POP'nロックの隙間

あらゆる隙間音楽、忘れ去られる前に記述せよ

誰?

そう思われる方も多いと思う。
60年代英国のトラッドフォークを下地に活動したソングライターであり、最初期のフリートウッド・マックを支えた中心人物でもある。
マックではピーター・グリーンのブルース・ロック路線からボブ・ウェルチのジャズ・ソフトロックへの架け橋となった。



70年代前半の初期フリートウッド・マックでは、渋谷陽一氏が偏愛したボブ・ウェルチのソングライティングに注目が集まりがちだったが、そのウェルチ路線の先導役になったのがダニー・カイワンだ。
しかし18歳でマックに加入してピーター・グリーン脱退後は曲作りとフロントを担うという重圧に耐えかねてアルコール中毒となり、72年にはウェルチと入れ替わる形でバンドを去っている。
ボブ・ウェルチはその筋では有名なソロ・アーティストだ。
筆者もファンであり、当時ソロアルバムが出なくなる80年代前半まで追いかけたし、このブログで扱うには恰好の人だとも思ったが、最近ダニー・カイワンを知り「いや、全盛期を迎える前の初期マックの重要な下地を作ったのはボブではなくむしろダニーではないのか?」という思いに囚われるようになった。
それくらいダニーの仕事は素晴らしい。
知れば知るほど素晴らしい。

だが、まだ知ってまもないので、語るよりむしろ聴き込んでる段階で、あまりどうこう言うつもりもない。
晩年はボブと並んでダニーも不幸である。
いやソロで成功したボブを横目で見ながらアルコール中毒で身を持ち崩し、3枚めのソロアルバムを最後に引退してしまったというダニーは、その才能を思うと残念でならない。
若さと能力のバランスの手綱を取るプロデューサーが不在だと、こうも掛け替えのない才能が無駄遣いされるのだろうか。
ボブと違いまだ存命なのが救いだが、98年のマックの殿堂入りにも顔を見せなかったというのも寂しい。
呼ばれないで激怒したボブと対照的だが、そんな逸話も過去のものである。
彼らの残した美しい音楽だけが今もどこかで鳴り響いていると信じたい。

今回は日本のロック・レジェンド、少年ナイフです。

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 少年ナイフの国内状況はここ20年間、一向に好転しないで来た。
 失われた10年が20年になって久しいが、日本の経済状況と似ていないでも無い。そのナイフがおそらくメンバーチェンジ後の最高域に達しようとしている今でさえ、状況は改善の兆しさえ見せないのだ。
 今年出たアルバム『Pop Tune』はもちろんナイフファンどころか全ロックファン必聴の最高傑作だ。
 それは初期の『Pritty Little Baka Guy』に匹敵するポップな内容で、過渡期の傑作『Rock Animals』からの三段進化の到達点だろう。音響的にはマーティー・フリードマンさんが言うように『Let's Knife』に近い中音域に絞った不思議なアナログ感があると思う。トランジスタラジオから聴こえる曲に励まされるような、遠くて近い親戚みたいな親近感というか、そんな温もりと一緒に、引き出しのノートに下から忘れていた一万円が出てきたようなお得感もある。そんなポップの魔法感覚を少ないボキャブラリーでどう表現していいかわからない。

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 ナイフが現在のメンバーに固まってからの成長ぶりは著しいものがあった。前々作の『Free Time』にその兆しが見え、旧メンバー中谷美智枝さんのサイケな曲もライブで出来るようになり、前作『Osaka Ramones』で全世界のラモーンズファンを感涙のドツボへ叩き込んでいたので、それだけでも幸せだったのだが、今年になってこんな傑作が届けられるなんて、20年以上ファンをやってきて良かったと心の底から思う。その楽しげなステージから良質なフィードバックがあったのかも知れない。若手ふたりの広がるようなコーラスワークも堂に入っている。山野敦子さんの手による新しいステージ衣装もその原点回帰と新しい出発を物語っている。
 リツコさんの唄う『Sunshine』というこの曲なども聴いていて思わず涙が滲んでしまう。'60年代のアメリカン・フォーク・ロックそのものの温かいテイスト、エミさんが穏やかに叩きこむプロコルハルムばりのドラミングに何度も相槌を打ってしまう。音楽のメッセージそのものだ。そもそも音楽に政治的メッセージを乗せるなどという芸当が出来るのはポール・ウェラー師匠くらいなのだ。ポール師匠は「今回のサッチャーの税制改革は貧乏人を殺すぜ」などという各論に刻んだメッセージを乗せて外すという芸当をこなしていたからダサくならずに済んだわけで、『War is Over』とか言っちゃ駄目なのだ(すぐどっかで始まっちゃうから) おそらくThe Jamファンでもある山野師匠はそこら辺の匙加減も学んでいるのだ。



 話が横道に逸れたが(そうでもないんだが)その種のロックの反逆精神とかメッセージ性とかで誤誘導させてアーティストを上げて叩く音楽プレスの鼻っ柱を潰したのも少年ナイフの山野直子師匠だ。
 15年ほど前のインタビュー記事で「少年ナイフにはロック的なメッセージ性がありませんね」とか嫌味を言ったあげく「日本では男女差別があると聞きますが」と現地プレスに振られ「我が家では母がボスですが」とかわしたのだ。
 日本が欧米基準で男女差別が多いのは規定の事実として、お国の事情もあるのよ、引いて支配するという知恵もあるの、と言外のアピールをしたわけであり、なおかつ馬の骨のようなプレスに義理を売ってむざむざ自国を売る愚かな真似もしないとういう芸当をこなしていた。
 そもそもそんな社会的ストレスから開放されるために音楽はあるのであって、社会にストレスが無くなってしまったら商売上がったりともいえる。人間ふたり出会えばストレスが生じるわけだし、そのストレスを糧としてなにかしようと思うのが人間なのだという、当たり前の部分から壊れてしまっているのがマスコミというものなんだろうね。

 個人的にはアルバム最終曲を帰国していた敦子さんも交えて演奏したこのインストア・ライブで感激してしまいました。山のアッちゃんは永遠です。




 少年ナイフは日本が誇る最強のパンクポップバンドだ。にも関わらず、JPOPのボイトレ歌唱法やコード進行しか知らない若者から、ジョン・レノンを無断で見当はずれな神輿に担ぐ団塊世代までが無視を続けている。奴らの価値基準は「それらしいクォリティ」であり、「スピリッツ」ではない。
 ただ、そんな状況も20年という荒波を経てくると、いまさらどうでもいいというか、枯淡の境地に達するのであって、むしろその状況を楽しむべきなのだろう。
 考えてみれば「それらしいクォリティ」というのは一定の水準を意味する「職人技」に繋がるんであり、天然資源の少ない日本のモノ造りの基本でもあるから生きていくためには必要なものだ。それにロック好きにもいろいろいるわけで、パンクを受け付けないロックファンは実は多い。もともとそっちのが多数派なのだ。
 でも産業ロック(by高橋幸宏)の品質維持に疲れる時は誰だってあるだろう。そういう時に魂を休めるというか、いや、むしろレイドに外すというか、そういう態度こそロックだろう。何度も死んでいるロックだからこそ不死鳥のように蘇る瞬間を目にすることが出来るのだ。死んじゃ駄目なのだ。これが大阪の西成区出身の直子師匠の教えである。

 例えばこの、ヤフー知恵袋で解決済みの質問なども、楽しく読めるだろう。

少年ナイフって何者なんですか?

 それだけではなく、下の方のリンクにある質問などにも寄り道できるだけの余裕も生まれているだろう。

TOKIOはニルヴァーナを超えた!! 皆さんTOKIOはバンドとしてニルヴァーナを超え...

 死人に口なしというか、「いやジョンのイマジンってのは……」とか「いや尾崎豊がデビューした時は……」とか、そういう抵抗はすでに放棄すべきなのだ。むしろ「そうそう」と相槌を打って状況を混乱させた方がロックだ。放っといても連中は科学の発達で霊界から告訴できるようになってから泣くはずだ。
 確かにある意味TOKIOはニルヴァーナを超えている部分もある。ニルヴァーナに年長ジャニーズ城島の味わいを表現しろと言っても無理な話だからだ。そういう意味では確かに超えている。かつてジャニーズには男闘呼組というロックなユニットもあったし。それはいずれムーディー・ブルースの回に取り上げることになると思う(なんでだよ)
 

前回のパイロットの4枚のアルバムのうち3枚をプロデュースしたのはアラン・パーソンズ(Alan Parsons)、その最終アルバム『Two's A Crowd』と同年の'77年に発表されたのが、このアル・スチュワートの『Year Of The Cat』です。プロデューサーもレーベルも同じアリスタで、だからかアルバムを統一するクリアな音色もどことなく似ています。

 というわけでパイロット繋がりで今回はアル・スチュワート(Al Stewart)です。

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 なんかパーソンズの都合で両者ともアリスタなのか知りませんが、これはもうプロデューサーの色が強すぎて苦笑いしてしまうくらいですが、それだけ当時のパーソンズの勢いは凄かったんでしょう。なにしろビートルズの『アビー・ロード』(Abby Road)とピンクフロイドの『狂気』(The Dark Side of the Moon)直系のエンジニアですからね。個人的にはパーソンズがいなければ『狂気』の記録的大ヒットは生まれなかったとすら思います。これじゃまずいと思ったか、フロイドは次作の『炎』(Wish Your Were Here)ではパーソンズ外してますよね(苦笑)
 そのパーソンズ率いるアラン・パーソンズ・プロジェクトの'80年代中盤に及ぶ数あるヒット曲群ですが、この一曲に負けていると思います(笑)



 もちろんアル・スチュワートの数あるヒット曲の中でも、この『Year of the Cat』は最高曲だと思います。
 YouTubeのコメント欄に一言「Earganizm」とありましたが(笑)言い得て妙です。スチュワート独特の舌っ足らずなボーカルに引っ張られてストリングス、アコギ、サックス、ギターソロと畳み掛けてくる構成は唯一無比、もう永遠のAORの傑作と断言してしまいますが、日本ではここ30年、あまり話題に上りませんね。

 ちょうど前年のボストン(Boston)の『More Than Feeling』あたりからのアコースティックな大作の一本だと思いますが、後に「産業ロック」などと揶揄される原因を作った一人もまたアラン・パーソンズなんじゃないかと思います。そんなの雑音に過ぎませんけどね。
 あんまり出来栄えが完璧で、さらに大ヒットしてしまって、次のアルバムのタイトル曲『Time Passage』が全く同じような構成になってしまいました。
 それでもいい曲なんですよね。



 その秘密は、アル・スチュワートの原曲が清廉な弾き語り曲だったおかげではないかと思います。曲的には路端に咲くヒナギクのような、ささやかな小品なんだと思うんですよ。それをパーソンズはぐわっと広げて大袈裟にアレンジしてしまう。
 なんでそこまで、ということで、スチュワートとパーソンズのコラボはこれで終了となります。
 これを聴くと、パイロットはビートルズ直系のソングライティングという根っこの強さが幸いして、実はあまりパーソンズに引っ張られていなかったんじゃないかという気がしてきます。彼らのレアトラック集『Craighall Demos 71:76』を聴くと、その音楽家としての芯の部分の豊かさがよく分かります。そしてそれが、現在に至る根強いパイロットへの支持に繋がっているのではないかと。

 しかしスチュワートの場合、パーソンズと離れた後が辛い。大ヒットを経験してしまったがためか素朴な曲調から清廉な爽やかさが消えてしまい、鳴かず飛ばずとなってしまいます。
 実はパーソンズって結構アーティスト殺しなんじゃないかと思う所以です。
 今世紀に入ってからも発表するアルバムごとに「かつての勢いには今一歩」などと気の毒なコメントが多いです。スチュワートの素はフォークなのに……。
 でもそう考えると逆に、ディランの『風に吹かれて』とかジョン・デンバーの『故郷に帰りたい』をパーソンズアレンジで聴いてみたい気もします(笑)
 
 しかしこう書くと、なんか踏んだり蹴ったりなアル・スチュワートですが、やはりアルバム『Year Of The Cat』は傑作だと思います。一曲目の『Lord Grenville』からどこか異国へ心だけが音のさざ波に乗せて連れ去られるような、とても不思議な曲想に満ちています。なんかすべての楽器の奏でる音色が魔法のように生きて、有機的に楽曲に作用している。これはパーソンズの力だけじゃなく、やはりスチュワートの詩心とのコラボでなにか才気の化学反応のようなことが起こったに違いがないんです。アラン・パーソンズ・プロジェクトでもこれだけの魔法は掛かっていないですから。そんな予感も、二曲目の『On The Border』ではティム・レンウィック(Tim Renwick)のスパニッシュ・ギターで早くも国境の向こうへすっ飛ばされます。
 30年聞いていても、まだ飽きません。

 ちなみに、毎回記事の末尾にamazonのアフェイリエイトが貼り付けてありますが、べつにこれで儲けようというわけではなく、なんかカッコイイから付けてみたかっただけです(笑)
 もとい、レア曲が多いから、そんな売れるわけないでしょうしね。

さて二回目ですが、早くもダレております。

 ていうか、一回目は気負いすぎてて、なんだか質の悪いテレビショッピングのMCみたいで気に入らないですね(笑) Finn兄弟は素晴らしいんですけどね。すみません、主に悪いのは僕です。あまり大声でしゃべるな、と。

 では、早速ですが今回はパイロット(Pilot)です。ストーン・テンプル・パイロッツじゃありませんよ。

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 写真は左からスチュワート・トッシュ(Stuart Tosh - Drums & Vocals)、ビリー・ライオール(Billy (William) Lyall - Keyboards & Vocals)、イアン・ベアンソン(Ian Bairnson - Guitars & Bass & Vocals)、デヴィッド・ペイトン(David Paton - Vocals & Bass & Guitars)
 彼らは、短命だった'70年代中庸の英国のバンドです。
 個人的な印象としては、ネットで検索すると数多のパイロットアゲのブログがヒットし、今現在の人気概況としてはクラシックロックファンの間でパイロットは果たしてレアなんだろうか、といぶかしく思うほどのパイロット人気に思えます。もちろん検索のマジックに過ぎないんでしょうけど。
 でも、アルバムが市場に品薄になるとすぐに再発されますし、日本で人気の無いムーディー・ブルースが泣き出しますよね。
 だからと言ってはなんですが、いまさらこんな素晴らしいバンドがあったんだぞ、とここで持ち上げても虚しくなるばかりです。みんな知ってるから。今知らない人はそもそもクラシック・ロックに興味の無い人なんだから、この先も知る必要すらないんじゃないでしょうか(ここはロックの評論によくある挑発部分……このブログは評論じゃないですが(笑)

 なぜかと言えば、いくら21世紀に周知のバンドとなっても、タイムマシンでも発明されない限り若い頃のパイロットのオリジナルアルバムが増えるわけではないですし、相変わらず聴くのは1970年代に録音された4枚のアルバムだけなのでありますから。
 それが悔しい、実に悔しい。自分が若い頃にしでかしてしまった過ち、その取り返せないもどかしさ、それら全てが、このパイロットというバンドに投影されてしまっていて、当のパイロットの元メンバーの皆さんが気の毒に思えるほどの投影っぷりです(主に僕の)
 いい加減そういう自分自身の悔恨を無意識に過去のバンドに投影するのをやめて、一遍自分の青春時代の総括をしてぐだぐだに酔いつぶれるべきなのではないでしょうか(主に俺が) なぜってその投影はあまりにも不毛だし、新しい価値はなにも生まないんじゃないかと思うんです。
 というわけで、ココら辺で一回、ぐしゃぐしゃになってみましょう。

 例えばこの曲、『Lovery Lady Smile』です。



 曲想はビートルズのポール・マッカートニーの『イエスタデイ』や『ミシェル』にあると思いますが、それが何故か10年後である1974年により瑞々しい楽曲として更新された、というくらいの佳曲です。もう素晴らしすぎて涙が出てきます。この時点で、この曲を作ったデヴィッド・ペイトンという人は遅れてきたメロディーメイカーと言いますか、ビートルズオタクと言いますか、そういうことを言いたいんじゃない。
 いや、逆にもっと言ってしまおう。怒られるのを覚悟で。
 ロックとはなにか、という真理がそこに見いだせるのではないか、と僅かながら感じるので。
 パイロットはただのポップバンドじゃない、ロックバンドど真ん中であったと証明することが出来るかも知れないし。

 パイロットはビートルズの葛藤すらバンド内で再現していた。
 要するに『イエスタデイ』大ヒット後の後期ビートルズでジョン・レノンがポールに友情と嫉妬を感じていて、バンドの人間関係がぐしゃぐしゃになるアレです。あのジョージ・マーティンが「ポール・マッカートニーとビートルズにバンド名を変えよう!」と言ったアレです。ポールの才能が爆発する時期ですね。
 後にジョンが『イエスタデイ』をなんであんな足蹴に言うんだろうと不思議に思いましたが、ポールとマーティンとのほぼ合作と聞いて、誰しも「これは職業上の嫉妬だ」と思うんじゃないでしょうか。これは、「なんで僕に相談してくれなかったんだよう」といじけて柄にもないNYの画廊にふらりと入ってしまっても仕方がありません。
 その場合、所謂ゲイカルチャーとか、そういう言及はこの場では避けます(もう言ってる) 男と男の友情とはなんなのか、ライバル意識とは最終的にどう昇華するのか、飛雄馬と伴宙太なのかモーツァルトとサリエリなのか、ビートルズ解散の愛憎までバンド内に持ち込んでしまうと、もう話はぐしゃぐしゃです。
 でも、そこを纏めたい。なんとか纏めないと、話が次に進まないんじゃないか(え? 進めなくていい?)
 つまり優れたメロディーメイカーであったデヴィッド・ペイトンと、次点のメロディーメイカーながらポップセンスに秀でたビリー・ライオールの黄金コンビの間に(結果として)割って入ったイアン・ベアンソン。売り出し中のセッションギタリストであった彼の類まれなギターテクに気圧されたライオールは我を張ったのか謎の上昇志向を強くして(僕の妄想)バンドを出てしまう。
 これも勝手な想像でしかありませんが、ファーストアルバムではビートルズ同様仲良く「ライオール~ペイトン」名義だった曲のクレジットが、セカンドアルバムではバラバラになってしまうのも、その時期の葛藤を表しているようで痛々しいんです。
 この時のライオールの心中は推し量る術もありませんが、同時期最盛期を迎えていたエルトン・ジョンのあり方が結果悪い方へ彼を引っ張った気がしてなりません。エルトンはこの時期に自らゲイであることを宣言してしまった。ジョン・レノンがポールの代わりにエルトンに接近していたという事実とも皮肉なくらいにダブってしまいます。ジョンはエプスタインとのエピソードからバイセクシャルだったという説もありますが、個人的にはジョンは進取の気性に富んでいた斬り込み隊長なんだと思います。ポールも最近そう言ってるし。
 時期が前後して記憶も曖昧ですが、ジョンの「失われた週末」期に彼を救ったのはポールだったということも良く知られています。ニューヨークにいたオノ・ヨーコの気持ちをわざわざ聞いて、それを遥か北米西海岸で荒れ果てた生活に明け暮れていたジョンに伝えに行ったんですよね。
 メッセンジャーボーイかっつの。
 この事実ひとつで、ポールとジョンが無二の親友同士であったことは紛れも無い事実となります。片親を失くして寂しかった少年時代の記憶が後押ししたこともあるでしょうが、なんか涙が出て来るくらいの固い絆です。その後ジョンが凶弾に倒れなければビートルズの再結成もあり得たでしょう(ジョージ・ハリスン抜きで(苦笑)
 そしてこのゴシップは当然、ビートル好きのデヴィッド・ペイトンの視野の隅にも入っていたはずです。しかしライオールはエルトン・ジョン仕込みの上昇志向で、おそらくそんな懐柔など目も呉れずゲイであることをカミングアウトしてバンドを出てしまいます。ゲイとバンド脱退がどう関係あるのかがさっぱり分からない(苦笑)
 はいはいベアンソンとの三角関係ですか、はいはい。
 どっちにしてもこの時点での最大の悲劇は、ライオールがゲイだったことです。助けようにもジョン側ではなくイケイケのエルトン側だったんですよね。助けようがない。詳しくは申しませんが、ペイトンがなにかの仲立ちをするわけには行かないのです(ゲイが悪いって言ってるんじゃありません。これはただの状況構成要素です) 先のメッセンジャーボーイ役のポールの話を引くまでもなく、優れたメロディーメイカーは保守主義な人が多いですが、それでも身持ちの良いペイトンの苦悩は想像にあまりあります。彼が『ライブラリー・ドア』を書いたのはその後になります。
 この曲はペイトンがライオールと図書館のドアの前で出会うという、パイロット結成の切っ掛けになった出来事を歌っています。



 甘いメロディーと美しいハーモニー、切ない歌詞に騙されますが、これはものすごい葛藤の末のラブソングに聴こえて仕方がありません。なぜかって、ポール・マッカートニーですらジョンのことを『Here Todey』で切々と唄うのは彼の死後ですよ。それも唄わなきゃ人非人の誹りを受けかねない状況にありましたし。それをペイトンは当の本人が生きている時にやってしまっているんです。保守的な人間にとっては凄い勇気のいることだと思いませんか。ここでペイトンはある意味ビートルズを追い越してしまいました。そしてこの曲の一方の主人公であるライオールは、この12年後に運命に導かれるようにひっそりとエイズで亡くなります。
 しかし、規模は違えど、メロディーメイカーであるデヴィッド・ペイトンとポール・マッカートニーが今も元気で音楽活動に精を出してるところまで同じですね……。
 なにも激しい曲調と機関銃のようなリズム、政治的に先鋭的な歌詞がロックの全てであるわけではないのです。
 パイロットは'60年代のビートルズの再現を'70年代に短く駆け抜け、パンクロック全盛のこの時期に、この『ライブラリー・ドア』を収録した'77年の4枚目を出して本当にバンドは終わるのです。
 積極的なプロモーションをした話などはまったく聞きません。
 ビートルズで言えば、ファーストアルバム『From The Album Of The Same Name』がペイトンとライオールのオリジナル・パイロットで元気の良かったSgt以前、セカンドアルバム『Second Flight』が渋みの出てきたSgt以降、サードアルバム『Morin heights』が「ホワイトアルバム」、最終アルバム『Two's A Crowd』が「アビーロード」の趣です。そして先ごろ出たペイトン編集によるレアトラック集『Craighall Demos 71:76 』に収められた楽曲は、すべてライオール~ペイトン名義の楽曲でした。これをアーティストの矜持と言わずなんと言いましょう。単にベアンソンに連絡が取れなかっただけじゃない、とかは考えない。時に人の尊厳はロックを上回るのです。内田裕也さん、樹木希林さんの元へ帰ってあげてください。

 過ぎた時は取り戻せない。こんな風に甘いラブソング一曲でもオタクの妄想は果てしなく頭の中をぐるぐる回るんですね。
 今回のブログの内容を不快に思った方がいましたら、本当に、本当にすみません。次回はもっと軽めに行きますから……。


記念すべき第一回は、ニュージーランド出身のデュオ、フィン・ブラザース( Finn Brothers)

 ブログ開設の初回の「はじめに」でも書いたように、昔の曲でも知らない曲の方が多い、それはこれからも豊かなリソースと成りうる、それを証明するかのようなアーティストが、このフィン・ブラザースですね。
 なにしろ、現に僕は一ヶ月前まで、この二人を知らなかったんだから。そして今、彼らが2004年に出したアルバム『Everyone Is Here』に夢中です。「あんたのリソースが貧弱なだけじゃないか」というツッコミもあるとは思いますが(笑)このブログの第一回目にぴったりなんじゃないかと思います。

 まずこの二人、1980年代後半にスマッシュヒットを放ったクラウデッドハウス(Crowded House)の中心メンバーでした。僕はクラウデッドハウスは当時のMTVなどの記憶から知っていました。しかし、もうひとつ知らなかったことがあります。
 それはこのクラウデッドハウスの前身が1970年代に異彩を放ったニュージーランドのバンド、スプリット・エンズ(Split Enz)だということです。

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 スプリット・エンズは僕のリソースでは曲は聴いたこともなく、憶えているのは集団クラウス・ノミのような奇抜なルックスしかありません(笑) 当時中高生だった僕は「怖いな」と思って貴重なお小遣いから支出するに至らなかったバンドなんですよ。それがクラウデッドハウスになっていたんだと知った時は、間抜けな話ですが正直25年越しで驚きました。

 かような出自を持つこのフィン・ブラザースですが、話を『Everyone Is Here』に戻しましょう。
 最近クラウデッドハウスを聴き直していて個人的に勝手に再評価が高まっていたのですが、その流れでこのアルバムをポチしたわけです。一聴してこの兄弟の片割れティム・フィン(Tim Finn)の才能に打ちのめされました。それ以来何度聴き直してるでしょう。オセアニアでは最強のメロディーメイカーじゃないでしょうか。そして襲ってきた後悔。「なぜ高校生の頃、怖がらずにスプリット・エンズのアルバムを買っておかなかったんだろう」
 音楽好きな人は、優れた音楽(それも単曲ではなく、アルバムという形を取ることが多い)に出会った時、「自分の人生の欠けたピースを埋めてくれた」感でいっぱいになるものです。だからスプリット・エンズから聴いてなかったことの25年もの人生の損失に強烈な後悔を感じたわけですね。スプリット・エンズのアルバムだけでも10枚近くありますし、聴き返すにも大変です。印象はおどけたビートルズというところですが、妙にノスタルジックなところは10ccに通じるし、アバンギャルドなところはXTCへと繋がります。才能を持て余しているというのがよく分かります。
 しかし、その優れた才能が同じ環太平洋圏のニュージーランドから生まれていたなんて……。
 そして、それを知らなかったなんて……。
 ネットを検索すると「オセアニアのビートルズ」なんて表現も見つかりますが、さもありなんで、そのビートルズと違うのは何処となくシアトリカル(演劇的)であること、太平洋の風のせいかチャゲアス的爽やかさを持ってるところでしょうか。

(ここでチャゲアスの名前が出ることに失望する向きもあるかと存じますが、半分冗談ですが半分本気で、環太平洋的な南国感というのは実に北米のウエストコーストサウンドにも及んでいるのではないかという、仄かな予感があります。その中心は実は太平洋の地理的中心でもあるハワイアンミュージックかも知れません。洋楽一辺倒でもないのです)



 このティム・フィンという人の作る曲には、クラウデッドハウスの頃からアコースティックな曲想の中に独特の爽やかなフックに満ちていましたが、この『Everyone Is Here』では、さらにそのメロとフックのコントラストが洗練、昇華されています。また一曲一曲の曲想も連続性とバラエティの混在が絶妙で、最後まで飽きさせません。一曲として捨て曲がないんです。正直、涙が出てくるくらい素晴らしいアルバムです。
 このアルバムの発表当時でティム・フィンは52歳、それでいてこの才気。もっともっと評価されていい人ですね。
 他のブログ記事などでは、同様に「日本で不当に評価が低い」とありましたが、それに組みしていた自分の不明を恥じると共に、第一回を締めようと思います。

 あと、最後にですが、この2000~2005年頃って、洋楽では不思議にベテランの優れたアルバムが多いような気がします。ロック最盛期のアーティストが歳月を経て、冷静に過去を振り返ることが出来る時期がこの頃に偶然重なったせいなのかも知れません。それらのアルバムも今後ご紹介できるといいなと思います。

 ではまた次回。


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