2024年09月09日

 
 《タナカ》NHK制作の街角ピアノの動画に話を戻そう。画面手前側のメインカメラのあたりに、目立っている男女二人がいるけど、わかる? 帽子を被ってサングラスをかけ、顎髭が豊かで黒のTシャツ姿の男は、左手で買い物袋を持ちながら、右手に持ったスマフォで角野くんを撮っている。この男はともかく落ち着きがなく、あっちにこっちにと立ち位置を変更し、アングルを変えて撮り続けている。が、演奏の中途で引き上げて、どこかに立ち去ってしまう。要するに、彼は角野くんのピアノなどに何の興味もなく、ただ惰性で、流れで、おそらくはその後再生さえもしないだろう動画を愛用するスマフォにぶち込んでいたわけだね。対して、ベージュ色のノースリーブで黒のズボン姿、長い髪の若い女は最初スマフォを構えて角野くんを被写体にしたが、すぐに、たぶん肩からかけているバックの中にしまって、手ぶらのまま左腕を右手で軽くつかんで、角野くんの演奏を、神経を集中させ、じっと見ている。わかるかな?

 《かてぃん》ああ、はい、この二人ですね。対照的ですよね。なるほど男は始終スマフォを持ちながら、せわしくあくせくしていますね。女は途中から意を決したみたいにスマフォを手離して、僕の弾くピアノの音を受けとめようとした。わかります。この女性のその後の絵をもうちょっと見たかったな。

 《タナカ》都市に生きる現代人はこの髭男の立ち振る舞いに象徴されるんじゃないかって、僕は思うわけだ。たいていの俗人は日々、この男のように情報処理に追いまくられているんじゃないか。彼の動きは少し極端だけど、スマフォを持たずに生活している僕みたいな者から見ると、都市生活者のほとんどがこんな感じに見えちゃうんだよね。ほんと病気にしか見えない。高校生なんかもたいていそうだよ。ついでに言えば、そんなふうに生きている者は、この男のように自分の素性、裸の心を隠して巷をうろついている。何かに脅えて、こそこそ逃げるように生きている。否、自分の素性、ほんとの自分を隠すというよりも、自分の素性もほんとの自分もないからっぽの心を隠すために、帽子を被り、サングラスをかけ、髭を生やして防衛しているんだな。手にはスマフォ。拳銃といっしょだ。からっぽの心を守るには欠かせない武器。

 《かてぃん》で、素顔の、ノースリーブの、裸の眼が美しい若い女の子が出てくるわけですね。タナカさんにとっては、この女性が一縷の希望だと(笑)。動画なんか撮っている場合じゃない。一期一会で現れたピアニストの弾くピアノの生音を視覚聴覚はもちろん、全身で受けとめなくっちゃと。身に余る光栄。感激です。

 《タナカ》角野くんの演奏は3分程度のものでしょ。この3分、心身を無の状態にして演奏に触れる、これが案外できないんだな、現代人は。ティックトックの隆盛がわかりやすい証拠だね。あんなものを毎日観ていると、長いものを観ることができなくなる。Xだってユーチューヴだって、たいして変わらない。虚心にその物語の世界に潜り込むべき長編の小説なんて読めるはずがない。まして長い書きものは無理に決まっている。交響曲だって全楽章傾聴なんて不可能だ。ベートーヴェンなら、五番は30分、六番は45分かかるんだぜ。

 《かてぃん》聞くところによると、タナカさんは今、ユーチューヴ動画依存症を病んでいると耳にしましたが、どうなんですか? わが身を正直に振り返って(笑)。

 《タナカ》ご指摘の通りだね(笑)。でも僕の場合、依存症の自覚がある分、まだしも救いがあるかなと。それに僕がネットと繋がるのは職場に置いたデスクトップのパソコンだけで、自宅では書籍と新聞を読むことに専念しているわけでね。四六時中ユーチューヴばかり観ていたら、諸能力が駄目になるってわかっているつもりさ。事実、長い物、とくに長編小説を読もうとする気概が近年欠乏してきた。人には長い物を読め読めと忠告しているのにさ。でもね、深刻なのは、若い者……知識人の素質のある者。若いときに長編を読まないこと、これは決定的な損失だと強調しておきたい。若いときに長編を読んで感動した体験がなければ、生涯長編なんて読まないし読めないからさ。僕がまだしも楽観できるのは、若いころそれなりに長編を読んで感動した体験があるから、反省してパソコンやネットから離れ、長編小説を読もうとする動機も身構えも蘇らせることができるからだ。

 《かてぃん》やっぱり若いときに長いものを読む体験が大切なんですね。感受性の成長期でしょうから。楽器の演奏力の習得も似ていますね。身体で学ぶわけですよ。

 《タナカ》むろん年をとったって長い物を読むべきなんだよ。書くものもそう。つぶやきみたいな断片的な書きものはしないほうが賢明さ。

 《かてぃん》タナカさんのブログはたしかに長い。ブログの標準をかなり越えています。

 《タナカ》いや、こんなものを書いているうちは、おいらは駄目なんだって思っているね。達成感に程遠い。つまるところ自分をごまかしているに過ぎない。この程度の短文で何か書いている気になって、本来はもっと質量ともに重厚感あるものを書かねばと焦っている自分をごまかしている。情けないねぇ。

 《かてぃん》話を戻しましょうか。ニューヨークの街角ピアノについて。

 《タナカ》だから僕が言いたいのは、ノースリーブの女の子の所作に尽きるということですよ。どこかで気づけと。そんな玩具なんか手離して、全身で感じろ、虚心に耳を澄ませ、縦書きの文章を読め、縦書きで書けと。ストリートピアノについては、ピアノのそばでピアニストをじっと見て、全身を耳にして聴いてみろと僕は声を大にして訴えたい。

 《かてぃん》ストリートピアニストって、自分の右左が見えるだけで、前は見えないし、後方は背中で気配を感じるだけなんですけど、これがですね、どれだけの人たちがどれだけの集中力で自分の弾くピアノを聴いていてくれるかって、意外にわかるものなんです。ピアノの音が聴く者の心にどれくらい届いているかもわかるんですね。演奏って、聴衆とのセッションという側面もある。奏者と聴衆の共演とさえ言ってもいい。感動はそのはざまに生じる、僕はそう思う。

 《タナカ》そうか……そうだね。いや、最後にとても素晴らしい言葉を聞かせてもらったな。今さら、この年になって、なんでおいらはピアノが弾けないんだ? て思うよ。角野くん、今日はどうもありがとう。また他日。今後も頑張ってね。ときどきは日本のストリートピアノを予告なしで弾いてください。
 最後の最後に、マイケルジャクソンの名曲「世界を癒そう」に向けた、角野くんのメッセージを朗読して、けいちゃんからハラミちゃん、そしてかてぃんまで続いた、この連続対談を終了します。……あ、きみ、自分で読むかい?

 《かてぃん》いえいえ、恥ずかしいんで……。タナカさん、お願いします。

 《タナカ》わかりました。では……

 ――僕は音楽を通して何かメッセージを伝えようとはあまり思っていません。音楽は決して言葉に従属したものではなく、言葉にない価値を持っていると信じているからです。 不幸なニュースが続き、楽しいことは次々となくなる今日この頃、色んな方々がこの非常事態に頭を悩まされたり、苦しんでいることと思います。でも皆それぞれの立場で、明日を生きるために今を全力で生きています。誰かを責めたり責められたりするのを見るのはもう悲しいです。 一人一人の出来ることは少ないかもしれないけど、僕の出来ることは、音楽を皆さんに届け続けることだと思っています。何かを伝えたいわけではありません。家で大切な時間を過ごしながら、BGMにでも僕の動画を流してもらって少しでも何かの励みになれたら嬉しいです。 世界が早く良い方向に向かいますように!

                      2020年2月20日  かてぃん

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2024年08月30日

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 《かてぃん》前回、タナカさんが持ち出したエロスとタナトスという怪しげな用語……エロスは聞いたことはあるんですが、タナトスは初耳ですね。

 《タナカ》エロスは生の欲動、タナトスは死の欲動。もともとは、どちらもギリシア神話に登場する神の名前だね。

 《かてぃん》死のないところに生はないとか、死のないところに性はないとか、そのあたりをもう少し詳しく……

 《タナカ》話をわかりやすくするために、去年11月に、残念ながら亡くなったシンガーソングライターのKANさんの歌の詞を引こうか。「すべての悲しみにさよならするために」という歌なんだ。

  ♪ こわれるほど君を抱きしめたい
   すべての悲しみにさよならするために
  
   息ができないほど君を抱きしめたい
   すべての憂鬱とさよならするために

   声を許さぬほど君を抱きしめたい
   すべての憂鬱とさよならするために
 
 この歌詞で作者が言いたいのは、恋する相手を抱きしめるとき、やんわりと抱擁した程度では相手にある、あるいは両者にある、すべての悲しみや憂鬱からは解放されないということだね。まさに〈こわれる〉ほど、〈息ができない〉ほど、〈声を許さぬ〉ほど抱きしめないと(抱きしめられないと)だめなんだ。〈……ほど〉だから、抱擁から解き放たれれば、呼吸も発声も可能になるだろうが、一時的には死の領域に片足を入れないと、ご両人の恋は成就を見ない、恋による人間の解放はありえない、ということになる。

 《かてぃん》死んでしまうわけではないが、臨死状態に限りなく近づく? それも肉体的に?

 《タナカ》肉体と精神は切り離せないものだからね。相手の本心を知るには、ときに肉体で知るほかない。自分の本心も身体で伝えるしかない。とくに男女の性愛はそうだと思う。僕はもともと男女の肉体交渉については保守的な方で、今の、一般の性行動の軽々しさには憂慮し、その瀰漫については批判的なんだけど、それが本気の恋であったら、その気持ちに賭けるときは肉体を全面的に投げ出すほかないと思っているね。

 《かてぃん》あの、タナカさんって、どんなことにも、ドが何個ついてもおかしくないくらい真面目ですよね。今のお言葉にも凄まじい霊気を感じました。お顔が真摯すぎる。

 《タナカ》角野くん、あのさ、俺はいつだって真面目だよ。真面目すぎるほど真面目だと思う。どんなことにも、どんな問題にも、既成の通念や道徳を疑って、真理を探究しているつもりさ。

 《かてぃん》このブログだって、大真面目でしょ? 手を抜いていない。読者なんて、まったくいないに等しいのに。

 《タナカ》いやいや、全力投球まではしていない。7割投球くらい。

 《かてぃん》ストリートピアノで言えば、周りに誰もいない状況で、ガチで弾くようなものですよね。それでも誰かの魂には届くと思って疑わない。

 《タナカ》角野くんはちょいと告知すれば、観客が投げ銭を抱えてやってくるからいいよ。おいらなんか、どっちみち誰もいないところで、筆を振るうしかないからね。それでもやるかどうかでしょ。やる奴はやるのよ。どういう状況でも魂を燃やして歌い上げるんだよ。あるレベルの境地に達して何かを表現し尽くしたときって、誰かに評価されるされないは関係なくなるはず。

 《かてぃん》僕は中学・高校と私立の男子校で、大学も工学部だったから、女子と関わることがえらく少ない環境で思春期から20代を生きてきて、恋愛という主題には反射的に怖気づくところがある……そんな自覚がありまして。

 《タナカ》ああ、その点で僕は君と正反対。小学校から大学まで男女半々で来た。大学も文学部で、しかも女子が選びたがる国文。いつも気になる異性、好きな異性が身近にいたよね。

 《かてぃん》今、タナカさんは〈本気の恋〉と言われましたよね。それが僕にはぴんとこない。

 《タナカ》この対談が載るブログで再三登場してもらっている瀬戸内寂聴さんの言葉を借りているのさ。寂聴さんは青春の定義を「恋と革命」として、若者に〈本気の恋〉をしなさい、そうすれば世の中がわかる……と説法している。この引用を僕は何度もしてきたんじゃないかな。僕も年をとって、寂聴さんの述べるところがますますわかってきたわけだ。困ったことは〈本気の恋〉の定義がはっきりしない。〈世の中がわかる〉もどういうことなのか不明瞭。
 寂聴さんが可愛がっていた作家の平野啓一郎君の恋愛小説から、一節引こうか。「マチネの終りに」という作品から。

 『洋子は蒔野との愛に、かつて知らなかったほど淫らに耽溺したかった。リチャード(引用者注…洋子の婚約者)との関係には、金輪際、後戻りのしようがないほど徹底して彼(蒔野)の腕の中で崩れ落ちたかった。……彼女が無意識に縋りつこうとしていたのは、そうした秘密裏の残酷さだった。』

 名文だね。名シーン。洋子は「金輪際、後戻りのしようがないほど徹底して彼の腕の中で崩れ落ちるほど」の肉体交渉を果たしたいと胸中を吐露していて、そして、それは「秘密裏」にも「残酷」な行為だと示唆している。これって、さっきのKANさんの歌の歌詞とかなり近いでしょ。(心身が)こわれる、息ができない、発声も許されないくらいに抱かれないと洋子は困るんだな。

 《かてぃん》レスリングみたい(笑)。あるいは柔道の寝技。抑え込み一本!(笑)

 《タナカ》具体的な姿態については僕も勉強が足りないからね、あんまり具体的には言えないけどさ(笑)。たとえば、君が意中の異性とホテルの部屋に入り込んだとしよう。で、ダブルベッドの上に腰を下ろした相手が「あなたの好きにしていいわよ。その代わり……、する以上は、いい、めちゃくちゃにしてほしい。中途半端は厭よ。わたしの自尊心も虚栄心もぜんぶずたずたにしてしまうほど、残酷で、恥ずかしいことをしてほしい。いいわね?」と君に言ったら、これは〈本気の恋〉をする相手と出会えたと思っていいんじゃないか。ただ、このレベルの女性は20代にはめったにいない。30代以上にならないと。肉体美が斜陽に入った女性でないと、こうした破滅願望は望むべくもない。

 《かてぃん》詳しいっすね。

 《タナカ》任せろ。

 《かてぃん》要するに、これはサディズムとマゾヒズムが混交するなかに、両者の心身を解体させて融合させ、昇華するみたいな、そんなイメージですかね?

 《タナカ》言葉で言えば、その発せられた一語から偽善になってしまう。そうした真理が男女の性愛にはある。ピアノや音楽に話を戻すと、作品のどこかに破れ目のような破綻が欲しいってことになる。死の匂いのしない作品は所詮、二流以下だね。

 《かてぃん》芸術は破滅である。前にそんなことおっしゃっていましたよね。

 《タナカ》付け加えれば、芸術家は自爆テロリストだ。近年の例で言えば、典型的なのは尾崎豊。26才で自爆した、本物の、本気のシンガーソングライターだね。彼の歌には存在の奥の闇から吹き込む、痛切な哀感を僕は感じる。儲けようとか、当てようかといった打算がない。まさに裸の心。無防備過ぎるくらいに。

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2024年08月15日

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 《かてぃん》先日、30才まで一年を切った20代最後の誕生日に、日本武道館でワンマン・ライヴをやりまして……。おかげさまで成功裡に終わりました。

 《タナカ》売れてるねぇ。

 《かてぃん》前回、ハラミちゃんとの対談で、芸術家は売れると駄目になるって、タナカさん、話されていたじゃないですか。いよいよ僕も堕落と腐敗の一歩を踏み出したのかなと陰で身震いしていました(笑)。

 《タナカ》あんまり気にしないで。そういうこと言う輩って、たいてい売れていない自称芸術家で、ただ嫉妬しているだけだから(笑)。

 《かてぃん》よく引き合いに出される例として、絵描きのゴッホは生前一枚しか絵が売れなかった、という実例がありますよね。売れなかったからこそ、後に傑作と評される作品を量産できた……!?

 《タナカ》僕は大学でもらった学位……結局なんの役にも立たなかった国文学修士号……の最終審査の論文の研究対象が、宮澤賢治なのね。知っての通り、賢治は生前自費出版で童話集と詩集を一冊ずつ出しているんだけど、ほとんど売れなかった。当時、詩人の中原中也が激賞したという例外的な事実はあるんだけど。つまりは今や世界のゴッホも世界の賢治も生前は無名だったわけで、存命していたときには単に奇人変人だと周囲からはむしろ煙たがれる存在だった。これって、現存している浜松のタナカにもあてはまる予感がしてさ。没後、タナカは世界のタナカになる(笑)。

 《かてぃん》今はただの奇人変人だけど(笑)

 《タナカ》逆に、今は世界の角野でも、30年後には日本人なのに妙に鼻の高い、大学で数学を教える、ただの、変哲もない学者という給与所得者になっているかも(笑)。

 《かてぃん》顔の話はやめましょうよ。

 《タナカ》こりゃ失敬。でも、顔って正直だし、生まれ持った物とはいえ(生まれ持った物だからこそ)、それもまた表現の一面でしょ。角野くんはやっぱり西洋音楽が似合う顔しているもんな。天性の才能の一面だよ。映画「戦場のピアニスト」で主人公のピアニストを演じた俳優エイドリアン・ブロディの鼻にそっくり! そこいくと、後援会副会長をやらせてもらっているけいちゃんは平凡なアジア人の顔だな。やっている表現は時間的にも空間的にも全方位なのに。ついでに言いたいのは、菊池亮太くん。あの貧乏くさい帽子はやめたほうがいい。あれじゃ、グランドピアノの前に座ろうとするピアニストじゃなくて、休日昆虫採集に出かけるお父さんだよ。ござくんもそう。手を代え品を変えて顔を隠そうとしないほうがいい。決して美青年じゃないけど、隠さなきゃならないほどひどい顔じゃない。よみぃくんは、サングラスがチャーミングポイントになっていないしさ。井上陽水と比べると、その差がはっきりする。石井琢磨くんの茶髪は悪くないな。けいちゃんに言わせると、王子様がピアノを弾いている、ということになる。

 《かてぃん》よく見ていますね。さすが、ストリートピアノ評論家(笑)。

 《タナカ》角野くんとの対談のテキストに、NHKが企画制作した「街角ピアノ」の動画を挙げようと思うんだけどさ。撮影場所はニューヨークの空港? 鉄道? の通路なのかな。さすがアメリカだよね、広々とした通路に通行人が次々と流れているでしょ。そこにアップライトピアノが一台置いてあって、角野くんが何気にピアノの前にやってきて鍵盤に触れ、ポロンと音を発てる。あのとき着ていたシャツはNHKの指定かな?

 《かてぃん》いえいえ、自前の普段着ですよ。

 《タナカ》そうだよな。まさに普段の空港の通路だからね。そこでステージ衣装ってことはないわな。センスは悪くないと思ったよ。けいちゃんの、あの真っ黒な時代遅れの上下のユニホームってどうなの? そこで何の挨拶もなく、マイケル・ジャクソンの一曲を弾き始めるわけだ。かなり短縮して弾いたよね。周囲の雑然とした騒音や通行人に戸惑い、不安顔であっちにこっちに視線を投げながら、焦り気味で、弾くテンポがあくせくしていて速い。曲の終りも「こんな仕事、早く終わりてぇー」といった感じで投げ出し気味。もう一回演奏し直し、録り直ししたほうがよくないかとこっちは思ったほどだ。でもまた、そこが逆にストリートピアノっぽくていいのかとも思い直したけど。

 《かてぃん》やっぱり、そう見えちゃいますか。

 《タナカ》あの動画はさすがNHKで、まず音のバランスの良さを褒めないといけない。日常の周囲の雑音とピアノの音のミックス、これが絶妙だ。場所がニューヨークで、大規模テロの跡地が映し出されるのも、ただのストリートピアノの動画にはないテーマ性がはさみこまれる。あんなふうに犠牲者の名前が刻まれ、陽光をまばゆく反射させながら、水が流れる場所のあることを、恥ずかしながら動画を見るまで僕は知らなかった。そこへ名曲「世界を癒そう」のピアノが空間に漂うわけだ。演奏がうますぎなかったのは、逆に良かったと僕は思うね。

 《かてぃん》あのあと、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を持ってくるのは、演奏する僕としてはどうなんだろうと、ちょっと首を傾げましたけどね。ニューヨークのストリートピアノで、マイケルジャクソンの有名な「世界を癒そう」で、テロの跡地……、ここまではわかるにしても、そのあとが「主よ、人の望みの喜びよ」なのはどうかと。

 《タナカ》僕が面白いと思ったのは、ピアノの周囲の人たちの様子だね。まずさ、半分くらいの人がスマフォを取り出して、動画を撮りだすでしょ。これは世界的な現象。ニューヨークもおんなじなんだと落胆したね。日本人のほうがもっと徹底している。半分以上がスマフォを取り出す。今目の前で起こっていることに、自分の目や耳、その他の五感を封殺して精密機械の画面越しに対座する。耳はまだしもピアノの生音を直接捉えているだろうけど、目は間近にいるピアニストを直に見ていない。病気だと思うね。

 《かてぃん》浜松のタナカといえば、反スマホ派の党首ですからね。スマホに反旗を翻してからどれくらいになりますか。20年くらい頑張っていることになりますか。

 《タナカ》年々システムの枠外に追いやられている感じ。飲食店なんかでも、テーブルの上にQRコードが貼ってあるだけの店が珍しくなくなった。つまり、メニューがないんだよ。吉野家やすき屋みたいな全国区のチェーン店なら卓上に専用のタブレットが置かれるところを、小さな飲食店では客に自分のスマフォを使って注文しろと言うわけだ。

 《かてぃん》少しでも珍しいことがあると、すぐにスマホを取り出して、動画や画像を撮るというのは、万人(万人はさすがに言いすぎですね)の習慣になりつつあると言っていいでしょうか。それですぐに自身のXやインスタに載せるわけですよ。只人が今やいくつかのSNSのチャンネルを持っていて当たり前のご時世だから。

 《タナカ》そう。それでいつもせわしない。あくせくし、そわそわしている。歩道を歩いていても、横断歩道を歩いていても、階段を下りていても、ネットと繋がっている。そうしないといられない。

 《かてぃん》機材本体の購入と通信料に安くない費用をかけているから、元を取らないといけない強迫観念に脅えている。原爆でも原発でも戦闘用ミサイルでもドローンでも、作ったものは使わないわけにはいかない。

 《タナカ》ストリートピアノに話を戻すと、買い物帰りの途上で、間近にピアニストの姿と手の動きを見られて、ピアノの生音に触れることができる、それがストリートピアノの特長であり、また本質なのね。さらにその出会いは偶然に起こるもので、まさに一期一会でしょ。僕が好む慣用句で言えば、聖なる一回性なわけだ。その聖なる一回性が見る者聴く者を存在の根柢から変えてしまうこともある。そう考えて止まない者には、自身の五感への信頼があるわけね。動画や画像の保存機能だって、われわれの脳にはしっかりあるじゃないか。精進して、それらの機能を使わないと衰える一方だ。

 《かてぃ》そうした一回性を信じて、ピアニストもまた鍵盤に向かうと。たしかに、それ以外に奏者と聞き手を繋ぐ糸はない。

 《タナカ》そんなことをはなから考えてもいない、信じてもいないのがスマフォ依存症の輩たちだね。自身の感受性も、音楽の聖なる霊力も、音楽で結びつく連帯への意思もなにもかも信じないで、聖なる楽器のビアノの前でも情報処理にせわしない新種の俗物たち。もっと言ってやってもいい。彼らは自分という存在がそう遠くない先に消えてなくなることを知らないんだな。自身の死についてまともに考えたことがない。

 《かてぃん》そこまで言います? 若い人たちにそれを突きつけるのは無理がある気もしますけど。

 《タナカ》いやいや、芸術の感動って、生きてあることの感動でしょ? 死のないところに生はないんだよ。ついでに言っておけば、死のないところに「性」はないね。性欲ってのは生きようとする本能さ。その先には避けられない死がある。エロスとタナトスはくっついて離れない。




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2024年07月29日

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 《ハラミ》横浜のストリートピアノで、広瀬香美さんと共演させてもらったとき、広瀬さんは「ピアノの周りに誰も集まって来なきゃいいのに」と事前におっしゃっていて、え、どういうことなんだろうと私はびっくりしたんです。無視される自分を体感したい! そうしたら、私、成長すると思う……とか、おっしゃるし。ニュートラルになりたい、とかね。実際、告知も何もないですから、それはありうるわけです。

 《タナカ》僕なんか、18年、ブログ「ゼミ長タナカのファイト一筆!」を続けてきて、18年間無視され続けていますけどね(笑)。それで、どうやってファイトを呼び起こし続けてきたのか、不思議極まる。

 《ハラミ》都庁のピアノの周りには、平日でもお客さんはいます。外国人の観光客が多い。閑散として誰もいないということはありません。でも、場所によっては、誰もいない、あるいは誰も通行の歩みを止めないで通り過ぎるだけ、というところはありますね。

 《タナカ》JR浜松駅を北に抜けて少し歩くと、遠州鉄道という会社が経営している新浜松駅があって、そのすぐ近くにアップライトのピアノが一台置いてあるんですよ。ほとんど誰も弾いていないですね。あれは場所が悪い。

 《ハラミ》じゃあ、伺いますが、タナカさんは何をバネにしてブログを永年に渡って綴り続けているんですか?

 《タナカ》意地ですかね(笑)。いやいや、それは冗談で。……ま、内側からくる衝動だけでしょ。外側からは何も働きかけがないわけですから。内的促しがすべてです。だから、書きたいことだけを書くわけですよね。読む者におもねらない。おもねるにもおもねりたい読者がいないわけだけど。ストリートピアニストだって、その精神が本来であるべきだよね。

 《ハラミ》集まっている人たちの年齢層なんか気にして、受ける曲を選んだりとか……

 《タナカ》頑張ってストリートピアノで食おうとしているピアニストはユーチューヴ動画をやっているから、再生回数を増やすために、人気曲をカバーしたがるよね。カバーだって、オリジナルだって、それが自分の内側から湧き上がる要求だったらいいんだけど……

 《ハラミ》けいちゃんみたいにオリジナルをどんどん発表して、オリジナルをストリートピアノで演奏することがピアノの周囲に集まった人たちの要望にも合致したら、理想的なわけですか。

 《タナカ》実際、ユーチューヴ動画を探っていると、けいちゃんが出かけた先で(もちろん告知なんかなく)、けいちゃんのオリジナル曲を弾いている見知らぬ客人に出会う動画があるんだね。これはユーチューバー兼ストリートピアニストにとって、感涙の出会いですよ。

 《ハラミ》広瀬さんのストリートピアノ初出演の動機って、今ではハラミにも少しわかる気もします。少し売れると、自分の現像とは明らかに違った虚像が独り歩きする現象が起こる。その現象に引っ張られて、虚像に自分のほうが擦り寄る。で、あるとき、私、何やってるんだろうか、と虚脱する。

 《タナカ》一度それをニュートラルに戻したいんだ。僕なんかその点、さすがに孤高に疲れて、援軍を招く愚行に一歩踏み出した。けいちゃん、ハラミちゃんといった有名人とのセッションの企て、これって下心のなせるわざ(笑)。じつは次のゲストも決まっていて、なんと、世界のハヤト・スミノがやってきますよ(笑)。

 《ハラミ》武道館単独ライヴ直後に、とうとう世界のかてぃんがやってくると(笑)。三人ともノーギャラで、ボランティアで(笑)。でも、結局、お互い様って感じもしますよね。私も広瀬香美さんに助けられたわけだし。活動開始して8ヵ月で降って湧いたチャンスをいただいたんですよ。

 《タナカ》広瀬さんはハラミちゃんというどこの馬の骨ともわからない無名人に援助の手を差し伸べた、……というより(そうした無償の社会貢献もあろうけれど)、それより自分を新しい場所で試したかった、その絶好のチャンスを見つけた、そう思うな。あとはストリートピアノという以前はなかった「磁場」に、裸の、虚飾なき自分という歌手を自分の脚だけで立たせたかった。

 《ハラミ》ほんとうに誰も来なかったらどうだったんだろう。実際は、そこそこ来てもらって、なんとか目鼻はついたわけなんですけど。

 《タナカ》腹のなかでは二度とやるもんか、と思っているかもね(笑)。一刻の迷いが生じただけだと。

 《ハラミ》やっぱり人間って、一度築いた自尊心って、崩せないものでしょうか。

 《タナカ》三年くらい前だったか、名古屋を拠点に活動しているストリートドラマーのリエイさんと、ハラミくんは豊橋駅の構内で共演しましたよね。翌日、名古屋で公演があるついでに立ち寄ったという都合はあったわけだけど、ハラミくんは恩返しの意味も込めていただろうし、同じストリート系のミュージシャンを支援したいという素朴な気持ちもあっただろうし。僕はね、あれ、感動するんですよ。何に僕は感動するのか、自分でも説明できないけどね。ハラミくんの前に葉加瀬太郎さんがリエイさんに支援の手を差し伸べていますよね。あのセッションが成立したいきさつは知らないけど、あれ観て感動しちゃうんですよね、僕は。今あるショービジネスの横道に、細い路地にああいう音の世界があるってことに、音楽って何だろうかという答えの一端がある気がする。また、リエイさんがここ一番というところで、普段叩いているドラムス演奏の130%の、つまり実力以上の演奏をしちゃうんだよね。あれがまたすごい。いまハラミくんが言った自尊心(リエさん、葉加瀬さん双方にあるこだわり)なんて狭苦しい雑念は、あの二人のあいだに成り立った共演の迫力の前に吹っ飛んでるよ。それこそがまさに音楽の力であり、真の姿だと思う。場所や設定が奇跡を起こす。その奇跡を僕たちは聴きたいし、観たいし、その場に立ったままで居合わせたいんだな。




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2024年07月16日

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 《タナカ》人と話すとき、それも初対面の人と話すとき、僕が心がけているのは、相手のお名前を呼んで話すことです。今回、ハラミちゃんと初めて対談させてもらうわけですが、なんてお呼びすればよろしいのでしょうか。初対面の御婦人に対して、ちゃん付けというのはいかがなものかと。

 《ハラミ》ハラミちゃんで大丈夫です。それより、初対面の御婦人というのは、少し失礼に感じましたけど。御婦人って、つまり、おばさんですよね。
 
 《タナカ》え、では、な、なんと……? レディとか? お嬢さんっていうのは、いくらなんでも不適切ですよね。妙齢の御令嬢ならいいか。そもそもですね、ハラミちゃんが年齢非公表なのが、語弊の原因になっている。

 《ハラミ》私はこれでも芸能人ですし、女性でもあるから、年齢非公表は不自然ではありません。タナカさんだって、年齢は非公表じゃないですか。

 《タナカ》ま、お互い、商売上不利になりますからね。僕の場合、商売だけじゃなくって、自分がそんな高齢になったことに疑義を感じているのが大きな理由ですね。

 《ハラミ》疑義? 年齢は極めて客観的に認識できるものでしょう。時間は万人に公平のはずです。

 《タナカ》あと20年も経てば、ハラミちゃんも今の僕の気持ちがわかりますよ。そのとき、僕はこの世にいないけど。

 《ハラミ》…………

 《タナカ》正直に言うと僕ね、さっき御婦人って言ったの、故意なんですよ。もしかしたらハラミちゃんが「むかっ」「いらっ」ときて、不快感を顔に表すんじゃないかと。ハラミちゃんのむかついた御顔なんてまさに稀少であって、めったに拝見できませんから。それを直に僕は独占したかった。小学生でさ、好意のある女子にわざといじわるしたり、困らせたりして関心を引こうとする下衆な男子っているじゃないですか。あれだね、僕は。

 《ハラミ》そんな遠回しな告白をされたって、そんなことで女心が響くことなんてありえないわ。小学生の女子だって、成人した淑女だって。タナカさんとけいちゃんの対談、読ませていただきましたけど、それなりに真面目な音楽論を交わしていたのに、なんで私だとこんなのろけ話になるんですか。

 《タナカ》故意に偽悪に走って、相手の関心を引こうとする、まさに下衆な、下劣に歪んだ心理。投手は直球だけでは相手を封じ込めない。打者の目を欺く変化球も時折織り交ぜないと。

 《ハラミ》……よくわかりません、おっしゃる意味が。

 《タナカ》ま、そんな生産性のない余談はこんなところにしましょう。僕の好感度が下がっただけだった(笑)。

 《ハラミ》…………

 《タナカ》では、音楽の話を。まず話の元にするために、僕が観たハラミちゃんのユーチューブ動画のなかで感動した動画を挙げましょうか。これはハラミちゃんのストリートピアノ動画に特有なもので、ボーカリストがサプライズで飛び入り出演するやつです。広瀬香美さん、小林幸子さん、劇団四季の役者さんが出演されていますが、中でも一番良かったのがAIさんとの共演でしたね。AIさんってサブネに出てたから、僕はてっきりアントニオ猪木さんが飛び入り出演するのかと思いましたよ。病身を押して。登場したら、元気ですか〜?! と叫んで、1・2・3…、ダァー!

 《ハラミ》…………

 《タナカ》そしたら髪の長い女性が出てきた。あれは三部作で、ずいぶんしつこくやりましたよね。場所はショッピングモールの広い空間。僕はこの三部作はストリートピアノ動画史上、歴史的な名作であると言いたい。と思うのは、ピアノの生音とボーカルの生声との共演がよかったから。映像、画像、音質、さまざまな面でうまく動画になっていて。それなりの人数のスタッフがカメラを回し、マイクで音を拾っていたんでしょうね。バランスよくミキシングされています。もちろんマイクなしでも会場内に響く声量が歌手のAIさんにあったことも大きい。

 《ハラミ》ピアノとマイクなしのボーカルのセッション動画は、たしかに少ないですね。野外だとボーカルが負けちゃいます。あのAIさんとの共演は野外ではないですが、だだっ広い空間で、天井は吹き抜け。ピアノはもともと音が大きいし、指に圧をかけて弾けば、音はかなり広範囲に拡がります。けど、ボーカルはピアノに比べてしんどいですね。でも、集まった聴衆は耳をそばだてて、AIさんの生の歌声を聞き取ろうとするでしょ。声って、大きい小さいのレベルじゃない質感で相手に伝わる面があると思うんです。

 《タナカ》電気を介在させた拡声が、その質感をダメにするんだな。といって、野外や広い空間で演奏や歌唱をする場合、マイクを使わなければ伝達できないからね。その点、アコースティックなピアノの場合はもともと音が大きいから、ストリートミュージックに適していますよ。サックスなんかの管楽器もアンプは要らないでしょ。バイオリンやチェロなんかの弦楽器もアンプなしでもいけるんじゃないかな。ハラミちゃんは、ワンマンコンサートでも生ピアノで通すって聞きましたが……

 《ハラミ》よっぽど広いホールだと別ですけどね。なるべく生音でやりたい。喋るときはもちろんマイクを使います。タナカさんが御贔屓のけいちゃんは、わたしのピアノの音から声が聴こえると言ってくれましたけど、それは生音でないと聴きとることは困難……

 《タナカ》その評価は、ピアニストを褒める最大級の褒め言葉ですよ。なかなか、あいつも抜け目がないな(笑)。

 《ハラミ》ピアニストを泣かす殺し文句ですか(笑)。

 《タナカ》なんか、下心の匂いがするぞ(笑)。

 《ハラミ》それはない、ない、ない(笑)。

 《タナカ》それはともかくとして、なるほど、ピアノはアンプなしで聴かせたいところですね。アンプなしか難しいのはボーカルとアコースティックギターですか。AIさんはよくぞマイクなしでの出演を快諾しましたよね。山下達郎さんはライヴで一曲マイクなしで歌うと耳にしました。だから、武道館とかアリーナとかドームみたいな大きい会場ではやらないらしい。あくまで自分の生の熱唱が一番奥の端の客席まで届けられる会場を選択していると聞きます。

 《ハラミ》ご存知だと思いますが、わたしはストリートピアノから演奏家生活を始めました。都庁のピアノを弾いたのが最初です。2019年6月からだから、5年になります。その原点を5年経った今も大切にしたいんですね。ホールでの公演は前売りチケットがあって、指定された座席があって、照明があって、入口でペンライトが配られて、オリジナルグッズの特別販売があって、何十人ものスタッフの後押しででき上がっているでしょ。その華やかさに包まれて恍惚感を全身で感じることも多いけど、わたしを待つわけでもない、立ったままの通行人を横目で見ながら、独りぼっちでピアノの前に座って、演奏後にもらえるかどうかもわからない拍手を待ちながら、自分にとってどうしても今弾きたい曲を弾こうとする、そんな緊張した自分に立ち返りたいと思うことがあるんです。

 《タナカ》僕は2019年の6月から9月くらいまでの動画が好きなんですよ。いまの売れてしまったハラミくんとはまったく違うハラミくんがあそこにいるんだよね。順番が回ってきて、ピアノの前に座る。都庁のピアノです。右肩にはいったい何が入っているんだろうかと思わせる大きなバックの紐がかかっている。まさに買い物のついでに立ち寄ったみたい。演奏中も緊張しているのがわかるし、演奏直後はもっと緊張して周辺の通行人からの反響を待つでしょ。お辞儀もそこそこに、追われる者のごとくそそくさとピアノから離れる。ハラミくんは身長が高いこともあって、その逃げ方が背中を折るように猫背になって、前髪をかき分けるふりをして顔を少し隠すんだよな。

 《ハラミ》よく観ていますね。怖いくらい……。

 《タナカ》今の売れてしまったハラミちゃんに、僕は興味がないんです。興味を持ちうるとしたら、新作のオリジナル曲を弾くか、カバーでも原曲を大胆にアレンジして弾くかのハラミちゃんかな。

 《ハラミ》オリジナル曲のMVも出していますけど。

 《タナカ》もちろん知っているし、聴いてもいるよ。きれいだし、美しいし、曲もそれに合わせてきれいで美しい。あれは専門の業者さんが幾社も入っているでしょ。美容師さんや衣装係も含めて。よい意味でのアマチュア精神がなくて、僕は不満なんだ。その点、けいちゃんのオリジナル曲によるオリジナル動画はアマチュアっぽい良さがある。けいちゃん自身が編集・制作しているらしいんだけど、その分、曲も内容もアマチュアらしいガサツさがあってさ。手作業の模索の跡が見える。

 《ハラミ》彼の創作する映像のレギュラーキャストは、月と雨。彼の着ている真っ黒な制服に似せて、闇と影も好きみたい。性格からすると、そんなに暗い面はぜんぜん見せないのになぁ(笑)。

 《タナカ》MVに付けた題名が「人間失格」「浄土」とか(笑)。

 《ハラミ》「パスピエ」というMVは学校の女子内のいじめの話ですよね。

 《タナカ》白衣の王子様ならぬ、黒一色の天使がやってきて、いじめを解決するストーリー展開ね。あれはいただけない。欲を出してストーリー性を追究して、凡庸な勧善懲悪みたいな落ちにハマった感じ。相談してくれれば、俺がアイデアだしたのに(笑)。背景に流れる音楽はじつにいいんだけどね。あのへんの失敗がけいちゃんの今後の課題だと僕は見ているんだ。もっとも未体験の分野に挑戦していることは大いに評価したい。

 《ハラミ》わたしにはできない挑戦ですね。そんなふうに頭が回らないなぁ。

 《タナカ》未知の領域に足を踏み出すって、だいじなことだと思う。どの芸術部門でも売れるとだめになるという法則があるんだな。売れるとその成功体験に囚われて、予定された調和に合わせようとする。ハラミくんでもけいちゃんでも最初にストリートピアノの前に座ったとき、予定された調和なんてこれっぽっちもなかったはず。最初の一音や一フレーズの緊張感たるや、すごいものがあったでしょう。その怖ろしさ、それが今ではほとんどない。ビジネス上の潤沢な流れも目に見えて、まぁこれでいいか……と認められた気になって慢心する。収益を以て、男なら高級腕時計、女なら高級装飾品なんか身につけたら、そこから芸術家の堕落が始まるというわけさ。

 《ハラミ》誰も待っていない、拍手も保証されない、ましてサインも写真撮影も握手も求められない条件下で、ふらっと出かけてピアノを弾きたいという思いがありました。それがフランスやイギリスのストリートピアノを弾きに出かける理由の一つになっていたと思う。

 《タナカ》音楽って何か、芸術って何かということですよ。感動が欲しいわけ。感動がわからなくなるときがあるんだね。掌に収まる程度の感動、それがどうしても欲しくなる。感動こそ価値でしょ。色鮮やかに点滅するペンライトが波立つ武道館で一万数千人の歓声や拍手に包まれるより、閑散とした街角で弾いたピアノの生音で、ほんの数人の通行人の心を揺り動かした手ごたえのほうが感動として響くこともある。「戦場のピアニスト」という映画があってね。20数年前の映画だけど。ユダヤ人大虐殺という極限状況下、敵兵であるドイツ人の幹部兵の心を、逃亡者のポーランド人が弾くショパンのバラードが動かす。それでピアニストは生き延びた。史実に則って作られた映画なんだ。ストリートピアノの仲間でもある角野隼人くんはこの映画から「形容できないほどの衝撃を受けた」と述懐していてね。虐殺も空襲も地雷もない日本であっても、ストリートピアノとの偶然の出会いが人の心を慰める、救う、変えるわけですよ。一期一会です。チケットも予約も現金もクレジットカードもない、ふらっと出向いた街角で弾く一曲、通りすがりに耳にする一曲……電気を介さないピアノの生の音が、音楽への畏怖畏敬の念、いま生きている意味と感触を取り戻してくれる、それがストリートピアノです。


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2024年07月08日

8063c656ec98b6cd3ce63b7b2f8a2e50 最近、DVDをつたやで借りて観賞した作品。以下……

 「花腐し」。浜松有楽街にあるシネマイーラでポスターを見かけたとき、久々に劇場で映画を観ようという気になった。ユーチューヴで予告編を観て、やめにした。半年も経たずにDVDになり、つたやで見かけて、新作料金で鑑賞。思った通り、B級、いやD級ポルノ映画だった。

 「フェリーニの甘い生活」。ご存知、フェリーニ監督の作品。その昔、観た記憶があったが、どんな作品だったか覚えていない。たまたま背文字を見かけて借りてしまった。観賞すること30分、早々に鑑賞をやめた。おいらにはこんなものを観ている暇はない。

 「ローズ」。この映画をいったいいつ観たのか、思い出せない。一番最初は劇場で観たのはたしかだ。1980年あたりか。となると、45年前。素晴らしい作品だった。ベッド・ミドラー演じる、歌手ローズが生きていた。薬物と酒にからだを蝕められながらも、生きようと足掻く息吹が伝わってくる。最後(最期)の野外会場での熱唱、「スティ・ウイズ・ミー・ベイビー」には泣かされた。

 「レイ」。浜松の学習塾の殿堂タナカゼミを立ち上げる前後だと記憶するから、25年前である。当時のヴァージン・シネマ、現在のトーホー・シネマで観たのだった。レイ・チャールズの幼きとき、誤って弟が水死する。その記憶に苦しめられながら、かつ全盲にして黒人という困難を乗り越えて、天性の才能を開花させるレイ。胸が震えた。四半世紀前の感動が蘇った。

 「ソフィーの選択」。とうとう観てしまったか、という感慨。二回目の鑑賞であることはほぼ間違いない。一回目がいつ、どこでかを思い出せない。劇場で観たのだと思う。いつだったかがどうしてもわからない。やはり怖ろしい映画だった。ナチスによるユダヤ人のホロコーストを描いた映画作品は数多い。スティルバーグ監督の「シンドラーのリスト」、ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」は共に名作である。だが、おいらは「ソフィーの選択」の怖ろしさが長年にわたって心に残る。おいらはこの機に、図書館で原作を借りて読みだした。上下二巻の長編小説である。著者は本作の執筆に十数年の年月をかけている。映画を大きく上回る作品世界が展開される。現在、下巻の初めを読書中。

 「関心領域」。スティーブン・スピルバーグは、この新作について以下のように述べている。
 《「関心領域」は、自分の「シンドラーのリスト」以来、最高のホロコースト映画だ。この映画は、特に凡庸な悪についての認識を高める上で、多くの良い仕事をしている》
 褒め過ぎだとおいらは思った。観賞者の想像力に委ねすぎている。はっきり言って、失敗作。それでも、最後、アウシュヴィッツの資料館で職員たちが、厖大な靴や松葉づえや義足が展示されている箱のガラスを雑巾で拭き、廊下を掃除機で清掃するシーンは面白い。どえらい悲惨さを物語る証拠品の前にあっても、清掃員たちは感情を一個も動かさず黙々と作業を続けている。彼らにとっては契約された日常の業務でしかない。その淡々としたところが制作者の観る者に伝えたい怖ろしさなのだろう。
 ひさしぶりの劇場での映画観賞だった。シネマイーラ。入場料2,000円。ひどい雨降りで、しかも平日の午後、たぶん劇場内はがらがらだろうと予想していたら、案外客が入っていた。エレベータでビルの3階に行こうとして、70代くらいの御婦人といっしょになった。「この映画、怖いんだそうですね」と話しかけられた。「らしいですよ」と返事をしたら、「わたし、やっぱり観るの、やめようかしら」とほんとに引き返そうとしたので、べつにおいらが引き止める義理もないのに、「いやいや、そんなそんな、そこまでは怖くはないですよ。大丈夫ですって」と、なぜか説得した。そのとおり、べつに怖くはない。この作品を観て、怖くてからだも心も震えたら、逆にすごいはずだ。もしかしたら、それほどには震えなかったおいらには、映画鑑賞能力が欠如しているのかもしれなかった。


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2024年06月24日

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 《タナカ》この数ヵ月、毎日聴いている楽曲があって、その一曲が「Everything」。この曲についてはこのブログで以前感想を述べたのね。思いのほかこの曲に心を奪われつづけていて、我ながら意外なんだけど。といって困ることは別にないんだな。でもこれだけ長期間(数ヵ月)毎日、それも一日一回じゃなくて、複数回、演者の違うものを聴く状態が続いているというのは尋常じゃないと思うわけだ。

 《けいちゃん》僕もこの曲は好きですね。僕の動画でも3つは上げています。ピアノを弾くときは自ずと魂が籠っちゃう。それだけ演奏者を惹きつける曲です。弾くたびに考えさせられますね。

 《タナカ》考えさせられるって、何を?

 《けいちゃん》自分でもはっきりはわかりません。考えさせられるというより、一つ一つの音やそのつながりに全神経が自ずと集中させられてしまうというか。この曲の魂、魅力というのか、命かな、演奏者を惹きつける正体は一体何なのか……ということですかね。

 《タナカ》弾いているとき、とくにバラード系のゆったりとした曲を弾くとき、けいちゃんは天井(天上?……笑)を癖みたいにぼんやり見るでしょ? それをするときはうまく曲の世界に入り込んでいるときかな。

 《けいちゃん》音の粒を見るんですね。ピアノの弦から発せられた音が空を舞っていくでしょ。それを追っている。そうしていると、次に鳴らす音が自分の内側から湧き上がってくる。僕は原曲をはみ出す即興が得意だし、持ち味だし、それをやらないと飽きちゃうし、内側から促される霊感をいつも意識しているところがあるんですね。

 《タナカ》自分が弾く楽曲やそれを弾く自分の才能に酔いしれているわけじゃないんだ?

 《けいちゃん》酔いしれてはいないですね(笑)。もっともっとこの曲をうまく弾くために、この曲の内側に入っていこうとしているという感じかな。優れた曲であればあるほど、自分で意識しなくても、もっとうまく弾きたい願望が出てくるんですよ。その点でも、この「Everything」は惹きつけられる曲ですね。いやほんと、泣きそうになりますよ。

 《タナカ》僕はさ、この半年くらいかな、ユーチューヴ動画でストリートミュージシャンの動画をあれもこれもと観ているんだけど、ピアノであれ、ほかの楽器であれ、演奏者が演奏中に感極まって涙を見せる動画は見たことがないね。側で聴いている人が泣き出す動画は珍しくないけど。

 《けいちゃん》タナカさんも昔は演奏者だったんですよね。歌っているときとか、ギターを弾いているときに感極まることってなかったですか。

 《タナカ》胸が熱くなることはあっただろうけど、涙までは出なかったな。間違えないように歌ったり弾いたりで、そこまで気持ちが解放されていないよね。
 
 《タナカ》「Everything」はいくつものカバー動画を漁って観ていて、実際カバーがこれでもかこれでもかってあって……。ピアノのソロもあれば、ドラムス・ベース・ギター・キーボードをそろえたバンドをバックに歌うものもあるし、5人くらいで歌うアカペラもあれば、ギターのソロもあるし、多種多彩極まっている。インストじゃなくてボーカルの入ったものもいいんですよ。歌詞も悪くない。

 《けいちゃん》不満なのは英語でしたね。サビを英語で歌うなよ! 題名も英語はやめてくれ!

 《タナカ》あの歌、いっそぜんぶ英語にしたらどうかと思うね。そしたら世界的にヒットする気がする。少なくとも「All by myself」は凌ぐよ。後世まで歌い継がれる。

 《けいちゃん》そう。何度聴いても飽きない。それはピアニストとして証明します。まずめんどくさいほどおしゃれなコードが使われています。弾くほうはたいへんだけど、新鮮な和音の感触に飽きがこない。

 《タナカ》おいら、ネットでこの曲のコードを調べて、ギターを鳴らしてみようと試みたけど、難しいコードの連続で早々に諦めたから(笑)。「タイタニック」の主題歌と段違い。逆に言うと、あの単純な4つのコードで、世界的な名曲にしてヒット作をよくぞ作れたなと首を傾げちゃう。シンプル・伊豆・ベスト、これなんだろうね。

 《けいちゃん》おしゃれなコードの続きは、コードとコードのつなぎの音が難しい。だから、この曲は演奏者によって力量がわかりやすく出やすいですね。

 《タナカ》この際だから正式表明しておきましょう。けいちゃんのピアノ・ソロのベスト3。1位は「Everything」で、新潟県のどこかのホテルだよね、ウエイターの格好してサプライズを目論んだけど、いとも簡単にバレて、弾いたやつね。あれが最上の名演奏。前奏・間奏・後奏にけいちゃんらしいアドリブで「月の光」をはさんだのも悪くなかった。あえて注文を付けるとすれば、3サビの前の転調を原曲を踏襲して大掛かりにやってほしかった。あそこはやっぱりさ、あの曲の一番の泣かせどころだから。2位は前回述べた横浜国際映画祭の「タイタニック」の主題歌の演奏。3位は「白日」。けいちゃんは「白日」がずいぶんお好きなようで、何回も動画にしていますな。なかでも、とある高校の体育館で転入生の振りをして、自己紹介代わりに弾いたピアノがよかった。間奏のアドリブは泣ける。あれは天性の感受性の証明だと言いたい。

 《けいちゃん》ありがとうございます。身に余るお褒めの御言葉、それこそ涙が出そうです(笑)。聴いてくれた高校生のなかで、何人の心を揺さぶることができるか。単にうまいとかじゃなくて、聴く者を打ちのめす霊感が伝えられるかどうか、そんなことを思います。

 《タナカ》このベスト3は3つとも会場が設定された公式行事のなかの一つの出し物でしょ。ついでに舞台裏をいえば、演奏者にはギャラが支払われている。これって無視できない条件と言っていいんじゃない? 一般の趣味人と同等に並んで順番を待って、決められた時間内に弾かねばならないストリートピアノ(とくに都庁のピアノ)と、そこが違う。行事の主催者からの依頼で足を運んで現地まで出向き、ギャラをもらったプロが、費用対効果を意識して全力で弾くわけですよ。少なくとも僕が選んだこの3つの仕事に関しては、けいちゃんはみごとに期待に応えた仕事をしたといえる。おそらくそうした意識があの見事なアドリブを生み出したのでしょう。「Everything」のあの力を抜くところ、ほんと痺れるんだなぁ。あの力の抜き加減は意外と真似できないと思うよ。期待に応えて懸命に弾くことばかり頭にあると、どうしても強く鍵盤をたたくことばかりに走りがちでしょ。こんなところでけいちゃんがこの曲にいかに惚れているか、おいらにはわかるんだなぁ。

 《けいちゃん》そうかもしれないです。惚れてもいない曲だと演奏が器械的で合理的で、ミスをしないことばかりを意識しがちです。タナカさんがよく使う言葉でいえば、歌心があるかないか。

 《タナカ》僕はピアノって、まったく弾けないのね。この半年くらいストリートピアノばかりユーチューヴ動画で聴いてきて、ピアノっていいなぁとしみじみ思わせてもらいました。この5年か6年で、幸いなことに全国各地にストリートピアノが置かれることになって、そこで一級のピアニストがピアノを鳴らし、ピアノの人気はぐっと高まったと思う。電気を介さない、大昔からあるピアノの音色が街中で響いている。不幸にしておいら、まだストリートピアノって生音を聴いたことがなくてさ。音楽の街、浜松に住んでいるというのに……。

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2024年06月06日

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 《タナカ》1997年発表の映画『タイタニック』の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」って、世界的に知られた歌だし、名作だよね。ユ―チューヴでもカバーが、これでもかこれでもかって、ぞろりと並んでる。僕は音大出のけいちゃんと違って、音楽の知識はギターのコードを20個くらい知っている程度の素人でね。これはいいと思うとその曲のコード進行を調べて、ギターを鳴らしてみるのが永年の習慣。で、驚くのはあの名作のコードって、えらく簡単じゃない? 変哲もない初心者向けコードが4つ出てくるだけでしょ。原曲だとEとBとAとC#m。コーラスが3つあって、3つ目の大サビで大袈裟に転調する(2音アップ)。これだってありふれた技術に過ぎない。
 
 《けいちゃん》あの転調でしょうね、あの作品の肝は。

 《タナカ》1979年に発表された映画に『ローズ』という作品があってね。その主題歌と似ている。『ローズ』の場合はEのキーでいうとEとBとAとC#mにG#mが加わって、コードが5つ。やっぱり変哲のない初心者向けコードだし、ありきたりなコード進行なんだ。3コーラス目の転調はなくて、ハーモニーがワンコーラスごとに加わっていく盛り上げ方。この歌は合唱曲としてよく採用されている。高校の合唱コンクールあたりでも歌われているのかな? じつは知らないんだけど。この歌も『タイタニック』と同様、史実が基盤になっていてね。ジャニス・ジョップリンというロック・シンガーがモデルで、その役を同じくロック・シンガーのベッド・ミドラーが演じている。いやしくもポップスをやろうとしているミュージシャンには一度は観てほしい映画だな。ジャニス・ジョプリンは1970年に薬物中毒が原因で(酒と煙草も加えて)27才で死去している。27才! だぜ。おまけに言えば、尾崎豊は26才で旅立っている。酒と薬物が直接の死因。けいちゃんはその点では大丈夫だよな。僕といっしょで下戸だから(笑)。

 《けいちゃん》薬物にはくれぐれも手を出さないようにしましょう(笑)。

 《タナカ》『タイタニック』の場合、映画のエンディング、黒画面の中抜き白の文字のクレジットがスクロールしながら、主題歌がフル・ボーカルで流れていくね。

 《けいちゃん》超を5つくらい付けても足りないくらいの大作ですから、クレジットは延々長々と続きます。

 《タナカ》全篇194分ですよ、なんたって。

 《けいちゃん》長っ。

 《タナカ》あれをボーカルなしのインストで聴いても泣けちゃうのは、映画を観たあとの鑑賞だからかな? つまり、映画を観ていない人はあの歌をどう聴いて受け止めるのか、そんなことをずっと考えていてさ。僕があの映画を劇場で一人観たのは封切後のロードショーで、浜松の映画館、たぶん日曜だったと思う。というのは、27年前のことだから、僕がまだサラリーマンをあくせくやっていたときだから、休日しか行けないはずなんだ。客も結構入っていたしね。

 《けいちゃん》ええ、じゃ、僕が生まれた年に劇場公開されたわけですか。え、そんな昔の作品だったんだ。

 《タナカ》僕はね、あのとき主題歌にはあんまり印象がなかった。もちろん映画は最後の最後まで観たよ。エンドロールで席を立つ客がいるけど、あれはいけない、映画を作った人たちに対して失礼だよ。やっちゃいけない。僕が主題歌に印象が欠けていたのは、歌が流れているあいだ、人目もはばからず、大泣きしていたからさ。 

 《けいちゃん》大泣きですか。

 《タナカ》あの映画を劇場で観て、泣かない客がいたら、僕は逆にすごいと思うね。

 《けいちゃん》それって、皮肉ですか(笑)。

 《タナカ》でね、僕は先日27年ぶりに映画をツタヤでDVD借りて、自分の職場で一人観たんだよ。最初に言わねばならないことは、おいらが194分、全篇席を立たずに観たこと。次に言うべきは、やっぱり大泣きしたこと。ついでに言えば、そのあと、気になった箇所を何度も視直して、台詞や写っている脇役、大道具、小道具を微細に点検して、執拗にこの作品について分析・考察したこと。

 《けいちゃん》旧作だから1週間借りて、110円でしょ? 元を取りましたね、取りすぎ(笑)。

 《タナカ》この27年、頭の奥のほうにこの映画のことはあったな。いつかまた再観するときがくるだろう、てね。そういう映画は何本もあるけどさ。レイ・チャールズの生涯を映画にした『レイ』とか、ナチス支配下を舞台にした『ソフィーの選択』とか。

 《けいちゃん》『タイタニック』という映画は知っていますし、レイ・チャールズって人、名前だけは聞いたことがあるけど、『レイ』という映画はまったく知りません。まさか「ケイ」じゃないでしょうね?(笑)。

 《タナカ》きみ、世界的に知られた全盲のピアニスト兼シンガー兼ソングライターだよ。スティービー・ワンダーと似てるよね。スティービー・ワンダーはさすがに知っているでしょ?

 《けいちゃん》もちろん。彼を知らない人はいないですよ。で、その「ソフィーの」の何とかっていうのは「洗濯」のほうですか。『ソフィーの洗濯』。

 《タナカ》怒るよ。……あのね、僕はさ、きみを天才的なピアニストだと思っているわけ。重ねて、ポップス音楽創造の先進を走っている青年だと認めてるわけ。

 《けいちゃん》重ねて、お笑い芸人を兼ねたいと考えていまして。タナカさんはお笑い批評家でもあるわけですよね。

 《タナカ》たしかにけいちゃんの動画は、やたらドッキリやサプライズが多いよな。

 《けいちゃん》姉貴分のハラミには負けたくないと思っています(笑)。

 《タナカ》ハラミちゃんはアイドルだね。けいちゃんはアーティストだよ。路線が違う。持って生まれた資質も違う。ハラミちゃんを異性として見たときは、結構、おいらタイプだけどさ。

 《けいちゃん》今度言っておきます(笑)。

 《タナカ》ちょ、ちょっと、恥ずかしいな、さすがに(笑)。

 《けいちゃん》話を『タイタニック』に戻しましょう。

 《タナカ》映画をDVDで27年ぶりに鑑賞する前に、ユーチューヴで主題歌のカバーをたくさん視聴したのね。ボーカル入りもピアノ、バイオリン、ギター、チェロそのほかインストも、バンド編成のものもオーケストラに少女合唱団まで付けた大所帯のものも、よくもまぁ飽きないものだと自分でも思うくらい視聴した。

 《けいちゃん》愛、ですか。

 《タナカ》暇なんだよ(笑)。

 《けいちゃん》じゃ、僕のやつも当然観てもらえたと?

 《タナカ》ボーカル入りとインストと2つに分けて評価すると、インスト部門ではけいちゃんのピアノ・ソロが抜群にいいね。横浜国際映画祭だっけ? エレキピアノのやつ。しかも、昼間の野外、聴衆はざっと500人くらい?
 
 《けいちゃん》真っ青の空に偶然トビが一匹舞ってきました。すかさずスタッフがカメラでキャッチ。

 《タナカ》トビはいいけどさ、あの水平線に沈む夕陽、あれ、何?

 《けいちゃん》あれ、駄目ですか。
 
 《タナカ》しかも一番感動を伝える大サビあたりに、意味不明に挟んで。あれは珠に瑕。極めつけの蛇足。青春の蹉跌と言ってもいいくらい。演奏が絶品なのに惜しいことをした。少しだけ美的センスを疑っちゃったわい。

 《けいちゃん》失敗したぁ(笑)。
 
 《タナカ》演奏は抜群。入り方はあれでいい。間奏がいいんだよ。けいちゃんはたいていカバーでも前奏・間奏・後奏で自分の独創性を付け足すでしょ。しかもアドリブ。それがだいたいバシッと決まってる。「マイ・ハート……」もそう。とくに後奏がさ、いいんだよ。視聴者を少し裏切るというか、意表を突いているよね。それが僕好み。あれは思わず唸ったもんな。でも、あんな終わり方って、勇気要らない?
 
 《けいちゃん》勇気までは要りません。ただし、なるほどそう言われれば、驚かせる狙いはあるかな。他のピアニストと差をつけたいみたいな意識があるといえばありますね。あとは予定調和とか同調圧力を壊す意識。
 
 《タナカ》そうそう、それそれ。それでいいんだよ。ジャニス・ジョプリンや尾崎豊みたいに、ほんとうに死んではいけないけど、既成の音楽をぶっ壊す姿勢は欲しい。とくに若い音楽家にはね。これからおいらの名言を常に枕頭に起きたまえ。「芸術は破滅だ!」。


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2024年05月29日

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 鮮烈な夢を見た。高校生時代、テレビの画面を通して、密かにあこがれていたアイドルがおいらの夢に降臨したのだ。
 旧姓及びタレント名・山口百恵、現・三浦百恵さんである。夢に現れたのは現在の前期高齢者、初老の彼女ではない。20才前後の若かりし彼女である。
 向かい合って短い会話を交わした。場所が思い出せない。学校でもないだろうし、職場でもなさそうだ。野外ではなく、室内であることはたしかだ。駅の構内? スーパーの売り場? ……はて?
 おいらは彼女にこんなバカなことを話した。
「ぼく、昔、百恵さん宛てにラブレターを書いたんですけど、憶えていますか?」
 ファンレターではなく、ラブレターと臆面もなく定義した。いかがなものかと反射的に内省したが、発言撤回はしなかった。しかも、その後にとった行動が意味不明。
 机の引き出しを開けて、なにやら探し出したのである。え、そこに自分の机があった? そこ、どこ?
 だいたいがファンレターなら、事務所(ホリプロ)宛てに郵送してしまえば、現物が自分のもとにあるはずがない。あるはずがないものをあくせく捜した。
 ん? とおいらは思いながら、昔、自身が主宰していたミニコミ雑誌の古い号を探していることに気づいた。少ない読者しか持たない、けれど、一応は他者の目に触れるメディアで、おいらは山口百恵に送った手紙文を掲載していた? なるほど、当時の血気盛んな、怖いもの知らずの、自意識過剰なおいらだったら、ありうる。
 もちろんそんなものはあるはずがない。小学生時代、ピンキーこと今陽子に宛ててファンレターを出した(なんでまた? その心情を思い出せない)以外、芸能人に手紙を送ったことはなかった。
 なるほどおいらは山口百恵のファンであったといえばいえなくもなかった。けれどレコードは一枚も買ったことがなかったし、熱いファンとはとてもいえない。ただし、主演映画は半分くらいは観ているし、一度だけワンマンショーを観に出かけたことがある。今はなき、新宿コマ劇場だった。
 夢の中で彼女は終始、おいらに関心・好意があるかのように、笑みを浮かべて対応してくれた。そんなことがあるのか、とおいらは夢の中でほくそ笑んだ。

 本ブログで、夢に剛力彩芽ちゃんが出てきたことを、かなり昔、書いた憶えがある。捜せば簡単に再読できるが、おいらはそれをしようと思わない。過去に書いた駄文を読む悪趣味とおいらは無縁だ。まして、そんな自分よりかなり年下の芸能人が夢に出てきた話など、それ自体恥ずかしいかぎりである。
 先日、その剛力彩芽がいま31才だと知って、びっくり仰天してしまった。夢に観たときの彼女は20才くらいではなかったか。ということは、あれから10年以上の歳月が流れたわけである。
 いまも昔も剛力彩芽ちゃんはおいらの好みじゃない。山口百恵ちゃんはいまも昔もおいらのタイプである。その百恵ちゃんも21才で結婚して、二人の息子の母になったときは若かったが、息子が晩婚で、おばあちゃんになったときは還暦を数年過ぎていた。
 ちなみに、おいらはまだおじいちゃんになっていない。
    

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2024年05月14日

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 こんばんぬー。
 
 奇跡という語が好きだ。永遠も好き。どちらも歌詞としてポピュラーソングで多用されている。歌心を表す語だ。少々多すぎる感もある。
 それ以前に、奇跡も永遠も、人間の本質に深く関わる語だとも思う。ひとは奇跡を願わずにはいられず、永遠を求めざるをいられない生命体なのである。奇跡も永遠もないことを十分承知していながら。
 加齢とともに、その願望と希求は切実なものになっていく。その者が晩年に在る証拠とさえいえる。インチキな宗教に依存して、高額な寄付なんぞを冒す危険が増している。

 ♪ <奇跡>がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい
   新しい朝 これからの僕
   言えなかった「好き」という言葉も
        
        「Onemoretime Onemorechance」――作詞・山崎まさよし 
         1997年1月発表

 ♪ すれ違う時の中で あなたとめぐり逢えた
   不思議ね 願った<奇跡>が こんな側にあるなんて 
   どれくらいの時間を <永遠>と呼べるだろう
   果てしなく遠い未来なら あなたと行きたい
   あなたと覗いてみたい その日を

        「Everything」――作詞・MISIA 2000年10月発表

 ♪ きみの目が映し出すのは なにも変わらないもの
   もうきみを悲しませない 
   震えてるこの腕が<奇跡>になる
        
        「奇跡」――作詞・大江千里 2001年7月発表 

 ♪ <奇跡>を望むなら 泣いてばかりいないで
   シアワセにはふさわしい 笑顔があるはず

        「奇跡を望むなら」――作詞・不明 2006年11月発表

 以上、おいらが知っている<奇跡>が歌詞にある歌を並べてみた。どれもこれも古い歌で、大江千里の「奇跡」以外は巷間よく知られたヒット曲である。
 「Everything」と「奇跡を望むなら」はメロディが飛びぬけて美しく、何度聴いても飽きない。ゆえに、ユーチューヴにも多くのカバー動画が並んでいる。
 「Everything」はインストで聴いたほうがよい。これはおいらの好みでもあるが、根拠をはっきり指摘しておくと、泣かせどころのサビを英語で歌って減点を食らっていると言っておこう。「you are everything」を「あなたがすべて」にして歌うのは不自然である。それ以上に英語を歌うのはなんとも安易だ。おいらには「あんたなんか、さほどには重要じゃないわ」という本心が伝わってくる。「あなたを尊敬している」を「あなたをリスペクトしている」と言い換えると、とたんに敬意が下がって伝わってくるのと似ている。
 山崎まさよしの「Onemore time Onemore chance」もまったく同様。サビの歌詞どころか、歌自体にとって重要な題名がそもそも英語である。日本語を使えよと言いたい。

 ついでに薦めておけば、「Everything」のインストでお薦めなのは、ストリートピアニストにして人気ユーチューバーの「けいちゃん」のピアノ演奏動画である。おいらが知るそれ系のピアニストには、他に「ハラミちゃん」「よみぃ」「菊池亮太」がいる。4名ともプロの腕を持つピアニストに間違いないが、あえて差をつけると「けいちゃん」の斬新なピアノ捌きが頭一つ抜き出ている。

 ついでのついでに言っておこう。この4名の中でもっとも人気があって、音大卒後、一介の会社員を経て、一介の路上演奏家からメジャーに踊り出て、今もなお各種のメディアをばく進中の「ハラミちゃん」が起こした奇跡は、彼女のタレント性の高さゆえの奇跡であり、具体的にはあの弾ける笑顔が勝因である。名曲「奇跡を望むなら」の一節、「奇跡を望むならシアワセにはふさわしい笑顔があるはず」は輝く真理であり、名文句であり、警句でもある。
 自分を不幸だと思い込んで肩を落としている青年諸君よ、まずは笑ってみたまえ。「ハラミちゃん」のように上品にして謙虚な笑顔を振りまき、笑い飛ばし、笑い続けてみたまえ。そうしたら、奇跡が、……いや、あえて言ってしまおう……、奇跡つまり君にとってのほんとうの恋人(むろん幸運の比喩)が、そよ風に乗って君の前に姿を現すはずだ。
 ……と、普段あんまり笑わないおいらが偉そうに言うのもなんだが。

20210713-keichan02
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