2018年10月06日

成田着





ホワイトホースの仲間との再会を果たした翌日、僕は昼間からこっそり酒を飲みつつ、橋の下の公園でギターを弾いていた。というのも、昨夜一緒に飲んでいたりょうくんの音楽仲間たちのセッションに呼ばれてきたのだった。
セッションと言ってもそんな大袈裟なものではなくて、ただ楽器やアンプを持ち寄って、弾きたい人が適当に楽器を弾いて合わせたい人が適当に合わせて遊ぶだけだ。僕もギターを弾いたり歌を歌ったりして、その都度「この部分の和音の構成音がどうなっているのか」とか「どうしてすぐにトニックのポジションが見つかるのか」とか、そういうテクニカルな質問を浴び続け、いちいちそれに答えた。たまにはそういうのも面白い。段々調子に乗ってきて、気付いたら音楽理論講習会みたいなことになっていた。まさかバンクーバーで同種調転調とかチャーチモードの話をすることになるとは思わなかった。



りょうくんと始めて会った時に驚いた、というか驚かれたことがある。なんと彼は僕と全く同じギターを所有していたのだ。メキシコ製のベイビーテイラー。素材もマホガニーで合わせてくるあたりはもう神々の悪戯としか言いようがなかった。
迷いに迷った末にカムループスで買ったこのギター。本当に買って良かったと思う。結局これを背負って4000km以上走ったわけだけど、その地獄はやったことがある人にしかわからないだろう。その世界的に見ても稀な「やったことがある人」というのが目の前にいるから変な話だ。ちなみにりょうくんはギターめちゃくちゃ上手い。真面目な彼らしく弾きたい曲を一度譜面に起こして、自分でアレンジしてやっているから大変だ。
後から庭仕事を終えた並木くんもやってきて、しきりに「音の世界っていいなぁ」とぼやいていた。楽器を弾かない彼もやはりいろんな音楽を聞いていて、自分の好きな世界をしっかり持っている。和太鼓をやればいい、と勝手に思った。これほど絵になる男もいない。問題は「どうやって自転車に積むか」ということくらいだ。



音楽仲間のメンバーは入れ替わり立ち替わりやってきて、一体どこからこれだけの日本人が湧いてくるのかと不思議に思ったけど、もうそんなことはどうでも良かった。
皆で飲みに行き、飯を食べ、店が閉まって次の店へ行くとID(身分証)がないと入れないとかで、店から店へと歩き続けた。再びりょうくんが我慢できなくなってギター弾きながら歩くから、自分もつられてやってしまう。そんなこんなで夜が更けて、ホワイトホースの出会いに感謝したいと思った。ここに田中さんがいたらどうなったか、と酩酊した頭の片隅で思っていたのだけど。



翌日、少し手間取るかと思っていた巨大段ボールの入手も呆気なく終わり、いい加減に自転車をバラしてとりあえず突っ込んでおいた。夕方には腹が減ったからラーメンを食べに行き、夜遅くまでホステルのダイニングで「東光」の吟醸酒を飲んで寝た。
その翌日は朝からりょうくんの出国を見送りに空港へ。一年間カナダでワーホリしながらお金を貯めて旅をしていた彼は、なんと僕と一日違いで日本へ帰ることになっていた。航空会社も同じ。日程まで一緒にしなかったところを見ると、さすがに神々の方でも「やりすぎ感」が出てしまうのを考慮した結果だろう。


「あいつら一緒に帰します?」


「いや、ちょっとやりすぎじゃね?」


「そうですか?ストーリーとしてはこっちの方が面白いですよ」


「だからさ、あんまりそういうことしてたらバレちゃうじゃん。俺たちの存在が」


「どうせバレてますよ。だから最後くらいやっちゃっても良いと思うんですよね」


「ていうかお前バレてもいいの?バレたら俺たちの品格っていうかさ、高尚な感じが失われちゃうじゃん?レア感がなくなるっていうか」


「正直に言うと、そういう考え方がもう古いと思うんですよね。これからの時代は神々もちょっとフランクにくだけた感じで人間と接するべきなんじゃないかと思うんですよ」


「は?お前誰に向かって口聞いてんの?ちょっとシヴァさん呼んでこようか」


「シヴァさんは勘弁してくださいよー。あの人何考えてるのかさっぱりわかんないんだもん」


「はっはっは!シヴァさんマジ意味わかんねーからな」


その後シヴァさんがどう言ったのかは定かじゃないけど、過度な演出はリアリティーを損なってしまうものだ、というのは神々の間でも周知のことである。



三人で飯を食べて記念撮影した後、僕と並木くんはりょうくんがゲートの中へ消えていくのを見送った。
そのゲートの向こう側にはまだ日本があるのだろうか?もうないのだろうか?まあ、日本があろうがなかろうが明日は同じゲートを自分がくぐるのだ。ダウンタウンへ戻るカナダラインの電車の中で、僕は何故か「最後に寿司を食べよう」と考えた。万が一日本が消失していてもこれで悔いはないだろう、と。
夕方からちゃちゃっと自転車の梱包と荷造りをして、同室のジョーダンと部屋でオアシスのDon't Look Back in Angerを熱唱した後、ひとりで「SAMURAI」という名前の寿司屋に入った。日本人の店員さんが出てきてビールとサーモンの刺身、ハウスロールというものを注文。賑やかな店内で一人きりという状況がちょっと落ち着かなかったけど、味は普通に美味かった。久しぶりに腹一杯になった。
これでもうやり残したことはないはずなのに、最後の夜はやっぱりなかなか寝付けなかった。



こうして迎えた出発の朝、ひどい夢を見たけどちゃんと起きた。
朝食を食べて荷物をまとめたら、すぐにカウンターでタクシーを呼んでもらった。10分で来ると聞いていたタクシーは全く現れず、再度聞いてみると「今super busyみたいで電話が繋がらないわ」だと。なんだって?じゃあどうすればいい?と聞いてみても「駅まで歩いていって電車に乗るしかないわね。駅はワンブロック先のデイビーストリートを右に行って、、、」いや、そんなこと知ってるわ。駅まで持っていけないからタクシー呼んだんじゃないか。どないすんねん。
とりあえず外に出て大通りを走るタクシーを捕まえられないか試してみたけど、どの車も客を乗せているか電話で呼ばれて出ているかで無視され続けた。くっそー!馬鹿!と思って、しかし諦めるという選択肢はないので考えていると、一台のタクシーが路地に入っていくのが見えたから追跡した。そのタクシーは建物の前でぐるっと回って、何やら迷っているような動きをしていた。
チャンスだ、と思って声を掛けてみると、呼び出された番地に来たけど客がいなかったらしい。


「だから君を乗せるよ〜」


いや本当に、どうなることかと思った。


空港に着いてカートに荷物を積んでいると、ぽんぽんと肩を叩かれた。振り返るとそこには再び並木くんの姿があった。彼は二日連続で空港まで見送りに来るという偉業を成し遂げる為にやってきたのだ。
空港職員もきっと訝しんだに違いない。昨日も同じ服を来た同じ奴らがやって来て、同じギターと同じような段ボールを持っていたのだから。ただひとつ同じじゃなかったのは、何故か自分だけ自転車の受託荷物料金を払わされたことだ。意味がわからないけど、まあ日本の空港より規制が緩い感じで助かった。個数超過を覚悟していたギターは手荷物で機内に持ち込むことができた。
僕は最後の最後まで「あ、これ忘れてた」「こんなもん持ってた」とバタバタやっていた。並木くんには感謝の気持ちを込めて(荷物を軽くしたいという気持ちも込めて)タープ、ロープ、カラビナ、ライター、洗剤、それからソーラーパネルを献上した。彼はバンクーバーで自転車の整備、折れたキャリアを溶接してもらったりした後、南米最南端のウシュアイアを目指して走り出す。日本に帰るのは一年半後、その頃にはもうりょうくんは次の旅に出ているはずだから、次に三人が揃うのはいつになるやら。そしてその時自分が何をやっているのか、今はさっぱり、想像もつかない。



2018年10月4日、午後1時25分。
エアカナダ便ボーイング789はゆっくりと動き始める。しばらく敷地内をぐるぐると移動した後、ジェットエンジンが轟音と共に回転を始めた。景色はものすごいスピードで後方へ流れていって、やがてその大きな機体は地球から離れた。
僕は狭い座席のシートに押し付けられるようにしてGを感じながら、終わったんだな、と思った。そして次の瞬間、いえーい、と思った。やっと日本に帰れるわーい、と思った。何に対してか知らないが、ざまあみやがれー、とも思った。
窓際の席から眼下に雲を見下ろしながら、僕はいつまでもいつまでも小便を我慢し続けた。膀胱の限界に挑むんだ。男は、泣いたらいかんのだ。












こうして僕の131日は幕を閉じました。
貯金も仕事もないけど、とりあえず五体満足、僕は今健康です。
少し落ち着いたら後日談や、ここに書ききれなかったストーリーをまとめたいと思っています。
最後までこの「偏屈な」旅日記を読んでくれてありがとうございました。




あ、言い忘れてたけど、これは全てフィクションです。
写真載せてないのはそういう理由なのでした。














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2018年10月04日

バンクーバー着





結局一睡もできなかった。
それまでまるで動かずに寝てばかりいた反動だったのかもしれないけど、その夜は酔いも手伝ってやたらと興奮していた。どこかに宝物は隠されていないかと、妄想の藪の中をうろうろし続けた。意識のレベルがゆっくり落ちていくのを感じていると、突然目覚ましが鳴った。五時だった。
携帯を開いてみるとそこには謎のポエムのようなものが残されていた。なんだこれ?と思った。以下コピペ。





「初恋」


初めて恋をしたのが、二歳の春だった。
庭中にいっぱい毛虫が居たのだけど、その中に一際大きな毛虫が居て、それは今考えると猫なのだけど、当時の私からしたら猫じゃなく、まして毛虫でさえなかった。
私はその猫でも毛虫でもないものを捕まえて、触ったり、匂ったり、食べたりした。
そうすると猫は、毛虫は、ぶわっと空一面に広がって、柔らかい布団のようになって降りてきた。
私は布団の中で眠った。それは今考えると恋なのだけど、当時の私からしたら恋じゃなく、まして夢でさえなかった。





ベリンハムに七時着港の予定だったからそろそろ片付けようと思って六時前にテントから這い出すと、既にフェリーは動いていなかった。周りの客の姿もない。なんでだろ、と思いつつも少し焦って片付けて、朝浴びようと思ってたシャワーも浴びずに階下へ降りた。
半分以上の車が既に出払っていたけど、どうやら大丈夫のようだ。気になったからスタッフに時間を尋ねてみると「七時半よ。アラスカは六時半」だと。ワシントン州に入ってまたタイムゾーンが変わったのだった。
ブリティッシュコロンビア州→アルバータ州→ブリティッシュコロンビア州→ユーコン準州→アラスカ州→ワシントン州→ブリティッシュコロンビア州というこの道中、タイムゾーンが変わったのはこれで四回目。いつもは陸路だったからわかりやすかったけど、海路の時は一体どの時点で切り替わるのだろう?



ベリンハムの街は都会的に洗練されていて、広い道路に街路樹が並び、綺麗な煉瓦造りの建物の中にはお洒落な店が並んでいた。朝早くてほとんどの店は閉まっていたけど、のんびり流していると気分は良かった。ところが不覚にもワシントン州の地図をダウンロードしていなかった。携帯の調子が悪くてGPSの位置情報も作動しない。まあ街中だからどこでもWi-Fi繋がるだろうと思っていたらそれもなかなか見つからず、仕方なくいい加減に北の方を目指して走っていた。
閑静な住宅街に入った。しばらくすると目の前にコンビニのようなものが出てきたから、とりあえずパンと飲み物を買って外に出た。そこで準備していると、ひとりのおじさんに声を掛けられた。


「うちでコーヒー飲んでいかない?」


「いいんですか!行きます!」


珍しく即答した。
この閑静な住宅街にあって変な人が住んでいるとは思えなかったし、おじさんはどこからどう見ても良い人そうだったし、というか普通にコーヒーが飲みたかった。眠かったのだ。
トッドさんの家はコンビニのすぐ近くにあって、庭から入ってガレージに自転車を突っ込んだ。玄関に入るともうひとり気さくなおっちゃんが出てきて、挨拶してたら次は小学生くらいの人懐っこい少年が出てきて、次は僕とそんなに歳が変わらないくらいの姉さんが出てきて、更に小さい子供と、これまた自分と変わらないくらいの歳の兄さんも出てきた。奥の部屋には今朝まで仕事していて疲れて寝ている人がもう一人いるという。
一体どうなってるんだ?誰と誰が血縁関係にあって、誰と誰が夫婦で、ただの友人で、ここでどのような共同生活をしているのか、結局さっぱりわからなかった。知ってる人は昔やってた海外ドラマ「フルハウス」を想像してもらうとわかりやすい。大体あんな感じで和気あいあいと暮らしているらしい。
フォトグラファーであるトッドおじさんは、その見た目を裏切らない超絶「良い人」だった。コーヒーを入れてくれて、オートミールにフルーツをいろいろ乗せたものを出してくれた。ちょうど不摂生と寝不足で胃腸がぼろぼろになっていたから身に染みた。ひとり、またひとりと仕事や遊びに出掛けて行くのを見送りながら、僕はソファーにどっかりと腰掛けて、当たり前のようにWi-Fiに接続して地図をダウンロードしていたのだった。
泊まっていってもいいんだよ、と言うトッドさんに甘えて今すぐ寝てしまいたい気持ちをなんとか振り払って、出発したのは結局昼前だ。雨が降る前に少しでも移動しておきたかった。翌日からの天気はことごとく雨の予報だった。



カナダ国境のイミグレーションでコテンパンにやられた。(コテンパンってどういう意味だ?)
ハイウェイから進入できず、回り道していくと商用車専用レーンだったりして、待機していた車の人に道尋ねたりしているうちに係官に捕獲された。半ば連行されるような形でカナダ側の国境管理事務所へ行くと、そこには再び髭の兄さんが座っていてアメリカ入国の悪夢が蘇る。あの時は強烈なアメリカンジョークを飛ばされて、ああアラスカに来たんだなぁと実感を持てたのも良い思い出。
見るからに怪しい顔をしていて、英語もカタコトの僕は徹底的に根掘り葉掘り聞かれた。どこから来てどこへ行くのか、何月何日にどこからアメリカに入ったのか、どのルートで旅をしたのか、何を持っているのか、どんな仕事をしていて貯金がいくらあるのか。帰りの航空券を見せろと言うから、熊に穴を空けられたEチケットレシートを見せてやった。パスポートをまじまじと眺めて、写真の顔と別人じゃないかと言われたり、まあそのくらいは想定してたから良かった。
そうこうしてるうちに携帯を見せろと言われて差し出すと、保存してある画像や動画のデータを徹底的にチェックし始めた、、、
くそぉ、、、そこには大切な思い出たちが、そして卑猥な動画が保存してあるのだ、、、ああっ、気付いたら隣の眼鏡の姉さんまで覗き込んでいるじゃないか!やめてくれ、頼むからやめてくれ!百歩譲って兄さんには見せてもいいが、姉さんだけは見ないでくれ!俺の性的嗜好なんてお前らの仕事に何の関係もないんだ!おまえら真面目な顔して絶対興味本意でやってるだろ!くそっ!ああ!今すぐここで射殺してくれ!!



三十分程の取り調べの後、僕は憔悴しきって釈放された。冤罪で逮捕される人なんかこの比じゃないだろうけど、こんな恥辱を受けるなんて、やはり外国は怖いところだ。



バンクーバーから少し離れたサレー南部のRVパークにチェックインした。
都市部から離れていた方が盗難やなんかも安心だし安いだろうと思ってやってきたのだけど、そこはまさかのテンティング無料だった。しかし明日でシーズン終了、テントサイトは閉めてしまうから連泊はできなかった。
その夜からずっと雨が降り続いて、翌日はびしょ濡れになってバンクーバーまで移動した。実はホワイトホースで出会ったサイクリストのりょうくんがバンクーバー南のリッチモンドに住んでいて、しかも一緒にカヌーの旅をした並木くんがちょうどこの日にバンクーバーまで下ってきていた。彼はジャスパーまで行って雪と凍結で進めず、悩んだ結果アイスフィールズパークウェイを迂回してものすごいスピードでこっちへ向かってきていた。カナディアンロッキーよりも我々との再会を選んだ(と僕は勝手に解釈する)彼の気持ちに応えようじゃないか、ということで「どこかで飲もうぜ」という暗黙の了解を頼りにやってきたのだ。
並木くんはりょうくんの住むリッチモンドのシェアハウスに庭仕事を手伝うという条件で潜り込み、自分は四ヶ月前に泊まっていたダウンタウンのホステルに行くことにした。雨が降り続く予報だったし、この辺りにキャンプ場なんてない。もう勝手がわかっているし、出国の荷造りとかタクシーの手配とか考えるとここがベストだった。メンバーズカードを持っていても一泊$45と、野宿に慣れた体にはかなり高いけど、清潔で柔らかい布団、シャワー、Wi-Fi、そして無料の朝食を食べられるというのがいい。あわよくばりょうくんの家に泊めてもらおうとも思っていたけど、かなり規則が厳しいようで空いてる部屋もないみたいだった。



余裕こいていたら意外とバンクーバー市街まで距離があって、道も走りにくいし雨もきつい。結局ホステルにチェックインしたのは夜八時。Wi-Fiに繋いでみると並木くんからメッセージが届いていて、既にダウンタウンの店で飲んでいるみたいだった。とりあえず荷物だけドミトリーの部屋にぶち込んで、濡れた衣類を乾かす間もなく出発した。
歩いて店まで行ってみると、爆音で音楽が鳴り響く店内の一番奥に日本人らしき男女が六人座っているのが見えた。その中にりょうくんと並木くんの姿があって、なんというか、彼等だけちょっと空間から逸脱しているように見えた。どうして森の住人達がこんなところにいるのだろう?と思った。
挨拶もそこそこにビールを頼んで、僕はすぐに酔っ払ってしまった。最初のテキーラが効いたらしい。腹が減ってたのもあるし、何しろ爆音の中だから隣の人と話すのも大声で、疲れる。ちょっと外へ出てみると、もうりょうくんはギターを弾きたくて仕方ないらしく、バッグから取り出して遊び始めた。自分も気持ち良くなって一曲歌った。バンクーバーの繁華街は酔っ払いかキマッてる人しか歩いていないけど、とにかく自由な空気で満ちている。誰もが好きなように好きなことをやっていた。
僕は都会の喧騒というのが嫌いだ。でもそこには面白い人間が集まっているというのも事実で。不器用にも自分の生き方を貫こうとするそんな人達を、僕は好きだと思った。



店に戻ると、りょうくんは爆音の中でまだギターを弾いていた。
アホだなぁと思う反面、僕はその聞こえるはずもない音楽に少し胸を打たれていた。














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2018年09月30日

ベリンハム着




こんな長文を書いてる暇があったら画像を一枚でも載せろ、という苦情はどうかご勘弁願いたい。
もともとブログを真面目に書く気はなかったのだけど、やり始めたらどうにも止まらなくなってしまった。こういうスタンスで始めた以上、もう引っ込みがつかない。





テッペイさんと別れてケニコット号に乗船すると、偶然エレベーターで一緒になったブライアンという男と仲良くなった。
やたらと大量に荷物を運び込んでいた彼はキーナイ半島のポーテージという小さな街の出身で、そこは僕も通過したところだった。彼のカートには汚いバッグがたくさん積まれていて、そこにはギターも乗っていた。荷物の量から推測して、最初ハンターなのかと思って話し掛けてみるとそうでもない。車で乗船してちゃんと客室を取っている「まともな」乗客なのかと思ったらそうでもない。実際、最後までよくわからない男だった。
僕たちはエレベーターで最上階のsolarium(日光浴室)という所に上がった。そこは窓ガラスが大きく貼られていて陽当たりがよく、いわゆる日光浴をするような所らしいが、実質この空間は我々のような「まともではない」客の為に活用されている。どのように活用されるかと言うと、勝手にテントを貼ったりベンチに寝袋を広げて寝たりできるのである。
チェックインが遅かったのもあって、そこには既に一軒テントが張られていた。なるほどこんな感じでやればいいのね、と理解してテントを広げていると、ブライアンはそこに積まれていたベンチをどかして、僕の為にいい感じの空間を作ってくれた。彼はというと、外のデッキにスペースを見つけて自分の部屋を作り始めたのだった。一時間くらいかけて彼が作った部屋を見に行くと、それは布とロープと洗濯挟みで作られた立派な城のようであった。広くていいなーと思った。むろん、一般的な客から見ればそれはただの「ホームレスの住居」にしか見えないのだが。



アラスカマリンハイウェイのフェリーというのはこんな感じで一風変わっている。
立派な大型フェリーで、たくさんの客室とカフェ、ダイニング、ラウンジ、シアター、子供用の遊び場まで完備されているから驚く。料金は飛行機よりも高いのだけど、我々のような浮浪者は「客室を予約しない」という裏技で少し安く乗り込める。やってみるとこれが裏技でもなんでもなくて、快適そのものだった。
乗組員やコックの人達は皆親切でフレンドリー、港に寄港した時は自転車で乗り出して外で買い物もできる。キャンプ用の燃料は預け荷物になるようだったから、テッペイさんにフュエルボトルごと献上した。さすがにデッキでカレーを作って食べるというようなことはできないらしい。
ところが僕はブライアンが持っていた炊飯器(のようなもの)でお湯を沸かしてカップラーメンを食べたりした。そこら中にコンセントがあるからこれくらいは余裕でできる。(後から知ったのだけど無料でお湯が使えた、、)
彼が「この炊飯器いくらで買ったと思う?」と聞いてきたから、ちょっと高めに見積もって「$100くらいかな?」と言うと「$10だ」と言って得意気に笑った。彼は何でもディスカウントショップで買ってきたものを見せびらかして、安く買った自慢をしてきた。よく見ると彼のセーターには穴が空いていて、ズボンもニット帽もぼろぼろだった。



ホイッティアーの港から出る便はこれが最後の一本だった。この船は春から夏の間にかけてしか運航していない。あらかじめ調べておいたから焦ることもなく、アラスカを抜ける覚悟を決めてからドーソンの街で予約を取った。
最後にソルトウォーターフィッシングがやりたくなったからトックの街からはサイクリストモードで頑張ったわけだけど、やっぱり走るだけの旅はつまらん、というのがその率直な感想だった。ふと足を止めて息をついた時に何かに巻き込まれる、というのが僕のスタンスで、その時に必要なものは「巻き込まれる余裕」でしかなかった。時間的にも精神的にも余裕がなくては巻き込まれられない。「巻き込まれられる」というのも変な日本語だけど、その言葉の通り、僕は能動的に受動的な旅をしてきたような気がする。
自分で決めたことを決めた通りに行っても楽しくない。そんなのは日常だけで充分だ。何かに巻き込まれて、そこに全身を投じて適応して、あとで体に残ったその皮膚感覚、手触りのようなものだけが純粋な旅の結晶として記憶に残るんじゃなかろうか。それはこの先の日常でも同じことなのかもしれないけど。



二日目の夜はギターを出して、ブライアンと一緒にデッキで歌ったりした。ここまでふざけた乗客は他に誰も乗っていなかった。ほとんどがきちんとした客室に泊まっている年輩の方で、若い人自体が少ないような印象を受けた。
僕は少し調子に乗って、ヤクタットに寄港した際にダッシュで買ってきたウイスキーを飲み過ぎた。ヤクタットには一時間ほどしか寄港しなかったのだけど、その間ブライアンが何をしていたかと言うと、森の中でパンを焼いていた。まったく意味がわからない。彼は「この網を使って焚き火を起こして焼いたんだ」と得意気に話した。「グロッサリーストアに行ったら小麦粉の袋が何個売っていたか確認してきてほしい」と謎の依頼を受けていたから、写真を撮ってきて見せてやった。彼はやたらハイテンションで喜んだ。



ジュノーの港でブライアンと別れてからの二日間は退屈で、しかもずっとグロッキーだった。
揺れのせいなのか、飲み過ぎたせいなのか、食生活の乱れなのか、疲れが出たのか定かじゃないけど、とにかく腹が痛くて何度もトイレに行った。フェリーに乗って安心して気が緩んだのかもしれない。売店がキャッシュしか使えないと知ってから、ろくなものを食べていなかった。手持ちの現金は$20くらいしか持っていなかったから、ほとんど酒とお菓子で二日間をやり過ごしていた。
僕はアホみたいに眠り続け、起きている時間はひたすら本を読んで過ごした。



ケチカンの街に上陸。
具合は悪かったけど、天気が良かったからやっぱり釣りをしてみた。出航までの三時間の間にグロッサリーストアで食糧を買って、そこで聞いたアウトドアショップへ走って一日分のフィッシングライセンス購入、そこで聞いたポイントへ移動して竿を出す。
リールを出してみるとハンドルがなかった。いつも仕舞っていた場所になく、どこに仕舞ったかわからなくなってしまった。最後にテッペイさんと釣りをした時、少し酔っ払っていたからまるで記憶がなかった。最後の手段としてベイトリールをスピニングロッドに逆付けしてやってみたらなんとか釣りになった。しかし魚の気配はなく、一匹小型のサーモンのようなぼろぼろになった魚が浮いていて、目の前にスピナーをキャストするのだけどガン無視され続けた。彼は逃げようとさえしなかった。
通りに面したクリークで、観光客がたくさん歩いているのも嫌だった。逆付けベイトリールは使いにくいし、一時間もせずに諦めて納竿。一体誰の為のライセンス料なのだろう、と思う。魚の為なら払ってやるが、そこら辺を歩いているおっさんの腹の肉になるようならこれほど馬鹿馬鹿しい出費もないと思う。アラスカ州のフィッシングライセンスはBC州よりもユーコンテリトリーよりも断然高い。ユーコンのワンシーズンのライセンス料よりもアラスカの三日間の方が高いとはどういうことだ?ちなみに、アラスカ非居住者がグリズリーベアを撃つ為には$1000払わなくてはならない。野性動物達はアラスカ州の貴重な観光資源であり、即ち財源ということか。



何故か四泊五日だと思い込んでいた船の旅は五泊六日だった。
眠り続けた後の最後の一日には体調が回復して、天気も良くて気分が良かった。僕は何故か太平洋の海の上で高野秀行さんの「謎の独立国家ソマリランド」を読みながらアフリカの辺境に思いを馳せていた。この人の書く本はどれをとっても面白い。ドーソンのホステルで三冊エクスチェンジしてきた文庫の中にも彼の書いた「巨流アマゾンを遡れ」というのがあって、これもフェリーの上でひとり爆笑させてもらった。
ちょうどフェリーはバンクーバー島のポートハーディの辺りを通過したところにいた。ふと窓の外を見ると、海の上を白い雲が這うように走っていて、なんとも幻想的な光景が広がっていた。
僕は本を閉じてデッキに出た。欄干に身を乗り出して携帯のカメラでぱしゃぱしゃやっていると、突然、足下でざざざっと波の切れる音がした。下を見ると、フェリーのすぐ脇を何やら素早くて大きな魚みたいなものが三匹横切った。先日伊豆諸島で見たシマアジの群れみたいなものが、もっと大きくなったような感じだった。
しばらく海を見つめていると、船は低い雲の中に吸い込まれていって、その中に鳥山ができているのが見えた。きっと魚の群れがいるのだ。それを狙って鳥達がやってきて、大型のフィッシュイーターも集まってきて、、、ああ、今すぐここからルアーを投げたい、と思った直後、突然その鳥山を切り裂くようにして巨大な魚のようなものが飛び出した。それは一匹や二匹じゃない。十匹、いや、二十匹以上いる。その勢いよく跳び跳ねる魚群が僕の足下にまできた時、ようやくそれが何かわかった。イルカだった。
彼らはもう船に轢かれてしまうんじゃないかというくらいすれすれのところまで近付いてきて、まるで子供たちが遊ぶみたいにして跳び跳ねた。フェリーが立てる波をサーフィンみたいに利用して跳ねるのだ。そのスピードは僕が想像していたイルカのイメージを覆した。まさにあのシマアジが群れで小サバを追い詰めた時のような、獰猛なフィッシュイーターのそれだった。爆撃とか、魚雷とか、そういう言葉を連想してしまうような激しい生命力に満ちた跳躍。僕は何故だか感動してしまった。
イルカの跳躍が続いたのは僅か一分間くらいの出来事で、すぐにその姿は見えなくなって、気が付いたら船は雲を抜けていた。その時間は夢を見ていたみたいに神秘的な時間だった。そのタイミングでデッキに出ていたのは僕と小太りおじさんの二人きりで、僕は何かすごいものを共有したような気持ちになって、おじさんに妙な親近感を抱いて言った。


「今の、イルカですよね?」


「ああ、イルカだ」


おじさんはまるで当たり前のことのようにきっぱりと言い放った。
あるいはイルカが跳ねるなんてことはここでは日常茶飯事なのかもしれない、と思ってちょっと夢から目が覚めた。



ケニコット号最後の夜、深夜一時になっても眠れなかった。僕は日記を書きながらウイスキーを飲み続けた。
窓の外にはナナイモの街が燦々と輝いているのが見えてきた。それは漁師たちが海の上に無数の篝火を焚いているように見えて綺麗だった。
七芋、と思った。七色に光る芋が海を漂っているのかもしれない、と思った。そう考えてから、何故か早く日本に帰りたいと思った。
一時間後にはこの船はバンクーバー沖を通過するだろう。翌朝七時にはベリンハムに着く。僕は小さな感傷を押さえ殺して、最後にバンクーバーで何をしようかなぁと考えていた。












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