記憶の彼方ですな

書かないまま、一年が経っていました。
一年前は、大きなお腹を抱えながら大学へ行っていたなんて、遠い記憶の彼方。その子も無事産まれ、私は病に伏しましたが回復し、育児を続けて8ヶ月。あっという間。舞台は復活しましたが、学業はもう少し先かと…。FTでの上演ではたくさん気付いたことがありました。やっぱり、芝居を続けたいなあ。
いまは眠ります。子が歌を歌ってくれるので。

2年目

あっという間に冬になり、あの猛暑は何だったのかと遠い記憶の彼方です。
しかし! 冬はこれからなんだ。

ここ何ヶ月も書かずにいたけど(それもまあ特別なことではありませんが)、マレビトの夏の公演直後からいろいろありまして、やっと落ち着いたわけです。しかし、そのいろいろで3月の愛知公演には出演できなくなりましたが、4月にはもっと大きなこともあるので今回は仕方ないかと。

ぜひ3月は愛知芸術劇場へ! 大総集編ということで、これまで3年間の作品に加え、今回はドイツから新作書き下ろしの戯曲を2日かけて上演します。うーん、見に行きたい!笑 これまで、マレビトが試みてきたことは? そして今後どこへ進むのか、これからの稽古と本番で少しずつ自分の中でも見つめていきたいと思います。

と、最近やっと、演劇に対して以前のような感覚というか気持ちを取り戻せそうな気がしています。というか、やっと、ちゃんと本当の意味で始められそうな気がしています。これまでは勢いというか盲目的だった。その良い部分もあるのですが、身体が疲弊して、気持ちも疲弊していったいたことに気がつかずにいたわけです。疲弊しきっていた。バタバタとこれもまた勢いでしたが大学に入って、いままでの追われるような条件がなくなって、その条件に従属していた自分の中身がどんどんゼロになって焦りはしたものの、それでも残ったものを拾い集めてみたら、3つくらい残った笑。それってなんかすごい大事な気がして、それらを丁寧にやっていけないかなと思えるようになりました。三十路ですね笑。

もちろんゼロになったことで、以前のような過剰な自信とともにマイナスになるくらい自信をなくしたりもして一歩が踏み出せずリハビリ状態ですが、大学では、知らない世界に出会うこと、知識を得ること、イチから他人と作ること、考える時間を持つこと、言葉にすること、全てを初めてのこととしてやることで、その一歩をゆっくりと踏みしめている感じもします。ああ、もっと軽やかに世界を広げてもみたいのですが。

同時に、マレビトの会、松田さんとの出会いは大きなものでした。ある緊張感を保ちながら、緩やかに集まるメンバーと討論と実践の繰り返して制作してしてゆく過程には、自分自身の演技や身体の感覚、演劇へのまなざしを問い直す時間になっています。

先生や友達、メンバーと話してみると、自分がそんなこと考えていたのかと気がつかされます。
あきらめなくて良かったと思います。

三十路でもまだまだスポンジのごとく吸収しますよ!! 

 

明日、本番1日目。

久しぶりに舞台公演です。

マレビトの会に参加してから1年がたちました。これは主宰の松田さんにも言ってなのですが、この大学に入ろうと思ったキッカケは、大学の学部案内のリーフレットに載っていた松田さんの言葉です。なのに、1年生では松弾の授業受けられない!って知ったときは愕然。頼み込んで授業に潜らせてもらい、他の学生と発表をしたりしている中でマレビトに誘われました。

でも、実は入学してからの日々はとにかく他の授業と課題と通学とで無我夢中で、松田さんだから特別だみたいなことはあまりもう思っていなくて(すみません)、それよりも発表の練習に学生がほとんど来ない中、唯一、皆勤賞のYくんと意気投合し「二人だけでもいい芝居作ろうぜ」っていう、そのよくわからない熱量と意気込みと発表でいっぱいいっぱいでした。

そういったような、授業で知らない人と一から作り、試作品であっても本気で人前で発表するってことを繰り返す中、入学前に考えていた集団制作とか演劇とか演じるってことが解体されて行きました。ある時は、そのことを喪失のように感じ落胆もしましたが、今は少し違う心持ちです。

身体が人の目に曝されるときの危機感、
命までは取らないよ、とは言うけれど、今の私にとってはとてもギリギリで、通し稽古だと言うのに客席で観ている西山さんが視界に入るだけで、自分の身体が半分そちらに吸い取られてしまいそうで、意識でどうにか留めているような(逆なはずなんだけど)、身体が吸い取られたら芝居できなくなる!って必死で踏ん張っている。平知らない人達と一緒に同じ空間に居て、平然と私を観て下さいって怖いことだとつくづく思うが、演劇はそこに意味がるのかもしれないとも思うのです…。(もしかして私に足りないのは、その先なのかもしれませんが。)その怖いと言う感覚は、単に私がどう見られているか気になると言うだけなのかもしれませんが。

ただ、それが怖さであれ何であれ、以前のように、麻酔がかかったみたいに没入というか何も感じられなくなっている状態でなくなっている証拠であることはたしかです。

そして、自分が今どのように演じているのか、演じ方を変えるとどう見え方が変わるのか、それは一体なに向かうのか、それぞれの俳優のあり方、登場人物の関係ややり取り、戯曲の世界、劇場空間の使い方、ここには直接語られないが反響している世界など、演じることは「演じる」ことである、と言うことを改めて考えさせられたりもするのです。

マレビトの会では話し合いをしたりしながら、もう誰も言葉にできないことを、どうにかやろうとしています。飽和してしまうときもありますが、言葉にできないことが大事だったりもします。その中で、自分の演技のスタイルというもの(私は無いと思います)は、実はそれぞれの人間性と言うように見えてきておもしろくもあります。それぞれに、どう芝居と在るべきか=この人はどんな人なのか、みたいなことが体現されるのです。その、それぞれが共演した時はこうなるのかと、それもまた不思議が生まれます。

演技は演じることで、そのことから逃れようとしないことに向かう先がある、ということを知り、久しぶりに考えさせられました。


明日本番なので、今日はここまで。

 










 
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