2021年01月

2021年01月28日

 
 ついに来たか。とうとうやって来た。高鳴る動悸に身体を震わせながら、職場の指導机の端に置かれた固定電話のボタンを押す。逡巡したが、ここは呼ぶほかはあるまい。
 おかけになった番号は現在使われておりません……。ん なに?
 199。……違った。警察が110、消防は119。
 消防ですか、救急ですか? ……救急でお願いします。

 12時半過ぎ、ついつい居眠りをしてしまい、そろそろ昼飯でも食べにいこうかなと起き上がったら、自分を取り巻く世界がいつもと違っていることに気づいた。ぐるぐる回る。立っていられない。歩こうとするとまっすぐ歩けない。……こんなことは初めてだ。
 頭をよぎったのは、数年前、脳出血で倒れ、緊急手術を受け、2ヵ月半に及ぶ入院生活を余儀なくされた、3才下の実妹の顔と、つい先日(軽い)クモ膜下出血と脳梗塞で入院した爆笑問題・田中の顔だった。
 昨年ユーチューヴ動画で配信した「おいらの晩年はもう半分過ぎたところ」という自作が真実味を帯びてしまった。予感的中。それこそ冗談半分で作って歌ったのに。
 ついに来たか、おいらにも。来やがったか。

 たちまちやってきた救急車に乗りこみ、問診を受ける。血圧計を指にはさまれ、胸に簡易な心電図用のセンサーを付けられる。搬送先を聞かれ、お世話になっている聖隷浜松病院の名をあげる。車内で職員が電話で問い合わせる。残念ながら、受け入れ拒否。ついで近くの遠州病院。受け入れ受諾。
 奥さんに電話してくださいとカバンに入ったおいらのガラケーを渡される。よかった。なぜか胸をなでおろす。今月上旬、15年使ったドコモの初代ロゴが眩しいガラケーを新しいものに換えたところだった。15年前のガラケーを職員が目の当たりにしたら、彼は場をわきまえずについ吹き出して笑っただろう。
 幸い、愚妻は仕事なのだろう、電話に出なかった。
 
 手際よいはからいで、気づけば、病院の耳鼻科の診察室の椅子に座って、若い男の耳鼻科医の診察を受けていた。続いて聴覚検査。
 おいおい、それにしてもなんでまた耳鼻科なのか? おいらはてっきり脳なんとか科に送られるとばかり思っていた。
 
 40分後には揺れる身体をなんとか自力で支えて、会計の窓口の前に立っていた。2000いくらかの請求。少しびくびくしながら尋ねた。救急車代はいつどんなふうに支払うのでしょうか? いえ、このなか(2000いくらか)に入っております。あっそう。
 あれだけの処置をされて、患者最優先、信号無視で大病院に送られ、待つことなく診察室の主治医の前に座って、一時間も経たずに、薬局で薬をもらって、全部で2500円程度かかっただけ。そういえば、救急車はタダだと聞いたことがあった。
 ありがたいといえばありがたい。しかし、それはそれで問題も生じよう。緊急性もないのに、救急車を呼ぶ輩が出てくる可能性がある。おいらの場合も結果的にはその種に入っている。

 主治医に尋ねたら、「末梢性めまい」という病名がかえってきた。ネットで調べると、その「末梢性めまい」は幾種類かに分かれる。おいらの場合はもっとも頻度が高く、病状が軽い良性のものだったと思われる。その名も「良性発作性頭位めまい症」。たぶんこれである。3日経った現在、90%症状は消えた。

 笑い話といえば、たしかにその通り。けれども、おいらには何か象徴的なくさびを打ちこまれたできごとになった気がする。この日以前と以後では、生きる態度がまるで違ってきそうなのだ。視覚の先にゴールが見えてしまった。生涯の終わりを生き始めた。そんな感じがする。


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2021年01月20日


 谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の「見えないこども」という歌を聴いたときの不思議な感覚が、四半世紀以上、おいらの頭のなか(心のなか?)で微かな残響になって響き続けている。その歌をうたっていたのが、たまたま井上陽水という、中学から高校にかけて影響されたシンガーソングライターだったのが、まずは偶然だった。その冴えわたる歌唱が自宅のテレビから漏れ聴こえたのである。
 その後まもなく、井上陽水の奥方である石川セリのボーカルで、武満徹のポップス曲だけを集めたCDアルバムが発表され、そのなかに収録されていた、完成度抜群の「見えないこども」を何度も聴き入った。武満徹が他界したのは、それからしばらく経ってからだった。

 「見えないこども」は、詞も曲も不思議としかいいようのない作品である。この歌はまちがいなく谷川が最初に詞を書いて、それに武満が曲を付けたはずだが、その曲は詞の不思議な魅力を倍加させている。
 詞も曲もおいらの手の届く水準を越えた質を有する。とくに曲は「なぜこんな曲を作れるのか?」と途方に暮れるほどに、自分が作れる音楽世界から遠く離れている。到底真似できないメロディである。これが同じくご両人の共作である「死んだ男の残したものは」だったら、あるいは作れたかもしれない、とは思う。

 おいらが乗っかってきた既成の音楽区分は、いわゆるフォークであり、それにロックやブルースが重なり合う区分だった。「見えないこども」を区分けすれば、この2つの分野には入らない。あえていえば、ジャズだろう。そうなのだ、おいらはジャズはいまだもって、侵入したことのない音楽世界なのである。
 その昔、マイルス・デイヴィスのトランペット・ソロを聴いて、かつて聴いたことがない音だと畏怖したことがあった。
 ジャズ演奏でたいてい使用されるウッドベースの音が好きだ。ロック演奏でフレットレスのエレキベースを使うベーシストがいるが、あれもよい。例えば、エリック・クラプトンのいるイングランドのハードロック・バンド「クリーム」のジャック・ブルースのベースだ。

 おいらの我流作詞作曲法は、端的にいえば、(ギター)コード進行の組み合わせであるり、それでしかない。この安直な方法では「見えないこども」は作れない……と漠然とした直感で判断できる。この曲にはコードという概念がそもそもない……と思うが、はて? 少なくともこの曲をおいらはギター・コードで解析できない。これが「死んだ男の残したものは」だったら、5分も時間をもらえれば、コード進行をだいたいは把握できるだろう。

 谷川俊太郎と武満徹は青年時代からの親友同士であった。ご両人の歩みを調べると、共通するのは、学校から距離をとってきた点である。学校教育から詩になり、文学なり、音楽なりを学んでこなかった。我流といえば我流、独創といえば独創。それが二人の天才にはよかった。
 おいらの我流は音楽をはじめ、いろいろ手を出した分野で、たいした芽も出せず、花も咲かせず、実も結べなかったのかもしれない。あえていえば、22年続いた我流の学習塾だけは、成功したといわないまでも、失敗はしなかった……くらいには評価されるだろう。


     ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「隠恋慕」
       https://youtu.be/24K1hqyRIik


     ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A    





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2021年01月17日


   ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「隠恋慕」
      https://youtu.be/24K1hqyRIik

 1976年といえば、45年前である。おいらはこんな歌を作って、人前で歌ったのだった。発表の場に合わせて作ったのだったかもしれない。それ以後歌ったことがなかった。
 今回、タナカゼミ・セッションの動画として取り上げようと思いついたとき、曲つまりギターのコード進行は思いだせたが、詞の方は半分以上忘却していた。
 題名は覚えていて、「北国の少女」だった。当時、明けても暮れても頭にあり、傾倒し、心酔していたボブ・ディランの曲の模倣である。原曲の題名は「ガール・フローム・イン・ザ・ノースカントリー」。おいらの「北国の少女」はメロディもコード進行も原曲とは違ったけれど、発想は似ていた。否、おいらが原作者へのお断りもなく、勝手に拝借したのだった。
 よって、今回、題名も変え、詞も8割方変えての発表ということになった。な、な、なんと、45年ぶり。

 思い出す限り、45年前に人前で歌った原曲と、今日録音してすかさず配信した曲とはまるで違ったものになっている。同じなのは、両者とも遠くから意中の女子(女性というより、当時の感覚からして、女子!)を密かに思い続けるという主題だ。45年経っても、おいらの片恋讃美の傾向は変わっていないとの証明になった。
 ひとはいくつになっても変わらない、ということだろうか。

 
    ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A
        
   


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2021年01月08日


 やっとのことで一曲録音し、配信に至ることができた。40年前に作った歌だ。この曲ができあがったばかりのころ、間髪入れずに、おいらのぼろアパートの六畳一間の一室で(もちろん床は畳)、友人一人に手伝ってもらってカセットテープに吹きこんだ記憶がある。その友人はよりによっておいらの友人にやたら多い哲学青年で、ギターもベースもキーボードも作詞作曲も高いレベルでこなせた。この曲のときはキーボードを弾いてくれたのだった。当時流行っていたレゲエのリズムを取りこんでのアレンジだった。そのアイデアはおいらの発案で、それを実際の音にしたのは彼である。以後、この歌を一回、もしかしたら二回、人前(ステージ)でうたったことがあった。
 この一曲がおいらの曲目の中で唯一例外の一作なのは、肉親を歌の主題にもってきているところである。友人にしろ知人にしろ、家族・兄弟にしろ、特定できる人物を歌詞に並べた作はほかにない。
 曲は40年前とまったく同じである。一方、詞の方は今回の世界に向けた配信に向けて、8割改作した。現在、30数年以上前に作った歌(推定7曲ほど)を録音・配信する用意があるが、待ち望んでいる膨大の数のチャンネル登録者をはじめとする視聴者になかなか届けられないのは、詞の改定作業が遅々として進まないからである。そのなかの一曲が、ようやく形になったのである。
 まちがいなくおいらは若いときと比較して、詩才を喪失しつつある。なんとかしたいとは思ってはいるが……。

    ♪ ユーチューヴ動画/タナカゼミ・セッション
          「長調Cの祈り」
       https://youtu.be/AjttKbJVU9A
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