古墳

2014年08月19日

   去年の明日香村作戦で、あわや熱中症になりかけた経験から、今年はちっと涼しいところに行こうと考え、艦これブームにあやかって舞鶴の軍港に遊びに行こうと思ったのですが、予定日の前日に大雨が降って福知山が冠水。交通網も怪しい状態になっているみたいなので取りやめました。
   仕方ないのでどうしようかなーと思っていたら、堺の方の古墳にタヌキが住んでるを思い出し、調べてみると、タヌキの古墳の直ぐそばに日本一(“古墳”は日本にしかないので、日本一という事は世界一w)の古墳、仁徳天皇陵がある事を発見。というか、その回りは古墳がゴロゴロあって、とても1日じゃ回り切れない。そこで、仁徳天皇陵、御廟山古墳、たいすけ古墳(タヌキ居るとこ)、履中天皇陵の4カ所を回る事にしました。

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JR阪奈線百舌鳥駅前にあった地域地図
今回回った古墳が全部入っています


■百舌鳥古墳群
   仁徳天皇陵ってのは、大抵の人は歴史の資料集なんかで写真を見て知っていると思うのですが、それが元々は100基近い古墳の中にあって、現在も45基も残った古墳の一つだ、という事はあまり知ってる人は居ないかもしれません。かくいう自分もそうでした。ついでに言うと、実家から電車で1時間ちょっとの所にあるのに、この歳になるまで一度も“日本一の古墳”に行った事がない訳で、まぁ、ある意味、興味のない人にとっては古墳は出かかろうが大して興味の対象にはなってない、というのを示していると思います。
   さて、今回探訪する古墳は、JR阪奈線の百舌鳥駅を基点として全部回れる位置にあります。今回もレンタルサイクルを借りる事も考えたのですが、そこまでしなくても徒歩行軍で十分回れそうです。なんと行っても、駅ほ歩道橋の上から仁徳天皇陵なんかは見える訳です。ただし、猛烈な猛暑ですから、水分補給だけは忘れる事は出来ません。その点でも、去年の明日香村と違って、古墳と古墳の間が迫っているので移動しやすい事、自販機などは結構ある事、街中でもあるのでコンビニもそこそこある、という事で、補給には難儀しなさそうでした。

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JR阪奈線百舌鳥駅
なんと無人駅でしたw

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駅前にあったファミマで、フローズンなんとかを補給
住宅街だけに、コンビニはそこそこありました


■仁徳天皇陵
   仁徳天皇陵は、百舌鳥駅から歩いてものの10分もしない所にあります。日本一の古墳だけに、側で見てると、その大きさがイマイチ判らんほどです。その大きさを実感するには、古墳の回りを1周歩いてみるのが良さそうです。同じ様な事を考える人が多かったのか、仁徳天皇陵の回りには遊歩道が整備されているとの事。だったら歩いてみるにしかずです。
   まずは拝所に移動。日本一の古墳だけあって、地元のボランティアのガイドの人が、観光客相手に関西弁丸出しでガイドをやってました。ところで、この仁徳天皇陵は、いわゆる前方後円墳なのですが、写真やイラストでは円墳が上、方墳が下、いわゆるガキ穴の形で写されたり描かれたりするので、てっきり円墳が上のイメージを持っていますが、前方後円墳という様に、前が方墳の方で後ろは円墳です。なので、前方後円墳の場合、拝所は方墳の頂点(まぁ、一般的イメージで行けば底辺)の所にあります。
   さて、さっそく行軍開始。どっち回りでも構わないのですが、何となく半時計回りに歩き出しました。とりあえず、てくてくと脇に古墳を眺めながら歩く。ひたすら歩く。古墳には鉄柵がしてあって中には入れないのですが、細い道路を挟んで反対側には、普通の住宅が並んでいます。当たり前の様に、家の前に日本一の古墳があるのは、ちょっとシュールな感じでした。
   そんなこんなで、だらだら写真撮りながら歩く事、約38分。元の拝所に戻ってきました。もっと時間掛かるのかと思ってたのですが、2.8kmはそんなに長い距離ではない様です。しかし、歩いてみて感じたのは、側から見える古墳の部分というのは、周濠に設けられた堤で、これにも木が植わっているので墳墓それ自体は見えない、という事です。自分らがイメージしてる仁徳天皇陵は、空から撮影されたもので、実際現地で見てみると、ただの鬱蒼として岡にしか見ない、というのが率直な感想でした。

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仁徳天皇陵の模型
仁徳陵の回りには、10基ほどの陪塚があります
(それも地方豪族の古墳規模)

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仁徳天皇陵の説明書き
しかし、鹿の耳から鳥が出て来たって、、

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天皇陵には、必ずこの注意書きが掲げられます
でも、時たま侵入して捕まる人がいますねぇ

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仁徳陵の回りには、こんな風に遊歩道が整備されています

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遊歩道には、こうした距離と位置を示す石碑が
所々に設置されています

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しかし、窓を開けたら目の前が日本一の古墳
すごい所に家が立っているもんですw

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陪塚の一つとされている、永山古墳
暑かったので、遠望して通り過ぎました

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そのデカさ故に
大昔から色んな作品に取り上げられていた様です

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あまりに暑くて、のぼせてましたw


■堺市博物館
   とはいえ、炎天下の中を2.8kmも歩いた訳ですから、いい加減暑くて疲れてます。ともかくクールダウンが必要という事で、仁徳天皇陵そばのお洒落な喫茶店に入り、マンゴーのかき氷とグレープフルーツジュースを注文。汗だくの短パンのおっさんがかき氷食う様は、ちょっとアレな感じですが、外聞憚ってる余裕はないので、バクバク食ってクールダウンしましたw
   ようやく汗が引いた訳ですが、すぐさま次の古墳に行こうか、という元気まではまだありません。ふと前を見ると大仙公園(この中にも小さい古墳がいっぱいあるw)です。その中に、堺市博物館があるのが判りました。せっかくですし、クールダウンがてら入ってみる事にしました。
   入場料は200円、規模としては小柄な博物館ですが、なんと言っても45基も古墳が集まってる場所だけに、出てくる物も結構すごくて、立派な物ばかり。個人的には軍装に関心が向いてしまうのですが、そんな人の為に、レプリカの兜や短甲なんかも置いてあったりして(兜は被りましたw)、結構楽しいです。
   とはいえ、見たいもの見たら、小一時間ほどで見終わってしまいました。まぁ、時間的にもお昼なので、適当にファミレスかラーメン屋か牛丼屋にでも入ろうと思ったのですが、その手の店はまったくありません。コンビニで買い食いは出来ますが、いい加減足が疲れてるので、座って食べたい訳です。結局、百舌鳥駅前に唯一あった、如何にも田舎にありそうな定食屋に入ったのですが、予想に反して美味しくて、ご飯大盛りお代わりしてしまいましたw

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とりあえずクールダウン
もう一杯お代わりしたかったですw

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この中にも古墳がゴロゴロあるのですが
見て回る気持ちの余裕はありませんでしたw

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堺というと、古墳よりは
織豊次代の自由都市のイメージの方が強かったりします

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出土品の甲冑
案外、完全な形で残ってるもんですね

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埴輪ももちろんあります
ちなみに、仁徳陵には2万体の埴輪が使われたとか

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堺市博物館の展示の半分は
自由都市次代のもので、それも見応えがありました

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やっとありついたお昼ご飯
他人丼に豚汁を頼んだのですが、ご飯も追加しましたw

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普段、この手の店には入らないのですが(ハズレが多い)
ここはとても美味しかったですw


御廟山古墳〜たいすけ古墳
   ちょっと食い過ぎたかなー、とか思いながら、iPhoneのマップに案内されて、御廟山古墳へ。こちらも住宅のど真ん中にあるのですが、それなりに結構大きな前方後円墳です。仁徳陵の様に堤がないので、柵越しに周濠に浮かぶ墳墓を拝む事が出来ます。自分が見た方角は、前方墳側からですが、それとして形が判るのが興味深かったです。とはいえ、この御廟山古墳は通過点なので長居せずに通り過ぎました。
   ふたたび住宅街をてくてく歩く事、15分ほど。今回の作戦の目標、いたすけ古墳に辿り着きました。そして、期待に胸躍らせながら、半壊した橋を見てみると、、、、タヌキの姿は見えず、代わりにいたのは番いの鴨と首伸ばした亀だけでした。まぁ、内心そうじゃないかなーと思っていたのですが、この糞暑い時期に、いくら夏毛に生え変わってるととは言え、タヌキが日光浴してるはずもなく、どこか涼しい所で日中は寝てるに違いありません。
   それでも、夕方まで待ってみようかと思ったのですが、日陰さえない住宅街の真ん中で、出てくるか判らんタヌキを待っていたら、熱中症で神に召されてしまいそうです。そもそも、タヌキどころか、人っ子一人居ないのです。このままここで頑張っていても仕方ない、と諦める事にしました。

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御廟山古墳のパノラマ写真
iPhoneでパノラマ撮影すると、墳墓が小さく写る様な気がしますw

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住宅地の中に埋もれる様にある古墳でも
やっぱ観光資源には違いない様で
古墳ごとに周遊路が整備されていました

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いたすけ古墳に向かう途中にあった善右エ門古墳
思わず見落とすところでしたw

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地方豪族レベルの古墳は宮内庁管轄でなく
都市の教育委員会の管轄ですw

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ようやく、おめあてのいたすけ古墳に到着
良く晴れた、良い写真が撮れました

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冬場なら、この半壊した橋の向こうに
タヌキの家族が姿を表すそうですが
今回は鴨のつがいと、亀だけでしたww

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ぼけーっと眺めていたら
亀がワラワラ集まってきました
エサでも貰っているのかな?


■履中天皇陵
   さて、本日のファイナルミッション、履中天皇陵は、やはり住宅街のど真ん中にあります。いたすけ古墳からは歩いて大体30分くらい。またも炎天下の中の行軍です。結構しんどかったのですが、なんと言っても最後のミッションですから、歩き続けました。
   と、そうこうしているウチに、家と家の間から、ドドーンと履中天皇陵が見えてきました。履中天皇陵は、仁徳天皇陵と違って堤がないので、墳墓が丸見えです。それだけにかなりデカイなーという印象を受けました。履中天皇陵は、日本で3番目にデカイ古墳との事。つまり、サイズ的には仁徳天皇陵と変わらんくらいのビッグサイズなのです。熱にノボせた身体で歩いていくウチに、周濠に辿り着きました。
   履中天皇陵は、仁徳陵と違って、周濠の周囲は遊歩道化されていません。すなわち、住宅の裏、生活道路に面した状態でドドーンと存在しているのです。その周濠は広く、墳墓は山高く、第3位といえども迫力満点です。仁徳陵だって、もし中に入れたら、このくらい、いやこれ以上の迫力があるはずです。
   しかし、この時すでにいい加減足は歩き疲れ、身体はオーバーヒート気味で、古墳を見れただけで満足して、あとは早々に最寄りの上野芝駅に向かい、コンビニでクールダウンして本日の作戦を終了しました。

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住宅街の彼方に偉容を示す履中天皇陵

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履中天皇陵のパノラマ写真
前方墳の右斜め辺りから撮影

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風致地区ってのがあるのを初めて知りました

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履中陵の拝所
その脇まで民家が迫っていますww


■まとめ
   さて、今回生まれて初めて日本一大きい古墳を訪れた訳ですが、意外に思ったのは、仁徳天皇陵が世界遺産には登録されてない、という事でした。面積においては、エジプトのピラミッドや、中国の始皇帝陵よりも広い墳墓で、十分世界レベルの規模であると思うのですが、まだ登録されていないのです。もちろん、地元では運動がある様ですが、全国的に見た時、そうした運動がどの程度まで知られているか、ちょっと疑問です。
   もう一つ感じたのは、現代人の視線では、これら巨大古墳の偉容を、古代人の視線で感じる事は困難なんだ、という事でした。博物館に展示してあった、仁徳陵建造当時の風景図では、古墳の回りにはほとんど民家などなく、海からは古墳が丸見えで、古墳の側でもその巨大さを仰ぎ見る事が出た様です。ところが現在は、古墳のギリギリの所にまで家が立ち並び、家々の屋根の下に古墳が没している様な感じです。自分たちが古墳というと、空撮された写真を印象する訳ですが、古代人は下から仰ぎ見る、もしくは遠方から望遠する、といった見方をしていたに違いありません。その意味で、日本一の古墳の偉容を感じ取るのが困難であったと感じました。
   最後に、博物館でガイドの人が(これまた関西弁丸出しで)説明してたのを小耳にして、おやと感じたのですが、実は建造時期は仁徳陵よりも履中陵の方が先である、との事。系図では履中帝は仁徳帝の次代なので、順番的におかしい訳です。とはいえ、天皇陵は全部宮内庁の管轄で、勝手に調査したりする事も出来ない訳で、考古学的な研究はぶっちゃけ出来てない様です。万世一系の大君の神話性を守りたい気持ちも判らないではないですが、それ以上に考古学的な研究を進めた方が、古墳作らせた人にとっても嬉しい事なんじゃないかなー、とか思いつつ、阪奈線に揺られて帰りました。

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百舌鳥駅の歩道橋から撮影した、仁徳陵のパノラマ写真
屋根の上から、辛うじて墳墓が覗いてます

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仁徳陵建造当時の予想図
次代の履中陵の方が、木が生えています
(つまり、履中陵の方が建造時期が古い)

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こんな風に古代人が古墳を見たかどうか判りませんが
世界文化遺産になって欲しいものですw



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tanisi_corp at 20:00コメント(2)

2013年08月22日

   一昨日の明日香村作戦で今回の帰省での古墳ツアーは終了のつもりだったのですが、親父が向日市にある古墳に連れってやるというので、素直に言う事を聞いて見に行く事にしました。
   向日市というのは、自分の実家がある長岡京市の上(つまり北)にある街で、昔から「向日町(むこうまち)」と呼んでました。ついでに言うと、長岡京市はもともとは「長岡町(ながおかちょう)」で、どちらの街も1972年に市制施行されているのですが、今だに向日町と呼ぶ事が多いので(向日町の名を関した施設やランドマークも多い)、本作戦も向日町の名を冠する事にします。
   ところで、長岡京市というと、如何にも昔、長岡京市に長岡京があった様な印象を持たれるのですが、朝政が行われた大極殿は実は向日町にありました。それが何で向日町になったかというと、市内にある向日神社の名に由来するとの事です。

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古墳とは何の関係もありませんが、実家猫のレオ
新生児の姪御に両親の関心が向いてて
この一ヶ月、ご飯と水以外はあまり構って貰ってなかっとかw


■物集女車塚古墳
   連れて行かれたのは、ウチから車で約15分ほどの所にある物集女車塚古墳。長岡京にも「車塚」と名が付く古墳が多いのですが、車塚の車は、昔の貴人が乗る車の事で、この名前が付く古墳は大抵は前方後円墳です。長さ43〜48m、高さ7〜9mと大きめの古墳で、間近に立ってちょっと圧倒されました。
   古墳の周囲は公園化されているのですが、整備された古墳は大抵柵などしてあって中に立ち入れないのですが、この古墳にはそうした野暮な物がなく、古墳の上に上がれます。いや、厳密には「キケン!のぼらないでください」と立て看板が立っているので、上がっちゃいけないのでしょうが、それは史跡保護の為に入るなという意味でなく、うっかり転けて落ちたら危ないからダメよ、という意味の様です。現にみんな登っているみたいで、斜面にいくつか階段状になった部分がありました。
   そこで自分も登ってみたのですが、斜面は結構急で登りはともかく、下りで足滑らせて落ちたら危ない感じでした。しかし、小高い円墳部からの眺めはなかなかなもので、大昔、田んぼしかなかった頃は辺り一面が見晴らせたんだろうな、と感じました。
   この古墳の凄いところは、立派な石室が残っていただけでなく、その石室から排水する排水溝が今も機能している事です。千年以上経っても使える知恵というか技術を持ってた古代人ってのは凄いなー、と感じました。

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物集女車塚古墳
パッと目にもデカイ古墳ですが、間近に見れるのが良いです

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解説板
(字が細かいので大きめの画像で載せました)

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円墳部から方墳を眺めた図
高さは3階建てくらいで、結構高いです

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親父の後ろのコンクリの部分が周濠のあった所

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石室はこんな感じで出入り出来る様になっていますが
普段は中に入れません

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石室と石棺の解説板

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これが排水溝
石でキッチリ組まれています


■長岡宮大極殿跡
   次に向かったのが、長岡京の大極殿跡。物集女車塚古墳からは車で約10分くらいのところですが、最初、親父が「ここだ」と言った場所は、どうみてもタダの公園でした。まぁ、史跡が公園化されている所は多いのですが、流石にブランコとかが置いてあったりする所はないので、Googleマップで調べてみたら、その公園の裏手にちゃんと整備された大極殿跡がありました。
   大極殿跡といっても、長岡京から平安京に移った時、建物などは全部平安京に移築したとの事で、かつ長岡京が放棄されたあと、大極殿跡も農地になってしまったとかで、その大極殿跡は長い間、位置が特定されてませんでした。発掘調査の結果、ここが大極殿跡と特定された訳ですが、もともと農地だった事もあって今は宅地のど真ん中で、大極殿跡に行く道も細いコチャコチャしたのしかなく、観光地化は難しい様です。

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大極殿跡
跡と言われても、建物が復元されている訳ではないので
ちょっとイメージしづらかったです

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後殿(小安殿)跡
帝が政務中に休憩する場所
今は公園化されていて、球技とかしない様に注意書きがありました

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大極殿公園解説板

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長岡宮大極殿はこんな感じだったそうです


   たった10年くらいしか都が置かれなかったといえ、それでも都が置かれてた事は郷土の誇りであったらしく(自分も誇りに思ってますがw)、明治の頃にデカイ石碑が建てられたそうです。また、今上天皇皇后両陛下も行幸されたとか。

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真ん中の石碑は明治28年建立
左の灰色の碑は
平成22年に天皇皇后両陛下が行幸された記念碑

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長岡宮跡 大極殿・後殿(小安殿)地区解説板

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国指定史跡 長岡宮跡解説板

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史跡長岡宮跡 大極殿解説板


   自分は実家を出る18歳まで長岡京市に住んでいたのですが、長岡京の大極殿跡を見るのは実は今回が初めてでした。まぁ、昔はフィールドワーク的なものに大して興味を持ってなかったというのもあるのですが(その癖、歴史は得意科目だった)、近場の地元って事もあってあまり行こうと思わなかったのです。東京に住んでると東京タワーやスカイツリーに行こうとあまり思わないのと同じ様なもんです。なので、今回はプチツアーながら、地元の誇り?を見る良い機会になりました。

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こんな感じで長岡京があったよ、の図(南が上)
長岡宮大極殿の近くには、結構古墳がある様です
機会をみて第二次作戦を組みたいものです



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tanisi_corp at 20:00コメント(0)

2013年08月20日

   去年の夏から始めた古墳ツアー。自分の実家がある京都(といってもちょっと南の方)は、それ自体が歴史のある街であるだけでなく、奈良にも大阪にも古墳だの史跡だの遺跡だのが豊富は土地柄です。その様な訳で、せっかく帰省するからには、今回もどっか出かけるつもりをしていたのですが、新幹線に乗ってからもどこに行くか全然決めていませんでした。まぁ、事前にしっかり下調べして行った方が良いには違いないのですが、行き当たりばったりの旅もそれはそれで結構楽しい。
 で、どうするかなーと、ぼーっと考えていたら、電光掲示のニュースに「キトラ古墳の石室を一般公開」というのが目に飛び込んできました。そこで、iPhoneで色々調べてみたら、キトラ古墳は奈良県明日香村にある事が判明(それまで名前は知っていたが、場所は知らんかった)。そして明日香村には高松塚古墳(行った事ない)や石舞台古墳(2回行った事ある)もある事が判明。そこで今回の古墳ツアーは明日香村に行く事にしました。

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今回見て回った範囲(赤の網掛けの部分)
明日香村の見所の半分も見てません


■作戦計画
   行き当たりばったりだけに、予備知識は全くない状態でしたが、世の中便利になったもんで、iPhoneがあればドコに何があるかくらいは判ります。参考にしたのは、国営飛鳥歴史公園のサイト。このサイトによると、目的地である明日香村は、JR京都駅から近鉄に乗り換え、55分特急に乗って橿原神宮駅まで行き、さらに5分鈍行に乗って飛鳥駅まで行く様に案内が書いてありました。また、現地では自転車を借りて移動の手段としたり、コミュニティバス(かめバス)も出ている事が判りました。
   という訳で、0800時に実家を出発。JR京都駅で近鉄特急に乗り換え、特急券を買うのを忘れて車内で車掌さんから買った(駅で特急券を買うと指定席になるが、車内で買うと「空いてるとこに座って下さい」になるw)以外は問題なく橿原神宮駅に0937時到着。ところが、ここで問題発生。橿原神宮駅から飛鳥駅に向かう吉野線は、鈍行が1時間に2本しか電車が出ておらず、次に電車が来るのは50分後!暑い駅のホームで待ちぼうけするには、結構ツラい話しです。(後日、時刻表を調べたところ、0946時に特急が来て、この特急は吉野駅にも停まる事が判りました)
   そこで考えたのは、橿原神宮駅から出発して高松塚→キトラと移動する作戦。歩きではかなり大変そうなので、自転車を借りて移動し、もし余裕があれば石舞台方面にも足を伸ばす、というもの。そこで、駅前にあった如何にも「田舎の貸し自転車屋さん」に入り、自転車を借りました。

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今回自転車を借りたお店
店内には古いカメラが沢山あって、それはそれで見学したかったです
実はレンタルサイクルはもっと大きい店が他にも沢山ありますw


■銅鏡つくり
   さて、借りた自転車をキコキコ漕ぎながら、取りあえず店のおじさんが教えてくれた様に神武天皇陵方面に向かった訳ですが、自分が向かいたい明日香村方面とは正反対なので直ちに反転。第一の目標である国営飛鳥歴史公園館を目指しました。天候はこれ以上ない晴れ。気温は恐らく37度くらい。東京よりも2〜3度高い様に感じました。タダでさえ暑いところへ来て、自転車を漕ぐ訳ですからたちどころに汗だく。ちょっとした坂道でも息が上がってしまい、降りて自転車を押して歩く始末。歩くよりは楽と思った訳ですが、歩くよりは早いだけであってシンドイ事には変わりない。その様な訳で、国営飛鳥歴史公園館にたどり着いた時には、相当出来上がった状態になっていました。ともかくクーラーの効いた館内に突入してクールダウン。冷茶など頂いて汗引かせました。
   落ち着いたところで展示物などを見て回ったのですが、当初予想してた博物館然とした感じではなくて、むしろ休憩所に展示物がある様なこじんまりした感じでした。もっと落ち着いて休みたかったので、他に何かないかと探してたら、「鏡つくり体験」ってのを発見。前々からやってみたいと思っていたので、休憩がてらやってみる事にしました。
   やり方は、カセットコンロで溶かした錫とアマルガムの合金を耐熱ゴム製の鋳型に流し込み、冷えたら型から外して鏡面をサンドペーパーで研磨して、最後にピカールで磨くというもの。鋳型に合金を流し込む時は、素早く途切れない様に丁寧に流し込むのが大事。7分ほどして冷えたら、今度はサンドペーパーを掛けるのですが、これが結構大変。400番くらいの粗目の物をひたすら「の」の字を書く様に掛けまくり、次に1000番くらいの耐水ペーパーで水を漬けながら磨いて行きます。30分ほどしてピカールで磨くと、顔が写る程度にキレイに磨けました。
   実はサンドペーパー掛けてる間も、ぼたぼた汗をかいていたのですが、昔からこの手の削ったり磨いたりする作業が好きなので、没頭して作業してました。お陰で前からやりたかった銅鏡つくりが出来て、思いもよらぬ収穫が出来ました。

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国営飛鳥歴史公園館
霧っぽく見えるのはミストシャワーです
冷茶のサービスやってました

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2階会議室で銅鏡作り
左に見える茶色のが鋳型。耐熱ゴム製です

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鋳型から取り出したばかりの鏡
サンドペーパーとピカールで鏡面を磨きます
(係の子から「凄い!」と言われる出来映えでしたw)


■高松塚古墳
   歴史公園館の外の自販機で水分補給をしたあと、後ろ髪を惹かれつつ次の目標である高松塚古墳へ。自転車に乗ろうとしたら、炎熱でサドルが焼ける様に暑くなっていて、ケツが慣れるまでしかめ面をしながら自転車を漕ぐハメに。
   高松塚古墳は飛鳥歴史公園館から自転車で大体10分くらいの位置にあります。高松塚古墳に向かう前に、中尾山古墳を見学。駐輪場に自転車を置いて、小高い丘を登って行くとこじんまりした古墳が見えます。もとは八角墳らしいですが、ぱっと見た目は円墳に見えました。
   次は石室内の壁画で有名な高松塚古墳。実は今回が初めてです。壁画は写真などで良く知ってましたが、古墳自体はどんな形してるか分りませんでした。てっきり前方後円墳かと思っていたら(遠目にはその様に見える)。実は円墳だそうです。意外にこじんまりした佇まいで、周囲を柵に従ってグルっと見て回って終わり。古墳の上で封土の芝生の養生用かスプリンクラーが回ってました。
 古墳の見学もそこそこ、クールダウンの為に高松塚壁画館に突入。猛烈に空調が効かせてあって涼しかったです。ここに展示されているのは、複製品ばかりですが(歴史公園館で作った海獣葡萄鏡のレプリカも展示してある)、感心したのは石室の実物大模型(盗掘の穴から石室内を見れる様になっている)。結構デカい石をふんだんに使っているんだなー、と思いました。

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中尾山古墳
解説板を読むまで円墳だと思ってましたw

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石室にはデカイ石が使われていた様です

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高松塚古墳
実は見るのは今回が初めて

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壁画は超有名ですが、どんな形の古墳かは
今回行くまで知りませんでした


■キトラ古墳で大失敗
   さて、今回明日香村行きを決断させたキトラ古墳を目指す事にしました。サイクリング道を出てひたすら国道169号線を南下したのですが、道中は緩やかな上り坂。しかも猛烈な暑さで、自転車を漕ぐのが難儀で押して歩いたのですが、少々前屈みになるせいか、普通に歩いているよりも疲れる。猛烈に疲れる。しかも高松塚古墳の周辺みたいに観光地化されてないのか、コンビニはおろか自販機さえも見あたらない。ゼーゼー口で息するせいか、気管というか気道がひりついて痛くなる。しかもキトラ古墳の位置を見誤り、20分ほど迷子になってしまい、いよいよ熱中症っぽくなってしまいました。
   ようやくキトラ古墳への入り口を見つけ行ってみると、古墳の周りには柵だの覆いだのがしてあって全然見れない。フェンスに「ここはキトラ古墳です」という小さい看板が付いているからそうと判るだけで、ぱっと見た目には資材置き場くらいにしか見えない。建物があるから行ってみると、「キトラ古墳仮設保護覆屋」と看板が掲げてあって、中には入れない。自販機はなく、木の切り株を並べたビーチパラソルが一つあるだけ。補給も休養もまったく出来ない状態で、辛うじて林の木陰で休むのが精一杯。
   キトラ古墳は石室内の壁画の劣化が進んでいるとかで、それらを取り出して埋め戻す作業の真っ最中で、外部からもまったく見えない状態になっていたのでした。そうした情報は十分出回っていて、事前にしっかり調べておけば、こうしたドジも踏まずに済んだのですが、「行けば見れるだろう」的な発想で行動発起したお陰で、えらい空振りをふる事になりました。こんな事なら、キトラ方面に向かわず石舞台方面に行けば良かったのですが、後悔遅し、この時点で気力体力の大半を使い果たしていました。
   ともかく水分補給とクールダウンが必要、という事で、一旦飛鳥駅方面に撤退。行きは登りだったので、当然帰りは下りで自転車漕がなくても進むので楽でした。撤退後、直ちにコンビニでクールダウン。丁度昼時だったので何か食べたかったのですが、珍しい物探す元気もなく、ソフトクリームやアイスクリームだけで済まし、気力を回復させました。

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今回借りた自転車。サドルが半分外れかけw
どこまでも続くダラダラ坂を押して歩いて、体力消耗

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キトラ古墳仮設保護覆屋
古墳の周りは覆いがしてあって、全く見れませんでした

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解説板
ヘロヘロに疲れて、写真が傾いてます


■欽明天皇陵
   ソフトクリーム食べながら考えたのは、「まずは橿原神宮まで自転車返しにいって、かめバスで石舞台方面を目指す」という事ですが、橿原神宮まで戻るのも大抵難儀な話しです。かつ、かめバスの運行状態もよく判らないので、下手をすれば何も出来ないまま終わってしまう可能性も大です。そこで、橿原神宮まで戻る道すがら、その近辺の史跡を見て帰る事にしました。そこで、飛鳥駅の側にある猿石と欽明天皇陵を見て帰る事にしました。
   この二つの史跡は、国道169号線から少し引っ込んだ所にあるのですが、大きな通りを外れると畑や農家といった田舎の風景の中に史跡がある、という感じです。おそらく昔はざっくばらんに在ったのでしょうが、今は貴重な観光資源らしく、きっちり整備されています。猿石(吉備姫王墓)も欽明天皇陵も宮内庁管理で中には入れず、外から眺めるだけでしたが、なかなか奇麗な光景でした。

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吉備姫王墓。宮内庁管理
中には入れません

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案内板
延喜式の記述に基づいて特定されたそうです

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王墓の中にある石像
こちらは門の左側の2体

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こちらは門の右側の2体
一応、人を象ってるらしいのですが
猿にしか見えんから「猿石」と呼ばれるんでしょうねw

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欽明天皇陵。宮内庁管理
もちろん中には入れません

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傍目には判りにくいですが
結構大きめの前方後円墳だそうです


■鬼の雪隠・鬼の俎
   欽明天皇陵では日陰がまったくなかったのですが、飛鳥駅で大休止取ったお陰か、まだまだ頑張れそうでしたので、亀石方面に向かう事にしました。その途中には、鬼の雪隠・鬼の俎なる史跡があるとの事なので、ついでにそれを見ていこうという訳です。
   キトラ古墳の方はまだ調査中という事もあって、公園らしい物は何もなかったのですが、飛鳥駅から橿原神宮駅の間は歴史公園としてかなり整備されている様で、遊歩道もサイクリング道も細かく整備されていました。そして、橿原神宮駅では気が付かなかったのですが、レンタルサイクルも飛鳥駅を中心にかなり大規模な店がある様で、方々でレンタルサイクルに乗った人と行き交う様になりました。
   さて、気候が良ければ間違いなく気持ちいいであろうサイクリング道をダラダラと走っていくと、ようやく鬼の雪隠に辿り着きました。こちらも宮内庁管理下にあって、岩の上に登ったりする事は出来ません。行く前はタダのデカイ岩だと思ってたのですが、行ってみるとデカイ岩を掘削した石室であるとの事。しかし、何でこんな所に、しかもひっくり返った状態で「落ちている」のか不思議なもんでした。
   鬼の俎は、雪隠から少し離れた高台の方にあり、こちらは石室の床にあたるとの事。つまり、この位置にもともと古墳があったという事です。鬼の雪隠は大昔は俎の上に載っていた訳です。こちらも宮内庁管理下で、中には入る事が出来ませんでした。

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鬼の雪隠
こんな大きな石に正確な掘削が行われてるのに驚きました

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鬼の雪隠の解説板

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こちらは鬼の俎
この上に雪隠が載ってた訳ですが
重機のない時代に大変な技術があったもんです

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これまで古墳は盛り土がメインと思ってましたが
巨石文化としての石室の方が面白い様に感じてきましたw


■亀石
   今回の最終目的地である亀石付近に辿り着いた時には、もう息は上がりまくりでとにかくコンビニに入って休憩しない事にはヤバげな感じになっていました。キトラ方面と違い、この先には石舞台古墳などもあって観光地化が強化されているらしく、この辺りは道路が立派に整備され休憩も出来るコンビニもありました。これ幸いにクールダウン。Googleマップでは亀石はホンの目と鼻の先にある事を示してますし、この後にミッションはありませんから、十分休憩しました。
   ようやくやる気が出て来たので、亀石を見に行った訳ですが、確かに立派なデカイ石であるには違いないのですが、鬼の雪隠・鬼の俎を見た後では、ちょっと見劣りを感じない訳には行きませんでした。何せあちらは結構精緻に人の手が入っていますが、こちらはボンとそこにあるだけなので、まぁそう感じるのも仕方なかったかも。とはいえ、大昔の人がどこからこんなデカイ石を、どうやって運んできたのか興味がそそられるものがありました。
   今回のミッションはこれにて終了。出来れば石舞台古墳も見たいところですが、地図に示された等高線の幅の狭さを見ると、とてもじゃないがこれから自転車押して歩く気にはなれない。そこで素直に撤収。こちらも行きは登りだったので帰りは下り。岡寺駅から橿原神宮駅までの169号線は若干登りになるのでしんどかったですが、それでも無事に1500時に橿原神宮駅に到着。自転車を店に返納し、帰りも特急で(今度はちゃんと駅で特急券買った)涼んで楽して帰りました。

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亀石
といっても、カメの形をしてる訳ではありません

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仮に標石であったとしても
こんなデカイ石を運んでこれるところに
古代の明日香パワーを感じましたw


■感想・まとめ
   今回のミッションは、それこそ新幹線の中の思いつきで発起したもので、何の下調べも準備もなしに決行したのですが、明日香村自体が歴史公園化されているといって良いほどよく整備されていたお陰で、熱中症や脱水症状などにならずに済みました。もっとも、公園化されてないキトラ古墳方面は、文字通り「田舎の村」で自販機さえなくてエライ目に遭ったのですが、そうした事含め、今回は「思いつきの行き当たりばったり」の旅を楽しむ事が出来ました。
   今回は初めてレンタルサイクルを活用したのですが、押して歩く場面が多くて大いにアゴが出る事にはなりましたが、自由度と機動性においては大いに役立つものである事が判りました。今回借りたお店は小さいお店で、そのお店に自転車を返しに行かねばなりませんでしたが(まぁ、当たり前なのですが)、飛鳥駅周辺の大きいレンタルサイクルでは、追加料金を出せば出先で乗り捨ても可能ですので、第二次作戦時には是非とも活用したいです。
   明日香村は、近鉄沿線から石舞台方面に向けて傾斜が高くなる地形となっているのですが、自転車を活用したとしてもこの坂を登っていくのはかなり大変であると思います。むしろ、かめバスなどを活用して石舞台古墳まで行き、そこから自転車を借りて下ってくる作戦が楽ではないかな、と思いました。
   今回は古墳ツアーと言いながら、どちらかと言えばメンヒル系の巨石史跡の方が興味深く感じました。古墳にしても石室にはデカイ石が使われていて、石岡染谷作戦の時に見た古墳の石室の石が比較的小さかった事、それでも現地にはなくて余所から運んだものである事と対比して、明日香村近辺にはデカイ石が取れる産地があるのか、それともヤマト王権の権力のデカさ故なのか、色々興味深く感じました。明日香村には他にもメンヒル系の史跡がまだありますので、是非とも第二次作戦を組みたいものです。

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サイクリング好きにはたまらない光景じゃないでしょうかw
明日香村には、こうしたサイクリング道がアチコチにあるそうです



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tanisi_corp at 20:00コメント(0)

2013年03月10日

   前回の龍神山のあと、どっかでキャンプしましょかー、という話しが出て、今回の企画となりました。埼玉県で山登りってのはイマイチ、ピンと来なかったのですが、あまり高い山だとよう登り切らんと思われますので、丘陵地帯の端っこにある低山なら、どうにかやれると踏んだわけです。
   ところで、キャンプの荷物を担いで歩いてキャンプ行く、というのは、旧クラフトフェルト時代に有志(といっても、自分とあと一人w)で何回か行った事がありますが、米軍のバックパックがそれなりの形になるまで物を詰め込んで行く主義だったので、荷物がやたら重くて大変だった記憶しかありません。その様な訳で、今回はあまり見栄を張らずに、出来るだけ軽装で行く事にしました。

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このモンベルの3ウェイバッグ。実に10年ぶりくらいの再就役です
というか、まさかキャンプで使うとは思ってませんでした


■準備
   軽装といってもキャンプですから、泊まりの用意をせねばなりません。最低限必要なのは、テント、シュラフ、スリーピングマットです。これらはツーリング時代に吟味しまくった奴があるので心配なしです。ストーブ類は、一緒に行くToyofusaさんに合わせてアルストセットにし、予備でプリムスP-153と110ガスカートリッジを持つ事にしました。クッカーは、基本的に湯を沸かせば食べれる物が食事となる関係から、アルストセットとオアシスにセットしたキャンティーンカップ2つで済ませる事にしました。その他は、IFAKポーチからファーストエイドキットだけを抜いて持参。衣類は下着の替えと防寒具&寝間着としてアウトラスト・アンダーウェアを入れました。
   食糧は、初日の昼夜、翌日の朝の3食分。昼と朝用にカニヤのネービービスケット10枚と玄麦乾パン10枚、チューブ要りのバター、コンソメスープ、カフェオレ。晩用に辛味棒ラーメンと尾西のアルファ米。行動食として、カロリーメイト8本、チョコレート、ミックスナッツを持ちました。あと、ネタ用にフルーチェ2人分。水は予めオアシスに1リットル入れて持参し、現地のコンビニで500mlのウーロン茶を買って行動中チビチビ飲む事にしました。
   被服は、足はマリーンのコヨーテブーツ、下衣はカーゴパンツ、上衣は長袖のアンダーウェアにRsタイチのライディングジャケット。もっとも、気温が高いとの予報でしたので、もっと軽装でも良かったのかもしれませんが、コレ以外に被服が無いので選びようがありません。
   さて、装備を要る物だけに切り詰めたまでは良かったのですが、問題はそれを入れるバックパックです。去年入手したILBE アサルトパックには、シュラフ、テント、サーマレストは入れる事が出来ますが、アルストセットやオアシスをパック背面のウェビングに付けたとしても容量不足です。急遽、ILBEのメインパックを取り寄せる事も考えましたが、こちらは75リットルも容量があって、明らかに装備の方が少ない。つまり、パックが大きすぎる。丁度イイのは、40リットルくらいのCorpsman アサルトパックなのですが、入手困難です。
   そこで、昔サバゲーに行く時に使っていたモンベルの3ウェイバッグを引っ張り出して使う事にしました。ミリタリー色どころか、アウトドア色もないバッグですが、丁度いい容量で装備がピッタリ収まりました。担いでみたところ、重くないと言えばウソになるけど、何とかなりそうな感じ。まぁ、何とかならなくても、今はこれしかバックパックがないのだから、頑張って歩く事にしました。

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取り敢えずパッキングのテスト
テント、シュラフ、スリーピングマットの収納サイズを合わせてあるので
パッキングがとても楽です

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今回は乾燥食糧がメインです
玄麦乾パンとクリームチーズはとても合ったのですが
持って行ったのはパッキングしても潰れなさそうな
チューブ入りバターでした


■仙元山縦走
   当日は朝0600時に起きて、0700時にはウチを出ました。早めに出て集合場所である東武東上線小川町駅の駅前でソバでも食うたろか、と思ったのですが、現地に着いてみると、普通の駅前にありそうなソバ屋や牛丼屋がない。定食屋っぽいのはあるのですが、1000時ではまだ開いてない。辛うじてローソンがあったので、弁当を買い込んで外で食べました。ところが、弁当を食べてる間に気温はドンドン上がっていき、結局、ライジャケのインナーは外してバックパックに入れ、ライジャケ自体はバックパックの側面に縛着して、長袖シャツだけで歩く事にしました。

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駅に着いて早々にライディングジャケットを脱ぎました
インナーは3ウェイバッグの中に入れ
アウターは丸めてバッグのサイドに縛着しました


   Toyofusaさんと合流したあと、さっそく行軍開始。町中を歩いている間は、時々道行く人や自動車を運転してるドライバーの何人かから、珍妙な動物を見る目で見られましたが、山が近づくにつれ誰も見かけなくなりました。今回のミッションの一つに「絶滅危惧種のトウキョウサンショウウオの卵を見る」というのがあって、小川のそれっぽい所を覗き込みながら歩いたのですが、それっぽい物は見つからず。そんじゃという事で、仙元山の頂上目指して行軍を開始しました。
   約40リットルのバックパックを背負って山を歩くのはどんなものか、と思っていたのですが、意外に歩ける事を発見しました。まぁ、ガンガンと延々に歩くという感じではなく、登りは適宜休み休み歩いたのですが、そのお陰かあまり息も上がらず思っていたよりは楽に歩く事が出来ました。もっとも、これもこの一年水泳を続けて、それなりに肺活量が増えたお陰かもしれません。

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仙元山はハイキングやランに丁度いい山の様で
遊歩道がきっちり整備されてました
もっとも、こんな格好だったのは自分らだけでしたがw


   歩き続ける事、約1.5時間。仙元山山頂に辿り着きました。この仙元山は標高298.9m。わずか1.1m足りないだけで300m級に達しなかったちょっと残念な山ですが、手頃な低山にも関わらず高尾山の様な人気スポットではなく、登りに来る人もチラホラ。まぁ、そのお陰で大荷物背負った自分らが浮く様な事もなかったのですが。ときたますれ違う人は、みんな軽装か手ぶらで、キャンプの道具背負って歩いているのは自分らだけでした。
   頃合いもちょうど昼過ぎ辺りでしたので、山頂から少し下った所にある屋根付きの展望台で昼食。今回は湯を沸かすだけで食べれる物、という事で、昼はカニヤの玄麦乾パンにチューブ入りバター、オニオンコンソメスープにフライドオニオンを入れて食べました。ストーブはトランギアのTR-B25にキャンティーンカップスタンドでしたが、大して風がなかったので十分使えました。玄麦乾パンは以前は評価が低かったのですが、最近嗜好が変わったのか、ノーマルのカニヤのネービービスケットより美味しく感じます。

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登頂成功ww
まぁ、普通にただのキャンプしても面白くないですから
低山経由をコースに含めた、という事でw

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近くのベンチで昼食
来た時はベンチの上が花粉で真っ黄色でした
トランギアTR-B25、活躍してます


   昼食のあとはひたすら下山。仙元山は昔はMTBとかで走るのが流行っていたそうで、確かに下りもダウンヒルとかやったら楽しそうです。もっとも、古城跡が国定史跡になってからは自転車もバイクも乗り入れ禁止になったらしいです。登りの時もそうでしたが、このコーナーはどんな風に(CRFで)降りるか、なんて考えてる自分は、なんてバイク脳なんだろうとか思いながら歩いていました。

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山をおりてキャンプ場を目指すの図
とても長閑でイイ感じでした


■オージービーフの夜
   下山開始から約1時間で割合という所に辿り着きました。ここの湧き水は美味しいという事で、Toyofusaさんと二人して給水。地元の人も車で乗り付けて、焼酎のペットボトルにガンガン入れてましたから、やっぱり美味しいのでしょう。飲んでみると癖のない冷たい水でした。
   ここからは麓の道を歩いて、今夜の野営地である月川荘キャンプ場を目指します。のどかな田舎道をひたすら歩いたのですが、意外にも山道を歩くよりも疲れました。アップダウンがあっても日陰のある山道の方が疲れにくい様です。また足元にも注意しなければならないので、注意力が散漫にならないからかもしれません。約2時間ほど歩いて「ようやく」月川荘キャンプ場に着きました。

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キャンプ場にクジャクがいると思いませんでした
真っ白なオスを含め、オス4羽、メスが2羽もいました
他に山羊もいましたが、夜中ガンガン何かに角をぶつけてたそうです


   事前の調べで、月川荘キャンプ場は都内から近く、自動車で行けて、キャンプもBBQも出来て、と言う風にかなり人気のあるキャンプ場である事が判っていました。もし客がいっぱい居たらどうしますー?みたいな事を言っていたのですが、着いてみるとお客は自分らだけww 従ってどこでも好きなトコにテント張れるので、オーソドックスに芝生のテントサイトに陣取りました。
   さっそく幕舎設営。自分のアライテント・エアライズ2は、キャンプで建てるのは6年振りですが、何のとまどいもなくものの15分で設営完了。Toyofusaさんは米軍のCatoma EBNS Rain flyという簡易テントでしたが、やはり手際よく設営完了。まぁ、この辺りはお互い手慣れたものです。

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本日の幕営地
どこでも好きなトコに張れるので
出来る限り、水平な場所を選びましたw


   ダベってるウチに暗くなってきたので、飯でも食うか〜という事になりました。当初の予定では、棒ラーメンにアルファ米をぶち込んで食べるつもりをしていたのですが、なんとToyofusaさんが肉持ってきた、というじゃありませんか。しかも、オージービーフ。これはエライこっちゃ〜っと思ったのですが、付き合いの悪い事はしません。アルコールストーブと米軍のメスパンでジュージュー焼きながら、「もちっと焼いた方が美味くないですかー?」とか「終わりら辺になってくると、美味いと感じるから不思議ですねー」などとイイながら、結局、二人で全部食べきってしまいました。

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夜はアルファ米に棒ラーメンだと思ったら
まさかのオージービーフww しかもまだ半分凍ってました
塩胡椒だけで食べました
(次回はステーキソース持って行こうw)


   食べるもの食べたら、あとはする事がなくなるのはどんなキャンプでも同じ事で、暇つぶしに焚き火あとに燃え残ってた木っ端に、ファイヤースチールで火付けたり、色々やってましたが、2200時には就寝。外はさすがに寒かったのですが、シュラフの中はヌクヌクでした。もっとも、花粉の爆心地を一日中歩いたせいで、鼻も目も壊滅状態でずっと口で息をしてましたので、口の中がカラカラだなーとか思いつつ、朝を迎えました。

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退屈したので、ファイヤースチールで焚き火起こしました
ティッシュペーパーさえあれば
ちゃんと焚き火が起こせる事を確認しました
(このキャンプ場は直火OKです。ダメな場所もありますが)


■山王古墳群
   朝は0800時に起床。Toyofusaさん曰く、夜中の2時頃に山羊が何かに激突する音とそれに呼応して犬がワンワン鳴きまくり、寝れなかったとの事ですが、幸い自分は全然気が付かず爆睡していたようですw
   朝はカニヤのネービービスケットにチューブ入りバター、カフェオレ。例によってアルコールストーブで湯を沸かしたのですが、キャンティーンカップのワイヤーハンドルに火がモロに当たっていた様で、うっかり持って軽く火傷しました。カニヤのネービーは食べ慣れているのですが、玄麦乾パンの方が美味く感じました。またカフェオレより朝はココアの方が良いなぁ。
   食べ終わったら直ちに撤収作業。キャンプ場は朝1000時に引き払わねばならりません。食事の前にフライシートをテントから外して干しておいたのですが、陽が陰っていたので結露は乾かず。仕方なしにそのまま畳んでパッキングしました。昨日の引き続きで、花粉にやられてクシャミ連発でしたが、ちゃっちゃとパッキングを済ませて予定通り、1000時にキャンプ場を後にしました。

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朝っぱらからフルーチェwww
でも、ネタになるほど寒くなかったので
美味しく食べました

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飯が終わったら直ちに撤収
バックパックの下に敷いてる90リットルのゴミ袋
グランドシート代わりで大活躍でした


   今日のミッションは、嵐山町の蝶の里公園にあるという古墳を見て回る事。延々アスファルトの道を歩いたのですが、食料、水、燃料のあらかたを消費して背中の荷物が大分軽くなったのか、歩くのは楽でした。ところが、そろそろ蝶の里公園辺りに近いのに、それっぽい標識も何もない。このままじゃ武蔵嵐山駅に着いてしまうぞー、と思った矢先、申し訳程度に備えられた道標を発見。その先に蝶の里公園がありました。
   さて、お目当てなのは古墳ですが、公園の案内図はオオムラサキとかの蝶々に関するものばかりで、古墳のコの字も出てこない。ウロウロと探し回ったのですが、Toyofusaさんが「あの盛り上がりが怪しい」というトコに行ってみました。すると、差し渡し10〜20mくらいの木の生えた盛り土がボコボコとありました。どうやら古墳らしいです。写真を撮って回ってると、さらにボコボコと古墳がありました。

20130310_111726
こんな感じで古墳がボコボコありました
大昔は王家の谷ぽかったんですかねぇ?


   あらかた写真を撮り終わったころ、公園の出口にやっとこ、この山王古墳群の案内板が出て来ました。元々は100基近い古墳があったそうですが、今は20基くらいしか残ってないそうです。この近辺の古墳文化の終末点だそうで、結構歴史的価値があるそうですが、現在では蝶々の方が大事な扱いになっていました。

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駅に向かう道すがら見かけた光景
キリスト教の教会とスケボーショップ
ものごっついコントラストですw


■撤収
   蝶の里公園から武蔵嵐山駅までは、ものの20分くらい。途中でファミレスにでも入って飯食いますかー、とか言ってたのですが、ファミレスはおろか定食屋さえない。とうとう駅まで着きましたが、結局駅前にありがちなラーメン屋だけしかありませんでした。もっとも、このラーメン屋さん、結構美味しかったです(オージービーフのあとは何食っても美味いかもしれない)。
   あとは電車乗って帰るだけだったのですが、この日、低気圧がどうのこうので煙霧が発生。電車は止まりまくり、走り出しても架線にビニールが引っ掛かったとかでまた止まる。結局、地下鉄に乗り換えて、ウチに着いたのは1700時前でした。この時期にキャンプすると、毎回帰りが遅くなる事件なり事故が起こるのですが、今回も例に漏れませんでした。もっとも、駅に向かっている最中に煙霧が発生してたら、花粉症どころの騒ぎでなかったので、幸いではありましたが。

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いきなりの颶風で辺りは一面真っ黄色
もっとも自分は前の晩から花粉にやられてましたが
この時期は花粉対策が必要ですねぇ


   今回のキャンプでは、米の飯は一切炊かず、基本的に乾燥食糧を活用したのですが、お陰でクッカーはキャンティーンカップ1個で済みました。もっとも、オージービーフはToyofusaさんがメスパンで焼いてくれたのですが。ソロキャンプの装備の中で、クッカーは意外に削りにくいアイテムですので、その場合は食べる物の内容を考えれば、軽量化できるというのがよく判りました。
   オージービーフは、「まさか」出てくると思ってなかったのですが、あんだけ食って痛風にならなかったところをみると、意外に健康食品です。あとは、如何に美味しく食べるか、あるいは美味しいと感じれる様になるかですので、今後の取り組みにおいて研究を進めていきたいと思います。

20130310_165358
ともあれ無事に帰って、ネコ達の出迎えを受けました



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tanisi_corp at 17:00コメント(0)

2013年02月23日

   これまで膝の靱帯伸ばしたり、肩と鎖骨の関節が脱臼したり(厳密にはそこの靱帯が切れた)、と言う具合に、色々怪我をしましたが、骨折となるとリハビリ以前にまずは骨がつくまでに結構時間が掛かるもので、バイクは言うに及ばず水泳さえ出来ない毎日が1ヵ月近く続きました。色々気を紛らわせるのもそろそろ限界です。
   その気を紛らわすアイテムとして、古墳横穴及同時代遺跡探訪記録帳のToyofusaさんに、キャンティーンカップのフタを取り寄せて貰ったのですが、それが届いたという事で、受け渡しかねがね茨城県石岡市の古墳見に行きませんか、とお誘い頂いたので、ご一緒してきました。

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今回の装備一式。アサルトパックを中心に
食糧、IFAKポーチ、アルストセット、ナルゲンオアシス
武器ポーチ、タオル、などなど

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サバゲーから足を洗った時に、転売せずに残したマリーン・コヨーテブーツ
軽くて歩きやすく、古墳探索に持ってこいです


■常陸風土記の丘
   先月に手の骨を折って、うーうー言いながらトランポを運転して帰ってきて以来、1ヵ月近くトランポを運転していませんでした。ギプスがデカかったり手の自由が効かなかったりで運転できる状態ではなかったのですが、そのギプスも手の平側だけになり、指先も大分言う事が効く様になってきたので、トランポで出掛ける事にしました。
   集合は常磐道守谷SAに0900時との事だったのですが、0700時にウチを出たら0800時に着いてしまいました。谷田部エンジョイスポーツランドなどに行く時は国道6号線を使って行きますので、下道のイメージで予定を考えてました。まぁ、早く着いた分には問題ないので、集合時間まで運転席で仮眠してました。
   予定通り、0900時にToyofusaさんと合流。実は自分はこの日はToyofusaさんについて行けばイイやくらいの考えで、行き先とか全然把握してなかったのでした。そこでまず一等最初に向かったのが、茨城県石岡市の常陸風土記の丘というところ。今回捜索する染谷古墳群のすぐ側にあるとの事で、ここで古墳の情報を仕入れるとの事でした。
   この石岡市というのは、大昔は国府があったとかで、色々な史跡や遺物が出てくるみたいで、それで文化センターを作った様です。しかし、ここの目玉は古代家屋復元広場で、古代から江戸時代くらいまでに掛けての家屋のモデルハウスが展示されている事です。実際に中に入る事も出来たので、「ここで住めるかどうか」という視点で見て回ったのですが、意外だったのが、高床式倉庫より竪穴式住居の方が安心感を感じた事。パッと見た目には、高床式の方が文化的な気がしないでもないのですが、建て付けが良くないのか、なんか床が抜けてしまいそうな感じだし、すきま風は多いしで、住むんだったら竪穴式の方がイイや、と感じました(笑)

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常陸風土記の丘の古代家屋復元広場
まめに修復もされている様で
復元された倉庫に茅が大量に置いてありました

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竪穴式住居の中
意外に風を通さない構造らしくて、これなら住めそうですw


■染谷古墳群
   今回の本来の目的は、常陸風土記の丘の側にある染谷古墳群です。側にあるのは間違いないのですが、雑木林の中です。合計32基あるそうですが、分布図が未入手という事で、雑木林に入って直ぐ判るそれっぽいものだけ見て回る事にしました。
   ところで、今回、というか古墳を見に行く時は毎回らしいですが、Toyofusaさんは頭の上から爪先まで、現用のアメリカ海兵隊の軍装で揃えてきてます。自分もかつて仮想軍隊クラフトフェルトをやってた時は、最終段階ではマリーンの格好をしてたのですが、あれから7年、装備も大分進歩したみたいです。それはともかく、ミリタリーマニアなのでそうした格好をしてるのかなー、といった風に思っていたのですが、雑木林に入ってみて「こりゃ、軍装の方がええわな」と感じました。自分もブーツだけは、昔買った海兵隊のコヨーテブーツを履いていったのですが、歩きやすさとか安全感はかなり高く感じました。確かに軍装なので、多少キテレツ感はありますが、最近の米軍の軍装の多くは、アウトドアメーカーが手がけてたりします。なので、「趣味としてそういう格好をしている」というよりも「その格好の方が機能的」といった感じです。まぁ、若干趣味も入ってますがww
   古墳の方は、風土記の丘の側の雑木林に2基ありましたが、それが古墳だと言われなければ、ただの盛り土にしか見えません。ましてや、それが盗掘の跡と言われなければ、ただの地形の起伏としか見えません。さらに近くの海洋センターの駐車場に、明らかにそれと判る古墳が1基、その脇道に小径で崩されて半分しか残ってない古墳が1基(Toyofusaさんが斜面を足で踏んで、傾斜があったのでそれと判った)、全部で4基見ましたが、このり28基は分布図が手に入ってから、という事になりました。

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染谷古墳群の入口
この看板が無かったら、どこが入口かさえ判りません

20130223_111302
と思ったら、いきなり古墳がありましたw
とは言え、これも古墳だと言われなければ、ただの小山にしか見えません
軍用ブーツ履いてきて正解の雑木林でした

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海洋センターの中にある古墳
石室の石材が1枚だけ残ってました

20130223_114300
小径で恐らく半分削られた古墳
鬱蒼と雑草が茂ってるので、傍目にはどこが古墳か判りません


   ところで、先ほど盗掘の話しがあったのですが、海洋センターの駐車場にある古墳には、石室の石材が1枚だけ残っていました。1枚だけという事はなく、実際にはもっとあった筈ですが、何でも古墳の石室や石棺は、神社の石畳や水路、碑文など、後世の人が掘り出して様々に「活用」したとの事。現にその古墳の側にも、如何にもそれっぽい碑文が立ってたりしました。まぁ、エジプトのピラミッドも表面の化粧石は建材に流用されたと言いますから、洋の東西を問わず、人間のやる事は似たり寄ったりだな、と感じました。

20130223_114040
上の小径の入口に立っている碑文
駐車場の中の古墳に残っている石材と同じ材質の石です

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これなんかは、石室から外したまんまで使っているみたいです


■龍神山プチ・アルストOFF
   古墳探索のあと、キャンティーンカップのフタの威力を確かめるため、風土記の丘から自動車で約10分くらいの所にある龍神山に移動。ここは市営の墓地があるところですが、頂上までちょっとしたハイキングコースになっていて、その頂上でアルコールストーブオフをやる事にしてました。
   龍神山は標高170mくらいという事で、山としては低い部類ではあると思うのですが、アサルトパックに荷物詰めて上がるというのは、去年の自分だったらちょっとしんどいミッションだったと思います。ところが、この1年水泳やってきたお陰か、あまり息を切らす事なく登る事が出来ました。
   この日の予報では、風は結構強いはずだったのですが、山頂に着いてみると意外とそうでもない。吹き晒された状態で、アルコールストーブ使用時の風防やフタの威力を確かめるというのが当初の目的だったのですが、これらなウインドスクリーンはイイや、という事で早速お湯を作りました。フタは無くても湯は沸かせますが、やはりあった方が早く湯が沸きます。しかし、やはり屋内の様に無風という訳ではないので、アルコールの減り方は屋内の倍速い様です。
   今回食べたのは、サタケのアルファ米に常陸風土記の丘の売店で買ってきたダチョウカレー。駝鳥肉を使ったカレーで、ダチョウ王国製です。食べてみた感想は「ヒト噛みなら牛肉っぽい食感」「噛み締めるとダチョウ臭がする」というものでした。実はダチョウシチューというのもあったのですが、カレーにしといて正解だった様です。ちょっと物足りなかったので、サタケのフリーズドライのペペロンチーノの食べましたが、少々硬かったものの、普通に美味しく食べれました。昔の怪しい感じのフリーズドライとは懸絶した出来映えでした。
   いっそ、暴風とか吹いていれば、ネタ的に面白い事になっていたかも知れないのですが、案外普通に出来てしまって、ちょっと拍子抜けです。やはり、アルファ米でなく白米から炊かないと、スパルタンな企画にはならないのかもしれませんw

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龍神山頂上の休憩所
風があれば吹きさらし間違いなしですが
今回は微風だったので風よけなしです

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アルファ米を熱湯で戻している間に
レトルトのダチョウカレーを温めています
今回はLIGHT MY FIREのファイヤースチールを使いました

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お食事風景
こうやって外で食べると、ダチョウ臭のするカレーも
それなりに美味しく食べれますww



と言うわけで、このシリーズ、今後も続けたいと思いますw
gunso_kofun



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2013年01月01日

   毎年年末年始は実家に帰省して、年越しは平安神宮に出かけて行ってカウントダウン、という流れになっていたのですが、些か飽きて来たのも事実。まぁ、代わり映えしませんからね、たまには違う事してみたいとも思う訳です。とは言え、特段何かしたい事がある訳でなし、さりとて年始らしい気分は味わいたいという事で、そうした事を続けて来た訳です。
   ところが今年はまったく違う状況となりました。というのも、夏の第1回古墳ツアーに続いて、第2回を挙行する事となったからです。そのキッカケとなったのが、古墳横穴及同時代遺跡探訪記録帳のToyofusaさんとのネタ話しで出て来た「菟原処女伝説」。聞けば「絶世の美少女を二人の男が取り合って、その争う様を見るに耐えなくて美少女が死んでしまって、その二人の男も後追って死んだ」という、悲話とネタがごちゃ混ぜになった話しです。しかも、その美少女の墓(古墳)の前で、万葉の歌人が泣いたとあって、一体どんなイマジネーション能力持った奴なんだー、という風に盛り上がったのです。で、実家が京都のから近い事もあって、帰省を利用してこの菟原処女伝説の舞台である、西求塚古墳、処女塚古墳、東求女塚古墳を見てくる事になったのでした。

20130101
2012年12月上旬、Toyofusaさんから話しを聞いただけの時に
キャラメイクファクトリーで作成した菟原処女の現代風想像図
引きこもりで自殺しちゃうイタイ子って感じで作成


■まずは勉強
   今回のミッションの特殊性は、単に古墳を探し出して見てくるだけではなく、その古墳(特に処女塚古墳)を見て、涙する事が出来るか(Toyofusaさんからは、菟原処女を想像して萌えて来い、と言われたw)、という点です。となれば、一応は調べれるだけの事は調べて、ある程度感情移入できる様にしておかねばなりません。便利な世の中になったもので、「菟原処女」で検索すれば、かなりの量の情報を得る事が出来ました。
   恐らく、菟原処女伝説は、今の神戸市灘区〜西灘区に点在する西求塚、処女塚、東求女塚の3つの古墳に大昔からの言い伝えを重ね合わせたもので、万葉の時代にはすでに成立年代もハッキリしてなかったんじゃないかと思います。その様な訳で、一次史料としては、ネットで検索すれば必ず出てくる高橋虫麻呂の「菟原処女が墓を見る歌一首〈幷せて短歌〉」を採用しました。詳しくは他の専門的な方々が書かれているので、ここでは自分なりの解釈でザックリ菟原処女伝説を読んでみると、
   「葦の屋の菟原処女は8歳頃から家にこもって育てられたもんだから、美人の噂がたってアチコチから男が見に来た。その中でも、余所から来た茅渟壮士と地元の菟原壮士という二人のイケメンが、猛烈に菟原処女にアタックしまくり、かつお互い激烈に争った。そんな二人を見て「これじゃホントに好きな人と付き合えない。あの世で待ってます」と死んでしまった。その日の晩、夢枕に菟原処女が立ったのを見て、菟原処女が死んだのを知った茅渟壮士が後追い自殺。さらにその事を知った菟原壮士が、茅渟壮士に負けてなるものかと自殺。この後、3人の遺族が集まって、菟原処女を中心に、二人の壮士の墓を作った」
   という内容です。現代的視点で言わせて貰えば、別に死ぬ事なかろうにー、と思う訳ですが、大昔の人はそれだけ熱かったんでしょうかね。さらに熱いと思うのが、先に出て来た高橋虫麻呂という歌人で、「葦屋のうなひ処女の奥槨を往き来と見れば哭のみし泣かゆ」つまり処女塚古墳の前を行き来する度に、この話しを思い出して泣いてしまう、と言っているのです。まぁ、悲話には違いないのですが、他人も他人、しかもいつの話しかもよう分からん話しで泣けるとは、さすがに万葉人の感性というべきでしょうか。
   今回のミッションは、その万葉人の感受性が、自分の中にどんなけあるのか試すのが主任務なのでした。


■実家から目的地まで
   私の実家は、京都府長岡京市で、その昔、長岡京の市街があったトコなのですが、目的地である処女塚古墳の在る辺りまでは、阪急電車で梅田まで出て、そこから阪神電車に乗り換えて行けば1時間弱で着けます。取り敢えず、御影駅まで直通特急で行き、そこから茅渟壮士が眠るとされる東求女塚古墳がある住吉駅、菟原壮士眠るとされる西求女塚古墳がある西灘駅、菟原処女が眠るとされる処女塚古墳がある石屋川駅に移動する、という作戦を立てました。
   移動中、さらに勉強を深めるべく、廣川晃輝氏の『死してなお求める恋心—「菟原娘子伝説」をめぐって—』(新典社新書、2008)を読みました。どんなお堅い本なのかと思ってたのですが、意外にも優しい内容で、専門的な知識がなくても読んで楽しい本でした。
   特に自分が知りたかったのは、菟原処女がどんな姿でどんな美人だったのか、という事でした。高橋虫麻呂は、男共に好かれすぎて死んじゃう女性が好きだったのか、千葉県市川市の「真間の手児奈」についても詠んでますが、こちらはかなりしっかりしたディテールを描いています。ところが、菟原処女については何も書いてない。菟原処女については、万葉集では他に田辺福麻呂、大伴家持(海ゆかばの原詩の人)の二人がいますが、福麻呂も書いてません。家持だけが「春の美しい花の様に血色の良い美しい肌をして、赤く色付く秋の葉の様に美しく照り輝くばかり」と見てきた様な事を書いてますが、これは自分みたいな素人目でも眉唾っぽいです。つまり、菟原処女は誰も見た事がない、ガチの伝説の美少女だったようです。
   そんな事をうつらうつらと空想しているうちに、ウトウト寝てしまい、何と明石で目が覚めました。このまま明石焼き食って帰ろうか、とも思わなくもなかったのですが、それじゃ無責任かなと思い直し、直通特急をとって返して、1時間遅れで最初の目的地である住吉駅に着きました。

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御影駅で乗り換えのはずが、明石まで寝過ごすの図
特急といえど、どんなけ寝過ごしたんだf^_^;)


■東求女塚古墳
   菟原処女伝説の舞台である3つの古墳は、万葉の時代には海岸線に近いとこにあったそうです。今は埋め立てが進んでしまい、住宅地の真ん中に取り残されてしまいました。茅渟壮士が眠るとされる東求女塚古墳は、住吉駅から徒歩3分くらいのところ、やはり住宅地の真ん中なのですが、古墳の大半は削られてしまい、なんとその上に公園と幼稚園が出来ていました。
   これが普通の古墳だったら、もれなく跡形もなく消えてたんだろうな、と思えるくらい、古墳の面積としては申し訳程度しか残っていないのですが、そこは上代からの伝説の古墳。それっぽく石碑などを乗せて古墳が残されていました。しかし、何となく寒々しい印象を受けました。箱庭みたいにキチッと整備されているのに、誰も人が寄ってこない様な印象。まぁ、元旦ですから、皆さん初詣行ったり家でテレビ見てたりしてると思うのですが、なんと言いますか、暖かみを感じられない史跡でした。
   その様な訳で、一通り写真を撮ったら、あとは見るものがない、という感じで、次の西灘駅を目指しました。

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東求女塚古墳
菟原処女のハートをゲットした他所の街から来たイケメンの墓
公園のど真ん中にあります
その先に見えるのは幼稚園で、前方部の大半がその下です

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しかし、壁土の採取の時に埋葬物が見つかるとは

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あらかた墳墓は削られて、申し訳程度に残った部分が
箱庭みたいに整えられて残ってる


■西求女塚古墳

   元旦は休日ダイヤという事で、電車の本数も少ないと思うのですが、普通電車は結構数があったみたいで、それほど待たされる事なく西灘駅に着きました。古墳も駅の直ぐ側だったのですが、問題はiPhoneのバッテリーが上がりかけで、充電池を求めてコンビニを探す始末。知らない街の事とて、古墳よりコンビニ探す方が難儀しました。
   やっとこ充電池を買い、菟原壮士眠るとされる西求女塚古墳に着いた訳ですが、こちらは東求女塚古墳とは打って変わり、かなり古墳らしさが残っていました。古墳全体が公園化してて、遊具なども備えられていて、しかも結構人が出入りしたり、遊んでる子もいる。つまり、何となく和やかなイメージなのです。
   勝手な印象を述べさせて貰えば、東求女塚古墳は、一応残して置いた的な雰囲気。それに対して西求女塚古墳は、代々土地の人から大事にされてきた感じです。扱いが決定的に違う様に感じるのです。その違いは、和泉国つまり余所から来た茅渟壮士よりも、地元の菟原壮士の方が地元の人にとっては愛着がある、といったところでしょうか。ついでに言うなら、菟原処女は秘かに茅渟壮士に想いを寄せていた(と高橋虫麻呂は解釈してる)らしいので、茅渟壮士に対するやっかみもあるのかもしれません。
   まぁ、自分が勝手にそう感じただけなのですが、古墳の有り様をみるにつれ、その想いが強くなりました。

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西求女塚古墳
菟原処女にフラれた地元のイケメンの墓
確かに一般の公園の姿になっているけど、古墳全体が公園になった感じ
前方か後方かどちらか分からないけど、墳墓の上から古墳全体が見渡せる感じ

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何やら結構価値のある銅鏡とか出てきたらしい

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墳丘の上から全体を見渡した図
東求女塚古墳より、古墳らしい風体を感じさせる
見た目、前円後円墳みたいになってるけど、実は前方後方墳とか

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昭和30年1月に建てられた石碑
この頃はまだ前方後円墳と思われてたらしい
平成8年11月の案内板には
「前方後方墳とよばれる珍しい形の古墳」と書かれている


■処女塚古墳
   さて、メインイベントの菟原処女が眠るとされる処女塚古墳です。こちらは石屋川駅から徒歩8分くらいのところにあります。この古墳は大正12年には国の史跡指定を受けていますので、相当前から大事にされていた事が伺えます。何と言っても、伝説のヒロインの墓ですから、他の二人とは別格というべきなのでしょう。
   この古墳も他の古墳同様、中に入る事が出来ます。その為に階段も整備され、木々もキレイに植えられています。一目で感じる印象は、キレイの一言です。しかし、どうキレイなのかというと、これがパッとしません。まず、人が居ません。居ないというか、長居する雰囲気がありません。公園ではないので、ベンチもありませんし、見る物見たら帰る、という感じです。そこで、ははぁんと思い当たる事がありました。菟原処女は美少女だったかもしれないけど、どんな美少女だったかは、誰も伝えられなかった。それは誰も見た事がないから。ぼんやりとキレイと感じる程度の印象しか感じられなかった、というのが、処女塚古墳を見た自分の率直な感想でした。
   高橋虫麻呂が、実は菟原処女は茅渟壮士の方が好きだったとする根拠に、「墓の上の木の枝靡けり聞きし如血沼壮士にし依りにけらしも」と詠んでいるのですが、茅渟壮士が眠るとされている東求女塚古墳の方向に靡いている木は、枝や葉が生い茂り過ぎたのか、物の見事に剪定されて短くなっていました。何となく、茅渟壮士に対するやっかみを感じたのは、考え過ぎだったでしょうか。

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処女塚古墳
虫麻呂や福麻呂は言うに及ばず
当時の人も二人の男を除いては見た事がない美少女の墓

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古墳としてはかなり整備されてる方
大正11年に国の史跡指定を受けてるから、大事にされたんでしょう

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階段左に写ってる木が
「墓の上の 木の枝靡けり 聞きしごと 茅渟壮士にし 寄らしにけらも」
と詠われる木。ところが生え過ぎたのか、バッサリ剪定

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後方部から前方部を見たとこ
前の二つの古墳は人が憩う様に出来てたけど
ここは要が済んだらカエレ、みたいな空気がある
近寄り難い美人のイメージ


■後記
   当初、処女塚古墳を見て、万葉人の様に菟原処女を想像して萌える、と言ういい加減な主旨で始まった今回の古墳ツアー。しかし、実際に3つの古墳を前にして、なかなか考えさせられるものがありました。現在の古墳の状態などは、ネットで調べればある程度分かりますし、今回取り寄せた本の中にも書かれています。それを読めば、大体も状況を知る事が出来ます。しかし、実際に古墳を見て回って初めて、万葉人たちが古墳から菟原処女伝説を感じ取った様に、自分も自分なりの視点で、その伝説を感じ取る事が出来ました。これが現地調査をしない事には、決して感じる事が出来なかったはずです。
   結論としては、先に述べた様に処女塚古墳を見ても、菟原処女を想像して萌えるという事は出来ませんでした。というか、どんな美少女かも想像できませんでした。その意味で、自分も「見てしかと 悒憤む時の 垣廬なす 人の誂ふ時」と詠われる人垣の一員だったと思います。しかし、そこでふと思ったのは、菟原処女の姿形を想像出来なかった意味においては、高橋虫麻呂も田辺福麻呂も同じだったのではないか(大伴家持は勝手に想像してるw)。想像も出来ん人の事を哀れに想って泣けるもんであろうか、という事でした。
   そこで考えたのは、この菟原処女伝説において、一番可哀想な奴は誰だったのか、という事です。二人のイケメンに迫られて、本当は好きだった茅渟壮士とくっつく訳に行かず(当時は土地の者と結婚するのが当たり前で、余所者とくっつくのは憚りあったらしい)、死んでしまった菟原処女は確かに可哀想である。その死んだ菟原処女が枕元に立って、その後を追った茅渟壮士も悲愴である。しかし、ともかくこの二人はあの世では一緒になれる。ところが、菟原壮士は決定的に振られたにも関わらず、なお諦めきれずにあの世まで追いかけていった。これこそ可哀想ではなかろうか。処女塚古墳を前にして、もし泣けるとしたら、菟原壮士の立場、視線であってではないか。自分はそう感じました。同性として、菟原壮士への同情に禁じ得ません。その事が、東求女塚古墳(茅渟壮士の墓)と西求女塚古墳(菟原壮士の墓)の扱いに、決定的に現れている様にも感じました。
   さて、処女塚古墳、東求女塚古墳、西求女塚古墳は、菟原処女伝説の舞台装置としての面がやたら強調される訳ですが、実際には全然関係ない土地の豪族の墓だった訳です。どうにも伝説の光彩に幻惑されて、考古学的な史跡としても面があまり見えてきません。辛うじてわかるのは、東求女塚古墳は前方後円墳で、処女塚古墳と西求女塚古墳は珍しい前方後方墳だという事です。つまり、一番東に位置する東求女塚古墳だけが前方後円墳。東の方とは畿内に近い方です。Toyofusaさん曰く、「考古学的には前方後方墳をレガリアとする首長が前方後円墳をレガリアとする首長(大和朝廷系)にとって変わられたという見方もできるかもしれんですね」という事でした。菟原処女が茅渟壮士に惹かれたとする伝説は、案外、そうした考古学的な史実が伝説化したものかもしれません。

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処女塚古墳の脇にあった案内板
菟原処女伝説以外にも
小山田高家討死の地としても有名らしいです

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処女塚道標
江戸時代には、「兔原遠とめ塚」と書いたんですね



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tanisi_corp at 00:00コメント(2)

2012年08月20日

   自分の郷里、京都府長岡京市は、平安京が造られる10年ほど前に置かれた長岡京にちなんだ名前の街で、昔から地面掘れば何か出てくる、歴史豊かな街です。東京や京都以前に都があった、という事で、小学校あがってその事を習うと、なにかしら自慢げな気分になったものですが、実は大内裏は上の向日市にあったという事を知ってショック受けたりする街です。
   さて、そんな歴史的に恵まれた街に住んでいながら、というか、住んでいるからこそか、実はあまりそうした歴史的な事物に興味がなくて、帰省しても時たま京都市内に遊びに行くか、あとは実家でウダウダ昼寝して過ごす事が多かったのです。ところが先日、第1回固形燃料オフ“コケネン2012”で、シュヴァルツ!のヒューゲル連隊長殿と再会し、何タラかんたら話しをしているウチに、「そうだ、ウチの街にはよう考えたら古墳ぎょーさんあったはずやん」という事に気が付きました。
   思い立ったが吉日、善は急げです。天気も良い事だし、古墳巡りをしよう、という事になりました。ちょこっとその話しを両親にしたら、新聞やチラシの切り抜きや古い地図やらが、出てくる出てくる。ともかく全部引き取って、昭和57年製(自分が中学2年の時の物)を抜き取って、じっくり眺めてみると、地図に載ってるだけでも全市で12箇所、古墳がある事が判りました。iPhoneで長岡京市埋蔵文化財センターのサイトを見てみると、もっといっぱい古墳があった様ですが、大半は宅地化されている様でした。
   ともかく、地面の上に残っている古墳を今回は攻略する事にし、ついでに小中高と自転車で走ってた街々を追体験する事にしました。

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今回は久しぶりにカメラ持参でした
まさか古墳撮るとは思ってませんでしたがww

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今回の移動手段、アルゼンチナ号
親父がリサイクルショップで1万円で買ってきたもの
サドルはケツが痛くならない仕様に換装済


■恵解山古墳
   まず一等最初に訪れたのが、鉄剣が沢山出て有名になった恵解山古墳(いげのやまこふん)。サイズは現存してる部分で110m、もともとは124mくらいあったんじゃないかと言われている、長岡京市最大の古墳です。とはいえ、自分が住んでた頃には、通ってた学校と正反対の方角にあったせいか全然知らなくて、高校に上がったくらいの時におぼろげに名前を聞いた様な事があるなー、という感じでした。面積にして東京都北区くらいの小さな街なのですが、通ってる学校区から外れた場所には用事がないので、行った事もありませんでした。
   さて、地図とiPhoneのマップを頼りに自宅からキコキコ自転車を漕ぐこと、約30分。小学校の隣に恵解山古墳はありました。というか、フェンスの内側に案内板が立っていて、スクーターや自動車なら見落としてしまうところでした。隣はテニスコートで、お年寄りがパコンパコンと暑い中テニスを興じていました。入口らしき物があったので入ってみると行き着いた先は墓地で、墓の上に墓場があるといったシュールな感じになってました。石室とか入れないかなーと思って探してみたのですが入れそうにないので、古墳の外に出て脇道に出てみると、古墳の全貌を見渡す事が出来ました。恵解山古墳は前方後円墳なのですが、円墳の部分が竹藪&墓地、方墳の方は更地っぽくなってました。

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フェンスの向こう側に苔むして立ってたので
うっかり見落とすところでした

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今では大分地形が変わっていますが、周濠まである立派な古墳です

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こちらは後円部
びっしり竹が植わっていて、墓地まであります

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これが前方部
元々竹が生えてないのか、真っ平らです


■今里大塚古墳
   次に向かったのが、長岡天満宮の近くにある今里大塚古墳(いまざとおおつかこふん)。ここには小学校の頃に行った事がありますが、長岡第六小学校のテリトリーなので遊び場にした事はありませんでした(自分は長七小児童)。昔は柵なんかなくて、古墳の上登ったり、石室も覗けた様な気がしましたが、今は立派な公園になっていて、柵もしてあって中に入る事は出来ません。サイズは45mの円墳ですが、前方後円墳だった可能性もあるそうです。
   住宅地のど真ん中にある割には、キレイに公園になっているお陰で、長岡京市で一番キレイな古墳だと思います。一体、どこのどういう族長が眠っているのか判りませんが、古墳が市民の憩いの場や子供達の公園になってる図というのは、何だかイイもんだな、と感じました。

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非常に絵になる古墳でした
柵があるのが残念ですが、保護のために仕方ないでしょう

20120820_094945
今里大塚古墳の案内板
昔はこんなのも無かったと思います


■長岡京市埋蔵文化財センター
   長岡天満宮の西、奥海印寺に埋蔵文化財センターがあります。せっかくですから行ってみる事にしました。奥海印寺の坂は結構きつくて、変速機のないアルゼンチナ号に乗ったまま上がるのは大変で、地元のおばちゃんにならって押して上がりました。
   長岡京市埋蔵文化財センターには、市内の古墳はもちろん、石器時代から長岡京時代の発掘物が展示されていて、土日祝日は午前10時から、平日はなんと午前8時30分から展示を閲覧する事が出来ます。しかし行ってみると、御用の方はドア横のブザーを押して下さい、と書いてある。要するに、そうそう人がいつも見に来る訳ではなく、誰か来た時だけ開けますよ、という事の様です。もちろんブザーを押したら、直ぐに開けてくれました。
   展示はこじんまりしているものの、結構見応えがあって、埴輪だの石器だの土師器だの須恵器だの、出土した遺物が様々展示されています。入口でくれたパンフレットも、良くまとまっていて読みやすいものでした。

20120820_101448
奥海印寺の坂
帰りは時速45kmくらい出ましたww

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長岡京市埋蔵文化センター
なんと公益財団法人だそうで、入場無料でした


■塚本古墳
   埋文センターを後にして、西友でアイスなど食べたあとに向かったのが、神足小学校の近くの塚本古墳(つかもとこふん)。この古墳は、埋文センターで貰った地図でも、府道210号線の真下にある様な感じで、今は影も形もない可能性が大でした。しかし、碑文なり案内板くらいはあるだろう、と思って附近を探したのですが、それらしい形跡はまったくありませんでした。
   埋文センターには、塚本古墳から出土した埴輪が沢山展示してあったので、それなりに規模の大きな古墳だったに違いないと思うのですが、さすがに長岡京市の中心地では削平されてしまう運命を免れなかったのでしょう。長岡京を造成するにあたっても、大量の古墳が破壊された事が発掘調査で判っているので、今生きている人優先の破壊は、仕方ない事です。それにしても、案内板一つないのは残念な事ですが。


■今里車塚古墳
   一旦昼食とiPhoneの充電のために帰宅し、午後から向かったのは、自分の母校である長岡第二中学校方面。まずは今里車塚古墳(いまざとくるまづかこふん)。車塚というのは前方後円墳の事で、この後にもその名を冠した古墳が出て来ます。
   この古墳は、まさに自分の通学路に面したところにあるのですが、当時は全然古墳だと思わなくて、田んぼだった所に長いことブルーシート被ってたのだけ覚えています。問題は、この近辺の風景が自分が通学していた時と一変していて、学校に向かう乙訓寺と第三小の脇道の入口さえ見つけるのが大変だった事です。今は4車線の今里大通りとなっている道路も、自分が通学してた時は対抗2車線の細い道でした。
   仕方なく今里大通りの歩道をウロウロしていたら、偶然、案内板を見つける事が出来ました。案内板によると、方墳と円墳の間を今里通りが走っていたみたいで、今は地面の下にある様でした。この古墳も在りし日には74mの大きな古墳だった様です。

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昔は2車線しか無かったんですがww
バス停はこんな感じでした

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今里車塚古墳の案内板

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真ん中の道路が今里通り(現今里大通り)
円墳の脇道を通って、中学に通ってました
といっても、まさか古墳の脇を歩いてると思ってませんでしたがw


■長法寺七ツ塚古墳群
   次に向かったのが、長法寺七ツ塚古墳群(ちょうほうじななつづかこふんぐん)。この古墳も見つけるのに難儀しました。というのは、小学校に見に行った時は、この古墳の周りは野ツボまである田んぼだったのに、今は全部宅地になっていて、場所が特定しかねたからです。自分が行った時にも、7つある筈の古墳は1つしか残っていなかったので、もしかしたら壊されているかもしれません。
   ダメ元でグルグル辺りを探してみると、ありました! なんと駐車場のど真ん中に残っていました。残っているのは六号墳で、非常に小さな古墳です。古墳を中心に駐車場がある様な感じです。古墳がなかったらもっと車駐めれそうなものですが、条例で残さざるを得ないのか、あるいは秘かに観光資源になっているのか、とにかく残っていました。
   感動して写真を撮っていると、「何か用?」といぶかしげな表情で声を掛けてきた人がいました。「古墳撮影してるんですけど」というと、表情が和らいで「あぁ、古墳ね」といって引き上げられました。意外に写真撮りに来る人がいるのかもしれません。

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今や周囲は住宅地。その中にポツンと残ってました


■井ノ内稲荷塚古墳
   次に向かったのが井ノ内稲荷塚古墳(いのうちいなりづかこふん)。この古墳は、iPhoneのマップで航空写真を見た時、雑木林とグランドしか見えず、これまた壊されて無くなっているんじゃないか、と思った古墳です。取り敢えず現地に行ってみて、案内板でも見つかれば良し、という風に考えて出向きました。
   やはりあると思しき場所に着いても、それらしいものは見つからないなー、と思っていたら、おもむろに案内板が見つかりました。案内板の裏は駐車場とプレハブの展示店らしき物があって、とても古墳がある様に思えなかったのですが、その奥の竹藪が古墳だったのです。道路から見ると、どこにでもある竹藪にしか見えなくて、まさか古墳だとは思いませんでした。
   しかし、古墳と言えども私有地らしくて、立ち入り禁止の看板があったり、入り口に竹でバッテンしてあったりして、見るからにタダの竹藪です(長岡京市は竹の産地で、山の方に行けばそうした竹藪は一杯ある)。しかし、そうした竹藪だったからこそ、古墳が残っていたのかもしれません。

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奥に見える竹藪が井ノ内稲荷塚古墳

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古墳群ってのもあるらしいですが、それらしいのは判りませんでした

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こんな感じで埋葬したらしいです
髪型が如何にも古墳時代っぽい
(何か撒いてる女性は中森明菜っぽいw)


■井ノ内車塚古墳
   最後に向かったのが、長岡京市の北の外れにある、井ノ内車塚古墳(いのうちくるまづかこふん)。いかにも乙訓〜といった感じの、竹藪の中の小径を進んでいくと、いきなり竹藪の中にありました。しかも、発掘調査中ww さっきの埋蔵文化財センターの人が、櫓を組んで発掘現場を一所懸命撮影してました。お邪魔して自分も中を見てみたかったのですが、向こうさんは仕事してる訳で、邪魔しちゃ悪いかなと思って、遠巻きから撮影するに止めました。
   先にも述べた様に、車塚と名の付く古墳は前方後円墳なんだそうですが、外から見る分にはそうした形をしてる様には見えませんでした。というか、竹藪の中に古墳があるという感じで、もし発掘調査とかしてなかったら見落としそうです。恐らく、ここも私有地なんじゃないかと思います。まだまだ未調査の古墳らしいので、今後の調査結果が楽しみです。

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行ってビックリ! まさに発掘調査中でしたww

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井ノ内車塚古墳の案内板
まだまだ未調査である事が書いてある


■まとめ
   今回の古墳ツアー、思いつきのやっつけ企画で、何の事前勉強もなしに実施したのですが、思いの外楽しめました。そういえば、昔もこうやって自転車乗って、ヒマな時にアチコチ走ってたなー、という感じで、追体験の旅でした。古墳を巡るといっても、どう見て楽しむか何てのも判ってなかったのですが、古墳がなくても案内板があるだけでも、それを見つける楽しみというのがあるのだな、と感じました。また、自分の記憶の中にある街と今の風景の違いも楽しみの対象となりました。
   長い間、自分の足で動く乗り物を使ってこなかったのですが、今回久しぶりに自転車に乗って、この種のイベントなら、自転車もまた便利な乗り物だという事を認識しました。これが車やバイク、スクーターであったとしても、古墳や案内板を見落としてしまっていたでしょうし、道を間違えたり、地図を確認したりするのにも、イチイチ止める場所に気を使わされていたでしょう。変速機なしのオンボロ自転車でも、十分楽しめる企画でした。
   今回廻った古墳は7つ。昭和57年製の地図には12個載っていますから、あと半分残っている事になります。是非とも第2回で完全制覇を目指したいと思います。

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最後に立ち寄ったコンビニで見つけた
「愛のスコール ICE BAR」
さすがは地方都市、こんなのが売ってるんですね!



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tanisi_corp at 00:00コメント(0)
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