「心で悩む」ことができない人が増えているように思います。
 「ん? 『悩む』って『心で悩む』んじゃないの? 」という声が聞こえてきそうです。確かに「悩」はりっしんべんで「心」の作用を意味します。でも、「体で悩む」「行為で悩む」「夢で悩む」ということも、しばしば見受けられます。

 高等学校教諭時代、いつごろからか「心で悩めない子が増えてきたなあ」と感じました。自傷行為や過呼吸などの症状が目立ち、しかもそれらは「感染」して増えていくような印象さえありました。私は担任や相談係として、その背景の「悩み」に付き合おうとするのですが、その子たちはなかなか「悩めない」のです。よく使う言葉は「分からない」とか「ビミョー」でした。
 心理教育の講座を立ち上げ、心理学の知識を伝えながら自分を振り返る演習もたくさんしましたが、取り組むのが難しい子もいました。その子たちのほとんどは、基本的な生活習慣や学習習慣が身に付いていなくて、悲しいほど無気力でした。

 この背景はいろいろ考えられますが、ネットやSNSの普及は大きいと思います。
 一昔前は、人間関係で困ったら、いろんな人に相談したり、実際に相手と話し合いをしたりして、何とか解決の糸口を探ったものです。でも、今はSNSに悪口を投稿して同調してもらえたらそれで終わり。気に入らない人を攻撃、排除して盛り上がるバーチャルな場が、その人の唯一の居場所です。
 自分自身の性格や生き方についても、ネットで情報検索。自分と同じような人がいると安心し、自分の症状はこれに違いないと納得はしても、ベクトルは自分の内面に向いていないので、やはり空しさはぬぐえません。
 人間の「心」は、生まれた直後から、親・家族・学校・社会との関係の中で発達します。現実の関係の中で守られ、認められ、交渉し、お互いに葛藤を乗り越えていくということを通して、「心で悩む」力ー内省力も育まれていきます。
 「関係」が希薄になって顧みられなくなる時代は、怖いです。

 「心で悩む」ことができないのは、若い世代に限ったことではありません。
 自分に向き合えず、「行為で悩む」大人の方もたくさんいらっしゃいます。主には依存症です。アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存、ネット依存、ゲーム依存、仕事依存、買い物依存、恋愛依存…。または強迫行為。
 明るくて前向きな人として尊敬され、それを自負している人の中にも、実は心の空しさを何かを「すること」によって紛らわしている人は多いです。そういうのを「躁的防衛」と言います。
 実は、ある程度「うつ」を抱えられる方が人間は健康なのです。それができずに「躁転」-テンパっているしかなくて、内面に矛盾を感じたまま過ごしていると、いつかは無理が来ます。そうすると、人間関係で破綻を来したり、「体で悩む」-身体症状に現れたり、「夢で悩む」-悪夢を見たりすることにもなります。

 これではダメだと思い立ち、何とか対症療法的に治そうとしても、なかなかうまくいきません。やはりきちんと「心で悩む」ことが必要なのです。空しさ、淋しさ、悲しさ、怒り、恐怖、後悔、自己嫌悪感…に向き合うことです。
 でも、そもそもそれが苦しいから逃げざるを得なかったわけで、一人では無理なのです。人間は弱いので、どうしようもない感情を一緒に抱える人、場、関係が必要です
 こんなとき、カウンセリングに来ていただけたらと思っています。自分を見つめて立て直していくというのはしんどい作業です。脱皮するまで数年以上はかかることも多いです。
 それでも、それをするのとしないのとでは、その先の人生の色が変わると思います。


                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com      

 
 

 
 
 

 「大変なお仕事ですね」「人の暗い話ばっかり聞いて、疲れるでしょう」とよく言われます。「こんなことを一生懸命やっていたら病気になるので、ほどほどにした方がいい」とまで言われたこともあります。
 やっぱり、カウンセラーって疲れる仕事だと思われますか?

 そう思われるのは、多分カウンセリングに対する誤解があるからでしょう。人の暗くて重い話をただ聴いてあげるのがカウンセリングだという誤解です。どんな話も「受容」しなければならず、我慢するのがカウンセラーの仕事だと思われているのでは。
 そもそも、淋しかったり辛かったり、思い通りにならない自分に苛立ったり、誰かに対する恨みを拭い去れなかったりといった感情は、ネガティブで問題だととらえられがちですが、カウンセラーはそうは思っていないのです。

 自分を変えようと思ったら、苦しみから目を逸らさず真正面から向き合わなければなりません。それはとてもしんどい心の作業です。お金と時間を費やしてカウンセリングに来てくださり、真剣に取り組まれる姿には本当に頭が下がります。だから、一緒にしっかり苦しんで悩むようにしています。
 その時、カウンセラーは、自分の心の中で何が起こっているかを常に意識しています。それができないと知らず知らずのうちにクライエントさんの感情に巻き込まれたり、逆にカウンセラーがクライエントさんを取り込んでしまったりする恐れがあるからです。だから、瞬間瞬間の自分の感情に気づく訓練を受けています。
 
 でも、カウンセリングは「感情」だけのものではなく、「科学」でもあります。心理学や心理療法の理論は、数多くの症例から発見され体系化されたもので、机上の空論ではありません。
 私たちは、異様に体の調子が悪いとガンかもしれないとビクビクしますが、医者は身体について隅々まで把握されているから、そんなに慌てません。同じように、カウンセラーは「心」についての知識があるので、クライエントさん本人より、何が起こっているのか、発達のどのあたりで躓いているのか、どういうことが課題なのかなどについて、ある程度は見通しが立ちます。だから、一緒に暗いトンネルの中でうずくまることができるのです。どんな心理的アプローチが役に立つかについても、常に考えながら進めます。

 それから、カウンセラーは決して我慢ばかりもしていません。クライエントさんのためと思えば、少々痛いことも言います。クライエントさんも「いい人」から脱却して「灰汁(あく)」が出せるようになると、すごく力強くなられます。カウンセリングは、クライエントさんとカウンセラーのアクティブな協働作業です。
 そんな試行錯誤の連続ですが、クライエントさんの変化は、思わぬところからやってくることが多いです。何だかわからないけどフッと楽になったとか、気づいたら今までできなかったことをしていたとか、タイムリーに意味ある出来事が起こるとか。不思議です。 

 カウンセラーは疲れないと言ったらウソになります。
 でも、クライエントさんとともにしみじみといい時間を過ごさせてもらって、むしろ感動をいただくことがしばしばです。深い心の世界をともに旅するというのは日常では味わえない、本当に特別な体験です。とても喜びに満ちた仕事です。 
 クライエントさんに十分に寄り添えるよう、もっと力を付けたいです。そのための一番の研究対象は、やっぱり自分自身かなと思います。


                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com

 

 先日6/11、ユング心理学セミナーⅤ(元型論4)を終えました。

 今回の資料として用意したユングの原著の中に、「道徳的価値判断は不確かであって、善と悪は見分けのつかないほどに協働しており、罪と苦しみと救いとは糾(あざな)える縄のごとくである」という件がありました(「元型論」林道義訳)。
 おそらく白か黒かをはっきりさせなければ気が済まなくて苦悩していた神学生が、白が黒であり、黒が白であるといったモチーフの夢を見るのです。彼の固い意識の補償としてのこの夢が取り上げられているところで、上の言葉が出てきます。何が善で何が悪なのか本当のところは分からない。何が幸いするか災いするかも分からないし、「罪と苦しみと救い」さえ混然一体のもの。
 この夢は、この不確かで危険な道を「幾多の変転と苦労」の後に乗り越えると、その先に「楽園の鍵」が見つかったというオチになります。

 ちょっと前の「TAOエンカウンター」でも、いろんなことが重なって、まさに「禍福は糾える縄の如し」の日々だったというお話が語られ、とても印象に残りました。このことわざは、よく単純に「幸と不幸は表裏一体でかわるがわるやってくる」と説明されていますが、その方のお話を聴いていると、起こること全てに白黒をつけず意味あるものとして受け止めていくと、「禍」と「福」が撚り合わさって一本の縄が着実に出来上がっていく  ー人生が迷いのない確かなものになっていくー のが目に見えるように感じたのです。
 小さいころ、田舎に遊びに行くと、腰が曲がって小さくなった祖母が縄を編んでいました。スルスルと魔法のように縄を編み出していく祖母を、何とも言えず眩しく感じたのを思い出しながら、その方のお話を聴いていました。

 今回のセミナーのメインは、元型の一つである「老賢人」でした。知恵の具現者としてのイメージの強い「老賢人」も、全ての元型と同じく両面性があるというお話もしました。次回セミナーで詳しく説明する「個性化(自己実現)の過程」への入口を感じていただけたかと思います。ユングの「個性化の過程」はつまるところ、「相対立するものの統合」です。
 ユングは東洋思想にも通じていて、「易」や「陰陽論」にもよく触れています。
 「陰」と「陽」も「糾える縄」のように、不可分で一体のものなのでしょう。「陰陽太極図」にはその奥義を感じることができます。                                                                                                                       

 私はもうかれこれ10年以上、太極拳を習っています。お稽古ではよく「陰」と「陽」のことを言われます。左手が「陽」のときは右手は「陰」。脚もしかり。足の裏にも「陰」・「陽」がある。次々に入れ替わる「陰陽」を常に意識しながら、宇宙からいただいた「気」を体中に流していく。
 難しいんです、これが…。まだまだです。でも、この自在感がつかめると、体も心も人生ももっと楽になって、カウンセラーとしてもお役に立てるのではと思います。
 昨年、準師範になりました。また心してお稽古に励みます。
                                      
 
                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com


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