玉村豊男の「隠居の小言」

そろそろ「傘寿」を迎える玉さん、老いてますます元気です。今年も毎週1回、月曜日に更新します。 2022-2023のコラムをまとめた『玉村豊男のコラム日記2022-2023』発売中です。

コミュニティー

 私たちが住む田沢という集落は、東御市の中心部から烏帽子岳(浅間連峰の西端に位置する標高2066mの火山の麓まで上り詰めたところにある。さらに上にも人家はあるが、ほとんど行き止まりといっていい場所である。

 集落の標高は800mから900m。コメもできない冷涼地だったから、近隣の地域から開拓者として移住してきた住民たちはおもに酪農で生計を立てていた。

 いま集落の中を歩くと、立派な蔵をもつ大きな家が目立つが、これは明治時代から昭和の中頃に至るまで日本の経済を支えていた養蚕のおかげである。よく晴れて日が当たり風通しもよいこの地域は、桑の木を育ててカイコを飼うには最適の土地だった。

 養蚕が盛んだった頃は、集落の中にも周辺の里山にも、あらゆるところに桑の木が植えられていた。それが養蚕製糸業の衰退とともに減り続け、日本が工業による高度成長へと舵を切った昭和40(1975)年を境にほとんど姿を消した。

 現在はリンゴやクルミ、ブロッコリやアスパラなどの野菜を栽培する農家が多く、私たちが移住してからはワイン用ブドウの畑が増えている。

 この集落……「部落」という語は非差別部落を想起させるからメディアでは使わないことになっているので文章では「集落」と書くが、私は会話では「集落」ではなく「村」と呼んでいる。人口530人。行政的には東御市田沢区という「区」に分類されるけれども、昔の言葉なら「村」、いま風に言えば「コミュニティー」ということになるだろうか。

 能登半島の地震は、日が経つにつれ深刻な状況が露わになる。

 人的な被害は言うまでもなく、道路や港湾や建物の損壊、水道などのインフラの崩壊は被害甚大だが、それだけでなく、復旧したとしてもその先に見える風景が描けないという、さらに大きな問題が待ち構えている。

 壊れた「村」が元に戻る日を、老人たちは生きて迎えることができるのか。

 壊れた屋根瓦の古い家の代わりに新しい耐震建築が並ぶ「町」に、移住してくる若者はいるだろうか。

 日本の人口はどんどん減少している。建物を建てることはできても、「コミュニティー」をつくることは難しい。

 それを言えば自分たちの「村」も同じことだ。

 田沢でも住民は老人ばかりで、若い人は家を出たまま帰ってこようとしない。いまの老人たちが死ねば、村は空き家だらけになるだろう。

 配偶者を失った老人たちは、古くて大きい家にひとりで住む不便に耐えかね、田舎の家ではなく市街地にある老人施設に「避難」することを選びはじめた。

 住み慣れた家で最後まで過ごすという、昔なら当たり前だったことが、すでにできなくなっているのだ。

 全国のどこにも、同じ問題がある。

 広い地域に点在する古い町や村とそこに住む人たちをシャッフルして、新しく引いたコンパクトな地図の上に再配置する……50年後には8000万人台に人口が減少する日本では、いずれ必要になる作業である。

 能登半島は、他の地域に先駆けて、その実験の舞台になるかもしれない。IMG_7599
輪島の朝市。もう10年以上も前、テレビの取材で行ったときに描いた絵。

 最近の子供の名前は読むのが難しい。

 キラキラネーム、と言われて久しいが、いまではみんながキラキラになってしまったのでそれが当たり前になった。しかもキラキラは多様化して、毎年の人気ランキングでも入れ替わりが激しい。

 昨年の末に発表されたランキングでは、男の子の名前のいちばん人気は「碧」だという。

 碧。紺碧、碧眼……濃い青色、または緑に近い青。海の色、宝石の色。

 男の子の場合、アオ、と読ませる人と、アオイ、と読ませる派があるらしいが、海や空など自然を思わせるイメージが人気で、一昨年の7位から急上昇。同じ読みで「蒼」という文字の名前もランキング3位に入っている。

 サッカーの日本代表で田中碧という選手が活躍しているが、私は試合の中継を見ていてその名前をはじめて聞いたとき、ヘンな名前だなあ、と思った。

 アオ……人の名前か?

 アオと言えば、昔は馬の名前だった。

 塩原太助、青との別れ……志ん生の落語を思い出すのは古過ぎるが、落語でも講談でも、芝居でも時代劇に登場する馬はたいていアオ(青)である。

 馬の毛の濃い黒い色が、光ると青みがかって見えることから、黒い毛色の馬を「青毛」と呼ぶ習慣があり、そのためもともと黒い馬が多かった日本ではアオという名が一般的な馬の呼び名になった、と説明されている。

 それが、いまや人名になった。

「サッカーの選手なら足が速そうでいいかもしれないね」

 私がそんな話をすると、妻は

「そういえば、アオという馬が出てくる昔話があったかも……」

 と、私と5歳半しか違わないのに早くも記憶が曖昧である。いまのお母さんの世代では、アオが馬の名前だなんて想像もしないだろう。

「馬と言えば……」 

 と、こんどは妻が切り出した。

「電気自動車って面白いのよ」

 我が家は最近、電気自動車に買い替えたのだ。クルマで遠出することもなくなったし、近所を走るだけなら充電も問題ない。非常用の電源として利用できるのも魅力だった。

 その電気自動車を運転しながら彼女が言う。

「いつもどんなスピードで走るか、加速や減速のタイミングはどうかとか、運転って、それぞれの人の癖があるじゃない。何回か乗っていると、その人の癖をAIが学習して、運転する人が走りやすいように反応してくれるの」

 私は運転免許を持ってないから、いつも助手席に乗せてもらうだけで運転のことは分からない。だから、

「へえ」

 と言ったまま黙っていると彼女が続ける。

「馬と同じよね」

「……ほお、なるほど」

 私は乗馬を習ったことはないが、海外旅行で馬に乗った経験は何度かある。

 馬は人を見て、素人だと思うとバカにして言うことを聞かない。

 鞍に跨ってからも、扱いの上手下手で動きが違う。

 慣れた乗り手の手綱なら自在に操れるのに、鞍上で自信がない者は意志を通じさせることすらできない。

 が、それでも少し乗り慣れて馬が人を理解しはじめると、馬はその人に合わせて反応してくれるようになる。

 生き物どうしだから、そこに意思の疎通が生まれるのだ。

 電気自動車もまた同じ、か。学習能力のあるAIが搭載されていれば、同じような反応が生まれても不思議ではない。

 ハードな鉄の塊に過ぎなかった自動車が、AIの登場で生き物のようになり、その前世である馬に近くなった、という感想は面白いが、私は黙ったまま、だったら白っぽい色ではなく、青いクルマにすればよかったかな、と考えていた。

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玄関前で充電中。

老衰

 一週間経って、能登半島の被害はようやく全貌が露わになりつつある。

 元旦の晩は、まだなにも分からなかった。

 2日の夕方には羽田空港の日航機衝突事故があり、年明けから続く惨事に先行きの不安を覚えたが、道路の寸断や集落の孤立、倒壊した家屋の下敷きになった人たちの安否についての詳細な情報がもたらされるのは、さらに後日のことである。

 それにしても、元旦の午後。ふだんは離れて暮らしている家族も一堂に集まって、1階の座敷でこたつに入って談笑している時刻である。そこへ天井ごと2階が崩壊してくればひとたまりもない。

 御嶽山の噴火のとき(2014年)も、よりによって観光シーズンの土曜日、晴天に恵まれて、多くの登山者が山頂に達する時刻(11時52分)だった。もしあの噴火が数時間早く、人がまだ山に登る前の朝だったら……あれほどの被害者は出なかっただろう。

 能登半島の地震も、ふだんの平日なら、あの時刻に家にいる人はもっと少なかったはずだ。

 笑いながらテレビを見ていた妻が、夫が、家族が、逃げる間もなく潰されて、気がついたら生き埋めになっていた……一人だけ生き延びて慟哭する姿が痛ましい。

 平穏な日常を突然ミサイルが襲い、家族や友人が目の前で死ぬありさまを、私たちはウクライナ侵攻のニュースで2年以上見続けてきた。さらに去年からは、パレスチナで同じような光景を。

 そして地震、飛行機事故……私たちは、いつ、どんなことで死ぬか分からない。いま自分が生きていること自体が奇跡のようなものだと、多くの人が感じていることだろう。

 そんなふうに死を身近に感じる毎日の中で、私にとってショックだったのは5日にもたらされた篠山紀信さん死亡のニュースだった。

 篠山さんには40年ほど前に一度だけ雑誌の取材で写真を撮ってもらったことがあるが、それ以上のお付き合いはない。

 だから親しい人の死、というわけではないのだが、ショックだったのは、死因が「老衰」と発表されたことだ。

 老衰?

 過去の記念碑的な作品を集めて展覧する全国縦断の大写真展を報じるニュースで、大きな作品のパネルを前にして語る元気な姿を見た記憶があるが、あれはいまから5年くらい前のことだろうか。

 それから、たったの5年で老衰とは……。

 篠山さんは、私より5歳年上だ。

 ということは……いまは元気でも、私も5年後には老衰で死ぬ可能性がある、ということだろうか。

 高齢者で、とくに記載すべき病態がない場合は、死因を「老衰」と書くのが死亡診断書のマニュアルだそうだ。

 高齢化社会で自然死が増えるに従い、死因としての老衰は、がん、心疾患に次いで第3位。それまで3位だった脳血管疾患を5年前に抜いた。

 篠山さんは、自宅で過ごしていたが急に容態が急変して病院に緊急搬送されたという。それなら、老衰というイメージとはちょっと違う。

 ネットで調べてみると、昨年に載った雑誌の対談企画の写真で、激やせした姿が映っていたといい、がんではないかと心配されていたらしい。

 たとえがんを患っていたとしても、治療ができない状態で見守っているうちに亡くなった場合、死因は老衰となるようだ。

 それにしても、83歳で老衰は早過ぎる。せめて死因はがん、と言ってくれたほうが、ショックは少ない。

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1月8日(月)9時27分の風景
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