するが、退院して2週間したらワインを飲みはじめてふつうの生活に戻る。

 肝臓ガンの患者は「十中八九」肝臓ガンで死ぬ、と先生から聞いた。世界では85パーセント、日本では90パーセントの確率だそうだ。

 こんなラッキーなことがあるだろうか。それなら心臓発作や脳梗塞で突然死ぬことは考えなくてよい。ガンの中でも肝臓ガンは痛みもなく、最後まで安らかに過ごせるというからなおさらだ。

 問題は、また予想が外れたことである。すぐには死にそうもないので、また何か、やることを考えなければならない。絵を描くことと文章を書くこととワインを飲むことは生活のベースだが、それ以外に何か、血沸き肉躍る仕事はないか。最近は毎日そんなことを考えているが、考えているうちに眠くなるのは歳のせいか。

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いまはショップとカフェを繋ぐ位置にあるサービスカウンター。これを隣のカフェ席のほうに移動する工事を計画中。周囲の棚などもいっしょに引っ越しする予定。

菜園仕舞い

 台所の前の家庭菜園を整理した。

 まだ実をつけているナスとピーマン、トウガラシを除き、トマトは根を抜いて支柱を取り外し、すでに枯れていたキュウリとインゲンも引き抜いた。

 ズッキーニは、今年は珍しく出来が悪かった。

 ズッキーニは例年なら6月が最盛期で、1日に2回は見回らないと大きくなり過ぎるほど生長が早い。7月までは次々に実をつけて食べ切れないほどだが、8月に入ると勢いが止まる。そして暑さが収まると再び元気を取り戻し、9月末まで最後の果実を提供する……はずなのだが、今年は6月が猛暑だったので生育が悪く、その誤算が後まで影響した。実をつけても大きくなる前に腐ったり変形したり、秋になっても回復しなかった。それでもまだ2株は花をつけているので、最後に花だけでも食べようかと残すことにした。

 今年出来がよかったのはキュウリとナスである。

 キュウリはあたりかまわず傍若無人に蔓を伸ばし、葉陰に隠れて見逃すと翌日は巨大になっている。大きくなり過ぎたものは皮を剥いてサラダにした。

 ナスがこれほどよく出来たのは初めてだ。いつもはテントウムシに食われて表面が傷つくのに、今年はひとつも虫にやられることなく、ピッカピカの美しい実がたくさん実った。採れたての焼きナスは最高だった。

 それにしても、今年は夏が暑すぎた。畑仕事ができるのは、朝起きてすぐの30分と夕方暗くなる前の30分くらい。太陽に当たると熱中症になりそうで、昼間は外に出られなかった。来年はどうなるだろうか。

 巨大な台風、暴力的な豪雨。世界からも酷暑、旱魃、洪水などの報告が相次いだ。

 地球温暖化が引き起こす大規模な気候変動は止まることを知らず、ひどくなることはあっても収まることはないだろう。

 土砂にまみれた旅館や倒壊した鉄塔の映像をニュースで見ると、これをどうやって復旧するのだろうと、暗澹たる気分になる。いったいどれだけの費用と、どれだけの人員が必要になるのか。

 カナダのトルドー首相はハリケーン対策のため来日を取りやめたそうだが、日本も国葬なんかやっている場合ではない。

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ズッキーニの花は雌しべを取り花弁の先端を中に折り込んで天ぷらにする。

国葬

 エリザベス女王の国葬が執り行われた。

 在位期間が長いからという理由で国葬になったわけではないが、70年の在位は史上最長。これまでの記録はヴィクトリア女王の64年である。

 ヴィクトリア女王は19世紀の後半、世界に先駆けて成し遂げた産業革命の成果が各分野に及んで、経済の高度成長が実現した時代に君臨した。

 この時代の英国は、世界に版図を広げて帝国を築く一方、国内では中産階級と呼ばれる小金持ちが生まれて、都市での消費生活を享受した。

 家を建てるカネはあるが広い土地は買えない中産階級は、狭い「ウサギ小屋」のような家に家具をいっぱい詰め込んで暮らしたので、息抜きにスポーツをしたり旅行に出かけたりするようになった。

 それまではスポーツといえば乗馬や狩猟など貴族の特権で、農民や労働者は無駄に体力を使う余裕がなかった。一生に一度巡礼に行く者はいても、気軽に旅行を楽しむことなど考えられもしなかった。サッカーやラグビーをはじめ現在世界でおこなわれているスポーツの大半が生まれたのも、世界で最初の旅行代理店ができたのも、この時代の英国である。

 それからちょうど100年後の20世紀後半、昭和の経済高度成長で日本は同じような状況を迎えた。

 ヴィクトリア女王の在位は1837年から1901年。1901年の1月に女王が亡くなり、その3ヵ月後に昭和天皇がお生まれになった。そして昭和天皇の在位も足かけ64年にわたっている……。

 この不思議な符合は私が発見したものではなく、いまから30年ほど前に日本リゾートオフィスクラブを立ち上げたとき、オーストラリアのテレワーク研究者ウェンディー・スピンクス女史から教えられたものだが、日本の社会がちょうど100年遅れて英国の後を追っている、という歴史が面白く、機会あるごとに紹介してきた。

はたして、日本は100年経ったら本物の国葬が営めるのか?

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台風が近い風の中、ことしの収穫と仕込みがはじまった。
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