音楽のスキマ

あらゆる隙間音楽、忘れ去られる前に記述せよ

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やっと更新しますBABYMETAL主催のダークナイトフェスティバル。
さいたまスーパーアリーナ、去年の巨大キツネ以来1年ぶりのSSAであります。

結論から言えば大成功で、あらゆる杞憂はスーメタルの歌声に溶けて流れて……と言うよりは、ギャラクティックエンパイア(以下GE)、サバトン、ベビメタのフェスに向ける渾身のライブの熱気で一瞬のうちに蒸発いたしました。
下の幸福を絵に描いたような一枚の公式写真がすべてを物語っていると思います。

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ベビメタの公演内容は幕張を踏襲して、モアメタルのGJ!がメタタロウに入れ替わったものでした。
ドラムの青山さんの不在が報告されていたので、とても不安でしたが、初っ端「In the Name of」~「Diatortion」の流れで違和感を感じなかったのに安堵して、「メギツネ」かなにかでのオーバーアクションまでには不慣れを情熱でカバーする謎のドラマーへの信頼感すら生まれ、ド素人のいらぬ不安は今回も杞憂に終わったんであります。
(あとで聞いた話だと新ドラマーはEijiさんという方だったようです。ベビメタにまた新たな助っ人が加わりましたね!)

公演内容の楽曲に関しては前回幕張同様の感想になるので省きますが、GEで改善された重低音がなぜかサバトン~ベビメタでまた絞られたような印象があり、ステージの綺羅びやかなショーアップ化に伴い、もうゴリゴリの臓腑を抉る低音は封印なのかと少し寂しく感じました。
またもや耳栓いらずでしたからね。
でも、分かりませんよ、スタンド席の位置的な問題かも知れず、カーニバルであるという性格上の配慮かも知れず、そりゃあ将来ヴォッケン・オープン・エアみたいなゴリゴリのフェスにでも参加すればまた重低音戻すでしょうしね。

だけど、ユイメタルです。
ユイメタルのいないベビメタはしかし、ダークサイドという仮の姿の公演に臨んでも、その不在を際立たせる結果になったと思います。
なぜならSSAといえばおなじみ会場前のけやき広場であります。

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待ち時間をファン同士の再開を祝したり、歓談したり、仮装やコスプレを披露する場でもあります。
(あ、バレますね、これ喫煙コーナーからの風景ですね)
ほら、画像中心に背を向けたユイメタルことゆいちゃんがいますね(嘘)
ダークナイトのベビメタだけどコスプレは赤チュチュが多くて、思い出してセンチになっちゃっていけませんね。

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入場すると思惑より後方の席でしたが、去年の巨大キツネよりはステージが近くなりました。
まぁ、こんなもんでしょう。
フェスとは言えど、一般のロックフェスのような平場にピットだけの移動自由なフェスではなく、疲れたら寝転がって観れるようなまったりしたものでもありません。
進行もタイトだし、これは事実上フェスではないですね。
スペシャルゲスト2組があるベビメタのライブですね。

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会場内のロッテリアでハンバーガーと飲み物を買い込んでパクついてると、すぐに会場の照明が落ちました。

開幕一発目はギャラクティック・エンパイア(以下GE)であります。
このGEは今回の起用に関して諸説ありますが、幕張、今回のSSAと通して見て、起用されるべくして起用されたのが分かりました。
その存在がネタ、ギミックであるということです。
そしてまた相思相愛のシンデレラ・ストーリーでもあります。
とても好ましく、微笑ましく、逆に居た堪れないところもあります(笑)
内容的にはスターウォーズのジョン・ウィリアムスのサウンドトラックに親しんできた自分には退屈知らずのものでした。
メタルのベンチャーズだとか言う人がいましたが、ベンチャーズ舐めんなよ、です。
実際彼らの原曲のメタルアレンジ力と、それを実現してしまうテクニックは馬鹿にできません。
原曲にある「王女レイアのテーマ」の過去へ引き戻されるかのような望郷感も十分に表現され、「王座の間とエンド・タイトル」ではダースベイダーのマーチも組み合わされ、その壮麗さを畳み掛けるようなメタルアレンジには正直酔いしれました。
セットを30分と幕張より短くして来たのも無駄がなく正解でした。
ただ寸劇がなにを言ってるのか分からんのがもったいないですね。
いやベビメタも向こうじゃ歌詞なんか分からんのだからいいのか(笑)

さて次は初見のサバトンですが、サバトンについては散々書かれて来たと思うので、ちょっとだけ。
サバトンを見ると思うのは、やっぱりベビメタは別格だと言うことです。
パワー・メタルというのかな、確かにエンターテイナーとして徹底してて素晴らしいのですが、これ以上所見を書くと申し訳ないので書かないことに。
なんていうのか、自分が普段聴いてる音楽とアプローチの方向が逆なので、どう評価していいか分からないんですよね。
ひとりくらいGEの方がいいという奴がいてもいいですよね。

ベビメタはやっぱり現場で聴いてても鳥肌が立つんですよね。
DistortionにしろStarlightにしろエッジを攻めてる感がハンパ無く、メタルからパンクに寄るんです。
今回のユイメタルの脱落で思い出すバンドは多々ありますが、やっぱりデペッシュ・モード中期のアラン・ワイルダーの脱退とデイヴ・ガーンの自殺未遂ですね。
もうボロボロだったわけですが、そこからなんとか再生して凡作アルバム『ウルトラ』を発表するわけです。
でもその凡作が愛おしいのです。
世界中をツアーしてると表に出ない色んなことが起きるんですよね。
現地スタッフとの軋轢だったりファンとのトラブルだったりホームシックだったり苛烈な環境だったりツアーバスでの寝泊まりなど、最近じゃテロの恐怖にも耐えなけれなならなくなったり、消耗は半端ないはずです。
人間そんな環境に置かれるとドラッグやアルコール依存症やら仕方ない側面もあるんですよね。
国内中心のアーティストと違い、海外公演が多いベビメタには今後も幾度も危機が襲うかも知れません。
メンバーやスタッフに表へ出てこない苦労がどれだけあるか想像もつきません。
だからよく見かけるような「以前のベビメタはもういない」みたいな意見はよく分かりません。
それってツェッペリンのセカンド信者みたいな感じ?
ドキモからこっち、ずっと変わり続けて来たし、これからも変わって行くけど、エッジを攻めてく攻撃性だけは失わないで欲しいと思います。
ベビメタの本質は不可能だと思われることに挑む勇気、だけどそんな勇気を試される場が、いやその勇気がパフォーマンスと融合したソニスフィアみたいな機会が何度も訪れるわけはありません。
もう小神もユイメタルもいませんが、見えないところで涙をこらえて、怖じ気を抑えて、一歩踏み出す勇気を見極めないといけません。

ともあれダークサイドは、最悪だったこの一年を乗り切るフォーマットだったとして、次のシンガポールでの待望のジューダス・プリーストのサポート、初のオーストラリアのフェスで、どんな姿を見せてくれるのか楽しみでなりません。


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待望のBABYMETAL、1年ぶりのライブだ。

この1年間にはいろいろあった。
藤岡先生が不慮の事故で逝き、欧米ツアーから見慣れぬダークサイドが展開し、様々な心配や憶測を溜め込んだまま数日前、ユイメタルが脱退が発表された。
(ユイメタルのくだりについては、いずれ)
今回は待望の国内ライブにもかかわらず、参加に際してファンの人達にもいろいろあるかと思うが、個人的にはやっとダークサイドを観れるという気持ちが強く、ベビメタ国内初の前座付きライブという期待もあって、比較的フラットな姿勢で幕張に臨むことが出来て正直ホッとした。
最初っから最後まで楽しかったんである。

最近体調がすぐれず、当日も朝からバファリンを飲んで幕張の駐車場に滑り込んだにもかかわらず、イベントホールへの長い跨線橋を渡る頃には気分もアガって来た。
会場入りしてチケットで仕分けられた先はモッシュッシュピットのBブロック、柵中央から5列目に陣取って一歩も動かぬ覚悟である。
体調はすぐれないのだが、位置的には極度の圧縮を受ける位置。
正直どうとでもなれという気分だった。
なぜかそこで久しぶりに圧縮を感じたいという自分がいた。

改めて会場を見回すと、イベントホールは思ったより狭かった。
小さなホールに見えた。
正面ステージには前座のギャラクティック・エンパイアの赤い帝国ロゴが見える。
思ったよりステージが近いじゃないか!
これなら少しはメンバーの表情も見えるんじゃないか。
チケットの番号がA2950あたりだったので、あまり期待はしてなかったんだが、幸先の良さを感じて気分もアガる。
トイレは済ませてあったが、誰もが心配するトイレ抜け問題も、場内の熱気で早くも汗ばんで来ていたので、心配しないで良さそうだと思った。
(これは詳しいことは後述しない)

この1年は悪いことばかりじゃなった。
欧米ツアーの前後で新曲が3曲も披露され、今回の幕張直前にはさらなる新曲の発表もあった。
これらの曲がベビメタの曲なのか、ユイメタルを欠いた無記名メンバーによるダークサイドの曲なのか、細かい議論はいろいろあると思うが、ライブの現場に来てしまえばどうでもいいことだ。
そこで演奏される曲を体験することが全てであり、それが素晴らしければ細かい議論など全て吹っ飛ぶ。
「ユイメタル辞めたみたいだね」
参加を告げると、そう返して来た知人の嘲りのような一言、その薄ら笑いのような表情が、議論のオブラートに包まれてネットで交わされてるものの正体だ。
正直どうでもいい。
それでその知人との関係が悪くなることもない。
ユイメタルの美しい所作がこれまでベビメタとメタルにどれだけ貢献して来たか、そのダンスがどれだけ折り目正しくタイトにmikikoの目指す日本的なダンスを体現してきたかなど、わざわざ説明する気もないからだ。
趣味の違いを埋める作業など、時間の無駄というものだ。
なぜならこれから始まる爆音浴は言葉に還元出来るたぐいの体験ではないし、あえて表現するとすれば「サイコーでした!」くらいしかない。

今回、前座があるので、ベビメタのライブが始まるまでの時間を逆算すると、その柵前5列目に突っ立っている2時間は途方もなく思えた。
だが、実際はさほど苦痛でもなく、足も痛くならず、前座のギャラクティック・エンパイアが終了すると、あっという間にベビメタのライブが始まった。
(ギャラクティック・エンパイアについては次回SSA編で)

場内の照明が落ちると会場にはどよめきと歓声が響き渡り、お定まりの紙芝居に続いて「In the Name of」が始まった。
最上段に鉾を立てた7人の姿が一気に現れて、青山のバスドラに乗って中央の人物が階段を降りてくる。
上半身をマスクで覆われたスーメタルだ。
思ったより近くに見える。
そう思った刹那、一気に圧縮が襲ってくる。
だが、たいしたことない。
意外なことに青山のバスドラは臓腑をえぐる凶悪な重低音ではなく、圧縮も同じくだった。
いつもと違う、いったいなにが起こってるのか?
そうだった、ギャラクティック・エンパイアの時も低音が甘かった。
これは会場のせいか?
これはサブウーファーを仕込んだ自分の車と同程度の重低音だ。
こりゃあかん。
用意してきた耳栓も必要ない。
ただ、残念がってる暇は無かった。
ベビメタのライブのお楽しみ要素の一部を欠いたまま、2曲めの「Distortion」に突入する。
日本初披露だ。
この疾走感に満ちたスピードメタルは、会場に渦巻いていた焦燥や不安や疑念を一気に吹き飛ばした。
それとともに明らかになったChosen7、その7人がステージいっぱいに展開し、欧米公演とは明らかに異なるヴィジュアルを白日のもとに晒す。

これはいつもベビメタのライブで思うことだが、ピットでは常に楽曲>ヴィジュアルであるということだ。
始まってしまうと最前以外ではステージがよく見えないんである。
今回はさらに前日に続いて初披露のヴィジュアルだということもあり、ステージの情報量が多すぎて認識がついて行かずに、まさにカオスだった。
ヴォーカルのスーメタルを除くと誰が誰だか分からない。
波打つ圧縮と楽曲に興奮してるのも手伝って、あっという間に中盤のブレイクダウンのクラッピングタイム。
ここで我に返って、邪魔をする頭や腕の合間からモアメタルを確認、だが7人ともとんでもないヘアスタイルにギョロつく目、プロジェクターに抜かれるダンサーの中には欧米公演で出ていた佃井さんとまるさんもいるはずだが、メイクが濃すぎて判別がつかない。
そのまま3曲めの「ギミチョコ」に突入するが、うちわ的にモアメタルの新相方を確認するという使命を帯びていたため(笑)曲を堪能するよりメンツ確認に追われてしまう。
ただでさえ情報量が多いベビメタが今回は閾値を超え、まさにカオス。
モアメタルひとりの「あたたた」がどうとか、そういう問題じゃなく、この段階で甘い重低音のことも忘れてしまった。
4曲めは待望の「Elevator Girl」だ。
欧米公演時のファンカムより青山のスネアを効かせたドラムがタイトで素晴らしい。
スーメタルの中低域の歌声もためらいがなく、この曲を自分のものにしたことが伺える。
というか青山のドラムスは去年の巨大キツネ祭り以降、エモ化けしたので、いまや明らかに日本の至宝である。
もはやスーメタルの声と青山のドラムスこそベビメタの真髄である。
よし次はスーメタル待望のロッカバラード「Tattoo」だ、そう思ったらモアメタルの「GJ!」だった。
今回の「GJ!」はモアメタルのヴォーカルに2人のダンサーを従えたトライアングル構成だった。
モアメタルは明らかに歌が上手くなってる。
大村とLedaの凶悪なギターサウンドに負けず劣らず、激しいダンスの合間からヴォーカルの被せを超えてモアメタルのラブリーヴォイスが観客を包み込む。
この曲ゆいもあで演ってたころはもっとラブリーなおちゃらけソングだったような気がしたが、モアメタルがソロ曲としてここまで育てて来てしまったのだ。
次なるサードアルバムではベビメタ初のモアメタルの純粋なソロ曲が誕生するだろう。
だがこの曲、短いのであっという間に終わる。
すぐさま曲間の甘いテーマが流れて次曲が紅月だと分かる。
スーメタルの独唱に続いてギターが静寂を切り裂くと、あとは怒涛のダンスバトルへ真っ逆さま。
佃井さんとまるさんのダンスバトルの欠点は大村とLedaのギターバトルを後方へ押しやってしまうことだが、なんとかならないだろうか。
ただちょっとこの紅月にはある種の疲れを感じた。
それについては後述する。

次曲の新曲「Starlight」はナウシカの曲のような甘いコーラスから一気にDjentの奈落へ突き落とすような凶悪さ、そこを駆け抜けるスーメタルの高音ヴォイスが銀河へ飛翔する魂の加速度まで感じさせるというと大袈裟だが、騙されたと思って一度ライブで聴いてみて欲しい。
すべての人に聴いてみて欲しい、そう思えるほどスーメタルのヴォーカルは人々の度肝を抜く。
いやマジで、このライブで大化けする曲に、あっけにとられてしまった。
「らーーーーー」だけである。
この「らーーーーー」は、去年のハリウッドパラディウムの「From  Dusk Till Dawn」の「In the Airーーーーー」の「えーーーーーー」である。
なにを言ってるかよく分からないが、そうとしか言えない語彙力の乏しさを嘆くだけである。
この「Starlight」を4日後のSSAで、今度は(会場ゆえ)重低音を伴った「Starlight」を聴けるだなんて、そのあと俺は死ぬんじゃないだろうか。
そんな幸運があるんだろうか。



「Starlight」のあまりの素晴らしさにびっくりして油断していた。
次曲「メギツネ」では今までは余興だよと言わんばかりの圧縮が襲った。
あれあれ、あの圧縮にジャンプが伴う、あれ。
キタキタ、酸欠キタ。
圧縮されながらも落ち着いて息を大きく吸え、でないと失神してしまう。
この圧縮で柵前5列めだったのが3列目まで前進して、よりステージがよく見えるようになったが、ギャラクティック・エンパイアから立ちずくめだった疲労が襲ってきて、マジでヤバくなった。
この後、「KARATE」「Road of Resistance」「The One」と続いたが体力を消失し、不覚にも早く終わって欲しいと思うようになった。
ベビメタのライブが1時間で短すぎるとよく言われるが、ピットの中ではそれどころじゃないんである。
なんらかの脳内シャワーが無いと、この疲労は消せない。
ある意味唖然としたのだが、ダークサイドの新曲群に比べると、「KARATE」「Road of Resistance」が古臭い曲に感じたんである。
だから疲れたままだったんである。
フェイバリットである「Iine!」や「CMIYC」があればまた違ったんだろうが、ユイメタル無き後、それらのハッピーメタルが聴けるのはだいぶ先になりそうだった。
大好きなはずの「The One」の新アレンジがもうろうとしていてやり過ごすことになってしまったのは残念だけど、それは4日後のSSAのスタンド席のお楽しみということで!

最後に新曲ぜんぶいいですよ!!! ライブで最高ですよ!!! というわけで、また。



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Googleでムーディー・ブルースを画像検索するとジョジョキャラばかりで埋め尽くされてしまう昨今、いや30年ほど前にだって既に、ムーディー・ブルースを気にする奴なんてほとんどいなかった。
洋楽好きやプログレ好きの知り合いが名前を出すこともまったく無かった。

エアロスミスが『Rocks』をリリースした頃、スウェイだかのギグがあった渋谷屋根裏近くの喫茶店で取り巻きを侍らせた某音楽評論家が「エアロはもう古いよ、これからはセックス・ピストルズ」と言ってるのを聞いて、パンクへ行く切っ掛けを逃した。
ムカッと来たのもあったが、それからずっと復古主義で今まで来てしまった。
元々パンクに行くほどキレッキレの性格じゃなかったし、でも中学の頃ストーンズの『黒く塗れ!』を聴いて衝撃を受けるくらいは反骨心を抱えてたかな、という程度。
当時はそんな言葉は無かったが、エクストリーム系が好きなんだよな。
だからイカれたPOPも好きで。
普通にプログレに転んでピンク・フロイドにハマり、抜け出すのに数年かかった。
そのフロイドのデイブ・ギルモアが「ほんとにプログレッシブなのはソフト・マシーンやムーディー・ブルースだよ」と言ってるのを読んで、ムーディー・ブルースにハマった。
ストーンズやフェイセズなどと比べて「どこがブルースやねん」というムーディーズだったが、正確にはモッズバンドが変節したフォーク・ロックであり、そのプログレとしてのスタートは企画ものだったと思ってる。
一般には『サテンの夜』のシングルヒットで有名だが、それが終曲として含まれる『A Day Future Past』が史上初のコンセプトアルバムとして名高い。
実際はビーチボーイズの『Pet Sounds』よりリリースは後だったかも知れない。
当時のマーキュリー・レコードではMr.Love&Peaceのトム・ジョーンズの発言力が強かったらしく、彼の口利きでもあって『A Day Future Past』は録音されたらしい。
ムーディーズとオーケストラと融合させたのはレコード会社なんであって、『A Day Future Past』は企画アルバムだったと言っていいと思う。
しかし企画アルバムだからと言って、いいもんはいい。
彼らがいなかったらELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)はなかったし、数十年後にデビュー予定だったPaffyもネタに困っていただろう。
ELOの『Eldrado』などはそっくりそのままコンセプトを受け継いでいる。
もちろんピンク・フロイドの『狂気』も生まれなかったに違いない。
モッズバンドがモッズの退潮に伴い、プロデューサーの意向でサイケデリックにバンドを組み直す、いわば人工的なバンドで、BABYMETALと同じ作られたバンドだ(皮肉)
『A Day Future Past』は曲想自体はフォーク・ロックにオーケストレーションを重ねた単純なもので、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』ほど才気に満ちた内容ではなかったが、そのテーマ性は解散まで一貫して行くことになる。
19世紀のヨーロッパロマン主義の復古だ。
当時、一世を風靡した怒れる若者たちの代表でもあったコリン・ウィルソンのベストセラー『アウトサイダー』やその関連図書を読むと、彼の地のロマン主義とオカルティシズムへの傾倒の根深さがよく分かる。
英国的な60年代のドラッグカルチャーは、歴史の浅いアメリカのコミューンイズムとは違い、魔術師や錬金術の蟲く中世への憧憬と回帰を唱った。
そう、アメリカはドラッグカルチャーに未来を見たのに対してイギリスではルネッサンス、文芸復興的な意味合いを帯びて、それは日本のロックカルチャーにも影響を与えた。
例えば瀬戸龍介の『五六七(みろく)』などだが、日本では見向きもされなかった。
ドラッグに誘引された人類の進化の可能性という意味合いはSF的な動向以外では日本へは輸入されずに終わった。
「違法」という益体もない、つまらない文言に日本人は黙り込んだ。
しかし音楽の持つ瞑想力がニューエイジ的なトンデモ界隈の付属物になって久しい。
だけどその潜在力は決して衰えたわけじゃないので、いつまた力を蓄えたマグマのように地上に噴出する日が来ないとも限らない。
時流に流されてばかりでなく、再評価は常に行っていかないとロックの力強い再建は出来ないんじゃないかと思う。
だからこの地味な作業は続けて行く。

ムーディー・ブルースの最高傑作は無いと思う。
初期の60年代のアルバムは、どれを聴いても同じように良いだろう。
初めて聴く方は、ジャケット・デザインで選べばいいと思う。
その歴代アルバムはその発表時期に応じて流行を取り入れ趣向の変化を見せつつも、その内容はいつも変わらぬムーディーズだ。
個人的には初期では『Days Of Future Passed』(1967)は必聴だと思うが、『Seventh Sojourn』(1972)の完成度は今聴いても新鮮だ。



中期では'80年代の喧騒の中での『Long Distance Voyager』(1981)が、清涼なオアシスのように記憶に残ってる。
現在もまだ活動は続けているので晩年期の代表作は未定だが、初期の解散後に出したジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの『Blue Jays』(1975)というコラボアルバムが素晴らしい。
初期のムーディーズの集大成になっていて、『Days Of Future Passed』以来の派手なオーケストレーションも復活している。



ムーディー・ブルースがどうしてもイエスやピンク・フロイドより人気や知名度が落ちるのは仕方ない。
早すぎたというのはもちろん、フォーク・ロックが'80年代以降、廃れたためだ。
中心人物のジャスティン・ヘイワードは、その友人のエリック・スチュワートと同じく嫌んなるほどの頑固者だ。
だがいまやロックそのものも廃れきってる。
世界が中世へ回帰するにつれ、素人の手に負えないブラックボックス化した科学技術は技術者と一般人を分断し、いずれ必ず技術は特権化する。

ムーディー・ブルースが標榜した詩と錬金術と魔術師の時代はもうすぐやってくる。

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小神さんこと藤岡幹大さんの訃報を聞いてから、なにか書かなくてはと思いキーボードを叩くが、想いは千々に乱れ、なにもまとまらない。
それでなくてもサボりがちなブログは最近は訃報ばかりで、気が重くなる一方でした。
とりとめのない文章になってしまいますが、お許しを。

藤岡さんは音楽家として、ベビメタという奇跡的なユニットに神バンドの一員として参加したおかげか、代えがたい戦友とも言うべき友に囲まれたようで、それが突然の事故死という不幸の只中にあったとしても、とても恵まれて見える。
そんな藤岡さんのご冥福をここで祈ると共に、家族の方々にはお悔やみを申し上げたいです。

それでなくても藤岡さんは生きていたら将来、今の狂乱とも言えるベビメタの活動がほどほどに落ち着いてきたら、これまでのフェスで出来たコネクションだけでなく、海外のいろんなバンド(メタルバンドに限らず)に呼ばれて客演したりし、そのアルバムやギグで名盤に花を添えるはずでした。
藤岡さんがいままで国内でやっていたサポートは、将来は広く北米やヨーロッパまで広がるはずでした。
それだけでなく、海外でも藤岡さんを中心に仮バンドのようなユニットが出来て、そこでメタルからジャズ、ミニマル・ミュージックも含めたミュージシャンたちと新しい音楽を創造するために活動を始めるはずでした。
もしかしたら藤岡さんは、人種や性別も超えて愛される新しいギタリストの祖として、その独自の音楽理論に裏打ちされた技術を打ち立て、未来の音楽の記憶と歴史に残ることになったかも知れない。
なぜなら藤岡さんの奏でるようなジャッジーなギターは他のメタルではあまり聴いたことが無いからです。
ウェス・モンゴメリも、ケニー・バレルも、ロバート・フィリップも、ポール・ギルバートも、ラファエル・ロジンスキーも藤岡さんのような音は出していないので、いずれ偏見が取り払われた時には、もっと正当な評価を受けたかも知れません。
藤岡さんはギターの天才とはよく書かれていますが、なにが天才なのか一般には認知不足なわけで、例えば変拍子だけのギグで夜を明かしてしまうような、まだ実験段階でどこで花開くか分からない可能性に満ちた研究に没頭している次期に亡くなったような気がします。
そういう意味では未完の才能であり、花開く前の天才であります。
可能性はいくらでもありました。
だけど誰も亡くなるという可能性など思いもしませんでした。
でも、今ではその可能性を引き継ぐ人々がいます。
これからは、大村さんやLEDAさんや、まだ見ぬ新しいギタリストが藤岡さんの代わりに弾かないといけません。ロックとメタルの復興のために、特に大村さんはやってくれるはずです。遺品のギター引き継いじゃったんですから!
でも気負いすぎて倒れないようにお願いしたいです。
他人の仕事の後を引き継ぐという、それがどれだけ勇気があることか、僕には想像もつきません。
フロントの3人はまだ若いので、分けがわからないかも知れません。ただギターの上手い先生が、とびきり楽しいムードメイカーのお兄さんがいなくなってしまって悲しいだけかも知れません。
若い人は、それは活動を通じて学んでいくことで、なんとか理不尽さをやり過ごして元気に活動を始めてくれればファンとしてこんな嬉しいことはありません。

ソニスフィア(2014)でフロント3人娘のバックで咆哮する神バンドの4人は、彼女たちを死守する覚悟に満ちた、頼れる戦士のように見えたもんです。
その中でも藤岡さんは後半、時に笑顔を交えて盛り上がってる観衆に向かってキツネサインを掲げていました。

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あの嬉しそうで頼もしい表情はレイトショー(2016)のギミチョコのギグでも同じでした。
藤岡さんのその先生としての余裕が緊張した場面でどれだけメンバーやファンを救ったか。
神バンドとしての最初のライブ参加はイナズマフェス(2013)で、いま見返すとその笑顔が無く、やっぱりいつも余裕の先生でも緊張してたんだなと思います。

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個人的には参加した4回のライブでは全部下手は藤岡さんでしたが、僕はいつも上手で、大村さん(大神さん)の顔ばかり見てました。
いや、それはそれで嬉しかったんですが、次は下手に付こうと思っていただけに、とても残念です。

去年からジョージ・マイケル、キース・エマーソンと、大ファンだったアーティストが立て続けに亡くなり、もう最悪の一年でした。
年が明けたとはいえ、そのとどめが藤岡さんで2~3日、精神が不安定でしたが、思い出す藤岡さんはいつもおどけて楽しそうに、または陶酔して危ない表情でギターを弾いてる藤岡さんしか思い出せないことに気付いてから、やり場のない悲しみは薄れて行きました。
ただね、藤岡さんたちが仮バンドのソングライティングの不在をどうして埋めるのか、それが一番楽しみだったので。
人が亡くなるということは世界を変える可能性がひとつ失われるということですが、藤岡さんを引き継ぐ者が必ず現れると信じます。

藤岡さんの愛した天空を、ギターの星を継ぐ者が。

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例のスパークスのロン・メイルが最近のインタビューでベビメタのファーストアルバムをべた褒めしていた。
え、なんでよw

2nd発売後1年経ってのことだから、ロン・メイルはPOPメタルの玉手箱のような1stが好きなのだろうと、少し失望すると共に(苦笑) 音楽的によりミニマルな性向の氏ならそうだろうなという納得もした。

僕はもちろんどちらも好きだが、やはり最近は2ndばっかり聴いていた。
1stの曲はライブ現場でスープアップした違う曲として成長していて、迫力も技巧も熱量も倍加していて、ライブアルバム(またはDVD/BD)で聴く場合には2ndと混在してしまうので、また違う作品として接することになるし。
スープアップ(Souped Up)とは車用語で、エンジンのシリンダー内径を広げて排気量を上げツインキャブ化したりして馬力を増したりすること。
そんな感じで、ここ数年のベビメタの魔改造ぶりは凄まじいものだったから、あまりにも遠くまで来てしまい1stを聴き直すのもなかなか大変だなと思ってたので、ロン・メイルの発言は少し意外に思った。
まだベビメタがアイドルぽかった初期好きの日本のドルオタには勇気を与えるんじゃないかと思う(違)

なぜ個人的に2ndの方を選ぶかというと、それは曲想の壮大さ。
1stでも『イジメダメゼッタイ』のような壮大さの芽はあったが、アウトテイクの『No Rain,No Rainbow』やカバー曲の『魂のルフラン』で育てて来たのは、やっぱりSu-Metalの歌声が持つ壮大さへの可能性だと思う。
そして、それが開花したのが2ndの終局の『The One』なんだと感じてる。

『The One』はその前の『Tales of The Destinies』と対でドリームシアター的だとよく言われる。
ドリムシで近い雰囲気の曲を探すとアルバム「Image and Words」に入ってる『Surrounded』かなという気がする。



壮大さではオリジネーターとして迫力も申し分ないが、いかんせんSu-Metalの歌声がかもしだす繊細さに欠ける。
それにドリムシに似てる似てると言われる『The One』だが、ソックリもしくは近いと思う曲が実は無く、全体にドリムシっぽいという、文句のつけようの無いオマージュっぷりである。
そこで思い出すのが低音基調の女性ヴォーカルで繊細さも、そして壮大さも兼ね備えるアラン・パーソンズ・プロジェクトの名曲『If I Could Change Your Mind』



ピアノソロから入りオーボエが重なり、やはりプログレとは切っても切れないシンガーソングライターのレスリー・ダンカンの深い歌声が響くこの曲は、パーソンズアレンジの見本のような曲だが、基本はピアノでありその点も『The One』と似ている。
人の心は日々移ろい、あなたの心も変わってしまうけど、それでも思い出を糧に私はやり直すことが出来ると歌うこの曲は、パーソンズがあえて女性ヴォーカルを、それも飾らないソリッドな歌声に定評のあったレスリー・ダンカンにマイクを取らせたのは流石だと思う。
だけど、『The One』と比べるとなにかが足りない。
元パイロットのイアン・ベアンソンによるギターが少し控えめに聴こえるせいか、諦観からくる曲想の穏やかさか。
そこでチープトリックの『Mandocello』



ここでTOTOじゃなくチープトリックを持ってくるのは、やはりヴォーカルのロビン・ザンダーの剥き出しの高音がかもし出す切々とした感情表現。
ヨーロッパ的なひねったメロディにソリッドなドラムスと自由奔放にうねるギター。
リック・ニールセンのギター一本でオーケストレーションを跳ね飛ばす表現力の豊かさには目を見張る。
この曲はチープトリックの1stアルバムに含まれ、さほど注目も集めずに後の『Voices』のヒットに覆い隠されてしまった曲だが、彼らの全キャリア通じてロッカバラードの最高傑作に間違いない。
もっと注目されていい曲だと思う。
チープトリックはベビメタと記念写真を撮った最初?の大物アーティストなのに、紙芝居にも使われず忘れ去られてる。
BRWaPOmCUAAcbCk
悲しい。



そしてさらに時代を遡れば、この曲につなげるのは、けっきょくこの曲、カーペンターズの『Goodbye To Love』だろう。
いままで挙げた曲にはなかったコーラスも完璧だしね。
カレンの唯一無二の深みのある低音ヴォイスはもちろんだが、バラードへの史上初のディストーションギターの導入だろう。
POPの王道として今も聴き継がれるカーペンターズだが、リチャード・カーペンターは自分たちがロックをやってると信じていた。
最後のジョン・ボーナムばりのドラムソロを見て欲しい。
アメリカのショービズシステムの中でロックを実現する難しさを、カレンの葛藤が象徴してる。
根っからのドラマーだったカレンが素晴らしい声質ゆえにフロントに引っ張り出され、POPスターとして大衆の眼目に晒され、容姿を気にして病むというアメリカ的な悲劇がここから始まってる。
それが後輩ミュージシャンによって再評価されるのは、カレンの死から10年後、グランジの時代を待つしかなかった。
そんな悲しさもすべてひっくるめて、そんなロックの深い歴史もすべて背負って、「メタルレジスタンス」の終曲として『The One』が響いて来る。



ファンが写真一枚で太った痩せたと一喜一憂するのもいいけど、なんかひとり裸足のポールの写真からポール・マッカートニー死亡説が流れたビートルズじゃないんだから、とも思う。
露出が少ないんだから仕方ないかな、とも思う。
あの頃のビートルズと同じく、3人はアイドルなんだからね。

僕はいつも『The One』を聴いてるとTOTOのこの曲が頭に流れて聴きたくなる。



この『Take My Hand』は映画『砂の惑星』のエンドタイトルとして書かれたもので、壮大さの幕引きとして悪くないんじゃないかと思う。
同じくピアノで始まり、インスト曲ながら深遠なノスタルジーを誘うコーラスワークとともにギターが切々と鳴き続け壮大なロックの時代の終わりを告げている。
(ちなみにサントラのアルバムバージョンではこのコーラスが入ってないし演奏時間も短いので少し物足りない)

さてあの壮大だったロックの、メタルの時代は蘇るのだろうか。
少なくともベビメタのライブに微かな、そして一縷の望みを感じている。
ベビメタの曲はアルバム一枚を聴いたらあっという間だが、こんな感じで一曲だけ取り上げて掘り下げてオムニバスのセットリストを作り車で聴いたりしている。
そうそう、BABYMETALのライブに行ってからカーステの低音がもの足りなくなり、サブウーファーを入れてしまった(笑)
音楽の好みなんて超個人的なものだし、それぞれが関連曲でセットリストを作って遊ぶのも楽しいと思う。
たかが音楽、されど音楽、今の時代病んでない人などまずいないし、その病んだ自分が本来の自分を取り戻すのは、なにかに夢中になったその瞬間じゃないかなと思う。

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