March 2013

March 31, 2013

始まりと終わりのある旅

いつも旅をしている。
年中、日本各地いろんな土地でライブして、いつもツアーしてるみたいな感覚。
良くも悪くも地続きで日々がつながってる感覚でいる。


でも、他のバンドと一緒にツアーを周ると、ちゃんと始まりがあって終わりがある。




東京の満開の桜にうしろ髪ひかれつつ、名古屋、京都、大阪を四人組バンドのオルガラウンジと共に周った。

レンタカーでバンを借りて、ひとつの車で移動する。
ツアーバンドっぽい。


事前に顔合わせ的な飲み会をやったものの、お互いのことを深くは知らないまま始まった旅。

東京から離れるごとに、
ご飯を一緒に食べるごとに、
同じ景色を見るごとに、
ライブをひとつ終えるごとに、
少しずつお互いのことがわかってくる。
少しずつ心の距離が近くなってくる。

この、「少しずつ」がいいんだ。
いきなり全部わかる必要なんてない。
人間と人間のことなんだから、少しずつでいい。


人当たりは良くないけど、その分ピュアでチャーミングなボーカルギターのポチ。

おおらかな雰囲気でバンドの緩衝材となっているベースのアニ(この旅でデブキャラ確定)。

イイ女と見せかけておいて、実は一番オトコマエなキーボードの佳奈子ちゃん(今回唯一の喫煙者)。

気遣い上手でバンドのマグマ、ドラムのゾニー。


相手のことがわかってくると、
その音楽のこともどんどん好きになってくる。
ひとつひとつのフレーズが心地良く心に響くようになる。

だからと言って、むやみに陶酔するわけにはいかない。
音楽家同志、敬意は払うべきだが馴れ合いはよろしくない。

味方であると同時に敵でもある。
悟空とベジータが一緒に闘うみたいなもんか。


そして、お互いの心がかなり近くなったところで旅は終わる。
さみしいけど、旅は終わるから良いのだ。
またいつか続きを始めればいい。



ソウルメイトが四人、増えた。


tanakakanji77 at 14:20|Permalink

March 30, 2013

得た感覚

銀閣寺の庭にはたくさんの苔が生えていて、
それをじっと見ているとだんだん妙な気分になってくる。

森に見えてくるのだ。

小さな苔の集まりが、とても雄大な木々が集まった森に見えてくる。

あー、そういうことかと思う。


銀閣寺自体の建物は黒っぽくて地味な印象で、単体で見るとなんだかキョトーンって感じなんだが、
庭を順路どおりに歩いていって、小高い丘の上から見下ろした時、周りの風景の中にある銀閣寺。
その静かな存在感。

これまた、あー、そういうことかと思う。


最小は最大であり、同時に最大は最小。
俺は俺でしかないけど、同時にどこかの誰かでもある。

俺は君ではないけど、君は俺でもある。

誰かにとっての正義は同時に他の誰かにとっての脅威。
視点を変えるとか、視点をズラすのと似ている。




ライブにおけるバンドの音で、ここ何年か自分の中でテーマにしてきたことを一度ご破算にしてまったく逆のことをやる。
そんなチャレンジをした名古屋、京都、大阪の三連ライブ。

回をかさねるごとにイメージしていることと少しずつ焦点が合ってくる感じがあった。

それは多分初めての感覚で、おそらくもっともっと色んな精度があがれば、
いわゆる理想のグルーヴってやつになるんではないかと、そんな予感がする。


すべては直線ではなく、円。

一歩戻ったように見えることでも、円として見れば一周分進んでいることにもなる。

なんだか、言葉にすればするほど僕が感じた感覚と離れていくようで歯がゆいな。


今夜は学芸大学APIA40でライブ。
大好きな島崎智子さんの企画。

この三日間で得た感覚を実践できるといいな。






tanakakanji77 at 15:32|Permalink

March 27, 2013

Nagoya nite 〜名古屋にて〜

久しぶりに名古屋に来ています。

高速道路を降りて、名古屋の街を走りながら窓の外をぼんやり眺める。
街並みや人の感じを見ながら、気持ちのチューニングをする。(詩的ー!)

お店の看板なんかも読むともなしに読んでいる。

気のせいかな、
なんだか少しだけ変なネーミングが多い。


『鍵と錠』

『カレーハウス まや』

前者は鍵屋、後者はカレー屋。

フォントとの兼ね合いで破壊力がでるので、面白さがいまいち伝わらないと思うが、
思わず二度見してしまうレベルのヘンテコなグルーヴを醸していた。

あー、写真に撮っておくべきだった。悔やまれる。


あと、交差点で、

『氷室』

ってのがあった。

いやまあ、普通に地名なんだろうけど、
氷室と言われたらヒムロックが浮かんでしまうから、
「こんな所にデカデカと表札だしちゃってー」とか思うと笑えてきたのです。


そんな感じで気持ちのチューニングも終了。
今夜もグッドミュージックをやります。


tanakakanji77 at 18:45|Permalink

March 25, 2013

ツアーの前に

普通の飲み会って、あんまりやらないな。バンドマン。

考えてみれば、バンドマン同志でお酒を飲む機会って、圧倒的にライブの打ち上げが多い。
それはそれで楽しいんだが、ライブが終わった後なので、いかんせん飲み始める時間が遅い。
終電で帰る人はゆっくりもできない。
ライブ後なので、普通とはテンションが少し違うし、ちょっとだけ気が張っている。
そして、疲れている。

それに比べて。
ライブ後ではない、普通の飲み会ってものがこんなにラクだとは忘れてた感覚だったな。


今週、一緒にツアーをまわるオルガラウンジと懇親会ってことで、飲み会をした。
アルタ前に夜8時!
ザ!待ち合わせ!!


バンドの話や音楽の話ももちろんしたが、
そうじゃない話もたくさんした。
そうじゃない部分からの方が、人間性(そんな大袈裟なもんでもないが)ってもんが浮き上がってくる。
そして、こういう人間性だから、ああいうプレイになるのかと、妙に納得したりもする。
楽しい。



あと、余談だが、僕と真悟はキーボードの佳奈子ちゃんと出身大学が同じであることが判明。
フィッシュマンズやミッシェルガンエレファントを排出した、明治学院大学。

出身大学が同じってだけで、俄然親近感がわくから不思議だ。

大学に対する愛情なんてほぼない僕がそうなのだから、
出身大学を愛しまくってる人だったら、もう大変なんだろう。
肩なんか組んで、校歌とか歌い始めちゃうんだろう。

気持ち悪いなーと思わないと言えば嘘になるが、
それは人の自由である。
肩組んで校歌歌うのも自由だし、それを気持ち悪いなーと思うのも自由。


ツアーに行くのも行かないのも自由。
単独で行くのも、他のバンドと一緒に行くのも自由。

27日名古屋、28日京都、29日大阪という日程であることも自由。

楽しみです。
刺激的なツアーになることでしょう。


tanakakanji77 at 14:55|Permalink

March 23, 2013

カッコつけんなよ

村上春樹の小説が好きだ。

作家を好きになるというのはつまり、そのひとが書く物語だったりえがかれる風景だったり、文章だったり、文章の中で使われる言葉の感じが好きだということだ。(と思う。)

好きになったら次は、そのひとが書くみたいな文章を書きたいと思うようになる。

僕が思う春樹っぽい文章ってのは、センテンスが長くてもダルくならずに流れるように読ませる感じとか、
カッコでとじて文章を補うスマートな感じとか。

憧れるけど、これは無理だとすぐに気づく。
これは無理だと気づいた僕はラッキーだ。
無理だと気づかずに、それっぽいのを書いて春樹ぶってるひとの文章はとても醜い。というか、イラつくから。


僕もこの半年くらい、ブログの中でカッコでとじて文章を補足するやつをやってみた。
あれはなんかとても便利で、カッコ良く感じるが(シャレではない)、よくよく見てみると別にカッコでとじる必要なんかないものも多いのだ。

例えば、こんな感じ。
ーーーーーーーーーーー

平日の昼間に比較的すいている電車に乗って出かけるのは気分が良い。

ひとりきりのお出かけでもいいし、誰かと連れだってのお出かけ(去年の今ごろまでだったら、当時付き合っていた彼女とよく出かけていたものだ。彼女は薄着で出かけるので帰りはいつも寒がっていた)でもどちらでも良い。

ーーーーーーーーーーーーー

今、適当に作った文章だけど、
よく見ればカッコいらないよね。

『ひとりきりのお出かけでもいいし、誰かと連れだってのお出かけでもどちらでも良い。
去年の今ごろまでだったら、、、、』

と、ふたつに分ければいいだけの話だ。


ただ、スタイルとしてカッコでとじてるだけで、その根性があさましいというか、なんか志が低い気がしたので、できるだけやめたいものだ。
(しかし、一度使い始めると、クセになってしまってなかなかやめられない)
(カッコを多用する文章にだまされてはいけないよ!)


tanakakanji77 at 13:50|Permalink

March 21, 2013

今さらながらに気づくこと

気づいたり忘れたり、
また気づいたり、を繰り返す。


今さらながらに、音楽とは多種多様であるなと気づくことがある。
そう、思うというよりも、気づくというか、思いだすというか、そんな感じ。


ほんわかした音楽、
ヒリヒリするような音楽、
シュッとした音楽、
下世話な音楽、
気取った音楽、
それらすべてを兼ね備えた音楽、
どれにも当てはまらない音楽、

ほんとうに多種多様で、それぞれを必要としているひとびとがいる。


音楽が多種多様である以上、それを演奏するひとも多種多様だ。
おもしろいのが、演奏しているものが一番好みの音楽であるとは限らないことだ。

一番好きなのはほんわかした音楽なんだけど、演奏するのは気取った音楽であるとかいうひともいるだろう。
それは、演奏者としては気取った音楽の方がそのひとに合っているから。


そういったネジレ具合も音楽の奥行きになると思うのだ。



そんなことをたまーに思いだす。
気づく。
そうすると、音楽がより一層豊かに聴こえてきて、
演奏者に対する敬意の気持ちも深くなる。

同時に、愛のない演奏をしているひとのことがより一層許せなくなる。


気づいたり忘れたりを繰り返す。
先日またそのことに気づいたので、しばらくは生まれ変わったような気持ちでいられる。

忘れないようにしたいものだが、
気づいた時のハッとする感じはずっと忘れないでいるのよりも快感なので、
まあ、忘れてしまうのはしょうがないかなとも思う。


tanakakanji77 at 14:47|Permalink

March 19, 2013

レギュラー奪取

例えば、サッカー。

バリバリの点取り屋として活躍していたA選手が練習中にケガ。
全治三ヶ月と診断される。

監督は次の試合に代わりのB選手をスタメンに起用。
代役のBは、長い間控えに甘んじてきたが、実力がないわけではない。
予期せずめぐってきたチャンスを無駄にするわけにはいかないので、俄然発奮。
見事ハットトリック達成。
Bはチームメイトとサポーターの信頼を一気に勝ち取る。

そしてそのままレギュラーに定着。
三ヶ月後、Aがチームに復帰した時にはAの居場所はもうなかった。。。



そんなストーリーを思い浮かべないわけにはいかない出来事があった。



メインで使ってるギターのピックアップ(弦の振動を感知して音に変換する部品)が壊れてしまった。

部品を取り寄せる時間的な余裕と、
それを買う経済的な余裕がなかったため、
こないだのライブではサブギターを使った。

現在のメインギターが、わりと繊細で伸びやかな音を出すのに比べ、
サブの方は少々荒削りで豪快な音。荒れやすいが、「一発」を持っている。
そんなイメージ。


サブとは言え、現在のメインギターを買うまではレギュラーを張っていたギター。
出番がめぐってきたらキッチリ仕事をしてくれました。

ライブ勘も鈍っていない様子。
アンプにつないで大きな音を出すのが嬉しくてたまらないといった感じ。

今の僕の気分にとてもしっくりくるので、しばらくはこっちを使うことにしよう。
メインの方は療養させとく。
あっさりスタメン奪われないように、お前も頑張れよ!

て、楽器とか道具とかを擬人化するのはあまり好きではないのだが、
まあ、そういうこともある。



tanakakanji77 at 14:37|Permalink

March 17, 2013

マニュアル女

コンビニでパンと缶コーヒーを買おうとレジへ持っていった。

レジのお姉ちゃんがピッピッとバーコード読み込みながら、
「ただ今、いれたてのコーヒーをオススメしております、いかがですか?」
と、言う。

僕は二秒ほど固まってしまった。
え?
こうしてコーヒーを買っている人間に、さらにコーヒーをオススメするの?
意味がわからん。


「コーヒーメーカーを導入したので、お客さんにオススメするように!」というマニュアルなんだろうが、
アタマ悪すぎだろ。


それとも、僕が買おうとしていたコーヒーが激マズなので、それを心配してこちらのコーヒーの方がいいですよとオススメしてくれたのか?

それは、ないな。

tanakakanji77 at 14:38|Permalink

March 16, 2013

同じ祝福

小さなつながりをただ眺めていることが嬉しいことがある。
それを大袈裟につなげ合う必要なんてない。



若くして父親になった同い年の友達から突然メールがきた。
『息子が高校受験合格しました!なんか嬉しくて、メールしちゃったよ!』

喜びがとてもよく伝わる。
息子には一回しか会ったことないけど、僕も嬉しくなった。
おめでとう!と、心をこめてメールを返した。


その友達とは別の知り合いも娘が高校受験で、これまた合格したと聞いた。

それとはまた別の知り合いの娘さんも高校合格したらしい。


なんか、三件も続くと不思議な気分になる。
自分にそういう年頃の子どもがいるのなら珍しい話でもないのだろうが、
自分には子どもいないし、周りにもそんな年頃の子どもを持つ友達もあまりいない。


それが、同じタイミングで高校に合格。
まあ、この時期だから当たり前と言えば当たり前なんだが、そういうことじゃない。


僕の中では勝手につながっているこの三人の子ども達だけど、本人達同士は会ったこともないし、おそらくこの先も会うことはないだろう。

同じ時に同じ喜びを味わった仲であるということを、
僕だけが知っているという不思議。

それぞれの場で祝福されている子ども達がいることを僕は知っている。
人生っておもしろいな。

映画なんかだと、これから10年後とかに三人が偶然出会うみたいな展開になるのだろうけど、
そんな展開すら必要ないのだ、本当は。

同じ喜びがあって、同じ祝福があって、それをつなぐ細い糸を僕は眺めている。
それで充分。


tanakakanji77 at 13:19|Permalink

March 14, 2013

脱 カバーブーム

いつまでつづくのか、
邦楽の『カバーブーム』。

過去にヒットした曲を別の人が歌ってCDを出す。
カバー曲ってものは出す側から見れば、いいことづくめだ。

曲をつくる手間がないし、
名曲だってことはわかってるし、
オリジナルのファンにもカバーした方のファンにもアピールできるし、
耳なじみがいいから、ファン以外にもアピールできるし。

異性ボーカルが歌うと、曲の響き方が新鮮だからそれも好材料。


リスクが少なすぎる。
つーか、安易すぎる。
志が、低すぎる。


ラジオとかでたまたま耳にすることがあると、とても不愉快な気持ちになるのは僕だけだろうか。
別にオリジナルの人のファンってわけではなくても、その曲がカバーだとわかった瞬間、不愉快になる。

オリジナルに特に思い入れがなくてそれだから、オリジナルの歌が好きだった場合はもう。
ギガント不愉快になる。


しかも大抵のカバーが良くないし。
そりゃそうだ。
そんな低い志でつくっているモノが人の心を動かすはずがない。

いや、僕は不愉快になっているから、ある意味では心を動かされているわけか。
そう思うとさらに不愉快になる。


たまたま耳にしちゃった人は、『耳よごし料』として1000円くらいもらいたいものだ。


『リスクが少ないからカバーは楽でいいやね』
なんて思ってる制作サイド、大きなマチガイだ。

僕みたいに、着々と不満をつのらせている人はきっとたくさんいる。
それが爆発した時、お前らはおしまいだ。

カバーが悪いと言ってるんじゃない。
安易で打算的なその精神がファックだと言ってるんだ。

tanakakanji77 at 15:47|Permalink

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