先日6/11、ユング心理学セミナーⅤ(元型論4)を終えました。

 今回の資料として用意したユングの原著の中に、「道徳的価値判断は不確かであって、善と悪は見分けのつかないほどに協働しており、罪と苦しみと救いとは糾(あざな)える縄のごとくである」という件がありました(「元型論」林道義訳)。
 おそらく白か黒かをはっきりさせなければ気が済まなくて苦悩していた神学生が、白が黒であり、黒が白であるといったモチーフの夢を見るのです。彼の固い意識の補償としてのこの夢が取り上げられているところで、上の言葉が出てきます。何が善で何が悪なのか本当のところは分からない。何が幸いするか災いするかも分からないし、「罪と苦しみと救い」さえ混然一体のもの。
 この夢は、この不確かで危険な道を「幾多の変転と苦労」の後に乗り越えると、その先に「楽園の鍵」が見つかったというオチになります。

 ちょっと前の「TAOエンカウンター」でも、いろんなことが重なって、まさに「禍福は糾える縄の如し」の日々だったというお話が語られ、とても印象に残りました。このことわざは、よく単純に「幸と不幸は表裏一体でかわるがわるやってくる」と説明されていますが、その方のお話を聴いていると、起こること全てに白黒をつけず意味あるものとして受け止めていくと、「禍」と「福」が撚り合わさって一本の縄が着実に出来上がっていく  ー人生が迷いのない確かなものになっていくー のが目に見えるように感じたのです。
 小さいころ、田舎に遊びに行くと、腰が曲がって小さくなった祖母が縄を編んでいました。スルスルと魔法のように縄を編み出していく祖母を、何とも言えず眩しく感じたのを思い出しながら、その方のお話を聴いていました。

 今回のセミナーのメインは、元型の一つである「老賢人」でした。知恵の具現者としてのイメージの強い「老賢人」も、全ての元型と同じく両面性があるというお話もしました。次回セミナーで詳しく説明する「個性化(自己実現)の過程」への入口を感じていただけたかと思います。ユングの「個性化の過程」はつまるところ、「相対立するものの統合」です。
 ユングは東洋思想にも通じていて、「易」や「陰陽論」にもよく触れています。
 「陰」と「陽」も「糾える縄」のように、不可分で一体のものなのでしょう。「陰陽太極図」にはその奥義を感じることができます。                                                                                                                       

 私はもうかれこれ10年以上、太極拳を習っています。お稽古ではよく「陰」と「陽」のことを言われます。左手が「陽」のときは右手は「陰」。脚もしかり。足の裏にも「陰」・「陽」がある。次々に入れ替わる「陰陽」を常に意識しながら、宇宙からいただいた「気」を体中に流していく。
 難しいんです、これが…。まだまだです。でも、この自在感がつかめると、体も心も人生ももっと楽になって、カウンセラーとしてもお役に立てるのではと思います。
 昨年、準師範になりました。また心してお稽古に励みます。
                                      
 
                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com


 「プラザ岡山」6月号に、「アイデンティティ」について載せていただきました。
 「これが自分!」という実感を持って、社会の中で伸び伸びと生きられたらいいなあという願いを込めました。でも、口で言うほど簡単なことではないですよね。

 「アイデンティティの獲得」は、一応青年期の発達課題ということになっていますが、現代では年齢を問わず突き付けられる課題だと思います。多忙で複雑多様な世の中では、どう自分を作っていいか分からず、右往左往のまま年齢を重ねてしまいがちです。
 それに、日本ではむしろ「自分がない」方が美徳とされてきた感があって、「空気が読めない」とか「自己チュー」とか言われないように、ひどく神経を使ってしまいます。表面的には問題なく暮らしていても、内面は何が何だか分からなくなって苦しんでいる方も多いと思います。
 一昔前なら、それでも家庭やコミュニティの包容力がもっとあって、お互いを認め合う温かい空気があったのに。経済もこんな逼迫感はなかったので、ぼんやりしたままでも十分に穏やかに暮らしていけたのに。
 厳しい時代になったなあと思います。でも、ここを乗り越えるためには、やはり少しずつ「自分」を作っていくしかないのでしょう。

 TAOにも、こんな生きづらさから脱出したい!ということでいらっしゃる方が多いです。
 考え方や振る舞い方を変えるのは、とても勇気がいるし怖いことです。まず、これまでの頑張りをねぎらい、自分の気持ちを優しく受け止めることが大切です。特に何か立派なことをする必要はないのです。次への新しい一歩が踏み出せ、自分にしっくりくる在り方がつかめるよう、お手伝いできたらと思っています。
 
 私自身、退職・開業して、ようやく自分の生き方に違和感を感じなくてすむようになりました。それまで、それはそれは大変でした。まだ楽ではないし、不十分なところもたくさんありますが、死ぬときにこれでよかったと思いたいので、TAOにいらしてくださる方とともに、自分の可能性を問い続けていきたいと思います。
               健康コラム294

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                         HP:http://tao-okayama.com

 今、「働き方改革」が叫ばれています。法整備が検討され、労基の監督が厳しくなり、テレワーク等の新たな勤務形態も工夫され、長時間労働は少しずつ是正の方向に向かっていると思います。
 しかし、それで私たち日本人の生活や心は、本当に豊かになっていくでしょうか?
 
 そもそも、どうして日本人はこれまでこんな過酷な長時間労働をいとわなかったのでしょう。
 私の欧米人の友人は、日本人の働きぶりをよく「クレイジーだ!」と言います。県庁の明かりが夜遅くまで煌々と照っているのを見ても、決して「残業」をしているとは信じません。
 日本人にとって時間外労働は当たり前。定時にさっさと退社すると白い目で見られます。人と足並みをそろえて残業していないと、評価や帰属感が得られないのではという不安に駆られます。

 日本は「グレートマザー」の強い母性社会です。周囲を巻き込み一体感を重んじ、基本的に個人の自由や自立を好みません。日本人にとって一番大切なのは「空気」、一番怖いのも「空気」です。「みんなが残るなら残る」「みんながノーと言わないなら言わない」。
 そんなふうにして会社に身を捧げていると、家庭生活がおろそかになり、家族に疎まれ、「亭主元気で留守がいい」となります。家にいるより会社にいる方がマシで、ますます長時間労働が常態化していきました。
 でも、「終身雇用・年功序列」制度に守られているので、まあこんなものかと思うしかありません。
 
 こうして、戦後日本は奇跡的な復活を遂げ、世界第2の経済大国にまで成長しました(今は落ちましたが)。私たち現役世代はその恩恵に浴しているのですから、感謝しなければなりません。
 でも、現在、その世代の方々の老後はというとどうでしょう。子や孫の心配は絶えず、認知症、老老介護、孤独死は急増で、「下級老人」という言葉さえ生まれる時代になってしまいました。本当に残念です。
 戦後は「第2の軍国主義」とも言える時代だったと思います。暗黙の裡に「滅私奉公」が求められ、「出る杭は打たれる」とか「長い物には巻かれろ」というような風潮の中で、「自分」を作る余裕はなかったでしょう。意見を主張し、家庭を大切にし、人生を楽しむということができなかったばかりでなく、次世代がうまく育たず、社会全体が非常に不安定になっています。

 「働き方改革」に甘えてもいられません。働く世代が「空気」に流されない確固とした「自分」を作っていかないと、この連鎖は止められないのではないでしょうか。
 ネガティブな「グレートマザー」(女性や母親だけの問題ではありません)から心理的に自立し、自分自身を大切に生きることにもっと価値を置くべきです。そうしてこそ、他者を尊重でき、次世代を強く育むこともできると思います。
 個人と社会の幸せのための「働き方改革」ですから、「生き方改革」も伴わないと、この空転状態がさらにこじれることになりそうで怖いです。


                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com

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