たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

2013年07月

猫の社会性

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■社会性は…実はあるんです

 3年前に亡くなったくろすけであるが、これが実は恐怖の噛みネコで、腹を撫でようものならガブーっ。ケンカごっこの時も当人はごっこのつもりでも、こっちはうっかりしたら血を見るほど激しかったりする。まぁ、こちらも面白がっておちょくったりしてたので、余計激しくなったのだと思うが、噛みネコになるには原因があるらしい。
 くろすけは、おそらく生後2ヵ月くらいでウチに拾われたのだが、生まれつきだったのか病弱で、母猫や兄妹から遅れを取っていた(らしい)。つまり、兄妹と遊んだり、母猫から十分なケアを受けられないで、かつ親離れ前にウチに来た事になる。これは猫の社会性が育成される上で大きな障害になるそうな。

 一方、みりんは、ウチに来た時は生後大体3ヵ月くらいで(なので子猫の可愛らしい盛りはあっという間に終了w)、かつ生まれた時から親兄妹と一緒で(親ごと段ボール箱に放り込まれて捨てられてたところを保護された)、しかも保護してくれた所が昔から地域で猫の保護活動をやってる障害者の作業所だったもんだから、親子だけでなく他の猫とも接する事ができ、しかも不特定多数の人間とも接しまくってた。なので、貰い受けに行った時は、それはそれはメッチャ懐きまくりで即貰いしてきたのだが、生まれてからの経緯を聞けば、スーパー社会性猫という事になる。
 フサ猫のかぼすを拾った時に、果たして先住のみりんがちゃんと受け容れるか心配であったが、確かに最初の4日くらいは警戒してたものの、直ぐ慣れて面倒見る様になったのは、こうした社会性が十分に備わっていたからではないか、と思う。

 かぼすはというと、こちらは野良スタートであるものの、母親と兄弟と一緒にずっと暮らしてて、親離れの直前にウチに拾われた。時期的には2.5ヵ月くらいで、かぼすを拾った2週間後には他の兄弟達は姿を消した(母猫は相変わらず通ってきて、新しい子猫産んだ)。つまり、かぼすも猫の社会性は十分身に付けた状態でウチに来たのである。そのせいもあってか、みりんを親だか兄だかの様に慕って懐いている。
 みりんとかぼすの決定的な違いは、みりんはほぼ飼い猫として成長したのに対して、かぼすはウチに拾われるまでは野良で、兄弟で食べ物を争う様な暮らしぶりだった。そのせいか、みりんは与えられたエサ以外に興味を示さないが、かぼすは人が何か食べてるとすごく興味を示す。見た目がシベリア猫の血を引いているいるのに、育ちが悪いのであるw

 みりんもかぼすも噛みネコではない。じゃれる時は甘噛みしてくるのは、こうした社会性を身に付ける機会を得たからだと思う。遊んでやっても、非常に穏やかでちょっと物足りないくらいである。
 よくペットショップで、小さい子猫がショーケースの中に入れられてるのを見ると、この子らは将来大きくなったら、穏やかな性格になるんだろうか、と心配になる事がある。大抵は懐っこそうにガラスに擦り寄ってきて、飼ってくれ(買ってくれ?)アピールをする可愛らしいのが多いが、早くから親から引き離されて、果たして社会性が身に付くのやら、と思う訳だ。





ぶっちゃけ財政難w

 バイクの競技系の趣味を始めてかれこれ5年になるのだが、財政難の傾向は年々度合いを増してて、今年はいよいよレースに出るのを控える事になった。もともとエンデューロレースに出るのが楽しくて始めた趣味であるが、今のライダーレベルでレース出ても仕方ない、なんて批判を真に受ける前に、財布の方が厳しくなった、という訳だ。平均して毎月3万近く持ち出しがある現状では、残念ながらレース出る余裕は無いのである。それでも今まで、あれやこれやと参加出来てたのは、少しずつ貯金を取り崩してたからで、その取り崩せる貯金が限界に達した、という事である。
 バイク買うのもトランポ買うのも、まとまった貯金を崩して資金動員すれば揃えられるのであるが、それを運営していくとなると、やれコース代だガソリン代だ高速代だと、あれこれ金が掛かるのである。XRでツーリング行ってきまー、という訳には行かない。徒歩と電車でキャンプ行くのなんか、話しにならないくらい金が掛からない。まぁ、今年の前半は再軍備で結構金使ったのであるが、揃えるもん揃えてしまえば、あとは金が要らないのである。
 とまぁ、愚痴ったところで、バイク乗る事自体は楽しいし、下手は下手なりの楽しみ方もあるので、バイクの趣味を止めるつもりはない。ただ、レースに掛ける金があるなら、近場のコースとかで練習したい、というのが本音なのである。その意味では、デコボコランドは年会員になってコース代が安くなったし(それでも年10回以上行かないと元が取れない)、その近くに別のコースを見つけたのはポイントが高い。トランポの燃料を満タンにしたら、3回は印西に行けるのであるから、非常にリーズナブルなのである。
 まぁ、近場のコースであっても、まだまだ出来ない事は多いのだし、それをクリアする目標を達成するだけでも結構楽しいと思う。レース出るのは、まぁ自信が付いてからでもいいかな、と。その意味で言えば、2008〜2010年頃は、よくもまぁJNCCとか出てたなーと思う。やっぱ、お祭り騒ぎ、イベントとしてのレースに楽しみを感じてたんだね。






かぼす洗う

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 みりんは短毛の黒猫なのであまり汚れは目立たないが、かぼすはグレー&白なので、白の部分が若干黄ばんできた。エサはそこそこの物を与えてるので、口もさほど臭くなく、従って身体もそんなに臭くないのであるが、やっぱり舐めきれない部分は黄ばむんだなー、という事で、ほぼ1年振りに風呂に入れた。
 当然暴れまくりの泣きまくりで、ちょっと失禁もしたっぽいが、取り敢えず洗い終わって、バスタオルでくるんで時間掛けてゆっくりドライヤー当てて乾かした。長毛だけになかなか乾かないのだが、90%ほど乾いたところで解放。まぁ、夏場ではないし、クーラー掛けてても風邪ひくひどではない。あとは自分で舐めてた。疲れたらしく、グッタリしてたが、横になって伸びたまま身体舐めてる様はちょっと可愛かった。
 明けて今日。一晩のウチに完全に身体は乾いたのであるが、手触りが半端無く良くて、サラサラ。黄ばんだところは黄ばんだままだったが、まぁ、そういう色の毛なんだろうな。それよりも、昨日はちょっとベタってたのが、シャンプーしたお陰でここまで変わるとは、ちょっと驚きだった。
 今までは短毛猫しか飼った事なかったし、完全部屋飼いで、エサもそこそこのだから身体も臭くならず、風呂に入れる必要を感じてなかったのだが、やっぱり人為的に長毛にされた猫の場合は、こうやってタマにはメンテナンスしてやる必要があるみたいである。その事を初めて実感させられた。





たまねぎの威力

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 昨日、タマネギをスライスして水にさらしたのに、キュウリをスライスしたのを混ぜて、鰹節振りかけて醤油垂らしたサラダを食わせて貰った。夏バテに効く、というので半信半疑で食ったのだが、これがどうして、今日は不思議に元気になったっぽい。ぽい、というのは自覚症状があまりないからで、でも水泳は2.2km泳いだし、ブレトレや筋トレだって「やろう!」という気になったのだから、たまねぎの威力は絶大なのだ。
 たまねぎといえば、自分の認識では、炒めるか、揚げるか、煮込むか、とにかく火を通さずに食うという印象は全然無い。例外としては、ポテトサラダに入れる場合だが、それは薬味代わりだと思っているし、たまねぎの存在そのものをあまり感じずに食える程度しか入ってない。だから、たまねぎを生食するという思想がなかったのである。そもそも生で食えば、ビリビリとした食感で結構キツイ。しかし、水にさらすというか、漬けておくとそれが無くなってプレーンな味わいになるのだ、という事を初めて知った次第である。
 「健全な肉体に健全な精神は宿る(本来の意味は違うらしい)」とか「疲れた頭でした判断は疲れた判断」というが、まさにその通りだと思う。梅雨があけて急に暑くなり夏バテになった、というよりまずは精神がバテてしまったが、そう言う時は気持ちも行動も退嬰的になってしまう。「よし、やろう!」じゃなくて、「まぁいいや〜」って感じ。しかも、それじゃダメだな、と思わないところに問題がある。
 結局のところ、食い物一つで改善された話しではあるが、ジャンクなものばかり食って適当に腹を満たしてしまう現代人の一人として、如何に食い物が大事であるかを、身をもって理解する機会であった。






あたし、ねこ


 Eテレの0655のねこのうたのパクリで、2年ほど前にみりん版を作ってYoutubeにアップしたら、知らないウチに15,000回近くも再生されていた。別に他の人の作品とさして変わらない出来映えなんだが、やっぱり有名どころの曲を使うと、リンクのリンクで見られるらしい。
 そこで今回はかぼす版を作る事にした。かぼすも大きくなって体重が4.5kgになったし、そろそろ作って子猫の時からの記録を残しておいてやっても良いかな、と思った訳だ。
 しかしまぁ、オレもこういうのを作るところを見ると、親バカ的なところがあるんだな、それなりに。





星守る犬

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 この作品はたしか連載されている時に、一部だけ読んで(「一等星」の川村少年がコンビニで盗み食いするシーン)「最近、この手(育児放棄)の話し多いよなー」と思っただけで、その後忘れていた。たまたま古本屋で見つけて、手にとって立ち読みしたのが運の尽き。自分も滂沱の涙の一員になってしまった。映画化された、という話しも知ってはいたが、数多くある動物ものの映画だと思っていたのだが、まさかこんな話しだとは思わなかった。
 中身については多くの人が感想を述べているので、細々とした事は述べず、自分が感じた事だけ書くが、まず一つは「星守る犬」の「おとうさん」の執着のなさと、もう一つは「一等星」の少年「川村哲男」の生存力に驚いた。普通、全財産つまった財布が無くなったら大事で、盗った奴を探しまくると思うがそうもせず、それが決定的原因で「おとうさん」と犬のハッピーは死ぬ事になる。でも、その死んでしまう事自体にも執着がない。「川村哲男」は育児放棄されて、あまりの空腹にアチコチの店で盗みを働き(決まってコロネなのだが)、恩人の財布までも盗んで旅を続ける。当然の事ながら、盗みは犯罪であるし褒められた事ではないのだが、「どうにかして生きる」という強い意志(そんな風には描かれれていないが)を感じた。
 前者は何もかも失って最後は死ぬ話しだし、後者は生きんが為に手を汚す(しかも前者を死なす)話しであるにも関わらず、「救いがない話し」でないところが、この作品の救いなんだろうな、と思う。この作品で描かれている悲喜こもごもは、どんな人も大抵は経験してる事だし、あるいは経験する可能性のある事なので、自分を登場人物に投影しやすい。そして「救いのない話し」というのは、いつまでも自分の心の中に残っているのだけど、この作品を読む事でその思いが救われた気持ちになるんじゃないかな、という風に感じた。
 こんなに泣いたのは、3年前にくろすけが死んだ時以来である。泣かせる作品は良い作品である。





試算

 先日、今年はバイクの買い換えを見送って来年にする、という話しを書いたのであるが、では2年おきに買い換えるのと3年おきとでは、どの程度財政的に楽になるのかを試算してみた。条件は、買い換え時の車輌は80万円とし、購入後1年目の総整備(前後サスのOH等)は10万円、夏の一時金は住民税やトランポの車検代に消えるので冬の一時金で30万円積立(20万円はスクール代)、3年置きの買い換えの場合、購入2年目で総整備に加えエンジンの腰上OHをやると仮定して20万円。下取り価格を2年置きの場合は30万円、3年置きの場合は20万円とした。ついでに4年置きの場合も想定して、3年目の総整備を10万円、下取り価格は10万円として、各々試算した。
 上記の表がその結果だが、2年置きと3年置きでは、財政的には全然変わらない事が判った。言い換えれば、3年置きの場合は予算は貯まらないのに古い車輌を1年多めに乗る事になる。さすがに4年おきだと、買い換えの度に10万円ずつ増えていく計算だが、そんな先までこの趣味やってるかどうかの方が不透明だ。となると、2年置きで買い換えた方が、フレッシュな車輌を乗り継ぐ格好になって得、という事になる。まぁ、よくよく考えてみれば、この趣味を始める時に、2年置きの買い換えでどうにか回っていくのを試算して始めたのであるから、一応は2年おきで買い換えても一応は大丈夫なはずである。単純に1年伸ばせばその分貯まると思ったのだが、延命措置する費用と下取り価格が下がる分で、貯まった差額は償却されてしまうわけだ。
 となれば、今年の秋に買い換えという運びでも良いのだが、問題はCRF250Rは今年モデルチェンジして、2013年モデルのCRF450Rと同じ格好になるはずである。となると、外装だのデカールだのはまだ出揃って無くて、整備情報などの蓄積もまだの筈である。2010年モデルのCRF250Rを買った時が丁度そんな感じだったのだ。むしろ1年遅らせて買った方が、外装やパーツなども出揃っているはずである。そんな事もあって、やはり買い換えは来年にしようかと思う訳である。
 また、これから自分が何をするかによって、次に必要とする車種も変わる可能性も高い。有り体に申せば、フルサイズのモトクロッサーのお陰で、出れないレースもあったりするので、思案する時間も欲しいところである。
 エンジンのオーバーホールは、2年も乗ったのだからやった方がイイに違いないと思うのだが、これはもう少し様子を見ようかな。3年手を付けなかった人の話も良く聞くので、ここら辺りは慌てず様子見て、必要であればやる方針で行こうかと。






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