January 2014

January 31, 2014

トップバッターとか代打とか

画像1


ゆうべは、五人編成での最後のanshinkanjiライブでした。

とてもじっくりした演奏ができるバンドだったので、正直なところ、もっとたくさんの人に観てもらいたかったです。
でも、観てもらえなかった人の数を数えるよりも、確かに観てくれた人がいるという事実を思う方が健全なので、それを思うことにします。

ひとりでやるのが嫌で、皆に支えられながら約一年間やりました。
このメンバーでなければ気づけなかったことがあります。
それを言語化することはできないし、する必要もありません。
大切なのは、その感触。
その感触はしっかりと自分のものにしたので、大丈夫です。



さて、明日は渋谷サイクロンでドブロクのライブです。
総勢15組が出演するイベントのトップバッターです。(いつも思うのだけど、野球じゃないのにトップバッターって表現、違和感があります。バットは使わないのにね。他のスポーツでも使われている時もあって、とてもモヤモヤした気持ちになります。)

ドブロクの出番は15時20分!


急に出演キャンセルになったバンドがあって、急遽、代打のバンドがきまったりして(ここでも野球じゃないのに代打!これも違和感を感じます。いつも言うのに、誰も共感してくれくれない)、主催のVeryApeは大変だなーと思いつつ、へこたれないでエライなーと感心します。

VeryApeの企画イベントはいつもタフで、それを全力で切り盛りする姿に相当な意気込みを感じます。
その意気込みに応えられるようなライブをしたいと思います。


tanakakanji77 at 14:13|Permalink

January 30, 2014

遭遇力

写真家の梅佳代が撮る写真はおもしろい。
とても好きだ。

彼女の写真は、普通の街の普通の人を撮っているのだけど、ちょっと異常な事が起こったタイミングでシャッターがきられている。
一見普通の風景なのに、違和感アリアリの写真になっている。

彼女は、何かに遭遇する力、名前をつけてしまえば、「遭遇力」が異常に高いのだと思う。

鶴瓶も遭遇力が高い。
普通に歩いているだけで、普通の人がちょっと異常なことをしている現場にでくわす。

そういう所があの二人は似ているなと思う。



先日、道を歩いていた時のこと。
コンビニの前に路駐していた自動車がまさに走り始める瞬間だった。

運転席には50代くらいのおばちゃん。
後部座席にはおそらく夫であると思われる50代くらいのオッサン。
多分、おばちゃんが車で夫を迎えに来たのだろう。

オッサンのひざの上には飼い犬。

この犬が、異常なテンションでオッサンの顔を舐めまくっている。
オッサンも嬉しそうに舐めまくりを受けている。
運転席のおばちゃんは、後方確認のついでにその様子を無表情でチラ見。


この瞬間を切り取りたかった!
文章で説明しても、そのおかしさは伝わらないんだ。

あぁ、梅佳代だったら、この瞬間をバッチリとカメラにおさめていたのだろう。
こういう出来事がある時に、ちゃんと瞬間的にカメラのシャッターをおせるようになっているんだ。彼女は。きっと。
でも、常にシャッターに指をかけて街をギラついた眼で見ているわけではなく、普通に歩いていて、ふとカメラを持ち直した集合に、そういうちょっと異常な出来事が起こるので、自然にシャッターを切る。そんな感じだと思う。

それが才能なんだろうな。
遭遇力。

僕がカメラの仕事をしている人間だったら、激しく嫉妬するのだろうな。
カメラの仕事をしていなくても、軽く嫉妬してしまうのだから。


tanakakanji77 at 14:45|Permalink

January 29, 2014

1月30日、anshinkanjiバンド最後の勇姿

ソロ活動というものをたまにやっています。
anshinkanjiという名前でやってます。
「安心感」からきてます。
(まあ、それを言うなら「不安感」からfuankanjiでもいいんだけど。)


できるだけ一人での弾き語りはやりたくないなと思って、サポートメンバーと一緒に約一年間、やってきました。

しかし、去年の終わりごろから急に一人でやってみたいという気持ちがムクムクとわいてきて、
これはひとつ、この気持ちに従ってみようと決意しました。


そんなわけで、約一年間、5人編成でやってきたanshinkanjiは今回のライブでひとまずおしまいです。

にぎやかさと儚さの入り混じった演奏が見どころのバンドです。
是非、皆さんに観てもらいたいものです。

またやりたくなったら皆でやるかも知れないし、やらないかも知れない。


明日、1月30日、新宿JAMで。
出番はトリで、22時前からなので、お仕事帰りにでも寄ってみてください。

tanakakanji77@yahoo.co.jp
までメールを頂ければ喜びます。

tanakakanji77 at 17:20|Permalink

January 26, 2014

ハシゴが外される


毎年、1月は体調を崩す。
二日間ほど風邪で寝込んでいた。

寝て起きて、生姜をアホほど入れたうどんを食べ、病院でもらった薬を飲んで、寝て、静かすぎて耳がさみしくてラジオつけて、また寝て、起きて、ポカリ飲んで、またうどん食べて、薬を飲んで、寝て、、、
という繰り返し。

二日間寝ておけばさすがに回復。
寝るのが一番。


それにしても、この二日間まともに会話したのは診察を受けた医者くらいのもので、あとは誰にも会っていない。
あとは外界との接触がなかった。

それでも、孤独感みたいなものを感じなかったし、「世間から取り残されてる感」も感じなかった。

10年前とかだったら、二日間も家に閉じこもっていたら結構じんわりと「世間との断絶」を感じたものだけど、今はそれがない。

それは、ネットで身近な人達の動きがなんとなくわかるので、なんとなく繋がっている感じがするからだ。
テレビやラジオからつたわる「社会の動き」ではなく、ネットで知る「身近な人達の動き」。
それをなんとなく把握しているから、自分がひとりぼっちだと気づけない。

それが良いことなのか悪いことなのかわからないけど。

良いこともあるだろうし、悪いこともあるんだろう。

少なくとも僕は、世間との断絶を感じていないことに気づいた時に少しゾッとした。悪い意味で。


ひとりぼっちを噛みしめる日々があることによって、友達や仲間と過ごす時間のありがたみを再確認できるんじゃないのか。
孤独な時間をひとりで耐える強さと、それでも耐えられない弱さの狭間でブルースが育っていくんじゃないのか。

本当はひとりぼっちなのに、いつも誰かと繋がっている錯覚だけが拠り所となってしまって、いざ、ハシゴが外された時、突如出現した孤独と戦えるのか?


日々が平坦になっているんだなあと思う。
フラットになっている。
平均化されている。
感情も平坦になっている。


それ、つまらない。
つまらないし、ハシゴを外された時に戦える用意が欲しい。


tanakakanji77 at 15:30|Permalink

January 24, 2014

ゾクゾクしっぱなしなプリプロの話

レコーディングの方法は、人によってバンドによって色々あります。


ドラム、ベース、ギター、ボーカルという編成のバンドの場合、
全部バラバラに録るのもあるし、
全部せーので録るのもある。
ドラムとベースだけせーので録って、上物はあとから重ねるってのもある。

これはもう、良い悪いとかじゃなくて、性に合うかどうかってこと。


うちらの場合、最初にドラム、ベース、ギターをせーので録って、後からボーカルやら上物を重ねるっていうスタイルが基本でやってきたのだけど、
最近の曲はループ物が多くて、歌詞がないと「今どこやってるんだっけ?」ってなっちゃうので、今回のレコーディングでは、ドラム、ベース、ボーカルを最初に録って、後からギターを重ねるようにしよう、ってことにして、

いざ!
深夜のプリプロに臨みました。

プリプロってのは、本番さながらにレコーディングして、録音したものを聴きかえしてみて「ここのフレーズはいらない」とか「ここに鍵盤を入れてみよう」とか、音を整理するもの。
前もってこれをやっておくと、本チャン録りの進行がスムーズなのです。
レコーディングスタジオは使える時間が決まっているわけで、その限られた時間の中で最大限のことをやるには、下準備が大切ってこと。
あと、本番でイマイチいいテイクが録れなかった時に、プリプロのテイクを聴いてみて「あ、こっちのがイイから、これ採用!」みたいなこともたまにあります。
実際、前作「ドブクルーズ」収録の「はっさくの涙」はプリプロのテイクを使ってます。


で!
深夜のプリプロ。
録音&ミックスで作業に付き合ってくれるのは、四谷Out break!の佐藤店長。
彼の男気とタフネスさには恐れ入ります。


実際に録り始めてみる。
ドラム、ベース、ボーカルだけで、せーので録る。

どうも、おかしい。
グッとこない。
まあ、本来あるはずのギターが鳴ってないのだから変なのは元より承知なのですが、
それにしてもノリが出にくい。

あと、ボーカルのピッチが悪い。
もともと僕の歌は少々フラット気味なようで、いわゆる「絶対音感的なド正確な音程」ではないのですが、それがベースの低音に引っ張られてしまうのか何なのか、さらに不安定になってしまっているのです。

こりゃイカンぞとなって、
じゃあ、この際ギターも一緒に録ってしまおうってことになって、全パートせーので録音。
そしたらまあ、俄然ノリが良くなった。
ノリは良いのだけど、ボーカルが無闇にアツい。
言ってみれば、ライブさながらって感じで演奏しているから、自然とアツくなってしまうわけだけど、でも、ライブと音源は違う。
音源でこのボーカルの感じだと、胸やけしちゃうなー。


じゃあ、こうしよう。
ボーカルも一緒に録るけど、それはあくまで「ガイド」であって、後からあらためてボーカルだけ録り直す。
そんな方向でやってみると、とてもしっくりくる音になった。

うんうん、いいねいいね、これで行こう!
なんて言ってたわけだけど、
よくよく考えたら、これって、ドラム、ベース、ギターを最初に録って、後からボーカルを重ねるという、今まで基本としてやってきたことじゃーん!

ひとりで静かに気づいてしまいましたが、でも、それをムダなまわり道とは思いません。
着地点としては今までと一緒だとしても、そこに着地するために一周分試行錯誤しているわけで、その試行錯誤の分だけ深みが増したはずだと思っています。


これに気づけただけでもプリプロをやった甲斐があるってもの。

そんなこんなで、約5時間で5曲録音して、残りは来週の第二回プリプロにまわすことに。

この日々が血となり肉となり、新しいアルバムの生命となると思うと、ゾクゾクしっぱなしです。
(そのゾクゾクは、比喩的な意味ではなく、風邪でした。)



tanakakanji77 at 16:50|Permalink

January 21, 2014

意味があるものだけに意味があるわけではない

届いた年賀状にだけ返事の年賀状を出すというのを何年も続けて、
やがて届いた年賀状にすら返事を書かなくなって、
目に見えて届く年賀状の数が激減。

そりゃそうだ。
返事もくれないような奴に年賀状なんて出したくないよね。

これはさすがにイカンと思って、今年は年末のうちから年賀状を用意しておいて、届いた年賀状に返事を出しました。
用意していた分が余ったり、逆に足りなくて新たに書き足すということになったら、「年賀状プレゼント企画」でもやろうかなと思っていたのですが、用意していた数とピッタリでした。すごいな、我ながら。だから、その企画もなし。


今年の年賀状はコレ。


画像1



干支が入ってないし、何故格闘技?って感じですが、まあ、いいじゃないですか。
意味のあるものだけに意味があるわけではないのです。(哲学的!)

そもそも、干支が描かれていたところで、よくよく考えてみれば、「だから何?」であることに変わりはないし、結局のところ、何が描かれていたって「だから何?」なんだから、描きたいと思ったものを描くのが正解なのです。

でも、よーく見てください。
コーナーポストに「U M A」って書いてありますね。
「馬」です。
なんか、プロレスの団体名みたいでしょ。
「U W F」とかそんなの。
いちお、気をつかってはいるのです。


年賀状のやりとりに軽い疑問を感じつつ、
それでもまあ、悪い文化ではないよなという理解もありつつ、
でも、その媒体をハガキからメールとかTwitterとかに移して「明けましておめでとう」とかやるのは愚かなことだよなーと思いつつ、
でも、年賀状という文化が死滅しない程度に維持されていけばいいなあと思う僕ですが、
年賀状を書くこと自体は、嫌いではないのです。

まず、下絵を描いて、
それをカーボン紙でハガキに写していく。
それに、順番に色をつけていく。
肌色を全部のハガキに塗ったら、次は赤、その次は青、って要領で。

版画制作と同じ工程ですね。

なかなか楽しいものです。


tanakakanji77 at 14:47|Permalink

January 19, 2014

シングル的な

いよいよ、ドブロクの新作レコーディングが始まります。
夏頃リリースを目標にしています。

「夏頃って、半年もあるじゃん!かなりのんびりやるんだな」なんて思われるかも知れませんが、そんなことはありません。
今回は、今までとは違う試みをやってみたいので、少しだけ時間に余裕を作りましたが、それでも時間がありすぎるってことはありません。

まあ、時間なんてものは、あればあるだけ有効に使えるものでもない。
ギリギリに締め切りが迫ってきて初めて火がつくこともあるし、いわゆる火事場の馬鹿力も発動できるってもんです。
もちろん、火事場の馬鹿力頼みになってしまってはマズイので、できる限りの準備はしますけど。



で、アルバム発売する前の、いわゆるシングル的なやつをですね、無料ダウンロードできるようになってます。
夏頃まで待てない!って人は、コチラからダウンロードするといいと思います。
無料と言いましたけど、投げ銭制なので、無料から千円まで心意気で投げ銭してください。

曲は、アルバムにも収録予定の「Do the EMOん」。
四谷OutBreak!佐藤店長による録音&ミックスです。ガツンときます。
オルガラウンジのカナコちゃんをゲストに迎えて、バリッとした鍵盤が評判いいです。


シングル的な、ちょっと遅めのお年玉的な、
そんな一曲、是非ともダウンロード!ポチッとな!

http://outbreakrecords.bandcamp.com/track/do-the-emo


tanakakanji77 at 14:45|Permalink

January 17, 2014

成人の日は親のためのもの

毎年毎年、どうも腑に落ちなかったことがあったのですが、ようやく決着がつきました。


今まで、成人の日に対する違和感が、どうしてもぬぐいきれなかったんです。

どうして、あんなものがあるのか。
どうして、20歳になったというだけで、大人になりきれてもいない子供をチヤホヤする必要があるのか。

正直言って新成人に対して「おめでとう」という気持ちなんてこれっぽっちも湧いてこない。
自分が20歳になった時も、「おめでとう」と言われてもキョトンって感じでした。
何がめでたいのか全然わからない。

挙句の果てには、もはや成人式の風物詩となってしまった、「荒れる成人式」のテレビ報道。
あんなものを観ちゃうと、成人式なんて百害あって一利なしの代表例だよなと思ってしまいます。
辞書に載せてもいいんじゃないか。
「百害あって一利なし・・・大人になりきれない子供をチヤホヤするだけの成人式のこと」みたいな感じで。


なんてことをずっと思ってたんです。

それを、今年は視点を変えて考えてみた。
親の視点で成人の日を考えてみた。
自分にハタチの息子や娘がいるという設定で想像してみた。
するとどうでしょう。
驚くほどに感慨深いものになったのです。


子供が生まれたばかりの頃は、右も左もわからず、ただただ「健康に育ってくれればいい」と願いながら祈りながら過ごし、
やがて少しずつしゃべるようになり、歩くようになり、学校に行くようになり、時には反抗もしたし、病気もした。
悩んでいる姿を見て心配したり、励ましたり、成績が上がったと言っては褒めて、万引きしたのが発覚して叱ったり。
高校受験や大学受験を経て、ひとり暮らしも始めた。

そんな子供がようやくハタチ。

とりあえず、大きく道を踏み外すこともなくここまで育てることができた。
この先どこまで見守ってやれるかどうかはわからないけど、親としての責任はひとまず果たしたと言ってもいいだろう。
あとは、社会の荒波に揉まれて、社会に育てられて、やがては次の世代をお前が育てていくのだよ。


親に感情移入したら、成人の日が驚くほどに感動的な日になりました。
軽く涙ぐんでしまったほどです。
僕の想像力も捨てたもんじゃないな。

はっきりと断言しましょう。

成人の日は、親のためものです。
「おめでとう」よりも、「ごくろうさま」の方がしっくりくる。

20年間、なんとかかんとか子供を育てあげて、ごくろうさまと、その労をねぎらう日です。
そして育ててもらった子供は、ひたすらに「ありがとう」と言う日なのです。


子供が晴れ着を着る必要もなし!
わざわざ大きな会場で式典を行う必要もなし!
大人数で居酒屋を占拠して、くだらない飲み方の宴会もする必要なし!

子供は両親のために温泉旅行のひとつもプレゼントしたってバチは当たらないでしょう。
それができないのならば、家で静かに子育ての苦労話を聞く。


成人の日がそういう日になればいいのになあ。


とりあえず僕は、そういう視点を持ったので、成人の日というものをようやく受け入れることができそうです。


tanakakanji77 at 16:13|Permalink

January 15, 2014

むず痒さは止まらない

画像1


ゆうべみた夢に、ドラゴンボールのキャラが何人かでてきました。

細かいところは覚えていないのですが、色々とやりとりしている中で、クリリンがヤムチャのことをふいに呼び捨てしたのです。
いつもはクリリンはヤムチャのことを「ヤムチャさん」と呼んでいるはずなのに。

それを見ていた僕は、少しハラハラしてしまいました。
ヤムチャが、「さん付けろや!」って怒りだすんじゃないかと。

でも、そんな心配は杞憂に終わり、何事もなく夢は進行していきました。



それにしても、ドラゴンボール内におけるお互いの名前の呼び方が気になってしょうがないです。

はじめから仲間だった者同士はいいのだけど、最初は敵同士で、戦いを経てだんだん仲間になっていくパターンが、見ていてむず痒い。


例えば、ピッコロはクリリンのことを最初は「チビ」とか呼んでいたけど、ベジータとナッパ来襲で一緒に戦うことになった時には、
「クリリンとか言ったな...」という風になり、やがて普通に「クリリン」と呼ぶようになっています。

この「○○とか言ったな...」パターンは結構あるのですが、これのむず痒さはハンパない。
「知ってるくせに!」って思ってしまう。いきなり名前を呼ぶのは照れくさいんだろうけど!


ベジータも、クリリンや悟飯のことを「地球人」とか「カカロットのガキ」とか呼んでいたけど、やがて普通に呼ぶようになっています。


ピッコロや天津飯は、悟空のことを最初は「孫」とか「孫悟空」とか、名字メインで呼んでいたけど、やがて「悟空」と呼んでみたり、やっぱり「孫悟空」だったり、なかなか定まりません。


お互いの名前を呼んでいるのを見たことがないキャラもあったりして、その辺の人間関係を想像すると、またまたむず痒くなってしまうのです。

ベジータはヤムチャのことを何て呼ぶのだろう?そもそもヤムチャの名前を知っているのか?
チャオズのことは?その存在すら認識しているかどうか?
チャオズは、皆のことを何て呼んでたっけ?「悟空さん」?呼び捨て?

ピッコロと天津飯は雑談とかするのか?

考えはじめたら止まりません。
むず痒さは止まりません。


tanakakanji77 at 14:44|Permalink

January 13, 2014

お土産道

食べ物のお土産に求められるものって、何だろう?

「土地感」は欲しいですよね。
あとは、「おいしさ」よりも、「まずくない」ことなんじゃないでしょうか。

お土産って、「○○に行ってきましたー」という証拠が一目瞭然でわかれば、その時点で役割の9割は果たしていると思う。
食べてみて「マズッ!」とならない程度の味であれば、合格って感じじゃないでしょうか。


画像1

ライブで、お客さんにもらったクッキー。
鹿児島のお土産ということで、パッケージはこれでもかと言わんばかりのわかりやすさ。

で、実際に食べてみると、驚くほど普通。
可もなく不可もなく。
「あ、クッキーだね」って感じのクッキー。


冒頭の理論からすれば、それでオッケー。
お土産として合格。

「鹿児島に行ってきた」ことが伝わって、「まずく」なければ、良いのです。
妙な味の工夫はいらないのです。

敵をつくらないことが第一。


もしくは!
徹底的にマズイものなら、逆にオッケー。
こんなマズイもの、もらったお土産じゃなければ食べないよ!って位の。


お土産道。
奥が深いです。
いや、浅いのか?



tanakakanji77 at 13:19|Permalink

Twitter


line-stamp hspace=

dobrok-facebook

新譜情報

Do the EMO!!!!

ドブクルーズ
Archives