2006年01月01日

昌福寺から平成十八年の御挨拶

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 日ごろに於きましては、いつもいつもお世話になり、本当に心から御礼申し上げます。平成十七年もまたたく間に過ぎゆき、これから新しい年が明けようとしています。その年頭にあたりまして、平素の感謝をこめまして、一言、御挨拶させていただきたいと思います。

 さて、近年から近日に至るまで、地震、台風、津波、環境汚染、不況、戦争、事件、事故、思い返しただけで、われわれの日常生活を不安にさせるような事柄が、巷にはごろごろ転がっています。
 平和で、健やかで、明るく、前向きに、楽しく、みんなと仲良く、長生きしたいというのは、人種を超え、宗教を超えて、人間が抱く素朴な希望でしょうが、その素朴な希望ですら今の世界では、どこへ行ってもなかなか叶えがたくなってきているように思えます。

 でも、それは仕方の無いことでしょうか。時代の流れだからといって諦めなければいけないのでしょうか。自分一人頑張ったってしようがない、と我々の素朴な希望は棄てられなければならないでしょうか。

 たとえば、こういう夢を抱いてはいけないでしょうか、家族一緒ににぎやかに暮らしたいと。年をとっても、友だちといつまでも楽しく遊びたいと。日ごろやりたいと思っていた趣味を始めて、充実した日々を過ごしたいと。生まれ育った故郷にやさしく抱かれて、健やかな精神で年を重ねたいと。そしてもし、いつか災害や事故に遭遇したとしても、家族や仲間と手をたずさえて、めげずに克服して行きたいと。

 ですから昌福寺には夢があるのです。いつか青柳のこの昌福寺が、まるで仏の国が眼の前に現われてくるように、我々の抱く素朴な希望と、お釈迦様を慈しみの誓願を実現するような、安全で楽しい理想的な場所になるということ。

 そして、寺とはそもそも人災(戦争、環境汚染、事故など)、天災(台風、地震、飢饉など)、個人の精神的危機や争い、死などの危険から、人々が逃れなんとか安全を保とうとする避難所です。また寺とは死者を含めたさまざまな避難者が、そこで出家=受戒(戒名を授かること)してお釈迦様の仲間に加わり、正しい教えを実践・護持し、その功徳によって、自身の成仏もさることながら、寺(避難所)内外の危機の無事安泰を祈願する仏教的な危機管理の場所です。さらに、その土地には数えきれない死者や先祖が眠り、仏菩薩とともに安んじている場所ですから、そこを守護することで、我々の心身が霊的に護られる場所であります。ですから昌福寺も青柳に根ざした安全保障の拠点になるということ。
 そこで、その夢に向けて、平成十七年度におきましては様々な企画と準備をいたしました。

一、 災害時に電気が止まっても使えるように、庫裡の土間の井戸を修理して、手動の汲み上げポンプを設置しました。
一、 援助物資が到着するまで、檀家や近所の方々の食糧となるように、水田を借りて稲作を行い、少量ですが備蓄米として一三〇キロを収穫しました。
一、 春から秋にかけて、旧暦の季節行事に合わせて、無料のコンサートや落語の会を三回行ないました。
一、 夏にはいろいろな趣味の御案内になるようにと、「和紙のランプシェード」を作る体験教室を行いました。
一、 檀信徒と隣邦組になるべく負担のかからない葬儀をいろいろ工夫しました。

 ちなみに、これらの企画はすべて、基本的に昌福寺を心身の避難所として使おう、あるいは使った方々の御寄付(葬儀の布施も含まれています)によってまかなわれています。

 そして平成十八年も引き続き、平成十七年よりもさらにより一層、皆様の御役に立てるように、また昌福寺の夢を実現するために、以上の企画に加え、様々な試みを考え、住職以下、誠心誠意に努力、精進して参る所存ですので、どうぞよろしく御願い申し上げます。合掌


2005年12月20日

昨日よりも、今日は・・・

今朝は、雑巾がけをしている端から、床がバリバリ凍りはじめました。
凍ると服がはりついてしまうのですよ、床に。
水道も凍ってしまいました。
──いつもは年明けすぎなのに・・・

tanpoki_iwama at 18:51|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

2005年12月19日

いよいよそんな季節!

今朝、バケツのなかで雑巾が凍っていました。
バケツの形をしたまま、カチカチになっていました。

日が昇っても、寒いことッ!

2005年12月04日

初雪です

今日は西東京市で葬儀がありました。夕べから泊まり込みで行ってまいりました。
帰りの中央自動車道。大月にさしかかったあたりで雪が降りはじめました。僕にとって今年の初雪です。

明日は福神研究所の勉強会です。ですからふたたび東京へ上京します。
──寺の仕事がたまってしまう〜

追伸。「初」といえば、今日、初メールマガジンを送信しました。興味のある方はこちらからどうぞ。

tanpoki_iwama at 21:24|この記事のURLComments(5)TrackBack(1)

2005年12月01日

お知らせ

いよいよ師走です、あッという暇もないうちに。
そして気がつけば昨日34歳になっておりました。
というわけでもありませんが、たびたびのことで申しわけございませんが、『仏法夜話』はブログよりもメールマガジンの方が良いのでは、と思いそのようにさせていただくことになりました。

こちらの昌福寺『彩色』はこのままつづけさせていただく予定ですので、ひきつづきよろしくお願いします。また『仏法夜話』を今後もご覧になっていただける方はこちらから購読のお申し込みをどうぞよろしくお願いいたします。
合掌

tanpoki_iwama at 12:00|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

2005年11月25日

やっと一息(ふー)・・・

とにもかくにも、御会式が終わり、引き続いてのお葬式も終わり、今日はほんとうに久し振りの、何もない一日でした。といっても、『虫切り加持』が二件ありましたけど。
思いのほか暖かで、銀杏ともみじが今年一番にきれいでした。そしてすでにはらはらと散りはじめています。
──これから庭掃除がしばらくたいへんだ・・・


2005年11月24日

お疲れさまでした

昨日、昌福寺の御会式が終わりました。
22日の万灯行列、23日の稚児行列、どちらも天気にめぐまれ、無事に終わりました。参加してくださった方々、見にきてくださった方々、ありがとうございました。

境内の銀杏も紅葉も今年は紅葉が少しおくれてるようです。今日あたりが一番きれいです。いつもであればもう散りはじめているのですが。

今日はお葬式がありました。昨日の御会式から連続でした。だから夕べは御会式の片づけを途中にお通夜に行ったのでした。
夕べは寒かったですが今日は暖かい一日でした。

明日は久し振りの休日です。とはいえ、『虫切り加持』の予約が一件。

2005年11月21日

明日の準備

今日は朝から御会式の準備でした。
明日と明後日、昌福寺はにぎやかなお祭りとなります。
明日の晩は特に万灯行列があります。
およそ9講社、300名がまといを振り、太鼓を打ち鳴らしながら、昌福寺前の国道52号線を練り歩きます。
明後日は、天堂稚児の行列が午後1時から、やはり昌福寺前の青柳商店街を行進します。
ですから明日は朝からその準備です。
お寺の役員さんが大勢集まります。
その下準備を今日までしてきました。

さて、いっぽう庭の菜園に見たことのない不思議な木が生えてきていました。
今朝初めて気づきました。
──あれはなんだろう?
と思って祐子さんに聞いてみても、
「分からない・・・」
と言っています。
以前アボガドの種を投げこんでおいたことがあるので、ボクは、
──それが生えてきたのではないかッ!!
と少し期待しています。

以上、今日の昌福寺でした。

2005年11月16日

少しお久しぶりでした。

五時半に起床してまもなく、電話があり、
──なんだろう?・・・
と、不安に思っていると、葬儀に連絡でした。
というわけで今晩は通夜がありました。

とはいえ、昌福寺の近所では葬儀が重なったらしく、いつも法要出仕をお願いしているお上人方が皆さん来れなくなっていて、急きょ、甲府の遠光寺の従兄弟二人に頼みました。

気がつけば、銀杏の葉が黄色くなりはじめています。

以上、今日の昌福寺でした。

2005年11月10日

白菜漬。

今朝、ぽぽがコテツとまた喧嘩して顔に傷を負いました。

午後にはいよいよ御会式に向けて白菜を漬けました。
祐子さんの指示のもと大きな容器に一杯につけました。
詳しい様子は、祐子さんが『田舎日和』にupすると思います。
また『仏法夜話』でも書くつもりです。ご期待下さい。

・・・以上、今日の昌福寺でした。合掌。

2005年11月09日

いよいよ落葉の季節

今朝の昌福寺は落葉で大変でした、境内が。
ですから午前中ずっと掃き掃除でした。
ケヤキと杉の枯葉がいよいよ散りはじめました。

御会式の稚児参加者が3名加わりました。

夕方には白菜を漬けるポリバケツを買いにホームセンターに出かけました。
75号という大きなポリバケツひとつと、15キロの漬物石を二つ買いました。
明日はそれで白菜を漬ける予定です。

夜になるとだいぶ冷え込みます。

・・・以上、今日の昌福寺でした。合掌。

2005年11月08日

井戸!

今日の昌福寺は・・・

井戸の工事が終わりました。二日がかりで水道屋さんが昔からある井戸に潜り水を引き上げるようにしてくれました。
これで昌福寺は、災害への準備として、今年収穫した米約110キロと、井戸の水を確保することとなりました。ライフラインは地域の中でこれからのお寺の重要な役割だと思っているからです。

コテツがまたいたずらして裏庭のツツジの大きな枝を折ってしまいました。叱っておきました。

大風が吹き、境内に杉の葉が散乱しています。

ここ数日、朝の雑巾がけの時に何匹もの蜉蝣(かげろう)を見かけます。

御会式に参加するお稚児さんの申し込みががぼちぼち来はじめました。

御会式の時に食べてもらう白菜漬を作るためにたくさんの白菜を天日に干しました。

・・・以上、今日の昌福寺でした。合掌。

2005年11月06日

寒い一日でした。

今日は法事が三件ありました。
昼過ぎから雨が降りだす寒い一日でした。
裏庭のケヤキがすっかり赤くなっています。
コテツが自分の小屋を破壊しました。
『仏法夜話』の新しいお話をもうすぐupできると思います。

2005年11月04日

スズメバチ!

スズメバチの死骸を境内で二匹見つけました。
──ということは、境内のどこかにスズメバチの巣があるのだろうか・・・
もしそうなら怖いことです。
合掌

2005年11月01日

今日はお葬式がありました。

葬儀について数回upしましたが今日は葬儀がありました。
ということは夕べお通夜だったわけです。
ここのところ重なります。
というより弔事は重なりやすいのです、むしろ、経験上、昌福寺の場合。
いや、昌福寺だけじゃないでしょう。
他のところでもそうかもしれません。
だから「友引」を意識して避けるのです、弔事の場合。
東京、神奈川、静岡など、関東から中部にかけては──もちろんそれ以外の地域もそうかもしれませんが残念ならが情報を持っていないので──、「友引」は火葬場がそもそも開いてません。
とはいえ、山梨県はなぜか「友引」も火葬場開いてます。
そして今日は「友引」でした。
そこで山梨ではどうするかというと、「友引」の場合、時間をずらすのです。遅らせてはじめるのです。
こうして今日も、いつもよりあえて三十分遅らせて葬儀が行なわれました。
合掌

2005年10月29日

さらに続き・・・

少し長いですが、最後までupします。

三日目
 ◎出棺(午前八時ころ)
 本葬儀の当日、ご遺体を荼毘にふす火葬場へ出発する際に営まれる回向です。故人を乗せた棺桶が、ついに住みなれた住み家を旅立って逝くがゆえに「出棺」といったのでしょう。山梨県では、おもに早朝、本葬の前に行なわれることがほとんどです。菩提寺の僧侶が付き添い、故人が今生の最後の夜を過ごされた場所で、火葬場まで同行する方々が集まって行なわれます。また、このときに別れの膳、また杯を、遺族を代表した喪主が、故人に成り代わった僧侶とかわす場合もあります。ご遺族のお気持ちで申し付けてください。
 通夜の晩を昌福寺の本堂で過ごされた方は、昌福寺からの出棺となります。
 ◎火葬(午前九時ころ)
 出棺したご遺体がいよいよ荼毘にふされる直前、火葬場にて、火入れにともない行われる回向です。故人の顔を見ては本当にこれが最後の読経となります。
 僧侶の発声のもと、ご身内とともに窯の前にて行なわれます。
 ◎収骨(午前十一時ころ)
 荼毘にふされた故人の遺骨を収骨いたします。この近隣ではご遺族が中心になって行われますので、僧侶は遠慮いたします。荼毘の間、ご遺族は火葬場で休憩できます。
 収骨後、昌福寺にて告別式・本葬を行なわれる方は、ご遺骨をまっすぐお寺までお運びください。到着後、そのまま本堂御宝前に安置させていただきます。そして通夜の際と同様、昌福寺の庫裡と書院で時間までお休みいただければ、ご遺族も隣邦組の方々もゆっくりと楽におくつろぎいただけます。
 ◎告別式(午後一時ころ)
 今後の終(つい)の住処、死者の世界、つまり墓所へと旅立って行った故人に、ご縁のあった方々が、お別れの焼香を手向けるときです。それに対して、故人になりかわった親族が挨拶を返します。
 ◎本葬儀(告別式に引き続いて)
 導師から故人に戒名が授けられます。いわば、新しい出家者としての名前です。
 お釈迦様は、ご自身のお悟りの楽しみが、ある面では、死後、これからあるのだ、今後は生老病死の苦しみと離れていられるのだ、とおっしゃられて、嘆き悲しむ弟子たちを慰めながら、今生を旅立ってゆかれたということです。それ以降、弟子たちはお釈迦様の安らかな眠りを妨げぬよう、ご遺骨を丁重に葬り、やがてそこにストゥーパ(卒塔婆)を建て、その墓所を守りながら、悟りを目指す修行の道場としたということです。それが寺というものの起源だとすれば、これから故人は、お釈迦様のお弟子となって、一緒に安らかな眠りにつかれると同時に、仏を目指して修行をはじめる、ということもできましょう。それはつまり、死んですべてが終わってしまうと考えるのではなく、これからまた新たなスタートを切る、ということでもありましょう。そのための新しい名での出発の儀式が本葬儀となります。その意味では、この儀式の主役は、故人はもちろんのこと、送り出す遺族と、迎え入れる菩提寺をふくめた三者となりますので、かつては告別式が済み、会葬者が去られてから、三者のみで、菩提寺の本堂にて執り行われました。
 現在では、告別式をかねて、告別の挨拶を受けながら、本葬儀を行なう場合もありますが、その際には、昌福寺の場合、告別式の時点から、ご遺族の皆さまは本堂内に座っていただき、焼香に来た会葬者も、入堂して、本堂建物内にて、備えつけの祭壇に向かって焼香します。そのとき、ご遺族の皆様には、堂内の椅子に座ってご挨拶を受けていただくことになります。ですから、ここでも祭壇をわざわざ賃貸し組み立てる手間と時間が無くなりますし、遺族も参拝者もともに室内の椅子に、天候や寒暖に左右さずに安楽に座っていただけます。
 また飾りつけも、本堂に備えつけてある寺の仏具や荘厳具を用いるため、新たに提灯などを借りて飾る必要がありません。もし飾り物をご希望という方は、生花、あるいは供物などで行われたらいかがでしょうか。昌福寺の七〇〇年におよぶ歴史を体現した、格式ある祭壇を使用していただくことになるわけですから、軽薄になることなく、自信をもって威厳のある法要をお約束いたします。
 加えて、昔のように隣邦組の方々にも手間をおかけしません。なぜなら通夜と告別式にわたって、隣邦組のご足労は、帳場のみとなり、実質的な手間は最近のホール葬と同じです。
 そのうえ、故人がこれから永久に昌福寺に眠られることを考えると、回忌の法事や、お墓参りも本堂にて行なわれることになるのでしょうし、なによりも僧侶の毎朝の回向もその本堂で営まれるわけですから、故人の冥福を祈る本来の意義からいっても、本堂での葬儀をお勧めしたいと思います。
 最後に、墓地は基本的に昌福寺境内にあるのですからから、本葬後、車で移動することなく、すぐに埋骨できます。また納骨後、庫裡をご利用いただいて初七日・精進落としも可能です。つまり昌福寺本堂での本葬は、通夜に向けてご自宅を旅立って以後、火葬場に往復する以外、すべて一貫して寺のなかだけで、一歩も外へ出ることなく終了することができます。したがって、法要の主旨にあいながら、さらにご遺族、参列者、隣邦組の皆様に、移動の手間と時間、負担と労力をかけずに行なうことができるのです。
 ちなみに通夜、告別式、本葬にわたって昌福寺の本堂を使用していただく場合も、いっさい使用料はいただいておりません。もともと昌福寺の境内建物すべて檀信徒の方々の共有の財産でありますから、むしろご自由に、積極的に活用していただけますよう、お願い申し上げます。
 なお、ここに挙げた例はあくまで参考ですので、それ以外にも、通夜を自宅でして告別式と本葬を寺を使う場合や、あるいは昔ながらに、通夜と告別式を自宅でして本葬を寺で行なう場合も可能です。
  またとくに昨今、各地域で、隣近所の関係が以前とは変わってまいりましたので、隣邦組の手間をいっさい頼まれない場合や、反対にできうるかぎり隣邦組が協力可能な場合など、その家々、その組々で多様な葬儀がありえるのではないでしょうか。昌福寺としても、菩提寺として、故人とご遺族のお気持ちをできうるかぎり尊重できますよう、さまざまな葬送の儀の姿を考えて参りますので、今後とも、遠慮なくご要望をお申し付けください。
 ※いま挙げた参考例を行なった場合、基本的に棺桶、経帷子、位牌、塔婆等の手配以外は全てまかなえます。また隣邦組には、まった  く手間をかけないか(その分、帳場などの人手を確保しなければなりませんが)、あるいは帳場その他若干のことをお願いするだけ  で済ますことができます。
 ※参列者が焼香に堂内へ上がる場合に、現在は二通りを考えております。まず一つは庫裡にて靴を脱いで室内に上がり回廊を通って本  堂に向かう場合。つぎに本堂正面階段を下足のまま登壇する場合。
  前者の場合には、靴を脱ぐ必要が生じますが、すべて室内であるため、天候の心配もなく、帳場のテントを張る手間もかかりません。  後者の場合には、外にて帳場用のテントを張る手間が生じますが、参列者は靴を脱がずに四段上るだけでそのまま焼香していただけ  ます。
 ※昌福寺ではテント、机を無料でお貸しいたします。テントは外に帳場を張る場合に、机は外であっても室内であっても帳場にて必要  となりますし、寺で精進落としをする場合にも必要です。
 ※昌福寺の境内には、最大六〇台ほどの車が駐車可能ですし、車の出入り口も、三ヶ所とることが可能です。
 ◎納骨(午後二時三〇分ころ)
 本葬儀を終え、新たな名を得た故人が、寺の一員となって、墓所に埋葬されるます。故人からしてみれば、新しい住み処に入るときですから、ある面では、一連の葬送の儀式の一番重要な部分でもあります。
 これは一般的に、一番近しく、本葬儀に最後まで付き添った方々が、その墓所まで足を運んで立ち会います。
 ◎初七日忌(午後三時ころ)
 本来は、亡くなられた日の当日を含めて七日目の供養をさし、それ以後二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七(四十九)日と七日ごとの墓参供養の最初の口火を切るものです。寺でその度に卒塔婆を用意しておきますので、その日にあたりましたら、何時でもかまいませんので、寺で卒塔婆を受けとられてから、お墓参りをお願いいたします。

四十九日(尽七日)忌(ご命日から四十九日後)
 七本目の最後の卒塔婆をお供えする際に、一会の法要を営み、近親の方々にお声をかけ、七日供養の終了を帰するとともに、いわば喪を開け、遺族が新しい家族として出発する日です。新しいお位牌をご用意していただければ幸いです。

 以上は、昌福寺がお配りしている葬儀のパンフレットの内容です。

2005年10月28日

昨日の続き・・・

御命日の翌日
 ◎納棺(午後四時〜六時までの間)
 故人の最後の旅路の支度をいたします。湯濯(ゆかん)といって、僧侶の読経の声のなか、ご身内の皆様が手にした布や紙にて、最後の衣装に見合うよう、故人のお体をきれいに拭いて差し上げます。そしてその後、棺桶におさめ、経帷子など、最後の旅立ちの装束をお着けします。
 通夜に先立ち行なわれることが多く、ほとんどの場合、ご自宅でなされます。
 ◎通夜(午後六時ころ)
 故人がこの世で過ごす最後の晩を偲んで営まれる法要です。お別れの焼香を手向けにやってこられる方も多くいますが、本来の主旨は、最後の晩を近しい家族、親類縁者に見守られながら、思い出を語らいつつ過ごす「家族との別れ」というものです。
 家族と過ごす最後の夜ということもあって、昔から、長いこと住み慣れたご自宅でなされることが多いのですが、最近は昌福寺の本堂内陣をつかい、僧侶が毎朝読経を捧げている備えつけの祭壇にて営まれる方が増えてまいりました。その場合には、祭壇をわざわざ借りて組み立てる手間が無くなります。
 また昌福寺で通夜を営む場合、親族と隣邦組の方々の控室として、庫裡の大広間、また書院をお使いいただけます。また机や椅子もお貸しいたしますので、たとえば通夜の始まるまえにお食事をとられる場合など、あるいは法要前に時間があまった場合など、移動する必要もなく、余裕をもってゆっくりと、広くお休みいただけるはずです。
 通夜法要のあとは、そのままご遺体を本堂に安置されても、また住みなれたご自宅にお帰りになられても、それぞれのご家庭のお気持ちでなさっていただいてかまいません。

2005年10月27日

今日はお葬式でした。

 ということは、夕べはお通夜だったのですが、夕べの通夜も今日の告別式も、ともに昌福寺の本堂を使って行なわれました。
 お寺の本堂を宗教的儀式に使うということは、当然といえば当然かもしれませんがが、以前はまず自宅で葬儀を出すケースがほとんどでした。それが近年セレモニーホールを使う場合が増え、昌福寺も一時期はほぼ総ての葬儀がホールへと移ったのですが、お寺の本堂をもっと自由に使ってくださいということで解放したところ、今では昌福寺の葬儀は大部分お寺の本堂を使うこととなりました。
 というわけで、昌福寺の本堂で葬儀を出す場合の一般的な流れをここで触れておきます(長くなるので、数回にわけてupします)。


 ◎ご逝去の直後
 ご親族にお亡くなりの方がありましたら、電話でかまいませんので、昌福寺にご連絡ください。枕経にお伺いいたします。
 ◎枕経
 亡くなられた方の枕元で、菩提寺の僧侶が読経・回向し、北枕に直します。
 お釈迦様が八十歳で亡くなられたとき、右脇を下にして、頭を北に向けられていたということでありますから、お釈迦様のように安らかな逝去を願い、故人を北枕にいたします。
 回向のあとに、ご遺族の手で右回りにまわって頭を北に直し、枕元にはご本尊(曼荼羅)を掛け、線香、花、灯明などを飾ります。日蓮聖人もご自身の臨滅に際し、枕元に御真筆の大曼荼羅御本尊を掛けられたということであります。
 一般的には、亡くなられた病院から故人がご自宅へ戻ったところで、ご自宅にて行なわれます。この時点で、葬儀の一連の段取りを決めると良いでしょう。お伺いした僧侶にお尋ねください。

2005年10月25日

今夜は会議。

今夜は7時から昌福寺の護持会の会議がありました。
護持会は、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、お寺の檀家さんの自治組織です。
その護持会と僧侶が協力してお寺のいろいろと行事は営まれています。
今夜は御会式のための打ち合わせでした。
役員さんが50人くらい集まりました。
無事、予定通り議題を済まして、つい先ほど、思っていたより早めに終わりました。

そして今夜はまた、春・夏と続けてきた『写経の会』がひと区切り。また春まで少しお休みです。参加してくださった皆様ご苦労様でした。来年の春までごきげんよう。
合掌

2005年10月23日

今日は日曜日

ですから、いつものように、法事が何件かありました。
午後は祐子さんとDVD観賞。『パッチギ』を見ました。
映画館でも見たのですが、とても良かったので、DVDがでたところでさっそく借りてきました。
そして夜は題目講。陽の当たっているうちは暖かくても、日が落ちるとまたたく間に寒くなる今日この頃です、うちの住職も風邪気味みたいですが、皆さんもくれぐれも御自愛下さい。