October 2013

October 31, 2013

ひこうき雲と、ばらの花

ラジオから流れてきたのは、ユーミンの「ひこうき雲」でした。
この曲、ジブリ映画のエンディングで使われたこともあって、今年はラジオでちょいちょい耳にしました。その度に聴きいってしまいます。

終始、淡々と歌うところがいいですね。でも、2番で一瞬だけ感情が入った声になる瞬間があって、そこもまた良いです。
一瞬だけエモーショナルになって、またすぐもとのテンションに戻る。「エモーショナルにした」ではなく、「エモーショナルになってしまった」って感じ。その、抑えきれない感じがたまらないです。
毎回、聴いていてグッとくるポイントです。

手もとに音源は持っていないのですが、いつも「ラジオでたまたま聴く」、この感じが気に入っています。


ふと、くるりの「ばらの花」を聴きたくなって、聴くことがあります。
ばらの花は、CDを持っているのでそれを再生させて聴きます。
その一曲だけを5回くらいリピートします。


ユーミンのひこうき雲が、発表から何十年もたってから再び注目されたように、あと10年か20年後に、くるりのばらの花もそんな風に注目されるんだろうなと思いました。
わかんないですけどね。
でも、そんなことをぼんやり思ってしまうほど、つくづく良い曲です。


不思議と、「俺もこんな曲をつくりたい」という感じにはならないです。
それはそれ、これはこれ、って感じで、ただこうして静かにグッドミュージックを聴いている状態が幸せだなと思うのです。


tanakakanji77 at 11:02|Permalink

October 29, 2013

どこで習った?R.I.P.

誰かが死ぬと、ネット上でお悔やみの言葉がたくさん流れますね。
で、前々から気になっていたフレーズがあったんです。よく使われているみたいなんだけど、その意味を僕は知らなくて。

「R.I.P」ってのが、何なのか知らなかったんです。
きのうも、偉大な音楽家のルーリードが亡くなったことがTwitter上で話題になっていました。
で、ルーリードの音楽が好きだった人達は、その無念とか寂しい気持ちとか、いわゆるお悔やみの言葉をツイートするわけですね。
お悔やみの言葉があってから、だいたい文末に「R.I.P」がついてるわけです。

これまでは流していたけど、今日という今日は(ってほどでもないが)、その意味をつきとめよう!っつって、ググってみました。って、意気込んでるわりにはグーグル頼りかよっていう。現代的だなー。


そうしましたら、「R.I.P」というのは、「Rest In Peace」の略だそうで、つまり、安らかに眠れという意味のようです。
なるほどね、ようやく理解しました。

どうしてみんな知ってるんだろう?
学校で習った?
あれか、ちょうど僕が休んでた日にやったのか。
ナンダヨー。


で、まあ、文末に唐突に英語が出てくるのが、なんかカッコイイなーと思うわけです。多少の違和感をともないつつ!
なんか急にカッコつけちゃって、大丈夫?とか思っちゃうわけです。
どうしてこの人は、悲しみに暮れながらお悔やみの言葉を述べて、結構いいこと言ってるのに、最後の最後でカッコつける必要があるんだろうかという疑問は、R.I.Pの意味がわかった今でも拭えないわけです。
いやまあ、自由ですよ、もちろん。
文末に何をつけようが、自由です。
でも、それを見て僕がどう思うかも自由です。


笑っちゃうのが、文末にR.I.Pをつけて、さらに「合掌」とかやっちゃう人がいて、なんだかすごいなーと思っちゃうんです。
「合掌」とか「黙祷」とかね。

『本当に大好きなミュージシャンでした。青春時代に彼の音楽に出会っていなければ、今の俺はいないと思います。ありがとう。R.I.P.合掌。そして黙祷。からのアーメン。かしこかしこのダメ押しで草々。南ー無ー。』

ここまでのはさすがにないけど、まあ、遠からずのはたまにあります。
僕も気をつけなきゃなー。
言葉の意味と使い方をよく知らずに、スタイルだけでやってたら大恥かくぜ。


tanakakanji77 at 14:09|Permalink

October 28, 2013

原発パンチとか津波アタックとか

漫画やアニメの主人公の必殺技が、「原発パンチ」とか「津波アタック」とかだったら、どうなるか。

どうなるかと言うよりも、それはおそらく完全にNGで、その漫画が雑誌に載ることもないし、アニメの放送もできないでしょう。
仮りに、主人公が最終奥義「津波アタック」を繰り出すシーンを強行突破で掲載もしくは放送したとすれば、クレームの嵐で、次回からその作品は打ち切りになるか、作者の大々的な謝罪会見が開かれること間違いなしです。



藤子不二雄の「二人で少年漫画ばかり描いてきた」という本を読みました。
タイトルのとおり、藤子不二雄の二人が漫画家を志して上京して、色んな苦労をしながらも楽しく活動してきた様子が書かれています。
当時活躍していた他の漫画家や、当時の風潮なども交えながらで、実に臨場感ある読み物でした。
文章の様子から、おそらくこれはA氏の方(ハットリ君や、笑うセールスマンの方)が書いたものでしょう。


この本の中で、当時(おそらく昭和20年代)活躍していた漫画家が紹介されていて、
手塚治虫にならんで紹介されていたのが、福井英一という人。
その記述にビックリしちゃいました。
以下、抜粋です。


「福井英一作『イガグリくん』は、戦後はじめて日本の少年たちを熱狂させた少年スポーツ熱血漫画である。主人公のイガグリくんは“原爆投げ”いう秘技をもつ柔道少年で、その快活で堂々とした正義漢ぶりが少年たちの胸をスカッとさせた。」


出ました、原爆投げ。
すごいですね。
戦争や原爆の記憶もまだまだ生々しく残っているだろうのに、原爆投げ。
この漫画を夢中になって読んでいる少年たちの中にも、当然、広島や長崎で原爆を体験した者がいるはずなのに。


現代ならば、あり得ないことですよね。
「トラウマが、、、」とか「心のケアが、、、」とか、大変な騒ぎになるはずです。


過激なネーミングが許されない現代の風潮を嘆いているわけではありません、僕は。

そうではなくて、注目すべきは、先述の文章の中の、「その快活で堂々とした正義漢ぶりが少年たちの胸をスカッとさせた。」ってところ。
一見、過激なネーミングに思われる原爆投げを操るイガグリくんの活躍に、当時の少年たちは救われていたのです。
ネーミングにとらわれることなく、その作品の本質に魅了されて、夢中になっていたわけです。



この、原爆投げに救われていた少年たちは、今は60代から70代くらいだと思います。
今だに現役で活躍している人もいるし、その発言が大きな影響力をもつ人もいます。

そういう人が、新しい文化や新しい表現に対して、目くじらを立てて取り締まっているのも事実。

子供たちや若者たちは、直感的に物事の本質を見抜くことができる。
それは、心の傷を負うことなく、原爆投げにワクワクすることができた世代の人ならば理解できることだと思うのですが。



tanakakanji77 at 14:58|Permalink

October 26, 2013

筆者の言いたいことを答えよ

最近、歌詞の量がハンパなくなってきました。
歌詞の量が増えたってことは、それだけ言いたいこととか主張したいことが増えたってことなのか?と聞かれれば、そうではないです。
むしろ、言いたいことなんてどんどん減っているくらいです。
本当に言いたいことなんて、ひとつかふたつ。

それは、複数の曲をまたいでのこと。つまり、10曲あって、その中で言いたいことがひとつかふたつってこと。
小学校の国語のテストで「筆者の言いたいことを答えなさい」ってやつです。
10問あって、答えが全部一緒!ってやつです。
ひっかけか?とか勘ぐって、間違っちゃうパターンだなー。



言葉の数が少ないと、殺傷能力が高くなります。(ここで言う殺傷能力とは、文字通りの意味ではなく、相手に伝わるか否かということ)
でもそれはピンポイントすぎて、伝わる人には恐ろしいほど伝わるけど、伝わらない人にはまるで伝わらなくなってしまう。
だから、それをできるだけ薄めるのです。情報量を増やして、殺傷能力を薄めるのです。
言葉の数を増やして、色んな角度からストーリーを見せる。色んな景色を描く。色んな音を詰め込む。
でも、突き詰めれば本質はひとつかふたつ。

これは以前、爆笑問題の太田も似たようなことを言っていました。

そういうことを、僕は今やっています。


アルバム「ドブクルーズ」のあたりから、曲の作り方というか、言葉の乗せ方を変えたので、言葉の数がずいぶん増えました。

僕が目指す歌とは、色んな要素が入り混じったものです。
語りとラップと念仏とつぶやきとポエトリーと電話越しの会話と朗読と熱唱。
そういう色んな要素を行ったり来たり、どっちつかずなやつが、僕がやりたい歌だと思うのです。

新しい曲をつくる度に、少しずつ目指すところに近づけているように思いますが、道のりはなかなか険しいようです。
でも、このスタイルをやり始めてまだ二年とちょっとなんだから、焦ることはありません。
急に完成してしまう方が、なんだかおもしろくない気がします。

それはとてもやりがいのある作業で、とても楽しいのですが、
さしあたっての心配ごとは、次に作るアルバムの歌詞カードが大変だなあということです。


tanakakanji77 at 14:44|Permalink

October 25, 2013

陽の目を見る

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とりあえず気になったこととか、ひっかかった言葉とかは、とりあえずメモするようにしています。
携帯電話のメモ機能のとこに走り書きします。走り打ちか、正確には。

メモする内容は偶然聴いたカッコイイ音楽の曲名だったり、おすすめされた本のタイトルだったり、小耳にはさんだ簡単レシピだったり、ちょっと気になった言葉だったり。

一番多いのは、気になった言葉です。
ちょっとでもひっかかったらそれはもう速攻メモです。
もちろんそれは歌詞のネタにするためのものです。
メモった言葉がすぐに歌詞に反映される時もあるし、そのまま沈黙したままのもあります。
しばらくしてから見て、「なんでこんなのメモったんだ?」ってのもあります。

今年の三月に、オルガラウンジと共にまわったツアーで行った名古屋でのこと。
冒頭の写真はライブハウスの隣のバーの店先にでていた看板。
おそらく、その日は古い音楽ばかりをかけますよっていうことなんだと思うのだけど、この黒板に書かれた「old music」という文字が何故だか心に刺さったのです。
別に何の変哲もない普通の言葉なのに、ちょうどその時の僕のテンションに合致したんでしょう。
「これは、何かある!」と思って、すぐさまそれを写真に撮ったのでした。

そしてそれから5ヶ月。
僕の中にあった他のテーマと合わさって、「OLD MUSIC,NEW MUSIC」という曲ができたのでした。

5ヶ月なら、早いもんです。
早いもんだし、陽の目を見たんだから上等です。

もっともっと長い期間寝かせているフレーズもたくさんあるし、長い期間寝かせたあげく、陽の目を見ないまま消えていってしまうフレーズもあります。
そういったたくさんの言葉に支えられて、歌詞となった言葉たち。

そのすべてが財産なのです。




tanakakanji77 at 14:14|Permalink

October 22, 2013

そんなもん求めてねえ


急激にイラっとしちゃったわけです。


画像1

これ、チューブのわさびなんですけどね、
わかりますか?
チューブの根本部分がデコボコ加工になっているのです。
これって、つまり、本物のわさびの形状に似せてあるわけです。

そんなもん、求めてねーんだよ!と。イラっとしちゃいましたね。

こちとら100円ぽっちの安もののわさびでいいやってもんなのに、それを「せめてチューブの形だけでも本わさびに似せてみました」って、逆にミジメだっつーの!

どうしても本わさびが食べたいなら、そこは頑張ってなんとかするっつーの。
でも別にそんな金かけたくないし、手軽に食べたいし、ってことで、チューブの安もののわさびを買ってんだよ、こっちは。
そうやって買ってきたわさびが、本わさびに形を似せたものだった時のミジメな気持ち、わかるのかね?
中途半端なデザインしてんじゃねーよ!ってなもんですよ。


例えるならば、本当はベンツに乗りたいけれども、金もないし免許もないしで、生活の足はママチャリの奴がいたとして、
そいつが空気入れを借りた自転車屋のオヤジに「本当はベンツに乗りたいんだろ?じゃあ、せめてこれだけでもつけときな。いいよ、いいよ、こいつはサービスだよ」つって、ベンツのエンブレムだけをもらうみたいな感じでしょうよ。

そのミジメさ。
そして、その滑稽さ。

例えるならば、本当はフェンダーUSAのギターを使いたいけど、金もないし、アンプもないしで、アンプ内蔵のフェルナンデスのゾーサンを使ってる奴がいるとして、
そいつが弦を買いに行った楽器屋のオヤジが、「本当はフェンダーUSA使いたいたいんだろ?わかるよ、わかるよ、俺にまかせとけ」つって、ゾーサンのヘッドに書かれているフェルナンデスのロゴをヤスリで削って、「フェンダーUSA」と書くみたいなもんでしょうよ。筆ペンで!カタカナで!

そのミジメさ。
その滑稽さ。


うーん、まあ、それよりはマシかな。
僕のわさび問題の場合。

tanakakanji77 at 12:25|Permalink

October 21, 2013

600円代を守りぬけ

ラーメンの価格のことですけど、
800円とか900円とか、ちょっとついていけないなと思っちゃうんです。
ラーメン大好きですけど、600円代までだな、出せるのは。


ツアーで色んな所行くから、色んなラーメン食べる機会があって、
そこそこ有名なとこだと800円900円しちゃってて、でもまあ、せっかくだからこんな時くらいっつって食べるけどね、
それでもやっぱり、900円の豪勢なラーメンよりも、少しチープでも600円のラーメンの方が僕の印象に残っているのは何故だろう?
600円のラーメンの方が、また食べたいって思っちゃうのは何故だろう?


高いラーメンは、スープこだわって、麺こだわって、具材こだわって、コストがかかっちゃってるから、その分、値段も高くなっちゃってるのかも知れん。
そして、その分おいしくなってるのかも知れん。

でも、僕がラーメンに求めているものはそれではないんだよなー。

僕が求めているものは、手頃な値段でフツーに「お!うまい!」と思えること。
「これは、ナントカのナンチャラを20時間煮込んで、さらにナントカとナンチャラを合わせて熟成させたものを合わせたスープで、さらに、、、」とか、いらん。
パッと入った店で、パッと出てきたラーメンが「お!うまい!」、それだけでいいんだ。

シロート考えで言うけど。
実際のところは、そんな甘いもんじゃないかも知れないけど、
シロート考えで言うけど。

僕がラーメン屋の店主ならば、600円代を越えてしまうなと思った時点で、その越えてしまう要因を削る。
スープのあのこだわりをなくせば10円安くなるならばそれを削るし、チャーシューのあのこだわりを捨てれば20円安くなるならばそれを捨てる。
僕が食べたいのは、「こだわり」なんかではないのだ。
気軽に食べられる「ラーメン」が欲しいのだ。

それでギリギリ600円代を守り抜いたならば、その意地がラーメンの味に出るだろうよと思う。
意地が味に、、、って、期せずして韻を踏んでしまったけれども!

もっと、気軽に食べたいぜ、ラーメンを。ってだけの話なんだけどさ。

ついでに言えば、情報誌とかに載ってるようなラーメン屋の店主の写真は、だいたいが黒いTシャツで腕組みしてしかめっ面だよね。
格闘家なの?あなたは?
情報誌を見てラーメン食べようって人にケンカ売ってんの?
すごいよね、腕組みでふんぞり返って客にラーメン食わせてやる!ってか?


この話は、
超絶賛成!
か、
なに言ってんだ、お前は!
か、
どちらかにキッパリ分かれちゃうと思うけど。


あーあ、書いてたらだんだん腹たってきた!
腹たったら、腹へってきた!
ラーメン食いてえ!


tanakakanji77 at 14:18|Permalink

October 19, 2013

そのスペック

街を歩いていて、美容院の横を通りすぎた時のことなんですが、
美容院ってガラス張りだから中が見えますよね、
まあ、見るともなく中を見ながらって感じで通りすぎようとしたら、店内ではちょうどカット中で、椅子に座ってる人とそれをカットしてる人がいて。
でも、なんだか妙な違和感がある。違和感があるので、少しだけ意識を強くしてみたら、カットされてるのが人形!黒髪で顔の小さな人形で。
わー、なんかちょっとこわいなと思いつつ、こわいというか、見慣れない僕にとっては奇妙な光景だなと思いつつ、でも、こうやって練習するんだろうなと思うやいなや、
その人形の顔が動いた!
人形だと思ったけど、女の子だったのです。実は。

だから、結果としては、美容院で髪の毛をカットされてる女の子がいたってだけの話なんだけど、
通りすぎぎわに、見るともなく見ていた僕の心情はとても激しく移り変わるものだったのでした。
しかも、別に立ち止まって眺めることもせず、歩調を緩めることもせず、ただ普通に通りすぎただけなので、その間わずか3秒ほどだと思います。

わずか3秒でのこの心情の移り変わり。
人間の脳みそってすごいなと思いました。
(最近、異能力者がたくさん出てくるドラマ「スペック」をまとめて観ているので、自分の中では勝手にそれとリンクしちゃって、通りすぎぎわの3秒間も、ストップモーションでババババッとなる映像であったりして、なんとも影響を受けやすいのでした。)

tanakakanji77 at 14:52|Permalink

October 18, 2013

ウーロン茶のスタンダード感

朝起きたら、胃のあたりがスッキリしないんです。
もたれているのともちょっと違う、なんかムカムカする感じ。
ゆうべは酒も飲んでないので二日酔いでもないし。

で、思いあたったのが、寝る前に飲んだウーロン茶。
夜、コンビニで1リットルパックのやつを買ったのだけど、それ、本当は麦茶を買うつもりで間違えてウーロン茶を買ってしまったのです。
買ってしまったから、まあしょうがないから飲んだわけですけど、僕、ウーロン茶が好きじゃないんですよね。
好きじゃないっていうか、嫌い。できるだけ飲みたくない。できるだけウーロン茶を飲まずに生きていきたい。

アブラを流す効果があるって言うでしょ、ウーロン茶。
それでだと思うんだけど、ウーロン茶飲んだら、胃が荒れる感じがするんです。胃の内側を守っているアブラまで流されてしまっているんだと思う。
今朝の胃の違和感も、ウーロン茶のせいなんだと断定しました。


それにしても、いつの間にかウーロン茶はスタンダードな飲み物になってますけど、
僕が小学校の頃にはウーロン茶はなかったはず。あったかも知れないけど、少なくともこんなに大きな顔はしていなかった。
つーか、まあ、当時はお茶とか水を「買う」という概念が世間的に一般的ではなかったですけど。

なんでウーロン茶がスタンダードになってしまったかなー。残念です。
なんなの、あの、スタンダード感?盤石の位置にいるよね。「水」と同じくらい。

サントリーの売り出し方が上手だったんだろうなー。
なんとなく覚えてるもんね、中学生くらいの時に出始めた、ウーロン茶のCM。
胡弓のアジアンなメロディーをバックに、中国の美しい少女達が穏やかに健やかに笑いあっている。
で、彼女達が手にしているのはウーロン茶。
あれを飲めば、あんな風にスッとした感じになれるのかー。健康にも良さそうだなー。と、日本中の人達が思ったことでしょう。
まんまと。

イメージってすごいですね。すごいし、おそろしい。
もはや、ウーロン茶は完全正義ですもん。いや、正義以前。当たり前に「そこにあるもの」として君臨している。花言葉は「そこにあるもの」でしょうよ。どうせ。

ウーロン茶が好きとか嫌いとかいう議論すら起こらない。
たまに「ウーロン茶が嫌い」って話をしても、「は?」みたいな顔されるもんな。「何ヲ言ッテルンダ?コイツハ?」って感じで。



麦茶がスタンダードになれば良かったのに!つくづくそう思います。
麦茶ハイもおいしいのですよ!
麦茶最強伝説。


とか思ってたら、ラジオからスーパーバタードッグの「ファンキーウーロン茶」。
すごいタイミングですね。
曲はとてもかっこよかったけど、できるだけウーロン茶を飲まずに生きていきたいという気持ちは揺るがなかったです。


tanakakanji77 at 14:11|Permalink

October 17, 2013

西陽を浴びながら

父方のおばあちゃんが亡くなって今年が三回忌ってことで、父の兄(つまり僕のおじさんですね)の呼びかけで、「おばあちゃんの思い出」の作文を書くことになりました。
おばあちゃんから見たら孫の代(つまり僕の代)までの人たちの中で気がむいた人が作文を書いてメールで送って、その都度、おじさんがみんなに一斉送信する。
そんなかたちで、親戚の色んな人が書いたおばあちゃんの思い出を読んでいる今日このごろです。


僕は、自分が小学生の頃のおばあちゃんの思い出を書いたのですが、姉もちょうど同じ頃のことを書いていて、ちょっと驚くことがありました。

小学校低学年の頃の僕の中でのおばあちゃんのイメージは、いつも編み物しながら相撲をみていて、学校から帰ってきた僕にかりんとうとか、小学校が食べるにはシブすぎるおやつを出してくれるというぼんやりしたものだったのですが、
当時すでに中学生だった姉はもっとたくさんのことを具体的に憶えていました。

毎週日曜には一緒に図書館へ行ったこと、
当時おばあちゃんは内田百間と夏目漱石にハマっていたこと、
それで父がおばあちゃんのために漱石全集を古本屋で買ってきたこと(今も実家においてある漱石全集の存在理由を初めて知った)、
その本を縁側で背中をまるめて読んでいたこと、
おはぎやパンを頻繁に作っていたこと、
広告をこより状にして、それを編んでカゴを作っていたこと。


姉が書いた文章を読むその瞬間まではまるで忘れていたのに、鮮明に思い出す風景や出来事があったことに驚きました。
それを読まなければおそらく一生思い出すこともなかっただろう風景。

さらに言えば、「忘れていた」というよりも、「知らなかった」出来事さえも新たに記憶として取り込まれていく感覚。

おかげで、記憶とか思い出が立体的になったような気がします。
おばあちゃん像として、今まで僕の中にはなかった情景が追加されました。

夕方の縁側で、西陽を浴びながら小さく背中をまるめて本を読んでいる、
そんなおばあちゃんを実際に見たことがあるような気もするし、新しく作られた記憶のような気もする。

でも、実際に見た風景なのかどうなのか、そんなことは大した問題ではなく、
僕にとってはまぎれもなく暖かくて優しい記憶となっていることが嬉しいのです。


tanakakanji77 at 14:51|Permalink

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