石神井川を「しゃくじいがわ」と読めるようになったのは杉並に住んでいた中学生の頃だった。 それまでは石神井は「いしかみい」であった。いしかみい。実は元々はこう読まれていたようなのだ。
伝説によれば、その昔村人が井戸を掘っていたところ石棒がでてきて、それを霊験あらたかな石(霊石)、つまり石の神様(石神=いしがみ)としたのが、そもそも石神井という地名の由来だそうだ。
石神井川は全長25kmほど。各所の湧水を水源としているが最大の湧水源は練馬区にある三宝寺池であり、この池の以東こそが本物の石神井川であると感じている人が都内では結構いる。
三宝寺池にはかつて石神井城と呼ばれ城(館)があり武蔵の豪族豊島家の本拠であった。15世紀の中ごろに豊島泰経は江戸城を築いた太田道灌とまずい関係になった。というのも道灌が泰経の権益にちょっかいを出そうとしていたからだ。道灌の挑発に挙兵した泰経は、定石通りに江戸城と河越城の道路を分断した。軍事道路を分断された道灌は激怒し豊島勢を江古田・沼袋原の戦いでコテンパンに打ち破り、泰経は石神井城に篭城を決め込んだ。
道灌はこれを包囲、落城させた。豊島氏は壊滅。と言っても泰経は夜陰にまぎれて脱出お家再興を企んだと言います。
でも土地に伝わる伝説はちょっぴり違う。落城したときに泰経は重代の家宝「金の鞍」を白馬に置いてまたがり、崖から三宝寺池へダイヴし、二女の 照姫(多分美人)もこれを追って入水したという。昔から晴れた日に湖底がキラキラ輝くのは金の鞍のせいなのだ。私も子供の頃からこの金の鞍をどうにか吊り上げる方法がないかと頭を悩ませています。 (ヒロ)
2008年1月