2021年02月26日

 
   ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
       「すこし長く伸びた髪」
     https://youtu.be/3jbdpaYyufY

  
    ♪ すこし長く伸びた髪 1981

  砂浜に指で書いた きみの名前の頭文字
  どこかの唄の文句のように 夕日がまぶしく射していて
  まっすぐに走る地平線 ここならきみを身近に感じられる
  そんな予感がしたから いまここにいる
 
  ぼくはきみに出会うために 生まれてきたのさ
 
  ぼくの心によみがえる 誰もいない広い砂浜
  ひとりの迷い子が泣きながら 母親求めるような……
  
  少し長く伸びた髪 遠くを見てる澄んだ瞳
  そんなきみがいま ここにいる気がして……

  ぼくはきみに出会うために 生きてきたのさ
 
  きみのそばにいていいかい 肩と肩が触れる近さで
  きびしい時代さ ひとりじゃ生きられない
  もうふたつの瞳がなければ……
  
  素足になった白い脚 頬を照らす日の光
  そんなきみがいま ここにいる気がして……


 ――この拙作を、タナカゼミ・セッションを愛聴する方々がどう評価するか、関心がないようなふりをしながら、じつはある。これまでユーチューヴに垂れ流してきた20曲中、もっともある。なぜか。
 それと関連していえることは、発表してきた20曲中、この作の発表が当人にとってもっとも気恥ずかしく感じられるということ。なぜか。
 1981年、つまり40年前、若かりしおいらが片恋ゆえに全身恋心で燃えていた、その生々しい感情が赤裸々に表現されているように自身感じられるからだ。そうだ、「唯一のヒット曲」である1976年作「さらば夏の光よ」とは比較にならないくらいに。
 どちらも片恋の歌ではある。……いや、考えてみれば、おいらの歌に「得恋」(「両恋」という語は一般的になっていない)の歌など一曲もなかったけれど(と記憶する)。おいらにとって、恋とはすなわち片恋なのであった。
 幸か不幸か、めったに「得恋」に至らなかったおいらの青春時代、おいらは片恋から、ギター一本を支えに創造への道を模索してきたわけである。いまふりかえれば、故意に(恋との掛詞ではない)片恋してきた節もなくはない。キルケゴールが真実の愛を求めるために、婚約を破棄したように。キルケゴールはともかくとして、おいらにとってそれがよかったか、よくなかったかどうかは、40年後の現在、はたしてわからない。
 ただ、作品は発表されれば、作者のもとを離れて独り立ちしていくものである。かわいい子には旅をさせろ。素敵な旅をしてもらいたいと願って発信する。


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2021年02月16日

  
   ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
      「手をどけろ」(守岡等)
    特別企画/アコースティック・カバー
     https://youtu.be/2Kp35SAbwJA

    守岡等「手をどけろ」 フルバンド・ヴァージョン
     https://www.youtube.com/watch?v=_F7scD6buug
     
 
 カバーに挑戦した。どなたの作品のカバーなのかといえば、これがなんと、大学時代の旧友Mくんの作品。同じ大学の同じ文学部で、学年も同じ。おいらが文学科で、彼は哲学科だった。音楽の主たる傾向は彼がロックで、おいらがフォーク。
 当時、大学時代も終わりにさしかかったころ、いきさつは詳細に思いだせないが、気づいたらおいらのアパートや彼のアパートの一室(いずれも畳の間だった?!)をスタジオにして、いっしょに楽曲(むろんカバーやコピーではなく、オリジナル曲)を作り始めていた。おいらが先導していたことはたしかだ。おいらが作詞作曲して、彼がそれに色付けするという役割分担の場合が多かった。
 高校3年の6月の文化祭以来、音楽活動を中止していたのに、大学の3年の終わりごろになって、就職する前にもう一度自分の音楽の才能を出し尽くしたい気持ちになった。それもこれも彼との出会いがあったからで、それがなかったらやっていなかったのはまちがいない。
 客入りの少ない自家製のステージも一度やった。おいらたちの共通の先輩の結婚を祝う会で、2曲オリジナル曲を披露したこともあった。そのときはその日のために作ったお互いのオリジナル曲を一曲ずつ演った。
 おいらたちが打ちこんだのは録音だ。多重録音を駆使して、彼が作詞作曲した作品も含めて、合計10曲くらいは録音したと記憶する。カセットテープに録音したその音源を、その手の業者にLPレコード盤にしてもらったりした。むろん少量生産。

 彼はおいらなんぞよりはるかに音楽的才能に恵まれていて、楽器はギター・ベース・キーボードをこなし、作詞作曲の才もあった。その面で受けた影響は大きかった。が、それ以外の面、たとえば文学の領域でも大いに刺激された。あるいはもっと漠然と人間の魅力というほかはない奥の深さが彼にはあって、密かに敬意をもっていた。彼は虚勢を張って目立とうとする男ではなかったし、集団を仕切って先導するタイプでもなかった。どちらかといえば、言葉数の少ない「無私」な男に類した。そうでありながら、しかし魂の核には思念に思念を重ねた信念を宿していた。
 2月12日、理由も目的も脈絡もなく、突然彼の姿がおいらの頭のなかを横切った。霊感が走ったとしか言いようがない。このひらめきは無意識の為せるわざであったが、昨今おいらが生涯の「晩年」を意識し始めた経緯からでてきた所産でもあっただろう。昔の親友畏友の現在を知りたくなったのだ。
 まさかと思いつつ、試しにネットで彼の名前で検索した。そしたら、彼の現在があっというまに画面に出てきた。なんと、彼は現在某市の市議会議員二期目を爆走中であった。
 さらに驚いたのは、彼が10年も前からユーチューヴ動画でオリジナル作品やカバーを精力的に発信していたことである。おいらのタナカゼミ・セッション動画とは比較できない上質の完成度で独自の音楽表現を発信していた。各種の機材を駆使し、多数の楽器を重ね合わせての表現である。
 なんだ、昔、おいらといっしょにやっていたことを、年をとってもあいつはやっていたわけだ。技術をアナログからデジタルに移して。

 視聴できる動画はだいたい視聴した。(お世辞ではなく)秀作ばかりだ。ただし、6年前に配信して以降はまったく配信していない(ようだ)。議員の仕事が忙しいからだろう。
 さっそくおいらは彼にメールを送った。思い出せば、29年前、仙台で会って以来会っていない。29年前に会ったときもその再会はたしか8年ぶりだった。とんでもない年月が過ぎ去ってしまったものだ。ただし彼の動画に映る彼の姿(エレキギターを弾きながら歌う6年前の姿)を見ると、昔の彼とそんなに変わっていないのである。
 半日後、彼からの返信メールが届いた。2月1日に当ブログで紹介した拙作「さらば夏の光よ」のワンフレーズが書きこまれていた。……や、や、やっぱりあの曲はおいらにとって「唯一のヒット曲」だったのだ。それが40年後に証明されたわけだ。恥ずかしながらも、少々嬉しかった。

 Mくんからの返信メールの一部――
 《だいぶ時はたったのですが、昨日のようですね。さらば強き〜夏の日よ〜(絵文字)懐かしいねー!》

 おいおいMくん、「夏の日よ」ではなく、「夏の光よ」だけど……。

 ユーチューヴ動画チャンネルで視聴したなかから、おいらはさっそく彼のオリジナル曲の一曲取り上げて演奏して歌い、録音してみた。「手をどけろ」。この歌は、斉藤和義の「ずっとウソだった」を意識しての一作であることはたしかで、けれどそれに勝るとも劣らない出来に仕上がっている。30年以上前の忌野清志郎率いるRCサクセションの反原発ソング群とも並べられる作品だ。おいらが熱情こめてカバーするに足る楽曲である。
 おいらはアコギ一本で、歌詞を身勝手に替えたりして、一気に歌い上げた。コピーとカバーは違うというのがおいらの持論である。コピーにおいらは興味がない。カバーを演るなら、あくまで原曲を基にして、どこかの部分で演者の個性・独創性を付け加えるべきなのである。ギターコードももしかしたら替えているかもしれない。
 さっそく彼にこの音源を謹んで贈ろうと思っている。それが彼への敬意と友愛の証になると信じるからだ。出会ってから40年余り、会わなかった30年、今もおいらは彼を意識し、尊敬し、感謝し、期待している。遠く離れた場所で働き、暮していても、その気持ちは続いていくだろう。


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2021年02月13日


   ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「夕べの夢」
       https://youtu.be/aOGd_PTe4Ng


 今年に入ってから作った新曲をお届けする。
 今年は秋までに必ず衆院選がある。ずっと気にかかっているのが、一人区における野党の候補者調整だ。なんとかして一人に絞らないといけない。できれば、絞った候補を野党がそろって全力で応援する態勢を築いてもらいたい。その中核になるのが野党第一党の立憲民主党であり、とりわけ代表の枝野幸男氏のリーダーシップがここで求められる。
 暗雲がなかなか吹っ切れないのは、共産党へのあまり根拠の明確でない拒絶反応が立憲民主党のなかにあることだ。国民民主党はなおさらその傾向が大きい。道理で考える以前に数の面でいっても、共産党の力量なくして野党が勝つことはできないことは明白である。その点を立憲民主党、枝野代表はどう考え、対処するのか。時間がない。急ぐべきである。
 市民連合という組織が野党を結び合わせようと、粘り強く努力をしている。自民・公明連立政権よりましな政権を作る、という共通の考え方のもとに野党は協同するべきときだとの願いからだろう。おいらも賛同するところだ。
 気になるといえばもうひとつ、山本太郎および彼が率いるれいわ新選組の動向が読めないということ。それなりの支持層をもっているこの党派党首が賢明な判断をすることを希みたい。



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2021年02月09日

 
 残り時間を意識し始めてから、さて、今後読書は何の本を選んで読もうかと考え、考え方を新たにした。基本方針は、新しい本ではなく、今まで読んだ本で印象深く、もう一度読みたいと思う本を読み直すという原則だ。読書の良さは再読にある、これはまちがいない。逆にいえば、再読したいと思わない本は、当人にとってさほど存在意義のある本とはいえない。
 新潮社版のドストエフスキー全集全巻を購入したのは、大学生のときだった。古本屋で買ったのだが、ほとんど新品に近かった。よし、これをぜんぶ読破したる! と六畳一間のボロアパートで意気ごんでから、はや、何十年という年月が経ってしまった。読んだのは5分の1にも達していない。
 先般、そのなかの「カラマーゾフの兄弟」上下2巻を自宅の机上に置いてみた。飽きることも、途中で投げ出すこともなく、いま上巻を読み終えたところだ。
 大学時代に一読したのはたしかだが、それ以後、再読したかどうかは記憶がない。本作については、アリョーシャという主人公の存在が鮮烈だったことと、「おもしろかった」という全体的な読後感以外思い出すことができない。同時期に読んだはずの「悪霊」との区別がはっきりしないのが我ながら情けない。ともかくドストエフスキーといえば、あまりに鮮烈なのは予備校時代に読んだ「罪と罰」である。

 同作品のなかから、一つ引用しておこう。
 アリョーシャと向かい合ってイワン・カラマーゾフいわく、
 「俺の考えだと、まさに身近な者こそ愛することは不可能なので、愛しうるのは遠い者だけだ。……人を愛するためには、相手が姿を消してくれなけりゃだめだ。相手が顔を見せたとたん、愛は消えてしまうのだよ。」(原卓也訳)

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2021年02月01日



    ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
           「さらば夏の光よ」
       https://youtu.be/YpKWOHN4i0M


 シンガーソングライター田中といえば、この一曲である。45年前に人前で歌ってから、もっとも人前で歌った回数が多い作品だ。「この一曲」というのはおいら自身の評価というより、この歌を弾みで耳にした周囲の評価によっている。
 おいらからすれば、定型過ぎるきらいがあるし、似たような歌はあっちにもこっちにもありそうだから、自分の代表曲とは呼びたくない気持ちがある。思いつくところでは、ワイルドワンズという古いバンドの代表曲「想い出の渚」とか、比較的新しいところでは山下達郎の「さよなら夏の日」とかである。曲名も陳腐なきらいがあって、ずいぶん昔に作られた映画「さらば青春の光」があり、その名をパクッたショートコント・コンビが現在活動中である。
 「さらば夏の光よ」という題名はもともと遠藤周作の小説の題名で、それを原作にして作られた松竹映画(郷ひろみ・秋吉久美子主演)をおいらが観て、そのまま歌の題名にしたという経緯がある。その元をたどると、ボードレールの詩の一行にまで遡れる。

 歌を作った経験の豊富な者なら誰もがうなづくであろう経験に、知らぬうちにいつのまにか作品ができていたという経験があるだろう。この一曲がおいらの場合、それに当たる。いわば「降りてきた」というやつだ。そのいつのまにか「降りてきた」歌を45年のあいだに何度も歌ってきた。考えてみれば、不思議なことである。
 ただし、おいらはおいらの師匠ともいうべきボブ・ディランに従って、歌うたびになんらかの変化を加えて発表してきたつもりだ。今回は歌詞の一部も換えたし、間奏のギターは大胆に換えての発表である。昔「この曲、いいね」と言ってくれた友人が聴いたら、どんな反応を示すであろうか。

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2021年01月28日

 
 ついに来たか。とうとうやって来た。高鳴る動悸に身体を震わせながら、職場の指導机の端に置かれた固定電話のボタンを押す。逡巡したが、ここは呼ぶほかはあるまい。
 おかけになった番号は現在使われておりません……。ん なに?
 199。……違った。警察が110、消防は119。
 消防ですか、救急ですか? ……救急でお願いします。

 12時半過ぎ、ついつい居眠りをしてしまい、そろそろ昼飯でも食べにいこうかなと起き上がったら、自分を取り巻く世界がいつもと違っていることに気づいた。ぐるぐる回る。立っていられない。歩こうとするとまっすぐ歩けない。……こんなことは初めてだ。
 頭をよぎったのは、数年前、脳出血で倒れ、緊急手術を受け、2ヵ月半に及ぶ入院生活を余儀なくされた、3才下の実妹の顔と、つい先日(軽い)クモ膜下出血と脳梗塞で入院した爆笑問題・田中の顔だった。
 昨年ユーチューヴ動画で配信した「おいらの晩年はもう半分過ぎたところ」という自作が真実味を帯びてしまった。予感的中。それこそ冗談半分で作って歌ったのに。
 ついに来たか、おいらにも。来やがったか。

 たちまちやってきた救急車に乗りこみ、問診を受ける。血圧計を指にはさまれ、胸に簡易な心電図用のセンサーを付けられる。搬送先を聞かれ、お世話になっている聖隷浜松病院の名をあげる。車内で職員が電話で問い合わせる。残念ながら、受け入れ拒否。ついで近くの遠州病院。受け入れ受諾。
 奥さんに電話してくださいとカバンに入ったおいらのガラケーを渡される。よかった。なぜか胸をなでおろす。今月上旬、15年使ったドコモの初代ロゴが眩しいガラケーを新しいものに換えたところだった。15年前のガラケーを職員が目の当たりにしたら、彼は場をわきまえずについ吹き出して笑っただろう。
 幸い、愚妻は仕事なのだろう、電話に出なかった。
 
 手際よいはからいで、気づけば、病院の耳鼻科の診察室の椅子に座って、若い男の耳鼻科医の診察を受けていた。続いて聴覚検査。
 おいおい、それにしてもなんでまた耳鼻科なのか? おいらはてっきり脳なんとか科に送られるとばかり思っていた。
 
 40分後には揺れる身体をなんとか自力で支えて、会計の窓口の前に立っていた。2000いくらかの請求。少しびくびくしながら尋ねた。救急車代はいつどんなふうに支払うのでしょうか? いえ、このなか(2000いくらか)に入っております。あっそう。
 あれだけの処置をされて、患者最優先、信号無視で大病院に送られ、待つことなく診察室の主治医の前に座って、一時間も経たずに、薬局で薬をもらって、全部で2500円程度かかっただけ。そういえば、救急車はタダだと聞いたことがあった。
 ありがたいといえばありがたい。しかし、それはそれで問題も生じよう。緊急性もないのに、救急車を呼ぶ輩が出てくる可能性がある。おいらの場合も結果的にはその種に入っている。

 主治医に尋ねたら、「末梢性めまい」という病名がかえってきた。ネットで調べると、その「末梢性めまい」は幾種類かに分かれる。おいらの場合はもっとも頻度が高く、病状が軽い良性のものだったと思われる。その名も「良性発作性頭位めまい症」。たぶんこれである。3日経った現在、90%症状は消えた。

 笑い話といえば、たしかにその通り。けれども、おいらには何か象徴的なくさびを打ちこまれたできごとになった気がする。この日以前と以後では、生きる態度がまるで違ってきそうなのだ。視覚の先にゴールが見えてしまった。生涯の終わりを生き始めた。そんな感じがする。


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2021年01月20日


 谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の「見えないこども」という歌を聴いたときの不思議な感覚が、四半世紀以上、おいらの頭のなか(心のなか?)で微かな残響になって響き続けている。その歌をうたっていたのが、たまたま井上陽水という、中学から高校にかけて影響されたシンガーソングライターだったのが、まずは偶然だった。その冴えわたる歌唱が自宅のテレビから漏れ聴こえたのである。
 その後まもなく、井上陽水の奥方である石川セリのボーカルで、武満徹のポップス曲だけを集めたCDアルバムが発表され、そのなかに収録されていた、完成度抜群の「見えないこども」を何度も聴き入った。武満徹が他界したのは、それからしばらく経ってからだった。

 「見えないこども」は、詞も曲も不思議としかいいようのない作品である。この歌はまちがいなく谷川が最初に詞を書いて、それに武満が曲を付けたはずだが、その曲は詞の不思議な魅力を倍加させている。
 詞も曲もおいらの手の届く水準を越えた質を有する。とくに曲は「なぜこんな曲を作れるのか?」と途方に暮れるほどに、自分が作れる音楽世界から遠く離れている。到底真似できないメロディである。これが同じくご両人の共作である「死んだ男の残したものは」だったら、あるいは作れたかもしれない、とは思う。

 おいらが乗っかってきた既成の音楽区分は、いわゆるフォークであり、それにロックやブルースが重なり合う区分だった。「見えないこども」を区分けすれば、この2つの分野には入らない。あえていえば、ジャズだろう。そうなのだ、おいらはジャズはいまだもって、侵入したことのない音楽世界なのである。
 その昔、マイルス・デイヴィスのトランペット・ソロを聴いて、かつて聴いたことがない音だと畏怖したことがあった。
 ジャズ演奏でたいてい使用されるウッドベースの音が好きだ。ロック演奏でフレットレスのエレキベースを使うベーシストがいるが、あれもよい。例えば、エリック・クラプトンのいるイングランドのハードロック・バンド「クリーム」のジャック・ブルースのベースだ。

 おいらの我流作詞作曲法は、端的にいえば、(ギター)コード進行の組み合わせであるり、それでしかない。この安直な方法では「見えないこども」は作れない……と漠然とした直感で判断できる。この曲にはコードという概念がそもそもない……と思うが、はて? 少なくともこの曲をおいらはギター・コードで解析できない。これが「死んだ男の残したものは」だったら、5分も時間をもらえれば、コード進行をだいたいは把握できるだろう。

 谷川俊太郎と武満徹は青年時代からの親友同士であった。ご両人の歩みを調べると、共通するのは、学校から距離をとってきた点である。学校教育から詩になり、文学なり、音楽なりを学んでこなかった。我流といえば我流、独創といえば独創。それが二人の天才にはよかった。
 おいらの我流は音楽をはじめ、いろいろ手を出した分野で、たいした芽も出せず、花も咲かせず、実も結べなかったのかもしれない。あえていえば、22年続いた我流の学習塾だけは、成功したといわないまでも、失敗はしなかった……くらいには評価されるだろう。


     ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「隠恋慕」
       https://youtu.be/24K1hqyRIik


     ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A    





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2021年01月17日


   ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「隠恋慕」
      https://youtu.be/24K1hqyRIik

 1976年といえば、45年前である。おいらはこんな歌を作って、人前で歌ったのだった。発表の場に合わせて作ったのだったかもしれない。それ以後歌ったことがなかった。
 今回、タナカゼミ・セッションの動画として取り上げようと思いついたとき、曲つまりギターのコード進行は思いだせたが、詞の方は半分以上忘却していた。
 題名は覚えていて、「北国の少女」だった。当時、明けても暮れても頭にあり、傾倒し、心酔していたボブ・ディランの曲の模倣である。原曲の題名は「ガール・フローム・イン・ザ・ノースカントリー」。おいらの「北国の少女」はメロディもコード進行も原曲とは違ったけれど、発想は似ていた。否、おいらが原作者へのお断りもなく、勝手に拝借したのだった。
 よって、今回、題名も変え、詞も8割方変えての発表ということになった。な、な、なんと、45年ぶり。

 思い出す限り、45年前に人前で歌った原曲と、今日録音してすかさず配信した曲とはまるで違ったものになっている。同じなのは、両者とも遠くから意中の女子(女性というより、当時の感覚からして、女子!)を密かに思い続けるという主題だ。45年経っても、おいらの片恋讃美の傾向は変わっていないとの証明になった。
 ひとはいくつになっても変わらない、ということだろうか。

 
    ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A
        
   


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2021年01月08日


 やっとのことで一曲録音し、配信に至ることができた。40年前に作った歌だ。この曲ができあがったばかりのころ、間髪入れずに、おいらのぼろアパートの六畳一間の一室で(もちろん床は畳)、友人一人に手伝ってもらってカセットテープに吹きこんだ記憶がある。その友人はよりによっておいらの友人にやたら多い哲学青年で、ギターもベースもキーボードも作詞作曲も高いレベルでこなせた。この曲のときはキーボードを弾いてくれたのだった。当時流行っていたレゲエのリズムを取りこんでのアレンジだった。そのアイデアはおいらの発案で、それを実際の音にしたのは彼である。以後、この歌を一回、もしかしたら二回、人前(ステージ)でうたったことがあった。
 この一曲がおいらの曲目の中で唯一例外の一作なのは、肉親を歌の主題にもってきているところである。友人にしろ知人にしろ、家族・兄弟にしろ、特定できる人物を歌詞に並べた作はほかにない。
 曲は40年前とまったく同じである。一方、詞の方は今回の世界に向けた配信に向けて、8割改作した。現在、30数年以上前に作った歌(推定7曲ほど)を録音・配信する用意があるが、待ち望んでいる膨大の数のチャンネル登録者をはじめとする視聴者になかなか届けられないのは、詞の改定作業が遅々として進まないからである。そのなかの一曲が、ようやく形になったのである。
 まちがいなくおいらは若いときと比較して、詩才を喪失しつつある。なんとかしたいとは思ってはいるが……。

    ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A
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2020年12月27日


 この半月に限っていえば、頭のなかの3分の1は、次に録音し、配信する楽曲のことで占められている。おいらの気持ちを冷静に確かめると、創作したい、創作したものを発表したい、発表したものを褒めてもらいたい、自分のなかに微かに残存する虚栄心をちょっとだけくすぐられたい――という衝動はなくはないが、あまりに微量だ。あるのは訳のわからない焦燥感に近い衝動である。
 なにを焦るのか、はて?
 たぶん、身も心も動くうちに自分らしい、できれば余人には及びもつかない何かを作り出して、この世に爪跡を残さなければ……といった焦りだろう。
 けれども、タナカくんよ、きみの持って生まれた才能はほぼ出尽くしていて、伸びしろはないに等しいのだよ。その出尽くした才能も欲張ってさまざまな分野に手を出して試してみたはいいが、どれもこれも特に日の目を見ない中途半端な結果しか残さなかった、といって問題ないよね。
 タナカくん、きみは言うだろう。これまで他人の評価を期待し、励みにしたことは、あんまりなかったと。要は自分の魂から促される何かをそのまま表現してきたにすぎないのだと。

 音楽でも小説でも詩でも映画でも、芸術作品が自分の心を突き刺したとき、われわれは方向の如何などおかまいなしに、闇雲に走り出す。なにかの衝動に突き動かされて走り回る。どこへ行くのか向かうのかなど、考えが及ばない。おいらは現在、半ばそんな状態にある。それはおいらには喜ばしいことである。10代半ばから20代半ばまで、いわゆる青年期のおいらは恒常的にそんな状態であった。その憑かれた状態がここにきて半ば回帰しているのだ。
 高校時代は毎日歌をつくっていた。忙しかった。この半月でいえば、頭の活動の3分の1以上を毎日使って、できれば週に一度の新曲更新を果たしたいと焦っている。配信を予定している曲数は15曲はある。うち8割以上でき上がっている曲が5曲、曲はできているが歌詞の全面改稿の着手に戸惑っている曲が5曲、詞も曲も模索・構想段階レベルな曲が5曲である。おいらは忙しいのだ。この忙しさがよろしい。

 新曲「木村拓哉には負けたくない」では、ギターに加えて、ブルースハープなる玩具に等しい楽器を追加した。ブルースハープ自体を吹くのは30数年ぶり、ギターに併せて首につるしたホルダーを利用して吹くのは、実に40年ぶりの試みである。まさかこんな小道具を再び使って遊ぶとは思ってもいなかった。それを匿名の視聴者に聴かせることになるとは、つゆ思いつかなかった。
 ギターだけでは飽きるからである。他の楽器との共演が欲しい。飽きたときが終わりの潮目になる。
 現在当ゼミに通っている高校三年生の某女子に「きみ、なにか楽器できるかい?」と先日尋ねたら、「ひとつできます」と嬉しい応えが返ってきた。すかさずスカウトして「それなら受験の済んだ3月に、ぼくのバックで演奏してくれないかな? 3月はきみも暇で困ると思うから」と頼んでみた。……で、彼女が熟練する楽器の名前を訊いたら、お琴だった。
 いくらおいらでも、お琴をおいらの楽曲の伴奏にはさむだけのアイデアも能力もおいらにはないと、残念ながら断念せざるをえなかった。ということで、おいらのバックで、おいらのギターと歌に合いそうなバック演奏のできる方を募集しております。


   ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
      「学歴のために生まれてきたんじゃないよ」
        https://youtu.be/bQjqxQwybkk



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