耽々と騒音

思いつきや考えたこと(本や音楽や仕事、なんとなく想った事)  tantan and so on

大量のポール・スミス氏

ポール・スミス氏から大量のコメントをいただいております。
いつもご愛読いただきありがとうございます。

若干の憂いと憐憫を乗せて、いともたやすくこの星で何度目かの10月が参りましたが、窓の外はあきれるほどの秋の風。相変わらずの風邪。今日も繰り返す非か是。

先日10キロ走ったら、キロ5分を切るペースで走れました。
まだまだ根性でどうにかやれる年齢のようです。
もう少し頑張れ。あと3年くらい。 

知らない国の言葉でラジオが歌う。朝から晩まで気が狂うような物語。
直径15センチの風邪ウィルスやコンピューター・ウィルスをコレクションするポール氏。砂糖と塩で出来たお城に住んでいる。もうすぐ引っ越すみたい。
うたかたの日々。 

六本木で働く

東京は面白い。駅ごとにとても個性があると思う。僕は学生の頃から、いや関東に来る前にTVや本で読んでいた頃から、それぞれに固有の変なイメージや憧れみたいなものを持っていた。
例えば、六本木への妙なイメージは何で作られたんだろう。例えば「ギロッポン」なんて、言葉が表すように高級で大人な街のイメージもあれば、「電話なんてやめてさ 六本木で会おうよ」という歌に代表されるような若い男女の集う場所というイメージもあったし、「六本木」という漢字からなんとなく公園があるイメージもあったりした。
そして、それらの様々のイメージが総体として、変なイメージをつくっていた。
本屋なんて一軒もなくて、夜になるとスカートの短い女の人が若い人も若くない人も金を持ってそうなオジサンに連れられている。若い男は煩い音のなる車を光らせて、同じ道を何度も走っている。朝の4時くらいまで眠らない。そんなイメージだった。
無知な頃に広がっていたイメージを思い出すのは面白い。

六本木は特にその勝手なイメージがばっさりと失くなった日のことも覚えている。はじめてあの街に足を踏み入れた日。就職活動のまっただ中だった。渋谷で面接を追えてから特に意味もなく新橋まで歩いた通り道に六本木があったのだった。
最初に感じた違和感を覚えている。
道が機能として街と街をつなぐものから、街中の道になる、変化を感じた。街が少しづつ開き始め、コンビニが増えていくの感じていた。
大きな交差点に辿り着いたときに、あれ?と思った。スマートフォンなんて誰も持っていない時代、何をみたわけでもなかったのに、ここは六本木では?と気が付いた。なぜだかはわからないのだけど。
横を見ると高速道路にSF映画みたいなフォントで「ROPPONGI」と書いてあった。そうして、六本木に今自分がいる実感を得たのだった。
道を少し歩くと青山ブックセンターがあった。本屋はないイメージだったのに。しかも、そのスノッブな佇まいに、汗ばんだリクルートスーツを着ていた僕には敷居が高くて入られなかった。こんなところにいるのが場違いな気がして、出来るだけ足速く通り過ぎた。恥ずかしくて、なんだかみじめに感じたのを覚えている。

あれから7年。気がつくと僕は毎日六本木に通うようになった。
こうもなると、イメージなんてあってないようなものだ。複数のサイズの違うイメージが積み重なっている。こんな僕だけど、六本木にもいくつか思い出があるし、もう青山ブックセンターにも気軽に入れるようになったのだけど。
しかし僕は、こうしてじっくり考えると六本木があまり好きではないことをあらためて確かめるのだ。
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