2022年01月11日

ネコ講談11/十二匹集合!ニャンと白石言上記

正徳六年と申しますから、徳川七代将軍家継の時代。

江戸は一ツ橋外小川町と申しますから、ただ今の神田錦町辺り。ここに千石の屋敷を与えられておりますのが学者で政治顧問の新井白石。年は五十九、色は浅黒く、頭にカーッと血が上りますと、眉間に『火』という文字を浮かび上がらせるそうです。

「いや、忙しい忙しい。昼餉を食べる余裕もなく、今日も徹夜じゃ。いや、忙しい忙しい」

白石、一日万機、一日に多くの政務をこなし多忙を極めております。

そんなある日のこと、江戸城から戻り長屋門をくぐりますと、下男の牛吉がやって来て、

「殿様、聞いてもらいてえことがございます」

と、跪いて頭を下げた。

牛吉は白石の領地である野牛村(埼玉県白岡市)の農民で、大柄でがっしりとした体格は名前の通り牛のようであります。

「お前は跪いても、わしの背丈くらいあるの」

「殿様の背が低いだけです」

「なにを。その代わり全身が肝っ玉じゃ!」

白石の身長は五尺と申しましたから、ただ今の百五十二センチ。

「それより聞いて欲しいと言うのは何じゃ?」

「へえ、猫が口をきくんでございます」

「猫が、まさかの」

「いえ、それが本当に口をきくんです」

「お前の良いところは、バカがつくほどのお人好しじゃが、素直で正直なところじゃ。それが、猫が口をきくじゃと?」

「へえ、間違いはございません」

(うむう、猫は歳をとると猫又となって人を惑わすと言うがーー)

「惑わされてはございません」

「牛吉、お前はわしの心が読めるのか」

「いいえ、いま殿様が自分で仰ってました」

「エヘン。ところで、お前はその猫とどこで出会ったのじゃ」

「へえ。村の近くで、山犬に囲まれてる所を助けてもらいました」

「猫が山犬どもを追い払ったのか?」

「へえ、子分の猫達と追い払ってくれました」

「子分がいるという事は、親分猫という事か?」

「へえ」

「それで、その猫が何と口をきいたのじゃ」

「吉原で働いてる、おちょぼ姉妹を助けてほしいと」

「おちょぼと言えば、まだ十歳くらいではないか」

「へえ」

「もしや、あの事件の姉妹の事かーー牛吉、その猫をここへ連れて参れ」


ところ変わりまして浅草は浅草寺裏、日本堤にございます吉原。幕府公認の遊郭でその敷地は二万八百坪と申しますから、サッカーのコートに直しますと十面分の広さ。遊女の数も多い時には三千人を越え、そのトップの太夫の着物や髪型は江戸女性の憧れでございました。

百花の如く煌びやかな世界の日の当たらないそこで働くおちょぼな姉妹。

姉の名をゆき十一歳、妹のしめは九歳。

「姉ちゃん、父ちゃんも母ちゃんも死んじゃって、あたいらはどうなるの?」

「しめ、ここで男の相手をするだけさ」

苦海十年と申しますが、遊女の平均寿命は二十二歳、それに両親のいないこの姉妹は年季が明けたとしても、死ぬまで苦海に生きるしかございません。


この姉妹の行く末の鍵を握っておりましたのが評定所。今の最高裁判所にあたりまして、老中を中心に寺社勘定町奉行が審議を諮りますが、実際に決定を下すのは評定所留役、今で言うところの書記官達でございました。

評定の間で踏ん反り返っている老中の土屋政直。齢七十を越えていますが、赤茶けた肌は脂ぎっている。その前に座る青白い顔の評定所留役。

「鬼の奴め、評定所の心得など勝手に決めおって、面倒極まりないわ」

「御老中、まったく何かと口を挟む煩わしい鬼でござりますな」

鬼と申しますのは白石の渾名でございます。

「おや、猫が居るぞ」

「ああ、あの猫。たまに見かける野良でござります」

「よもや、わしらの話を盗み聞きしてはいまいの」

「御老中。猫は猫、お気に為さらず」

「それも、そうじゃの」

評定の間の片隅で丸くうずくまっている一匹の虎猫。

「ところで御老中、関所破りをした姉妹の件、如何諮りますか」

「お主、人買や遊女屋から袖の下を貰っておるのだろう。好きに諮るがよいわ」

「それでは、婢女に落とすのは如何でしょう」

「婢女か、わしの妾にしてもよいぞ」

当時、留役達は賄賂を貢いだ者に都合の良い判決を下しておりました。


しばらくして牛吉が、くだんの猫を白石の前へと連れて参りました。

庭先に牛吉が跪くと、猫も居住まいを正しました。

サバトラと呼ばれる深い銀色の毛並に黒の虎毛模様。猫のくせにやけに落ち着いた風格を漂わせております。

「牛吉、口をきくのはその猫か」

「へえ」

「面白い、さっそく口をきいてみせよ」

すると猫、おもむろに立ち上がりますと、

「略儀にて、御免被りにゃす。お控えにゃすって。手前、生国は越中富山、山門にて習わず経を覚え、下総は河村峠で金毛赤目の大鼠を退治、木曽の御嶽山にて荒業を積み、縁持ちまして牛吉さんと見知り会いにゃした。渡世の道を旅する仏顔の智シンと申すものでごにゃんす」

と、見事な仁義を切ったものですから白石思わず、

「上げておくんにゃさい」

と、返してしまいました。

(いや、さすがに驚いたわい。それも仁義まで切りよった)

「やっぱり殿様もビックリしなすった」

「む、わしは全身肝っ玉じゃ。ビックリなぞしておらぬ」

「声に出しておられました」

「エヘン。そ、それで智シンとやら、おちょぼ姉妹を助けて欲しいとは何故じゃ」

「へい。六年も前の事でごにゃんす。修行のため木曽の御嶽山へ向かう途中、病で倒れている所を、まだ五歳と三歳という幼かった姉妹に助けられたのでごにゃんす。姉妹は手前の命の恩人にゃので」

「うむ、それで如何様にしたいのじゃ」

「へい。姉妹は関所破りをしておりにゃす」

「智シン、それは今切の関所であろう」

「さすが新井様、ご明察で」

「徳川御三家紀州公の領地の村から、幼い姉妹と両親が拐かされ今切の関所を破り吉原へ売られたと、二年ほど前から耳にしていた事件じゃ」

今切の関所とは、現在の静岡県浜名湖の西に設けられ、箱根の次に重要な東海道の関所でありました。

「新井様、関所破りは死罪でごにゃんすが、手前が評定所に忍び込んで聞いたところーー」

「聞いたところ、何じゃ?」

「へい。幼かったとは言え関所破りは関所破り、今まで届け出なかったのは決して許される事ではにゃい」

「ふむ、それで?」

「町人の身分を奪って婢女、つまり奴隷にしようとしておりにゃす」

「身分を剥奪すると言うのか。それなのに未だ沙汰が無いというのはどういう訳か。うぬ、さっそくわしが意見を言上しようぞ」


白石は意見書を書き上げ、評定所へと言上しましたが、しばらく経っても動きどころか返事もありません。

白石、再び意見書を言上しましたが、やはり音沙汰がございません。

猫の智シン、こいつはおかしいと、評定所へと忍び込みました。

「留役、鬼からまたもや意見書が届いたそうじゃの」

「御老中、いつも通り土蔵の中へ。鬼が口を出そうが、のらりくらりと評定を長引かせればよいだけで」

「まさに暖簾に腕押し、糠に釘じゃの」

「はい、鬼の骨折り損で」

これを聞いた猫の智シン、すぐさま白石の元へ飛んで帰りすべてを伝えましたから、白石烈火の如くに怒り、眉間にくっきりと火の一文字を浮かべ評定所へと乗り込んだ。

たまげたのは老中土屋政直、火の塊のような鬼が飛び込んで参りましたから、切羽詰まり配下の者に切って捨てろ言い放つ。

わらわらっと白石を取り囲む十数本の刀。

「でい!」真っ先の刀が砕け散れよとばかり白石を襲う。なんの新井白石直心影流の体術を使い、手刀にて相手の手首を打ち据えた。「おのれ!」次の刀が背後を狙った瞬間、「ニャオッ」猫の智シン眠り猫流の技を持って、その剣先を退けた。

「おお、智シンか、すまぬの」

「いえ、造作もにゃい事で」

「な、何をしておる。早く始末をせい」

老中の声と共にギラと刀の群れが蠢いた。と思いきや、ニャーオ、ナーゴ、ミャオミャオと数多くの猫の群れが雪崩れ込んで来た。

「智シン、みなお前の子分か!」

智シン、口元をフッと綻ばす。

評定所の中は上も下も猫だらけ、ノミに刺され体中を搔く者、猫アレルギーで涙や鼻水で顔をグシャグシャにする者、猫が好きで追いかけ回す者、もう収まるどころ騒ぎではございません。

白石、脇差しを抜きドンと畳に突き刺すと、

「御老中、言上仕る!評定所は天下の理非曲直を明らかにする所で御座ろう!六年前に起きた事件、今一度、拙者の意見書をお読み頂き、弱き者に哀れみを持って、道理の通った御沙汰を下されますようお願い申し上げまする!」

と、深々と頭を下げ、猫達と評定所を後にしました。

白石の意見書には『関所破りの事は親子とも知らなかったのだから、長年のあいだ届け出がなかったといっても、その罪では無い。この事件の張本人は人買に頼んだ男であり、その男が人買に頼まなければ、このような重大な事件は起こらなかった』という事が認めてありました。


さて、ゆきとしめの姉妹、吉原から助け出され紀州公に返される手筈となりました。

姉妹を見送る白石と牛吉。

「お前たち、達者でくらせよ」

「新井様、これから二人で頑張って参ります」

「頑張ります、お殿様」

「うん、うん」

すると牛吉、

「殿様、この子達は紀州へ帰っても身寄りがございません。オラの村だったら、オラの父ちゃんも母ちゃんも居る。ねえ殿様、オラの村で暮らさせたら?」

「うーむ」

「智シンの親分も一緒でございます」

そこへ姉妹の前に現れた猫の智シン。

「あっ。姉ちゃん、むかし病気だった猫だよ」

「銀色の虎猫、忘れるもんか。おまえ生きてたんだねえ」

「猫ちゃん、偉い偉い」

「ミャーオ」

妹のしめに頭を撫でられた智シン、尻尾をピンと上げゴロゴロと喉を鳴らしました。

(ふん、智シンの奴め。親分猫のくせに。これが本当の猫かぶりかの)

「殿様、また声に出しております」

「うっ。ま、まあ良い。紀州公へはわしが書状を認めておく。牛吉の村で暮らすが良い」

「ありがとう、新井様!」


その後、八代将軍吉宗は白石の業績を全て覆し、白石の残した記録や書状も捨ててしまいますが、吉宗が定めた「公事方御定書」という法令集には、白石の裁判官としての心得が掲げられ、その精神は明治に入るまで、連綿と受け継がれていたそうです。

猫の思いが、仁愛の火を燃やす、「十二匹集合!ニャンと白石言上記」という一席。
 






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tamesuounokami at 23:25コメント(0) |  

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