2007年02月22日

NO315:反論→「国家の品格」(NO35)

24−2項、「△發辰箸盻斗廚覆海箸蕨斥で説明できない」の項のNO2 


前回NO314の続きなので、まず前回分を先に読んでください。


(2)について。

 先生は「論理は世界をカバーしない」と言っておられるが、「世界」の範囲はわか らないが、人間の能力を超えていなければ、論理思考は世界をカバーできる或いは カバーできるに最も近い手段であると考えている。
 即ち、他の手段との比較に於いて、もっとも多く世界をカバーできる手段だと考え ている。
 
 先生は論理思考が使い物にならない理由として、「国家の品格」に述べておられる
 ことを要約すると、
 ]斥思考には出発点と結論があり、出発点を間違うと結論も間違いとなる。
 ⇒由は色々あるが、多くのその道の専門家である学識経験者が論理思考で真剣に
  考えて出した結論が、ほとんどがっ間違っている。例えば小学校で英語を教える
  とか株式投資を教えるとかがそれを如実に物語っている。

 と言うことである。

 一方、先生は論理思考の出発点を「情緒」と「形」で選択すれば正しい出発点が得
 られ、従って正しい結論も得られるとおっしゃっている。

 ところが情緒と形なるものは、仮にそれが正しい出発点を選択することができるも のであったにせよ、普及性がなく且つそれによりほんとに正しい答えが出るのか証 明されていないから、現時点においては課題解決・問題解決の有用な手段として認
 知されてはいない。
 
 又上記で「普及性がなく且つ正しい答えが出るのかどうか分からない」と言って
 いるのは、この「国家の品格」を熟読させていただいた私ですら、「情緒」と 「形」なるものが、正しい論理の出発点を選択すると言う視点から見た場合、具体的
 な中身がさっぱり解らないし、何故正しい答えが出るのかもさっぱり解らない。
 
 大発明家であったか、ノーベル賞受賞者であったか忘れたが、「良い結果を出すに は情緒が必要である」と先生の考えに賛同された方がおられたと「国家の品格」に
 書いてあったが、これも「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じで、「情緒」と「正し
 い答えを出す」との因果関係を精査してみなければな何ともいえない話である。
 
 たまたま情緒的に思考したことが、或いは情緒的に対応したことが、結果的に大発
 明・大発見に繋がったのであり、その間に因果関係はなく、従ってリピート性もな
 い。即ち他人が或いは他のことについて、同じことをしても成功しないと言う可
 能性は十分にあるのである。

 さて本論に戻るが、現存する認知された手段として、論理的思考をはじめとして、
 宗教的手法、直観的手法、慣習的手法等色々あるが、もっとも普及度が高くオール ラウンドに使用できるのが論理的思考という手法である。

 更に、私が開発した本質的論理思考「そもそも思考」を使えば、出発点が正確に捉 えられるし、論理展開を、仮説・検証を繰返すことによりそのステップを正しいも のにすれば、正しい答え、完全な答え、他の誰が考えてもこれ以上の答えはな
 いと言うベルの答えが出てくるのである。
 
 但し、大前提としてその課題・問題が人間の能力を超えた答えを求める場合は
 この限りではない と言うことである。


 例えば、北朝鮮が核の全面廃棄を間違いなくするか否かについ明確な答えを
 出せ! と言う課題の場合、神様なら答えを出せるが、人間の場合は間違いない答
 えは絶対出せないはずである。
 
 次に先生が論理思考が使いものにならないもう一つの理由が、学識経験者が真剣に
 論理思考で考えて出した答えが殆ど間違っていると言うことであるが、これについ
 ては、少なくとも「国家の品格」の書いてある事例についてはほぼ全面的に先生の 主張が間違っていることを指摘しているので、この理由も否定されたことになる。


と言うことで、論理思考は人間の能力を超えない範囲において、他の手法との比較に於いてもっとも有益な答えを生み出す手段であり、人間の能力を超えない課題である限り、すべてに適用できると言う意味で世界をカバーしていると私は考えている。

(3)について。

先生は「完全無欠と思われていた数学においても正しいか誤りかを論理的に判定で きないことがある。これをゲーデルと言う数学者が証明した」と言っておられるが、逆に論理的に判定できないことが1つでもあったら何故いけないのかと言うことで ある。

投網は今まで言ってきているように、大量に魚が取れるので逃げる魚がいたとしても社会に有益であることは火を見るよりも明らかである。従ってたとえ論理的に判定できないことが一つや二つあったとしてもまったく問題はない。

確かに理系の世界或いは自然科学の世界では例外が一つでもあると公理にはできないのは当然のことであるが、公理にしなくても例えば99.9%は正しいと言うことであれば人間社会にとって極めて有益なことである。
公理にするためには別の方法にしなければならないと言うだけのことである。

従って、「論理はすべてをカバーしないから使いものにならない」とは言い過ぎであり、飛躍し過ぎている。従ってこの先生の論理こそ使いものにならないのではないか?

以上




tamiya865 at 18:17│Comments(0)TrackBack(0)

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