音楽のスキマ

あらゆる隙間音楽、忘れ去られる前に記述せよ

『ニッチであることの追求と未だ現役の継続性について』~それとオマケでベビメタ

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渋いですなぁ。

昔からスパークスが大好きだった。
10ccと並んでアート・ロック系に分類されたり今に至るまでカテゴライズは混乱してるが、ひねくれたポップという点じゃ共通していて、なおかつ兄弟であることが幸いしてか今でもユニットが健在であるのはとても喜ばしい。
10ccがバラバラでボロボロになってしまってることから考えると、これは驚くべきこと。
(10ccについてはいずれまた)

そう、スパークスは現在も活動中のロックレジェンドである。
が、そのわりにみんなの敬意が足りない。
当時から日本ではクィーンの影に隠れた感じはあったが、それは今でも変わらない気がする。
え? スパークスはクィーンと違ってバンドじゃないからロックじゃない、ポップだって?
(僕は全体的にスパークスの方がよく聴いてた。昔からクィーンはファーストアルバム以外ほとんど聴かない)
んじゃポップレジェンドじゃ駄目かい?
そんなカテゴリない?
え、ポップは尊敬されないから?
尊敬されてなきゃ聴かないのかい?
あぁ、興奮してすいません。

でもしかし、ポップであり続けることがどれだけ過酷か(まだ興奮している)
そう、あまり尊敬されないからこそ過酷なんだと思うんだ。
特にエリートメタルな連中はポップをクソ馬鹿にするよね。
それ以前のロック至上主義な方々も同じで、ある意味ロックやメタルはその尊敬に胡座をかいてしまって今や虫の息なんではないか?
その上曲作りの創意工夫はロックやメタル以上に必要だし、レコード会社からは毎回チャートインすることが要求され、常に時代の先端的なテクニカルなサウンドデザインを要求され、その歴史を眺めればハードワークによる神経症罹患率やアルコール中毒やドラッグ死亡率も高いんだ。
ブライアン・ウィルソンやケイト・ブッシュは多重録音ノイローゼになったし、ニルソンはリヴァー・フェニックスと同時期にオーバードーズで密かに死ぬし、ボブ・ウェルチは拳銃自殺するし、なんかみんな不幸だ。
この春亡くなった不幸なジョージ・マイケルなんかもそうだ。
ポール・マッカートニーだってジョン・レノンと違ってあまり尊敬されない。
ポールの方がよっぽど多様でインスピレーションに満ちた曲を長期に渡って量産したのに、なんでだ?
あぁ、なんかのっけから愚痴になってしまった。

話をスパークスに戻す。
彼らがクィーンのようなメジャーな人気を獲得できなかったのは多分、一番の理由は兄貴のロン・メイルが真面目なのかふざけているのか判別つかないところが、女性の支持層に広がらなかったところに原因があると思いますが、だとすれば意図的でしょうね。
「オレは女にモテるためにロックを始めたんじゃない。純粋に音楽を極めたいだけだ」
ロンの風貌や冷笑が語らずもそう言ってるように感じます。
ミーハーは近寄んないでいいよという予防線なんじゃないかと思います。
もうニッチ、最初からニッチでいいと思ってる。
ここら辺もなんか初期の10ccの姿勢と似ている。

彼らの曲、正確には当時聴いたのはセカンドアルバムからだったが、その冒頭曲『This Town Ain't Big Enough For Both Of Us』や『Amateur Hour』が結局は彼らの代表曲としていまも聴き継がれていると思う。



遠くからフェードインするピアノに導かれて歌うラッセル・メイルのファルセットヴォイスは40年以上経つ現在でもあまり変わらない。
これは驚くべきことだと思うが、加齢に伴い声帯が細くなることがメイルの裏声にも幸いしてるのだろうか、ことにライブでは録音技術の向上に伴い昔の録音よりよほど聴けるようになってる。



個人的にはサード・アルバムの『Propaganda』を一番聴いてて、近年、若手のフランツ・フェルディナンドと組んだFFSと曲想があまり変わらないところがすごい(彼らももう若手じゃないけど)
フェルディナンドを食ってしまってるので、もうコラボは無いと思う(苦笑)
そんな彼らの尊敬するバンドは3つしかないんだそうだ。
もし自分たちでフェスを主催したら、マイルス・デイビスとビートルズとグレン・グールドしか呼ばないそうだ。
(4年前のフジロック来日時のインタビュー> http://www.billboard-japan.com/special/detail/671)
しかし、な、なんでグレン・グールド?



あ、なんだロンったら、自分に雰囲気が似てるだけですね(笑)
なんだネタかよ~w
最初グレン・グールドって誰かと思っちゃったよ~w
相変わらずだなぁ、主催フェスのチョイスまでひねくれてちゃ会場も埋まんないやw
いやビートルズが来れば埋まるか。

というわけでこれからも兄弟仲良く、ご活躍をお祈りいたしますね。
今でもいい曲を書き続けてくれてありがとう、ロン&メイル!
スパークスのおふたりの長寿と繁栄を!
終わり。






















んで余談ですが……
そんなロン兄が3年前、自らのBBCラジオのHPのお好みリスニングリストかなんかで本邦のBABYMETALを紹介したんですよ。
びっくり仰天した。
それだけならまだしも、BABYMETALは世界一のロックバンドだと言い切った。
せ、世界一ですよ?
いったいなぜなのか。
彼らは日本が大好きらしく、ライブがあってもなくても毎年来日したりしてるのは知ってた。
でもゴリゴリのメタル要素も強いBABYMETALとスパークスが親和性があるなんて、思い付きもしなかったのだ。
しかし、いくらなんでも世界一は言い過ぎではないのか。

いや、個人的にもBABYMETALはかなり凄いと思ってますよ。
前回も書いたように、メタルサウンドとアイドルポップを対置法で成立(そんな言葉があれば)させたという意味でかつて無いし、有力なフォロワーが3年経っても出て来ない以上、今現在、論理的にもロック・メタルの未来はBABYMETALしかないし、ある意味いままでのロック・メタルの幕引きでもあるくらい強力なバンドだと思ってますよ。
なおかつ憎しみに満ち、混沌とした世界情勢を救うのはBABYMETALしかなく、世界が狭量にもBABYMETALを受け入れないなら、まぁ世界は滅ぶんだろうな、くらいには思ってますよ。
メインヴォーカルのSU-METALだってジャニス・ジョプリン程度の実力しかないと思ってますよ。
BABYMETALの女の子たちと神バンドによって今も残る西洋人の東洋人に対する偏見、差別意識が取り払われ、神さまの和、多神教である日本出身のキツネ神のご意思によってキリスト教、イスラム教対立の宗教問題も解決し、例えばアメリカなんかでも男勝りで無理な色気を強いられる女の子たちには別に可愛くてもいいんだよという勇気と癒やしを与え、一神教の国々には神様なんてたくさんいたっていいんだという原始のインスピレーションを与え、歌しか歌えない人やギターしか弾けない人はバンド仲間と助け合えばいいんだという、かつてのロックの美点の共助のルネッサンス~とか、まぁBABYMETALの世界へ与えるポジティブなパワーは挙げれば切りがない。
やっぱり世界一か。
ロン兄、あなたは正しい。

しかし紹介した一押しの曲が『ヘドバンギャー』ですか。
いや僕も好きだけど、いやBABYMETAL全曲好きだけど、よりによってなんで?
しかも3年たってまたその@Spotifyでトップに上げた曲が同じ『ヘドバンギャー』だったんだ。


なぜロン兄はそんな『ヘドバンギャー』に執着するのか。
ちなみに知らない人のために張り付けておくと、ヘドバンギャーとはこんな曲だ。



あ、なんだ、さっき上げたスパークスの『Propaganda』の冒頭曲、『At Home, At Work, At Play』と曲想がソックリではないですか(笑)



というか『Propaganda』というアルバム自体が、いやスパークスの曲ってぜんぶが、BABYMETALの中でもとりわけ演劇的である『ヘドバンギャー』っぽいんじゃないか。
なんかそんな気がするお茶目なロン兄という感じでした。
え、似てない?
いや全体の文脈がね、ラッセル・メイルの特徴的なヴォイスがスパークスの顔であり中心なら、SU-METALのハート直撃のヴォーカルあってのBABYMETALと同じだし、シアトリカルな構成も同じだし、常に新しい分野に果敢に挑戦していく姿勢も同じだし、照れ隠しのおふざけを混ぜるのも同じだし、エキセントリックすぎるロン兄貴の存在と、エキセントリックすぎる二人の子分たちのアイドル的側面が女性ファンや若者を近づきがたくしてるところも似てるし(この翻訳サイトでよく見る子分って表現笑えて好きなんですよ)とりわけこの『ヘドバンギャー』の演劇性と海外的に意味不明だろう「バンバンババン♪」コーラスのユニークさとか、曲のテンポとか、あぁ好きだろうなぁとぼんやり感じてしまうので(ぼんやりかよ)
ていうか誰か音楽的な専門知識の持ち主の方がいたら、なぜロン兄貴が『ヘドバンギャー』を推すのか解明してくださいよ、お願いします(けっきょく人任せかよ)

それにしても、せっかくロン兄貴が『ヘドバンギャー』推してくれてるのに、最近どこのライブでもやりませんよね。
9月のSSAではお願いします。

ではまた。



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BABYMETALといえば忘れもしない2015年11月21日オズフェスト。
ピットで弟とハグれ、下手寄り最前から10列目くらいまで食い込んだ時、神バンドのサウンドチェックが始まった。

オズフェストだけあって前後左右メタルファンばかりだ。
聞き慣れない、だけど手慣れたMCと熟練したバンドサウンドの人間椅子が終わって、左手奥のステージでHatebreedが演奏を始めてから弟を探したが見つからず諦めて、だけどその40分間の演奏もすぐに終わった。
Hatebreedは並列した左奥のステージで遠くてよく見えないし、正直彼らをよく知らない。

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音に合わせてライティングだけが人いきれの霞を切り裂きチラチラと光ってるのが見える。
自分とはあまり関係のない、遠くで稲光が瞬いてるカミナリ雲みたいだと思った。
このブログを読んでる人なら分かるように、僕はもともと熱心なメタルファンではなかったから、オズフェストの参加アーティストじゃオジーと元レッチリのデイブ・ナヴァロくらいしか知らない。
だけどこの雰囲気はやっぱりロックのそれだ、とても気持ちがいい。
そんなことを思っていると、やっとBABYMETALのサウンドチェックが始まった。

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その途端、今までなかった圧縮がかかる。
「来たぞ来たぞ」
順繰りで音出しをする神バンド。
そうそう、小神こと藤岡さんは順当だが、僕のいる上手側は大神こと大村さんだ。
順番は忘れたが小神、大神、BOHさんと音出しが進むに連れ、みんなキツネサインを掲げて歓声を上げる。
ひとり終わるごとに圧縮がかかる。
そうだよ、この圧縮だ。
これがなきゃBABYMETALじゃない。
それも10列目くらいは激戦区だから、圧縮と引き戻しで余裕が生じると目の前の背の高い奴から逃げる、圧縮、逃げる、圧縮を繰り返すうち、自然と7列目くらいまで前進できたときに、BABYMETALおなじみのナレーションが始まった。

大歓声が上がる。
そうだ、フェスのBAYMETALのライブはサウンドチェックから始まっている。
これは5ヶ月前のここ幕張では感じなかったことだ。
あの時は巨大な幕張の倉庫の柱の影に隠れ、遥か彼方の巨大ステージのフロント3人の姿も人差し指第一関節くらいの大きさなのに圧縮だけは一人前で、その圧縮といっしょにみんながジャンプするのに合わせていて始めて酸欠を経験して気が遠くなりかけたっけ。
それに比べて今日のポジションはどうだ。
7列目なんて最高じゃないか。
これがフェスのBABYMETALか。

想いは去年7月のソニスフィアフェスのファンカムを観た時に飛ぶ。
あの時もBABYMETALファンが抱えていた不安を吹き飛ばしてくれたのは神バンドのサウンドチェックだった。
当時、実際YouTubeで観た順番は前後してたと思うが、あの時も神バンドの出音に湧き上がる歓声が、女の子3人登場への力強い露払い、援護射撃となって、ライブを成功させたのに違いないと思ってる。
BABYMETALが海外へ飛躍するためにはどうしても神バンドが必要だった。
そうじゃないとフェスに集まるメタルファン、ロックファンは納得しないし、満足しない。
当たり前だ、前後のバンドは全部バンドだし生演奏なのに当て振りの録音なんか使ったらペットボトルの嵐だったろう。

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BABYMETALはメタルなんだ。
J-POP、アイドルとメタルの融合とか、メタルダンスユニットとかいろいろ言われるが、キレのある3人のダンスはメタルのリフと完全に拮抗しており、メタルのスラッシュサウンドにインスピレーションを得た振付師mikikoさんの舞踏、それはダンスというよりむしろ肉体のリフでありスラッシュサウンド同様に見てる者の視覚を切り裂くんだ。
ダンスがリフと拮抗しているのであって融合はしてないが一体感があるという、混ぜる前のフレンチドレッシングみたいで、混じってもすぐ分離するという(なんだそれ)
融合したらゲル状になってキレが悪い、ま、男と女みたいなものか(それも違う)
それはかつて無いものだったからこそ、何度見ても見飽きない。
マイケル・ジャクソンが創造したビートとシンクロするダンスというより、初期のケイト・ブッシュのマイムを発展させたダンスにむしろ共通点を感じるが、その何倍も強烈なものだ。
それ以来無かったロック・メタルダンスの前進だ。

僕が初めてBABYMETALが凄いと感じたのは、その前年『ギミチョコ!』のPVで観た3人が手を振り回した時だ。
これはロックだ!
見た瞬間、そう思った。
始めてアイドルがロックの壁を突破した。
衝撃とともにそう思った。
その瞬間に他のアイドルのダンスはすべて町内会の盆踊りレベルと化し、その反発力でBABYMETALは地球の引力圏を突破した。
(失礼、盆踊りは盆踊りで好きだ)
いやJ-POPというか歌謡界というか、日本の音楽の重力圏から解き放たれた。
質量保存の法則じゃないが、前進するためには後ろになにかを捨てて来なければならない。
『ドキドキ☆モーニング』の時に見ているこちらを引かせたアイドル性を見事に後ろに放り投げていた。
この3人の女の子たちはアイドルからパフォーマーへと成長した。
そう感じた。



ほぼ始めてだったので、『ギミチョコ!』のPVでは3人の顔とかは知らなかった。
だがその3年前、そっ閉じした『ドキドキ☆モーニング』のPVを観た時には感じなかったものが、その時見えた。
僕は古いので、真ん中のSU-METALが腕を回転させた時、若い頃のザ・フーのピート・タウンゼントが重なった。
『ギミチョコ!』はメタルのなかでもスラッシュ・メタルであって、POP寄りではあるがパンクな曲だ。
一方ザ・フーはパンクの源流モッズムーヴメントから生じてハードロックの礎となったバンドで、アートスクール出身のピートの横断的な曲作りはビーチボーイズからジミヘンまで網羅するロック百科的なサウンドでありながら労働者階級の心の叫びを代弁するようにステージを所狭しと暴れまわり楽器を破壊するパフォーマンスが話題になるなど、ステージの視覚的な演出まで考慮に入れた、まさにPOPアートだった。
『ギミチョコ!』冒頭3人が揃って耳に手をかざすと聞こえて来るのは聴衆の歓声か、いにしえのロック神の時空を切り裂く音か。

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(この瞬間MOAMETALが悪魔的にニヤっと笑うとなお良い)

そのまま3人が倒れかかるとロックのミューズがその体を受け止めて、その後の舞踏は怒涛のスラッシュメタルとガッツリ四つに組む。
融合じゃない、掛け合いだ。
フロント3人と神バンドが距離を置いたままお互いに挑発し合う。
融合すれば渾然一体でそのままだが、3人とメタルサウンドがあくまでも反発し合ってどんどん螺旋を描いて高みへ飛翔する。
最後までけっして交わらない。
3人はもちろん観衆の方を向いているのだが、実はその表現は神バンドと向き合っているのだ。
このダンスを考案した人は天才である。

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左右のYUIMETAL、MOAMETALが腕を振り回すと中央のSU-METALも続けて腕を振り回し、正統的ピート・タウンゼント的な英国ロックの時空を現出させると思えば、メタルの音圧にのけぞりつつも同化を拒否して押し戻し、

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またはそれを靭やかにかわして、

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左右の「あたたスクリーム」で激しく聴くものを動揺させ、つまりは押し寄せるメタルサウンドを煙に巻き、間奏では3人の反応に動揺した藤岡神のスラッシーかつ変態的なギターソロを受け、満足げに歩調を合わせ左右に腰を振る指差しダンスだ。

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この楽器隊の転調に伴う指差しダンスは、バンドと女の子を対置することにって生まれるケミストリーであり、西欧的なバンドのグルーブという概念を超えている。
それも3人のティーンの女の子たちが軽く超えてくる。

こんなの見たことなかった。
長い間日本人が到達しようとして及ばなかった本能的な黒人的グルーブや、ストーンズ的な計算的な酔っぱらいグルーブではない、それまでしていたヘッドバンギングが腰に及ぶという、これってなんて言うんだ?
なんだか知らないがアタマだけじゃなく体全体にバンギングが及ぶ。
もともとBABYMETALのヘドバンは横振りだったらしいが、それを全身で表現する。
メタルの神よ、横フリ、これがあたしたちのダンスだ。
けっして飲み込まれたりしない。
その上、真ん中のSU-METALのヴォーカルはこのフェスの主役オジーの全盛期の声もかくやと思うほど、神バンドの音にかき消されることなく、むしろその轟音に乗ってこそ遥か遠くまで音速を超え響き渡る。
それは5ヶ月まえの幕張でよく知っていた。
だけど、このオズフェス冒頭の『BABYMETAL DEATH』では、その人差し指第一関節ほどだった3人が手の平くらいの大きさになって行進してくるのだ。

話を戻そう。
オズフェスではサウンドチェックですら盛り上がっていた。
だからその後、冒頭のナレーションが始まると大歓声と共にさらに激しい圧縮が襲った。
ちょっと待ってくれよ、これ演奏が始まったらどうなっちゃうんだろう、そう思った頃に『BABYMETAL DEATH』の第一音が鳴った。
もうカオスだった。
圧縮したまま両手を挙げ、そのまま縦に「DEATH!DEATH!DEATH!」とジャンプを繰り返すんだ。
また酸欠になる……と思ったが今回は不思議と大丈夫だった。
それは11月という気候のせいもあったかも知れないし、息継ぎのコツを自然と体得してたのかも知れない。
その後の2曲は『ギミチョコ!』と『あわ玉フィーバー』だったが正直、曲を聴いてるんだかステージを見ようとジャンプしてるんだか混沌としていて細かい記憶がない。
しかし後半、戦国紙芝居と共に始まった『Road of Resistance』『メギツネ』『イジメダメゼッタイ』の3連チャンは地獄だった。
オズフェストでBABYMETALは大丈夫だろうか、そんな不安も当時出ていたと思うが、もう演奏と演出で圧倒してしまっているので、他のアー目当ての客がどう思ってるかなんて気にもならなかった。
ましてやここは怒号と圧縮のピットだ、そんな連中関係ない。
こっちは後ろから肘打ちしてくる奴を避けつつ掲げられた無数の腕の合間から3人を見ようと必死。
実際の音量はどんくらい?と耳栓引き抜いてすぐ戻したり、圧縮してくる奴を押し戻したりしながらも、SU-METALの声だけはしっかり耳に突き刺さって来る。
その後、『メギツネ』『イジメダメゼッタイ』をやったはずなんだが、当時も一年半経った現在も一切記憶にない。
なんで憶えていないんだろうか?
洋の東西を問わずBABYMETALのライブをよく思い出せない現象が報告されるが、人は失神したままジャンプとかするもんだろうか?
ただ充実感だけは確実に残っている。
すごいもんを見たという認識だけが、いつまでも続く青山神のツーバスの重低音と共に腹の底に残っている。

BABYMETALの本質はライブだ。
CDを聴いてもライブのDVD/BDを見ても、あの物凄さは味わえない。
実は僕は長らくライブというかコンサートから遠ざかっていた。
笑わないでほしいけど、人生最初のコンサートは渋谷公会堂のイルカのライブだった。
そのあとイルカが人妻だったのが分かってファンをやめた(嘘)
その次は1977年、エアロスミスの初来日の武道館で、当時で言うハードロックのライブの物凄さに打ちのめされた。
客入れの曲はジョーズのテーマで、妙にマッチしていたのを憶えてる。
下手のアリーナ席だったので、ひとしきり定番曲を演奏したあとに真っ暗だった武道館の照明が点灯して始まったロックンロール曲『Lick And A Promise』は目の前にいたベースの長身、トム・ハミルトンの銀色のジャンプスーツが40年経った今でも脳裏に焼き付いてる。
(それにしても40年だよ、おい! 歳取るわけだ)
目茶苦茶カッコよかった。
それ以来いろんなライブを観たが、エアロスミスのファースト・インパクトを越えるものはなかった。
しかしBABYMETALはそれを余裕で超えてきた。
幕張のフルライブより、このオズフェストで越えて来た。
あぁそうか、何曲やったかじゃない、自分が会場のどこにいるかでライブの印象はまるで変るんだ。
定点観測のwebや雑誌のライブ評ほど当てにならないもんはないな、そう痛感した、

BABYMETALが終わったあとは圧縮を逃れ、ずぅっと後ろに退いて弟と合流し、寝っ転がりながらトリのオジーライブを観ていた。
メタルファンで呼ばれたゲストのふなっしーがオジーに放水されてヘバった後の終盤は、メタルというよりまったりしたロックのギターの共演だったが、ぐだぐだに疲れたあとのリラックスタイムという感じで悪くなかった。
昔レッチリ全盛のころよく聴いてたデイヴ・ナヴァロの時だけ立ち上がって前に行った。
あぁ、ナヴァロ相変わらずカッコいいなぁ、キレてんなぁ、ナヴァロさんにとってBABYMETALはどう聴こえていたのかな……そう思ったらこの体たらくである。

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しかしその1ヶ月後のCDJ(カウントダウン・ジャパン)のBABYMETALはもっと凄かった。
それはまたいつか書きます。

では。

誰?

そう思われる方も多いと思う。
60年代英国のトラッドフォークを下地に活動したソングライターであり、最初期のフリートウッド・マックを支えた中心人物でもある。
マックではピーター・グリーンのブルース・ロック路線からボブ・ウェルチのジャズ・ソフトロックへの架け橋となった。



70年代前半の初期フリートウッド・マックでは、渋谷陽一氏が偏愛したボブ・ウェルチのソングライティングに注目が集まりがちだったが、そのウェルチ路線の先導役になったのがダニー・カイワンだ。
しかし18歳でマックに加入してピーター・グリーン脱退後は曲作りとフロントを担うという重圧に耐えかねてアルコール中毒となり、72年にはウェルチと入れ替わる形でバンドを去っている。
ボブ・ウェルチはその筋では有名なソロ・アーティストだ。
筆者もファンであり、当時ソロアルバムが出なくなる80年代前半まで追いかけたし、このブログで扱うには恰好の人だとも思ったが、最近ダニー・カイワンを知り「いや、全盛期を迎える前の初期マックの重要な下地を作ったのはボブではなくむしろダニーではないのか?」という思いに囚われるようになった。
それくらいダニーの仕事は素晴らしい。
知れば知るほど素晴らしい。

だが、まだ知ってまもないので、語るよりむしろ聴き込んでる段階で、あまりどうこう言うつもりもない。
晩年はボブと並んでダニーも不幸である。
いやソロで成功したボブを横目で見ながらアルコール中毒で身を持ち崩し、3枚めのソロアルバムを最後に引退してしまったというダニーは、その才能を思うと残念でならない。
若さと能力のバランスの手綱を取るプロデューサーが不在だと、こうも掛け替えのない才能が無駄遣いされるのだろうか。
ボブと違いまだ存命なのが救いだが、98年のマックの殿堂入りにも顔を見せなかったというのも寂しい。
呼ばれないで激怒したボブと対照的だが、そんな逸話も過去のものである。
彼らの残した美しい音楽だけが今もどこかで鳴り響いていると信じたい。

今回は日本のロック・レジェンド、少年ナイフです。

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 少年ナイフの国内状況はここ20年間、一向に好転しないで来た。
 失われた10年が20年になって久しいが、日本の経済状況と似ていないでも無い。そのナイフがおそらくメンバーチェンジ後の最高域に達しようとしている今でさえ、状況は改善の兆しさえ見せないのだ。
 今年出たアルバム『Pop Tune』はもちろんナイフファンどころか全ロックファン必聴の最高傑作だ。
 それは初期の『Pritty Little Baka Guy』に匹敵するポップな内容で、過渡期の傑作『Rock Animals』からの三段進化の到達点だろう。音響的にはマーティー・フリードマンさんが言うように『Let's Knife』に近い中音域に絞った不思議なアナログ感があると思う。トランジスタラジオから聴こえる曲に励まされるような、遠くて近い親戚みたいな親近感というか、そんな温もりと一緒に、引き出しのノートに下から忘れていた一万円が出てきたようなお得感もある。そんなポップの魔法感覚を少ないボキャブラリーでどう表現していいかわからない。

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 ナイフが現在のメンバーに固まってからの成長ぶりは著しいものがあった。前々作の『Free Time』にその兆しが見え、旧メンバー中谷美智枝さんのサイケな曲もライブで出来るようになり、前作『Osaka Ramones』で全世界のラモーンズファンを感涙のドツボへ叩き込んでいたので、それだけでも幸せだったのだが、今年になってこんな傑作が届けられるなんて、20年以上ファンをやってきて良かったと心の底から思う。その楽しげなステージから良質なフィードバックがあったのかも知れない。若手ふたりの広がるようなコーラスワークも堂に入っている。山野敦子さんの手による新しいステージ衣装もその原点回帰と新しい出発を物語っている。
 リツコさんの唄う『Sunshine』というこの曲なども聴いていて思わず涙が滲んでしまう。'60年代のアメリカン・フォーク・ロックそのものの温かいテイスト、エミさんが穏やかに叩きこむプロコルハルムばりのドラミングに何度も相槌を打ってしまう。音楽のメッセージそのものだ。そもそも音楽に政治的メッセージを乗せるなどという芸当が出来るのはポール・ウェラー師匠くらいなのだ。ポール師匠は「今回のサッチャーの税制改革は貧乏人を殺すぜ」などという各論に刻んだメッセージを乗せて外すという芸当をこなしていたからダサくならずに済んだわけで、『War is Over』とか言っちゃ駄目なのだ(すぐどっかで始まっちゃうから) おそらくThe Jamファンでもある山野師匠はそこら辺の匙加減も学んでいるのだ。



 話が横道に逸れたが(そうでもないんだが)その種のロックの反逆精神とかメッセージ性とかで誤誘導させてアーティストを上げて叩く音楽プレスの鼻っ柱を潰したのも少年ナイフの山野直子師匠だ。
 15年ほど前のインタビュー記事で「少年ナイフにはロック的なメッセージ性がありませんね」とか嫌味を言ったあげく「日本では男女差別があると聞きますが」と現地プレスに振られ「我が家では母がボスですが」とかわしたのだ。
 日本が欧米基準で男女差別が多いのは規定の事実として、お国の事情もあるのよ、引いて支配するという知恵もあるの、と言外のアピールをしたわけであり、なおかつ馬の骨のようなプレスに義理を売ってむざむざ自国を売る愚かな真似もしないとういう芸当をこなしていた。
 そもそもそんな社会的ストレスから開放されるために音楽はあるのであって、社会にストレスが無くなってしまったら商売上がったりともいえる。人間ふたり出会えばストレスが生じるわけだし、そのストレスを糧としてなにかしようと思うのが人間なのだという、当たり前の部分から壊れてしまっているのがマスコミというものなんだろうね。

 個人的にはアルバム最終曲を帰国していた敦子さんも交えて演奏したこのインストア・ライブで感激してしまいました。山のアッちゃんは永遠です。




 少年ナイフは日本が誇る最強のパンクポップバンドだ。にも関わらず、JPOPのボイトレ歌唱法やコード進行しか知らない若者から、ジョン・レノンを無断で見当はずれな神輿に担ぐ団塊世代までが無視を続けている。奴らの価値基準は「それらしいクォリティ」であり、「スピリッツ」ではない。
 ただ、そんな状況も20年という荒波を経てくると、いまさらどうでもいいというか、枯淡の境地に達するのであって、むしろその状況を楽しむべきなのだろう。
 考えてみれば「それらしいクォリティ」というのは一定の水準を意味する「職人技」に繋がるんであり、天然資源の少ない日本のモノ造りの基本でもあるから生きていくためには必要なものだ。それにロック好きにもいろいろいるわけで、パンクを受け付けないロックファンは実は多い。もともとそっちのが多数派なのだ。
 でも産業ロック(by高橋幸宏)の品質維持に疲れる時は誰だってあるだろう。そういう時に魂を休めるというか、いや、むしろレイドに外すというか、そういう態度こそロックだろう。何度も死んでいるロックだからこそ不死鳥のように蘇る瞬間を目にすることが出来るのだ。死んじゃ駄目なのだ。これが大阪の西成区出身の直子師匠の教えである。

 例えばこの、ヤフー知恵袋で解決済みの質問なども、楽しく読めるだろう。

少年ナイフって何者なんですか?

 それだけではなく、下の方のリンクにある質問などにも寄り道できるだけの余裕も生まれているだろう。

TOKIOはニルヴァーナを超えた!! 皆さんTOKIOはバンドとしてニルヴァーナを超え...

 死人に口なしというか、「いやジョンのイマジンってのは……」とか「いや尾崎豊がデビューした時は……」とか、そういう抵抗はすでに放棄すべきなのだ。むしろ「そうそう」と相槌を打って状況を混乱させた方がロックだ。放っといても連中は科学の発達で霊界から告訴できるようになってから泣くはずだ。
 確かにある意味TOKIOはニルヴァーナを超えている部分もある。ニルヴァーナに年長ジャニーズ城島の味わいを表現しろと言っても無理な話だからだ。そういう意味では確かに超えている。かつてジャニーズには男闘呼組というロックなユニットもあったし。それはいずれムーディー・ブルースの回に取り上げることになると思う(なんでだよ)
 

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