テンプターズ    エブリバデイ ニーズ サムバディ  1969



90年代 新宿のディスクユニオンで、なぜか購入をためらった テンプターズ イン メンフィス。
 エルヴィス、ダスティは もとより ルル、シェール、アン マーグレット、ペトラ クラークや、ディオンヌ ワーィックまで、60年代後半の聖地メンフィス録音は、ハズレがなく、もちろん南部ソウルヒッツも大好きだったのに、買わなかったのは、テンプターズ名義だったから。バンドで録音なら、あのメンフィスサウンドじゃないだろうと。

しかしその実は、ショーケンのソロで、バックは、ディキシー フライヤーズにメンフィス ホーン。
アメリカンスタジオ録音だとのこと。

GS末期で、人気も無かったらしい。そんなこのアルバムを 例の如く、Spotifyで、聴いてぶっとんだのが、今年の夏。甘くて、ルーラルで、切ないあのメンフィスサウンドで、ショーケンが、素晴らしい歌唱を繰り広げているではないか。南部のソウルのサウンドで、この世界の不条理と切なさと希望、そして恋を歌う。

我々が、言葉のわからないジェイムス カーや、OV ライトの歌によって揺り動かされる、南部ソウルの、あの言葉にならないフィーリングを、ショーケンは、ナチュラルに身につけ、そしてリラックスして歌っている。

 ロック衝動と呼ばれる、若い魂の無垢なフィーリングがあるとすれば、やはり萩原健一には、それがあった本物のロックシンガーだったと、改めて思い知らされるような素晴らしさ。

それとやはり 明るくポップな感覚があるのも良いのだ。エルヴィスやダスティ スプリングフィールドと同じく。

私はやはり、あの時代南部のロックスターだったアレックス  チルトンのボックス トップスを思い出した。
恋のあやつり人形なんて、ジェイムス&ボビーのオリジナルより ボックストップスのヴァージョンが好きだ。若気のいたり的な切なさがあって。

ショーケンのこのエブリバデイ ニーズ サムバディも、このボックストップスと同じ味わい。 メンフィスのライター、ボブ マクディルの作曲。なんとオリジナルは、あのジェイムス カーだ。そんなバリバリのメンフィスサウンドで、ショーケンは、素晴らしい無垢なソウルソングを歌うのだ。
甘くて、切なくて、ルーラルで、そして言いようのない若さの表出。

ジェイムス カーのヴァージョンも、勿論良いが、ショーケンのも最高。

この  イン  メンフィスは、かまやつひろしや、筒美京平、村井邦彦、中村八大、佐藤充彦と、日本人ライターも、物凄いのだが、井上堯之と、安井かずみのコンビの世界はぼくの両手にも、素晴らしい。
グルーヴィーなベースラインの、アップテンポなソウルソング。ハッピーな、60年代らしいこの曲が、井上堯之氏の曲なのには驚いた。流石、センスのスパイダーズのリードギタリストである。


と言っても、ショーケンも井上堯之氏もかまやつひろし氏ももうすでにいない。まさか、こんな日が来るとは、という印象なのだが、これも諸行無常というやつなのだろう。

そう言えば萩原健太のラジオで、先日亡くなったメンフィスの、シンガーソングライター、ドニー フリッツの特集をやっていた。彼の2000年代のアルバムも、たまたま安く手に入れ、その良さに驚いた事があったが、そんなマニアックな音源もラジオで流すのは、やはり素晴らしいことだ。先週は、ピーター ポール アンド マリーだったし。

上柴とおる氏の今月の訃報のブログも時折読むが、今1930年代、40年代生まれが老境なので、60年代、70年代の大衆文化の黄金期の担い手たちがまさにこの世代。残念だが仕方ない。

新しいミュージシャンは、そんな20世紀的なメディアの感傷をよそに、YOU TUBEなどのニューメディアを駆使して、ひょうひょうと音楽を生み出している。前回のBIG CROWN RECORDも然り、ギター マガジンが特集したネオ ソウル ギターも然り。直接的メディアなので、20世紀的コマーシャリズムもなくストレイト。

しかし、それ故にラジオで流れるのが愛おしいのは、やはり私がオールド ウエイヴだから。
といっても、最近のラジオは、過去にも日本で一回もかかってないであろう曲もかかるプログラムも多いのだけど。radikoで聴いてるしなあ。でも、私はラジオが大好きだ。音楽プログラム以外の高田文夫のビバリー昼ズや、真夜中のハーリー&レイスも。

他4曲は、最近ラジオで聴いた曲から

ビリープレストン  That's a Life
Keepon  ニューオーリンズにいこう
相良直美  私の好きなもの
ランナウェイズ  School Days




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