2020年02月24日


 齢をとると、周辺にいる思考停止気味の若僧をとっ捕まえて、おのれがこれまで歩んできた履歴上の自慢話やら武勇伝やら(らしきもの)を聞かせたがる煩悩が誰にもありうる。若かったおいらもまた、そうした被害にいくたびか遭った。誰も望んでいないのに、誰も羨ましがっていないのに、そうした年老いた輩は迷い人めいた若僧の匂いを嗅ぎつけてやってくる。
 近年のおいらの場合、おいらの被害者になっているのは横に座る若僧たち以外になく、高校生の彼らを相手ではこれまでの武勇伝を伝授するにいささか若すぎるのが難だが(面倒になると、ウィキペディア見といてね……で済ます)、いいか、これからの若者が、変化が激化することまちがいないこの日本社会で生き残っていくのは予想以上にたいへんなことなんだぞ、耳障りのいい高校名とか大学名の卒業証書があればそれでなんとかなる時代じゃない、いいか、学校のポンコツ教師や学習塾のイカサマ教師の愚弁なんかに騙されるなよ……あたりの陳腐な言い草を枕に、とめどなく語り始めるのだ。
 誰も羨ましがらないという点では、おいらという年長者の経験は完璧な保証つきである。だから、喋り始める最初から、なにをどう話してみても若僧たちの助言にはならないはずだ。それを熟知しているから、会社勤めに困ったら、おいらみたく独立開業しろ! などと口にしたことは一度もない。程度や質の違いはあろうが、勤め人を辞め、独立開業して、成功までいかなくてもなんとか生活できる程度の結果が出せるのは、20人に1人くらいだろうとおいらは推測している。しかも、結果が出るのは、独立開業して最低でも10年後だと考えるべきで、10年後に失敗だったと結論しても、10才年老いた中高年が改めて勤め人に戻れるかといえば、実際にはまともな会社でまともな条件で雇ってくれるところはなく、10年の自営業の感覚のわがままな面が身に沁みついていて、他人に下僕のごとく顎でこき使われる条件が身にも心にも失われていて、使い物にならないというのが現実だ。
 このあたりから誰も望んでいない自慢話が顔をもたげる……そう、おいらは、な、なんと、21年、この仕事で飯を食い、子供を一人、大学を卒業させて、現在大企業に就職させ、この4月から3年目……
 よくよく吟味すると、自慢するほどのことでもないのだが、なにせやってきたことがオママゴト程度のことで、それで21年やってきたのだから、これはなんとしても言わねばならぬと思う。
 おいらの自慢話に、はたして一般的な価値はあるのか。今後日本の企業社会が激変するのはたしかであって、ロボットがひとの代わりに働き、ありとあらゆる生活圏に最先端の技術がひとのからだの毛細血管のこどく張り巡らせられ、合理化・効率化の荒波が押し寄せ、下手をすれば雇用数は10年後には現在の半分になるという、これはありえる予測だということ。となると、たとえ大企業であれ、優良企業であれ、ベンチャー企業であれ、つい数日前まで偉そうに豪語していた社長が夜逃げすることは珍しくなくなり、まさか俺が? 私が? と職をフツーに奪われる近未来はありえる。
 おいらは20数年前に、これからは組織に勤めて、組織に身も心も売って生きる時代ではない、少なくともおいらという欧米風な(欧米どころか飛行機にすら乗ったことがない)天邪鬼な個性の日本人にはありえない選択だということを直感した。実際に勤めていた会社を辞め(追い出されたという説もある)、完全に独りぼっちで自前の店を始めて21年。もういいんじゃないの、ここまでやれば。22年目からは仕事量を少し減らして、ゆっくり働こうや、などと余裕の態度でぬかしている。

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2020年02月19日


 前回の述べたくだりを繰り返そう。
 「誰誰をめぐる可能性の批評対象になる人物の条件は、おいらより年齢がはるかに若くて、おいらと同様に党派・組織にキホン属さず、同調圧力とも無縁で、歯に衣を着せずに言動活動し、その言動活動が政治領域に積極的にまたがり、キホン自画自賛で一匹狼、謙遜して野良犬の単独者スタイルで、知る人ぞ知る者程度の知名度がある者。彼等においらが微かに期待を寄せられ、応援の意をこめて批評したい若き日本人の侍だ」

 自分より若い日本人という条件が肝腎である。できればうんと若い者がよろしい。というのは、まずはわが祖国の未来を託せる者という意味があるし、若ければ若い者ほど、日本人は愚かになってきているという辛い認識がおいらにあり、その認識を打ち消してくれる者に出会いたいと願っているからだ。少人数ではあるが、毎日現実の若者と横並びに接して、彼らの知性や感性の現状を厭でも把握して感じる危機感、否、絶望感、これを打ち消す若い日本人のモデルに出会いたい。それは晩年を生きる自分を励ましくれるはずだから。
 単独者スタイルで生きているという条件は、おいらが根っからそのタイプでしか生きられない種の日本人だからであって、組織のなかで肩書があるなしに限らず、活躍している者を批判するつもりはまったくない。「個人と組織」という古くて新しい主題は現在でも議論すべき有効性を失っていないが、個人を優位に立てて組織の非条理を突いて未組織の自身を擁護する議論や輩に、おいらは与しない。だいたいが「無党派」なる多数派に批判的であり、期待を持っていない。政党や党派は政治の領域で必要不可欠な集合体であることは論を待たないのだ。
 よって、山本太郎にも「れいわ新選組」にも無思慮で過剰な期待感は決して抱いていない。山本が路上で支援者を前に自身の存在価値についていやしくも吐露したとおり、彼という存在が改革派層の「ガス抜き」程度の役割を果たし、早晩姿を消す「徒党」でしかない、その可能性は否めないというべきだ。そうした少数政党はかつていくつもあったはずだ。おいらが山本に期待すべきは、野党や野党共闘を活性化する、横からの刺激である。

 7年在籍していた大学を去るとき、所属していた国文学研究室の機関紙に、おいらは決別の挨拶文を投稿した。冒頭、当時も今も苦手だし、嫌悪感を拭えないでいる批評家・吉本隆明の有名な詩の数行をあえて掲げ、その後の自身の行く末を勇気づけたのだった。いま思えば、赤面するほかはないおこがましさ。ただ、26才という若さにはそれくらいの見栄や虚勢が必要だったと今でも自分を慰めてしまう。

  ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
  もたれあうことをきらった反抗がたふれる

 学位論文の研究対象に選んだ宮澤賢治にしろ、自身の批評活動の最初の批評対象として宮澤賢治を選んだ吉本隆明にしろ、最後の最期まで「単独者」であり、文学・芸術の大海に身を沈めず、政治領域にも果敢に触手を伸ばしたタイプの知識人に、おいらは今でも親近感を寄せ、期待感を抱く。政党や党派とは別に彼らが果たす「援護射撃」は、いまだ「個人」なき、いまだ「近代」なきわが祖国で重要な存在意義を持つだろうから。
 晩年に至ってふりかえり、自分は結局最期まで彼らと同じ生き方(給与所得者たることを拒否した!)をせざるをえなかったことをしみじみと感慨深く思う。それがよかったか、よくなかったかはわからない。わからないけれど、これからも残りわずかな年月、そうした単独者生活から「直接性と反抗」の言葉を紡ぎ出していきたいと考えている。



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2020年02月08日


 誰誰をめぐる可能性――と題した小論を、当ブログで過去に2回書いた(と記憶する)。一人は山本太郎、もう一人は山本の親友の三宅洋平。もう6年以上前のことだ。面倒くさがらず、当ブログの6年前あたりのものを探れば、そのものたちは簡単に引き出せるのだが、そうしたこと――狂人が過去の排泄物をいじって戯言を述べるようなことは、あれから6才老いたおいらにはできないのである。排泄物が下品なら、籠からあふれ出ているごみクズだ。それらをブログのトップ画面の右下に綺麗に重ねて積み上げている趣味に、最近はさすがに辟易してきた。……これは決して謙遜ではない。
 2年以上前から、次の〇〇〇〇をめぐる可能性の批評対象は気持ちの中で決めていた。なのに、今もって書き出せないでいる。加齢による老化・劣化だといってしまえば、身も蓋もない。間違っても、読者がほとんど不在に等しい実情を理由にはしないつもりだ。まったく気にならないといったら嘘になるけれど、読者数やアクセス数、コメントや拍手(いいね)に無関心であり続けた十数年だったし、これからもそうだろう。
 〇〇〇〇をめぐる可能性の批評対象になる人物の条件は、おいらより年齢がはるかに若くて、おいらと同様に党派・組織にキホン属さず、同調圧力とも無縁で、歯に衣を着せずに言動活動し、その言動活動が政治領域に積極的にまたがり、キホン自画自賛で一匹狼、謙遜して野良犬の単独者スタイルで、知る人ぞ知る者程度の知名度がある者。彼等においらが微かに期待を寄せられ、応援の意をこめて批評したい若き日本人の侍だ。
 村本大輔――知る人ぞ知る逸材だろう。そろそろ不惑に届く年齢だから、若者というにはためらいもあるけれど、実際、直感して40才とは思えない若々しさ、初々しさがある。世慣れていないし、馬鹿正直な純朴さがある。生まれと育ちが福井県大飯町の出で、高校中退というところが、都会ずれした江戸っ子とは根元から違う、ひとや社会に対する偏見のなさにつながっていると思う。
 村本と相方ふたりの漫才を年末恒例、THE MANZAI 2017で観たときの衝撃と感激は忘れられない。そのときのネタは当人たちの予想を越えて話題になった。翌年2018、先々月2019はどうなるかと要らぬ危惧さえ覚えていたが、同じ路線でネタをぶつけ、おいらの期待に応えてくれた。
 2年と2ヵ月、おいらは村本大輔について書きあぐねてきた。わからなさは実質その者の魅力である。わかりにくい相手の美点を、批評する側は筆を執ってペンを走らせる過程でつかもうとする。ペンを走らせないと、批評の思考は始まらない。 
 それは識っているつもりでも、書き出せない、考え始められない対象というものはたしかにある。……否、ただのおいらの思考の老化・劣化であろうか。


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2020年01月27日

 
 【相談者】
 24才の独身、一人暮らしの女性です。現在は中途半端にアルバイトをしています。週に5日、11時30分から14時まで、住んでいるワンルーム・マンションの近くにある喫茶店で、ランチの配膳をしています。2年前に大学を出て人並みに就職しましたが、さまざま耐えられず辞めてしまいました。タナカさんがどこかでおっしゃっていたことが、みごとに的中しました。せっかく就いた仕事を辞める時機、脱サラして思い切って開業した店を閉める時機というのは、たいていそれを始めてから1年3か月後だ! と。まったくその通りになりました。
 ほんとうは早く正社員の仕事を探して、安定した職業生活に自分をもっていかなければいけないとわかっていながら、どうにもその気になれません。仕事を辞めて半年以上経ちますが、就職活動はしていません。
 こうした悩みにたいしてよく目にし、耳にするのは、自分がやりたいこと、自分が得意なことをやればいいのだ、という助言です。けれども、残念ながら、私にはやりたいことも得意なことも、これといって見当たらないのです。趣味の程度が職業になるはずもありませんし。
 私は、中学生くらいから、自分らしさなるものがまったくわからない悩みをもちつづけていました。大学や学部学科を選ぶときも、職業を選ぶときも、私にはこれが最高の選択だ、などと思えず、いわゆる空気で、場の流れで選んできたのです。これから職業を探す際にも、これといった手がかりがありません。職場はどこも厳しく、楽な仕事などないことはよくわかっているつもりです。だから、どうしても必死になって就職活動をする気になれないでいます。

 【タナカの回答】
 おいらの個人的な経験を根拠に申し上げましょう。就職する際には、これで定年までがんばろうという動機と気概をもって、正規の社員で就くのが当たり前です。就職は年齢が重なるほど不利になりますから、とりあえずこのアルバイトで自分の適性を試そうとか、いろいろな職種を覗いてみようとかいった動機はありえません。それは学生時代にやることです。
 おいらは自分の塾の高校生に必ず助言します。大学生になったら、アルバイトをできるだけ多種多様に経験せよと。短い期間でよい、多くの職種・職場を経験したほうが後々のためになる。おいらは東京で大学生を7年もやっていました。普通の大学生と比べると、アルバイト経験が数倍多い。これはおいらの自慢です。自慢といっても、それらが現在なんの役に立っているかははっきりしません。たいていのアルバイトの現実は苦痛なことが多かったから、そのときの苦痛を思い出して、あれに比べたら今の仕事は天国だなと自分を慰め、元気づけることができる程度なのか……。でも仮にそれだけでも、結構現在の自分を支えてくれます。
 貴女がおっしゃるように、永く続く職業生活を思えば、自分がやりたいこと、自分が得意なことを選ぶべきです。もう一つ加えると、結果が出せる仕事に就くこと。職業あるいはビジネスは結果が出ないと駄目なのです。結果が出ないと、それは職業ともビジネスともそもそもいえない。
 自分がやりたいこと、自分が得意なことを選ぶという考え方を、あまりに過度に重視してもいけない。それはかえって危険です。というのは、誰しもそれなりに期待を抱いて、どこかの会社に就職し、自分がやりたいこと、得意なことをやろう・やれると想像し、期待するが、しかし、その確率は怖ろしく低い、そんな思いは幻想にすぎない……ことが多いのです。
 ほんとうに自分がやりたいことや得意なことをやりたいならば、おいらのように独立開業しなければできない。より完璧に、自分がやりたいことや得意なことをやりぬきたいならば、誰ひとり雇わずに、独りぼっちでやらねばならない。問題はそれで結果が出るかどうかです。結果が出れば、それで問題ありません。けれども、多くの場合、結果は出ない。
 結果というのは、独身者だったら年収最低300万円、既婚者・夫婦共働き・子供一人だったら最低年収400万円、既婚者・配偶者無職または非正規労働・子供一人だったら年収最低500万円です。おいらは21年、年収400万円のハードルを越えてやってきました。だから、こうした相談に答える資格があると、蚊の鳴く程度には、偉そうな態度を見せることができます。
 なるほど、男が年収400万円というのは、はっきりいって低所得なのです。低いけれど、配偶者が正規で働いていれば、二人合わせて年収1000万円くらいにはなりますし、それなら子供を一人産んで育てるくらいは楽勝です。
 独立開業(起業)して結果を20年以上出し続けられる者は、非常に少ない。おいらの勝手な推測では、20人に1人くらいではないでしょうか。ま、おいらはそのうちの一人に入ったわけですが、はっきりいって、いや、おいらの横に座る生徒によく話す自慢ネタですが、奇跡に近いことをおいらは成し遂げた……くらいに自分では思っています。ですから、よっぽどの才能のある者以外の者は、働くとはどこかの会社に勤めて、給与をもらうことだと考えこんだほうが身のためです。
 自分がやりたいことや得意だと思うことを仕事にする、これが最も良い。けれども、その仕事が自分のやりたいことであり、得意なことなのかは、結構怪しいものです。職業・ビジネスはまず結果ですから、それで結果が出るのかどうか。
 もう一つの観点は、職場において結果を出せる能力があるかどうかの評価は、原則、自分ではできない。
 26年前、中途採用で正規社員として「あっ」という間に採用されたクラゼミという予備校の会社で、上司から言われたことを思い出します。
 「自分で自分を評価することはできない。自分を評価するのは、徹頭徹尾他人だ!」
 この原則は、どこかに勤めて、職業と名の付く程度以上の収入を得ている経験者からすると、あえて取り上げるほどには値しない、当たり前な原則に過ぎない。けれども、26年前、おいらはいい歳をして、この当たり前の原則を突きつけられ、ぎょっとした。いま、改めて再度ぎょっとするのは、あの歳で、あの程度の原則を言われて、ぎょっとしてしまった自分にぎょっとします。
 株式会社に入る前の10年ほど、おいらは私立学校というビジネスの原理があまり入りこまない場所で働いていました。それが一因になっていました。ビジネスの原理があまり入りこまないゆえに、かえって苦渋を強いられる一面が学校という地獄にはあった、ということも今になってわかります。だが「自分で自分を評価することはできない。自分を評価するのは、徹頭徹尾他人だ!」というあったりまえなビジネス原理を突きつけられて、狼狽するほど、学校の教師の世界というのは、一面「牧歌的」な労働の世界であった。
 私立学校の教師をしていたとき、一般的な職業の年配の方に皮肉っぽく言われて反発を抱いたことがありました。
 「学校の先生は、世間知らずだから……」
 いまではおいらもその感想に同感します。21年自営業をやっていますから、日常、無意識のうちに経営上の数字がいつも頭に入っている。ま、弊社はそんなに経営に追い詰められているわけでもなく、カネを借りたこともなく、賃金を支払わねばならぬ従業員がいるわけでもなく、拡大路線とはつゆ無縁な、超牧歌的な独り稼業ですから、数字とか結果とかにそんなにはこだわらずに済んでいますが、それでも数字を気にする。学校の一教員が売り上げや経費や利潤上の数字を考えて働くことは、まずありません。
 勤め人は自分を自分で評価できず、他人に評価される。その評価をすれすれすり抜けて、その職場を生き残るためには、まずは自分に向かない職種、不得意な職種を避けることでしょう。おいおい、きみきみ、自分がやりたい職種、得意な職種を求める――をひっくり返した表現でしかないじゃないか? と批判が返ってきそうですね。しかし、これは同じ中身の言葉や表現の違い以上に、より現実に即して発想しようとする点で意外と重要です。
 結婚相手についても、おいらは若いひとによく助言します。理想の相手を見つけようとしないことが重要。なぜなら、そんな相手はどこにもいないから。あるのは結婚するに「適当な相手」と「不適当な相手」があるだけ。不適当な相手は絶対選んではいけない。適当な相手を見つけよ。適当な相手なら誰と結婚しても、たいして変わらない。
 結婚相手を職業に置き換えて、おいらが述べたい主旨を酌んでください。ついでにいうなら、ブスは三日で馴れる。美人は三日で飽きる。地獄は三日で馴れるし、極楽は三日で飽きます。ま、ざっくり言えば、相対主義ですかな。
 小論文という試験科目の手助けをおいらは長年やってきましたが、生徒によく助言するのは、100点をとろうとするな、60点とれる論文を書け、という主旨です。そもそも100点満点という理想的・模範的論文はない! のです。逆に、そんなものを求めようと思うと、墓穴を掘る。けれど、受験生というのは真面目な受験生であればあるほど、100点満点の実例があり、それを自分も努力すれば必ずつかめるはずだと考えてしまう。そんな姿勢で人生全般を生きようとすれば、結婚相手にも、適職にも、結局出会えず仕舞いで苦悶に苦悶を重ねるだけです。結婚しても就職しても、裏切られたと思って、中途で離脱してしまう。
 はたして、質問者にそうした満点主義はありませんでしょうか? これから仕事を探すとき、60点の観点で探すとよいでしょう。ついでに言って、結婚相手も。


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2020年01月14日


 2019年12月27日午前4時、真夜中、おいらは浜松市の聖隷浜松病院の救急治療室のベッドの上に横たっていた。
 その夜、寝入り際に、不整脈・発作性心房細動の発作が起きた。2017年5月に3回目のカテーテルアブレーション手術を受けて以来、2年半ぶりの再発である。さすがに3回も外科的処置をしたのだから、根治したとみてよいと胸をなでおろしていたゆえに、精神的ショックは大きく、寝床で落ちこんだ。いったい何の因果か? 前世の因縁か? これでまたいつ起きてもおかしくない発作に四六時中脅える日々が始まる。遠出など、ますます気持ちの面で無理だ。
 気を取り直して、主治医から発作が起きたら、夜中でも病院に来て、心電図でその波形を録るようにと言われていたことを思い出し、病院に電話し、来院の許可を得、着替えて、タクシーを呼び、独り真夜中の大病院に向かった。
 3人ほどの女性看護師によって、ベッドの上で血圧計、心電図計を巻きつけられ、俎板の鯉のごとく身動きができなくなったとき、青衣の男がおどおどと私のベッドの足先に立った。医師は白衣、研修医は青衣である。
  「担当の徳田です」研修医が私に挨拶した。
  「お願いしま……」と挨拶を返そうとしたとき、その青年に見覚えを感じた。
  「え、え、先生、あの、もう一度、お名前を?」と尋ねると、
  「徳田です」と研修医は、先天的ともいえるはにかみ(含羞)を隠せず、再び答えた。
  「ええ、もしかして、徳田君? え、あの、北里(大学)行った?」と私がタメ口で訊くと、彼ははにかみをひとつ大きくしてうなづいた。
 そうだ。徳田君は私の塾の卒業生である。兄貴も塾に来ていた。7年か8年前のことだ。静岡県立浜松北高の空手部に所属していて、およそ空手のイメージとは真逆な、視線恐怖に近い引っ込み思案で、性格温厚・寡黙、ドが10個ついてもおかしくないほど真面目な、いわゆるお坊ちゃんタイプの青年だった。忘れられないのは、習い事はチェロだったこと。
 まさか、その卒業生から服用している薬やら、現在の症状やらを聞かれ、ローションで滑らす、パソコンのマウスのような機械で胸のあたりをくすぐられるように撫でられ(エコーによる心臓機能の検査……おい、徳田、ちゃんと診てるか、診逃すなよ)るとは思わなかった。しかも、大病院の救急治療室、午前4時、循環器内科、あまりにピンポイントな確率で卒業生に再会したものだ。

 ということで、年の暮れにまたもや身の老化劣化を痛感するはめに。一気に生きる気力減退。死ぬのはいいけど、闘病はもうたくさん。入院・手術はご勘弁。この10年で10回近く経験したから。真夜中にド寒いなか、タクシーを飛ばすのも寂しい。おまけに家人はグースカピースカ。今度の真夜中大病院・自宅独り旅の1件も、妻子は以後まったく知らない。6時過ぎに自宅に戻ったら、安らかに寝ていた。おいらは自宅前でタクシーを降りてから、なぜか嘔吐までして悶絶し、マンション4階の自宅に、まさに這うようにして昇り(むろんエレベータで)たどり着き、自室の布団の上に倒れ伏した……
 アーメン。

 


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2020年01月05日


 【相談者の質問】

 50代女性です。20代後半の息子のことで悩んでいます。
 大学を出て就職しましたが、2年前、多忙から鬱になって退職。それからは無職で、パチスロで得たお金で一人暮らしを続けています。実家に戻るように提案しても応じません。
 息子が実家に顔を出すたび、再就職しない理由や暮らしぶり、将来の展望など、尋ねずにはいられません。息子は「心配をかけているが、色々と考えている。自分で生きていくから」などと答えるだけです。話しぶりはいつも穏やかですが、本心はどうなのかわかりません。夫も「もう大人だから自分で考えればいい」と何も言いません。
 祖父母からは「親が何もせず、このまま迷走を続けたら大変なことになる」と、何とかしろと言われます。しかし、息子は一人で考えたいことがあるからこそ実家に戻らないのでしょうし、親が騒ぎ立ててもどうにもならないようにも思えます。
 息子は病気なのか、それともただのわがままなのか、自分でも分からなくなっています。なのに、パチスロで暮らす無職の息子について、友人に打ち明ける勇気もありません。
 自分の息子に単純に幸せになって欲しいだけです。どうすれば彼を理解できるのか、いつまで待てばいいのか、どのタイミングで背中を押せばいいのか……。アドバイスをいただけませんでしょうか。


 【タナカの回答】

 回答になるのかどうか、アドバイスになるのかどうか、ただの感想、それも相談者に向けたそれではなく、一般に向けた一般的な感想になりそうです。まずはそのことをご了解ください。
 だいたいがこのようないわゆる人生相談に回答を任される資格者は、いわゆる人生の成功者が多い。新聞や週刊誌にある人生相談なるものに、いつも斜めの構えで私が目を通すのは、そのことが鼻につきます。その面で目立ちがり屋の矢沢永吉や高橋がなり(「マネーの虎」出身)の顔が反射的に浮かびます。それでも両者を擁護したいのは、矢沢は仲間に裏切られて30憶円もの借金を抱えた経験があり、高橋は成功者といっても、紆余曲折あった末のアダルトビデオの制作会社の経営者で、両者には「影」の部分があるからです。
 人生相談の回答者で私が好きだったのは、作家の車谷長吉でした。彼は69才で、彼らしいアホな死に方をしました。直木賞作家であり、自他共に認める作家でしたが、神経症に苦しみ、「影」多き生涯を送り、作風も絶望にあふれたものが多かった作家です。だからこそ、車谷の回答は真実味にあふれていて、あたりさわりのない助言・励ましに堕することがなかった。もっとも相談者に悪意を示したりしません。あくまで人生と社会の真実に即しての現実的な感想を述べていました。ただ、一般には彼のあれらの回答では喜ばれない、それはたしかです。よくぞ朝日新聞が車谷を回答者に招いたものです。

 さて、私の感想ですが、一度ギャンブルの世界に身を売った者……言い方に角があるでしょうか、ようするに依存症にハマった者がそこから自力で足を洗うのは難しいのではないか、まずはそう思います。ブラックな職場で、細々とした賃金のために、やりたくもない仕事を粘り強く我慢に我慢を重ねて続けることは、彼らにとって至難です。金銭感覚が麻痺していますし、労働感覚も堕落している。働かざる者食うべからずと、頭でわかっていても、職場という檻の中に自分でわが身を押しこむことは、彼らにとっては無理難題です。
 そうした統計を目にしたことはありませんが、私の類推ではギャンブル生活に数年ずっぽり浸った者が更生できる確率は、1割程度ではないでしょうか。あとの9割はどうなるのか? ……はて、知りません。
 薬物中毒と同じで、自力での更生は至難なので、集団生活によって依存症を治癒したほうが現実的です。となると、実績と信頼のある団体に頼るのがよろしい。薬物中毒の他、アル中やゲーム依存や引きこもりなども、自力及び家族内での努力は無駄だといって言い過ぎではないように、私には思えます。
 貴女の質問の文面のなかで気になったのは、貴女が御子息を家に呼び寄せて、再び同居生活を始めようと働きかけている点です。失礼ですが、こうした貴女の一面が御子息の現在の苦境を招いているように私には思えます。まだしも御子息を突き放す態度のお父様のほうが賢明です。
 物の順序からして、親が子離れしないといけません。それでないと、子供は乳離れできない。自立できない青年(最近は中年にも多いとか)が増えている一因に、親の子離れ不全があるのはまちがいありません。これは私の狭く乏しい職業生活のなかでも感じられる現実です。
 つまりは、ひとは痛い思いをしないとわからない、と述べておきましょう。では、痛い思いをすればわかるのか、と問われれば、それもわからないと答えざるをえません。わからない者にはわからない、そう思います。


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2019年12月25日

 
 前々回(12月21日分)、本ブログの結末をおいらはこう綴った。
 《闘うのは敵がなんであっても、こわいものだ。しかし、今こそおいらは人生を生きているのだと実感するためには、闘わなければならないこともたしかである。闘わざるをえないのが人生なのだ。なにと? ご安心を。敵はいやでもおいらたちの前に立ちふさがる。》
 うまいことを述べたものだと感心した。あえて反省すると、「ご安心を」のところを、吉本興業・大西ライオンの古いギャグ「心配ないさぁ〜」にすればよかったかな、である。

 西暦2019年も「えっ、という間に」終わろうとしている今日、ふりかえると、それなりによく笑った一年であったと思う。同じ吉本興業のウーマンラッシュアワーの村本大輔流の「怒りを笑いにかえる」という手法をおいらもとった(村本くんが、今年のザ・マンザイでも3年連続でその種のネタを貫いたのは立派だ!)。
 ひとは四六時中、年がら年中、怒り続けることはできない。怒るにはその分だけ、笑うことがないと精神構造上無理である。怒る者ほど、よく笑うものである。悲しむ者ほどよく笑うように。「泣き笑い」という慣用表現が古くからあるように。初作から50年経って、50作目が発表された山田洋次監督の「男はつらいよ」は、まさにその「泣き笑い」文化の精華、戦後日本の大衆映画を代表する文化の金字塔であることはまちがいない。

 おいらたちは、生きている限り、敵と出会わざるをえない。大西ライオンくんの古いギャグがまだそこそこ生き残っていることが示すとおり(2019年度「細かすぎて伝わらないモノマネ」をご覧ください。)、敵との出会い、敵との闘いを全身全霊で引き受けつつも、そこに笑う余地を残すことが一般に共有された知恵になっているからである。でなければ、闘う者は悶死を免れない。
 青年タナカのギャグ「人生なんて〜、へ、こんなもんだよ!」はやや悲観的すぎたが、それをタナカの生き方の核心から出るギャグだと直観した一つ後輩の大学生がいたことから、おいらはこの投げやりなおいらなりのニヒリズムで、これまでの闘争人生を生きてきたのだと述懐する。

 三島由紀夫は半世紀前、東大全共闘の東大生に向かって、「われわれは笑いながら闘うことはできない」と言を発した。これは闘いながら死ぬ者の謂いである。幸か不幸か、おいらはいまだ死ぬための闘いを決意できないでいる。
 





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2019年12月22日

 
 怒るひと。顔があれこれ浮かぶ。
 まずは、奥崎謙三(故人)。なんといっても、このひとだ。原一男監督映画作品「ゆきゆきて、神軍」の主役。
 次に、山本太郎。東北大震災時の福島第一原発事故以来、満身で怒りつづけて、やりすぎるほど怒りを身体表現してきた男。原一男監督の最新作は、山本太郎率いる「れいわ新選組」の今夏の参院選の闘いをドキュメントにしたものだ。
 最も新しいところでは、伊藤詩織。この欧州風の美人が被害に遭ってから、顔と名前を公表し、訴訟を通して加害者と対決することを決意した、その勇気たるは相当のものだったろう。相手は有り余る権力を独占し、国家を壊す独裁者・安倍晋三と直接電話がつながり、検察に逮捕される寸前に安倍の圧力によって逮捕を免れたド助平男である。4年半の闘いののちに、伊藤詩織が地裁で完全勝訴したことはおいらを狂喜させてくれた。

 いま、おいらは怒っている。ともに理不尽な日本を生きる山本太郎や伊藤詩織の怒りには到底及ばないけれど、自分のなかにある平均的な理性の力をもってしては抑えられないほどに怒っている。髪を逆立てて怒る、という慣用表現の通り、本気で激怒すると髪がふんわり立つ。これは単なる比喩ではない。おそらく血圧が上昇し、毛細血管を通して血液が潤沢に流れ、頬を紅く染めながら、髪にも血液が流れて髪に勢いが出て、天に向かって伸びようとするのだろう。年とともに細くなった頭髪が太くなり、白髪に黒の色が戻る。奇跡というほどのことではない。
 30数年前、静岡市に勤めていたころ、馬鹿な同僚と馬鹿な仕事をすることに疲れ果て、気分を癒す、心に活力を入れる、否、そんな前向きな姿勢ではなく、ただ単に気分転換のために、終末の土曜の午後、仕事の帰りに七軒町の映画館に出向いて、銀幕のある闇のなかに身を沈めたものだ。
 なぜこの映画を選んだかは覚えもない。2時間の上映中、むろん比喩だが、瞬きの一つもしないで画面を見続けた。「ゆきゆきて、神軍」。
 かつて観たことのない映画作品を観てしまったという茫然とした感動の余韻に震えながら、おいらが心のなかで一人叫んだのは「この映画は、反戦映画の最高傑作だ!」の言であった。ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画を中心に、戦争物を数々観てきたからいえるのである。今まで出会った反戦映画のどれとも違った独自な世界をこの映画は切り開いていた。
 主役・奥崎謙三は狂人であり、犯罪者であり、いたずらな美化は危険だという前提で、しかし、彼の正しさは、怒っている、本気で怒っている点にある。いま、日本には、国が壊されていることに気づかず、国が壊れてから自分が壊れている筋道も理解できず、自分に諦め、自分に失望している、そんな若者が多すぎる。
 奥崎の怒りはたぶん戦争に対してである。戦争に自分たちを駆り立てた国家権力に対しての怒りだ。戦後、奥崎はその怒りの炎を自ら沈下させようとしなかった。自ら火に油を注ぎ続けた。山本太郎もまた、火に油を注いで全国の路頭を歩き回っている。
 おいらもまた、怒り続けよう。怒るべき相手にたいして、一歩も引かずに攻め続けよう。おいらにとっての武器は言論による表現しかない。表現に油を注ぎ続けるのだ。
 

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2019年12月21日


 高校3年生のゼミ生から、大学推薦入試の合格を報告するメールを受け取った。で、さっそく返信した。

 《〇〇〇〇くん。おめでとうございます。千葉ですか。そこで青春の2ページ目が始まるのですね。
 人生にはいくつも越えなければならない壁が自分の前に立ちふさがります。〇〇〇〇くんの場合、今回の受験及び高卒後の進路決定がそうだったし、あるいはそれ以前に高校受験があったかもしれない。大学に入ってからも思い悩むことが数々あって、卒業という壁があって、資格取得という壁があって、採用という壁がある。
 でも、その職種で働いた経験のない私が偉そうに予言するのもなんだけど、一番の壁は就職してからでしょう。私なんざ、4回も職をかえて、いまの栄光の座に着いている。そこで社長業21年です。若くきれいな秘書がいまだにいないけどさ。こんなはずじゃなかった?!!  それが人生です。
 こんなはすじゃなかった人生をこれから闘い続けてください。そうなのです、闘う、これです。お元気で。》

 おいらの筆から自然と、無意識に「闘う」といった語が滑り出していた。最近、ひょんなことから、それこそこんなはずじゃなかったと首をときどき傾げながら、闘う自分を生きる、否、闘う自分を演じる、否、闘う自分を演出する日々が始まっていたことと連動しているようだ。この年齢で闘う日々が続くというのは、結構しんどい。火種は自分の外側から投げこまれたわけで、自分から闘いの日々を選んだつもりはないのだが、よくよく考えると自分が「火に油を注いでいる」感がある。
 火に油を自ら注ぐ、それを為すための動力を導く鉱脈が自分にあるのか、と探索すると、そこには合理的には説明のつかない「怒り」の鉱脈に行き着く。おいらの心中に、理由がはっきりしないまま怒り続ける、否、そんな上品な表現ではとらえきれない「激怒に荒れ狂うくらい」に怒り続けるに動力を与える鉱脈があったことに一驚する。これは食欲・睡眠欲・海水浴とともに並ぶ、生きようとする本能に近いものだ、と最近認識し直した。ひとは生き続けるために、怒り続ける必要があるという心理のメカニズムさえあるのだ。
 メールで合格を伝えてくれた18才の男子と、晩年も半分過ぎたと自覚するおいらでは、人生の過程の立ち位置がまったく違う。彼が感じている不安と、おいらが感じている不安のどこに共通するものがあろうか……

 おいらはいま、闘い、怒り、不安といった語をほとんど無意識に心の倉庫から抜き出して並べてみた。これらに「絶望」という語を引っ張り出したい衝動に駆られる。自分とは何か、この人生を生きるときに、常について回る正解なき問いへの暫定的な回答をぼんやり描きながら、おいらたちは五里霧中の道程をときに後ずさりしながら、前に進まねばならない。
 思い出したが、先般、現在はゼミを休学中からもらった生徒から、「今日、ゼミ休みます」の伝言の後に「生きるのがこわいです」と、一言さりげなく書き加えてあるメールを受け取った。タナカゼミ開設後21年、これほど強度の強いボケはなかったし、笑っていいのか、蒼くなっていいのか判断のつかない突っこみもなく、「もうええわ」「やめさせてもらうわ」の常套句で漫才を終われないほどの粘着を感じた言葉はなかった。さっすがわが相方! と思わず膝を叩いたくらいだ。タナカゼミの今年の流行語大賞は、このメール1個であっけなく決まってしまった。
 「生きるのがこわい」。おいらが平常心を取り戻して理性と知性で考えて答えれば――お笑い芸人の仮面を剥いで彼にボールを投げれば、生きるのがこわいのが人生であって、生きるのがこわくない人生、それは人生ではない、あったとしても、そんなものは人生の名に値しない、という回答だ。闘い、怒り、不安、絶望、これらを生きることが人生なのである。充実した人生とは、これらを十全に味わうことに他ならない。
 闘うのは敵がなんであっても、こわいものだ。しかし、今こそおいらは人生を生きているのだと実感するためには、闘わなければならないこともたしかである。闘わざるをえないのが人生なのだ。なにと? 大丈夫、ご安心を。敵はいやでもおいらたちの前に立ちふさがる。



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2019年12月12日

 たどり着いたら、と来たら、おいらの場合、いつも雨降り、となってしまう。けれど、その慣用はおいらたちの世代特有の青春の遺物で、現在では、陳腐な比喩であるが、たどり着いたら結局は砂漠、あたりが妥当である。砂漠にはめったに雨もふらないであろう。したがって樹木も生えず、葉も花も実も成らない。それが老齢ということだ。一般的に。
 以前、読者に半ばお約束に近い予告をしておいた、年末年始にかけて作業を行う予定のレコーディング及びユーチューヴ・デヴューが、どうやらご破算になりそうだ。数年前にも同じような企画が頓挫した経緯があり、落胆とともに、やっぱりな……という諦念がおいらの気持ちを占めている。理由はようするに、高2生の相方の心身の不調による参加脱落である。こうなったら、独りでも、それこそギター一本で企画を強行しようという意思もあるが、技術と機材の事情で実現がおぼつかないとの悲観が拭いきれない。
 おいらの砂漠の心的世界を潤すには、前のめりな闘いの姿勢を強化するほかなく、新たな挑戦が必要だ。なにはともあれ、今回の企画のために、数か月前から新曲を数曲準備してきたのである。この新曲を発表しないわけにはいかない。すでに完成していて、一日一度はリハーサルし、録音・発表に向けて機が熟した感のある「おれたちの青春はまだ半分過ぎたところ」は、なにがなんでも世界に向けて発信しなくては、第一、新曲に申し訳がない。
 題名を聞いただけで赤面を禁じ得ない「おれたちの青春はまだ半分過ぎたところ」に乗じて、同じメロディで歌詞だけ全部入れ替えた、新・新曲の構想もおいらの心内に蠢いている。おいらの場合、文章にしろ歌にしろ、作成の前に題名が先に立つことが多いのだが、この構想の新曲の題名は「おいらの晩年はもう半分過ぎたところ」である。「おれたちの青春はまだ半分過ぎたところ」を旧友の要請に応えて作詞してから約9年経ち、著しい老化に全身を侵されつつあるおいらの心境は「青春」から「晩年」に一気に反転してしまった。
 そうなのだ、終わりは近い。終わりは一気にやってくるかもしれない。やってくるのならば、一気にやってきてほしいものだ。
 当ゼミのゼミ生が卒業するとき、おいらは必ず頼むことがある。
 「おいらさ、来世もこのタナカゼミやるつもりなんだよね。他の仕事なんてする気ないし。でさ、きみ、来世もさ、またタナカゼミに来てくれるよね?」
 たいていの純朴な卒業生は師匠の懇願に応えて、こう返事をしてくれる。
 「ええ、ぜひ」
 おいらは、これで来世もなんとかなりそうだと安堵する。だとしたら、今生、最期の挑戦で、青春時代にやっていたソングライティングと熱唱・熱演を恥かくことを怖れずにやり切るのが、おいらのこれからの行くべき道であろう。

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