たにしのつぼ焼き《新居》

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

センサーライト 屋外 ソーラーライト 60LED

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 四街道の今のウチに引っ越してから、ずっと思っていたのは、夜中、駐車場が暗くてスクーターの鍵を差すのにも難儀する、という事である。他所のウチを見てみると、人が通ると明かりが点くセンサーライトを付けてたりする。そこで調べて見たら、そんなに高いものでもない事が分かった。
 色んな聞いた事もないメーカーが、色んなソーラーライトを出しているのだが、正式な商品名の分からない商品ではあるが、レビューが良かったので買ってみた。2499円で300円引きのクーポン付きだったから、安い。しかも2個入っている。当面、必要なのは駐車場の1個だけなのだが、まぁ他にも使い道があるだろう。
 このセンサーライトは、基本的には壁なり柱なりにビス留めして使うものらしくて、ビスだのアンカーだのが付属していた。駐車場のカーポートの柱に穴あけする事も考えたのだが、あまり穴は開けたくないので、3Mの強力な両面テープで貼り付ける事にした。
 さて、夜中になって、駐車場に行ってみると、ほほう、ちゃんと光る。それなりに明るい。自分がいる限り光り続けている。無いよりは全然いい。2500円程度でこれなら、十分使えるというもんだ。あとは、耐久性がどれだけあるか。一応は防水仕様という事らしい。
 どうせなら、もちっと明るくても良いのにな、と思ってたら、なんとLEDが82個ついたタイプがあった。こちらは2019年版で、自分が買った方は2018年版という事らしい。どうりで300引きのクーポン付きだった訳だ。形は全く同じだから、年々高輝度に進化してるって事なんだろうか。

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鰹節

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 実のところ、子供の頃は鰹節はそれほど好きではなかった。カスカスした紙っぽい食感があまり好きでなく、今でもコンビニのおにぎりでおかかは買わない。しかし、何でもかんでも鰹節は食べないのか、というとそうでもなくて、冷や奴には欲しいし、湯豆腐や水炊きのポン酢にも入れたいし、鰹節に醤油かけて熱々の飯で食うのも好きである。つまり、嗜好が変わったのであろう。
 さて、スーパーなどで売っている鰹節は、いわゆる削った状態の削り節である。これしか見かけないから、鰹節というとビニール袋に入った鉋の削りカスみたいなのしかイメージ出来ない人も多いのではないか。しかし、本来は鰹節は、その名の通り、鰹の身を干したものである。御徒町のアメ横や京都の錦市場なんかに行けば、本来の鰹節が売っている。それを削って食べる訳だ。
 その鰹節、わざわざ塊のを欲しくなる作品が二つある。一つは秩父事件を扱った映画『草の乱』で、政府軍に破れた秩父困民党軍の幹部が、逃れた山の中で鰹節を小刀で削って食べているシーン。ほほう、こういう食べ方があるんだと初めて知った。もう一つは比留間宏氏の『地獄の戦場泣きむし士官物語』の中で、撤退中、落ちてた鰹節の欠片を拾って、それを削って飯にかけて長い事食べた、という話しが出てくる。そこで、鰹節の塊を削って食べてみたくなったのである。
 上にも書いた様に、削ってない鰹節は、御徒町の乾物屋に行けば売っている。ところが結構良いお値段する。それこそ、5センチくらいあれば、興味を満足させられるのだが、そんな小さいのはなくて、安くても2000円、高ければ4000円近かったりするデカイのしかない。流石に食べきれないと思い、なかなか手が出せずにいた。ところが去年、嫁さんと帰省かねがね京都に行った時、嫁さんが錦市場に行きたいというから連れて行ったら、上に書いた通り、乾物屋がある。上等そうな鰹節も置いてある。どうするか、買うか、やめとくか、荷物になるしなぁ、でもトランポで来てるから荷物にはならんか、と店の前を行きつ戻りつ3回くらいやって、旅先で気が大きくなってるのも手伝って、とうとう買ってしまった。
 で、実家にその鰹節を持って買えると、親父が、どっから持ってきたのか知らないが、鰹節削り器があるから持って帰れという。まぁ、どっちみち削って食わねばならないから、貰って帰ってきた。ところが、アレもって帰れコレもって帰れの大量の食料品の中に、パックの削り節も大量にあって、先にそっちを消費していたら、削る方の鰹節の出番がなかなか回ってこない。
 そんな訳で、長い事、冷蔵庫の中で縮こまっていたのだが、今朝、ようやく日の目を見る事になった。鰹節削り器も今日、初めて使ってみた。刃が古いのか、花鰹みたいには削れないが、何となく削れる。鰹節削り器は、奥に押すのでなく手前に引いて使うのだという事も気がついた。食べてみた感じは、やっぱり高いだけあってか、美味い。味が濃厚である気がする。削る手間は確かにあるが、もうちょっと刃が切れれば、これはこれで面白い。出来れば、映画や本の様に、小刀で削って食べてみたいものである。

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猫に鰹節


貧乏と貧困

■貧困女子の貧乏生活!家での食事は恐らく刑務所以下?
(【アラサー貧乏女子】貧乏生活脱出ブログ 2016年6月17日)

 今から2年ほど前は、こうした記事が結構目に付いた。今は孤独死の方が毎日の様に目につくから、貧困状態は多少は改善されたのであろうか。そうあって欲しいものである。
 先進国の、しかも結構上の方に位置している我が国で、食事に困るほどの貧乏人が居る、というのが非常に奇異であった。自分が親から聞いてた、戦後の貧乏話しとはまた違う。昔は何のかんので貧乏人が多かった様だし、それが当たり前の世の中で、知恵のある者、マメな者、そうした能力のある人が、貧乏ながらもマシな生活に向かって行ったイメージである。ところが今の貧困というのは、世の大半がまだ総中流の意識の中で生活しているのに、運の悪かった人が貧困層に落ちて、誰にも相談も共感もされず、一人で絶望的な生活をしてるイメージである。自分みたいに、親世代の貧乏話しも聞いた事のない若い人にとって、自分の立ち位置さえ分からない状態で、どうする事も出来ないでいる。それが今の貧困なんだと思う。
 こんな分かりきった事を、今、改めて黙考したのは、「今の若い人は、食費切り詰めるために自炊したりしないのか。極端な話し、鍋で米炊いて、塩や味噌で食ってでも生きて行けるのに」と思い、日本飯盒協会の立場から、直火炊きの面でなにかアドバイスめいた事が出来ないか、と考えたからだ。考えたのではあるが、そんな生活の知恵程度でどうにかなる生易しいもんじゃないという事に気がついて、やめた。努力してる人は努力してるし、努力どころでない人だって多くのだ。
 仮に飯盒と米があったって、煮炊きする場所や装備がなければ出来ない。そもそも住む所がない人には、自炊さえ無理なのだ。わずかに手に入った小銭で、コンビニやスーパーでパンだのおにぎりだのカップ麺を買って凌ぐ、それさえ出来なかったら廃棄食品を探す、そうするしか出来ない。自分の親達が経験した以上の、凄まじい環境なのである。
 どこかの国の哲学者が20年ほど前、日本のホームレスを見て、「この国に置ける完全な自由とは、野良犬のそれである」と宣ったそうであるが、そんな人たちに自炊がどうのといったアドバイスなど、まったく意味をなさない。倹約や節約が意味をなせるレベルまで、その人たちの暮らしぶりを回復していく事こそ必要であり、それは知恵ではなく政策なのだ。

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いわゆる貧乏のイメージ
住む所があるだけ、今日の貧困よりマシな状態


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