Carinhoso
RCA Records Label
2009-06-15

オルランド シルヴァ   Carinhoso  1937


20世紀の偉大なミュージシャンの訃報は、最近はもう当たり前なんだけれど、その知らせから、予想以上にじんわり来てるのが、ジョアン ジルベルトとドクター ジョンの死である。

 二人とも80代で、晩年までの活躍からも大往生なのだが、それでもその知らせを聴いた時以上に、最近じわりとその喪失感を感じるのだ。

ジョアン ジルベルトも、ドクター ジョンも、彼らの一般的な優れた評価よりさらに、私は素晴らしいミュージシャンだったと思うから。その理由は、今日は詳しくは語らないけれど、端的に言えばジョアンしかできないブラジル音楽と、マック レベナックしかできないニューオリンズ音楽を作り続けたから。替えがきかないのだ。

彼らの音楽を聴くといつもそう感じ、今もそう思う。

ドクタージョンは、これを書きながら、60年代のAFOセッションでの、盟友ロニー バロンとのMy Key Don't Fitが流れてるけれど、白人のギタリスト、ピアニスト、シンガー、コンポーザーとして、ずっとずっと優れた音楽を作り続けてきた。私の年齢と同じくらい。

そしてもう一人、バイーアのコーラスグループの陰なシンガーだったジョアンは、たった一人で密室のバチータというニューサンバを創り出した。それが。ボサ ノーヴァと呼ばれるようになる。

 彼の衝撃は、ワールドパシフィック盤CD3枚組のビッチ違いで、ジョアンが怒り、長いこと聴きにくかった58年からの3枚のLPでのオデオン録音に尽きる。ジョアンの音楽がボサノーヴァであり、またボサノーヴァではないという証明のような歌と演奏。そしてそこでジョアンは、ジョビンやカルロスリラとった当時の新しい作家の作品とともに、ウイルソン パチスタやドリヴァル カイミ、アリ バホーソといった1930年代、40年代のブラジルラジオデイズの曲を取り上げている事。

その古さと新しさを、ジョアンの歌とギターのバチータという、彼の身体性で紡ぎだすといった衝撃的な音楽なのだ。ブレイク前のジョアンは、50年代のブラジル音楽でも多かった、男性コーラスグループのシンガーだった。ガロート ダ ルアというそのグループの演奏は今聴けるが、メランコリーという点でジョアンらしさはうかがえる。

オデオン時代の初期ジョアンのオールドウエイブな歌心が、かのブラジルの地の1930年代のラジオデイズの作家たちの作品につながってる。そう感じたのが、今回紹介するオルランド シルヴァのカリニョーゾを聴いた時だった。ジョアンのフェバリットだったらしい。

当時の人気ナンバーワン、フランシスコ アルヴィスが朗々とマルシャやサンバの激しい曲を歌うのに対し、このオルランド シルヴァは、サンバカンソンにつながるメランコリーな歌い方で歌う。
南国の暖かい空気の中の、官能的な感傷。このカリニョーゾは、特にピシンギーニャの作曲で、彼の素晴らしいショーロ演奏がバックでもう傑作以外の何物でもない。

このオルランド シルヴァのメランコリーは、ジョアンの新しいボサ ノーヴァに確実に溶け込んでいる。
 そこがジョアンの音楽を、あまたのボサノーヴァとちがう音楽にしているのだ。新しくないボッサノーヴァなのである。

オルランド シルバの音源は1990年ごろ初めて聴いた。サンバのヴィンテージ録音を聴きたくて、3000円くらいする高いブラジル盤CD、revivendoシリーズを新宿のHMVのワールドコーナーで買っていた。録音の悪さと、ナンバーの玉石混交に悩ませられながらも。
しかし、このカリニョーゾは当時聴いた時からスペシャルだった、その後馬場のディスクファンで50年代再録のオルランド シルヴァのアナログLPを安く買った記憶が。ありがちなビッグバンドな50年代録音だったか。

今は1937年のピシンギーニャ楽団とのオリジナルが配信でも聴ける。
ジョアン ジルベルトを悼みながら聴きたい。

もちろんジョアンは、エン メヒコも3月の水も私は、大好きである。これもヤバい素晴らしさ。


他4曲

左 とん平  ヘイ ユー ブルース
エディー ハリス  Dancing Bull
ソウルフル ストリングス  I Wish The Rain
つなき&みどり   愛の挽歌

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