March 2014

March 31, 2014

エンジニアのテツさんのこと

ドブロク新音源のミックス作業も大詰め。
きのうもエンジニアのテツさん宅で作業を。

思い返せば、テツさんともドブロクが1stを出した時からの付き合いだから、ちょうど9年。
この9年で、アルバム三枚とシングル的なやつを三回、テツさんと一緒に作りました。

テツさんは口が悪くて、作業中も文句ばかり言っていますが、文句言いつつも丁寧に仕事をしてくれます。
僕らと同じように、日本の音楽シーンに風穴を開けたいという気持ちがあるようで、
「俺達はさぁー、」とか「俺達がこんな日和った音でどーすんだよ!」とか言います。
その「俺達」は、エンジニアとしての「俺達」ではなく、バンドだったりドブロクだったりの「俺達」のニュアンス。

バンドと一体化してレコーディングに取り組んでいる表れです。
そういう気持ちがとても嬉しいです。


この先もたくさん一緒に音楽を作っていきたいので、そうそうやすやすと死んだり解散したりできないなーと思います。



tanakakanji77 at 14:20|Permalink

March 28, 2014

長いMC

先日、本当に久しぶりに弾き語りでライブをやりました。

ひとりきりでのライブは、普段バンドで動いている僕にとっては新鮮なものでした。
移動もひとり、リハーサルもひとり、待ち時間もひとり、出番前の楽屋もひとり、咳をしてもひとり(使い方が違う)、
もちろん本番もひとり。

ひとりでいることが心細くもあり、また同時にその自由さに身震いするような感覚があったことも確かです。


ライブの時間配分も自由が故に、MCも長くなりした。
長いMCは好きではないですが、愛情こめてしゃべったので、いいかなと思います。(愛情こめれば何してもいいと思ってんのか!?とかいうツッコミは今回は勘弁してください。そんなことは思ってないですので。)

ライブを録音した音源をもとに、MCを文字起こしして若干修正したものを紹介してみたいと思います。



【3月27日 新松戸FireBirdにおけるanshinkanjiライブ(MC部分のみ)】

ファンタジーとはなんだと考えるわけです。
ファンタジーとは
まず思い浮かべるものは、いわゆる宮崎駿的なアニメーション世界。
宮崎駿、あれはとてもファンタジーですね。
僕も大好きです。
宮崎駿も大好きですが、同じジブリの高畑勲の方が僕は好きなんです。
おもひでぽろぽろとか、火垂るの墓とか、となりの山田くんとか、最近で言えばかぐや姫の物語を監督した人です。

高畑さんの作品の多くは、日常が描かれています。
普通の日常が描かれているように見えて実は日常に潜むファンタジーを描いているんです。
そこのところが僕にはしっくりきて、大好きなんです。


7周年、おめでとうございます、新松戸FireBird。
おそらく、この周年期間は特別な日々なわけで、初心に戻るというか、気持ち的にもすごく盛り上がっている時で、まあ言ってみればファンタジーな日々です。
で、ファンタジーな期間が盛り上がるのは良いのだけど、本質が問われるのはファンタジー期間が終わった後、通常営業に戻った時。
おそらく、似たような日常が繰り返されていくわけだと思うのだけど、
その似たような日常の中に、いかにファンタジーを見つけ出すことができるか、そこで本質が問われるのだと思います。
そうやって自分で見つけ出したファンタジーをおもしろがることができるかどうか、
それって、人生を楽しめるかどうかと同じ意味なんですね、実は。

日常がリピートされていく
同じ歩幅で歩く日々
きのうも今日も明日も同じ歩幅で歩く
その歩幅がビートを生みだしていく
ビートをリピートしていく
同じ日常でビートをリピートしていく.....(このまま次の曲、「ファンタジスタ・インダハウス」になだれ込む)


tanakakanji77 at 22:21|Permalink

March 24, 2014

強い人ですね というセリフ


ゆうべツイッターを眺めていて気になった出来事。

タレントの伊集院光にツイッター上で質問している人がいて、伊集院はそれに言葉少なながらも返信していました。


質問者「仕事を辞めたいと思う時、どのようにしてその気持ちを乗り越えますか?」

伊集院「辞めるのも結構面倒だぞ、と考えます」


これを見て僕は、後ろ向きに見えて実はポジティブな良い答えだなと思っていたのだけど、


質問者「強い方ですね。僕は今逃げたくてしょうがないです。」

と。
これに対して、

伊集院「『強い』で片づけられてしまうのなら、それなりにちゃんと考えて答えるんじゃなかったと後悔してます」


これは、本当にそうだと思いました。
伊集院は、せっかく話を聞いてそれに答えてあげたのに、それが無意味だったようでとてもバカらしい気持ちになったことでしょう。

質問なり相談なりする人は、礼儀をかなりちゃんとしないといけないなと(当たり前のことだけど)痛感しました。

念のため。
ここで言う礼儀とは、言葉づかいとかそういうことではなくて、相談にのってくれた人をバカらしい気持ちにさせないってことです。
こんなことなら話をきいてやるんじゃなかったと思わせないことです。



質問者は、伊集院の返答を「強い方ですね」の一言で片付けてしまっています。

「強い方ですね」。これは、「僕とあなたとは根本的に違う」という意味であって、
つまり「さぞかしお強いあなたは、弱い僕の気持ちなんかわからないんでしょう」ってことで、
仮にも自分から相談をもちかけておいたのに、それに答えてくれた人に対してそれはあまりにも失礼だよなと思うわけです。

それってつまり思考停止。

「強い方ですね」とか、「あんたに俺の気持ちなんかわかんないよ」
とかいうセリフは、コミュニケーションを拒否することで、
そういう人は、ただひたすら当たり障りのない慰めの言葉をくれる人を選んで話をきいてもらうか、
ただひたすら自分のカラに閉じこもっているべきだと思いました。


深く傷ついたり、悩んでいるかりといって、周りの人を傷つけても良いということではありませんからね。





tanakakanji77 at 15:21|Permalink

March 22, 2014

さらば青春の光をつまらないと思う時

有名な映画、「さらば青春の光」を初めて観ました。
いわゆる「名作」ってやつだと思って、わりと期待していたのですが、ビックリするくらい内容がなくて、とてもつまらなかったです。

僕が嫌いなヤンキー映画に出てくるみたいな、単なるヤカラが無闇に暴れまくるだけの内容。
いや、内容などない。学ぶものは何もない。
使われている音楽がカッコイイだけの映画でした。


もしかしたら、これは10代とか20代前半に観ないと意味がない作品なのかも知れない。
「自分は何者なのか」というモヤモヤと、名前のつけられない衝動がMAXな時期に観てこそ、感情移入できるってものなのかも知れない。
でも、あんな奴らに感情移入なんてしたくないなあ。


聖書の「すべてのことには時がある」ってことなのでしょうか。

生まれる時、死ぬ時があり、
壊す時、建てる時がある。
笑う時、泣く時があり、
さらば青春の光を観る時がある。

じゃあ今は、さらば青春の光を観る時ではなかったのか、と言えば、そうではなくて、
今は「さらば青春の光をつまらないと思う時」だったのです。

ややこしいなあ。


tanakakanji77 at 13:46|Permalink

March 18, 2014

犬が小さい花を見ている。

先日、兄家族の家に泊めてもらった時のこと。

小1の甥っ子ユージが、自由帳を手に僕のそばに来ます。
自分で描いた色んな絵を見せてくれます。
僕にポケモンを描いてくれとせがみます。
話をききつつ、パラパラとページをめくっていって、このページで手が止まりました。
そして、絵とともに書かれた文章を読んで大爆笑。

絵は、まあ置いといて、文章の方に注目してください。
絵と文章に関連性はないらしいのですが。


画像1





「犬が小さい花を見ている。」


なんなの、その状況!?
少しもの悲しくて、ちょっと美しい状況。
含みありすぎ!

イマジン。
想像してみてください。

犬が、小さい花を、見ている、
その状況をイマジンしてみてください。

一体、どんなドラマがあったんだ?
それだけでじんわりと涙が出そうになります。(マジ)

こんな文章を書くなんて、ユージは天才だな!
なんて思っていたけど、よくよく話を聞いてみると、その文章を作ったのは学校の先生なんだと。

国語の授業で新しく出てきた漢字を使って文章を作って、それを書き取りさせるのが目的らしい。
だからこれは、「犬」、「小」、「花」、「見」を使った文章を作るというミッションなわけ。
学校の先生も大変だな。

しかし、見事。

パッと思いつくのだと、「小さい犬」とやってしまいそうなもんだけど、そうせずに、
「小さい花」にしたのが勝因。

小さい花をうつむき加減に見る犬。
犬は何を思うんだろう?と、思いながら犬を見るボク。

その視線の連鎖が静かな感動を生み出していると思うのですが。


とか言いつつ、あまりのインパクトに最初は大爆笑してしまったけど。


tanakakanji77 at 14:32|Permalink

March 17, 2014

レコーディングは義務

「レコーディングすることは、ミュージシャンの義務」
と言ったのは、3年前にライブで沖縄へ行った時にお世話になった、ケン子という人の言葉。

「ミュージシャンは、アルバムなりなんなりCDを作りたいから作ってるかも知れないけど、私から言わせればそれはもはや義務なのよ。
たまたま手にしたCDが素晴らしくて、これは是非ともライブを観てみたいと思ったら、もうすでに解散してるとか、とっくに死んでるとか、そういうのがよくあるのよ。
それはとても残念ではあるけど、でもせめて音源だけでも残しておいてくれてありがとう!って思うわけ。
それがなければ、私はこの素晴らしい音楽に出会うことができなかったんだから。
だから、ミュージシャンである以上、自分達で曲を作ってる以上、売れるとか売れないは別の話で、自分達の生きた証を音源として残さなきゃダメだよって思うんだよねー。」

だいたいこんな感じの話を、宿からライブハウスまでのクルマ移動の時に聞かせてくれた。

その時にも納得した言葉だったけど、今、あらためて激しく納得している。



僕らが目指す音楽とは、
一年や二年で消え去ってしまうような「最新型」の音楽ではなく、
100年後に誰かにたまたま手に取られたとしても、録音した時の息づかいが感じられるような音楽。
それを目指すのであれば、レコーディングはまさに「義務」だ。


レコーディングというのはただ単に演奏して歌って終わりではなく、
録音した音を混ぜ合わせていく作業が重要で、そして大変なのです。

ドブロクは今そのミックス作業ど真ん中。

エンジニアさんと一緒に選択の連続。

音量、バランス、配置、音の抜き差し、タイミング、
すべてを選択していく。
決断していく。

選択と決断の連続の先に、新作アルバムがある。

その選択と決断は、大胆かつ繊細にしていかなければいけないのです。
スリルと言えばスリル。

今、僕らは生きている実感で満ちています。


tanakakanji77 at 14:15|Permalink

March 13, 2014

「何を言うか」よりも「誰が言うか」

今回の記事は、二月の末に書いて、寝かしておいたもの。

きのう書いた記事(「素晴らしい音楽であるというルール」)と矛盾するようだけど、僕の中ではギリギリ矛盾していない。
すごく微妙なところ。
時間の経過とともに、もしかしたら僕の中での矛盾ポイントすら変わっていくのかも知れない。

自分の中のモヤモヤを文章化することで解消された部分もあるし、逆にさらに混乱した部分もある。

整理しきれない感じが、自分でもちょっとおもしろいです。
白か黒か、ではない感じ。

前回の記事とあわせて読んでみて下さい。

ーーーーーーーーーーーーー

「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」が重要なのだ。
良いとか悪いとかの話ではない。
そういうものなんだ。


A君は、いつもいつも怠けてばかりで宿題もまともにやってこない。掃除当番もサボってばかり、動物や弱い者をイジメてばかりいて、ガキ大将にはヘーコラする。
そんなA君が言う「日々の努力が大切なんだ!」って言葉は誰の心にも届かない。


一方、同じクラスのB君は、毎日コツコツ頑張って、成績も少しずつ上昇中。弱い者の味方になり、不正には歯をくいしばって立ち向かう、人の話をちゃんと聞いて、ユーモアをまじえて皆を励ます。
そんなB君が言う「日々の努力が大切なんだ!」って言葉はきっと皆の胸をうつ。

極端な話だけどね、今のは。


もしかしたら音楽だってそういうことなのかも知れない。
「何を歌うか」も大切だけど、「誰が歌うか」に意味があることだってたくさんある。

「誰が歌うか」に意味を見出してしまうと、「それは純粋な音楽としての評価とは違うのではないのか?」という疑問が出てきてしまう。
でも、僕はそれでいいのだと思う。

「純粋に音楽として評価するのでなければ意味がない」と言い切れればカッコいいけど、僕はそう言い切ることができない。

音楽を評価する時に評価対象となること。
人柄だとか、その人の特性、国籍、雰囲気、考え方、しゃべり方、声質、そんな「音楽とは関係ない部分」も含めての評価が一般的であることは、しょうがないことなんじゃないか。
というか、それでいいじゃないかと思う。

それでいいじゃないかと思うし、本当の本当に「純粋に音楽として」評価されるのは、その音楽を作った人がこの世からいなくなって、さらにその人のことが忘れさられて、何十年か何百年かわからないけれど、まさに「純粋に」音楽だけが残った時でしかない。



もちろん僕だって、耳の聞こえない人が作ったからとか、そんな理由で評価されてるとか、CDがバカ売れとかいうのはクダラナイと思ってしまうけど、でもよくよく考えてみれば、それで救われる人がいたのだからいいじゃないか。
「本当は耳が聞こえるだと!?けしからん!」って怒っちゃうのは、つまりは、「信じた自分がバカみたいじゃないか!」ってことで、結構みっともない怒り方だと思っちゃうんだが、どうだろう。


流行や国の事情やなんかに音楽の良し悪しなんて大きく左右されるんだから、絶対的な評価なんてあるわけない。
結局のところ、好きか嫌いかで分けるしかないんだ。



怠け者のA君のつくった歌だって、もしかしたら世の怠け者の期待の星として受け入れられる時だってあるかも知れない。
パンクミュージックの出発点はそういうところである気がする。


価値は一定ではないんだ。
価値が一定であると信じようとするから、色んな矛盾がでてきて苦しむことになる。

そこはもう開き直って、好きか嫌いかで判断していけばいい。
「B君のこと、立派な少年だなーとは思うけど、いいこと言うなーとは思うけど、なんかいけすかないんだよなー!」って思ったっていい。

価値は一定ではない。
時代によって変わるし、人によって変わる。


tanakakanji77 at 15:47|Permalink

March 12, 2014

素晴らしい音楽であるというルール

「キモいものはキモい。」

3月11日早朝、ラジオから流れてきた曲を聴いて思ったこと。



でも、それを作曲した人が
例えば震災で家族を亡くした人だったりした場合、
「キモい」と言ってはいけない空気があるわけです。
その曲に励まされている人がたくさんいる場合、「キモい」と言ってはいけない空気があるわけです。

「キモい」以前に、「好き」か「嫌い」かすら、判断してはいけない。

その音楽は震災で家族を亡くした人が作ったもので、
それに励まされてる人がいる以上、それは素晴らしい音楽であるというルールになっているかのようです。

慎重に言わなきゃいけない話題ではあるのだけれど。


もちろん、その音楽で励まされている人がいる事自体は素晴らしいことです。
でも、その事と、音楽そのものが素晴らしいのかどうかは別の問題。


そこを一緒にしちゃってると、例のサムラゴウチみたいな事件があった時に、すごく大変になる。
「ゴーストライターでした。しかも、耳、聴こえるんですー」みたいになってしまった時に大変になる。


何が大変って、心の持って行き方が大変になる。


手放しで素晴らしいものだと自分に言い聞かせてきたのに、素晴らしくない人が作っていただなんて!
素晴らしくない人が作った音楽が素晴らしいわけがない!
どうすりゃいいの?

って、心の動揺がハンパない。



言ってみれば「震災で家族が亡くなった」ってことは、音楽表現とは別の部分なところなわけで、
それ込みで過剰に評価しちゃうと、また同じことが起こらないとも限らないと思うわけです。

慎重に言わなきゃいけない話題ではあるけれど。


「震災で家族を亡くした人が作った音楽だから」励まされた人がいるのならば、それは素晴らしいことに変わりはない。

でも、その一方、「僕はその音楽、趣味じゃないよ。」と言ったっていいはずです。
わざわざ言わなくてもいいことではあるけどね、もちろん。
ヤボな行為ではあるから。


ただ、それが許されない空気が充満しているから、
いざ、サムラゴウチみたいな人が出てきちゃった時に大変になってしまう。

「騙された!」って感じた人が怒るだけじゃなくて、
その他にも、もしかしたら無意識にそういう空気を我慢していた人までもが一緒になってサムラゴウチを叩きまくってるんじゃないのか。


異常なまでの叩かれ具合をチラ見しつつ、
そんなことを思いました。

まあ、ワイドショー的な常套手段ではあるけどね、
気味悪いくらいに持ち上げといて、突然ハシゴを外す感じ。

こわいこわい。

ワイドショー的なやつもこわいし、
空気を読みすぎちゃうのも、こわい。

あとは、饅頭こわい。


tanakakanji77 at 14:46|Permalink

March 09, 2014

できるだけ頼る

できるだけ自分達だけでやろうと思ってた時期もあったけど、今は逆。
できるだけ色んな人に頼ってみようと思ってます。

ずうずうしいかなと思うようなことも、頼んでみたら快く引き受けてくれる人達が僕らの周りにはたくさんいることに気付いたのです。
ありがたいことに。
そして、愛情をもってあたってくれる。


こういう人達のことを、漫画ワンピース的には「仲間」と呼ぶのだろうけど、
仲間ともちょっとニュアンスが違うのだ。
「ソウルメイト」って感じかも知れない。
心意気で応えてくれる人達を裏切らないようにしなくちゃいけない。

レコーディングに参加してくれた音楽家のみんな、エンジニアさん、スタジオスタッフ、ライブハウススタッフ、映像撮影スタッフ、
みんなソウルメイトだ。

まだまだ甘えるのがヘタなので、もっともっと頼っていきたいと思ってます。
最大限の感謝とともに。



先日のドブロクのライブ、レコーディングでも参加してくれた鍵盤カナコちゃんと一緒に演奏しました。
さらに、プリプロに付き合ってくれた佐藤君にPAをお願いして。
5人編成でのライブでした。

プリプロとレコーディングを通して、少しずつ築いていったものをライブというカタチで表現する。
緻密に練りこんだものと即興性がいい具合のバランスで出ていたと思います。

この編成のライブだって、まず僕らが彼らに頼らなかったら実現できなかったこと。

新しいことに挑戦するのは怖いし、エネルギーがいるけど、
それを面白がって愛情をもって応えてくれる人がいる限り、
僕らの世界はまだまだ広がってゆくのだ。



tanakakanji77 at 14:36|Permalink

March 06, 2014

深くもぐったり、息つぎしたり


過去に自分が書いたブログを読んで、
ほぇーっ、なるほどなー!!
ってなったので、再掲載。
(自分が書いたことをまるで覚えていない)


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「言葉は海」


本を読んでいて、感銘を受けた言葉。
えらい先生が言ったらしい。


「言葉を海にたとえて、表層水、中増水、深層水に分ける。
若者ことばや流行語は表層水なんだから、常に波立っていていい。

波が立つからこと、海は循環する。


日時の言葉は中増水で、詩で使う言葉は深層水。
私たちは日々、中増水で生きているが、
深層水の言葉を知っているとより豊かなものが見えてくる。

その言葉を通して目に見えないものが見えてくる。」



いいこと言うね、えらい先生も。



オレたちは、たまに深いとこまでもぐって、
で、海面まで出てきて大きく息を吸う必要があるんだ。

ずっと深いとこにいたら、光を失うし、
ずっと海面にいたら、そこが偉大な海だということを忘れてしまう。

深くもぐったり、息つぎしたり、
その繰り返しが必要だ。

tanakakanji77 at 14:34|Permalink

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