July 2009
July 26, 2009
[リー・クアンユー回顧録]
上巻は下巻よりページ数が多く、毎日出社時にカバンに入れていくのが嫌なほどだったが、上巻読了に2ヶ月かかったのに反し、下巻は1ヶ月強で読み終えた。理由は下巻がテーマ毎に一話完結で分かりやすかったことも上げられるが、根本的には下巻の方が面白かったからだと思う。上巻も、リー自身の生い立ちを描いた前半部分は面白くて読み進むスピードも順調だったが、途中からの政争の話は元々あまり興味が無く、従って理解するのも苦労したため、読むスピードも落ちた。しかし、下巻は政策やリーの各国に対する考えを述べたものだったので、それゆえ面白かった。政治闘争の話より、政策を実行していく話の方が、やはり政治を享受する側にいる私には、身近だし興味深いものだったのだと思う。
下巻では、リーが思い描いた最悪の状況(マレーシアからの追放)から、現代の繁栄までのサクセスストーリーが描かれている。そして、まあ上巻からそうだと思うが、下巻において見られる、リーの一貫した姿勢は「いかにシンガポールに富と繁栄を植え付けるか」という一点であったと思う。この理念に反するものは徹底的に削除し、理念に合致するものは徹底的に取り入れる、このリーの考えに、私は少し辟易としてしまうほどだった。同時に、シンガポールが強権的な政府の下に管理されていると、よく批判される理由も何となく分かった。とは言っても、私のこの感覚は決して否定的なものではない。
下巻では、リーが思い描いた最悪の状況(マレーシアからの追放)から、現代の繁栄までのサクセスストーリーが描かれている。そして、まあ上巻からそうだと思うが、下巻において見られる、リーの一貫した姿勢は「いかにシンガポールに富と繁栄を植え付けるか」という一点であったと思う。この理念に反するものは徹底的に削除し、理念に合致するものは徹底的に取り入れる、このリーの考えに、私は少し辟易としてしまうほどだった。同時に、シンガポールが強権的な政府の下に管理されていると、よく批判される理由も何となく分かった。とは言っても、私のこの感覚は決して否定的なものではない。
サ・シンガポール・ストーリー
サ・シンガポール・ストーリー
小牧利寿訳
Memoires of LEE KUAN YEW
The Singapore Story
日本経済新聞社
2000
「よい独裁者」コンテストを行なえば、第一位にリー・クアンユーが当選するのは、まず確実であろう。
第二位は朴正煕で、第三位は、旧ユーゴのチトー元大統領あたりか。
リー・クアンユーは、香港と並んで大英帝国の重要な物資集散地の、シンガポールに生まれた「華人」である。
「華人」の中でも、出自は中国のユダヤ人、みたいな「客家」である。
ご先祖さまは、混乱する清朝から脱出してきたのだ。
「華人」とは実に大雑把な概念ではあるし、ガイジンが「華」という自尊語を使うのも、剣呑ではある。
本来なら「支那人」と呼びたいところだが、この言葉は、日本帝国主義者の手垢に塗れているので使えない。
といって「中国人」だと、これまた「中華人民共和国臣民」みたいな語感なのだ。
「アングロサクソン」みたいな言葉が欲しいもの。
リーの第一言語は、英語とマレー語である。
本人は、北京官話が自分の母国語である、と書いてはいるが、実は大人になってから、必要に迫られて、苦労して身につけたのだ。
客家語、福建語も同様である。
リーが英語の高等教育を受けたのは、支配階級の一員だったからで、他の「華人」は広東語など、それぞれの出身部族の教育を、自己負担で受けたのだ。
これ、スペインの植民地で、原住民は現地語しか話せず、メスチゾがスペイン語教育を受けたのと似ている。
大英帝国が傾かなければ、リーも平穏無事な生活を送ったであろうが、暴虐な日帝がシンガポールに襲い掛かったのだ。
英国人の優越性に微塵も疑いを持たなかったリー少年に、これは晴天の霹靂であった。
イギリス人もアジア人も、同じ人間であったのだ。
戦闘が終了し、占領が始まってからの大虐殺を敢行した皇軍を、リーは激しく憎む。
が同時に、その圧倒的な暴力の誇示に魅了される。
例えば、略奪が横行すると、むごたらしい日本軍は悪者の首をちょん切って、路頭に晒しておく。
すると、夜中でも窓を開けて寝られるほど、治安が安定するのだ。
さらに、英国へ渡る船の甲板で、英国兵が恥も外聞もなく交合するのに、憮然とする。
日本兵なら、慰安所に整列するところである。
リーは、一番の成績で英国の弁護士資格を得るのだが、同時に社会主義にも感化される。
ただしかし、無学な華人労働者のごとく、毛沢東式の共産主義者に感激することはない。
アジア・アフリカ諸国の国境線は、多くの場合、植民者によって決められた。
マレー半島も例外ではなく、英国は、できるだけ影響力を残して撤退しようと努力したが、新国家の形容は、原住民の手に委ねられた。
こうして、人種・民族の定義を疑わせるような、複雑で流動的な独立運動が遂行される。
指導者のリーは、軍規正しい日本軍に影響され、家父長的な強権を振るう。
リーは英国の異民族統治を学んだので、人間は平等である、なんてことを信じてはいない。
階級は厳然として存在するし、優秀な人間が国家を統治するのは当然なのだ。
経済的には、富の分配主義は採用しない。誘因がなければ、人間は働かないものなのだ。
マレー半島の圧倒的多数派のマレー人は、目から鼻に抜ける中国人とは、水と油の関係であった。
共産主義者ゲリラを、英国の手を借りて追い出している最中であったので、同じ中国人のリーを信用しない。
結局、マレーシア連邦は破産し、シンガポールは単独国家として独立する。
リーは、当初は仲間であった共産主義者を、政権を取ると徹底的に粛清。
英国植民地主義とも中国共産主義とも戦う「民族主義者」を標榜するのであった。
ナショナリストたる印象を保つため、本名の「ハリー」はあえて使わない。
軍隊を作るのに、密かにイスラエルの支援を受けるのも面白い。
そう、マレー人に圧迫されるシンガポールは、アラブ人の海に浮かぶイスラエルに似ているのだ。
運命を分けた香港について言えば、シンガポールは反共のマレーシアがあるお陰で、中国人難民が押し寄せてくることがなかったのであった。
初耳だったのは、スリランカを示す名称だったアラビア語「セレンディプ」が英語の「セレンディピティー(幸運)の語源である、ということ。
小牧利寿訳
Memoires of LEE KUAN YEW
The Singapore Story
日本経済新聞社
2000
「よい独裁者」コンテストを行なえば、第一位にリー・クアンユーが当選するのは、まず確実であろう。
第二位は朴正煕で、第三位は、旧ユーゴのチトー元大統領あたりか。
リー・クアンユーは、香港と並んで大英帝国の重要な物資集散地の、シンガポールに生まれた「華人」である。
「華人」の中でも、出自は中国のユダヤ人、みたいな「客家」である。
ご先祖さまは、混乱する清朝から脱出してきたのだ。
「華人」とは実に大雑把な概念ではあるし、ガイジンが「華」という自尊語を使うのも、剣呑ではある。
本来なら「支那人」と呼びたいところだが、この言葉は、日本帝国主義者の手垢に塗れているので使えない。
といって「中国人」だと、これまた「中華人民共和国臣民」みたいな語感なのだ。
「アングロサクソン」みたいな言葉が欲しいもの。
リーの第一言語は、英語とマレー語である。
本人は、北京官話が自分の母国語である、と書いてはいるが、実は大人になってから、必要に迫られて、苦労して身につけたのだ。
客家語、福建語も同様である。
リーが英語の高等教育を受けたのは、支配階級の一員だったからで、他の「華人」は広東語など、それぞれの出身部族の教育を、自己負担で受けたのだ。
これ、スペインの植民地で、原住民は現地語しか話せず、メスチゾがスペイン語教育を受けたのと似ている。
大英帝国が傾かなければ、リーも平穏無事な生活を送ったであろうが、暴虐な日帝がシンガポールに襲い掛かったのだ。
英国人の優越性に微塵も疑いを持たなかったリー少年に、これは晴天の霹靂であった。
イギリス人もアジア人も、同じ人間であったのだ。
戦闘が終了し、占領が始まってからの大虐殺を敢行した皇軍を、リーは激しく憎む。
が同時に、その圧倒的な暴力の誇示に魅了される。
例えば、略奪が横行すると、むごたらしい日本軍は悪者の首をちょん切って、路頭に晒しておく。
すると、夜中でも窓を開けて寝られるほど、治安が安定するのだ。
さらに、英国へ渡る船の甲板で、英国兵が恥も外聞もなく交合するのに、憮然とする。
日本兵なら、慰安所に整列するところである。
リーは、一番の成績で英国の弁護士資格を得るのだが、同時に社会主義にも感化される。
ただしかし、無学な華人労働者のごとく、毛沢東式の共産主義者に感激することはない。
アジア・アフリカ諸国の国境線は、多くの場合、植民者によって決められた。
マレー半島も例外ではなく、英国は、できるだけ影響力を残して撤退しようと努力したが、新国家の形容は、原住民の手に委ねられた。
こうして、人種・民族の定義を疑わせるような、複雑で流動的な独立運動が遂行される。
指導者のリーは、軍規正しい日本軍に影響され、家父長的な強権を振るう。
リーは英国の異民族統治を学んだので、人間は平等である、なんてことを信じてはいない。
階級は厳然として存在するし、優秀な人間が国家を統治するのは当然なのだ。
経済的には、富の分配主義は採用しない。誘因がなければ、人間は働かないものなのだ。
マレー半島の圧倒的多数派のマレー人は、目から鼻に抜ける中国人とは、水と油の関係であった。
共産主義者ゲリラを、英国の手を借りて追い出している最中であったので、同じ中国人のリーを信用しない。
結局、マレーシア連邦は破産し、シンガポールは単独国家として独立する。
リーは、当初は仲間であった共産主義者を、政権を取ると徹底的に粛清。
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そう、マレー人に圧迫されるシンガポールは、アラブ人の海に浮かぶイスラエルに似ているのだ。
運命を分けた香港について言えば、シンガポールは反共のマレーシアがあるお陰で、中国人難民が押し寄せてくることがなかったのであった。
初耳だったのは、スリランカを示す名称だったアラビア語「セレンディプ」が英語の「セレンディピティー(幸運)の語源である、ということ。
WordPressでの成果報酬型SEO対策サービス”ニトロSEO”リリース
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July 25, 2009
July 23, 2009
July 21, 2009
July 16, 2009
プリフレーム
とは打合せに入る際、もしくはそれよりも前に、これから話す内
容の意味(フレーム)を明確に伝えておくことである。それによって相手の視
点をフレーミングし、主導権を……。
※ 詳しくは → http://www.attax.co.jp/blog/2008/02/post_205.html
容の意味(フレーム)を明確に伝えておくことである。それによって相手の視
点をフレーミングし、主導権を……。
※ 詳しくは → http://www.attax.co.jp/blog/2008/02/post_205.html
s
2番めの男は「カネを稼いているのさ」と答えた。
最後3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂をつくっているんだ!」と。
1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として繰り返す生き方です。
2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。
彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。
そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっている。
彼の働く意識は大聖堂建設のため、町のためという大目的に向いていて、
おそらく、そのときたまたまレンガ積みという仕事に就いていただけかもしれません。
彼は、その後どんな仕事に就いたとしても、
それが自分の思う大目的の下の仕事であれば、それを楽しむことのできる人間です。
最後3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂をつくっているんだ!」と。
1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として繰り返す生き方です。
2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。
彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。
そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっている。
彼の働く意識は大聖堂建設のため、町のためという大目的に向いていて、
おそらく、そのときたまたまレンガ積みという仕事に就いていただけかもしれません。
彼は、その後どんな仕事に就いたとしても、
それが自分の思う大目的の下の仕事であれば、それを楽しむことのできる人間です。