2020年10月27日
ネコ講談9 /十二匹集合!酒だ祭りだニャッショイショイ
宝永七年と申しますから、徳川六代将軍家宣の時代。
下総は佐原村と申しますから、ただ今の千葉県香取市。佐原村は村と言いましても利根川の水運で大いに栄え、町場といえる程の大そうな賑わいで御座いました。
ここの名主を務めておりますのが伊能景利、四十三歳。色白で小柄ではありますが、威厳のある風格を漂わせております。
景利の堂々とした屋敷は、村を縦断するように流れる小野川沿いに御座います。
その屋敷の縁側で寛いでいる二匹の猫。
一匹はキジトラと呼ばれる毛並で、名前を信パチ。もう一匹は忠ベエと言い、墨を流したような真っ黒な毛色。
「今日も遊びに来たぜ、信パチ」
「やあ、いらっしゃい忠ベエ」
「いやあ、信パチんトコの伊能家は居心地が良いから、遊びにきちまうね」
「忠ベエのトコロの永沢家は居心地が悪いの?」
「まあな。永沢家も伊能家と同じ名主だけどさ、家の雰囲気がピリピリしてるというか、ギスギスしてるというか。まあ、主人の次郎右衛門さんは、おれを虐めたりはしないんだけどさ」
「ふうん。ウチの旦那さんと一緒に、生活に困ってる人を助けてるのに?」
「ありゃあ、世間様に対して見栄を張ってるだけよ」
佐原村は二つの組が御座いまして、伊能景利が預かる本宿組、同じく名主の永沢次郎右衛門が預かる浜宿組に分かれておりました。この二つの家は代々続く名家で、表面上は仲良くしておりましたが、やはり伊能家の方が優れておりましたので、永沢次郎右衛門は快くは思っておりませんでした。
「それはそうと、もうすぐ牛頭天王のお祭りだね」
「もう、そんな季節か」
「うちの旦那さん、今年はお酒の仕込みが上手くいったから、神様に美味しいお酒をあげれると喜んでたよ」
「それよ。伊能家は酒を造れる酒株ってえのを持ってるから、次郎右衛門さんは腹ん中ではやっかんでるんだよ」
佐原村は江戸時代中頃から有名な酒どころとなって関東灘と呼ばれますが、その起こりは伊能家でありました。
「旦那さん、今年もまた、喧嘩が起きないか心配してるよ」
「そうだなあ、今年はお囃子を伊能家の本宿、お神輿を次郎右衛門さんの浜宿が受け持つから、喧嘩は起こらねえと思うけどな。でも次郎右衛門さんはむこう気が強いからなあ」
伊能家の側を流れる小野川を少し下りますと、村を横断する銚子街道を挟んで、船着場を見下ろす様に威風辺りを払う豪勢な建物が御座います。これこそ伊能家に対して肩を張っている永沢次郎右衛門が屋敷。
その屋敷の客間の上座に座っている、下膨れで恰幅の良い五十がらみの男。その前には伊能景利が威儀を正しております。
「永沢さん、牛頭天王の祭りの打ち合わせですが」
「伊能さん、今年はうちの浜宿組が神輿を担がせてもらうが、それでよろしいな」
「はい、毎年交代で執り行っていますので、手前の組はお囃子を任せて貰います。ただ、今年も本宿浜宿の間で喧嘩が起こらないかと」
「がっはっはっは!祭りに喧嘩は付きもの。まして伊能家の酒が入れば、喧嘩の花が咲くというもの」
「去年は神輿の下敷きになって、本宿組の若い衆が亡くなりました。祭りで命を落としてしまっては、亡くなった者は浮かばれません。別当の清浄院様も、それを憂えております」
「ふん、別当様も不甲斐ない。まあ、お宅は酒が造れて毎年奉納しておるから、別当様も頼りにするんじゃろう」
「酒を造るのは、これからの佐原村のためです」
「ふふん、佐原村のためか。村の地図を作ったり堤防を治したり貧乏人を救けたりと、領主の旗本様に胡麻をすってるように見えるのう。がっはっはっは!」
「永沢さん、聞き捨てならぬことは、申しませぬように」
「う、むむむむ」
景利がキッと睨むや、口を噤む次郎右衛門。
伊能景利は佐原村の地図の作成、堤防の修復、貧民救済と精力を尽くし、また隠居をしてから、二十九年に及ぶ膨大な記録を五年程でまとめ後世に残しました。
それと実は、あの歩いて日本地図を完成せたという伊能忠敬の三代前の当主で、伊能忠敬は景利の影響を大いに受け、常に手本としていたそうです。
さて、祭りの当日と成りました。社の周りは、祭りの準備をする人々で溢れております。
牛頭天王は元々は疫病の神でしたが、お釈迦様が産まれた祇園精舎を守る神となり、京都の八坂神社はその牛頭天王を祀る神社として、特に有名です。この祭りは祇園の祭礼と言って、牛頭天王を慰め奉ることで疫病を防ごうとしたのが始まりだそうです。
「天王さんの祭りが三日間になって、もう七年か」
「ああ。昔は神輿を出したと思ったら、すぐお社に戻してたな」
「そうそう、それで次の次の日、またお社から出してさ」
「まったく、ゆっくり神輿を拝めなかったよな」
「うん、うん」
「だけどよ、今は神輿を安置するようになったから、二日目、三日目と多くの人が参拝できるようになったんだよなあ」
「おう。景利さんが別当様と相談して、上手くまとめたからよ」
「前は静かな祭りだったけど、ここ何年かは屋台が出たり旅芝居がやって来たりと、賑やかになったしな」
「やっぱり、景利さんは度量もあるし頼りになるなあ」
日が暮れはじめ、社から神輿を担ぎ出す時刻となり、キジトラの信パチとクロの忠ベエの二匹は祭り見物へとやって来ました。
「そろそろお神輿が出てくるぞ、信パチ」
「あっ、忠ベエ。お神輿が出て来たよ」
ワッショイ、ワッショイ、ワッショイショイ!と、祭囃子と共に神輿を担いだ男達の威勢のいい掛け声。
「悪疫退散、悪疫退散!」
「悪疫退散、悪疫退散!」
二匹も、掛け声に合わせてニャーニャニャーと鳴き声をかける。
世話役で忙しく立ち回っていた景利、鳴き声を耳にすると「何だい、信パチ。今年も祭りを見に来たのかい。おや、永沢さんトコの忠ベエも一緒かい」とニコリと微笑む。
「ニャーオ」
と、甘えた声で信パチがトコトコと景利の足元に擦り寄る。
「これからドンドン盛り上がっていくから、二匹とも気をつけるんだよ」
景利がそう言って去りますと、
「景利さんは優しいねえ」
「うん」
二匹は人混みの後ろから、神輿を追いかけました。
ところが、もともと対抗意識の強い二つの組、振る舞い酒の勢いもあり、浜宿組の者が神輿を激しく揺り動かせば、本宿組も負けじと狂ったように笛太鼓を囃したてる。
どんどん、どんどん二つの組の行為は度を越してゆき、神輿は波の上の葉っぱの様に揉みくちゃに担がれ、お囃子にしても拍子も節回しもあったものでは無く、ただの雑音。
そしてお互い殺気立ってる中「イテッ!ブツけやがったな!」本宿組の者が声を荒げれば、「そんなトコでぼうっとしてやがるからだ!」と、浜宿組からの怒鳴り声。
「なにを!」「なんだよッ!」ボカっと一人が手を出せば、「やりやがったな、こん畜生!」「やったが、どうした!」「この野郎!」と、やられた方がボカボカと殴り返す。
これをきっかけにお互いが入り乱れ、揉み合い張り合い、組んず解れつの大乱闘。
ワーッと、祭り見物の人だかりが雪崩をうつ。これはもう収まるどころの騒ぎでは御座いません。
「おいおい、今年もはじめやがった。信パチ、逃げるぞ」
「そうだね、忠ベエ」
と言った矢先「ええいッ、邪魔だ!」と、乱闘に加わっていた荒くれ者が、信パチをポーンと蹴り上げた。
「ギャッ!」
信パチが鞠の様に飛んで行く。
「信パチ!」
忠ベエが信パチの後を追う。
この乱闘の場へと駆けつけてきた景利と治郎右衛門。
「みんな、止めないか!」
景利が止めに入りますが、騒ぎは収まりません。
「おいおい、本宿の者に負けるな!」
治郎右衛門がハッパをかける。
「永沢さん、何を言ってるんですか!」
「いや、すまない、すまない。おい、お前たち殴り合いを止めぬか」
景利が歯噛みして見ていると、雑巾の様にグタッとしている信パチの姿が目に入った。
忠ベエがつきっきりで、信パチの身体を丁寧に毛繕いしたり、頭を擦りつけたりして、介抱している。
「し、信パチ!」
駆け寄って抱き上げると、信パチは目をうっすらと開け「ミャー…」と一声鳴きました。
「よかった、命はまだある。忠ベエ、ありがとう…」
ホッとして忠ベエの頭を撫でましたが、本宿浜宿のあまりの無軌道ぶりに、さすがに堪忍袋の緒が切れ、
「いい加減にしないかッ!」
ザブザブッと、雨水を溜めた桶の水を群がりに何度も引っ掛けると、組をまとめている小頭達の頬をバシン、バシン!と一人ずつ打っていく。
「いいか、お前たち!あれを見ないか!うちの猫が誰かに怪我をさせられた。それを永沢さんのところの猫が、うちの猫をいたわってくれている。確かに、うちと永沢さんは仲がいいという訳ではない。だが、畜生とはいえ、あの様に仲良い姿が出来るのだ。私たち人間が出来ない訳がないだろう」
景利の雷が落ちたかとばかりの大音声に、乱闘騒ぎがピタリと止みました。
その後、伊能家は酒株の半分近くを永沢家に譲り渡し、佐原村は二つの家を中心に三十五件もの造り酒屋が建ち並び、関東灘と呼ばれるくらい繁栄を極めたのです。
また景利の時代から、神輿の後を舞い踊る獅子や母衣といった練り物が増え、それが時代と共に派手に大きくなっていき、現在の佐原の大祭となったという事です。
喧嘩を収めた、猫どうしのいたわり合い、「十二匹集合!酒だ祭りだニャッショイショイ」という一席。
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