2023年12月19日

おフランス猫革命

フランスは十八世紀の終わり頃と申しますから、国王が絶対的な権力を握っていたルイ十六世の時代。
パリの西にブローニュの森とセーヌ川に挟まれたオートゥイユという地域がございます。
ここに大きな屋敷を構えておりますのが、齢七十の未亡人マダム・エルヴェシウス。その広々とした庭園の奥にある離れで、二匹の猫が何やらやり取りをしております。一匹は青みがかった灰色の美しい毛並みの猫。もう一匹は埃まみれの薄汚れた子猫。
「アンシャンテ。はじめまして、吾輩はズミオ。ここの飼い猫ですぞ。そなたは何故この屋敷にやってきたのであるかニャ」
と、灰色の猫が訊ねますと、もう一匹の子猫がクシャクシャな毛を毛繕いしながら「へっ、ズミオって変な名前だミャ」と、小癪な憎まれ口。
「ノン、ノン。この名前は猫に変身出来るという妖精の名前ですぞ。それより、何故ここへきたのであるかニャ」
「フン。外の世界はよ、パンを食べる事もできず、そのうえ国からしこたまお金を巻き上げられ、人間どもの不満が爆発しそうなんだミャ。その不満のはけ口ってのがオイラ達猫への虐待だミャ」
「ウイ。その話は聞いておるのですぞ。教会の祭りでは猫を生きたまま燃やしたり、高い塔の天辺から放り投げたりーー」
「へっ、それによ貧しい人間どもが裁判の真似っこをして、猫を有罪と決めつけるや棒で叩っ殺されるんだミャ」
当時、猫は魔女の手先、またどこにでもいる価値のない動物として、酷い扱いを受けておりました。それは痛みや苦しみの鳴き声を紛れもなくあげてくれるので、猫を虐待するのは人々の娯楽でありました。
「それにしても、ここは別世界だミャ」
「ビヤンスール。当然、当然ですニャ。ここはマダム・エルヴェシウスのお屋敷ですぞ」
「そう、それそれ。とても優しいばあさんの屋敷だからって、逃げ込んできたってわけ」
「ビヤンスール。マダムはオートゥイユの聖母様と呼ばれ、多くの貧しい人間達を救っておられるのですぞ」
「オイラ達にも優しいって聞いたミャ」
「ウイ、ビヤンスール」
するとそこへ、マダム・エルヴェシウスが離れの中へと入ってまいりました。紅色のレースをあしらった白絹のドレスを纏い、静かな微笑みには凛とした気品を漂わせ、齢七十とは思えない若々しさであります。マダム・エルヴェシウスの美しさは、かのアメリカ独立戦争の英雄ベンジャミン・フランクリンが、
「ジュテーム、マリヨンヌ!」
と、プロポーズした程でございます。
「あらズミオ、新しいお友達かしら」
マダムは子猫をしげしげと眺め「まあ、この子は女の子ちゃんね」と子猫に声をかけました。
「この子は今は見すぼらしいけど、白く長い毛並みのようだから、そうね、ジャンヌって名前はどうかしら。民衆の先頭に立って戦ったジャンヌ・ダルクにちなんで。どうズミオ、いい名前でしょう」
「ニャーゴ」
ズミオが一鳴き答えますと、マダムの後ろから三十代くらいの男性と年の差のある夫婦が姿を見せました。
常に憂いのある表情を浮かべている三十代の男性は、ジョルジュ・カニバスという医学者。一人息子を早くに亡くしたマダムから我が子の様に愛されておりました。夫婦の夫の方は数学者で政治家のコンドルセ、大きな鷲鼻の四十六歳。その妻はソフィー、パッチリとした垂れ目が愛らしく、夫コンドルセとは二十一も歳が離れております。
カニバスもコンドルセ夫妻もフランス革命期の思想家で、マダムの離れは革命家達の学術サロンでありました。この話には登場しませんが、ナポレオンもカニバスの紹介でサロンに立ち寄っております。
「マダム、また新しい猫ちゃんですか」
と、カニバスが尋ねます。
「ええ、ジャンヌと名付けたの。この子は優雅な子になるわ」
「ジャンヌですか。いい名前です」
そこへコンドルセが
「マダム、この小さな命が民衆の旗頭になるといいですね」
と、その口調は穏やかですが、どこか熱を帯びております。
「貴方、その時代はきっと来ますわ」
と、コンドルセの妻ソフィーがにこやかに答えます。
「そうだ。ソフィー、今は国王と教会、貴族が民衆を抑圧しているが、民衆も政治に参加できる日が必ず来る」
「そうよ。貴方、それと同じ様に、猫も人間に抑圧されていますわ」
「そうだ。ソフィー、神は、この世の支配権は人間に与えたのだから、猫や生き物をどう扱おうが人間の勝手というのは古い考えだ」
「そうよ。貴方、猫や生き物を可愛がるのは、美しい魂から芽生える正しい感情ですわ」
すると、
「しかし昔から猫を可愛がる者は、軟弱な人間、世間と違う変わり者と罵られてきました。あ、マダムすいません、口が過ぎました」
と、カニバスが謝ります。
「いいえ構いませんよ、カニバス。世間からどう嘲られようと、私は平気ですよ」
昔、マダムの亡き夫が『精神論』という本を出した時、世間から酷い迫害を受けたのでありました。
「そうだ。支配者は下で生きる者達を何だと思っているのか。痛みや苦しみを感じるのは人間も生き物も同じではないか!」
「ムッシュ、コンドルセ。私の夫も大勢の幸せを現実にするのが道徳や法律の目的である。そこには生き物達も加えなければいけないと仰っておりました」
「そうよ!猫は女の象徴で、女が猫の様にいう事をきかない我儘な生き物って、古い体質の偏見よ!」
ソフィーが声を荒げますと、
「その古い体質の奴らがのさばっている。マダム、いま我が愛するフランスは戦争戦争で財政が破綻、そして毎年続く凶作に長引く不況。国中が噴火前の火山の様になっています」
カニバスは憂いをいっそう深くしながら憤るのでありました。


ところが王妃マリー・アントワネットが財務長官のネッケルをクビするという出来事が起こりました。ネッケルはマリー・アントワネットと取り巻き達に贅沢をやめるよう質素倹約を進言した方です。ネッケルは自分達の暮らしを変えてくれると、民衆から期待をされておりました。そのネッケルがマリー・アントワネットの独断でクビになったのです。
さあ、これを聞いた民衆は黙っておりません。「特権階級ふざけるな!」と火山の如く大爆発。その勢いでバスチーユ牢獄を襲撃。ついに革命の火蓋が切って落とされたのです。
革命の炎はフランス全土に広がり、各地で農民の暴動、フランス人権宣言、女性達のヴェルサイユ行進、オーストリアとの戦争、千数百人の革命反対者を虐殺するなど収まる事を知りません。
また政権もすぐさま交代するという激動に次ぐ激動。革命が始まってから立憲君主制のフイヤン派、穏健派のジロンド派、過激なモンターニュ派と三つの派閥が対立。カニバスやコンドルセは穏健派でございました。


さて革命が始まって四年、ジャンヌは白く長い艶やかな毛並みの猫へと成長しております。人間でいえば三十代前半の貴婦人といったところでしょうか。
「ミアオウ。ズミオさん、人間の世界は血生臭い事になっていますね」
「ビヤンスール、ジャンヌ。元々同じ政治クラブの会員だった者達が、反革命というレッテルを貼って殺し合っているのですニャ」
「コンドルセさんは穏健派だから、過激な派閥から狙われています」
「ウイ。その先鋒がロベスピエールという弁護士なんですぞ。あまりに潔癖すぎて誰もが近寄りがたいそうですニャ」
ロベスピエールは革命の最中、反対勢力を次から次へと処刑台送りにするという恐怖政治を行うのでございます。ルイ十六世を処刑した後、ロベスピエールの派閥が政権を握ると穏健派を追放。そしてコンドルセへの逮捕状が出され、コンドルセが潜んでいると密告のあったマダムの屋敷に捜査の手が及ぶ。
革命政府の命を受けた警察の捜査隊が屋敷へと乗り込んで来ました。
「マダム・エルヴェシウス。反革命の罪人コンドルセを引き渡せ!」
「ムッシュー。コンドルセなどと言う御仁は、此処にはおられません」
「嘘を申すな!コンドルセは居るはずだ」
この様子にジャンヌは屋敷の外へと飛び出して行きました。
着いた先は貧しい人々の集落。
そこでジャンヌは人々に向かって手招きを始めたのでございます。
「ミアオウ、ミアオウ、ミアオウ」
「あれ、聖母様んとこの猫じゃないか」「そうだ。あんな綺麗な白猫は聖母様の猫だ」「何だ?こっちに向かって手招きしてるぞ」
ジャンヌは手招きを終えますと、すぐさま屋敷へと駆け戻って行きます。
「おいおい、俺たちに着いて来いってか」
と、集落中がジャンヌの後に着いて行きます。
その頃、屋敷の方では捜査隊の隊長が、
「マダム、革命政府の命令だ。屋敷内を探させてもらうぞ」
と、強引に家探しを始めようとしたその前に、ズミオが飛び出し「シャーッ」と威嚇したのです。
捜査隊はズミオに手を出そうとするたび、「ニャーゴ」「いたたた」「ニャーゴ」「あててて」と、顔や手を引っ掻かれる有様。
「ええい、たかだか猫一匹に何をしておる!」
隊長が拳銃を取り出しズミオを撃ち殺そうとしたその時「ワァーッ!」と、ジャンヌに導かれた民衆が雪崩れ込んできたのです。
「オートゥイユの聖母様に何しやがる」「警察は横暴よ」「手を出しやがったら承知しねえぞ」と、殺気立って捜査隊を取り囲む。
「こいつはヤバい。コンドルセは居ない、コンドルセは居なかったな。ならば引き上げるぞ」
命の危険を感じた捜査隊、後も振り替えずに逃げ去って行きました。
「見ろよ、あの無様な格好」「ほんと、普段偉そうなのにみっともないわ」「それにしても猫の癖にやりやがるな」「ああ、ちょっとは猫を見直したぜ」
マダムはズミオの頭を撫で、ジャンヌを抱き上げ声をかけました。
「助かったわズミオ。ありがとうジャンヌ」
この数年後、ナポレオンが政権を握り革命が終わった翌年、マダム・エルヴェシウスは八十歳の天寿を全う致しました。それから十九世紀に入り、猫は古い伝統や仕来りにとらわれない象徴として芸術家達から愛され、その存在を認められ始めたのでございます。


フランス革命で芽生えた人道主義は、思いやりの対象を動物まで拡げ、生き物への愛という歯車が、ゆっくりとではありますが回り始めたのでございます。
猫虐待が娯楽だった時代から、革命で芽生えた弱者への思いやり「おフランス猫革命」という一席。





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tamesuounokami at 14:30コメント(0)│ 

2023年12月04日

第七十六回宝井講談修羅場塾/公演

七十六原画表01

七十六原画p01


十二月十日(日) 午前10時00分 開演(木戸無料)

お江戸日本橋亭 

地下鉄銀座線「三越前駅」 A10番出口より徒歩3分
 
(詳しくはこちら


ビルの建て替え工事のため
お江戸日本橋亭での修羅場塾の公演は
今回で最後になります。
ぜひ足をお運び下さい。


大塚 琴愚
(おおつか きんぐ)
新作
 「おフランス猫革命」






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tamesuounokami at 16:23コメント(0)講談公演  

2023年07月02日

猫嫌いのプロローグ〜寅彦と猫〜

大正年間と申しますから、薩摩長州が権力を独占していた政治から、民衆が自由や平等を求め始めたデモクラシーの時代。

東京は本郷区曙町と申しますから、ただ今の文京区本駒込。ここに屋敷を構えておりますのが物理学者で随筆家の寺田寅彦。歳は四十三、血色の悪そうな肌に八の字の口髭をたくわえ、ひょうひょうとした雰囲気を漂わせております。家族は母親、妻、子供五人の八人家族。

寺田家の親類縁者は猫を毛嫌いしていたようで、寅彦の母親などは、その姿を見ようものなら「この畜生め」と手当たり次第に物を投げつける始末。寅彦自身も、猫を飼うなど決してあってはならない事だと、そう思っておりました。

ある時、寅彦が母親の隠居部屋へ呼ばれますと、

「寅彦や、隣の庇の上に猫がおるよ」

「そうですね、お母さん」

「ああ、気味が悪い。ここからだと物を投げても届きやしないよ」

「昔うちにいた下男だったら、罠を仕掛けて絞め殺してるでしょうね」

「ああ、やだやだ。本当に気味が悪いったらありゃしないよ」

「そうですね、お母さん」

「ゴホッ、ゴホッ、煙い煙い。煙草はおよしよ、寅彦や」 

「お母さん、僕は十五の頃から吸ってるんです。煙草を止めたら死んじゃいますよ」

と、ドーナツの輪っかの様な煙をプカリ。

寺田寅彦は大がつく程の愛煙家で、死ぬ間際まで煙草を手放さなかったそうです。


この頃の寅彦は師匠で友人であった夏目漱石や二度目の妻を亡くしており、また大学の人間関係に疲れ果て血を吐くほどの胃潰瘍を患い、軽いノイローゼ状態でありました。

そんなある日の事、一匹の子猫が寺田家へと貰われてきました。寅彦の家族が猫を欲しがっていると聞いた出入りの八百屋が、子猫の貰い手を探している家から連れて来たそうで、尻尾の短い三毛猫でございました。

「ミャオ」

「よしよし、ミケや。いい子だね」

と、三度目となる奥さんが子猫を抱き上げて、顎の下や耳の周りを掻いてやりますと、ゴロゴロと咽喉を鳴らし始めました。

「よーしよし」

「ゴロゴロ、ゴロゴロ」

(おいおい、沸騰するような音をたてとるぞ)

「ねえねえお母さん、次はあたしに抱かせて」「その次は僕にも」と子供達がねだります。

「はいはい」

「わあ!よーしよし」

「ゴロゴロ、ゴロゴロ」

(おいおい、ミケのやつ大丈夫か?って、いつ誰が名前をつけた。いや、そもそも猫を飼っても良いなどと、僕は許しておらぬぞ)

猫を飼った事が無い寅彦、猫がゴロゴロと咽喉を鳴らすのは書物や人の話では知っておりましたが、実際にそれを目の当たりにするのはこれが初めてでございます。

「おい、ミケは肺でも悪いんじゃないか」

「どうしてですの、あなた」

「ほら、胸の辺りがゴロゴロいってるじゃないか」

「あは。お父さんったらバカなこと言ってる」

「おほほ。あなた、猫は嬉しいと咽喉をゴロゴロ鳴らすんですのよ」

「あはははは。あはははは」

「あなたは大学の教授をしておいでですが、猫の事はまったく知らないんですのね。おほほほ」

(む!四十を越えて初めて体験する猫だ。そんなに笑わなくてもいいじゃないか。というか、飼っても良いなどと許しておらぬぞ)

寅彦、ムッとして立ち上がると台所からお茶碗を持ってきて、「この!」と縁側の靴脱ぎ石にぶつけパカっと二つに割ったのでございます。実は寅彦、大変な癇癪持ちで爆発しそうになると、こうして気分を紛らわせておりました。

「あなた、お食事用のじゃないでしょうね」

「む!ちゃんと癇癪用のだ」

と、またもや台所からお茶碗を持ってきてコツリとやるのでした。


この時代、世の中はデモクラシーの風が吹いておりましたが、寅彦が教授を務めていた大学は未だ上下関係を重んじることを大事として、個人の自由や権利を認めない閉鎖的な環境でありました。

科学が一般の人々に広く行きわたることを望む、独創的な発想を持つ寅彦とは相容れなかったのです。

「なにが寺田は学問に逃げ込んでいるだ。失敬な奴らめ」

夜更け過ぎ自宅の書斎で不満を漏らす寅彦。

「大学は上下関係がものを言うから、自分が取組んでいる学問より、先輩たちを持ち上げるようにしろだと」

寅彦、机の上の紙をクシャリと潰しました。

「世の中には自分ほど偉い者はいないと思っている奴らをか。不愉快な。なぜ勉強しないのだ。学問とは勉強をすることだろうーうっ、痛たた」

胃袋のあたりを抑える寅彦。すると、椅子の下で寅彦の足を撫でるものがおりました。

「おや、なんだ」

寅彦が足元を見ますと、三毛猫が足首のあたりに頭を擦り付けております。

「ミケじゃないか」

何度も何度も頭を擦り付けるミケに、寅彦思わず「どうしたミケ」と声をかけてしまいました。

「ミャーオ」

つぶらな瞳で寅彦を見上げるミケ。

「なんだい、何か用かい」

寅彦が抱き上げると「ゴロゴロ」と咽喉を鳴らし始めました。

「そうか、嬉しいのか。よーしよし」

「ゴロゴロ、ゴロゴロ」

「ミケよ、僕は重箱の中に押し詰められ楊枝で突っつかれるような大学が嫌になったよ。僕はただひたすらに学問を極めたいだけなんだ」

「ミャーオ」

「そうか、そうか。分かってくれるか。はっ、僕は誰と喋っている。相手は子猫じゃないか」

寅彦、我に返るとミケを床に下ろしました。

「おお危なかった。この姿を見られたら、また大笑いされる所だった」

ところがミケ、またもや頭を擦り付けてきます。

「まったく猫を飼う事など、僕はまだ認めておらぬのに」

「ミャオ」

寅彦を見つめる、ミケのくりっと丸く可愛らしいまっすぐな眼差し。

「むむ、そんな目で僕を見つめないでくれ」

ジッと見上げるミケ。

「ああ!お前は本当に優雅な天使ようだ」

と、堪えきれず抱き上げ、

「お前はうちの家族だよ」

と、生まれて初めて猫を受け入れた寅彦でありました。一緒に暮らしてみて初めて分かる猫の愛らしさ。寅彦の猫嫌いはただの食わず嫌いだったようです。

随筆家でもある寅彦はミケと出会い、猫の随筆も何作か発表しており、その中で「自分には猫の事をかくのがこの上もない慰謝であり安全弁であり心の糧であるような気がする」と気持ちを綴っております。

そして療養生活を終え大学にも復帰し、大正十二年一月、初の随筆集『冬彦集』が岩波書店より出版されたのです。寅彦は吉村冬彦というペンネームで執筆しており、冬彦としたのは冬の季節に生まれたからだそうです。


猫の魅力にしてやられた寅彦。ある日、母親の隠居部屋へ顔を出しますと、ミケが母親の膝の上で丸まっておりました。

「お、お母さん。膝の上に、ミ、ミケが乗っていますよ」

「それが、どうかしたかい?」

「ど、どうかしたかいじゃないですよ。あ、あんなに猫を嫌ってたじゃないですか?」

「それが?」

「そ、それがじゃないですよ。な、何があったんです」

「寅彦、この子を見てごらん。私がちょっと動いたり声を出したりすると、耳をこっちに向けてきき耳を立てるんだよ」

「はい、そうですね」

「この子はね、のんびり寛いでるようだけど、私に気を遣ってくれてるんだよ」

「お母さん、よく観察してますね」

「寅彦や、何言ってるの。私はあなたの母親だよ」

寅彦の科学的な観察眼は母譲りであったのかもしれません。

「寅彦、私はね、この子の前では素直になれるんだよ」

「はい、僕もそうです」

「私は隠居部屋を与えられたけど、何だか独りぼっちになってしまったようだった」

「お母さん、僕はお母さんをそんな風にはしてませんよ」

「解ってるよ、寅彦や。だけど寂しくて仕方なかったよ。でもね、この子は

母親の話によりますと、ミケをどれだけ追い払っても後をついて来たり、朝から隠居部屋の前で待っていてくれたり、外から帰って来た時も出迎えてくれていたそうです。

「この子は特別だよ」


そして運命の大正十二年九月一日。ミケ何かを感じておりますのか、朝から落ち着かず「ミャーミャー」と大声で鳴き叫び家の者を不安がらせておりました。その数時間後の十一時五十八分三十二秒。未曾有の大地震が関東を襲ったのでございます。

火災旋風により東京横浜は火の海、液状化で地盤沈下、沿岸部には津波が押し寄せ、建物の被害は十万九千戸が倒壊、二十一万棟が全焼。人間の被害は百九十万人が被災、十万五千人余りが死亡もしくは行方不明。これが世に有名な関東大震災。


この後、今まで精神的に参っていた寅彦は、人が変わったように地震の調査員として積極的に先頭に立ち、連日骨身を惜しまず活動を始めたのでございます。

孤独を感じていた時に猫に癒された寅彦、晩年は防災の随筆が多くなり「天災は忘れた頃に来る」と格言を残したのでございます。

猫嫌いが一生の猫好きとなった「猫嫌いのプロローグ 寅彦と猫」という一席。






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tamesuounokami at 14:56コメント(0)│ 
プロフィール

しいたどる.

めがね産地で放流される
漂い続け 流れ着いたのは
創作の浜辺
高橋宏幸という
絵本作家に助けられ
ただいま 恩返しのため
絵本の形をした玉手箱を
まったりと製作中

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