たなまログ

漫画家 田中雅人のブログです

若手女優として将来を嘱望されていた清水富美加が22歳にして幸福の科学へ「出家」、「芸能界」を引退するそうだ。
びっくりした。
事務所への不信感、撮影中の映画での人食いの役柄への拒否感、よくあるタレントの水着写真集を出すことへの嫌悪感を理由にしているが、僕はなにか不安感というか終末感というか、文芸主義や教養主義のリソースの行き詰まりを感じてならない。
更にもっと大きく、なにか日本の社会的枠組み自体の終わりの始まりのような途方もない出来事の予兆のようにも感じる。

なにをいきなり芸能人の引退騒動ネタなのかと思うかも知れないが、同じ事務所の能年玲奈の独立騒動に似たようなインデペンデントな臭いを感じた方は多いんじゃないだろうか。
さらに歴史を振り返れば、地下アイドルの始祖とも言える宍戸留美に行き着くが、その話はまたいつか。
ロック的な反骨を清水富美加の存在に感じていたからこそ注目していたわけで、出家入信宗教生活というのが結末だとしたらあまりにも寂しいのだ。

そもそも清水富美加のユニークな感性には数年前ラジオを聴いてから注目していてTwitterでフォローして時折RTなどして将来を期待していたんだが、さてその期待の将来というのはなにを前提としていたのかと問われると、日本の芸能界が将来に向かって安泰だという漠然とした前提に過ぎないことに気付く。
少子高齢化で老人の娯楽が跋扈し始めた日本で若い女優が求められる役割とは、いや女優も男優も若手芸人も小説家も漫画家も映画作家もあらゆる「食える」芸能娯楽の全てだが。
趣味の絵描きは勝手に自己完結した絵を描いていればいいのだが、金を得るには買い手
が必要だからだ。
芸能的価値とはもっぱら買い手が必要なのだ。
彼女が幸福の科学を駆け込み寺としたのは清水の両親が信者だからということから、進路の選択肢という現代的な多様性不足から逸脱せず、あまり大きな問題じゃない。
そういうプチ封建主義的な発想はもう最近の若者世代の世界観の前提で、前近代へ逆戻りしたこの社会からはなにやら貨幣経済自体の終焉すらぼんやりと予感する。
これが共産革命的な意味での貨幣の放棄ではなく、貨幣自体の価値が蒸発して行くような意味性の欠如という病が日本社会に蔓延する兆しとさえ思える。
栗本慎一郎が達者だったら原始社会において男性が資本を築くために社会的活動を始めるのに対して、女性はもとから資本を持って生まれてくると言っただろうが、その資本自体の価値が危ういものとなれば相場は一瞬で崩壊する。
そこで若者がマルクス・レーニン主義に逃げ込むような危うさに清水富美加が幸福の科学へ出家したことは良く似ている。
今の今まで共産主義が科学的であったことなど一度もなく、恣意的な統計以上のマーケティングに過ぎないのは知能の低い新興宗教でも同じだ。
僕がびっくりしつつ失望したのは、幸福の科学のようなイタコ商売ではなく、なぜ清水富美加は自分独自の新宗教を興さなかったのかということだ。
ゲーテが言った「若者とは新しい発想である」という近代ロマン主義の原点を思い起こして欲しい。
日本という独自の文明圏を持つこの国でゲーテの言葉は通用しまいという見方もあるだろうが、感情の爆発による新しい文芸の創造に国境などない。
そう、宗教は最も古い文芸の一種でもあるからだ。
そもそも物語るということは人を取り巻く無秩序な自然界の混沌に枠組みを与えるということで、イエスの発案した愛という概念も創造的な物語のテーマのひとつであることをゲーテが『若きウェルテルの悩み』で証明したからこそ近代は始まり、その自由な発想の風土から日本の明治維新も成立した。
それから百年を経ずしてヘッセの文学により(細かいことは省くが)自家撞着による西欧思想の没落が予言され、それが20世紀中に何十年もかけてゆっくりと致死性の病のように進行した。
日本の真珠湾攻撃も大雑把に言えばヘッセの予言通りであり、白人による植民地の独占の終焉という西欧世界の没落の象徴的な出来事だった。
相対主義の病はナチス・ドイツのいうゲルマン民族の復活という想像上の王国を生み出してその死期を早めた。
唯一つ、その没落に抵抗したのは同じ近代が生んだ科学思想のみだ。
しかし自然科学の知識は教養主義の枝葉となったのか。
真実を求めようとはせずに人類の月着陸を虚構と信じることによって党派を為そうとすることは相対主義を土壌に生まれたナチスドイツと同じ、怠惰という名の封建主義的な病だ。
そこには勇気も気概も無く、ただ少ないパイを奪い合うゼロサム・ゲームしか無い。新しいものはなにもない閉ざされた現代の荘園だ。
清水富美加が水着の写真集が性的搾取だと感じるのなら、なぜそもそも芸能界を志したのだろうか。そこには女性美の探求という芸術的発想も無く、プロのモデルとしての覚悟も気概も無い。
性的オナニズムの為のみに身体の露出があるとするならば、そもそもメディアを通じて不特定多数の面前に美麗な容姿を晒すこと自体と矛盾する。
身体露出がオナニズムのためでしかないという発想の貧困さが文化的多様性欠如の最たるものであり、その選択肢の無さを社会のせいにして、未知への憧憬や新たな学びを拒否する怠惰な心が蔓延る社会であってはいけない。
人食いごときがなんだ、それでも表現者かと。
例えばだが、人肉食への好奇心に耐えきれず自分の体を食った良心的カニバリストは過去も現在も必ずいたはず位は想像してほしい。
表現の前ではオールヌードもカニバリズムも嫌悪の対象になるような、たいした問題じゃないのだ。
マーケティングという虚無の思想に惑わされて、自らを表現することを見くびらないで欲しい。
相対主義の地獄、もっぱらそれは絶対孤独だが、自然科学思想の根っ子でもある。その相対性の中からしか生命の神秘の謎に迫ることは出来ない。
表現者は孤独を友とせねばならない。

衰退するジャンルの軛から逃れるには自分でジャンルを創生するしかない。
レプロにいようが幸福の科学にいようが自分というドメスティックな煉獄に囚われている限り絶対に相対的な無間地獄からは抜け出すことは出来ないだろう。

久しぶりの更新。
しかし音楽遍歴はしょうもなく更新され続ける。
そうなると古い洋楽ファンとしてBABYMETALには触れておかなければならない。
今回は長文ですよ。

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『突然変異体 BABYMETAL』

BABYMETALについて、なぜ今まで書こうとしなかったか、それは単純にデビューアルバムのリリースから2年半、YouTubeやライブで視聴目撃することが精一杯で、テキスト化する欲望があまり沸かなかったからだ。
あと長文になりそうなこともある。
また、ここ数年で膨大なファン層に膨れ上がりブログ等で今まで散々語り尽くされて来ているので、なるべく重複のない自分なりの見解のみ記するのがいいと思う。

さて、その個人的見解では、BABYMETALはJPOPとメタルという共に(世界では)ニッチなジャンルのハイブリッドで、

1、メタルの轟音
2、賛美歌独唱のような独特なヴォーカル
3、メタルのリフを視覚化したような強烈な振り付けとダンス

~以上3つで出来ている。
この1,2の要因と、テレビメディアにほとんど露出が無いので日本の若い層への浸透はイマイチだ。
3に至っては時代的にメタルスキルの無い視聴層の意識まで届かない。
それなのに東京ドームに11万人を集めた。

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(自分も初日を観に行った。それはまたいつか書きます)

この世のあらゆる事象は無意味に変化し続けるだけという厭世的な世界観は音楽にもある。
しかしそれとはまた別に、音楽も進化、高度化し続けるものだという希望を持てる世界観がある。

「最近の音楽なんてR&B、ラップやEDMばっかりじゃないか、古い曲聴いてた方がマシだ」

そう言って古い洋楽ファンが腐るのは、新しいものを求める心が長年裏切られ続け、そんな不当な状況に数十年かけて慣れて来てしまっているからだ。
過去の名作アルバムやアーティストの楽曲群は技術の進歩でいつのまにかiPod、iTunesのプレイリストに全て収まり、拾い物のコンテンツで補完され音楽アーカイブ化したそれは長大な時間をかけて再生され続けるBGM化して日常に溶け込み、仕舞には抜け穴を埋めるような音楽収拾の日常作業の場となり、コンプリートされればいつの日にかまとめて聴くまで放置、忘れ去られる存在となった。
否定できないでしょう?
自分がそうだからだ。

『膠着する洋楽世界』

そんな音楽愛好家の嘆きを象徴するような事件が去年、アメリカのグラミー賞授賞式で起きた。
BECKのアルバム『Morning Phase』のアルバムオブザイヤー&ロックアルバム賞受賞だ。

Beck_Morning_Phase
















なんでBABYMETALのエントリにBECKなんだと思われるだろうが、まぁ聞いてほしい。
なんと、その授賞式の舞台に例のカニエ・ウエストが乱入し「こんな地味なアルバム、グラミーに相応しくねえ! ビヨンセにやれ!」と暴言を吐きニュースになった。
この事件は、ビヨンセは素晴らしいんだろうが、カニエお前は知らねえ、この売名家め!というところに落ち着く。
さてBECKのアルバム『Morning Phase』は前々作の『Sea Change』をさらに素晴らしくしたようなロックの名盤だった。
でも正直、なんだこのリリースされたとたんの名盤感。
(この感覚は最近のクリント・イーストウッド監督の映画にも通じる。公開されたとたんの名画感。この共通点は現代の~先進国に於いての~膠着した時代感覚として特記していいと思う)

名盤とは10年20年経っても聴き続けられて評価の定まったアルバムのことじゃないのか普通。

古いファンはコリン・ブランストーンやティム・バックレイなどを思い出す温故知新なBECKのアルバムは確かに素晴らしいが、果たしてこれは優れたロックアルバムとして手放しで絶賛していいものだろうか?
これは普段聞いてる洋楽アーカイブ自体を新しく作品化したような既視感バリバリの不思議なアルバムで、ある意味退屈極まるアルバムでもあり、こんなノスタルジーに浸りきった作品にロックの音楽の未来を託すわけにはいかない。
だからこんなもん音楽のゾンビだ、と思わず授賞式に乱入してしまうカニエ・ウエストの気持ちも分からなくもない(分からないが)

kanye_west-otis













   <カニエ・ウエストご尊顔>

彼の手落ちは音楽家としてBABYMETALを素通りしたことだ。
音楽の膠着はカニエ・ウエスト、お前のせいでもある。
なに同僚のアーティストに八つ当たりしているんだ。

という膠着感を踏まえた上で2年前の春、英国のソニスフィア・フェスティバルへのBABYMETAL出場前のカウントダウンに遡る。

『BABYMETALがソニスフィアでやったこと』

2011年のデビューシングル『ドキドキ☆モーニング』の頃から知ってはいた。
(YuiMetalとMoaMetalが幼すぎて手を出せなかった。弟はしっかりデビューシングルを買ってた。尊敬)
その後『ギミチョコ!』でメタルとのハイブリッドが成熟してるのを知り、急遽発売されたばかりのデビューアルバムを手に入れ本格的に聴いてハマってしまう。
直後、出演が決まったソニスフィア(あの聖地ネプワースですよ)でメインステージに昇格されたと聞いて度肝を抜かれ、ハラハラドキドキしながら現地一報が入るのを待ちわびていたあのソニスフィアだ。

sonis_babymetal


















     <出番を待つ不安そうな3人>

さて、古い洋楽ファンというのは、自分の音楽遍歴にこだわる。
というより、それぞれ聴いてきた時代の音楽に呪縛されている。
自分の場合はメタル黎明期に洋楽を聴き始め、ロックの洗礼を受けたのはエアロスミス、KISS、QUEENのロック御三家の時代で、エアロとKISSは初来日を武道館で観ている。
で、当時ちょっとルーツに遡って聴いていたのがレッドツェッペリンだった。
(当時は数年違いでルーツ扱いだったんですよ)
初めて買ったアルバムが『House of Holly』(1973)で『Physical Graffiti』(1975)は2枚組で高くて買えず友人に借りて、ライブアルバムの名作『The Song Remains The Same~永久の詩』(1976)を高校の寮でラジカセの轟音で聴きまくっていて、隣室の後輩に怒鳴り込まれた。
同時代で買えたオリジナル・アルバムがラストアルバムの『In Through The Out Door』(1978)という感じ。
『The Song Remains The Same』はライブアルバムのレジェンドと言われるくらいに音響的にも徹底的に作り込んだ新時代の作品だったと思う。

Led_Zeppelin_-_The_Song_Remains_the_Same














それまでライブアルバムと言ったら、会場で録りっぱのようなローリング・ストーンズの『Get Ya! Ya's Out!』に代表される、現場の雰囲気を知るにはもってこいだが音楽として聴くにはどうも、という、まさに記録としてのライブ音源だったわけだが、ジミー・ペイジはステージ上のライン音源を全てミックスし直して、不満部分はスタジオで再演奏した新たな音源も加えた作り物としてのライブ・アルバムのかたちを「創造」した。
現代のライブアルバムでは当たり前と言えるその作業を最初にした代表的な人物はジミー・ペイジだ。
これは忘れられがちなことなので特記すべきだ。

個人的な遍歴ではその後ピンク・フロイドやイエスなどプログレに流れたので、メタルがスッポリ抜けている。
(それ以前にパンクに行かなかったのには理由がある。笑えるので機会があったらいつか書きます)
'80年代はパンクの流れを汲んだメタルではなく、なんとなくオシャレ感覚でThe Jamのポール・ウェラーのスタイル・カウンシルに流れてしまい(これはこれで最悪だね)仕事で忙しくなったのもあるが自分の音楽趣味もすっかりBGM化してしまった。

(ここで言い訳するのもなんだけど、'80年代中庸ではメタルは日本では音楽的な達成は別にしてエンタメとしてはメタリカより聖飢魔Ⅱのが面白かったのです。国内のバンドに対する扱いも、この頃にはすっかりネタ化してしまっている。これはこれでTVメディアの悪影響を感じる。いや、当時は実際国内のアイドルソングの方がプロモビデオに席巻された洋楽より状況的に面白くなっていたんですよ。小泉今日子がいきなり刈り上げにしたり、松田聖子の曲を細野晴臣が書いたり、バンド系も戸川純とかゼルダとかもろもろ)

で、そんな頃いきなり『The Song Remains The Same』で欠けていた映像面を補完したのが'85年のライヴエイドへのレッドツェッペリン再結成だった。北米のJFKスタジアムのフィル・コリンズのステージで突然ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズを呼び込み、コリンズ自身とシックのトニー・トンプソンのダブルドラムでいきなり往年のツェッペリンが復活したのだ。

(ライブエイドそのものは当時のロックの膠着状態をまざまざと示したイベントで、プロモビデオ全盛の時代ではロックバンドも束にならないとメインストリームにかなわない時代の先駆けというか、凡庸極まる曲『We are the World』をPOPタレントとデュエットするブルース・スプリングスティーンに落涙したというか、ボブ・ゲルドフがロックに引導を渡したというか、まぁそれも別の話だが、実はロックの凋落は30年も前のこの頃に始まっている。最近のメタルの凋落がどころじゃないのだ)

その時演奏されたのは「ロックン・ロール」「胸いっぱいの愛を」「天国への階段」の3曲で、まさに(TVの)眼前にライブアルバム『The Song Remains The Same』が再現されたような驚嘆すべきステージだった。



実感が沸かないと思うから繰り返すが、この頃すでにツェッペリンは伝説だったのだ。
ジョン・ボーナムが亡なってはや6年、ロバート・プラントの声もボロボロだ。
今から考えると古い、あまりにも古い。
しかしその時の衝撃は社会現象だった頃のロックの情熱をしっかり再現させてくれ、満員のスタジアムの群衆の途方も無さと共にしっかりと脳裏に刻み込まれたのだった。
しかし、残念なことに熱狂の余韻はそれで最後だった。
もう社会を巻き込む現象としてロックはこれ以降、TVメディア等を通じて大衆が目撃する機会を失ってしまった。

しかし、それがまったく予想もしていなかった形で、30年の時を経てBABYMETALの手によりいきなりネプワースの地に出現したのだ。
ネプワースと言えばツェッペリンですよストーンズですよ、そんな聖地のメタルフェスでBABYMETALが本当に演るのかよ信じられないんだが(思い返す今でも信じられない)
どうなるかなぁ、お客さん来てるかなぁ、ステージ上の3人は緊張でグダグダになるんじゃないかなぁ、ソニスの荒くれメタラー共が伝統の小便入りのペットボトル投げつけやしないかなぁ、心配で胃がおかしくなりそうな気持ちで当日を迎えたら、この大盛況ですよ。

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あのね、話し言葉になっちゃうけど、ソニスフィアのBABYMETALのステージ前に集まった観衆は先程のライブエイドもかくやの5~6万人ですってよ。
しかもクドいようですが、ここイギリスのネプワース、ロックの聖地なんですよ。
冒頭、腕慣らしのインスト『BABYMETAL DEATH』の次、『ギミチョコ!』は勢いでいえばゼップの『Rock & Roll』ですよ。
『キャッチミー』に続いて『メギツネ』が『Whole Lotta Love』なら『イジメ・ダメ・ゼッタイ!』の醸し出す永遠性は『天国の階段』ですよ。
特に『イジメ・ダメ・ゼッタイ!』の会場が一瞬静まった時のSu-Metalの高音のシャウトで聴衆が沸き返るさまは、『永久の詩』の『The Song Remains The Same』のプラントの絶唱が蘇り、意表を突かれて思わず涙が溢れました。



そう、これ半ば実況でYouTubeで観た時の衝撃たるや、ロックの伝説の再現であり、さっきのツェッペリンじゃありませんが30年の時を経た二重再現なんてことがあるのかと頬をつねる感じ、分かりますかね?
これでBABYMETALが2年前にネプワースで如何に途方も無いことをやってのけたということを分かってもらえますかね?
いや、ロックもあまり知らない興味もない人々にも、です。
あえてここではメタルじゃなく、ロックと言いますよ。
メタルもロック発祥のジャンルですからね。
一般の人々にとってはもはや遠い存在のロックよりも、更に遠くにメタルは位置してるんですよ。
メタルの轟音は一般的には雑音でしかないわけですよ。
それくらい一般的にはどうでもいいことなんでしょうけど、われわれ長年腐っていた洋楽ファンは失われた10年どころか30年を経て復活したロックの伝説に酔い痴れなければなりません。
メタルどころかロックにも興味のない一般ピーポーのことなど知ったこっちゃありません。
こちとら生存権がかかっていますからね、必死ですよ。
というわけで各自、己の音楽遍歴の挫折と屈折の記念イベントに照らし合わせたような楽曲を提供し続けるBABYMETALからは今後なお一層、目を離すことができません。

『ロックの星々を継ぐもの』

そしてまた1985年に戻るが、そのライブエイドで演奏した一方の星がメタルレジェンドのジューダス・プリーストだった。
その時の動画がこちらです。



そして今年7月、BABYMETALがプリーストのロブ・ハルフォードとコラボするに及んで、此処にロックの歴史は30年の時を経て一本の線で繋がるのです。
往年の洋楽マニアがここで泣かないでどこで泣くんでしょうか?
(ロブ・ハルフォードは昔から自分たちのファンをメタルマニアックスと呼ぶのであえてマニアと書きました)
互いにリスペクトし、同じ土俵でロックとメタルの生存をかけた戦いをしている彼らはWe are the Worldみたいな凡庸な曲でコラボはしません。
BABYMETALもジューダス・プリーストもそれぞれ自ら選んだ環境と戦い、その生き残りをかけているんです。
だからガチです。



BABYMETALはソニスフィアを乗り切った時、その後の成功への片道切符をすでに手に入れてしまいました。
なぜならメタルとJPOPを有機的に結合させるという新しい達成をロック-メタル史に刻んだからです。
有機的というのは一方通行ではない、バックが単なるオケではないユニットがバンドとして一体となったインタラクティブな意味での結合とでも言うのでしょうか。
しかもそこにダンスの振り付けががギターリフに対応するという、誰も考えなかった達成が含まれているんです。
どの分野でも新しいことを最初にやった人はリスペクトされ、いずれレジェンドとして歴史に刻まれます。
ビーチボーイズは50年前、無理だと言われていたロックンロールとコーラスを現実に結合させ、それを実際にヒットさせて見せてロックの表現を高め、それまでのチャートの様相を刷新した。
(それまでロックンロールには爽やかなコーラスによる合いの手や掛け声は無かったんですよ)
そのビーチボーイズのブライアン・ウィルソンに触発されたポール・マッカートニーはクラシックとロックを融合させ組曲風のコンセプトアルバムを発表し歴史に名を残した。
(ロック初のオーケストラコラボのコンセプトアルバムとしては、ムーディー・ブルースの『Days Of Future Passed』がありますが、これはヒットシングルを軸としたレーベル主導の企画だった。だがこれも時代に先駆けた優れたアルバムだった)
ピート・タウンゼントはアルバム『Tommy』でロックをオペラ風の物語に仕立て、次作ではエレクトロニカを導入して歴史に名を残した。
新しい発想とその実現はこうして常に音楽の表現の幅を広め、そしてその貢献は世界の音楽好きから世代を超えて永遠にリスペクトされるのです。
BABYMETALはいずれロックオブフェームにその名を刻まれる、これは無慈悲にも論理的に言って将来実現されるでしょう。
もう諦めましょう。
音楽の論理から言っても(それを音楽の神という表現もよく聞くが)BABYMETALの奇跡はこれからも続くのです。

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今回は日本のロック・レジェンド、少年ナイフです。

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 少年ナイフの国内状況はここ20年間、一向に好転しないで来た。
 失われた10年が20年になって久しいが、日本の経済状況と似ていないでも無い。そのナイフがおそらくメンバーチェンジ後の最高域に達しようとしている今でさえ、状況は改善の兆しさえ見せないのだ。
 今年出たアルバム『Pop Tune』はもちろんナイフファンどころか全ロックファン必聴の最高傑作だ。
 それは初期の『Pritty Little Baka Guy』に匹敵するポップな内容で、過渡期の傑作『Rock Animals』からの三段進化の到達点だろう。音響的にはマーティー・フリードマンさんが言うように『Let's Knife』に近い中音域に絞った不思議なアナログ感があると思う。トランジスタラジオから聴こえる曲に励まされるような、遠くて近い親戚みたいな親近感というか、そんな温もりと一緒に、引き出しのノートに下から忘れていた一万円が出てきたようなお得感もある。そんなポップの魔法感覚を少ないボキャブラリーでどう表現していいかわからない。

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 ナイフが現在のメンバーに固まってからの成長ぶりは著しいものがあった。前々作の『Free Time』にその兆しが見え、旧メンバー中谷美智枝さんのサイケな曲もライブで出来るようになり、前作『Osaka Ramones』で全世界のラモーンズファンを感涙のドツボへ叩き込んでいたので、それだけでも幸せだったのだが、今年になってこんな傑作が届けられるなんて、20年以上ファンをやってきて良かったと心の底から思う。その楽しげなステージから良質なフィードバックがあったのかも知れない。若手ふたりの広がるようなコーラスワークも堂に入っている。山野敦子さんの手による新しいステージ衣装もその原点回帰と新しい出発を物語っている。
 リツコさんの唄う『Sunshine』というこの曲なども聴いていて思わず涙が滲んでしまう。'60年代のアメリカン・フォーク・ロックそのものの温かいテイスト、エミさんが穏やかに叩きこむプロコルハルムばりのドラミングに何度も相槌を打ってしまう。音楽のメッセージそのものだ。そもそも音楽に政治的メッセージを乗せるなどという芸当が出来るのはポール・ウェラー師匠くらいなのだ。ポール師匠は「今回のサッチャーの税制改革は貧乏人を殺すぜ」などという各論に刻んだメッセージを乗せて外すという芸当をこなしていたからダサくならずに済んだわけで、『War is Over』とか言っちゃ駄目なのだ(すぐどっかで始まっちゃうから) おそらくThe Jamファンでもある山野師匠はそこら辺の匙加減も学んでいるのだ。



 話が横道に逸れたが(そうでもないんだが)その種のロックの反逆精神とかメッセージ性とかで誤誘導させてアーティストを上げて叩く音楽プレスの鼻っ柱を潰したのも少年ナイフの山野直子師匠だ。
 15年ほど前のインタビュー記事で「少年ナイフにはロック的なメッセージ性がありませんね」とか嫌味を言ったあげく「日本では男女差別があると聞きますが」と現地プレスに振られ「我が家では母がボスですが」とかわしたのだ。
 日本が欧米基準で男女差別が多いのは規定の事実として、お国の事情もあるのよ、引いて支配するという知恵もあるの、と言外のアピールをしたわけであり、なおかつ馬の骨のようなプレスに義理を売ってむざむざ自国を売る愚かな真似もしないとういう芸当をこなしていた。
 そもそもそんな社会的ストレスから開放されるために音楽はあるのであって、社会にストレスが無くなってしまったら商売上がったりともいえる。人間ふたり出会えばストレスが生じるわけだし、そのストレスを糧としてなにかしようと思うのが人間なのだという、当たり前の部分から壊れてしまっているのがマスコミというものなんだろうね。

 個人的にはアルバム最終曲を帰国していた敦子さんも交えて演奏したこのインストア・ライブで感激してしまいました。山のアッちゃんは永遠です。




 少年ナイフは日本が誇る最強のパンクポップバンドだ。にも関わらず、JPOPのボイトレ歌唱法やコード進行しか知らない若者から、ジョン・レノンを無断で見当はずれな神輿に担ぐ団塊世代までが無視を続けている。奴らの価値基準は「それらしいクォリティ」であり、「スピリッツ」ではない。
 ただ、そんな状況も20年という荒波を経てくると、いまさらどうでもいいというか、枯淡の境地に達するのであって、むしろその状況を楽しむべきなのだろう。
 考えてみれば「それらしいクォリティ」というのは一定の水準を意味する「職人技」に繋がるんであり、天然資源の少ない日本のモノ造りの基本でもあるから生きていくためには必要なものだ。それにロック好きにもいろいろいるわけで、パンクを受け付けないロックファンは実は多い。もともとそっちのが多数派なのだ。
 でも産業ロック(by高橋幸宏)の品質維持に疲れる時は誰だってあるだろう。そういう時に魂を休めるというか、いや、むしろレイドに外すというか、そういう態度こそロックだろう。何度も死んでいるロックだからこそ不死鳥のように蘇る瞬間を目にすることが出来るのだ。死んじゃ駄目なのだ。これが大阪の西成区出身の直子師匠の教えである。

 例えばこの、ヤフー知恵袋で解決済みの質問なども、楽しく読めるだろう。

少年ナイフって何者なんですか?

 それだけではなく、下の方のリンクにある質問などにも寄り道できるだけの余裕も生まれているだろう。

TOKIOはニルヴァーナを超えた!! 皆さんTOKIOはバンドとしてニルヴァーナを超え...

 死人に口なしというか、「いやジョンのイマジンってのは……」とか「いや尾崎豊がデビューした時は……」とか、そういう抵抗はすでに放棄すべきなのだ。むしろ「そうそう」と相槌を打って状況を混乱させた方がロックだ。放っといても連中は科学の発達で霊界から告訴できるようになってから泣くはずだ。
 確かにある意味TOKIOはニルヴァーナを超えている部分もある。ニルヴァーナに年長ジャニーズ城島の味わいを表現しろと言っても無理な話だからだ。そういう意味では確かに超えている。かつてジャニーズには男闘呼組というロックなユニットもあったし。それはいずれムーディー・ブルースの回に取り上げることになると思う(なんでだよ)
 

前回のパイロットの4枚のアルバムのうち3枚をプロデュースしたのはアラン・パーソンズ(Alan Parsons)、その最終アルバム『Two's A Crowd』と同年の'77年に発表されたのが、このアル・スチュワートの『Year Of The Cat』です。プロデューサーもレーベルも同じアリスタで、だからかアルバムを統一するクリアな音色もどことなく似ています。

 というわけでパイロット繋がりで今回はアル・スチュワート(Al Stewart)です。

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 なんかパーソンズの都合で両者ともアリスタなのか知りませんが、これはもうプロデューサーの色が強すぎて苦笑いしてしまうくらいですが、それだけ当時のパーソンズの勢いは凄かったんでしょう。なにしろビートルズの『アビー・ロード』(Abby Road)とピンクフロイドの『狂気』(The Dark Side of the Moon)直系のエンジニアですからね。個人的にはパーソンズがいなければ『狂気』の記録的大ヒットは生まれなかったとすら思います。これじゃまずいと思ったか、フロイドは次作の『炎』(Wish Your Were Here)ではパーソンズ外してますよね(苦笑)
 そのパーソンズ率いるアラン・パーソンズ・プロジェクトの'80年代中盤に及ぶ数あるヒット曲群ですが、この一曲に負けていると思います(笑)



 もちろんアル・スチュワートの数あるヒット曲の中でも、この『Year of the Cat』は最高曲だと思います。
 YouTubeのコメント欄に一言「Earganizm」とありましたが(笑)言い得て妙です。スチュワート独特の舌っ足らずなボーカルに引っ張られてストリングス、アコギ、サックス、ギターソロと畳み掛けてくる構成は唯一無比、もう永遠のAORの傑作と断言してしまいますが、日本ではここ30年、あまり話題に上りませんね。

 ちょうど前年のボストン(Boston)の『More Than Feeling』あたりからのアコースティックな大作の一本だと思いますが、後に「産業ロック」などと揶揄される原因を作った一人もまたアラン・パーソンズなんじゃないかと思います。そんなの雑音に過ぎませんけどね。
 あんまり出来栄えが完璧で、さらに大ヒットしてしまって、次のアルバムのタイトル曲『Time Passage』が全く同じような構成になってしまいました。
 それでもいい曲なんですよね。



 その秘密は、アル・スチュワートの原曲が清廉な弾き語り曲だったおかげではないかと思います。曲的には路端に咲くヒナギクのような、ささやかな小品なんだと思うんですよ。それをパーソンズはぐわっと広げて大袈裟にアレンジしてしまう。
 なんでそこまで、ということで、スチュワートとパーソンズのコラボはこれで終了となります。
 これを聴くと、パイロットはビートルズ直系のソングライティングという根っこの強さが幸いして、実はあまりパーソンズに引っ張られていなかったんじゃないかという気がしてきます。彼らのレアトラック集『Craighall Demos 71:76』を聴くと、その音楽家としての芯の部分の豊かさがよく分かります。そしてそれが、現在に至る根強いパイロットへの支持に繋がっているのではないかと。

 しかしスチュワートの場合、パーソンズと離れた後が辛い。大ヒットを経験してしまったがためか素朴な曲調から清廉な爽やかさが消えてしまい、鳴かず飛ばずとなってしまいます。
 実はパーソンズって結構アーティスト殺しなんじゃないかと思う所以です。
 今世紀に入ってからも発表するアルバムごとに「かつての勢いには今一歩」などと気の毒なコメントが多いです。スチュワートの素はフォークなのに……。
 でもそう考えると逆に、ディランの『風に吹かれて』とかジョン・デンバーの『故郷に帰りたい』をパーソンズアレンジで聴いてみたい気もします(笑)
 
 しかしこう書くと、なんか踏んだり蹴ったりなアル・スチュワートですが、やはりアルバム『Year Of The Cat』は傑作だと思います。一曲目の『Lord Grenville』からどこか異国へ心だけが音のさざ波に乗せて連れ去られるような、とても不思議な曲想に満ちています。なんかすべての楽器の奏でる音色が魔法のように生きて、有機的に楽曲に作用している。これはパーソンズの力だけじゃなく、やはりスチュワートの詩心とのコラボでなにか才気の化学反応のようなことが起こったに違いがないんです。アラン・パーソンズ・プロジェクトでもこれだけの魔法は掛かっていないですから。そんな予感も、二曲目の『On The Border』ではティム・レンウィック(Tim Renwick)のスパニッシュ・ギターで早くも国境の向こうへすっ飛ばされます。
 30年聞いていても、まだ飽きません。

 ちなみに、毎回記事の末尾にamazonのアフェイリエイトが貼り付けてありますが、べつにこれで儲けようというわけではなく、なんかカッコイイから付けてみたかっただけです(笑)
 もとい、レア曲が多いから、そんな売れるわけないでしょうしね。

さて二回目ですが、早くもダレております。

 ていうか、一回目は気負いすぎてて、なんだか質の悪いテレビショッピングのMCみたいで気に入らないですね(笑) Finn兄弟は素晴らしいんですけどね。すみません、主に悪いのは僕です。あまり大声でしゃべるな、と。

 では、早速ですが今回はパイロット(Pilot)です。ストーン・テンプル・パイロッツじゃありませんよ。

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 写真は左からスチュワート・トッシュ(Stuart Tosh - Drums & Vocals)、ビリー・ライオール(Billy (William) Lyall - Keyboards & Vocals)、イアン・ベアンソン(Ian Bairnson - Guitars & Bass & Vocals)、デヴィッド・ペイトン(David Paton - Vocals & Bass & Guitars)
 彼らは、短命だった'70年代中庸の英国のバンドです。
 個人的な印象としては、ネットで検索すると数多のパイロットアゲのブログがヒットし、今現在の人気概況としてはクラシックロックファンの間でパイロットは果たしてレアなんだろうか、といぶかしく思うほどのパイロット人気に思えます。もちろん検索のマジックに過ぎないんでしょうけど。
 でも、アルバムが市場に品薄になるとすぐに再発されますし、日本で人気の無いムーディー・ブルースが泣き出しますよね。
 だからと言ってはなんですが、いまさらこんな素晴らしいバンドがあったんだぞ、とここで持ち上げても虚しくなるばかりです。みんな知ってるから。今知らない人はそもそもクラシック・ロックに興味の無い人なんだから、この先も知る必要すらないんじゃないでしょうか(ここはロックの評論によくある挑発部分……このブログは評論じゃないですが(笑)

 なぜかと言えば、いくら21世紀に周知のバンドとなっても、タイムマシンでも発明されない限り若い頃のパイロットのオリジナルアルバムが増えるわけではないですし、相変わらず聴くのは1970年代に録音された4枚のアルバムだけなのでありますから。
 それが悔しい、実に悔しい。自分が若い頃にしでかしてしまった過ち、その取り返せないもどかしさ、それら全てが、このパイロットというバンドに投影されてしまっていて、当のパイロットの元メンバーの皆さんが気の毒に思えるほどの投影っぷりです(主に僕の)
 いい加減そういう自分自身の悔恨を無意識に過去のバンドに投影するのをやめて、一遍自分の青春時代の総括をしてぐだぐだに酔いつぶれるべきなのではないでしょうか(主に俺が) なぜってその投影はあまりにも不毛だし、新しい価値はなにも生まないんじゃないかと思うんです。
 というわけで、ココら辺で一回、ぐしゃぐしゃになってみましょう。

 例えばこの曲、『Lovery Lady Smile』です。



 曲想はビートルズのポール・マッカートニーの『イエスタデイ』や『ミシェル』にあると思いますが、それが何故か10年後である1974年により瑞々しい楽曲として更新された、というくらいの佳曲です。もう素晴らしすぎて涙が出てきます。この時点で、この曲を作ったデヴィッド・ペイトンという人は遅れてきたメロディーメイカーと言いますか、ビートルズオタクと言いますか、そういうことを言いたいんじゃない。
 いや、逆にもっと言ってしまおう。怒られるのを覚悟で。
 ロックとはなにか、という真理がそこに見いだせるのではないか、と僅かながら感じるので。
 パイロットはただのポップバンドじゃない、ロックバンドど真ん中であったと証明することが出来るかも知れないし。

 パイロットはビートルズの葛藤すらバンド内で再現していた。
 要するに『イエスタデイ』大ヒット後の後期ビートルズでジョン・レノンがポールに友情と嫉妬を感じていて、バンドの人間関係がぐしゃぐしゃになるアレです。あのジョージ・マーティンが「ポール・マッカートニーとビートルズにバンド名を変えよう!」と言ったアレです。ポールの才能が爆発する時期ですね。
 後にジョンが『イエスタデイ』をなんであんな足蹴に言うんだろうと不思議に思いましたが、ポールとマーティンとのほぼ合作と聞いて、誰しも「これは職業上の嫉妬だ」と思うんじゃないでしょうか。これは、「なんで僕に相談してくれなかったんだよう」といじけて柄にもないNYの画廊にふらりと入ってしまっても仕方がありません。
 その場合、所謂ゲイカルチャーとか、そういう言及はこの場では避けます(もう言ってる) 男と男の友情とはなんなのか、ライバル意識とは最終的にどう昇華するのか、飛雄馬と伴宙太なのかモーツァルトとサリエリなのか、ビートルズ解散の愛憎までバンド内に持ち込んでしまうと、もう話はぐしゃぐしゃです。
 でも、そこを纏めたい。なんとか纏めないと、話が次に進まないんじゃないか(え? 進めなくていい?)
 つまり優れたメロディーメイカーであったデヴィッド・ペイトンと、次点のメロディーメイカーながらポップセンスに秀でたビリー・ライオールの黄金コンビの間に(結果として)割って入ったイアン・ベアンソン。売り出し中のセッションギタリストであった彼の類まれなギターテクに気圧されたライオールは我を張ったのか謎の上昇志向を強くして(僕の妄想)バンドを出てしまう。
 これも勝手な想像でしかありませんが、ファーストアルバムではビートルズ同様仲良く「ライオール~ペイトン」名義だった曲のクレジットが、セカンドアルバムではバラバラになってしまうのも、その時期の葛藤を表しているようで痛々しいんです。
 この時のライオールの心中は推し量る術もありませんが、同時期最盛期を迎えていたエルトン・ジョンのあり方が結果悪い方へ彼を引っ張った気がしてなりません。エルトンはこの時期に自らゲイであることを宣言してしまった。ジョン・レノンがポールの代わりにエルトンに接近していたという事実とも皮肉なくらいにダブってしまいます。ジョンはエプスタインとのエピソードからバイセクシャルだったという説もありますが、個人的にはジョンは進取の気性に富んでいた斬り込み隊長なんだと思います。ポールも最近そう言ってるし。
 時期が前後して記憶も曖昧ですが、ジョンの「失われた週末」期に彼を救ったのはポールだったということも良く知られています。ニューヨークにいたオノ・ヨーコの気持ちをわざわざ聞いて、それを遥か北米西海岸で荒れ果てた生活に明け暮れていたジョンに伝えに行ったんですよね。
 メッセンジャーボーイかっつの。
 この事実ひとつで、ポールとジョンが無二の親友同士であったことは紛れも無い事実となります。片親を失くして寂しかった少年時代の記憶が後押ししたこともあるでしょうが、なんか涙が出て来るくらいの固い絆です。その後ジョンが凶弾に倒れなければビートルズの再結成もあり得たでしょう(ジョージ・ハリスン抜きで(苦笑)
 そしてこのゴシップは当然、ビートル好きのデヴィッド・ペイトンの視野の隅にも入っていたはずです。しかしライオールはエルトン・ジョン仕込みの上昇志向で、おそらくそんな懐柔など目も呉れずゲイであることをカミングアウトしてバンドを出てしまいます。ゲイとバンド脱退がどう関係あるのかがさっぱり分からない(苦笑)
 はいはいベアンソンとの三角関係ですか、はいはい。
 どっちにしてもこの時点での最大の悲劇は、ライオールがゲイだったことです。助けようにもジョン側ではなくイケイケのエルトン側だったんですよね。助けようがない。詳しくは申しませんが、ペイトンがなにかの仲立ちをするわけには行かないのです(ゲイが悪いって言ってるんじゃありません。これはただの状況構成要素です) 先のメッセンジャーボーイ役のポールの話を引くまでもなく、優れたメロディーメイカーは保守主義な人が多いですが、それでも身持ちの良いペイトンの苦悩は想像にあまりあります。彼が『ライブラリー・ドア』を書いたのはその後になります。
 この曲はペイトンがライオールと図書館のドアの前で出会うという、パイロット結成の切っ掛けになった出来事を歌っています。



 甘いメロディーと美しいハーモニー、切ない歌詞に騙されますが、これはものすごい葛藤の末のラブソングに聴こえて仕方がありません。なぜかって、ポール・マッカートニーですらジョンのことを『Here Todey』で切々と唄うのは彼の死後ですよ。それも唄わなきゃ人非人の誹りを受けかねない状況にありましたし。それをペイトンは当の本人が生きている時にやってしまっているんです。保守的な人間にとっては凄い勇気のいることだと思いませんか。ここでペイトンはある意味ビートルズを追い越してしまいました。そしてこの曲の一方の主人公であるライオールは、この12年後に運命に導かれるようにひっそりとエイズで亡くなります。
 しかし、規模は違えど、メロディーメイカーであるデヴィッド・ペイトンとポール・マッカートニーが今も元気で音楽活動に精を出してるところまで同じですね……。
 なにも激しい曲調と機関銃のようなリズム、政治的に先鋭的な歌詞がロックの全てであるわけではないのです。
 パイロットは'60年代のビートルズの再現を'70年代に短く駆け抜け、パンクロック全盛のこの時期に、この『ライブラリー・ドア』を収録した'77年の4枚目を出して本当にバンドは終わるのです。
 積極的なプロモーションをした話などはまったく聞きません。
 ビートルズで言えば、ファーストアルバム『From The Album Of The Same Name』がペイトンとライオールのオリジナル・パイロットで元気の良かったSgt以前、セカンドアルバム『Second Flight』が渋みの出てきたSgt以降、サードアルバム『Morin heights』が「ホワイトアルバム」、最終アルバム『Two's A Crowd』が「アビーロード」の趣です。そして先ごろ出たペイトン編集によるレアトラック集『Craighall Demos 71:76 』に収められた楽曲は、すべてライオール~ペイトン名義の楽曲でした。これをアーティストの矜持と言わずなんと言いましょう。単にベアンソンに連絡が取れなかっただけじゃない、とかは考えない。時に人の尊厳はロックを上回るのです。内田裕也さん、樹木希林さんの元へ帰ってあげてください。

 過ぎた時は取り戻せない。こんな風に甘いラブソング一曲でもオタクの妄想は果てしなく頭の中をぐるぐる回るんですね。
 今回のブログの内容を不快に思った方がいましたら、本当に、本当にすみません。次回はもっと軽めに行きますから……。


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