2017年05月
2017年05月22日
五分講談/和一の覚悟
元禄年間と申しますから、徳川綱吉の時代。
将軍家奥医師の一人、杉山和一。
和一は盲目ではありましたが、鍼灸術の一つ杉山流の元祖で小さく細い管をツボにあて鍼を刺すというカンシン法の創始者であり、また盲人の最高位、検校の位に就いておりました。
ある日のこと、和一は大奥へ呼び出されました。
「杉山検校、これからする話は、決して他言無用でございますぞ」
と、正室の信子から念を押され、
「そなたの鍼は上様のブラブラ病い(鬱病)を完治させる程の腕前ですが、それはどのような術法なのでしょうか?」
和一の鍼灸術の業をお聞きなされたのです。
「はい、私めの術法は、一本の鍼、一つまみの艾を使って、患者の感受性に合わせ、治ろうとする力をどう引き出すかという技術でございます」
「その術法は、治ろうとする力を抑えることもできますのか?」
「えっ!それは、どういう意味でございましょうか?」
「そなたの鍼で、人の生死を司ることが出来るのかどうか、聞いておるのじゃ!」
「は、はい。柔術にも殺法と活法がございますように、我が鍼灸術にも表裏がございます。人を治すのが表の法ならば、その裏の秘術もございます……」
「杉山検校。こなたの一命をかけた頼みごとじゃ。ーーそなたの鍼で、上様を御生害あそばしてくれぬか?」
「ご…御生害!御台所さま、う、上様を殺してくれと仰せでございますか!」
「大声を出すではない!ーーただでさえ、周りを振り回す御性格のうえ、こたびはブラブラ病いを患い、上様の一言一句に、周りは引っ掻き回され右往左往する有様じゃ。上様に寄り添うのは、もう精も根も疲れ果てた。この苦しみと悲しみ、検校、そなたには分かるまい!」
和一は信子の顔色を伺うことはできませんが、全身に伝わってくる信子の尋常でない殺気で息が詰まりそうでした。
ーーううむ。この後に及んで断るという事は出来ぬ。断れば、我が杉山流一門に類が及ぶかも知れぬ。何とも、恐ろしい話を聞いてしまったものだーー
「……御台所さま、私めも一命をかけお引き受け申し上げます」
駕籠に揺られ帰宅の途中、和一は駕籠の側に付き従っている一番弟子の三島安一を呼んだ。
「安一、御台所さまから、鍼で上様を御生害申し上げろといわれた。厭と申されん羽目ともなって、一旦はお引き受け申し上げたが、上様は目の見えぬ者たちのために、はり灸の稽古所を建てて下された。また本所一つ目に御屋敷も頂いた。そんな大恩ある上様を御生害できる訳がなかろう。ーー私の命一つで済むのであれば……。安一、我が一門を頼むぞ」
和一はそう言い残し、それっきり言葉を発することは無かったのです。
駕籠の引き戸から、流れ落ちる一筋の血潮。
この十五年後、綱吉は自分の誕生日の宴の催したあくる日に麻疹で亡くなり、正室の信子も一ヶ月後に後を追うように麻疹で亡くなりました。
この話、実は信子は綱吉を刺し殺した後、自分で命を絶ったと言われております。
さて、和一は自害し果てましたが、将軍家に忠誠を尽くしたと、ますます名声を高め、その心得は後世へと引き継がれ、杉山流の稽古所からは幾人もの優秀な鍼師が輩出していったのです。
命を賭して杉山流を守った「和一の覚悟」という一席。
![]() Web絵本ランキング | ![]() にほんブログ村 |