随想録
2007年08月27日
2007年08月16日
2007年08月15日
開戦の理由やいずこ
戦後62回目の終戦記念日。玉音放送で日本国民が敗戦を甘受した日から、62年の歳月が流れた。
不戦の誓い、戦争の傷跡、平和と命の尊さ。それもいいだろう。
しかし、戦後62年を経てなお、「あの時なぜ戦争をせざるを得なかったのか?」という部分について本格的なメスを入れているマスコミは相変わらずいない。
昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答で、ダグラス・マッカーサーは以下のように日本のおかれた状況を述べている。
「彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
どこのマスコミも、このマッカーサー証言を報道しようとしない。
戦争というものは相手があって初めてできるものである。したくなかった戦争をせざるを得なかった状況を作り出したのは、日本国自信ではなく、留まることを知らない膨張覇権主義を推し進めていった欧米列強のほうなのだということを、日本人は今一度確認しておかなければならないとおもう。
21世紀は、日本に帰せられた数々の言われなき汚名を返上する100年にしなければならない。
2007年08月09日
2007年07月31日
2007年07月29日
借り物の服を着た代償
自民党の惨敗については閣僚の不用意な発言や事務所費問題が大きいとおもうが、これらの問題が無くても自民党はかなり議席を減らしていたのではないかと思う。
というのも、安倍総理が就任以来、自分の政治をまったくと言って良いほどやってこなかったからだ。
安倍総理は「美しい国」を作ると言った。しかし、国民が求めたのは、「やさしくて強い国」だったのではないかと思う。弱者に優しく、内外の不当な要求に対しては毅然として闘う政治家、それを安倍総理に期待したのだと思う。
そもそも安倍総理は拉致問題への取り組みで拉致被害者の家族から信頼され、その支持をもとに国民的な人気を得た。
つまり、善良な日本国民が当然に持つ感情を代弁してくれる、悪と闘う、それが安倍総理だと期待した。
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2007年07月26日
ついに終戦
アジアカップはサウジに敗れて終戦を迎えた。前半25分あたりまでは日本の猛攻がつづいたが、パスをまわしてゴール前にアプローチしていくしんが続いた。
ただ、ゴールを奪うという意識の低さ、この期に及んで綺麗なサッカーをやろうとする意識のズレ、シュートを打たないメンタリティー。これが勝負をわけたということなのかもしれない。
サウジ対カザフの試合を見たとき、これはオーストラリアよりも手ごわいなと思った。スピードはあるし、個人技もある。特に日本は斬り込んで来るドリブラータイプに弱く、ファールでしかとめられない。
サウジのドリブルに対して枚数は足りているのに、最初に一人当たりにいかないで、ズルズルと後退してしまうシーンが多く見られた。
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2007年07月15日
亜細亜を知らない蛙、大海を知らない亜細亜の蛙
アジアカップ2007が東南アジア4カ国共同開催で行われている。この大会はいくつか新しいことがある。
それは、アジアカップでは初めての4カ国共催ということと、アジアサッカー連盟に移籍したオーストラリアの参戦という2つだ。
オーストラリアと言えば昨年のドイツW杯で日本代表を完膚なきまでにたたきのめし、最終的にはベスト16まで進んだ強豪である。
なんといってもオーストラリアはラグビーが強いが、サッカーでも優秀な選手がたくさんいる。
母国語が英語であることもあって、日本とは桁違いの人数が欧州のクラブ、特にプレミアリーグでプレーしている。
このことをもって、アジアカップの優勝候補筆頭にあげられていたのがオーストラリアである。
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2007年06月09日
またのお越しを:李登輝前総統離日
台湾の李登輝前総統が今日離日した。
5月30日から今日まで、思い出の日本を精力的に駆け回り、各地で講演と散策を行い、心ある人々から大歓迎で迎えられた。
李登輝前総統は84歳。滲み出る深い教養と、圧倒的な大局観を備えた歴史に残る大政治家であるとともに、「22歳まで日本人だった」と公言してはばからない親日家である。
ダンディズムという言葉では安っぽい。人はこのようにあるべきだという理想を、私は李登輝前総統に見ている。
私は尊敬する人物を一人挙げろといわれたら、真っ先に李登輝前総統とこたえる。
中国の温家宝などに国会演説をさせるのなら、私は李登輝前総統にこそ国会で「先輩日本人」として、堂々と演説をしていただきたい。
そんな度胸も見識も、今の日本には無いのが悲しい。
どうか末永くお元気で、近いうちにまた日本へ来てほしい。