今日も仕事はヘビーでしたが、何とか乗り切り、今日は早めの帰宅ができました。またまた、本ネタで恐縮です。

久しぶりにベストセラー作家、百田尚樹さんの長編を読みました。江戸時代の「囲碁の世界」を壮大かつ濃厚に描いた、百田さんらしい「凄い下調べ」をした作品に仕上がっていました。百田さん、囲碁が大好きなんでしょうね。僕は囲碁はまったく分かりませんが、そういう読者にも読めるような配慮がありました。そして、囲碁を知る人にとっては、さらに面白い作品だったことは容易に想像がつきます。

概要は、Amazonの内容紹介によると・・・「古今無双の最強の名人になる」―江戸時代後期、そんな破天荒な夢を持ち、ひたすら努力を続ける少年がいた。その少年こそ文化文政から幕末にかけて当時の碁打ちたちを恐れさせた一代の風雲児「幻庵因碩」である。少年に天賦の才を見出し、夢の実現を託す義父の服部因淑。少年とともに闘いながら成長していく本因坊丈和。そして、綺羅星の如くあらわれた俊秀たち。彼らは碁界最高権威「名人碁所」の座をめぐって、盤上で時には盤外で権謀術数を駆使しながら、命懸けの激しい勝負を繰り広げた。確かに・・・囲碁のことはまるで分らない僕が読んでも「囲碁の勝負とは凄まじい戦い」であることが読んで取れました。

上巻の印象的だった箇所です。
ますは本編に関係ない「名人」という言葉の由来・・・(百田さん、こういう話が大好きですね)「名人」という言葉を作ったのは織田信長だと百田さんは作品内でこう言います。(前略)・・・日梅は、十代の終わりに織田信長に仕え、囲碁の指南をする。信長は日梅の技量に感心し、「そちはまことの名人なり」と言った。これ以降「名人」という言葉はいろいろな分野で使われるようになるが、もともとは日梅が受けた言葉である。この言葉は茶器などの「名物」に対応するものとして言った信長の造語である可能性が高い。百田さん、ホントですかぁ~(笑)

囲碁の美学について、百田さんはこう書きます。
碁は勝てばいいというものではない。たとえその一局に勝とうとも、無様な手や見苦しい手を碁譜に残しては、後世の人に嗤(わら)われる。その不名誉は永遠のものとなる。(後略)これまた百田さんらしい「潔さ」を尊ぶ一面ですね。

これまた「テラ銭」という言葉の逸話です。
江戸時代の以後は「博打」の対象になっていたそうです。昔から寺では博打が頻繁に行われていたから、見物人同士が金を賭ける碁会が寺で開かれても不思議ではない。ちなみに博打の「テラ銭」という言葉は、寺が博打場だったことから生まれたとも言われている。百田さん、こえまたホントですか~(再・笑)

下巻の印象的だった箇所です。
因碩(後の幻庵)と柳(安井仙知の娘)が碁を打った後の会話・・・因碩「打ちながら常に心にあったのは・・・最善の手は何かということです。無限とも思える盤上に、ただ一点、真理があるのです。それは必ずあります。どのような局面においても、真理は必ずあるのでる。しかし、もしかしたら人知では見つけられないものかもしれません。敢えて言えば、浜の砂から一粒の砂金を見出すようなものでしょうか」これは絶対に因碩が言ったのでなく、百田さんの言葉だと思いますが、実に分かりやすく、良い表現ですね。

因碩は、碁の力量以外の環境や政治力等により、結局「名人」になれませんでした。その時の因碩の師匠・因淑の言葉・・・「名人碁所は時の運である。お前は碁の技量で丈和(因碩最大のライバル)に敗れたわけではない。名人になれなかったのは巡り合わせが悪かった」・・・(後略)本作を読み、「名人」になるのがいかに(運や政治的背景を含め)大変なことかが分かりました。

いやはや百田さん、何とも重厚で詳細な碁の世界をありがとうございました。碁など、まったく分からない僕にも十分に楽しむことができました。

単身おじさん評価:★★★★☆.5(おもしろい・読んで”とっても”良かった)

百田尚樹「幻庵」