2014年04月23日

日本陸軍:九九式背嚢(レプリカ)

   これまで、キャンプや山登りに使ってきたバックパックは、一番古いもので米軍のフレームザックタイプのアリスパック、その後はインターナルフレームタイプのバックパック、最近はフレームの入ってないアサルトパックを使っているのですが、いずれにしても素材が化繊の今風の背嚢である事には代わりありません。特徴としては、装備は基本的にはバックパックの中にパッキングして使う、という事です。(その割には、MOLLEウェビングにこだわりますがw)
   今回調達した、旧日本陸軍の九九式背嚢は、こうした近代的なバックパックが生まれる遥か昔に使われていたもので、形も使い方も今のとは全く別、あるいは逆の、実にヒストリカルなバックパックなのです。

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この種の軍装の多くは、最近は中国で作られています
実物と比較してないので分かりませんが
まぁ、値段相応の出来映えの様です


■外見的特徴
   九九式背嚢は、皇紀2599年、つまり西暦1939年、昭和14年に採用された背嚢で、それまで使われていた背嚢が革を多用した木枠入りの物だったのに対して、こちらは全部布製です。その頃の日本は、中国と戦争やってて、しかもいつ終わるか判らんの状態になってて、この手の装備もコストダウン&生産性向上の物に次第に置き換わって行く頃でした。
   歴史の講釈は置いておいて、この背嚢はタコ足背嚢とも呼ばれる訳ですが、その名の通り、背嚢の周囲に紐が大量に出ています。一見するに、どの紐がどう使われるのか判りかねる状態ですが、とりあえず使い方は日本軍マニア諸兄のサイトを参考に勉強する事にしました。
   先にも述べましたが、バックパックというと、基本的には装備は全部パッキングして、外側には出さないという頭があるのですが、昔の背嚢はむしろ逆で、主要装備は外側に付けるのが基本でした。つまり、毛布や外套、携帯天幕、飯盒といった装備は、全部外側に付けます。先ほど言っていたタコ足の紐は、これらの装備を縛着する為の物です。九九式以前の背嚢では、専用の革のストラップを使っていたのですが、九九式では予め紐が付いているので、ストラップを通したり外したりする手間がない、という訳です。今回調達したのは、中国製のレプリカなので紐は全部付いていますが、戦地から持ち帰られたもので、戦後も使われたものは、紐が無かったりするのもあります。まぁ、日常生活では紐は邪魔ですから、切り落として使ったんでしょうね。
   背嚢の布地の材質は、帆布っぽい布地です。ものの性質から、一応は防水なんだとは思いますが、レプリカだけにそこらは辺はどうなのか判りません。まぁ、いっぺん水ぶっかけて試しても良いんですが、雨の日を選んでキャンプしに行くつもりはないので、そこまでしなくても良いかな、とも思ってますw

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ヒモを展開した状態。確かにタコ足に見えますね
まぁ、足は8本以上ありますがw


■装備の縛着
   背嚢の外側に付ける装備としては、次の物があります。外套もしくは毛布、携帯天幕、飯盒、小円匙、地下足袋、鉄帽。この他にも、任務や作戦行程によって、持つものに変化があった様ですが、基本的に共通しているのは、これらの装備です。ちなみに、外套は寒冷地、毛布は南方という風に、行き先や季節によっても装備が変わった様です。
   まず、背嚢本体を何か入れて膨らませます。これ以前の背嚢では木枠が入っていたので、中身が無くてもとりあえずは形になっていたのですが、九九式背嚢では何か入れないとペタンコのままですし、それでは周りに装備を付ける事が出来ません。もちろん、本来は背嚢本体にも入れるものが決まっていたはずですが、その事については後述したいと思います。
   まず、毛布を畳みます。毛布の畳み方は、実はあまりよく判らないらしくて、自分はこちらのサイトを参考にしました。やってみて一つ判った事は、広い地面がないとやりにくい事、掃除する前にやると猫の毛や埃が一杯つく事、巻き方がいい加減だとキッチリ背嚢の周りに納められない事(飛び出たりする)、という事でした。畳んだ毛布は馬蹄型にして、背嚢の左右と上部の紐で縛り付けます。
   携帯天幕は、支柱が抜け落ちない様に、毛布を背嚢に付けた幅に畳んで、背嚢の上部の毛布の上に縛着します。
   飯盒は、背嚢本体の中央についてる横の紐と、上下の縦紐で縛り付けます。いずれもちょっと長めですが、これは飯盒の上に鉄帽を被せて、一緒に縛着する為だと思います。まぁ、戦争に行く訳ではないので、鉄帽まで持って行きませんが、サバゲー時代でもキャスト製のヘルメット被ってた自分としては、心動かされるアイテムです。
   小円匙は背嚢の左側、毛布を縛り付けてる紐を活用して縛着します。下の紐は円匙のカバーのループに通し、上の紐は柄の上で縛ります。まぁ、キャンプにショベルが要るのか?という疑問はあるのですが、野糞や焚き火の穴を掘る可能性もあるので、一応装備する事にしました。ちなみに、小円匙を右側に付けてる写真もあるので、野戦では好きな側に付けてた可能性があります。
   地下足袋は、上陸戦や湿地帯突破とか、そういう時に使われていたそうで、そうでない時は装備しなかった可能性も大です。ちなみに、この地下足袋は、いわゆる鳶職の人が使う長いやつでなくて、こはぜが3〜4枚の足首の短いタイプです。実用地下足袋とかいった名称で売られてますが、ワークマンなどでは売ってないのでネットで調達しました。

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毛布の巻き方が悪いと、こんな風に下が余ります
毛布の巻き方も色々ある様ですが
正しいやり方がイマイチ分かりません

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鉄帽以外の装備を縛着した状態
重たい円匙を右左どちらかに付けるので
左右のバランスが悪いです

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背面はこんな感じです
今風のバックパックは縦長になりますが
この頃のは横長になるスタイルですね


■担いでみた感じ
   とりあえず、ここまで付けた時点で背負ってみました。肩のストラップはやはり帆布っぽい布なのですが、肩に当たる部分は多少幅を広くしてあるだけで、ただのペラペラの布地です。今風のバックパックの様にクッションが入ってたりしません。重い物を担いだら、もれなく身体に食い込む仕様です。
   肩のストラップは比較的長めに作ってあります。これは冬季被服で着膨れしてても大丈夫な様にでしょう。肩に当たるストラップの下端に金属の輪っかを重ねた器具があり、そこに背嚢の下から生えたストラップが通っています。そのストラップを引っ張れば身体にフィットする長さに絞る事が出来ます。
   背負ってみて感じたのは、荷物が軽い今は良いけど、重くなったらやっぱり肩に食い込んでしんどいだろうな、という事でした。昔の兵隊さんはどう対策してたのか興味のあるところです。また、左側に小円匙が付いているので、左右の重量バランスが悪く、長時間担いでいたら無駄に疲れそうです。同時代の米軍の背嚢では、スコップは背嚢のセンターに付いていますから、はやり右か左かどっちかに円匙を付けるのは、人間工学的に問題があるなーと感じました。

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担いだ時に肩ストラップを調整するのは、赤のヒモを引きます
逆に下ろす時にリリースするのは、青のヒモを引きます
この辺りの構造は今のと変わりません


■背嚢の中身
   外側に付ける物は、写真を見れば一発で判るのですが、問題は見えない中身。ドイツ軍の背嚢などは、結構詳細が判るのですが、日本軍の背嚢の中身は、入組品の一覧はあるのですが具体的にどの様にパッキングしたかまでは、写真もイラストもなくて判りませんでした。一応、背嚢にパッキングするのは、襦袢袴下1着、軍足2本、手入れ具(恐らく兵器の)、携帯口糧2日分、という事らしいです。
   その携帯口糧というのは、今風に言えばレーションという事になるのですが、規定では精米6合、乾パン3袋(薬675g)、肉の缶詰1個(150g)、塩24gという風になってた様です。その他に、粉末の醤油や味噌、圧搾口糧と行ったものもありました。基本としては2日分を持った様ですが、作戦によっては6日分とか持った様です。それはともかく、実際にキャンプに行く時に、米や乾パンばっか食う訳にも行きませんし、1日6合も飯を食えませんので、この辺りは参考程度にしておいて、実際的なパッキングの仕方を考える事になりました。
   まず、背嚢の中に仕切りが設けられている事に着目しました。仕切りは背嚢のセンターに設けられている訳でなく、背中側に一枚布を当てた様な格好です。恐らく、その部分に下着などを入れて、背嚢の中身がダイレクトに背中に当たらない様にしたに違いありません。
   あとは、米だの野菜だの缶詰だのを、出来る限りグチャグチャにならない様に詰めて行くだけです。ちなみに、規定通りに米6合と乾パン3食も入れていましたが、意外にもまだ物が入る様な感じでした。九九式背嚢は木枠がなく、物が目一杯入ってないと四角い形にならず、そうなると毛布なども縛着しにくい、という特徴があります。なので、1泊くらいのキャンプだったら、思いのほか食材が持って行けそうな感じです。(なんたって、雑嚢もありますので、収納スペースには余裕がある訳です)

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背中に当たる部分に下着等を入れると思います
そうする事で、少しは背中に当たる負担を抑えられます

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とりあえず、2日分の携帯口糧を用意してみました
軍足の中に米を入れてます

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意外にも、携帯口糧だけだと余裕がある様です
まぁ、他にも入れたんでしょうがw

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物が入ってない事には、背嚢の形にならないのが欠点です
もっとも、大戦中盤以降は、背負い袋が主流になったそうです


■その他の工夫
   外側に巻く装備の内、携帯天幕は中田商店のレプリカを手に入れる事が出来ました。ただし、ポールは東独軍のツェルトのが2本しか付いておらず、仕様に近づけるには3本必要でしたので、別に東独軍のツェルトを買いました(トランポの日除けに使用)。
   毛布は、なんとヤフオクで昭和17年の検定印が付いたのを落札しました。どうみても薄い古カーペットにしか見えない毛布で、埃臭く実際に埃っぽかったのですが、はたいて埃で出来るだけ飛ばし、天日干ししまくって臭いを飛ばしました。出来れば洗濯したいところですが、なにせ実家の親父が生まれる1年前の製品だけに、うっかり洗濯してボロボロになったので目も当てられないので、干すだけに止めました。
   この毛布と携帯天幕だけで昔の兵隊さんは露営した訳ですが、さすがにこれじゃキツいという事で、サーマレスト使おうという事なりました。ただ、あの赤いのを背嚢にくくり付ける訳にもいかないので、古いシーツを使ってそれっぽい袋を作りました。まぁ、軍制式のものでは当然ないですが、この手の袋は野戦で兵隊がこさえて使っててもおかしくないと思いますし、それっぽい感じで作りました。
   ちなみに、このサーマレストは畳めばいい感じに背嚢にぴったり納まりますので、キャンプの翌日、あらかた食材がなくなった状態なら、畳んで背嚢に詰めて持って帰る事も可能です。そこで、古いシーツを使ってそれっぽい袋を作りました。如何にも兵隊が野戦で作りました的な出来映えにするため、荒めにざっくり縫いましたが、色合いといい(使用感ありまくりのベージュ色)、それっぽくなりました。
   野営のあと、背嚢の中身を消費したら、サーマレストは畳んで中に入れれます。袋もペラペラですので収納可です。

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猫が書いてかぎ裂きになってたりしますが
それが如何にも野戦で拾った布で作ってます的な感じですw

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もちろん、軍の正規の装備ではないですが
野戦では色々各自工夫してやってたみたいなので
これもOKでしょう!



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